【最後の】和久井一朗とその時代 4【極道】
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葛西のところも所帯はそんなに大きくない。
けどちょっと動いただけで
詫び状取って来れるのは相手が弱いだけ。
そんな相手に手こずる喜村が器量無し。 取材班には万年修羅場の喜村組に潜入取材をして欲しい 和久井君もだいぶ成長したけどまだまだひよっこやったわな! >>126
おまはん何言うてるねん。和久井君今年で70やで。
まだまだこれからやな。 バブルの頃は和久井親分と空き缶ひろいの凌ぎで
ブイブイ言わしたもんや バブルの頃は和久井はまだチンポの皮も剥けてない小学生やがな 和久井親分の愛娘さんとええ仲なんはここだけの話やで
この前、十三の喫茶店で一緒にみつまめ食べたわ 十七代目緋川一家若中であり、大瀬組を率いる大瀬達仁組長。
その大瀬組長が、間も無く刑務所から出所する。
今回の服役は18年だった。
前回の服役は16年だったので、34年間も塀の中で過ごしたことになる。
16年の刑から娑婆に帰ってきたときは、盛大に放免祝いが行われた。
大瀬組長は、現在緋川一家総長の和久井一朗親分が率いていた和久井会の出身である。
抗争事件による服役だったこともあり、出所後は和久井会の若頭補佐に出世した。
そして和久井親分から「一年ほど、のんびり温泉巡りでもして、刑務所の垢を落としてきたらいい」との言葉をいただいたそうである。
しかし大瀬組長は「長きに渡って留守にし、親孝行をできませんでした。親分のそばで孝行させてください」と言い、和久井親分や組のために仕えたという。
しかし、出所から半年後のある日、和久井会全体に激震が走った。
和久井会本部に銃弾が撃ち込まれたのである。
本部は、組員たちとって聖域であるのは言うまでもない。
和久井親分は、本部に銃弾が撃ち込まれたこと自体より、近隣住民を不安にさせてしまったことを嘆いた。
【続きの購読は無料です】 大瀬組長がその報に接したのは、事件から30分後だという。
単身、相手事務所に乗り込み撃鉄を起こした。
和久井親分が若い者に追わせたが既に事が済んだ後であった。 八尋が復帰するみたいだな。
若手はそっちに行くみたいだ。
割れるか? ここの若い衆が業務スーパーで見切り品のうどんいっぱいこおてはった。
和久井会でも暴対法には勝てんねんなあ。 防犯カメラを見ると、和久井会本部に銃弾を撃ち込んだのは、陽神会の組員だということが判明した。
陽神会は武闘派と呼ばれる組織ではあるが、和久井会と対立などしていない。
なぜこのようなことをしたのか見当もつかないが、和久井会組員の怒りはおさまらなかった。
相手の本部に銃弾を撃ち込む仕返しをした程度では、また和久井会本部に撃ち返されるかもしれない。
つまり近隣住民を再び不安にさせてしまうということだ。
そうでなくても、和久井親分は常日頃から「建物を弾いて何になる」という言葉を残している。
和久井会には、相手の組を壊滅させるという選択しかないのである。
自発的に12名で結成された和久井会による襲撃部隊は、早々に陽神会本部付近のマンションに潜伏。
見届役として、石村武彦若頭補佐が加わっていた。
指揮役は濱田悠一若頭である。
マンションから見える、陽神会本部は静かだった。
本部内に人の気配はあるが、何人ほどいるかは全く不明である。
血気盛んな襲撃部隊の若者は「突撃しましょう」と石村に何度も言った。
しかし、一気にカタをつけないと、跳ねっ返りが再び和久井会本部を襲撃することが考えられ、慎重にならざるを得なかった。
【続きの購読は無料です】 そんなとき、潜伏先のマンションに大瀬がやってきた。
石村は驚いた様子で「大瀬の兄弟は長い懲役から帰ってきたばかりだろ。この件には関わらないで、ゆっくりしてくれ」と言った。
大瀬は「組がこんなときに、ゆっくりなんてしていられない」と返事をした。
結局、その日は夜まで、陽神会本部に人が出入りすることはなかった。
いまだ、本部内に何人ほどいるのか不明なままである。
和久井会の襲撃部隊は、ひとまず仮眠をとることになり、石村は「若い者はみんな仮眠をとってくれ。見張りはオレがする」と言った。
襲撃部隊の若い者が眠りについた後、石村と大瀬は静かに語り合った。
石村が渡世入りしたころ、和久井会の古参組員から聞いた話が、話題の種だった。
和久井親分がまだ若い当時、かつては大組織だった田嶋組と抗争になったそうだ。
和久井会は、人数では圧倒的に不利だったが、何とか五分五分の喧嘩にまで持ち込んでいたという。
しかし、多数の子分が負傷している様子を見て、和久井親分は単独で、しかも丸腰で相手事務所に行ったそうである。
田嶋組の組員たちは敵のトップが急に来たことに驚きはしたが、すぐさま和久井親分を取り囲んだそうだ。
とはいえ、昔のヤクザ、とりわけ組長クラスともなれば、仁義をわきまえていたものである。
田嶋組の田嶋正勝組長は「お前ら、丸腰で来た相手に、手荒なことするな」と自分の配下の者を一喝したという。
【続きの購読は無料です】 しかし、田嶋組の中には、血気盛んな者もいた。
田嶋組で一番の荒くれ者だった近藤智昌組員である。
近藤は、和久井親分に対して銃口を向けたのである。
それでも和久井親分は冷静沈着で、銃口を見つめながら「撃ってみろ。一度銃を向けて、撃つのを取りやめたら、極道として一生の恥だぞ」と言った。
近藤は汗を流しながらも、指は引き金にかかっている。
田嶋組長は「おい、やめろ」と制止したが、近藤は聞く耳を持たない。
それどころか近藤は「今のうちにお前を叩いとかな、オレらのシノギに影響出るんじゃ!」と叫んだ。
和久井親分は鋭く冷たい眼光で近藤を睨みつけ、一瞬のうちに銃を振り払った。
そして田嶋組本部で大いに暴れ回ったのだ。
そこに和久井会の組員たちが到着し、結局、田嶋組の本部は無茶苦茶になっただけでなく、和久井会の追い込みにより、組を解散することになったという。
大瀬はその話を初めて聞き「さすが親分だな。オレもそんな侠気を見せたいもんだ」とつぶやいた。
【続きの購読は無料です】 事の始まりは若い者同士のいざこざだったそうだが、事態を聞いても
陽神会の会長は泰然としていた。
緋川一家全体を敵に回すことは陽神会の存亡にかかわる。それでも
会長は若い者を前にしてこういったそうだ。「わしは最後までお前らの
味方じゃ、たとえ、お前らに非があったとしてもじゃ」 その件では陽神の親方がいの一番に和久井のケツを舐めてたなw 和久井親分は、おでんの具は何が好きですかて聞いたら、一言コロ
そばにおった若いもんが、べんちゃらのつもりか「わしもおでんの具は
コロッケが一番好きです」ゆうとった。 それだけ斯界も穏やかだということだ。
万年修羅場の喜村組も暇らしい。 >>157
