崖の上のポニョは世紀の神大傑作
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まさかとは思うがポニョをたんなる子供向けの作品だと思ってる?
そんな能天気な人のためにたてた
いろいろなサイトで商会されてるから知っている人もいると思うけど
ポニョはジブリで1,2位を争う神作品
暴力表現こそないものの、死んだ人間の数で言うとラピュタに匹敵するし
ポニョの場合は、主人公の宗助とその両親もろとも、ポニョとポニョの親父に殺されてる
作中に「カンブリア紀に戻すための魔法のつぼ(うろ覚え)」があって、これはつまり人類を滅ぼして
「カンブリア紀のきれいな海に戻す」というそのままの意味、そしてポニョがこのつぼを 開 け た よね
しかもフジモト(ポニョの親父)が「人間は汚くて嫌い」といっているし海がゴミだらけの露骨な描写も毎回あった
そんで大津波で町沈没→(ポニョは死の使いであり、実の名はブリュンヒルデ)
ブリュンヒルデはワルキューレの姉、ワルキューレは死者を天へと導く役目があり、その姉ブリュンヒルデはワルキューれよりさらに巨大な力を所持している
船の墓場にたどり着いた親父(親父の死)→空っぽのリサカー(母の死)→大正時代の夫婦(宗助の死)→「一時停止」が大きく表示してある「地蔵」のあるトンネルへ(三途の川を渡ってあの世へ)
そこで(すでに死亡している)母親や老人ホームの人と出会う
エンディング→あの世(天国)でみんな仲良く暮らす
フジモトが最後に渡した船は父親の代わり
おそらく父親だけ違う世界(地獄か)にいったため
ポニョ(死の使い)と人間の恋物語と、世界の破滅を描いた作品
世界すべてが滅びたのか、舞台の港町だけ滅びたのかは謎
抜粋
・3はアセンデッドマスター(超越した人間とその霊魂)を示す天使の数字である
・リサカーのナンバープレートの333
・ポニョの睡眠の回数(フジモトの「ポニョが寝てくれれば・・」が印象的)、おそらく睡眠=輪廻を指す。
・ポニョの生まれ変わりの回数
・クラゲドームでのグランマンマーレの3つの言葉に対する宗介の3回のコールorレスポンス
クミコ、ミサ、トキは時間と空間を隔てた同一人物である。
そして監督である宮崎駿氏は宗介とポニョの2人に分離しており、母親は久美子、ミサ、トキの時間軸バラバラの3人の母親で投影されている。
・クミコ(幼年期)
気丈な性格。
宮崎駿監督の母の名は「美子」+「久しい」で久しい久美子 (クミコ)と言う意味か。
・ミサ(母親が一番輝いていた女盛り時期、青年期)
気丈な性格でやさしい。
母親の若い時を投影しているので、宗介はミサを「お母さん」とは呼ばない。
・トキ(晩年期)
気丈な性格。
老人ホームで折り紙を渡すシーンで他の人は「ポニョ」なのに彼女だけ「船」を渡される、「船=父」のイメージだから。
「人面魚は津波を呼ぶ」という発言からも海のことを知っていることから、海に関連した人物であったことが分かる。
なぜクライマックスのフジモトから宗介が逃げて孤島に飛び移るシーンで宗介を抱擁するのが、今までサブキャラだったトキなのか?
これで分かるはずです。
ちなみにリサの自宅で宗介を抱擁するシーンとアングルも同じです。 ←決定的
リサが使う3つの魔法
リサは、ポニョが宗介を連れて行こうとした化け物だと直感的に気づいているため、見た目は好意的ではありながらも警戒している。
ポニョの逆鱗に触れないように、細心の注意を払って会話をしている。
また、
・非常用ランタンでポニョの両手を封じる
・明かりをかざさせることで常に自分の近くにポニョを置く
で、ポニョの行動を規制して、文明の利器(ガス・水道・電気)という3つの文明を復活させることで戦おうとする。
水道→出た
ガス→ついた
電気→「失敗」
リサが「一人」で行わなければ効力はないが、電気がつかず、ポニョに助けられるので失敗に終わる。
上記に失敗したため、謎の人物(フジモトか)が波が氾濫した危険な町に誘い死亡 ●ポニョが宗介の家に戻ってきた時からトンネルまでは結婚式から老衰して死ぬまでの人生の隠喩
ポニョが宗介に抱きついた時に、降り注ぐ金色の水しぶき(ライスシャワー)→玄関でリサがポニョと宗介の名前を呼んで確認を行う(神父から新郎新婦への確認)→
船で出発(二人の船出)→小舟の一家との出会い(出産、赤ちゃんによる隠喩)→
ロウソク(魂)が消えて船(父)は元の形に、ポニョは寝てしまい、自力で進む(中年期、奥さんはゴロゴロ、ダンナ必死で働く)→宗介の足が地面に付いて、船が小さくなる(定年退職と身体の衰え)→
空っぽのリサカー発見(母の死)→ふたり手をつないでよろよろ歩く(老後)→トンネル(死)
その後のクラゲドームでのグランマンマーレから宗介への質問は、
改めて「病めるときも健やかなるときも汝は・・」の宣誓の儀式を行っている感じに見えた。
結婚から死までを疑似体験してきた宗介が、それでもなお、ためらいも無くYESと答えたので、ポニョは「生まれてきてよかった。また人間として生まれたい。」 と、
どんな姿であっても「ありのまま」を全て認められたので、生まれてきてよかったという自己肯定感を得る。
>>3
ミサじゃなくてリサ 宗助の仲が良いすべての登場人物が宗助を連れて行こうとするポニョに反発していることがわかるね
ポニョと赤ちゃんが何を話し合ったかはしらんが、ポニョがおでこをぐりぐりくっつけたのは、
赤ちゃんから元の世界に戻る資格を奪って、代わりに完全にあちら側の人間になる資格を
あげるためだったんじゃないかと考えている。
死の使いであるポニョの行動↓
大正時代の夫婦とのからみで
水の上を「三途の川の上」、
本当の天上を「山の上ホテル」とすると、
元の世界にチャネルを残したままの赤ちゃんが一緒にいる限り、
あの夫婦はずっと水の上にいることになる。
ポニョが赤ちゃんにとどめを刺したことで、あの家族は晴れて天上で幸せに暮らせるのではないか。 ポニョとその両親によって
主人公・町もろとも海の藻屑と化し、それを子供向け映画として封切らすパヤオ恐るべし
「地球の生態系には人間は居ない方が良い」を語るパヤオ
今作はまさに上記を具現化させ、「家族みんなで」見せるというすさまじい作品であった パヤオは映画に裏設定を含ませるのがずいぶんと好きだね、トトロでもそれは実証されている
以下スレチになるがトトロの裏設定↓
お母さん「今、あの木のところで、さつきとメイが笑ったような気がした」
生存しているものに対していう言葉ではない
トトロ(トロール)
死人、死期が近い人にしか見えない冥界の番人
或いは目にした人の死期を早める死神
トロールは不幸を撒き散したり、子供を誘拐したりする妖精
メイ(冥)
引越し早々トトロに遭遇。迷子になり池に落ち死亡
サツキ
最初はトトロを見ることが出来なかったが突如見えるようになり
「(死亡した)メイに会わせて!」→「ネコバス(あの世への乗り物)」→メイのもとへ
なお、ネコバスの行き先には「墓場」と数秒表記される
なぜ、いちいち「墓場」と記載するのか?意味はどれだけ探しても1つしかない
トトロに殺され死亡
最後のシーンでお母さんに直接とうもろこしを渡さなかったのは?→
二人が既に死んでいたから、わざわざとうもろこしに名前をほっておいた
そして有名だが2人の影がない場面が多数!
あのジブリが初歩的なミスを繰り返すとは思えない、意図的である可能性高し
その他の謎
過疎な村に池にタイミングよく浮かんだサンダル、メイの物でなければ誰の?→
メイのサンダルとは形状が若干異なるが・・・タイミング的に考えて別にあるもう1つのメイのサンダル?
