ホーホケキョとなりの山田くん
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高畑勲追悼放送が火垂るの墓になったようだが
亡くなったからこそ追悼放送としては、こっちの方を流してほしかったなあ Karasawa Shyunichi
高畑勲監督死去。『となりの山田くん』公開時座談会で、他の人が引くくらいdisってしまったことをお詫びします。……でも、あれはなかったなあ。『太陽の王子・ホルスの大冒険』の、あの粗削りながら躍動感と詩心に溢れた作風に憧れた者としては。ご冥福を祈ります。 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
http://u0u1.net/M03L
拡散も含め、よろしくお願い致します。 ラストシーンからエンディングがホントにいい。
未来は見えない、お楽しみって訳は高畑勲だよね? 当時なんか手抜きっぽく見えたんだよね
ジブリって絵的にも作り込まれてるイメージあったから
こんな手抜きでジブリの名前で映画にするのかと
ちゃんと見れば面白かったのかもしれないけど 最近Blu-rayで見直したけど作画が想像以上に細やかで驚いた
テレビ放送されたの録画して繰り返し観てた頃以来だから10数年ぶりだったけど、なんかアラサーの今になってしみる
ラストで涙が出てきた
これHD画質でテレビやってる今でこそ金ローでやってほしい映画だよ ラストやっぱり涙が出るよね。
俺もそう思う。あの傘で空を飛んでるあたりだけでも充分泣けるっていう。 とてもいい映画だけど映画館で観るものではない
興行転けたのもわかる
冬に家族でコタツに入りながら観るのがいい 子供の頃、親につれられて映画館で見たけど全く面白くなかった
歳食ってから観たら面白く感じたおもひでぽろぽろ もそうだけど高畑作品は子供向きじゃないね となりの山田くん20年前に初めて地上波で放送してからそれから一度も再放送されてないんだね
20年前に俺も当時小学生だったけどこの作品全部見たな・・・でも内容はほとんど覚えてないが 21年ぶりに昨日中古でDVD買ってこの作品みたけど・・・もののけ姫の次の作品としては若干たいくつした
2500円ドブに捨てたようなもんだわ ずっと気になっていて最近ようやく鑑賞できたレンタルになくて図書館にあったよ
内容はすごく良かったかなり好き多くの人が見ないで駄作と評価しているのは勿体無いね
今こそTVで放送したら丁寧な作りと「適当」という部分が受け再評価に繋がりそう 148 名前:名無しさん名無しさん[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 20:22:05.98 ID:x1EU1weI0NIKU [3/3]
トラッシュスタジオ@trashstudio_yk
【トラッシュスタジオチャンネル】
あの伝説ゲームEDアニメを公開!
2002年発売PS2ソフト「ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国」
作画監督:佐藤好春
演出:田辺修
タイトー公認公開、
2020年冬期運営開始の新作スマホゲーム
「ラクガキ キングダム」発表記念として
「ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国」EDアニメ (佐藤好春/田辺修) タイトー
https://www.youtube.com/watch?v=oUt3LaOag8Y
「ラクガキ王国2 魔王城の戦い」 EDアニメ (佐藤好春) タイトー
https://www.youtube.com/watch?v=tvG8lYWkocM
「ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国」プロモーション映像 (佐藤好春)タイトー
https://www.youtube.com/watch?v=jy8YKonR1N0
「ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国」アドシネ (佐藤好春)タイトー
https://www.youtube.com/watch?v=ofnvKHmRKoo これのwikipediaに、「一コマにつき「実線」「塗り」「マスク処理用の線」を描いてる」って書いてるんだけど
「マスク処理用の線」ってどんなの? 「ホーホケキョ となりの山田くん」でさ
上岡龍太郎の声が使われてるシーンがあるっていうので
ずっと視聴してるんだけど、どこで使われてるか知ってる方
どこらへんでそのシーンがあるか教えてくれませんか?
