駿は母親に愛されたかったってコンプレックス持ちだから、包み込む母親像よりも、イメージが偏っちゃうんじゃないかね。
風立ちぬもそうだけど、父性が見えなくて、所謂昭和の、夫に従順な女だわな

家庭像というよりも、家族に依存しないで、他者との比較で自己確立を図るという人間像が強い。

だから、あらゆる文学に対しても、そのものを伝えようとする高畑とは真逆で、自己の解釈でまとめて自分の作品として世にだしてる。