ゲド戦記
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>>152
どこに才能を感じたのかを文章で示してくれ >>153
親殺し、ツンデレ、ヒロインが超サイヤ人w
エコより人間の生と死を描いたとこかな >>155
駿や高畑がエコだと?
いっぺん見直して来い 今頃見終わった
確かにつまらなかったが
「最低」「ヒドイ」などさんざんな評価を聞いていたせいか
ジブリ作品だと思わなければまぁ…
それにしても何でテルーは人間世界で暮らしてたの?
あの後もそのまま家で暮らす気なんだろうが意味分からない
アレンがゲドを殺そうとしたときと
その後アレンの所にテルーが来たとき
なんであの程度のつまらんお説教で説得されちゃうのかアレンは?
特に二度目は口ポカーンだったな 初めて見た
失敗したダイジェストかこれは
大人しくシュナの旅を映画化したほうが良かったんでないか これ見せ場の一つであるはずのテルーの歌のシーンで、歌と口の動きのずれっぷりが爆笑レベルだよな。
まあ、日本のアニメはリップシンクを重視しない伝統があるが、これはちょっとありえないレベルだろ。 正反対だ。テナーの歌で毎度泣く。谷山浩子さんと知る前から。
テルーはアレンを嫌ってたのになんで歌ってから仲良しになったの?
「命を大切に(ry」
↓
「僕は父を殺した」
「(´・ω・)酷いことされたの…?」
ただの人見知りか? なぜ黒髪美少女巫女テナーが主人公の2巻を映画化しなかったんだパヤオ…
そしてなぜか金髪に 原作一巻を読む度に、このひどい映画のことを思い出して悲しくなる 岩井俊二がこの映画、世間的には評判悪かったけど
僕はすごく面白いと思ったと絶賛してた
良かったね、ゴローちゃん 個人的には声優以外よかった
ただ、タイトルをゲド戦記のままで行くなら、二部くらいにすべきだったな 正直こういうプロ意識の欠如した作品多いよね、日本のアニメって まだ見始めて10分程度だけど
描写がアップすぎるというか映し方が背景の雄大さや物体の巨大さや広さを感じさせないテレビドラマのような
アップ映像が多いので違和感を感じたんだがやはり宮崎駿が監督じゃないんだな 主題歌歌ってた人が好きなジブリ作品聞かれて即答で紅の豚と答えてたよ ル・グインって映像化作品に恵まれないよな
あの暗喩に富んだ文章を、実際に映像に移すのは無理があるのか /⌒ ⌒\
/( >) (<)\ こんなお金をかけたクズ作品初めて見たおww
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 吾郎ちゃんに任せちゃった鈴木Pは猛省するべきお
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\ (、`ー―'´, /
アニメ的には2巻の映像化やればよかったんじゃないか
黒髪の美少女と青年ゲド、因習と土着の生活、暗闇の静かなシーンから光に冒される鍾乳洞の輝き、解放と自由であることの畏れ ナウシカ、ラピュタ、紅、等と比べるからいけないのであって
ポニョ、ハウルとなら普通に並べられる作品だと思うけどな。
パヤオだってもうどんだけ金掛けようが
ラピュタを超える映画は作れんだろうし 今、初めて観てるけど会話に違和感を感じる。
テンポ悪いというか。
つーかアレンは棒どころか片言だし。
テナとかいう女性もなんか感情がない人形みたいで気味が悪い。 10分で飽きて、チャンネルを変えたジブリ作品は
猫の恩返しと、ゲドだけだった
ポニョやハウルでさえ、つまらないと思いつつ
最後まで鑑賞に耐えられたのに
顔に痣のあるヒロインが棒読みなのと、黒服を着た女みたいな
ロン毛のオカマがキモかったのは覚えてる >>180
反省するのは駿のほうだよ。
設定、ストーリー、キャラクター何もかもメチャクチャ。 やっぱり一巻と二巻でパヤオに作ってもらいたかった。
イデオンみたく1部・2部に分けてもいいからさw
「ホルス」のヒルダ、ラナ、クラリス、シータってテナーが原型のような。
あと、「影との戦い」に出てくるオタクも、テトの原型だよね。 >>182
レイアウト力の差が歴然だろ
ボーっと見てる奴には同じように見えるかもしれんが スマヌ。ちょっと教えてくれ。ハイタカ=ゲドって台詞か描写ってあった?
無かった気がするんだが。だからそもそもタイトルがイミフというか。
「ゲド戦記」のゲドって何?っていう。しかもこの映画じゃハイタカは主人公じゃないし。 >>191
そりゃまあ3巻を原作にしたからな。>しかもこの映画じゃハイタカは主人公じゃないし。
ゲドはハイタカの真の名であり、万物には真の名があり
真の名を知った者は操ることが出来る、それがこの世界の魔法。
この辺の重要な設定を映画ではほぼスルーしてるんだが
>>190
駿と吾朗じゃ文字通り、格が違う。 >>192
いやぁ、そのへんの説明不足だけなら物語を追えば推測もつくんだけど、
そもそも「ゲド」って単語が一言でも出たかなと。
それすら無いんじゃ「"ゲド"って何?この都市の名前だっけ?」みたいな感想しか抱けなくて。 >>193
見直せばわかるけど、見直す気も起こらない 見ててつまらんなーと思う映画は数あれど、
段々気持ち悪くなってきて腹が立ったのは中々ない経験だった アメリカ版予告編観た。
ナレーションもテロップも当然英語なのに心オナニーの歌だけそのまま、って何の罰ゲームだよ。
しかし大丈夫なのか、あっちで公開して?
まあ興行的には最初から大して期待もされてないだろうが作品評価は一般客からコアなファンタジーファンまで
漏れなくボロクソになりそう。
でもたまにはアメリカ人も自分の国の創作物がヨソの国の映画製作者にレイプされる経験してみるのもいいかもね。 なまじ日本でヒットしちゃったから米国輸出なんてことが起こる。
ふざけてるよなあれがヒットするなんて。
馬鹿馬鹿しさを売りに出来る山田悠介の本がヒットしてるより酷い。 ぶちぎれたゲドファンのアメリカ人がノーモアジブリ運動やればいいのに。
ル・グィンだって怒っても公式サイトに抗議文と映画認めない発言だけだったし、
実質ジブリのダメージはないに等しいし。
どうせならユーロ圏などの世界配給して世界のゲドファンに喧嘩売ればいいのに。
世界からジブリが総スカン食らえばいいのに。 ゲド戦記は実写版で原作者が訴訟寸前まで行ってるので
今更感があるなあ。
>>199
★欧州圏36か国で公開された日本映画の観客動員数
1.「ゲド戦記」:33万2655人
2.「ドラえもん のび太の恐竜」:9万1408人
3.「となりのトトロ」:8万 459人
4.「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」:7万8142人
5.「魔女の宅急便」:5万2859人
6.「殯の森」:4万5647人
7.「時をかける少女」:4万4812人
8.「忍Shinobi」:4万3046人
9.「鉄コン筋クリート」:2万 807人
10.「着信アリFinal」:1万8278人
(欧州視聴覚研究所調べ)
ほれよ、欧州公開された日本映画でトップの観客動員だ>ゲド 原作者は一回ハヤオの申し出断ったんでしょ?
そのまま断り続ければよかったのに、ハヤオの評価が上がってからOK出したりするからこうなる 仕方ない。だってジブリ映画が欧米で公開されて始めてジブリ映画に触れたんだから。
宮崎に自分の映画を作ってほしかったんだよ。
同じパターンで断られたのは「長靴下のピッピ」で、これは「パンダコパンダ」
に転用されているけど。 アレンと狩り暮らしのアリエッティにでてくる少年って
似てるよな。 手嶌葵なんかcoccoの亜流なんだから
むしろcoccoに声優やらせたほうが面白かったのに Coccoとかないわぁ・・・
あれがCoccoの亜流とか感じる感性も
ないわぁ・・・ 99円レンタルなので、たまたま借りたんだが・・・、ひどいね。この出来。
45分過ぎても見せ場なし。スカイ・クロラは退屈な映画だがまた見たくなるが、
ゲドはそれがない。ただ、単調な切り絵を4コマ漫画かのように流すだけ。
たいした才能だよ。なにもかも凡人すぎて嫌になる。 さっきDVDで見た。まじで酷い・・・
龍が共食いしてた理由とか、アレンのオヤジは死んだのかとか、最後の龍とか、一番最初に出てくる意味ありげな文章とか・・・
全てが意味不明。絵も汚い。見るだけ時間の無駄だった アレンの親父は死んでるよ。親殺しの話らしいから。
俺が一番腹立ったのはさ、何の罪も無いどころか立派な為政者であった父を殺しておいて、
ラストシーンで「罪を償って再出発だ!」的なこと晴れやかな雰囲気で言いやがったこと。
もはや償えるレベルの罪じゃねぇって。アレンさん頭おかしいんじゃないの。
あれが「リアル」だと思った鈴木プロデューサーの馬鹿さは天井知らず。所詮パヤオの金魚の糞。
吾朗を監督に据えたのも、あんな馬鹿な親殺しをセットしたのも、全部こいつ。
普通の客なら一番許せんのはテルー=龍なんだろうが、俺はそこより腹が立った。 テルー=龍 は原作でも唐突に変身するからまあ許せる。
許せないのは父親殺しだな。
しかも、こんなに重大な改変(改悪)なのに、最初は構想になく、
鈴木にインパクトが欲しいと言われて
「じゃ、父親を殺します」と後付けしたゴロー。最低すぎる。
原作者にここまで面とむかって、公的に非難・批判された映画って見たことないな
気に入らないなんてちょろっとコメント出す人はたくさんいるけど、公式hpで抗議文って 心オナニーって何なの?
この作品が吾郎オナニー作品だからあんな歌なの? >>210
そうなのか。読んでないけど、そうなると俺にとっては原作も糞な気がする。
虐待されて心と閉ざした少女が実は無敵の龍でしたってなんなんだと。 >>213
待ってくれ。原作は糞ではない。
もともと原作の世界観では竜と人間はかつてひとつになって生きていたけど、
竜になるものと人間になるものが別れてきた。だから人間から竜になるものも
いる。テルーは人間から竜になるタイプの人間でゲドが魔力を失った後、
「ゴンドの女」として予言されてきた。第四巻でゲドとテナーがなぶり殺しに
なったとき、竜の長老を呼び出し助けることが出来た。結局最終巻五巻で
竜と人間が完全に別れて生きることになるけど、テルーは竜となって生きることを選択する。
第四巻で竜の長老を呼び出した時、テルーが成長したら竜となると約束している。
そんなに唐突な展開じゃないよ。
それにテルーが竜になるといっても去り際に変身するだけで、映画のように
ドラゴニウムするわけじゃないよ。
ゲロのせいで原作まで糞扱いされるのがたまらなく嫌だ。
>>210
原作はすんげー面白くて深いから>>ゲド
試しに1巻だけでも読んでごらん
5巻(短編集)とか >>214-215
それは失礼した。
まああくまであの脈絡のなさが原作どおりだったならという前提の話だけど。
しかし知名度ってのは侵し難いパワーだからな。俺に限らず日本では、
映画版によって原作への食わず嫌いが進んでしまったかもしれんね。
もともとファンタジーや寓話の類は好きなんで今度読んでみるよ。 原作のほうが退屈だよw
映画は原作の二倍はエンタメしているw
ゲド戦記は邦題でゲドが主役なのは一巻だけw まあ、4巻と5巻はね。これはもう過去の遺産で食い繋いでるようなもん >>218
そうかな?4巻と5巻はテルー編として充分面白かった。
テルーの物語として読んでいたから楽しめた。
ゲドのそれからの人生としても読めるし。
5巻でアースシー世界の幕が閉じるのでよかったと思う。 二巻も三巻もダラダラ感はすごい
子供向けなのに子供が楽しめるのはせいぜい一巻だけ アホ女に「何回も見ればこの映画の意味わかるよ」ってどや顔で言われた。
はぁぁーー!?? >>222
というかアニメ版と原作は全然別物で共通点といえば王子という設定とアレンと名前だけ。 映画最低だ。糞だ。何を言っているのかさっぱりわからん。 このゲド戦記って、
具体的に何を伝えたい訳?
観客・見た人に何のメッセージをさ・・
(´・ω・`)・・? 皆さんは酷評されてますね…。
実際に虐待されていろいろ悲しい思いを心に抑圧しながら生きてきた私にとって
この作品は心癒されるものでした。
レンタルでは物足りないので販売版を買おうかな?
だけど心の傷が癒えたとき、この作品は急につまらなく感じるかも。
この作品が「つまらない」と言える人は、それだけお幸せなのでしょうね。 動画の表現、キャラクター設定、シナリオ、
何から何までパクリのオンパレードだからな
オリジナリティーのカケラも無い
監督、製作者全員が無能まる出し
酷評されて当然の糞アニメ 一定のキャリア積んできたのによほどゴミみたいな出来のアニメ作ってる連中が
この十数年間の1、2クールアニメに腐るほどいたから
素人の初挑戦でこの出来はよくやれたと思うわ いまさらみたよw
声優使ってほしかった(主人公、ヒロイン)
伏線をまさかのスルー
説明不足かこっちの脳が足らんのか、何もかもが唐突
さいごテルーが焼き殺す(こんなヒロイン・・・)
2時間やられたよ こんな素晴らしいアニメは観たことがない
ゲドの若いころの話も観たい >>191
あったぞ
テナーがハイタカを家に迎えるときに「ゲド」と呼んでる >>214
そのあらすじを読むと、原作ゲドって
何かにかぶれた、まさに厨二病の駄作だなww ゲド戦記をいまごろ見てみた
なかなか良かった
世間的に立派な家庭で育つが父親は仕事ばかりで教育は母親まかせ
不安定な精神のキレやすい軟弱な若者がぶち切れて家を飛び出し、
大賢人にであって助けられたり女の子を助けたり奴隷にされたり
精神を操られたりする
同時にゲドと女とテルーと一緒に仕事をして
食卓を一緒に囲むという、一種の擬似的な家族の有様を経験し
最後は女の子が剣を持ってきてくれて少しは成長?する
「ダメな青年」の王道的な成長譚だが、
とにかくヒロインの少々鬱屈した性格や、アレンとの接し方が気に入った。
従来のジブリヒロインは「いい子」すぎるんだよな このような話になったのが、鈴木Pの差し金かなにかは知らんが
少なくとも吾郎氏はマジメに考えてマジメに作ったのだろう
いろいろ投げっぱなしになっているところもあるが、メインは
アレン(とテルー)の物語ということであれば、しょうもない舞台設定の
つじつまはどうでもいい。すべてにつじつまがあっているような
「頭で考えた予定調和な閉じたお話し」は見ていておもしろみがない。
駿はポニョでも何でも、「女の子」の変化や一種の成長?は描けても、
なかなかアレンのような鬱屈青年がヒロインや賢人に出会って・・という
話は無いように思う(次ではまた少女が主人公?かもしれないが)
だからこれは吾郎氏の、駿とは違うなにかが炸裂しているものとして
非常に面白くみさせてもらった。
最後の場面
アレンとハイタカが農作業をして、テルーらが種をまいたりして
テーブルについて食事をしたり
テナーがテルーに縫い物を(教えながら)マントをぬったり
ハイタカがアレンとナイフでさや?を削ったり
だれも血縁はないが、このような風景や
そのまわりの自然など
セシウムが堆積し、まだ放射性物質がもくもくと出続けている
今の日本を考えると「これが日本なら、ここにも放射性物質が降り注いで
土壌も汚染されていて、子供達や牛たちの未来もあれだな」とつい考える
原作のこの後は知らないが、アニメ世界では
仮にアレンの父王殺しが秘密裏に免責されたとして、
アレンが王座についたと仮定したとき:
テルーを王妃?としてむかえにいけるかどうかが興味あるところだな。
教育ママの母や周りの連中は猛烈に反対するだろうし
そのとき、テルーの「龍としての性質」が、破れつつある世界の均衡と
王国の様々な危機に対応するために必要となり、アレンと二人で様々なものを修復
テルーは「龍としての自分」も「人(の形態をとれるもの)としての自分」も、
アレンや(物語上の様々な対立軸の)両方とも捨てることなく
(どちらか片方を選ぶということではなく)
最後まで両方を共存させるという世界を二人で成就して欲しいという妄想がある
コクリコの番宣を兼ねた
7月15日の金曜ロードショーで初めて観ることになりそうですが(海がきこえるとの二本立て)
期待していいですか?
コクリコの舞台が港町で吾朗監督だから
ゲドと海が〜になったんかな?
>>247
期待しない方がいいよ テルーの唄で、
谷山浩子が2タイプ、ワルツ調と子守唄調をつくったのは、わたしのアドバイスからだと確信がある。
制作期限までわずか2週間であの曲はつくられたのだ。
映画も原作を無視していてお粗末だったが、現在も翻訳が下手すぎるのか全く面白くなかったな アニメに詳しい知人から聞いた話なんだけど、
宮崎駿が自分の息子に「ゲド戦記」を作ることを認めた“裏ばなし”の真相は、
当時なんの実績もない宮崎吾朗を監督・・ゆくゆくは実質上のジブリのオーナーに
するため、鈴木敏夫プロデューサーに泣きついてやらせた“猿芝居”ということらしい。
実際のところその真偽がよく分からないので、誰か知っている人がいたら教えてくれ〜! 字幕が無いと何喋ってるのかわからない場面が多かったな。
見たことない人に行っておくが、期待するだけ無駄だぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています