「外套」を観る。ユーリ・ノルシュテイン。この人の作品は今回のこれが初見。
(なおこのあたりのアートアニメは、どれもミニシアターでの上映経験がある)
凄いを通り越してとんでもない出来なのはよくわかるけど、この作品を好きになるには俺の娑婆っ気は強すぎる。
もっともそれは、作品が観客自身の鏡となりうるほどの高みに達しているゆえだとも、言い換えられるが。
ともあれある意味でこれって、単なる作画アニメじゃないの? 乱暴を承知で言えば。

「霧につつまれたハリネズミ」を観る。以下SEASONSまでの作品はすべてユーリ・ノルシュテイン。10分。
動物たちや景色は最高に可愛く綺麗だ。そういう肩の力が抜けた鑑賞態度を許してくれるのがありがたい。

「キツネとウサギ」を観る。12分。1973年。
氏の作品としては珍しく、納得いかない内容だ。絵は見事だけど。
そもそも猛獣がキツネに勝てない世界ってよくわからん。なにかの寓意なのか。

「話の話」を観る。28分。
物事が正しく深く(そして俺にとっては不思議な角度から)見えている作り手の作品だ。
それはもう畏怖を抱かせるレベルにまで到達している。見事という以上の感慨を抱いた。

「ケルジェネツの戦い」を観る。10分。1971年。
神だの信仰だの戦争だのの厄介な真実は、影絵のねじれを用いてしか表現できないかもしれない。
そんな気を少し起こさせる内容。見事だ。

「25日・最初の日」を観る。8分。
プロパガンダだがさすがにそこにとどまらない熱がある。それはそれできっといい。

「冬の日」のユーリ・ノルシュテイン部分を観る。3分。
山中で出会った二人のじいさんの話。晩秋から初冬にかけての山風を知っている人の絵だ。

「SEASONS」を観る。8分。素晴らしさによってこちらを酔わせてくれる作品。雪景色の馬車が美しい。
だが彼の作品は、時としてあまりに美しすぎる。
作品全体のなかで、美しさという一つの要素だけが極度に突出している作品を、俺は信用しない。
美なんて芸術家なら求めて当然だし、だからこそ美しい作品ってのは「没個性な美しさ」だけの作品になりかねない。
青の洞門じゃあるまいし、30年かかって10分かそこらの作品が完成しないっておかしくない?

「聖闘士星矢 真紅の少年伝説」を観る。74分。原作車田正美、監督山内重保。
原作やテレビアニメはわずかに内容を覚えている。で、この劇場版は高い完成度を目指すのではなく、
そのあたりは放棄してもいいから触媒として観客の心に化学反応を起こすことを目指した作劇だ。
「小宇宙という気合がこもれば、ただの少年が神様を倒せてしまう」って設定が
原作の根幹にある以上、そのやり方こそが最適解だろう。かなり好きな作品だな。
子供が(あるいは少年が)世界に対峙し、なにごとかを掴み取っていく思春期のありようと呼応している内容だ。
男監督たち(たとえ巨匠クラスであっても)が女主人公に物語をつむがせることの危うさだの、
白虎隊についてのパヤオの述懐だの、観ていてさまざまな想念が沸いてくる。
女神アテナの作画だけはやや物足りないかな。最後には馴れたけど。

「聖闘士星矢 神々の熱き戦い」を観る。46分。
キャラデザレイアウト作画監督荒木伸吾、美術監督窪田忠雄、監督山内重保。
一時停止ができない劇場作品では、客が作品のテンポに身をゆだねるのがとても大切になる。
方法はいくつもあるが、ひとつはテンポを速めて客の意識を疾風怒濤に巻き込むこと。
ふたつめはテンポを緩め、作品をじっくり味わうだけの余裕を客に持たせることだ。
漫画原作なら後者が正解になることも多いが、現代ではなかば失伝した演出方法だな。本作は後者だ。
たるい展開もあるけど、それ含めて好きだな。氷雪の地の背景美術とかも。
ただこのOPって、十二宮編のテレビのまんまじゃね?