そして飯能時代にC肝を治しに社長に伝え1ヶ月モロ病院に入院をし、隣の患者さんが所沢の大沢さんであった、大沢さんは堅気さんへの配慮で身嗜みをキチンとさせた舎弟を2人連れて入院をしに来た。インターフェロン仲間と言う事もあり、大沢さんは俺の事を「たっちゃん、たっちゃん」と呼び可愛がってくれて居た、そうして俺達は灼熱地獄の生活を送る毎日であった、俺が煙草を吸いに病室を空けている時に、なんと富田さんが大沢さんに面会に来てて、煙草から戻ると大沢さんが富田が面会に来てくれた、と教えてくれて、「俺、富田さんに可愛がって貰ってました!」と大沢さんに伝えるとケータイで大沢さんが、富田さんを呼び戻そうとしてくれた…でも5年以上生き別れして居た俺は富田さんに会う顔が無いです…と淋しそうに大沢さんに伝えた★”