さつきは気がつかず このネタ、それなりには知られてる話かもしれません。
「千と千尋」ソープランド説。
「千と千尋 ソープランド」で検索すると、260件ほどヒットしましたw
みなさん、同じこと考えるんですねぇ。。(嬉
「千と千尋の神隠し」。
千尋は不思議な世界に迷い込みます。
親と引き離され、あやしい美少年の導きで、ソープへ沈められ湯屋の仕事を紹介されます。
やり手ババァユバーバによって、名前を奪われ、源氏名働きやすい名前を付けられてしまう。
タコ部屋に軟禁住み込みで働くことになります。
お客様は神様です。
どんなに不潔で、臭くても、洗ってあげなければなりません(涙
くされ神さまのふところ深く、千はかわいい手を突っ込み、十五センチくらいの硬い棒状のものを探り当て、握りしめ…抜きます(射
神様は、昇天し、どこかへイッちゃいます。
一方、千は、臭い液でドロドロに。。
大人の男の手に押さえつけられながら、「宗助」「イクーッ!」などと叫び声をあげ、
体をビクンビクンと激しく動かし、その後ぐったりとうごかなくなるポニョ。
「ちょうだい」と言って助手席の宗助が体の真ん中に握り締めているモノに口を近づけ、
その先端からドロドロした白いものをペロリと舐め取り、ゴックンと飲み込むリサ。
「ポニョ、これ大きくして」と言いながら硬くて太い棒状のモノを握り締め、
その先端を幼女に向かって差し出す宗助。
121 :本当にあった怖い名無し:2008/03/05(水) 21:59:17 ID:aLqibaxZO
風の谷のナウシカのエンディングの後日談で、ナウシカは殺人罪に問われる
父親を殺した兵士を撲殺したことで >>12
科学的に言うと、水が大量に増えたから重力バランスが崩れたのだよ。
人工衛星まで落ち出した、というのも同じ理屈。
まあ、重力が増えたのに年寄りは逆に健脚になった訳だが。 もうだめだ
説明もちゃんとつけられないパヤオはボケだ パヤオ
「うるせーな、ロリかけりゃいいんだよ
物語なんておまけだカス」 >>14
>老人が健脚
あれ水中で体が軽くなってたからじゃないのか? 海に沈んであの世にいったんだよ
子供はこの世とあの世を行き来できて審判を受けてみんなを連れ返す 両親の死や三途の川を暗に示し
結局最後はみんな生き返ってよかったねって結末はないと思うぞ
あれは黄泉の国でみんな仲良くなってこと こないだ初めて見たが自分はやっぱり大勢死んだけどリサ、宗助は「帰ってきてる」と思うな。
最後のヘリや飛行機の騒音で場面が変わるシーンが夢から覚めて現実に帰ってきたように演出したように見えた。
そこから逆算して、高波に乗ってきたポニョにつかまるシーン前後から家のシーンがあの世とこの世の狭間で、その後リサ、お前はすでに死んでいる信号受信。
なので宗助に生きようとし続けるよう、他の死にかけてる人達の目印になるように灯を守るように言ってあの世に出発。
ポニョママ平気な顔して灯消す。宗助、目が覚めたらそこはあの世でした状態w。
ポニョの助けを借りて生還への旅へ出発。途中出会った彷徨ってる母子にポニョ、トドメさすw
母子、天国へ出発。リサカー死亡確認w。黄泉比良坂越え。ポニョそこで誕生の体験。
トンネル越えの後のばあさんのシーンが不自然に強調されたのは産婆+母のイメージかな?
それでもフジモトはポニョを自分の下において置けるような形で転生させようとしたけど
妹らの説得で自分とは袂を分かつポニョの人間としての転生をしぶしぶ納得みたいな。
で、ポニョママの最後の試練&ポニョ人間に転生、死んでたリサ、もともと助かるはずだった婆さんたちまとめて復活、完全に現世へ。みたいな感じ。
ポニョママの魔法って最後の質問だけなんじゃなくてあの世からこの世への誕生の儀式を含んでると思うよ。
質問だけだったらひまわり園で待ってる必要ないし。 >>8
そのシーン微妙に覚えている
すげぇな、マジで風俗に思えてきたぞ・・・
子供向け作品にパヤオは何をやりたいんだ・・・???
てか、真相が見えてきて改めてすごいと思う。
まさに天才だな 大量殺人の半漁人ポニョめ
なにが宗助すきぃ〜〜〜だ
あんな半漁人を宗助が生涯アイスわけねえだろ
捨てられて泡になっておしまいけるw ナウシカとラピュタは何回も見たが
トトロはなんというか見ていて理由のわからない不安感やモヤモヤがあったからあまり見ていない。
蛍の墓のせいにしていたけど、このスレのおかげで理由がわかってよかった。
以降登場人物がなんとなく地に足付いていないというか、生活感がないというかそんな感じ。
もののけ姫やちひろは逆に舞台が人の世界と異世界だったせいでキャラクターがしっかりして見えた。
ポニョは現実とファンタジーの境がどこからか不明で不安感炸裂
宮崎は生と死の狭間みたいなの多いね。大人になって居ない子供はどこかあの世に片足つっこんでいる神聖さとか残酷さとか子供見つめすぎてパヤオが怖い あの状況をたんに「死んだ」と受け取るのはやや端的過ぎるのでは
「境界を超えた向こう側の世界」たしかに我々人間の常識を前提にこの作品を観ていれば、その世界は所謂「あの世」ととらえるのが普通だと思う。
しかし、これはあくまで「宮崎駿がつくりだした世界、空間」であり、その空間での常識は我々人間のもつ常識とは異なるものであると私は考えている。その世界には「死」というものが存在するかどうかすら我々には理解できないのでは。
私は「死んだ」とは思わない。ただ「向こう側に行った」という、我々人間からしたら非常に曖昧な表現に感じるかもしない、宮崎駿がつくりだした世界での常識なのだと思う。
とらえ方は人それぞれですね。
ハウルで意味不明
ポニョで支離滅裂
晩節汚さず身を引けと 死後の世界というか臨死体験や夢に近いかもね
子供の頃の記憶は本当に曖昧で現実とそうでない事がごちゃまぜになってる
妖怪とかいると思っていたし、あちら側は本当にあると思っていたし
大人になっても神の国とかなんとかいってる人達もいることはいるし
ただその世界がどんな世界かは人によって様々で宮崎駿の世界はあんな感じなのかもね >32
>ポニョで支離滅裂
ポニョで支離滅裂は、次回作で、おしり陰裂のフラグだと思う
やっぱポニュママが家の明かりを消すのって宗助の死を意味してたのか・・
家の明かり消す必要ねえじゃん
とか思ってたんだよねー
最後は全員生き返って(親父以外)大団円なのか
皆殺しになったのか、なぞだねぇ
前者だと思いたいんだけどね・・・・・
なんか怖い解釈してる人たちが多いけど世の中ホントにすさんでるな
宮崎駿がアニヲタではなく子供たちのためにポニョを作った気持ちが良く分かるわ
ツッコミ所は多々あるがご都合主義と言われようが劇中で死んだ人間は誰一人いないと俺は思う
ポニョは魔法の蓋を開けて津波と一緒に元気の源のような物を運んだんだろうよ
海水に生命の水(だっけ?)が混ざってたから婆さんたちが元気になったと解釈するのが自然な気がするし
もののけ姫のラストでシシ神が人間や自然に命を分け与えたのと同じ理屈だと思うんだ
まー人それぞれ解釈の仕方が異なる映画ということでしょうね
少なくとも純粋な子供は死人がどうだの考えたりしてないだろうがな パヤオはわずかな例外を除いて
ファンタジックで裏のない話か
日常だが、裏設定のどぎつい話のどちらかだね
・ファンタジーで直線的
ラピュタ、ナウシカ、魔女、城
・日常+死のイメージ
トトロ(ヒロイン死亡)、ポニョ(皆殺し)、千(ヒロイン風俗へ)
・例外
モノの毛(幼女なし)、豚(パヤオ=豚)
パヤオは極度のロリコン
森を守れ!とか言ってジブリ博物館のために森を伐採した人だからねw
天才っていうのは、なにかしら頭の回路がおかしくなっているものだね
ポニョを子供向けとして封切らすならば
ポニョの実名をブリュンヒルデとかいう名前にしないと思うけどな
ブリュンヒルデは死の使いであるワルキリーの姉
海を汚す大人は全員死刑!という大人へのメッセージか
もしくは、環境破壊や森林伐採、海の汚染などが我慢できず、地球をもう1回カンブリア紀に戻してやる!
というRPGのラスボスかと思うような隠されたパヤオの強い意思を感じる
かつそんな事情などしらない子供にはそれなりにおもしろいようにできている
子供は楽しめ!だが大人は俺のメッセージを受け取れ!という二刀流な感じ ブリュンヒルデ>>>>>>>>>>ヤクザ
ブリュンヒルデは可愛いけどヤクザは可愛くない。
ブリュンヒルデは魔法使えるけどヤクザは魔法使えない。
ブリュンヒルデ最高!ブリュンヒルデ最強! ハヤオは民俗学・神話学をかじった人の方が100倍楽しめる >35
>やっぱポニュママが家の明かりを消すのって宗助の死を意味してたのか・・家の明かり消す必要ねえじゃん
宗介の死?ちがうよ。
制作順でいうと漁船の灯かりは綺麗だを演出するためだよ。モールス信号は建増し方式であとでつけた。
もっと始めの企画でいうと、アニメで初めて映画館を真っ暗に演出したらどうなるかという提案だった。
真っ暗なのは母体の中
朝起きたら水没したまったく違う世界
すなわち環境の転生である パヤオはロリコンじゃなくて子供全般がすきなんだ
というより大人が嫌いなんかもしれん
Mジャクソンと同じ
大人になりたくない子供みたいな 余りの超絶大人気にスタジオジブリの宮崎駿が崖の上のポニョUブリュンヒルデの超絶大冒険3Dハイファンタジー映画何打よねー。 ポニョの最後で、宗助にキスしたポニョが人間になるシーンあるよね。
あれ、いきなり周囲にいた全ての登場人物が消えてるんだけど・・・!
隣のリサも、船も、空を飛んでたヘリコプターとかも一切無くなってる。
ものすごく、不自然。
あれは、他の全ての死んだ人を残して
ポニョと宗助だけ、現実の世界に戻ってきたとかじゃね・・・? 何とスタジオジブリが坂の上の雲をアニメ映画化決定。 陸地が水没して母なる海に帰ってみんな幸せになったという寓話なんでしょ。
逆に言えば腐った現代文明は全部滅びろという強烈な裏メッセージだな。
駿はナウシカやもののけでは愚かな人間を許したけれど我慢できなくなったのかな。 正直なところ駿は年老いて、作品をまとめ上げる力はなくなった
でも駿の類稀なる才能とバックボーンが、いかようにも解釈が可能で
懐の深い、不気味な作品を作ってしまった
今後の駿作品は、アルツハイマー病の画家が描く絵のように
どんどん抽象性を増し、不安定になっていくんじゃないかね
おれはその崩壊していく過程が楽しみだ 俺は、別に特に深い意味や寓意はないと思うけど。
水害で大勢死んだのかも知れんが、誰も死んでないようにも取れるし。
少なくとも宗介と周囲の主要人物が死んだという解釈は無理だろ。
自衛艦やヘリやマスコミまで出てるんだから、地上滅亡なんかしてない。
だけど、>>51のコメントはなかなか鋭いのではないだろうか。
「影武者」以降の黒澤明と通じるものがある。
もうろくした後の落日の美みたいなもんかね。
老人が失った健康を取り戻すなど洪水後の世界は明らかに異常だろ
世界は一端死んで蘇ったのは間違いない
グランマンマーレによって元の世界に戻ったというよりは新たな世界へ導かれたのだろ >>53
いや、漏れは気楽に素直に見てるよ。
>>54
フジモトとかポニョとかマンマーレとかの力で
身体能力に変化がおこって歩けるようになった、
ただそれだけでしょ。
施設の老人たちを誘導に来た関係者らしいおっさんが
老人が歩けるのを見てびっくりしてたけど、
あの関係者のおっさんも一旦死んだのか?
自衛艦やヘリやマスコミの飛行機の関係者も一旦死んだのか?
そんな解釈は無理では? あれこれ深読みして俺って凄いだろって思わせたいのか知らんが
リアル世界でそんなの言ってたらウザがられるだけだよ リサが何でお辛いのかがわからんだろ
グランマパワーで元に戻る+健康になるだけなら何も辛くないよな
ポニョにも好意があるわけで宗助がポニョを選ぶだけなら母親として辛いことはないだろう
グランマパワーによる復活の代償として命の取引が行われたんだろうな あちこちのサイトで見たけど、やっぱり近年の宮崎アニメに
黒沢明の晩年期作品に通じるものを感じる人って多いのね。
内容はおいといて単純に順番を対応させると
「影武者」=「もののけ姫」
「乱」=「千と千尋」
「八月の狂詩曲」=「ハウル」
「夢」=「ポニョ」
・・となるのか? もう神大傑作でも史上最強でもなんでもいいです
権威大多数女子供に見向きもされないステキなものへ流れましょう
ぼくたちにはまだ、ストライクウィッチーズがある! そういや駿は脚本を作らないんだよね
年老いたら作品の輪郭がぼやけてくるのも当然か >>61
駿は脚本段階をすっ飛ばして(それでもプロット程度は考えてるだろうが)
いきなりコンテを書き出す。
しかもコンテを書き終わる前に作画インする。
連載漫画方式。
だから後半破綻する。ラピュタやナウシカの時点でその端緒はあった。
「バルス!」で話を畳むとか、苦し紛れだからな。 大まかな話の流れは頭の中にあるんでしょ?
「バルス」が苦し紛れっていうのは流石にないんじゃねーかな >>63
いつから宮崎駿さんがシナリオを書かなくなった(いきなりコンテから始めるようになった)のか、
よくわからないんですが、少なくとも『天空の城ラピュタ』のときには、
もうシナリオはありませんでした。
これは俺自身、直接宮崎監督本人から確認しております。
俺、ラピュタが春休みに封切られる前の年(1985年)の12月に、
宮崎監督にお会いして話を聞いているんです。(中略)
それでインタビューが終わりまして、最後に俺が「この春に公開される『ラピュタ』、
楽しみにしています」と言ったら、
「今、ラストシーンを考えてる最中なんですよ。まだシナリオが出来てないんです。イヒヒヒ」
と宮崎監督がお笑いになるので、ビックリしました。
だってとっくに制作は進行していて、公開まであと3ヶ月しかないんですよ。
俺はこのとき初めて、宮崎監督はシナリオ作らないまま制作に入るんだ、ということを知ったわけです。
お話は作りながら考えるという、まるで週刊連載マンガ家そのものではないかと思いました。
(後略)
パンダとポニョ(2): たけくまメモ
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_49c9.html そうなんだ。うへー
でもまあ苦し紛れとはいえあれだけまとまってのはすごいけど
こういう特異な作家性が、「ポニョ」みたいな異様な作品を生んだんだなあ >>67
(矛盾のない)物語に対する興味が失せてきたのか、
だんだんと構成が破綻してゆくのは
加齢による力の衰えからも当然だと言える。 >>67
『ポニョ』はポニョが宗介のとこに来たときに話が終わってるw
で、その後どう(映画に)するか、ってのが後半。 ポニョに無理矢理深い意味があると信じたくて
強引に神話だか宗教じみた解釈をしたがる連中って
結構いるもんなんだね
ブログとか回ってみてびっくりした 子供向けに作ってんのに深い意味なんかあるわけないのにな 子供向けだから深い意味を込めない、とするのは間違い。 富野が子供向けだからこそガチでなければってことでザンボットを作ったみたいにか ワルキューレという名前だから死の国への使者だとかなんとか
勝手に解釈してこじつけてみたところで
物語全体の整合性がとれるわけじゃないだろ
まあ好きに色々考えてみればいいんじゃない?
多分、駿にしてみれば普通に作っただけなんだろうけど、
今までの人生で培ったいろんな思想や経験が知らないうちに
にじみ出てる感じ
「ポニョ」を深読みしすぎる人っていうのは
駿の無意識の部分に踊らされてるんじゃなかろうか 宗助もリサも、宮崎アニメとしては特に違和感のないキャラで、
特筆すべきものはないな
宗助とポニョが巨大化したローソク船で進んでいくと、
大正だか昭和風の浮世離れした夫婦が出てくるが
あれも別に深い意味はなく、単にああいう絵が作りたかったから
ああいうのを唐突に出しただけなんだろ。
ボートで先導している警官らしいのが宗助に「私たちも後から行く。
奮闘を期待する」みたいにいっているが、なんか台詞として
微妙にずれている。脚本が荒削りでどうでもよくなってるのか。
そりゃそうと、ポニョの顔(完全な人間体のとき以外)の
どうでもよさ加減も凄いな。 死んだ後、遺作として『とんでもない』ものが見つかれねえかなと
俺はすごくゾ ワ ゾ ワしてる 「ロミオとジュリエット」+「人魚姫」のハッピーエンド版て感じだった
不純異性交遊→駆け落ち→結婚生活シュミレート→結婚申し込み
グランマは娘のした事の責任を取ったみたいだし、溢れたのは不思議命パワーの水だから誰も死んでないんじゃないかな
赤ちゃん、久美子ちゃん、トキさんて洋服とか髪型が似てるんだけど気のせいか >>66
製作しながら話しを考える・・・
シナリオ書きならこれがどれほどとんでもないことかわかるはずだ
完全な天才だな・・・・まぁ簡単なプロットは当然あっただろうけど
それで日本中から歓喜を浴びる超大作に仕上げたんだから
なんか深読みするなとかつまらんこと言ってるかわいそうなバカがいるようだけど
お前らは生きててもつまらなそうだな
頭が悪いんだろうな
崖の上のポニョは間違い無く明らかに大量沢山に幾らでも考えても確かに記憶に残る名作だと思うよ!?♪。 今回の地震による津波で亡くなった多くの人が、苦しむことなくあの世に行けてたらいいなと思ってたら、すごくポニョを見たくなってDVD借りてきて5回もみてしまったよ。 ポニョって確かに生と死をテーマにしていると思う。
でも5回みて感じたことは、やっぱり環境問題が大きなテーマなんだろうな。
人間は自然に対立するものなのか、それとも自然の一部なのか、それともその両方で自然と共存しながら
この先うまくやっていけるのか
これはグランマンマーレの最後の問いかけに全て集約されてるんじゃないかな。 タイトルがなぜ「崖の上のポニョ」なのか考えてみた。
「崖の上」=「陸の上」
「ポニョ」=「人間になりたい魚」
つまり、陸に上がった魚=進化を始めてしまった原始の人間という意味では
なかろうか? フジモトに泡に閉じ込められたポニョが、妹たちに泡をやぶってもらい脱出するシーンは
受精そのもの。
胎児って母体の中で、何億年もの生物の進化の過程を、数ヶ月で経験するって聞いたことない?
泡から脱出後、ポニョが魚から人間に進化していく、という目で映画を見ると、
いろいろな発見があるよ。
たとえば
「宗助みたいな足、ほしいー」
手じゃなくて、足がほしいんですよ、だって進化したばかりなんだから、とにかく
今は足が欲しいんです
手といえば、さらに先のシーンで、ポニョがテーブルについて、蜂蜜入りのドリンク
を飲むシーンで、はじめは動物のように足を使おうとしてるよね。
でも、結局両手を使った。あのシーンはきっと、サルから人間に進化したあたり
なんでしょうね。 魚からの進化という目でみると、半漁人の姿はトリにも見えるけど、カエルなのかな?
とにかく、魚から足が生えて陸に上がった生物ということだろう。
宗助を追いかけてきたポニョが、宗助の家の前の道で、波の中から出てくるシーン
は、まさに進化の過程で水中生物が陸に上がった瞬間そのもの。
このあと、ポニョはさらに進化をつづけ、人間らしくなっていく。
「ポニョは裸足ね?」そう、だってまだ完全な人間じゃないから裸足なんです。 そしてポニョは次々に人間の「文明」に触れていく。
まずライト(光)、そしてタオル(おそらく人間が服を着ているということの暗示)
次に水道、ガス、暖かい飲み物(火)
そして足ではなく手を使うことを覚える。
翌日には言葉を使いこなす。それも「上々だね、立派だね」など抽象的な事柄を
表現する能力。
ポニョの成長は、人類の進化そのものを表現してるんだね。 人間はどうして自然をこんなにも汚してしまったのだろう。
だれも汚したくてこうなった訳じゃないのに。
ただ、人間が人間らしく生きるために、文明を発達させてきたら、気づいたらこうなってしまった。
それはポニョが宗助に会いたいと思う無邪気な行動が、気づいたら町に大洪水を引き起こし、
世界を壊滅に追いやっているのと同じ。 あれ?確かポニョってそーすけの夢落ちが定説じゃなかったけ 人間だってもとは魚で自然の一部だったはずなのに、それを忘れて自然と対立
してしまった。
だからこそラストでグランマンマーレが宗助(=未来を担う若者たち)に問うんです。
「ポニョがお魚だったことを知っていますか?」
つまり
「人間も元は魚、つまり自然の一部だったことを知っていますか?」
「あなたの血をなめて半漁人になったのです」
つまり
「禁断の果実を食べて、人間になったのです」
「魚でも、半漁人でも、人間でも好きですか?」
つまり
「人間が自然に対して、どのような立場を取ろうとも、あなたは人間が好きですか?
