【高畑勲】 火垂るの墓 Part4 【清太・節子】
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引き続き語りましょう
監督 : 高畑勲
脚本 : 高畑勲
原作 : 野坂昭如
公開 : 1988年4月16日
出演者 : 辰巳努(清太)
白石綾乃(節子)
前スレ
【節子】 火垂るの墓 Part3 【清太】
https://kanae.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1386059715/
そして、高畑勲は、『火垂るの墓』を文芸アニメとして作っているんです。
一人一人が考えて、違う答えを出すように作っているわけですね。
まあ、これは言っちゃえば「高畑勲は観客に甘え過ぎ」ということでもあると思うんですけども。
・・・
以上のことからもわかる通り、高畑さんは、別にトラウマアニメを作るつもりはないし、
それどころか、泣かせたり感動させるつもりもないんですよ。
そうじゃなくて、この映画について考えたり悩んだりして欲しいんですよ。
「なんで節子は死ななければいけなかったのか?」とか、「なんで叔母さんは意地悪なのか?」とか、
「なんで清太は死んでしまうのか?」とか。そういうことを、一人一人に、毎晩考えたり、
1年考えたりして欲しくて作ってるんです。
「かわいそう!」とか、「もっとこうだったらいいのに!」とか、泣いて思考停止するのではなく、
ツラさのあまりチャンネルを変えるでもなくて、何年もこのことばかり考えてほしくて、あんなに苦労してアニメを作ってるわけですね。
高畑さんにとっての“文芸”とは、そういう意味なんですよ。
**************************************
この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』4月15日(#226)から一部抜粋してお届けしました。
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岡田斗司夫
and
Special Thanks To読者のあなた おばさんははしゃぐ節子の声を聞いて気になったけど、自分には何もできないと思ったのかな 14歳で他人の家に預けられて清太どころじゃない嫌みを言われてた俺には甘えてるようにしか見えんけどな
それでも今となっては懐かしくすら思い出すから、清太は個人的にはクソ野郎だとますます思ってしまう
我慢ってことを知らんのかw それはお前の個人的な感覚だろ
あとそういう厳しくされた自慢不幸自慢とか糞ほどにどうでもいいわ
自分は厳しくされたから〜我慢したから〜最近の若者は〜云々言い出したら単なる糞老害
そもそも我慢する事や我慢した事を偉いとか思って武勇伝のように語ってんのがダセェわ
我慢する事のどこが素晴らしくどこが偉いのか 機転が利かんのは相当駄目だと思うぞ?子供であっても、
と言うよりは子供であるからこそ。
そう言う事書くと、世の中貧しくなったなとかブー垂れる
爺が出てくるんだよな 世の中何だかんだ言っても平和なんだよ
と、帰りの電車を待ちながら書いてみる
(ほら、俺は不幸だろ?終電はないにしても
それなりに不幸だろ?ほら認めろ?ほらホラ 2018年04月26日07:00
“火垂る”という言葉の意味と高畑勲が作品に込めたテーマ
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51546970.html
そもそも、劇中における“蛍”というのは、どういうふうに扱われているのかというと。
清太と節子の2人が防空壕で暮らし始めた時、夜中に上空を飛行機がブーンと飛んで行くのを見つけるシーンがあります。
その飛行機の灯りがかすかに点滅しているのを見た清太が「特攻機や」と言う。
つまり、「これから相手に自殺攻撃をかける飛行機だ」と言うんです。すると、節子が「蛍みたいやね」と言うんですね。
このように、この作品においての蛍というのは、明確に“死ぬ直前に最後の光を放つ存在”として描かれているんです。
・・・
清太は、節子のために、何十匹もの蛍を捕まえてきて、蚊帳の中に放ちます。
(蚊帳の中に蛍) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/f/b/fb46fa61.png
このシーンですね。
こうやって、二人が蚊帳の中に蛍を放した後、構図がロングになるシーンがあるんですけども。これがもう、すごく意地悪なんですよ。
(遺影のような構図) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/4/a/4a4228f2.png
穴の中に2人がいて、その周りを蛍が飛んでるんですけども。両脇にある柱の梁が、ちょうど斜めに掛かっていて、
いわゆる葬式の時に出す“遺影”のようになっているんですよね。
こういうふうに、この作品の中では、蛍のように光を発している時には、必ず死を暗示させるような見せ方をしてるんです。
この蛍の飛ぶ蚊帳の中で、清太は、お父さんが乗った日本海軍の連合艦隊の観艦式の様子を思い出します。
だけど、この夜の海上で光に包まれた連合艦隊の“摩耶”という船は、実は、このお話の1年近く前に沈んでるんですよ。
つまり、この作品の中で、光るものというのは、特攻機にしても、蛍にしても、連合艦隊にしても、全て死ぬことになるんです。
「死に行くものだからこそ、光り輝いて美しい」というような描かれ方をしているんですよ。
・・・
この蛍についても、やっぱりすごいのは、その翌朝を描いちゃうとこなんですよ。
(蛍の墓) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/c/0/c072b7f1.png
蚊帳に蛍を放った翌朝、清太が「何してんねん?」と言うと、節子が「お墓作ってんねん」と言います。
「お母ちゃんもお墓に入ってんねんやろ? うち、叔母ちゃんに聞いてん。お母ちゃん、もう死にはって、お墓の中に居るねんて」
というふうに節子に言われた清太は、もう号泣してしまいます。このシーン、あまりのかわいそさに泣いちゃう人も多いんですけども。 でも、これが本当にかわいそうなシーンだとしたら、なぜそこで大量の蛍の死骸なんていう絵を見せるのか?
