「ほしのこえ」を観る。監督新海誠。2002年の作品。24分。たぶん初見。
ある意味で評価に困る作品だな。理解は出来るが納得は出来ない内容だが、
その納得のいかなさが、作り手の相応に優れた感受性や「技術」から生まれていることもわかるから。

舞台設定は2047年だそうだが、描写はレトロに寄せている。
制作時の2002年時点で、各国である程度電線地中化は実用化されていたと思うけど、
当作品では、地球の空には遠慮なく電線を描いてある。
たいていの絵描きは空に架かる電線を描きたがらないものだけど、
冒頭部の非常階段の高みからの眺めさえ、画面の下部に送電線の鉄塔を描いているところからも
作り手のいくつかの意図は透けて見える。異星文明との接触で科学技術は向上しているはずなのにな。
紙媒体の新聞(動画を組み込んであるとはいえ)がまだ(こういう受容のされ方で)残っている点とか、
もっとはっきりしているのは、コンビニ入り口の小看板の内容とか。
SF要素は衣装にすぎず、本体は思春期ものだな。
その場合、俺みたいなおっさん客が作品を判断する際の最良のものさしは
「この少年少女に、未来を託したくなるか?」なんだけどね。
(だが小学校の教師みてーなこの判断基準は、それゆえに出来損ないのものさしに成り果てうるが)
その意味でも、2047年という舞台設定には相応の興味が湧く。
現実世界においても、まだ当時の観客や新海氏自身が、生きながらえていそうな年度設定だから。
あと3年で21世紀が半分終わるって時点で、今となっては日本の興行収入トップ層に躍り出た氏が、
22世紀についてなにを考えうるか、とか。

ヒロインの宇宙戦闘時に、戦友や上官や敵の実体が一切出てこず、
音声案内も機械的でしかも英語で処理した点、
3分25秒時点からや13分29秒時点からやでの、雨に濡れた足跡をほんの一部分でのみ描く点、
それらは技巧や感受性のひとつのありようだけど、個人的にそっぽを向きたくなったのも事実だ。
だが、それとはとりあえず別に、冒頭部でヒロインに「私、寂しいんだよ」と
ひとりごととして明白に言わせた部分や、3分50秒時点で自転車二人乗りを真正面からアップで描いた部分、
4分22秒時点で都会の夕映えと満天の星空を重ね合わせた部分(光害の関係で、現実には起こりえない)
のぬけぬけとぶりは、どこかでパヤオに似ている。
未来少年コナンやラピュタで、少年少女を水中呼吸させたりじゃれあわせたりし、
また千尋で夜空の月を三日月→満月→半月と変化させたぬけぬけぶりと。
そういう意味で、新海氏がのちにメガヒットメーカーになってしまう兆候は、なくはなかったんだろう。
だからこそ、本作に対する高畑監督の有名な批判は、いまだに重くありつづけてるんだろうけど。

この作品でスマッシュヒットを飛ばしたデビュー時も、君縄でのブレイク時も、彼はアニメ業界にとっては
異物たる黒船の役割を背負わざるをえなかった。東映動画の血を継いでるパヤオ及びジブリとはそこが違う。
その苦しい環境を深く直視し、その土壌に作家性を花開かせる方法論を我が身に叩き込んだなら、
黒船後にやってくる維新を、氏みずから巻き起こすことも出来るのだろう。
それが出来なければ、自身の器量を上回る過大な運命に翻弄される、気の毒な元青年のままでい続けかねない。
デビュー作をほぼひとりで作り上げた人に、どんなスタッフがついていけるのかという点も含めて。