【高畑勲】 火垂るの墓 Part4 【清太・節子】
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監督 : 高畑勲
脚本 : 高畑勲
原作 : 野坂昭如
公開 : 1988年4月16日
出演者 : 辰巳努(清太)
白石綾乃(節子)
前スレ
【節子】 火垂るの墓 Part3 【清太】
https://kanae.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1386059715/
節子だけは成仏させてやってくれよ 無能兄と心ない大人によって殺されたんだぞ かぐや姫のラストで月に赤ん坊の姿が浮かんだのは
高畑は何の苦労もない月世界の住人なんか赤ん坊と同じだと言いたいのか
魔王のように「悪を知ってこそ一人前なんだぜ」と言っているようだ 高畑は私はこんなひどい空襲にあったんですぜ、
ファンタジーなどと言って浮かれてるんじゃないですぜ、と言いたいのか まあ死んで終了という結末ありきな以上、生命力薄そうなもやしマンが主役になるのも必然だわな
はだしのゲンみたいな性格にしてしまったら平然と生き残って西宮オバサンにうんこぶっかけに行ってしまう 先ほど放送されていた米アカデミー賞で、高畑勲 監督も追悼されていました。
https://i.imgur.com/JPSP6aY.jpg アカデミー賞の追悼コーナーの映像は、「Oscars 2019 In Memoriam」で検索(YouTube)。(米ABCテレビの公式チャンネル)
高畑勲さんが紹介されるのは、2分44秒 頃。 清太さんの喘息発作は、ある意味、後のSEKIROの竜咳の喘息発作の描写に引き継がれるとは…。 竜咳を発症すると、非常に苦しい喘息発作に見舞われて、しばらくスタミナを使う行動ができなくなる。
崖登り中に喘息発作を起こすと、リンクはあまりの苦しさで手を離して落下する。
泳いでいる最中だと溺れる。
症状が進むと、発作時に喀血してハート2個ほどのダメージを受ける。
※ハートが残り2個未満で喀血すると、リンクはその場で力尽きてゲームオーバー。 もうじき いろんな戦争映画見れるので楽しみ
火垂るの墓もいいけど
やっぱりコレが一番好きだ
https://www.youtube.com/watch?v=U62esWXj78A 序盤で母親が包帯ぐるぐる巻きになって死ぬが、
あの状態で少しの間生きてたってこと?
それとも即死? >>231
闇市って知らんのか?
現に疎開先から帰ってきた奴らは
裕福だったろ? せっかくNHK日曜美術館で高畑勲特集やってたのに
このスレは盛り上がらないな、火垂るについてもやってた
来週の夜に再放送あるよ 清太が精一杯生きたヒーローではなく、普通にアホだから深い。 思いやりと思い入れの話に納得
NHKの特集面白かった 体調不良と自分のためにタコ殴りにされている兄の姿を見てまず
節子が生きる気力を無くして死にその妹の死に清太も絶望して
生きるための手立てを打とうとせずに死ぬというわけで
どんな環境があってもこの兄妹を救えやしないんだな 誰の干渉も受けない理想郷をあの世情で実現しようとしたが厳しい現実の前に
挫折して最後には二人仲良く成仏せずにこの世とあの世の狭間という本当に
限られたたった二人だけの世界で永遠に愛し合う兄妹の物語 清太なんか節子を山の上で焼いたあと横穴に戻らなかったというから
もう生きる意思をはなから捨ててる 清太は生きてるよ
のちに作家になって映画監督と殴り合いしたから 本物のセイタは妹のことぶん殴ってたらしい。多分死んだのはその後遺症。 ずっと気になってて、昨夜初めてこの作品を観たよ
最初から最後まで涙腺崩壊だったけど、特に節子が既に母親が死んでると聞いてて蛍を地面に埋めてる場面と、最後に生き絶える前に団子を兄にどうぞしてる場面は声出して泣いてしまったよ、、、
俺は長男だから、清太の思い遣りや辛さも凄くよく分かったけどね、、、 >>1
【ジブリの警告に国民は絶賛、天皇制から日本を解放せよ】
ジブリの長編アニメーション『かぐや姫の物語』(高畑勲監督)が、日テレ系列『金曜ロードSHOW!』でテレビ放送された際、
姫の最後の求婚者である天皇(正式名称:御門)の「長すぎるあご」に視聴者が釘付け。
twitterでは「#帝クソコラグランプリ」というハッシュタグまで生まれ、「アゴ祭り」が大発生した。
高畑監督はかぐや姫は今の日本人のことと警告している。変態天皇のセクハラにかぐや姫は必死に抵抗する。