これ、なぜかというと、「蛍にとってみれば、この2人の兄妹も“無慈悲で不条理な存在”だ」ということを伝えるためなんですよ。
もちろん、蛍という生き物は、光を放ち始めたら数日間で死ぬ運命なんですけども。
だからといって、自分たちの慰めのために、蚊帳の中に閉じ込めて、自由を奪っていいという理由にはなりませんよね。
そして、「蛍、かわいそうやから、逃してあげよ」なんて発想は、別に節子にもないんですよ。
この蚊帳の中で蛍が飛んでいるシーンは、冒頭ともリンクしています。
(火垂る) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/2/2/2273413c.png
これは、冒頭、幽霊となった清太と節子が、電車の窓の向こうで燃える、神戸大空襲の様子を眺めているシーンですね。
これが“火垂る”です。「火が垂れ落ちてくる」から「火垂る」と書く。
そして、火垂るの風景を眺める2人の中にも「ツラいね、悲しいね」という思いはないんですよ。
この火垂るについても、蛍と同じく「生命が燃えていて、綺麗だね」という視点で見てるんです。
節子と清太は、蛍を蚊帳に放ち、翌日、そのお墓を作るという、美しくも残酷な遊びをしています。
この作品では「人間から見た、空襲による火垂るの風景」も、「蛍から見た、自分たちを不条理に扱うこの兄妹」も、
等しく“残酷で美しい”というふうに描いてるんですね。
だからこそ、高畑勲は何回も何回も「このアニメは戦争反対がテーマではない!」と言い続けているんです。
・・・
高畑勲は、泣かせる映画が嫌なのと同じく、単なる“戦争反対”の映画を作るつもりもなかったんですよ。
これについては、三鷹市の平和集会の講演でもハッキリと口にしています。
私の『火垂るの墓』を見て、「感動した」とか「戦争反対というメッセージは素晴らしい」と言う人もいるけれど、
私にはそんなことを言いたくて映画を作ったつもりは全くない。
なぜかと言うと、どんなにツラい光景を見せて「こんなツラい思いは絶対に嫌だ」と思ったからといって、
人間は「だから、戦争はしないぞ!」なんてことにはならないからだ。
私は、人間というのをとことん知っている。
そういう時、人間というのは「こんなツラい思いをしないためにも、やっぱり“軍事力”が必要だ!」と考えるものだ。
同じように、日本というのも「こんなツラい思いをしないためにも、すぐそこにある脅威に対して、軍隊を持った普通の国になろうよ!」
と言い出す国だ。それが日本であり、それが日本人である。
こんなふうに、高畑勲はハッキリと何度も言ってるんです。
なので、『火垂るの墓』という作品についての公式見解としても、こうなっています。 ――――――
高畑勲監督が本作品で描こうとしたのは、「困難に立ち向かい、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女」ではありません。
「決して切り開くことが出来ない(戦争という)状況の中で、死ななければならない心優しい現代の若者」の姿です。
現代ではデジタル機器が発達し、煩わしい社会生活から離れ、ある程度自分の世界に籠もることも可能になった。
そのような時代であればこそ、清太の心情が分かりやすいのではないか。
兄妹だけで小さな家族を作ろうとしている清太に、社会的なつながりを煩わしく感じる現代の若者との
類似的なつながりを見出しているということを。
しかし、戦時中ではその社会的なつながりを排して、兄妹だけで生きることは叶わなかった。
そこに悲劇があるとも言えるのです。
――――――
こんなふうに、高畑さんは言ってるわけですね。
これ、どういうことかというと。
実は、冒頭の、清太が三宮の駅で野垂れ死ぬシーンには、死にかけている清太に、おにぎりをあげている人がいるんですよ。
(パネルを見せる) http://bmimg.nicov ideo.jp/image/ch923/573546/585ba773dfe09f314727ecf4437c0833d002e249.png
これ、清太の主観にどっぷり浸かって見ていたら、「周りはもう、みんな鬼のような人達で、誰一人助けてくれない」というふうに、
ついつい見えてしまうんですけど。「ちゃんと“頭を下げて”お願いすれば、こんなご飯がない時代にも、
なんの見返りもなくおにぎりをくれるような人がいるんだよ」ということを、一番最初に見せてるんですね。
だから、清太がこうなったのは、戦争のせいでもなければ時代のせいでもないんですよ。
そして、そういう言い訳が出来ないように、高畑勲監督は、冒頭でハッキリとこういうシーンを見せた上で語り始めているわけですね。
「戦争が悪い」とか「貧しさが人の心を荒ませた」という話ではないんです。
・・・
あと、テーマに関して僕が気になるのは、「なんで母親の霊は出てこないのか?」ということなんですよ。
節子はあれほど母親に会いたがってたんだから、最後、幽霊となって兄と会うくらいだったら、そこに母親の霊も出てきていいはずなんですよ。
あとは、あんなに清太が会いたがってたお父さんも、出てきていいはずなんです。もう死んでるんだから。
だって、親子4人で桜の下で写真を撮っているシーンがあるんですよ?
「彼らには、死ぬことしかなかったんですね」という話なんだったら、最後には父親も母親も出てきて、親子4人が揃うのでもいいはずなんですよ。
では、なぜ節子と清太の幽霊は2人だけなのでしょうか?
僕は、これこそが本作品のテーマの1つだと思うので、もう時間もないですけど、みなさんのコメントでの自由解答を待ってみようと思います。
「清太は実は生きているから」(コメント)
いや、生きてない生きてない(笑)。
「両親が生きていたから」(コメント)
それもない(笑)。
「なんで今までそこに気付かなかったんだ……」(コメント)
そうですね。これ、あんまり気付かないですよね。清太と節子の2人の話として見てるから。 「清太の贖罪、エグい話だから」(コメント)
「懺悔映画だから」(コメント)
「親だけ成仏した」(コメント)
うんうん。
「死んでもボッチだから」(コメント)
「両親も引きこもり体質だったから」
アハハ(笑)。
「清太が節子を縛っていた」(コメント)
お、なかなか良い線を突きますね。
・・・
ええと、じゃあ“岡田斗司夫の妄想”と言ってもいいんですけど、僕の考える答えの方に行きます。
「清太というのは、困難な状況下でも、自分の生きたいようなやり方で生き抜いた」。
これがこの作品のテーマの1つだと思うんですけど、そうしたからこそ、
母親のいる天国には行けないんです。かといって、地獄にも行けない。
こういう状況を、ダンテの『神曲』では“煉獄”というふうに呼んでいます。
煉獄というのは、天国に行けなかったんだけど、地獄にも落ちなかった人の行く中間的な場所で、
カソリックでは「ここで、苦痛によって罪を清められた後、天国に行く場所」と定義されています。
まあ、これに関しては宗派によっていろんな解釈があるんですけども。
清太は煉獄に閉じ込められたので、1988年の映画公開当時の現代でも、いまだに自分の過去の過ちと、死んでいく妹を見せつけられているんです。
高畑さんは、こういった清太の無限の苦悩をわかっていながら、それでも「気の毒にも繰り返すしかない」というふうに描いているんですよ。
これは、かなり冷たい描き方なんですけども。「清太は精一杯生きたんだけど、その結果、自分の最後の苦しみというのを
ずーっと見せられている。気の毒なんだけど、もう彼は、それを繰り返すしかないんだ」と表現しているんです。
そうやって、“煉獄に閉じ込められた少年”というふうに冒頭から描いているんですね。だから、冒頭の一番最初を、現代の三宮駅から始めたんです。
・・・
ちなみに、このアニメの中で、清太が真っ直ぐ観客を見つめるシーンが2箇所だけあります。
(パネルを見せる) http://bmimg.nic ovideo.jp/image/ch923/573547/d73f10612c0252d9f966447d5df2bca97bd70b3e.png
これは、一番最初の「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というところです。ハッキリと観客を見ています。
もう1つが、一番最後のラストシーンです
(パネルを見せる) http://bmimg.nic ovideo.jp/image/ch923/573548/0cfd5d8bd807aff0e1a37821f33b2b3437614dff.png
これ、清太も節子も幽霊なんですけど。「もう遅いからおやすみ」と清太が言うと、「うん」と言って節子が清太の膝の上で寝る。
すると清太は、一度、観客の方を真っ直ぐ見てから、神戸の街へ目を移すんですね。 この時の清太は、僕らに対して何を訴えているのか? なんで節子が起きている時には、こっちを見ないのか?
実は、節子が起きている時には、清太は僕らを見ることが出来ない理由があるんですね。
これが、後半の限定放送で語る最大の謎解きです。実は、この理由というのが、たぶんこのアニメの中で一番怖いところだと思います。
「節子を殺したのは誰か?」については、「時代のせいだ」とか、「清太のわがままのせいだ」とか、
「叔母さんのせいだ」とか、色々と言えることがあるんですけども。
じゃあ、なんで清太は死ななきゃいけなかったのか? 後半では、それについて語ってみたいと思います。
今のうちに言っておきますけど、後半では、すごく怖い話をしますから、覚悟しておいてください(笑)。
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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』4月15日(#226)から一部抜粋してお届けしました。
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【まぐまぐ版】
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岡田斗司夫
and
Special Thanks To読者のあなた >>304
我慢することは特に偉いんじゃなくてごく当たり前のことだろ
嫌になったらふてくされて、嫌になったら家出して、
嫌だから学校行かないで、
嫌だから地域活動もしないで
それで生きていけるほど人生も甘くねーんだよ
クソニートが この前久しぶりに地上波でやってたの観てネットで調べたんだけど主演の声優2人行方不明とか出てきて何それと
まあ普通に一般人してるってだけだろうけど近況知りたいとかナイトスクープにでも応募したら調べてくれるかねw 岡田斗司夫プレミアムブロマガ
「【ゼミ室通信】アニメ映画『火垂るの墓』は、原作にどれぐらい忠実なんでしょうか?」
2018/4/26 7:00
http://ch.ni covideo.jp/okadatoshio-archive/blomaga/ar1490792
映画『火垂るの墓』は原作に忠実?
今回は4月大阪オフ会より、参加者の方から出された質問を関西弁で紹介します。
【質問】
映画『火垂るの墓』について質問です。
あのアニメ作品は、野坂昭如さんの原作には忠実なんでしょうか?
野坂昭如のイメージが先にあるので、「あんな話を書く人なんだろうか?」と思ってしまいます。
【回答】
かなり忠実です
ある程度は忠実。
いや、かなり忠実かな。
結局、高畑勲というのは原作を変えない人なんよ。
俺、この間 読んだので面白かったのが、『じゃりン子チエ』で主人公のチエちゃんがお母さんに会いに行くエピソードが原作であってん。
それはアニメ版でもあるんやけども、原作版ではもっと早く会いに行くシーンが、アニメ版では無いねん。
まるまるカットしてる。
それで「それは何でですか?」って高畑さんに聞いたら、「あれは、はるきさん(原作者)があの当時、元気が無かったんだ」と。
「元気があったら入れてないんだ」と。
だから原作を変えないどころか、原作を大事にするあまり、原作通りにしない人やねん(笑)。
「たまたま原作者が風邪をひいたから、このエピソードを入れたんだ」と。
「本当のチエちゃんは違う」と言って、やってしまうのが高畑さんなんよ。
だから、そういうのがあるから、ちょっと変えるんやけども。
野坂昭如さんの原作には、かなり忠実に作ってると思う。
・・・
野坂昭如さんなんて「妹が死んでからの人生は、全部オマケ」って言ってますし。
週刊で原稿を書かないといけない、当時は一番 売れていた時期で、「何が何でも原稿を書け」と言われて、喫茶店で2時間で書いた話が『火垂るの墓』。
だから書くつもりが無いのに書いた話やから、いまだに後悔してるという。
あんな辛い話は。
ただ自分としては凄い露悪的な人やねんけども、「文学者である以上は、自分の一番辛い話を書かねばならない」と思って。
それまで色々と書いてて、それで文学者になってんけども、流行作家にもなってしまったおかげで、注文もドンドン来るねんやんか。
で、それで書き飛ばしで書いてるつもりが、実は一番つらかった記憶を気づかずに書いてしまってん。
なので、書いてから読み返した事が無いっていう。
映画の方は、舐めてかかって見て、号泣したそうやで(笑)。
でも「辛かったけども良かった」みたいな事は書いてるからね。
本人には良かったんやないかな。 >>315
>後半では、すごく怖い話をしますから
これを教えてくれよ >>320
271と272読んで
わかりづらいかもしれんけど
書くの大変だったんだからwwwww そんなもん書き写さなくてもニコ動とかyoutubeみればいいんだし
有料のものを書き写したら犯罪行為だし
逮捕されたいのか何なのかわけわからんわ さすがにメルマガそのまま貼るのはどうかと思うし
その行為訴えられてもおかしくねぇぞ
テメェのコンテンツじゃねぇだろそれは
岡田の意見をおまえの意見にするのは勝手だが
他人の意見をまんま貼る行為はやめろ
それとも岡田のネガティブキャンペーンか? クソデブ本人かその手下が、ここに宣伝貼りに来てるんなら
多分犯罪にはならんのじゃね? 節子がトトロの世界に出てきてもあれほど可愛いとは思わないだろうな。
不謹慎だけど戦時下の幼児って異常に可愛く映るんだよな。
震える節子とか可哀想なのに同時に可愛いという。
防空ずきんやもんぺも可愛さアップ要素だ。
俺ヤバイかな? 性的な対象として見ていたらヤバい
単に子供として可愛いと感じるのは普通
最初の方で、清太と川沿いの壕に逃げてブルブル震えている節子は可哀想で、同時に可愛らしい 猫とかコツメカワウソみたいなかわいさだな
性的な目では見れない 節子も生き延びれたら普通に青春謳歌できた世代なんだよな。
二十歳半ばでミニスカはいてゴーゴーダンス踊っていたかも知れない。 >>329
かわいいとか萌えっていうのはつまるところ
自分より圧倒的に下の存在を庇護したいって本能のことだと思うからおかしくはないよ
守ってあげられる時代になったってことだよな @「『火垂るの墓』 解説・上品過ぎて分からなくなる高畑勲の演出」
『火垂るの墓』では、清太は節子が健気なことを言うと泣くんですよね。
たとえば「ウチ、おばちゃんに聞いてん。お母さん、もう死にはってお墓の中にいてるねんて」ってふうに言われると、もう清太はワンワンワンワン号泣するんですけども。
ところが、いざその節子が死んじゃうと、もう清太は全然 泣かないんですね。
たとえば一晩 死体と添い寝してあげるときも、目が無表情なままなんです。
無表情のまま寝てると。
これは遺体を火葬するシーンなんですけども、遺体を火葬するシーンでも清太の顔は、わざと無表情に描いてるんですね。
それで炎の照り返しの、目の中の赤い光だけがチラチラしてるというですね。
完全に “悲しみ” を描こうとするのではなくて、無表情を描いてる。
この無表情を描いてるのも、一応それなりに理由があってですね Aこれは演技者が無表情でも観客はその表情に勝手に悲しみとかを見てしまうというですね。
このような映像効果を “クレショフ効果” と呼びます。
これはソ連になるまえかな?
??
ロシアの映像作家が見つけた効果なんですけども。
クレショフ効果でよく出てくる画像がこれです。
無表情な男と、子供の死体を交互に見せると、この男は悲しんでいるように見える。
無表情な男と、湯気が立っているスープを交互に見せると、この男は食欲に動かされているように見える。
次に無表情な男と、誘惑する女の写真を交互に見せると、この男は欲望を抱いているように見えるっていうですね。
一般的に “モンタージュ理論” とも言われるんですけども、モンタージュっていうのは「映像を編集する」という意味なので。
映像を編集して、このような心理効果を出す事を “クレショフ効果” ってふうに呼びます。 Bで、宮崎駿は、このクレショフ効果が大嫌いなんですね。
宮崎駿は、こういうのが大嫌いで「そうじゃない!」と。
宮崎駿が好きなのは、こういうヤツなんですよ。
これは『天空の城ラピュタ』のドーラ婆さんなんですけども、ドーラが独り言を言いますね。
「あまったれるんじゃないよ! そういう事はね、自分の力でやるもんだ!」ってパズーを叱った後。
「んん? そのほうが娘が言う事を聞くかもしれないねぇ」ってふうに、独り言を言うシーンなんですけどもですね。
これ、演技を付けてるわけですね。
キャラクターに演技を付けて、ドーラがどんなキャラクターか凄く分かりやすくしてるんですよ。
でも高畑勲は、こういうふうにキャラクターに自分が思っている事を言わせて、それで見ている人間に「こんなふうに考えているんだ」って分からせる事がイヤなので、
クレショフ効果を使って無表情な状態の清太を見せる事によって、悲しみを表現しようとしているわけですね。
で、何が言いたかったのかっていうと、清太が無表情な理由。 C僕らが勝手にこのシーンを見てワンワン泣いちゃったりするのは、この顔が悲しみを抑えて、一生懸命 普通にしているような、けなげな状態に見えるから。
だからこのシーンを見て凄く感動しちゃうんですけども、そうじゃなくてですね。
おそらく この時の清太は人間性を失ってるんですね。
人間性を失ってるから、妹が死んでも腹が減るし、雑炊も食べるし、スイカも食べちゃうと。
で、「あぁ、もう世話をしなくていいんだ」とホッとしてるから、安心してお腹が減っちゃうと。
この「死んだからホッとした」っていうのは、原作者の野坂昭如 自身が、高畑勲と映画を作る前の対談で話している。
「この部分を必ず、映画の中で使って下さい」と。
「俺はそんなにキレイな人間じゃないんです。妹が死んだとき、正直ホッとしたんです」っていう事を一生懸命 訴えて、
高畑さんに約束させたって部分なんですけども。
だから妹を焼くときに炭を買いに行くんですけども、そのシーンでも淡々と買いに行けるわけですね。 D「連合艦隊が沈んだ」と聞いた時には殴りかかるぐらい興奮した清太が、炭屋のオジさんに「(節子を)裸にして豆殻と焼いたら、
よう燃えるわ」と言われたときに、まったく心が動かなくなってる。
つまり、どんどん人間性が壊れて無くなっちゃっていくわけですよね。
ところが僕ら観客っていうのは、人間性が壊れた清太っていうのを見て、その代わりに人間性を取り戻して、感情が動いて泣いてしまうという。
こういうすごいアクロバチックな構造で出来ている映画なんですけども。
高畑勲は、清太が人間性を失っていく、そういう過程もちゃんと描くし。
同時に、おかゆを食べたり、スイカを食べたりっていう証拠は出すんですけども、わざわざそこを悪し様にガツガツ食ってるところは出さない。
そこらへんは凄く上品な演出なんですね。
なので、普通の見方をしていると、本当に分からなくなっちゃう時があるんですよね。 >>334
この調子でその内コッソリ山田くんもやってくんねーかな どうせなら2週連続でやればよかったのに、と思ったが
かぐやはノーカットだと確か2時間半ぐらいあるから、枠調整に時間食ったんかな ぽんぽことおもひでぽろぽろもまたそのうちまたどこかでやるんだろうが
山田くんに関しちゃ、このタイミングでやらないとなると
多分もう永久にテレビで見る機会はないんだろうな 山田君は絵柄に騙されるんだよ
「これはギャグアニメに違いない」という頭で見てしまう絵柄だから
全然違うただの日常アニメであることを受け入れることができなくなる
頭を切り替えてみれば、きっと面白さがわかるはずだ
そう思って2回DVDを借りたけど、結局最後まで見ることができなかった… 宮崎じゃなく高畑派の人は山田くんを絶賛してる印象。 山田君、絵がぜんぜんできてない完成前状態なのに情報番組で盛んに紹介されてたのは、ものすごくよく覚えてる ぽんぽこのテーマって自然保護じゃなくて日本の様式美の集大成だよね 岡田斗司夫っ話は面白いんだが喋り方がキモすぎだろ
あんなんで愛人囲ってたなんて信じられんわ こんなん知れたら、
もう二度と地上波放送出来んやろ 何それ気になるww
どうやったらその解説見れるのか教えろwww
みたいな感じでいいっスか?
お求めの反応は 銀行員
「はい、3,500ルピー。」
ハテノ村の地元の住民
「台風がハイラルに近づいてるで。
タルミナに降参してしもうて、あれから変わったなあ…。」
猫娘
「降参って…、ハイラルは戦争に負けたんですか?」
↓
連合艦隊はもっと昔に沈んでしもうて、もう1隻も残ってないわ。
猫娘
「なんですって!?
それなら、お父さんの巡洋艦も沈んでしまったんですか?
それで、手紙の返事も来なかったのか?」
↓
猫娘
「お父さん…。
お父さんも死んだ…、お父さんも死んだ…。」 ゲゲゲの鬼太郎じゃないの?
可愛くなったらしいよ猫娘 宣伝だけど、昨日の
ニコ生#228 岡田斗司夫ゼミ 4月29日『GWはどの映画を見るべき?岡田斗司夫が見た映画をネタバレなしで大解説!
の有料放送の視聴者からのおたよりコーナーがすごかった!