覚えてる方、、、いないかな。。
てかほんとそのシーンが探せないんだが、 >>1
「かぐや姫」準備室で田辺さんが絵コンテ作業を進めていた或る日のこと、ジブリ海外事業部のマさんから僕に電話がかかってきた。
アメリカからピクサーのスタッフがジブリ美術館に遊びに来ていて、その中の一人が高畑さんにどうしても会いたいと言っているというのだ。
名前を聞くと、マイケル・アーントだという。「リトル・ミス・サンシャイン」で、アカデミー脚本賞を受賞し、「トイ・ストーリー3」の脚本を担当した人間だ。
「リトル・ミス・サンシャイン」は僕の大好きな映画の一つだったので、僕は少し興奮気味に高畑さんに伝えた。
西村「高畑さん、『リトル・ミス・サンシャイン』っていう面白い映画があってですね、アカデミー脚本賞を取ってるんですが、
これ、高畑さんも見たら気に入ると思うんですが、その脚本家がいま、ジブリ美術館に遊びに来ていて、高畑さんに会いたいっていうんです。
今からひとりで来たいと。あ、ちなみに『トイ・ストーリー』の脚本も担当しているんです。会いませんか。」
高畑さん「はぁ……、よく分からないけど、じゃぁ、会いましょうか。」
数時間後、マイケル・アーントが来た。高畑さんと僕は呼ばれ、第1スタジオのバーに降りると、そこに海外事業部のマさんと、
ひとりのアメリカ人が座っていた。マイケル・アーントだ。高畑さんと僕が、彼らが座っているテーブルに近づくと、マイケル・アーントがバッと立ち上がった。
190センチくらいの大男だったと思う。ぼくらは歓待の気持ちを表すため、微笑みながら近づいたのだが、そこにいる大男はアメリカ人らしからぬ無表情で立っている。
なんか変だなと思った。でも、すぐに分かった。彼は高畑さんを前にして、カチコチに緊張していたのだ。
高畑さんと僕は違和感を覚えつつも、マイケル・アーントに対面して座った。普通なら、「ハロー」でも「ナイスチューミーチュー」でも言ってくれそうなものだが、
マイケル・アーントは黙って下を向いて座っている。高畑さんと僕は、「?」と顔を見合わせた。
すると、マイケル・アーントが口を開いた。
マイケル「高畑監督、お時間いただきありがとうございます。お忙しいでしょうから、あまり時間をとらないように、ぼくの半生をお話しします。」
時間をとらないように、半生を話す?この人、大丈夫かな?と、その時は思っていた。
そんなこちらの反応はお構い無しに、マイケル・アーントは語りだした。 マイケル
「ぼくが脚本家のキャリアをスタートしたとき、手元には5本の脚本がありました。それらの脚本は、低予算で作られることを想定していたため、家族とか恋人とかのささいな出来事など
を扱ったものが多かったのですが、どこに持っていっても誰も興味を持ってはくれませんでした。大手も独立系配給会社も全部ダメで、何年たっても脚本は売れませんでした。
苦しい時期でした。ぼくは、もう脚本家をやめようと思いました。ぼくには才能は無いんだ、もう諦めようと。そして僕は傷心旅行とでも言うか、西海岸から東海岸のニューヨークまで
旅をすることにしたんです。その旅行を最後に、脚本家の夢は諦めて、違う仕事を始めようと思っていました。
ニューヨークに着くと、MOMA(近代美術館)で『ジブリ回顧展』(1999)というものをやっていました。ぼくは興味があって立ち寄り、
そこで、ジブリの、高畑さん、宮崎さんの仕事を知りました。MOMAではジブリの映画を見ることも出来たので、ぼくは全てのジブリ作品を見ました。『トトロ』も『火垂るの墓』も見ました。
『千尋』も『もののけ』も。全部見ました。どれも本当に素晴らしいものでした。そして、最後に見たのが『ホーホケキョ となりの山田くん』だったんです。」
そこでマイケル・アーントは、一度、話を止めて、大きく息を吸った。
マイケル
「ぼくは愕然としました。そして、感銘を受けました。こんな映画があったのか。こんな監督がいたのか。この世の中に、何ら特別でない家族のささいな日常を切り抜いて、
このような傑作を作り上げてしまう映画監督がまだ残っていたのか、と。そして、思ったんです。この人がいるのなら、こういう映画があるのなら、ぼくもまだ脚本を続けられるのじゃないか、
と。ぼくは、西海岸に戻りました。脚本は諦めるつもりでしたが、あなたの映画を見て、諦めることをやめました。脚本の執筆を始めました。あなたが『山田くん』で描いたように、
自分の初心に戻って家族の日常を書こうと思いました。そして僕は、一本の脚本を書き上げました。それが『リトル・ミス・サンシャイン』という映画です。」
高畑さんはじっと聞いていた。ぼくは横で鳥肌を立てていた。 マイケル「その脚本は、幸運にもアカデミー脚本賞を受賞しました。多くの方に見てもらうことができました。僕は脚本家を続ける権利を得ることができたのです。
幸運は続きます。『リトル・ミス・サンシャイン』がアカデミー脚本賞を受賞する少し前に、ピクサーから連絡が来ました。『トイ・ストーリー3』の監督であるリー・アンクリッチが、
脚本家を探していて、脚本家協会から色々な脚本を取り寄せて読んでいる中で『リトル・ミス・サンシャイン』の脚本が、非常に気に入ったと。ついては、『トイ・ストーリー3』の
脚本をお願いしたいというのです。もちろん、ぼくは引き受けました。そして、ピクサーの優秀なスタッフと共に脚本を書き上げました。それが、映画となり、日本でも公開される。
『トイ・ストーリー3』の脚本家として、僕は今、高畑監督、あなたの前にいます。
ぼくがあのときMOMAで『ホーホケキョ となりの山田くん』を見ていなかったら、あなたがあの映画を作っていなかったら、ぼくは脚本家になることを諦めていました。
『リトル・ミス・サンシャイン』も、『トイ・ストーリー3』も、高畑監督の作品と出会わなければ生まれなかった。全て高畑監督のおかげです。
あなたにお会いできることをずっと夢見ていました。ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
そう言って、マイケル・アーントは泣いた。190センチはあるだろう大男が、涙を流していた。
高畑さんが作った映画が、海を越えたハリウッドで、ある映画人に勇気を与え、ある映画に影響を与える。こんなに素敵なお話はない。
そういえば、「リトル・ミス・サンシャイン」の中で、ガソリンスタンドに娘を置き忘れて、家族全員が全く気付かずに出発してしまうというシーンがあった。
これって、「山田くん」の中の、あのシーンですよね。 ぼくがあのときMOMAで『ホーホケキョ となりの山田くん』を見ていなかったら、あなたがあの映画を作っていなかったら、
ぼくは脚本家になることを諦めていました。『リトル・ミス・サンシャイン』も、『トイ・ストーリー3』も、高畑監督の作品と
出会わなければ生まれなかった。全て高畑監督のおかげです。あなたにお会いできることをずっと夢見ていました。
ありがとうございます!本当にありがとうございます!
byマイケル・アーント
https://ameblo.jp/studioponoc/entry-12808783514.html
https://ameblo.jp/studioponoc/entry-12808783518.html あまり知られていませんが、>>1の作品は芸術的な評価が高く、
ジブリ作品で唯一、ニューヨーク近代美術館に収蔵されているんですよね。
https://www.moma.org/calendar/events/1869 あまり知られていませんが、>>1の作品は芸術的な評価が高く、
ジブリ作品で唯一、ニューヨーク近代美術館の映画コレクションに収蔵されているんですよね。
https://www.moma.org/calendar/events/1869
http://www.michaelspornanimation.com/splog/?p=1312
https://www.filmihulluleffakauppa.com/dvd/3913-naapurini-yamadat-1999-dvd.html
https://ghiblicon.blogspot.com/2007/12/moma-this-january-my-neighbors-yamadas.html
ニューヨーク近代美術館には映画部門があり、映画の保存機関としても先駆的な業績を誇ります。
イギリス生まれの映画評論家アイリス・バリーの献身的な努力により、1929年の美術館設立の6年後、1935年に誕生しました。
それから80年、MoMAは膨大なコレクションと野心的な上映プログラムで、常に世界のフィルム・アーカイブ活動をリードし続けてきました。
だから、見ようと思えばスクリーンで見れることがある ほんとに何があって60年も経つとそうなったらもう終わり始めてるね 元々くりぃむにお笑い色がない若者に評価しときまーすw」
ネ「振付が同じだともっといいモノに見えないんだよな
むやみにフォロー増やして再販防止ヨシ!!!!!
そもそもベースが低いからやっぱり頭身は無いw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています