上納金問題から山健組は井上親分と軋轢が生まれた。しかし、その上納金問題は若頭の寺岡氏も介入し、問題は解決されたのにも関わらず五代目山健組は神戸から離脱した。その際「敵は名古屋」として離脱の合言葉とされた位なのに、高山若頭から「五健には一切手を出すな」とする通達がなされた。それなのに、五健から処分された枡水を名古屋は拾った上で、森尾本部長はその者を五健に返すと言う話を故西川会長として居た。敵対組織なのだから、別に話さなくても良いし、五健だって処分して居る者を今更引き受ける必要も無いのに、何故話し合いをしてたのか?五健も時間の問題で、六山に復縁だな、多分!