柴田ってこの事件本で語ってる??




関東連合   抗争史


1997年7月7日 五反田七夕抗争事件・暴走族100人乱闘事件
品川区西五反田の路上で品川区や大田区を拠点とする暴走族グループが別のグループに襲われ約100人の乱闘となった。
流狼・無法・ZERO(大井・荏原・品川/R20G(池上・雪谷・鵜の木・上池)
この乱闘で区内の少年(18歳)が腰を刺され死亡、他2名も重軽傷を負った。
この抗争の原因は縄張りをめぐる落書きによるもので以前からいざこざがあったという。
グループの少年達は店のシャッターなどにスプレーでグループ名を落書きしていたが、
自分達の縄張り内で相手の落書きを見つけると上から×印を書き、対立を深めていた。
両グループの少年達は凶器準備集合罪等で逮捕。
『OB談』
100人以上の品川での抗争は凄かった。死人は出るしお互い負傷者も沢山出たし、ヤクザも出張ってきた。あの時は恐かったよ。殺伐とした空気が漂っていた。ここ十年で一番激しい抗争だった。関東連合の宮前愚連隊の柴田氏に刺されて五反田の交差点の車屋の横の路地道の自動販売機の前で死に絶えた。関東連合にビビッて逃げた話、OBも裸足で逃げ出した話、五反田刺殺の時は50人対7台で逃げた事などを狂走連盟ZEROのOBが実話マッドマックスの誌面で明かしている。零の多摩川顔面バーナー焼き事件は被害者は自殺した。品川の奴なんて、関東連合との喧嘩の騒ぎで来た警官がいる目の前で自分の先輩刺されて殺されちゃってそれから関東連合が怖くて怖くてしかたなくなってマジメッコになったりしたのいっぱいいた。