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 長野県飯田市では、当時、山口組の直系だった「二代目近藤組」(現・野内組傘下)と、
神戸山口組系山健組傘下だった「三代目竹内組」(現・任侠山口組)が対立を繰り広げた。

平成27年10月には近藤組幹部が竹内組に移籍したとされる兄弟分の元幹部を射殺。分裂後、初めて銃声が鳴り死者が出た。

 その後も長野県では衝突が相次ぎ、平成28年1月には山口組系組員と神戸山口組系組員が中央道カーチェイスを繰り広げた。

さらに、山健組系組員の乗った車両が銃撃され、2月には乱闘も起きていた。

 これらの事件には、常に野内組の名前が挙がり、射殺事件後、野内組は三代目となった近藤組を吸収し、勢力を拡大した。

 平成28年5月には神戸山口組系池田組若頭が、弘道会系組員に射殺される事件があり、
8月にはその返しをうかがわせる動きがあり、当時の山健組最高幹部たちが、
野内組長や野内組幹部の暗殺を計画していたとする殺人予備の疑いで逮捕された。

 野内組長自身が矢面に立ったのは、平成29年1月に京都で起きた六代目会津小鉄会を巡る騒乱で、
野内組長が火付け役といわれ、同じ七代目会津小鉄会を名乗って、六代目山口組寄りと神戸山口組寄りに分裂。

神戸山口組の井上組長ら複数名が傷害などの容疑で逮捕され、野内組長も有印私文書偽造・同行使の疑いで逮捕された。