興味ある人は、お金払って見ればいいと思うよ
自分自身が呪いを受けたようだし
こういう事を聴かないと理解出来ない自分は節穴だな〜って思ったよ
今なら、押井守が高畑監督に憤っていた意味も少しは分かる
具体例を出さなかった押井さんは節度ある人だった
ある意味この映画はメンバー映画だよ 「この世界の片隅に」見に行った後は火垂るの墓越えた〜とか思って
今後お盆は「火垂る」より「この世界」流せとか思っていたけどやっぱ比べるもんじゃないな。
テレビでは精神衛生上はまだ希望がある「この世界」流したほうがウケるんだろうけど。
この世界はしんみり泣く感じで火垂るは号泣に近くなる。
岡田の説信じれば今後少しは冷静に見れるかな? 岡田さんのはそれほど斬新な説でもないと思うんだけどな
だって原作は「兄妹物」の野坂昭如だよ
高畑監督が火垂る以外の野坂作品の要素を映画に詰め込んだのは見ればわかるよ 押井守
誰も語らなかったジブリ語ろう
152p
あれは骨壺。「火垂る」はその種の暗喩に満ちていて、怖いどころか気持ち悪いくらい。
(火垂るのテーマは死とエロスの死生観)
で、”生”のほうだけど、コレは微妙に”性”になっている。だから”死とエロス”になるわけで、そのエロスは何かと言えば近親相姦になる。あの兄妹の関係は明らかに近親相姦でしょう。見る人が見たら、相当に気持ち悪い映画だよ。
あの押井守でさえ憤っていた意味が
昨日のお便りコーナーで分かった 冒頭のシーン、清太の霊は現在(映画公開時点?)でも彷徨ってて
霊が自分が死んだ昔を回想しているということ?
ということは清太の霊は今でも.三ノ宮駅にいらしゃるわけですか? そういうこと、
何回も何回も自分の事を見させられている あ、でもじばく霊とかじゃないから
三ノ宮駅にいるわけでもない
回想じゃなくて、生きてる所を見ているんじゃないかな?
幽霊は時間関係ないだろうから 岡田の説は解釈の一つとして理解できるが、押井の説は気持ち悪い
たいした作品作ってるわけでも無いのに、偉そうなのが押井 でも、実際に作品が押井の指摘どおりなんだからたちが悪いんだよ ! 近親相姦って言葉はきもいけど、正直、清太と節子は夫婦になれそう 絵が美しくかわいすぎるんだよなあ
表情豊かで幼児に見えたり少女に見えたり美人に見えたり
なんで蛍すぐ死んでしまうんのところなんて、やたら大人びた顔してた あえてなんだろうね
同じ歳のメイは安定してクソガキ感が出てた
色気の欠片もない普通の幼児 節子の可愛さはビジュアル、動きもそうだけど決め手は声だよな。
あれが大人の声優が器用にやってたらここまで感情移入してないわ。 絵の雰囲気に合わせた声だよね メイが節子みたいな声だと違和感ある >>258
金払って見たけどもうトラウマだわ
一つの解釈としてはかなり成り立っているから
怖い
岡田としお大嫌いだが、この映画には前から違和感があったから、誰のでもよいから解説聞きたかった。
が、かなりの説得力で怖くてたまらないわ
人間つか、幼くても男女というものは怖いよな
成仏やれんごくという言葉を対比させてうまく説明している
人間のまがまがしい部分を切り取りやがって、高畑め、と思ったよ
ただこの解釈が流布されたらファミリー向けにTVで放映されることはなくなりそうだけどねw 節子は原作で父親が言ってる通りの「ろうたけたシャン」だよね、 おれも岡田の有料解釈見たけどトラウマにはならなかった。
むしろ今まではかわいそう一色だったがこの説を信じれば少し楽に見れそう。
でも映画評論で飯食ってる人ってこの裏設定気付かないもんかね?
押井以外に駿もコメント見ると感づいてそうだけど。 駿も知ってただろうね。グロ表示も
見る人が見たらハッキリ分かっただろうね だってさ、とあるシーンの解説聞いちゃったら
子供に見せれるような作品じゃないってなるもん 見た人のほぼすべては、かわいそう悲しい助けたいとか思ってるわけでな
高畑は何かひとつの正解というのは考えてなくて、いろんな解釈ができるように作っただけだろう 野坂の他作品を読んだことがあればところどころの暗喩は気付くよ
この映画を高畑作品の中の系譜で考えるとわからないけど、「不気味で耽美でエログロな野坂ワールドを高畑が映像化した」と考えればいいんじゃないかな 確かに少年がホモに突っ込まれて目覚める話とかあるしな >>388
何回も見たり年齢によって時代によって色々感想が変わるように作ってるんだろうな 「GWはどの映画を見るべき?」
有料部分
ではですね、ちょっと順番違うんですけど
来たお手紙の中で、映画の続きは後でやります。
前半では答えにくかった話しをしますね。
えーおたよりです。
中略
ながーい質問でした。えーとですね、
あの僕もですね、実は放送で思っている事を全部話している訳ではないんですね。
あの、この辺が限界かなっと思って、一応僕なりに寸止めしているつもりなんですよ。
押井守さんも、自身の本の中で
「あれはどう考えても、兄と妹は近親相姦だー」という風に
押井さんも言うんですけど、
具体的なシーンを指摘しない、節度というのも押井さんにはあるんですよね。
と言うわけで、このカットに関してはですね
「あー、そういう風に解釈できますねー
確かに、説得力ありますもんね」
と言うことで勘弁して下さい。
口止め料としてサクマドロップ差し上げます。
困ったーwwwwwww >>385
はじめて見たときの気味悪さは
あのきょうだいの気味悪さだとはじめて気づいた
まず兄貴の行動の選択がおかしい
自分だったらおばのところはともかく
妹のために小学校の2階に行くわ
女性がいてなにかと安心 親戚の家を飛び出して不安なときには、まっ先にそのチョイスに飛びつく
それをあの兄貴は二人きりで暮らすとか
みずからの判断能力の幼さだけのために選んでないよな
あの妹の兄貴への過剰な甘えよう独占欲もイラッとくる
あー、気味悪かったのは、戦争の悲惨さじゃなくて、あのきょうだいのきょうだいらしからぬ閉鎖性からくる(淫猥とまではいかないが)不健康ぶりだったんだな
普通の終戦記念のドラマだと、いろんなところに頼ったけど全部断られて、そうしたプロセスを経て、仕方なく二人で野宿という流れになるはずだよね
なんか違和感あったのは、あのきょうだいの特殊性なんだな
二人ともそれなりにかわいい顔してるし互いにまんざらでもないんだよな
あの映画を長年戦争映画だと思い込んでたけど、損した
仄かに恋しあうキモいきょうだいの話で、
戦争は背景
背徳の作品だよ
見て昔から気分悪かったのは、これだわ
あー、キモい >>393
小学校は一時的な避難所だったわけだが・・・
まあ現実にもいるけどな、震災後何カ月も居着く人 流石に生前の節子はそんな気ないだろ。
幼少時は親や兄,姉にベタベタするもんだよ。
しかし最新の岡田の裏放送の内容は受け売りで他人に講釈たれない方がいいな。
変態扱いされる。 >>395
いや変態どころか頭おかしいと思われるね
まだ岡田がぶよっとしたオタク顔で講釈垂れるからまだ救いがある
気味の悪い映画だと思ったけどよく岡田は考えついたな もう俺は見ないわwあの映画 ほんとトラウマ 岡田なんて見なきゃ良かった この作品の本質があぶり出されてきたね
心中物語、三途の川、カニバリズム、近親相姦
そもそも、考えついたんじゃなくて
読み解いたの間違いだろ
高畑監督が原作者と対談したときの内容を全部ぶっこんだ話なんでしょ
比喩と暗喩に満ちている >>395
確かに冷静に考えてみるとあの年齢だと節子は
そうだね。
やっぱり、あの兄ちゃんは、両親生前の頃の世知辛くないゆとりのある精神的に良質な世界を、かたくなに守ろうとしただけかもかもしれないね。
妹はその象徴だった。
あの二人の閉鎖性は、きょうだい萌えの話じゃなくて。
節子の火葬も寺でやらない→成仏できない、れんごく行き
という岡田の指摘も、あれはもうあの頃は、あのきょうだいにとって皆まわりは自分たちとは敵対するか外部の無関心な者で、節子をそいつらにさらすよりはひっそりと愛している家族だけで見送ってやりたかったのかもしれない。
レス読んで目が覚めたわ、ありがとう。
ま、岡田の説は出来すぎていてしばらく恐怖だった。あの解釈も魅力的だから、(それ
原作者もアレだしジブリも元々ロリきちな会社だし制作意図は当たらずとも遠からずかもしれないから)否定はしないけどね。
自分はオーソドックスでいくわw
岡田のしゃべりがうますぎてうますぎて。
大学講師しただけのことはある。あんなに費との気持ちがわかるのなら、なんで女関連でつまづいたんだろ(笑) 捻くれたサイコパスモドキが見るとエログロホラーに見えてしまうだけよ 【映画/アンケスレ】10代〜60代男女100人に聞いた「人生で一番泣いた映画」…3位『ショーシャンクの空に』と『アルマゲドン』、2位『火垂るの墓』、1位『タイタニック』…アンケートサイト『voicenote』調査(日刊大衆)★3
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