「サイコダイバー 魔性菩薩」を観る。神戸守監督。マッドハウス制作。
原作夢枕獏。絵に力があって見ごたえがある。
たしか上下巻の小説を60分足らずのOVAにしたにしては、破綻もあまりない(と思う)。
幼少時のヒロインが、私立小学生っぽい服装で電車内でぽつんと
腰かけている描写などは、感情移入を誘われてずるいなーと思う。
なかなか満足。



「アジール・セッション」を観る。アオキタクト監督。ピカレスクロマンとして成立してない。
ロックと高層ビルへの落書きしかしてない不良たち相手に、悪の魅力を感じるのは無理だし、
警官たちの非力さもありえない。そのくせ警官を皆殺しにすることも出来ない、中途半端な良識ぶりだし。
主人公のキャラデザもアレだ。重要な器官が集まっている顔面に、
タトゥーをあのように施す彫師はいないし、激痛や後遺症もあるんだけどな。
そのほかキャラの芝居も、炎や霧や夕焼けの描写も、人間把握も、さまざまな点が基準値に達してない。



「映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス」を観る。
71分。脚本山口亮太、監督伊藤尚往。プリキュアシリーズはこれがほぼ初見。2013年の映画。
なかなか出来がいい。
「思い出の品などが古びて忘れられる・捨てられる」ことへの憤りが悪役の行動原理だが、
老若問わず観客の心に響きうるテーマだ。まあふたご姫とかでも見覚えあるけど。
悪役を楽器のクラリネットにしたことも、音楽とストーリーを無理なく融合させる職人芸の一端だろう。
そのあたりは劇場版アンパンマンのカーナを連想する。外見のしょぼさ以外は見事だ。
また愛犬や祖母がらみの伏線の張り方や、一部敵キャラの不気味さは、子供だけでなく
大人をもほどほどにびっくりさせる効果を生み出せている。
愛犬が○○した日は、首輪のリードにほつれがあり、また雨の日で視界が悪かったことにして、
ご都合主義に一定の歯止めをかけている。「神の手」をあえて使うならこういう作品に仕上げてほしいものだ。
まあウェディングドレスの扱いとか、空飛ぶクジラのイメージの陳腐さとか
アラもそれなりに多いけど、充分に楽しめた。
作り手は手を抜いてないし、子供向けジャンルを侮ってもいない。それがよくわかる。



「劇場版機動警察パトレイバー1」を観る。99分。押井守監督。脚本伊藤和典、原作ヘッドギア
原案ゆうきまさみ、作画(作画監督?)黄瀬和哉、演出澤井幸次、録音演出斯波重治、
レイアウト渡部隆・田中精美。1989年だかの作品。視聴は10年ぶり二度目。
近現代を舞台にスケールのでかい物語を描こうとすると、「お偉方の会議シーン」が時として生じる。
風立ちぬの海軍、ブラックラグーンの三菱?重工、夜明け告げるルーのうたとか色々。
どうやったって退屈になりがちなこれらをどうこなしていくかが、監督の地力の見せ所ではあるが、
押井氏の手法もまた達者だ。枝葉の話だけど。

読後感は10年前と変わらない。娯楽性と作家性が、この監督の既読作品中では一番バランスよく楽しめる。
全体的に、きわめて丁寧な描写が多く、しかもそれが娯楽要素を妨げず、逆に後押ししている。
9分50秒前後で、シャッターの閉じるSEと零式のアップを重ねるシーン、
10分10秒前後での、搬入用エレベーターの底部を点滅させるシーン、
51分22秒時点で、後藤隊長から主人公がほんの少しだけ距離を取るシーン、
57分06秒時点の画面のわずかな揺らぎなど、ここまでやれてるのは他の巨匠の傑作でもそうそうない。
そのあたりのアイデアが、演出担当やレイアウト担当の発案ではなく、押井氏の発案だったとしたら、
この作品こそが氏の作家性の最良の発露だと思う。ほかの作品の大半には小賢しさが混じってるし。
「一部観客が小賢しさと受け取るほかないような特質」が混じっていると、そのほうが正確な表現だが。

あと、冴えない男どもが変顔を見せても、ヴイナス戦記みたいには滑っておらず、
逆にオスって生き物のどうしようもないアホらしさへの憐憫なんてものまで、呼び覚ましてくる。
そこまで計算しているんなら本当にたいしたものだ。氏の批評的知性なら計算してるかもしれないけど。