高畑監督は『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』などの名作を生み出したスタジオジブリ所属の名監督。
映画人九条の会や日本共産党などで反戦活動も行う高畑監督は「やぶにらみの暴君」を見てアニメーションに
社会的メッセージを送る力があると考え、アニメ映画監督の道に進んだ。
東映時代には『安寿と厨子王丸』の天皇崇拝描写に宮崎駿監督らとともに労組で抗議したこともある。
『火垂るの墓』では日本を何も変えられないと悩んだ末に完成したのが『かぐや姫の物語』だった。
「アゴ祭り」が同じジブリの『天空の城ラピュタ』の「バルス祭り」のような社会現象となりつつある今の日本では、
天皇など馬鹿にされ笑われる程度のちっぽけな存在であることが証明されたかっこうだ。
スタジオジブリは日本を代表するアニメ制作会社であり、アニメやデモを通して反戦を訴えてきた。
同じジブリの監督であり、沖縄基地反対代表に就任した宮崎駿監督も現在の日本に危機感を覚える一人である。
「日本は悪かったんですよ。それは認めなきゃダメです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。
日本の若者が歴史感覚を失ったことが問題だと思う。歴史感覚を失った場合、その国が滅びるからだ。慰安婦問題は、早くに清算すべきだった。
今の日本には、戦前に似た有害な空気が流れていて、二つの時代は驚くほど似ている。堕落の予感が柄の悪い愛国主義など悲観的思考を生んでいる。」
今までに、沖縄基地反対基金、戦争法反対シールズデモ、原発反対デモ、安倍晋三糾弾活動などを展開してきたジブリであるが
ファンの間には愛知県に建設予定のジブリパークに変態天皇の展示を期待する声もある。 >>600
二人に集めてきたホタルが死んだシーンと
軍隊に集められた特攻隊が飛んでいくのを見てホタルみたいっていうシーンが
対比になっててあそこは泣けるシーンではなくないか? おばさんの家を出た時に近所の農家のおじさんに
「今すぐ誤って許してもらえ。そして家に住まわせてもらえ」って言われてる。
周りの人たちはしっかりと清太と節子のことを見てるし言ってくれるだけ優しい。 ×今すぐ誤って許してもらえ
〇今すぐ謝って許してもらえ ちょっとした反抗心やちょっとした意固地
ちょっとした過ちがすぐ死とつながってしまう時代だったんだ 空襲の後に学校で乾パンくれたお姉さんに着いて行って西宮に行かずに学校に居たら助かったかな? 常識的に考えたら海軍の巡洋艦の艦長の親族なら海軍の部下が絶対に面倒見ると
これ宮崎駿が言ってるのが有名だしうちの祖父母も当時この映画を見たすぐ後に
「実際はあんな事にはならんよねえ、海軍さんが絶対面倒見よんしゃるよねえ」と言ってたから
当時を知ってる人には当たり前の違和感なんだろうなと思う
ただ清大は感情的になって大人との関係を全て断ち切ってしまって過去関係があった人たちからは行方不明同然となってしまったから
それでも運が良ければと言うか、普通なら当然見つけられて保護されてる筈のところを
たまたま運悪く発見される事も無く妹と二人だけの世界に閉じこもったまま二人とも餓死してしまった
この話ってかなり運の悪い成り行きに転がって行ってしまった顛末なんだと思う 映画見ると清太が感情的になって怒り出すタイミングが自閉症児と同じ。 >>607
西宮の小母さんてのが父親の義理の弟の奥さんの実家のカーチャンなんだろ。
そしてなんで場所知ってるかというと父親と母親とでオジサンの結婚相手の出自や
門地とか調べに来てたからなんでしょ。家族自体ズレてる人たちなんじゃないだろうか。 岡田心中説がでたあとで、あらためて見直すと、
横穴へ持ち込んだ、お母さんの遺骨(骨壺)が光ってるシーンは、なにを意味してると思いますか? お母さんの遺骨は放置して
妹をサクマドロップに入れて
持ってたんやろ ジブリの教科書より
高畑勲
60p
戦争でなくてもいい、もし大災害が襲いかかり、相互扶助や協調に向かわせる理念もないまま、この社会のタガが外れてしまったら、
裸同然の人間関係のなかで終戦直後以上に人は人に対し狼となるにちがいない。 節子焼いてから駅で死ぬまでどないして生きてたんやろ
一人なら身軽だからむしろ今までよりしのぎやすいんちゃうんかと思ったりもするが 空き巣や畑泥棒みたいな事をして何とか食いつないでたんじゃ無いの
あと駅に浮浪児がたむろしてたのはゴミ漁りでという話を聞いた事がある
それもそんなに上手くは出来なかったんでしょう
そういうやり方でつぶしが効くようなら端っこさがあったら節子死なせたりしていないよ 宮崎駿のコメント
「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。 あれはウソだと思います。
(中略)
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。
それは戦争の本質をごまかしている。
それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。
しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスの エリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、
自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。 (以下略)」 >>624
まぁ設定に無理はあっても、実際に戦後浮浪児たちがいて自殺餓死病死してたのは事実だから良いんでない?w あれ現代人に怠けていたらああなるでって警鐘を鳴らしていた作品だからな >>42
一番貧しいのはお前だと思う
何が貧しいのかは自分で考えな >>624
それは宮崎駿と同世代のうちの母親も言ってたからあの世代にとっては当たり前の違和感なんだろうけど
一つ不思議なのはそんな事は重々承知してる筈の野坂昭如が何故そういう設定にしたかなんだよな
そんな違和感を持つ人が今より段違いに多い時代に發表した作品で敢えてそんな設定にわざわざしたのは
何か狙いがあると思うんだが 野坂は火垂るの墓を彼にとってのファンタジーとして書いたんだよ。
野坂も高畑も蛍は心中ものだっていってるし。
野坂の、現実には妹をひとり餓死させながら自分は死ねずむざむざ生き残った罪悪感を、自らのファンタジーの中では妹・節子と一緒に自分の分身である兄・清太を殺す事で無念を昇華したかった。いや簡単に言葉には出来ないだろうが恐らく野坂にとってそれは妹に掛けられた呪いでもあっただろう。そういう極私小説なわけ。
そしてハヤオが指摘している事は、兄妹が自ら大人の庇護から逃げた駆け落ちとして描いていた事により無効化している。
その事にあのハヤオが気づかなかったとは思えないから感情的イチャモンだとおれは思ってるけど。
実際トトロ製作中既にハヤオは、トトロみたいな呑気なものを作ってる場合じゃない!と、蛍の内容に激しい嫉妬を見せていたのは鈴木らの証言にある。
たぶんハヤオは完成映画を見てさらに激しい嫉妬と批評精神を刺激されてそんな事を口走ったんじゃないかな。 あーあれは駆け落ちなのかー
なるほどねー
2人が心中する前に駆け落ち表現してたんだ
普通分からんよねー ただでさえ高畑勲の演出は控え目で自然すぎて分かりにくいが、火垂るの墓は観るのに体力いるからなかなか何度も観て確かめようとは思わない。
一回みたくらいじゃわからない所は沢山あると思う。 >>629
他のスレでも見たけどこれ凄いよね。勲と駿の絆だよ。 絆じゃねーだろうよ
潰し合いだろ
俺の表現の方が上だって言いたいんでしょ もしお互いになにを描いてるか知ってわざとやってたらね。その辺の事実は知らん。 ジブリの教科書よりp228
蛍の墓 解題
前半省略
さて、改めて、映画館で併映された『火垂る』と『トトロ』の関係を確認しておく。『トトロ』 の表現の一つ一つに『火垂る』の中の表現が対置される仕掛けとなっていて、 それは 『トトロ」
における「ファンタジー」をことごとく潰していっているように見える。そのことが一番はっき りわかるのが『トトロ』解題で触れた、『トトロ』においてススワタリをメイが掌の中で潰すと ススだけが残るくだりと、『火垂る』における節子が捕えた蛍を掌の中で誤って潰すくだりの対 比だ。二人の妹の掌の中の「死骸の有無」が二つの映画の表現のあり方を決定付けている、とぼ くは感じる
しかし、それでは高畑は二人三脚的な関係から一人立ち。を始めた宮崎への問いかけとし て、何故、そのような表現を試みたのだろうか。 そこにはに先達としての高畑が後進としての宮崎に与えた試練に留まらない、この国の戦後 のサブカルチャーの歴史とも関わる大切な問題がある、とぼくには思える トトロの同時上映が火垂るの墓だったな
当時小学生でリアルタイムで観たが、休憩挟んでトトロの数分後にアレはなかなかパンチあった
でも年齢関係なく観なきゃダメだ 火垂るの墓、冒頭で母親がバケツで火を消火しようとするシーンってありませんでしたっけ?
地域のみんなでバケツリレーの練習してたような台詞と一緒に。 >>639
逆ならまだ見終わった後の気分が違うけど、トトロが先でそのあと火垂るの墓は辛いな 火垂るの後にトトロ見るのも気持ちの切り替えが大変だったぞ 節子に似た娘がいるのだが、歳も同じくらい
見てられない…
あまりにも辛すぎる… おいおい現実の実の娘だろ?悔いなく思いっきり愛してやれよ
あっという間に大きくなって後悔するなよ >>630
発表された当時は誰が読んでも明らかに違和感あったから「そういうものだ」で
逆にスルーされてたんじゃないの
文学作品であって歴史の教科書じゃないから 高校生の時この映画を映画館で見に行った時、自分は涙が出てきたのですが、つれは平然としていて驚いたのを思い出します >>630
上の方で母ちゃんがお妾さん設定だった説のコメ見かけたけど
確かに妾の子なら色々な事に筋が通ると思った 道徳観のないサイコ糞ガキは火垂るの墓を見るべきだと言うと
こんなん言ってくる爺さんがいるんだが何だ?意味わからん
>火垂るの墓とか、クッソアカやんけw
>お前アカの工作員かw 兄が畑泥棒をして逮捕された時、釈放された兄を見た節子が
「どこ痛いのん?いかんねえ。お医者さん呼んで注射してもらわな」
と言って兄がハッとするシーンがあるんですが、なぜですか?
あんだけボコボコにされてるのにどこが痛いのかわからないというのはないですよね
栄養失調で視力が落ちていた? 何度見てもおばさんが米なしの味噌汁を注いでくるシーン酷い
僕が持ってきた梅干しないんですか?
そんなものとっくに無くなりましたよ!
も酷い…酷すぎる ドラマ版も見たけどおばさんがエグくて…
空襲泥棒で捕まった時におばさんが迎えに来るんだけど、清太が謝ろうとしたら「謝ってもらっても困る。あんた達に食べさせるお米はないの。例えあっても一粒でも自分の子どもに食べさせたい」つてはっきり拒絶→餓死
この流れ残酷だよね〜
おばさんは母親としては正しいけど清太からすれば死刑宣告よ おばさんの対応見るために映画版も見るつもり。
叔母さんの対応が兄妹の生死を決めてる
アニメ→戻ればワンチャン置いてもらえたかも
ドラマ版→おばさん完全拒否 NHK BS1 9月20日 1:15〜1:40
四国地方推し! @okayama「高畑 勲〜日常へのまなざし〜」 原作読めよ 新潮本で 火垂るの墓とアメリカひじきってのも読めよ。二つの話が対だよ。
戦災孤児が死んでも生き抜いても結局はって話な。 >>624
宮崎駿の嫉妬やな。いい作品作ったことに対して批判したくなるんだよな NHK総合 明日12/12 5:40〜5:50
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 野坂昭如(作家)」 火垂るの墓は、今までに無いエロアニメですよね。
高畑勲監督恐るべし!
節子は、ある意味魔女的存在ですよね。
そして、兄は糞ニート。
映画の中でちゃんと二人のセックスシーンと言うべき場面が描かれているのには、驚きましたね。
貫通シーンと同時にフェラシーンが有りましたね。
分かるとは思いますが、節子が針仕事をしていて、指を刺すシーンが貫通、その後指から流れる血を吸うところがフェラシーンを表しています。
また、映画の後半に裸の節子がシーツをマントの様に翻して走る回想シーンは、節子が魔女の様に描かれて居ましたからね。
その他、台詞の端々にとてつもない台詞が織り込まれています。
リアリズムと、幻想的なシーンを織り交ぜ、今までに無い最高のエロアニメとして作られています。 >>624
当時のエリート一家の奥さまが肺か胸を患ってるなら
お付きの人がいるはずなんだけどそういう人いなかったし
清太もエリートの家の長男の教育受けてる様子も考え方も振る舞いはまったく見られない
あの母親って3号さんか4号さんくらいの地位として描かれてると思うけど
そういう人にも援助ってあるの? 北海道函館市のタイガーマスクさん桶作孝次様は日本地図書くの上手すぎる事で有名な大天才
函館オーシャンスタジアム高校野球ファン一同 火垂るの墓は、「反戦」映画でもなく、「お涙頂戴」映画でもない。
これを見て、涙が止まらないとか、何度見ても泣けるとか言ってる奴は本当に見るべき
ところ(原作者や映画監督の意図)が見えていない。
この物語の真の意図するところは、「社会のレール(ルール)から外れては生きてはい
けない(まして、子供なら尚更)」という残酷ながらも歴然たる事実を表現しているの
だよ。どんなに本人達に信念があろうとも精神論だけでは生きていけないというメッセ
ージがまさにエンディングの部分。
これを読み解くヒントは、映画の中の随所に描かれている。
まず、清太は親戚のおばさんの家での態度が悪過ぎる。節子の面倒を見なければいけな
いというのは分かるが、せめて「何かお手伝いできることはありませんか?」とか、節
子を一時的におばさんに預かってもらい、勤労動員に赴き僅かながらに金や食料をおば
さんの家に供給することくらいは出来たはずだ。しかし、実際は謙虚な言葉は一切なく、
毎日遊び惚けて、挙句におばさんの小言に不機嫌そうな(不満そうな)顔をするだけ。
そりゃ、おばさんも怒るわ(笑)
飯を別々にしようという話になったときも、おばさんの娘が、「お母ちゃん、またキツイ
こと言うたんちゃうの?」と突っ込むも、おばさんは「せやけど、ごめんなさいの一言も
のうて七輪から何から買うてきてからに、まるで当てつけやん!」と発している。
これは文字通り、おばさんは「ごめんなさい」とちゃんと謝って、言動や態度を改めれば
飯を食わさんつもりではなかったということ。実際、作中でおばさんは直接的には出てい
けとは言っていない。飯が食えなくなったのは、100%、清太の態度のせい。
また、おばさんは清太達が出ていくことになったシーンでも引き止めこそしないものの、
家に入る直前に心配そうな顔で二人が去っていくのを見つめている。これはどう見ても、
二人が出ていってせいせいしたという意味ではなく、子供二人では生きていけないことを
知っているため、心が少し痛んでいるという意味だろう。(だからといって、引き止めて
まで面倒を見る気はないという意味もあるが・・・)
また、おばさんの家を出て行った後、農家のおじさんに食料を分けてほしいと頼みに行く
シーンがあるが、ここが一番重要。ここでおじさんが、「今は何でもかんでも配給やし、
となり組に入っとらんと暮らしてはいけん」と最大のヒントをくれる。このシーンの直前、
近所の子供達が留守中の穴蔵を見に来て、蛙の干物を見て、「えらいもん食うとるなー」
と言うシーンがある。農家のおじさんに頼みに行く時点で既に窮乏を極めていたのだ。 それでも、自分達の現状を直視できない清太。
農家のおじさんに食料を分けてもらうのを断られた後は、とうとう畑泥棒を働く。
夜中に畑泥棒をしているところをみつかり、ボコボコにされて警察に突き出され、釈放された後
は節子の前で号泣するも、それでも反省の色はなし。畑泥棒の次は火事場泥棒。空襲で焼けた町
で、人々が逃げ回っている隙に食べ物を盗み食いし、着物等を盗み出す始末。さらには、空襲の
真っ最中に、「やれやれ、うえーい!」などと叫びながらテンションMAX。
このシーンの清太は狂気と呼ぶ以外にない。
その後、節子の容態が急激に悪化し、医者に診てもらうも「滋養を付けるしかない」とバッサリ。
最後の切り札であるお母さんの貯金を下ろしに行くが、そのときになって、既に戦争が終わって
いたことを知る。終戦後、何日経過していたかは明らかでないが、周りの大人の雰囲気からは、
一週間程度は経っていたのではないかと思われる。(このシーンは、社会のコミュニティから外
れると、致命的な情報不足に陥るというメッセージが込められている。)
お母さんの貯金で買った食料を持って節子のもとに戻るも、既に手遅れ。スイカを一口食べさせ
ただけで、そのまま節子は息を引き取る。どうして、お母さんの貯金をもう少し早く下ろして飯
を食わせなかったのか? まだ14歳の清太には小さな子供が餓死するタイミングを見定めること
が出来なかったのだろう。信念だけでは生きていけないというメッセージはこういうところから
も垣間見れる。もっとも、いずれにしても、清太一人さえも最終的に餓死することからも、二人
の死は避けられなかった。しかし、作中に描かれているのは、ほとんどが清太の身勝手で愚かな
行為ばかり。
このような本作が、「反戦」映画や「お涙頂戴」映画なわけはない。冒頭で述べた通り、
「社会のレール(ルール)から外れては生きてはいけない(まして、子供なら尚更)」という残酷
ながらも歴然たる事実を表現しているのだ。そして、それは現代にも当てはまることを受け止めね
ばならない。ニート、ネットカフェ難民、年金未払い、生活保護、これらに当てはまる人々は社会
保障が消えた瞬間に清太と節子と同じ末路を辿るだろう。 >>624
単純に、原作の設計ミスじゃないのかな。実話ベースだったら不味いだろうけど。
清太の人格形成のために、士官の息子にしたのはちょっとまずかったのかもね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています