私の生い立ちについてだが、脱税の公判に際し、毎日新聞は私のことをこう報じていた。

〈捜査関係者らによると、野村被告は裕福な農家の四男として旧小倉市(現北九州市)で生まれた。
中学時代から不良仲間と自動車盗などを繰り返し、少年院を出入りした。
20代で工藤会系組員の舎弟になると、組織内の抗争をくぐり抜けて昇格を続け、’11年(平成23年)7月に64歳で総裁に上り詰めた〉(平成29年11月1日付)

 まあ間違ってもいないのだが、別に私はトップになりたくてヤクザになったわけではないし、総裁職とは「ご隠居さん」のようなものである。〈上り詰めた〉という感じではない。

 報道のとおり、私は昭和21年、当時の小倉市、現在の北九州市に男4人、女2人の末っ子として生まれた。売却が決まった工藤會本部のあたりは、かつてほとんど父が所有していた土地だ。

父は「(北九州日豊線の)南小倉駅の線路の南側でいちばんの働き者」といわれ、酒を飲んでも陽気な男であった。
家庭内暴力ともまったく無縁であり、母も兄や姉たちも含めて誰もヤクザの関係者はいない。ヤクザになったのは私だけである。

by野村悟