人間として責任を持って、現状を変えていくことができますか?」
グランマンマーレのセリフは要約です。正確に覚えていないんで。 フジモトは自然を汚してしまった人間を自然の力で浄化してしまおうとした。
グランマンマーレはもっと大きな愛(大自然の愛)で包み込み、人間をもう一度だけ
信じてみることに託した。
だって失敗したって、私たちはもともとじんな泡だったから、元に戻るだけ。
魔法という言葉は、大自然の不思議な力というところだろうか。
グランマンマーレの言う「ふるーい魔法」がなぜ「ふるーい」のかといえば、
魚が陸に上がったデボン紀の魔法だから。
魔法は、生物を進化させることもあれば、天災をもたらしたり、磁場をくるわせたり
することもできる、大自然の不思議で強力な力ということだろう。 宗助の血をなめたことが、アダムとイブに禁断の果実を思わせるわけは、
宗助が園にもってきたポニョのバケツを「イチジクの葉」で隠したシーンからだ。
ちなみに私は植物に詳しくないので、本当にイチジクかどうかは、もっと詳しいひとに聞いてね。
この映画のすごいところは、物語が2重構造になっているのかと思いきや、3重構造に
なっているところ。
1つ目は人魚姫のようなお伽話、2つめが自然と文明をテーマにしていて、3つ目が
生と死をテーマにしている。
でも、2つめと3つめのテーマは絡みあっていて、監督の生死感というか、おそらく
日本人に共通する生死感を語っているんじゃないかな。
一言で書けるほど単純じゃないとは思うけど、
「人は死んだら自然に帰ってゆく」という生死感のような気がする。
「この世」=「人間(文明)の世界」
「あの世」=「自然の世界」
というふうに、単純に考えて映画を見てみたら、何かしっくりくることもあると思う。
ラストのシーンなんか特に、他の方も書いているように、「あの世」でも「この世」でもなく
その中間であり、新しい世界であるとするなら、
自然と人間が共生している新しいこれからの世界と見ることもできる。 生と死のテーマについては、他の方がこのページ以外でも、すごく深い考察をしていて、
読み解くには、哲学とかの基礎知識が必要なようだから、そちらのテーマの解読は、
哲学専門の方にお任せするとしよう。
ひとつ、映画のなかで気づいたこと。
トンネルの前で宗助が「前にも来たことがある」と言ってたけど、トンネルがあの世とこの世の境界だとすると、
生まれてきたときのことを言ってたのかな。
つまり生まれて来たときも暗いトンネル(膣)を抜けて、あの世からこの世に来たよってことでしょうか。 最後にリサについて。
なぜ宗助にリサをお母さんと呼ばせていないのか。
それはリサが現代の女性の象徴として描かれているからだと思う。
現代の女性は一人の人間がいろんな顔(役割)を持っていて、
母であり、女であり、社会人であり、妻であり、嫁であり・・・
そんなたくさんの役割をぎゅっと凝縮したのがリサなので、宗助にお母さんと呼ばれたら、
他の顔(役割)が見えにくくなってしまうから。
耕一に会えなくなってふてくされるシーンは母としてどうなのか、と思うけど、一人の恋する女性として
リサをみれば、とてもかわいく
い女性に見える。
また社会人としての顔、仕事とはいえデイケアセンターでの老人介護は嫁の顔も写し出しているのかも
しれない。
この映画、これからの若者たちと、女性たちに送るメッセージを込めたんでしょうね。
残念ながら、大人の男性へのメッセージはあまり感じられませんでした〜。
海(会社)に行ったきり帰ってこないですし。 あ、だれも読んでないと思って、一人で延々と書いていましたら、
途中、92さんが来ていました。
ごめんなさい、気づかなくて。
夢落ち、そうかもしれないですね。
夢でもいいんです、監督が何を意図してこの映画を作ったのか、それを謎解きしていくのが、
この映画の面白いところだと思いませんか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています