「ベルヴィル・ランデブー」を観る。77分。ジブリライブラリー。
「フランスが誇る若き巨匠、シルヴァン・ショメ監督長編デビュー作」とのこと。
要するに、「凄いけど退屈」という、よくあるっちゃよくある芸術作品のひとつ。
これを「退屈だけど凄い」と捉えられるひとなら賞賛できるんだろうね。力は実際渾もってるし。
この題材と展開を選びとる作り手なら、娯楽要素への強い未練なり志向性なりがある気がするけど、
でも実際は「芸術映画」以外のものではないみたいだし、そこの齟齬に個人的には違和感を覚える。
あと映像特典の、高畑勲とショメ監督の対談はなかなか興味深かった。
会話が極度に少ないこの映画についての高畑氏の指摘は、彼が作品の形式だけではなく
本質をきっちり見きわめられる知性なのを示しており、同時にその後の部分では、
彼の作品は彼自身の洞察を乗り越えてゆけることを改めて確認できたと思う。



「老婦人とハト」を観る。22分。シルヴァン・ショメ氏の初監督作品。
上のベルヴィルよりずっと好きだ。出来もたぶんこっちのほうがいい。
(ただしベルヴィルのほうが、いろいろと挑戦してはいる。その意気込みは買う)
コスプレや帽子掛けが笑える。鳩もおおむね可愛い。怖さも笑いも兼ね備えたスタイリッシュな一編。



「コララインとボタンの魔女」を観る。2010年。100分。監督ヘンリー・セリック。原作とかは未見。
子供にとっての最大の恐怖は何か、という問いの答えは「母親」でありうるし、
それはどの文明においても重大な禁忌だ。「大魔王からは逃げられない」から。
托卵についての橘玲の調査は驚愕せざるをえなかったし、堕胎や墓守娘の問題は太古から続いている。
やなせやパヤオの炯眼はそれを勿論見抜いていたし、だからブラックノーズは衝迫力をもちえた。
千尋の両親が物語の末尾においてもなにひとつ反省や成長をしていない点にせよ、
あながちパヤオの「冷酷さ」だけに由来するものじゃない。
親子の絆とやらが大昔から、そういう致命的な偏りをずーっと内包してきたというだけの話だ。
本作タイトルロールの「in association with PANDEMONIUM」は、だから笑うしかなかった。
失楽園におけるルシファーの根城か。

ミルトンは知らないがルイス・キャロルはシュールレアリストだったはずだが、
本作でやりたかったのは「現代アメリカの少女を主人公にした、不思議の国のアリス」だろう。
それは異世界冒険物を現代日本の少女主人公でやりたがった、パヤオの千尋と一緒だ。
両者ともにブスないし十人並みの容貌なのも同じ。そのあたりは人形アニメーションの本作には向いている。

千尋やアリスよりも、本作のこまっしゃくれた主人公コララインはずっと色濃くお国柄が反映されている。
そのあたり、父母や隣人やボーイフレンドとの遣り取りの質は、個人的にはとても楽しく興味深い。
母が鈍感でありながらも、ああいう状況でも相応に娘を気にかけている描写も好き。
だいたい千尋もコララインも第一子なんだろうから、経験不足で親たちが合格点のふるまいが出来なくても仕方ないよね。
ふたり子供をこさえていて、当人も四人兄弟の育ちのくせに、そこに気づけてない可能性がパヤオにはあるけど。

魔女たちのボタンの目を、絵筆やCGではなく、実物を用いて描写できるのは説得力がある。
逆に、空中ブランコなどのシーンでは、実物の人形がジャンプできるわけが
ないという「常識」を超えてゆく驚きをもたらしてくれる。
技法と様式が心地よく調和している作品は素敵だ。下のは過去ログ。
コララインとボタンの魔女【3D】
https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/cinema/1266024546/