乙武見てると不倫なんてするやつは、自分は悪くない、自分の事しか考えられない、不倫を責める相手が悪いってワメいてる赤ちゃんみたいな幼稚なやつ
周囲が甘やかした結果、身体は大人、精神年齢は幼稚園っていう精神的奇形なってしまったんだろうな

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ただひとつ、改悛の情とはまた別の次元で、当時から抱いていた思いがある。
批判を承知でここに吐露させてもらうとすれば、「私刑とはじつにいい加減なものだ」ということだ。
この年、私と同様に週刊誌のターゲットとなった著名人は数多くいた。しかし、その扱われ方は様々で、まるで何事もなかったかのようにメディア出演を続けていた人物もいれば、
その後の人生設計に大きな変更を余儀なくされるほどのバッシングに遭った人物もいた。その量刑の基準は明文化などされておらず、すべてが世間のさじ加減に委ねられていた。
この“さじ加減”は、言ってみればギャップの大きさに強く影響されていたように思う。
「いかにも」と思われていた人物ほど傷が浅く、「意外だ」と思われていた人物、言い換えれば「誠実」「清楚」などのイメージを付与されていた人物ほど火柱が高く上がった。
犯した罪の重さは同じでも、与えられる罰の重さは人それぞれだった。

私は、後者に属した。人々の抱くイメージが「清く正しい乙武クン」だったのだから無理もない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57578