喜村の親分も散々暴れてきたんやしそろそろゆっくりしたらええねん若くないんやし >>158
オイオイ、喜村親分はまだ29歳やど!わらかすなボケ。 >>160
薬局やから万年修羅場やねん、
顧客から混ぜ物酷いとクレーム多いんよ。 和久井さんポンやめられないみたいね。みっともない。 取材班は異動で菱番みたいよ。
和久井の記事は価値なしって上が判断したんだって。 十七代目緋川一家が堪え難い悲しみに襲われた。
一家では顧問を務め、薮田組を率いていた薮田政重親分が病いに倒れ、息を引き取ったのである。
葬儀には全国から多数の親分衆が訪れ、それぞれが最後の別れを告げていた。
和久井一朗総長が、真っ直ぐな眼差しで薮田親分の遺影を見つめていたのが何より印象的だった。
和久井総長と薮田親分は、それぞれが渡世入りする前からの付き合いだ。
愚連隊として活動していた両者は敵対関係あり、大きな抗争で鉢合わせたこともある。
薮田親分の背中に残っていた日本刀の切り傷は、和久井総長によるものだ。
和久井総長の腕には残る日本刀の切り傷は、薮田親分によるものだ。
激しい喧嘩をした両者は、後年に再会した際に意気投合し、薮田親分は和久井総長の舎弟になった。
そして薮田親分は薮田組を立ち上げ、渡世を邁進した。
薮田組は300名ほどの組織だが、精鋭ばかりが集まっている。
薮田組の尾山実知雄若頭によると「うちの親分は、若い衆を連れて飲みに行くなどということはなかった」とのことである。
他の組織の親分衆や堅気衆とばかり飲みに行っていたそうだ。
尾山若頭は「嫉妬というか、なんでうちの親分は子分を可愛がってくれないのか」と思っていたそうだ。
しかし、尾山若頭ら子分たちが一人前になって、義理場などに顔を出すようになると、たくさんの親分衆や堅気衆たちが「薮田親分の若い人ですか。薮田親分にはお世話になりました」と言い、かなり良くしてくれたそうだ。
薮田親分は子分たちが渡世で生きやすいよう、至る所に種をまいていたのだ。
尾山若頭は「これほど嬉しかったことはないですね。しつけには厳しい親分でしたが、こういう優しさを知ったとき、涙が出ました」と語っていた。
そんな薮田親分はもうこの世にはいないが、まいた種はあちらこちらで花を咲かせている。
【続きの購読は無料です】 そんな薮田の二代目認めず家屋敷から全部取り上げたみたいだな。
カタギの息子のマンションまで持ってったらしいな。 >>179
薮田残党は二代目和久井会に吸収された。尾山なんか武田にペコペコしてた。変り身早すぎ。 134: 名無番長 2016/01/07(木) 17:32:24.63
京阪電鉄グループのケツ持ちは和久井会なんですか?
136: 名無番長
2016/01/07(木) 17:40:23.55
大昔の会長さんが和久井と小学校のある時期、同級生やった、ちゅう話。それを和久井
が「ワシは京阪グループ仕切っとる!」「ワシの一声で電車もバスも止まる!」言うて若いモンからも失笑されてた。定例会でも「アンタ、そればっかりやな」「(株が)上がりそうやったら教えてなw」皆に笑われてたわ。
139: 名無番長 2016/01/07(木) 21:25:56.32
まあ、実際和久井は宮之阪のスナックで酔いつぶれ交野線とめたことはある。身元引受人が中野会の山下はんやった。
140: 名無番長 2016/01/07(木) 21:50:40.09
>>139
リアル感ある作り話やめろ
141: 名無番長 2016/01/07(木) 22:50:18.13
>>139
交野?笑
142: 名無番長 2016/01/08(金) 01:27:19.83
>>139
和久井いう奴は山下に頭上がらん感じやな…笑 和久井親分、みやもっちをお供に連れてあっちこっちの立ち食い蕎麦屋行くのはええけど、
食うた後に店の新しい割り箸2膳も3膳も持って帰るのは、もう止めた方がええですよ。
店の若い衆とかおばちゃんたちに影で『割り箸コジキ』って呼ばれてますで。
可哀想にみやもっち、菓子折持ってて謝って回ってますわ・・・ 和久井から丸山の当番に入ったヤツ、また飛んだらしいな!笑 和久井の初犯は下着ドロ。ブツは枚方署の道場、床一面に並べられてニュースで放映された 十七代目緋川一家顧問の薮田親分が亡くなられて数日経った。
薮田親分は、晩年は入退院を繰り返しており、緋川一家の定例会には尾山若頭が代理で出席することが多かった。
尾山若頭が初めて総本部での定例会へ行ったのは、一年前の秋だった。
その際、尾山若頭は堂々としていたという。
薮田親分の代理で来ているという気概もあったのだろう。
そんなとき、緋川一家若中で二代目永村組を率いる松川厚志組長が声をかけた。
「ここは身内しかおらん総本部や。気を張ることもないぞ」という言葉だった。
尾山若頭は張り詰めた空気の定例会を想像していたが、まったくそんなことはなかった。
直参たちが和気藹々としている集まりだったのだ。
しばらく、松川組長と尾山若頭は雑談をした。
最後に松川組長は「俺は初めて定例会に来たとき、親分に10本包んで持ってきたんや」という話をした。
つまり、和久井総長に1000万円を上納したそうなのである。
しかし、和久井総長は一度受け取り、すぐさま1000万円を上乗せし、計2000万円を松川組長に渡したのである。
和久井総長は「気持ちは受け取った。そしてこれは永村への見舞金だ。親である永村を大事にな」と松川組長に言った。
永村組の永村初代は体調を崩して引退し、二代目を松川組長に譲ったばかりだったのだ。
松川組長は、和久井総長の器の大きさに感動し、自分の行動が恥ずかしく思えたという。
そんな話をしていたとき、いよいよ大広間に和久井一朗総長が入ってきた。
直参たちは正座し、一斉に挨拶をした。
それは決められた儀式的な挨拶ではなく、尊敬の念から自発的に行った挨拶だと、尾山若頭はすぐに分かった。
そして何と、和久井総長は尾山若頭に向かって「薮田のところの子だな?薮田は元気か?」と声をかけた。
尾山若頭は緊張のあまり「はい!」としか返事ができなかった。
斯界の頂点にいる親分に声をかけられた喜びと共に、緋川一家の一員である誇りを全身で感じた瞬間だった。
【続きの購読は有料です】 色んな意味で「わかってない」のが多いわ、和久井とこは 十七代目緋川一家の頂点に君臨する和久井一朗親分は、誰にも分け隔てなく接する親分である。
それは四次団体、五次団体の末端組員に対しても同じなのだ。
和久井親分の側で仕える部屋住みは、各傘下の若手から選ばれた組員が入る。
その組員はエリート中のエリートかといえば、そうでもないのだ。
当番の直参が自由に選ぶ仕組みとなっており、出来が良い者を選ぶ直参もいれば、出来が悪い者を選ぶ直参もいる。
これについては非常に興味深く、取材をしたことがある。
岡井組の岡井雄大組長は、出来が良い組員を選んだが、これについては「和久井親分に迷惑をかけたくない」という想いからだ。
四代目藤真組の東山優一組長は、あえて出来が悪い組員を選んだが「和久井親分のもとであらゆることを学んでほしかった」という理由からだ。
和久井親分も各々の意図を理解している。
そもそも、和久井親分は身の回りのことは自分自身や姐さんがおこなうので、部屋住みは特に仕事がない。
和久井親分の背中や所作を見て、たくさんのことを学ぶのである。
食事は、和久井親分も含めて、皆が同じものを一緒に食べる。
姐さんがつくる食事で、まさに家族のような時間である。
そんな食事の時間に、アポなしで和久井邸に大物政治家が訪問したことがあったそうだ。
もちろん、和久井親分にとっては部屋住みたちとの時間が大事である。
門前払いしたが、政治家は邸宅の前に運転手付きの車を停め、食事が終わるのを待っていたそうだ。
どうしても和久井親分に頼みたいことがあったのだろう。
それに気づいた部屋住みは、政治家のもとへ行き「こんなところに車を停めたら、近隣の人に迷惑だ」と言い、追い返したそうだ。
元々は出来の悪い部屋住みだったそうだが、和久井親分の生き方に触れるにつれ、人間として成長したのだろう。
緋川一家では、和久井親分の部屋住みを終えた組員は、渡世で堂々と生き、瞬く間に出世するそうである。
【了】 お〜い!取材班!楽しみしてるねんど〜
和久井系右翼についてリクエストしとくな
ま〜取材班が元気やったらええけどな。。。 平成最後の博徒!和久井組長!
マブイスケ抱いとるやろなぁー 喜村組の安室令が直参昇格らしいな。
組織名は和久井の一字をもらって「令和会」だってよ。 和久井の御大には病気も何にもなーい!
皆で歌おうげげのげー 執行部10万、幹部5万、若中3万や
えらい良心的で明朗会計やろ >>225
安いなシノギは各自ちゃんと金になってるのか? 十七代目緋川一家の総本部は、常に開かれている。
近隣の住民が、いつでも相談に来やすいようにである。
もちろん、緋川一家はカタギから相談料など金銭を取るなどしない。
過去には「怪しい業者のセールスがしつこい」といったような相談もあったが、緋川一家がトラブル対応をしているうちに、そのような業者は街から消えた。
それでも、片っ端から電話をかけるオレオレ詐欺集団は緋川一家の近隣と知らず電話をすることもある。
そういった際は緋川一家の若い衆が受け子をおびき寄せ、その上部にいるヤクザの存在を吐かせるのだ。
そしてこれまで詐欺で得た金を、被害者に全額返させる。
その過程で、詐欺集団やヤクザはキツいお灸を据えられるのは言うまでもない。
また時折、緋川一家の近隣で仕事をしたいと挨拶に来る業者もいるという。
「産廃処理の仕事をしたいので、このお金をご挨拶がわりに」と数億円持って来た業者もいたそうだ。
「住民が反対運動をした際は、止めてくださいと、和久井親分にお伝えください」とも依頼して来たという。
総本部の窓口となっていた組員は、緋川一家総本部長で三代目八尋会会長の重松拓海総本部長に相談した。
重松総本部長は「親分に金なんか持って来て、そのうえカタギさんを抑えつけてくれって、そんな失礼な話あるか!」と烈火の如く怒ったという。
当然だが、和久井総長は金で動くような極道ではない。
ましてや、カタギを抑えつけるなど了承するわけがない。
その産廃処理業者の後ろにもヤクザがいることが分かり、重松総本部長は相手事務所まで足を運んで話をしに行った。
普通であれば、緋川一家の総本部長という最高幹部が動くような話ではない。
しかし重松総本部長は、和久井総長の名が低く見られていることが許せなかったのだ。
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もちろん親分には内緒。 >>231
ご無沙汰やな
また、頼むで
元気そうで安心した 相手のヤクザ組織の組長は「産廃処理業者が勝手にしたことで、緋川一家に楯突くつもりは一切ない」の一点張りである。
それで済めばよかったのだが、その組長は「ここまでお越しいただいた足代です」と言い、金を差し出た。
それに対して重松総本部長は怒りを抑え、冷静に「舐めたことをされたら、解散してもらわないといけなくなる」と返事をした。
もちろん、緋川一家全体が動くような案件ではない。
重松総本部長が率いる八尋会も名の通った超武闘派だが、八尋会すら動かそうという気はなかった。
総本部長を任されている責任として、重松総本部長は一人で相手と戦う気だったのだ。
重松総本部長は「ここで解散を決めるか、オレのタマを取るか、どっちにしてもらおうか」と啖呵を切った。
相手の組は40名ほどの所帯で、そのとき事務所には10名ほどいた。
相手組長は「こっちにも背負ってるものがあるんで」と言った。
重松総本部長は間髪入れずに「こっちは緋川の代紋を背負ってる。それに、和久井の名前を舐めたことが、どういうことか分かっているのか?」と返した。
【続きの購読は無料です】 重松総本部長の極道人生は18歳のころからスタートした。
八尋会を率いていた八尋肇会長に憧れ、門を叩いのだ。
根っからの喧嘩好きで、ヤクザになれば自由に喧嘩ができると思っていたのだが、現実はそうではなかった。
八尋会にも様々な規律があり、一般社会よりも断然に厳しいものだった。
それでも武闘派の血が騒ぎ、当時の重松少年は喧嘩に明け暮れていた。
そんなとき、八尋会長が抗争事件の首謀者として逮捕されるという事件が起きた。
この抗争のキッカケは重松少年であり、八尋会長は全く知らないというのが真相である。
しかし当局は、どんどん勢力を伸ばす八尋会に危機感を覚え、八尋会長を拘束したのだ。
八尋会長もジタバタすることなく、それを受け入れた。
結局、長い懲役が確定したのである。
重松少年は責任を感じて途方に暮れていたが、八尋会長は「オレのことは気にするな。ヤクザに懲役は付き物だ」と言った。
八尋会は最高幹部たちがまとめていくことになったが、八尋会長は収監前に、重松少年に対して「お前は、和久井親分のところで面倒を見てもらえ。話はしてある」と指示した。
あまりにも喧嘩ばかりするので、和久井親分に色々と叩き直してもらえという意味であろう。
重松少年は、もちろん和久井親分のことは知っていたが、静かでヤクザらしくない親分というイメージしかなかった。
もちろん、そのヤクザらしさとは重松少年の価値観に過ぎない。
そして和久井親分の近くで修行をするということは、ヤクザにとってとんでもなく名誉だということを、重松少年は知らなかったのである。
【続きの購読は無料です】 俺も15で事務所に出入りして、20歳の時にはそれなりの極道に成った、25の時に懲役8年、35の時に懲役6年くらって今にいたる!
金は億持っているが、なんかねーイマイチなんだよね!俺の人生!子供も二十歳に成るので人生もう一度考えよかな。 和久井親分の生き様を映画化するなら、親分役は渡辺謙さんくらいか。 >>248
チラ見したことあるけど、そんな風貌だったな。 25までキャバレーの呼び込みやってた和久井の兄ちゃんが
ここまでえらなるとはなあ 高山若頭が出所したら六代目より先に和久井の親方へ挨拶へ行くらしいね。
六代目より「そうしてくれ」と言われてるみたいだ。 和久井はん。 横浜のボンクラ山根を、何とかしたってぇな。 今回の急転直下の手打ちについて、和久井の親分が水面下で
動いたことを知る人は少ない 和久井言うたら屁やな、どこまでいったかて、その繰り返しですわ 高山の頭は和久井さんとこに挨拶行ったらしいなお忍びで 先日、十七代目緋川一家の定例会がおこなわれたが、その日はいつもより長い時間おこなわれていた。
我々取材班は総本部の門の前に陣取り、出入りする直参たちの表情を撮影していたが、帰り際の表情はどの直参も引き締まっていたのだ。
取材を重ねると、人事に関する発表があったとのことだった。
若中の1人が若頭補佐に昇格したという人事で、しかもいきなり筆頭若頭補佐だというのだ。
これにはかなり驚いたが、その昇格した人物の名を聞いてさらに驚いた。
喜村組の喜村辰弥組長である。
抗争では常に先頭に立ち、計30年以上服役した超武闘派である。
自身が率いる喜村組も「万年修羅場の喜村組」と呼ばれるほどの武闘派揃いで、約120名の組員のうち約90名が抗争によって現在も服役している。
実績や武勲からしても以前から執行部クラスであったが、喜村組長は執行部入りを辞退しつづけ、筆頭若中というポジションに居た。
執行部に入れば身体を賭けにくくなるという理由である。
では何故、今回、喜村組長は執行部に入ったのだろうかという疑問が出てくる。
我々はさらに取材を重ねると、葛西若頭が主導する強固な組織づくりの一環であることが見えてきた。
超武闘派の喜村組長が執行部入りすることで、緋川一家が好戦的な組織に変わるという安易な話ではない。
万一、葛西若頭が社会不在を余儀なくされたときのことを考え、執行部を強化するということである。
誰もが認める実力者の喜村組長が執行部入りしていなかったのは、言ってみれば喜村組長の都合であった。
しかし、組織全体のことを考えると、緋川一家としては喜村組長が執行部にいることが望ましいという判断である。
【続きの購読は無料です】 葛西若頭が、喜村組長に執行部入りを打診した際は、和久井総長の話にも及んだという。
最終的には、葛西若頭の「親分をもっとしっかり支えるためにも、兄弟の力が必要だ。親分あってのオレらだし、力を貸してくれ」という言葉により、喜村組長は執行部入りを決めたそうである。
そして、葛西若頭と喜村組長は揃って、和久井総長に報告と挨拶をしに行った。
和久井総長は黙ってうなずいた後、喜村組長に「よろしく頼む」と声をかけたという。
続けて「自分の組の若い者も、かなりの人数が懲役に行って、面倒を見るには何かと大変なことも多いだろう。そのあたりのことは、葛西とも相談してくれ」という言葉を口にした。
その言葉を聞き、葛西若頭は「兄弟、これは何かの足しにしてくれ」と言い、現金が入った風呂敷を渡した。
続けて葛西若頭は「兄弟は遠慮するだろうが、親分の前で首を横に振ることはしないでくれよ」と言いながら笑った。
喜村組長は「カシラ、すまないな」と言い、和久井総長に対しては「親分、お気づかいありがとうございます」と言って頭を下げた。
和久井は「お気づかいか。自分のお小づかいにはしないでくれよ」と言った。
場を一気に和ませるも、また和久井総長の気づかいである。
こうして、喜村若頭補佐が正式に誕生したのだ。
翌日、さっそく執行部会がおこなわれ、喜村若頭補佐も参加した。
執行部は、若頭、総本部長、他の若頭補佐によって構成されている。
組織の運営をおこなってはいるが、あくまで直参の代表という位置づけだ。
つまり、他の直参より偉いということはないのである。
これについては、かつて葛西若頭は「他の組では直参が若頭に頭を下げたりするところもありますが、うちはそんなこと絶対ありません。兄弟は兄弟ですから」と言っていた。
その言葉通り、緋川一家の執行部は権力をふりかざすことなく、組全体のことを第一に考えている。
【続きの購読は無料です】 事務所に帰って風呂敷開けたら新聞紙の束が入ってました 総長・和久井一朗
総長代行・明智聡志(明智組組長)
若頭・葛西達哉(葛西会会長)
舎弟頭・中村大輝(三代目真崎組組長)
総本部長・原田旭(三代目服部組組長)
顧問・薮田政重(薮田組組長)
顧問・柳谷紀夫
顧問・奈良崎健二(奈良健組組長)
顧問・秋山義彦
顧問・武田流心(二代目和久井会会長)
若頭補佐・喜村辰弥(喜村組組長)
若頭補佐・谷中保夫(正闘会会長)
若頭補佐・山崎仁(山仁組組長)
若頭補佐・篠崎耕平(二代目八響会会長)
若頭補佐・重松拓海(三代目八尋会会長)
舎弟頭補佐・川城信人(川信会会長)
舎弟頭補佐・吉野哲(三代目山岡組組長)
舎弟頭補佐・大木正親(大木会会長)
以下
舎弟・12名
若中・65名 代貸は前は若頭補佐だったんだよな。舎弟になったのか。 十七代目緋川一家の最高幹部になった喜村若頭補佐だが、1人で行動することも多い。
ボディガードや秘書などを連れて歩くのが嫌いなのである。
つい先日も、遠方の刑務所へ組員の面会に行った帰りに、1人で飲みに行っていた。
喜村若頭補佐にとっては馴染みのない町でも、その町のヤクザからしたら、喜村若頭補佐が町にいたら、ほとんどが驚くのだ。
「緋川の喜村がいる」という噂はすぐに広まり、かなりの緊張が走る。
しかし喜村若頭補佐からしたら、単に飲んでいるだけである。
そのとき、町を仕切る組のA組長が、喜村若頭補佐がいる店を訪れた。
A組長は「失礼します。緋川一家の喜村さんとお見受けします」と挨拶した。
喜村若頭補佐は「それがどうした」と静かに言った。
A組長は一歩退いて「申し訳ありません」と謝罪。
喜村若頭補佐は「なぁ、1人で飲ませてくれ」と言った。
そのとき、A組長に付き添っていた若い衆が「お前、さっきから誰に口をきいてるんだ!」と怒鳴った。
喜村若頭補佐の怖さを知らないのだろう。
A組長は「お、おい」とアセっていた。
しかし喜村若頭補佐は、その若い衆を見つめながら「ヤクザは、これぐらい勢いがないといけないな」と言い、少し笑った。
すると若い衆は、ますますいきり立ち、喜村若頭補佐の側頭部を殴った。
そして「こっちはこの町で代紋を背負ってるんだ。余所者が調子に乗るなよ」と啖呵を切った。
殴られた喜村若頭補佐は、側頭部を押さえながら「いいな、お前」と言うと、若い衆のアゴを思いっきり殴ったのである。
その後も、倒れた若い衆を何度も蹴り、踏みつけ、完膚なきまでに叩きのめした。
A組長は「緋川の喜村」の恐ろしさを目の当たりにし震えていた。
【続きの購読は無料です】 地元の警察に逮捕された喜村若頭補佐の身柄を貰い下げに行ってくれたのは、
かつて二代目難波安組組長であった小林治氏であった。
代紋違いとはいえ、五十年前に七分三分の兄弟杯を交わした和久井総長のため、
引退した身の小林氏が動いたという情報が斯界に流れたとき、驚きと感動を
覚えない極道はいなかった。
しかも小林氏は兄、和久井総長は弟分であったのだ。
小林氏の顔を見た瞬間、さすがの喜村若頭補佐も真っ青になった。
だが小林氏は、「弟分の子ちゅうことは、ワシにとっては甥っ子やろ?
伯父が甥の面倒見るのは当たり前。いまのワシは堅気やから、警察の
面子も守れる。これならみな丸く収まる。」と笑い、軽く手を振って
警察署の前に待たせてあった黒塗りの高級車に乗り込んだ。
喜村若頭補佐が遠ざかる小林氏を乗せた車に向かって深々と頭を下げ、
大きな声で「オギャッス!」と叫んだことは言うまでも無い。 喜村若頭補佐は大きく深呼吸をしてから葛西若頭に電話をかけた。
話を聞いた葛西若頭もしばらくうなっているだけであったが、「よし、わかった。
まずは親分に報告して指示を仰ごう。それまで絶対に 勝手な真似はするなよ、兄弟。」
と釘を刺した。
10分後、和久井総長から喜村若頭補佐の携帯電話に電話がかかってきた。
「すぐに出てくることができて良かった。小林の兄貴に助けてもらったそうだな。」と
いつもと変わらぬ暖かい和久井総長の声を聞いた途端、喜村若頭補佐の目から大粒の涙が
したたり落ちてきた。
「筆頭若頭補佐が泣いちゃ格好がつかんだろう?」
なにもかもお見通しである。
「親分・・・・・・。私はどうすれば・・・・・・。」
「喜村。小林の兄貴はいまはカタギなんだ。指だの金だのを持って行けば、兄貴に
ご迷惑がかかる。お前は心の中で『伯父貴、ありがとうございました。』と唱えて
おけばいい。あとは明日の朝、本部で話す。7時までに来てくれ。」
そう言って和久井総長は電話を切った。
翌日午前10時、菓子折を持った和久井総長と喜村若頭補佐が小林氏の隠棲先を訪れた。
車ではなく、敢えて電車とタクシーを乗り継ぎ、しかもそのタクシーも200メートル以上
離れたところで降りてきた歩いてきた弟分の気配りに、小林氏は目を細めた。
「兄貴、うちの若い者がお世話になりました。助かりました。」と喜村若頭補佐と共に頭を下げた
和久井総長に「兄弟が高い車で来てたら逢わんとこうと思とったんやけどな。」と小林氏は笑った。
以心伝心、和久井総長の来訪を予想していた小林夫妻によって食事の用意がされていた。
「やれやれやなぁ。ここまで遠かったやろ、お疲れさん。何にもないけど、いい?」
小林夫人心づくしの手料理がテーブルの上に並ぶ。
「伯父貴ばかりか姐さんにまでお手数おかけして、申し訳ございません。」と頭を下げた
喜村若頭補佐の頭を小林夫人の温かい手がそっと撫でた。
「痛いの痛いの飛んでいけ〜♪ さぁ喜村君、遠慮せんとしっかり食べるんやで!」
小林夫人の明るい声に泣き笑いする喜村若頭補佐の姿を、小林氏と和久井総長が優しく見守っている。 今でこそ斯界で押しも押されぬ立場にある和久井総長であるが、和久井総長とて生身の人間である。
これまでの人生で頭を打ったことが皆無であったという訳ではない。
ただ、その頭を打ったことを決して無駄にすることなく精進を続けてきたことが、今につながっているのだ。
たとえば、斯界のしかるべき立場にいる者であれば、知らぬ者はいないとされているもののひとつが、
俗に 『和久井タイム』と呼ばれている徹底的な時間厳守である。
これは、五十年前、小林氏と七分三分の兄弟盃を交わした数ヶ月後、和久井総長は小林氏と京都の料亭で
会食することになったときに得た教訓である。
「兄貴を待たせるようなことがあってはならない」と思った和久井総長は、指定された時間の十五分前に
現地に到着し、離れの小座敷に通された。
だが、小林氏は既に到着していた。
「兄貴、お待たせしてしまい、申し訳ございません! いつお見えになったんですか?」
すると、平身低頭して謝罪する和久井総長に向かって小林氏は穏やかな口調でこう述べたのだ。
「三十分前や。そやけど別に気にせんでええで、兄弟。兄貴が遅刻したら、弟に示しがつかんからな。」
そして、それ以来、和久井総長は相手がたとえ目下の者であっても、最低三十分前には現地に到着することを
実践し続けた。 もちろん、このことを口に出すような和久井総長ではない。
だが、和久井総長の真摯な姿勢は敢えて口に出さなくとも、周りの人間たちに伝わっていくものである。
和久井総長が約束した時間の最低三十分前にくるのであれば、弟分である舎弟たちは、「兄貴を待たせるような
無様なことあってはならない」と、誰が言うとも無くその三十分前である一時間前には到着するようになった。
一時間前に到着するように出発すれば、現地の状況を把握して警戒することも、周辺住民への配慮や部下への
指示にも余裕ができるし、万が一、渋滞等に巻き込まれたときにも、恥をかかずに済む。
すると、執行部の者たちは「親分はもちろん、叔父貴たちをお待たせするのは失礼だ」とさらにその三十分前、
つまり指定された時間の一時間三十分前までには現地に到着するようになった。 そして、執行部の面々が一時間半前に来ている以上、
平若中がそれより遅くきたのでは格好がつかない。
別段、申し合わせることもなく、平若中はその三十分前である二時間前には現地に来るようになった。
もちろん、このことを口に出すような和久井総長ではない。
だが、和久井総長の真摯な姿勢は敢えて口に出さなくとも、周りの人間たちに伝わっていくものである。
和久井総長が約束した時間の最低三十分前にくるのであれば、弟分である舎弟たちは、「兄貴を待たせるような
無様なことあってはならない」と、誰が言うとも無くその三十分前である一時間前には到着するようになった。
一時間前に到着するように出発すれば、現地の状況を把握して警戒することも、周辺住民への配慮や部下への
指示にも余裕ができるし、万が一、渋滞等に巻き込まれたときにも、恥をかかずに済む。
すると、執行部の者たちは「親分はもちろん、叔父貴たちをお待たせするのは失礼だ」とさらにその三十分前、
つまり指定された時間の一時間三十分前までには現地に到着するようになった。 そして、執行部の面々が一時間半前に来ている以上、
平若中がそれより遅くきたのでは格好がつかない。
別段、申し合わせることもなく、平若中はその三十分前である二時間前には現地に来るようになった。 その意味では「七時に本部に来てくれ」と言われた喜村若頭補佐は一時間半前の午前五時半までに本部に着けばいいのだろうが、
執行部入りした喜村若頭補佐はそう考えず、これまで通り二時間前到着の習慣を変えることなく、その日も午前五時までに本部に出頭した。
すると、喜村若頭補佐の心を見透かしたかように、和久井総長が午前五時きっかりに事務所入りした。
「親分、おはようございます!(なぜ、こんな早く?)」
「おはよう。喜村、飯は食ってきたか?(何も言わんでも、お前の心はわかっている!)」
「いえ、昨日、小林の伯父貴のお顔を見てから、胃が食い物を受け付けません。」と喜村若頭補佐は頭をかいた。
「そうだろうな。そう思って握り飯とコーヒーを持ってきた。腹ぺこで兄貴のところに行って腹の虫が泣くのも格好が悪い。
二人でこれを食おう。お前の好きな梅干と鮭を持ってきた。実は俺も朝飯がまだなんだ。お前が食ってくれんと、ワシも困る。」
と和久井総長は満面の笑みを浮かべた。
「はい! 頂きます!(親分は、ここまで俺のことを考えていて下さったのか!?)」
四方山話を交えつつ朝食を済ませた二人が、ボディガードも秘書も連れることなく本部を出たのは午前五時四十五分であった。 近年、ますますヤクザが生きづらい時代になってきた。
仕方なしに堅気になる者も多いのが実情だ。
しかしヤクザから足を洗う者の中には、大きな志を持って堅気になる者もいる。
かつて和久井一朗総長の舎弟だった、藍澤春樹氏もその一人だ。
引退して、もう30年以上になる。
しかし1ヶ月ほど前、藍澤氏は病に倒れ、入院したというウワサが飛び交っていた。
そのウワサは本当だったそうだが、回復に向かっており、我々取材班は幸運なことに藍澤氏にお話を聞くことができた。
病に倒れたとき、真っ先に見舞いへ訪れたのは、和久井親分だったという。
秘書などを連れず、一人での見舞いだったそうだ。
藍澤氏は驚きながらも「兄貴、オレの死に顔でも見にきたのか」と冗談を言った。
和久井親分は「そんなことを言ってるうちは、まだまだ大丈夫だな」と笑いながら返したという。
二人の間には数え切れないエピソードがある。
若いころから苦労を共にし、ヤクザの道を走り続けてきた。
笑い話もあれば、抗争で命を落とした仲間の思い出話も多い。
藍澤氏は「もうオレは堅気だから、斬った斬られたとは無縁だが、兄貴は今でもその世界の中にいるのは凄いな」と言った。
和久井親分は「若い者が頑張ってくれてるから、今は守られてるようなもんだ。ありがたいことだが、ヤクザとしての本分を忘れないようにしないとな」と言った。
藍澤氏は「兄貴は今でも、日本刀を片手にどこかにカチコミでも行くような顔をしてるよ。それは昔から変わってない」と言った。
和久井親分は、静かに微笑んだ。
【続きの購読は無料です】 藍澤氏は和久井親分より3つ年下である。
和久井親分が自らの組である和久井会を立ち上げたばかりのときからの舎弟だ。
ある日、和久井会とN組の間でトラブルが起こった。
当時20人ほどだった和久井会に対し、N組は100人近い組員がおり、武器も豊富な組織だ。
和久井親分は組員全員を家に集め「小競り合いばかりしてても、警察に目をつけられて逮捕者が増えるだけだ。ここは一気に、自分一人で正面切ってやろうと思う」と言った。
舎弟の道井康介は「兄貴、そんな水臭いこと言うなよ。オレも一緒に行く」と言った。
そのとき、藍澤氏は「兄貴は残ってくれ。兄貴にもしものことがあったら、組が潰れてしまう」と提案。
それでも和久井親分は「いや、行かせてくれ」と言った。
行くと決めたら誰の言うことも聞かないのが和久井親分だ。
その行き腰に惚れ込んで、藍澤氏も舎弟になった。
なので藍澤氏は「兄貴、分かった。だがオレだけは連れて行ってくれ」と言いながら、引き出しの中から2丁の拳銃を取り出した。
和久井親分は「わかった」と返事をし、続けて全員に「相手は一気に、ここを攻めてくるかもしれないから、みんなはここで待機しておいてくれ」と言った。
組員たちは「分かりました」と返事をした。
そのとき、玄関に近所の婦人たちがやって来た。
「皆さんがここに入って来られるのを見ましたから」と言い、おにぎりをたくさん持って来てくれたのだ。
若い組員たちは「おお、嬉しいねぇ、腹減ってたんだ」と歓喜した。
和久井親分「おい、お礼が先だろ」と注意し、婦人たちに「いつもありがとうございます」と頭を下げた。
婦人たちは「こっちこそ、いつも町を守ってくださりありがとうございます」と頭を下げた。
組員の1人は「腹一杯にして、鬼退治だ。おにぎりを食べて、鬼斬りだ」と言った。
皆は一斉に笑い、和久井親分も微笑んだ。
【続きの購読は無料です】 >>288
失礼なこと言うたらあかん!
緋川一家のみなさんは真っ当なシノギせんとあかんからって、前の丸山組のころから
毎日一生懸命アルミ缶拾って回ってはりますがな!?
プルタブまできちんと拾ってってくれるのって、緋川組のみなさんぐらいやで!
そんなことも知らんあんた、潜りやな? おるわ
こいつら河原にトタンで小屋みたいなん建てて
兄貴やおじきや言うて酒盛りしとるわ 和久井の親分、丸出しのちんこ触りながら歩くのやめてください。
小学生の子供たちが真似して難儀しとるんです! >>291
天野川の掘っ立て小屋の連中って和久井さんたちだったの?
夏は天野川の水で水浴びしてるからまだいいけど、寒くなると水浴びもしないので臭くて困る。 乾杯の後、「それにしても伯父貴、どうして私がやらかしたことがすぐお耳に?」
一晩中疑問に思っていた謎を喜村若頭補佐が小林氏に問いかけた。
すると、「ああ、それか。」小林氏がイタズラ小僧のような微笑みを浮かべた。
「喜村君、君、昨日の昼過ぎ、【久保】ちゅう昼間っから営業しとる居酒屋で、鯵のたたきとタコぶつを
アテにしてビール飲んでたやろ?わしはみんなお見通しやで。」と畳みかける。
喜村若頭補佐はもちろんのこと、さすがの和久井総長も唖然として、何も言えない。
「兄貴!?」
「伯父貴!?」
ほぼ同時に二人が口を開くのを待っていたかのように、小林夫人が笑いながら種明かしをする。
「実は、私らも奥の座敷でお昼食べてたのよ。」
この小林夫人の言葉に、思わず和久井総長と喜村若頭補佐も噴き出してしまう。
「実はあの店の大将、昔、うちに居た子なんよ。あんまり料理が上手やったから、うちの人が
こんこんと言い聞かせて足洗わせて、知り合いの店に頼み込んで修行させてもらったの。
でね、何軒か修行させてもろて、どこの店でも及第点もらえるようになったら、いきなり長距離
トラックの運転手に転職してお金貯めて、で、いまのお店を出したの。」とまるで自分の子供の
自慢をするように嬉しそうに語る。
「最近A組の連中、久保の店に目つけだしたんやけどな、喜村君にバチっとシバかれとるからもう
来れんやろ。ちなみに昨日の車は久保の車で、運転手も久保の店の若い衆や。」
小林も目を細くして後を続ける。
「なるほど。」と、ようやく納得した喜村若頭補佐に小林夫人が料理を勧める。
「この厚焼き卵、芝海老と車海老と鯛を摺り下ろして、金網で2回濾して、出汁で延ばした自然薯混ぜて
焼き上げたんよ。私はもうちょっと塩を効かせたかったんやけど、うちの人が、『これ以上喜村君の血圧
上げたらあかん!」言うて、ちょっと甘めに仕上げてみたのよ。温いうちに食べて!」
「とりあえず喜村君。主賓の君が箸をつけてくれんと、わしらお預けや。」
あくまでもさりげない小林夫妻の気遣いに和久井総長は心の中で手を合わせ、そして厚焼き卵を口に入れた
喜村若頭補佐があまりの旨さに叫び声を上げてしまう。
「姐さんの卵焼きは日本一や!」 十七代目緋川一家の和久井一朗総長は、生粋の博徒として生きてきた。
数々の鉄火場を渡り歩いていた時期には、それぞれの土地の親分たちと会い、学んだことも多々あったという。
中でも有名なのは、國山一家の國山貞雄親分とのエピソードだろう。
和久井総長がまだ20代のころの話である。
和久井総長は修行旅の途中、國山一家の鉄火場に足を踏み入れた。
國山一家の鉄火場は天井なしと言われており、博徒以外にも金持ちの旦那衆で賑わっていた。
和久井総長は旅の身でもあり、多くの種銭は持っていなかったどころか、その晩の宿賃もないほどだったのだ。
國山一家の鉄火場では丁半博打がおこなわれていたが、和久井総長はしばらく様子を見ていた。
噂通りの天井なしであり、皆が大金を賭けている。
すると壺振りが「客人、張らないなら出て行ってもらえませんか」と和久井総長に言った。
若かった和久井総長は頭に血が上り「何?この盆は、そんなことでケチをつける盆か?」と大声で返した。
壺振りは「見せ物じゃねえんだ。他にお客さんもいるし、あんたみたいな張らない貧乏人は邪魔なんだよ」と言った。
和久井総長は「金の大小で客を選ぶようじゃ、この盆もたいしたことないな」と言いながら立ち上がり、懐から短刀を出した。
そのとき、奥の部屋から國山親分が出てきて「お客さんの言う通りだ」と言った。
そして和久井総長に対して「うちの壺振りが、えらいすまんかったな。しかしお客さん、こんな場で物騒な物を出さんといてや」と言い、いくらかの金を差し出した。
和久井総長は「金が欲しくて声をあげた訳ではありません」と言い、再び壺振りのほうを見た。
壺振りは和久井総長をにらんでいた。
すると國山親分は「それじゃあ、口張りで勝負はどうや?賭場での揉め事は賭場でおさめてもらわんと」と言った。
和久井総長は「わかりました」と言い、腰を下ろした。
【続きの購読は無料です】 壺振りは壺皿を手にし、サイコロを入れた。
和久井総長と壺振りの、サシの勝負である。
そして壺皿が伏せられた。
普通なら掛け声があるが、壺振りは一連の流れを静かにおこなっている。
和久井総長は「半に100万」と言った。
もちろん、そんな金を持っているわけではない。
もし負けた場合、すぐに返せる額でもなく、自分の身がどうなるかも分からない。
壺振りは、静かに壺皿を上げた。
サイコロは5と4で、グシの半である。
和久井総長は何も言わず、サイコロを見つめていた。
壺振りは下を向いてうなだれている。
和久井総長は立ち上がり、國山親分に向かって頭を下げた。
國山親分は「今、若い者が金を準備してるから、ちょっと待ってや」と言ったが、和久井総長は金の受け取りそれを断った。
國山親分は「失礼な言い方やけど、あんたは、もし負けたらとても返せない額を賭けた。命を賭けたような勝負や。その見返りぐらい受けてもええのんと違うか」と言った。
和久井総長は「大金を受け取ったのでは、この先、修行になりません」と返した。
続けて「他のお客さんにも迷惑をかけました。詫びとして、金は皆さんで分けてください」と言った。
國山親分は「若いのに、ええ器量や。うちの組に欲しいぐらいやが、こんなところに収まる極道でもないやろな」と言った。
そのとき、喧嘩をふっかけた上に勝負に負けて恥をかかされた壺振りが包丁を取り出し、和久井総長を斬りつけようとした。
和久井総長は身をかわしたが、肩口を斬られた。
すぐさま國山一家の若頭が飛んできて「このボケ!盆で何しとるんじゃ!」と叫びながら、包丁を取り上げた。
和久井総長は幸いにも浅い傷で済んだが、若頭は膝をついて「客人、本当にすみません」と頭を下げた。
【続きの購読は無料です】 和久井総長は「いや、大丈夫です」と言ったが、肩から出血している。
若頭は「手当てをしますから、どうぞこちらへ」と言い、奥の部屋へと案内した。
案内された部屋は、何もない和室だった。
若頭は「ここでお待ちください」と言って退室したが、しばらくすると若い女が入ってきた。
女は「手当てをしますので、肩を見せてください」と言った。
そして女は傷口を消毒し、器用な手先で包帯を巻いた。
その後、女は部屋から出ていくのかと思いきや、いきなり服を脱ぎ始めた。
和久井総長は「何をしているんだ?」と言ったが、女は「おもてなしするよう言われております」と返した。
女はすでに上半身裸になっており、胸があらわになっている。
かなりの美人で胸はそれほど大きくなかったが、桃色の乳頭が卑猥だった。
和久井総長は「服を着てくれ」と言ったが、女は下も脱ぎ始めている。
女の濃い目の陰毛が見え始めたとき、和久井総長は立ち上がって退室しようとした。
女は「お客さん、私じゃダメですか?」と言った。
据え膳食わぬは男の恥という言葉もあるが、それでも和久井総長は受け入れなかった。
【続きの購読は有料です】 藍澤なあ
現実は人が全く寄ってこんかったんやなあ
寂しいなあ
引退してしばらく音沙汰なしやったなあ
最後は寝屋川駅で女の子のパンツのぞいて逮捕やもんなあ
かっこ悪いなあ 実際の現役のヤクザで、「和久井親分みたいな
侠になりたい」と、 実際の現役のヤクザで、「和久井親分みたいな
侠になりたい」と、日夜研磨している人とか
いるのかな? >>305
たくさんいると思うけど恐れ多くて言えないだろ。
「和久井一門の盃をもらっておけば」って後悔しているだろうね。 >>299
和久井はインポです。
況してや、傷を負ってる身体で目の覚めるような美女とはいえ、肝心の逸物が言うことを聞く道理があろうはずがない。
ここは1000人の若い衆を束ねる長として面子を保つしかない。 2019年の年末、十七代目緋川一家で大きな人事があった。
和久井会の代替わりである。
三代目和久井会となり、如月道春若頭が会長になることになったのだ。
二代目会長だった武田流心氏は、緋川一家では顧問の座にあるが、今後は一人親方となり、緋川一家の顧問は引き続き務めるという。
和久井会といえば、緋川一家の和久井一朗総長が立ち上げた組織なのは言うまでもない。
武田顧問は若いころから和久井総長の舎弟であり、抗争で長い懲役に何度も行った猛者だ。
そして如月新会長は、まだ40代の若さでありながら、和久井総長や武田顧問からヤクザのイロハを学んだ新進気鋭の頭領である。
この代替わりの話は、病院でおこなわれたという。
武田顧問は、重い病で入院中なのである。
和久井総長が病室に入ると、武田顧問はベッドから起き上がる素振りを見せた。
和久井総長は「タケ、寝たままでいい」と言った。
武田顧問は「アニキ、わざわざ悪いな。こんな寒い日に」と言い、笑顔を見せた。
緋川一家、そして斯界の頂点の君臨する和久井総長に対し、ここまで親しく話せるのも武田顧問ぐらいだろう。
和久井総長は「気にするな。それで、身体のほうはどうだ?」と尋ねた。
武田顧問は「ラクにはなってきたが、まだまだみたいだよ。オレも歳だ」と言った。
和久井総長は「組のことは心配しないで、早く治してくれよ」と言った。
武田顧問は「ああ、如月はよくやってくれてるよ。アニキが残してくれたものも大きいし、オレはラクをさせてもらってる」と言った。
和久井総長は「そろそろ、川浪と植田も出所だな」と言った。
和久井総長は、緋川一家傘下の抗争服役中の組員のことは全て細かに把握しているのだ。
【続きの購読は無料です】 武田顧問は「川浪と植田は、出てきたら当分は休んでもらうつもりだ。長い間、よく頑張ってくれた」と言った。
和久井総長は、静かにうなずいた。
川浪組員と植田組員は、武田顧問の昔からの若い衆である。
和久井会が他組織と抗争になったとき、真っ先に相手トップを襲撃した2人なのだ。
そして武田顧問は「なぁ、アニキ。オレもそろそろ身を引いて、如月に組を任せようと思ってるんだ。川浪と植田も組を盛り立ててくれるだろうしな」と言った。
和久井総長は「身体が辛いのか?」と尋ねた。
武田顧問は「そんなことはないと言えば嘘になるが、オレはもう組のために身体を賭けるような大仕事はできないかもしれない」と言った。
和久井総長は「タケ、今まで本当によく頑張ってくれた。代替わりについては、オレからは何も言わない」と言った。
和久井一朗という稀代の極道から看板を譲り受けるのは、並大抵の器量ではできない。
大所帯の和久井会を率いるという立場は、常人には計り知れない苦労もあっただろう。
しかし武田顧問は、持ち前の度胸や和久井イズムをもって、その重責をまっとうした。
その看板は、次は如月若頭に託されようとしている。
如月若頭も和久井総長にあこがれ、極道としての生き方を学んだ。
若い力で必ずや大成してくれると武田顧問は確信したのである。
そして武田顧問は「如月のためにも、代目継承の盃事はやりたいんだ。そのためにも一日だけ病院から出してもらうことにするよ」と言った。
和久井総長は「そうか」と返事をした。
続けて武田顧問は「オレはこれからも、アニキの舎弟でいさせてくれるか?」と尋ねた。
和久井総長は「当たり前だ。組を譲っても、ヤクザを辞めることはない。緋川にはそのまま残ってくれないと困る」と言った。
武田顧問は「ありがとうな、アニキ」と言った。
【続きの購読は無料です】 そして数日後、和久井会館の大広間で盃事がおこなわれた。
後見人は緋川一家和久井一朗総長、取持人は葛西達哉若頭、媒酌人は秋山義彦顧問である。
秋山顧問の流れるような手さばきにより、盃がつくり込まれていく。
武田顧問は、あらゆる想いを馳せながら真っ直ぐを見つめていた。
和久井会を継承する如月道春氏も、同じく真っ直ぐを見つめている。
つくり込まれた盃が、いよいよ如月氏の前に置かれた。
そして秋山顧問の口上に促され、如月氏は盃を飲み干した。
その後、秋山顧問は席替わりを促した。
武田顧問と如月氏の席が替わると、秋山顧問は「ご披露申し上げます。席が替われば、当代です」と声をあげた。
その瞬間、会場は大きな拍手が起こった。
如月新会長の誕生である。
続いて、三代目和久井会の兄舎弟盃と親子盃がおこなわれた。
和久井会直参となったのは、舎弟が12名、子が76名である。
すべての儀式が終了すると、祝宴が開かれた。
武田顧問が挨拶に立つと、涙を流す直参もいた。
それを見た武田顧問は「昔の和久井会といえば、かなりの貧乏世帯で、大根の葉っぱを食っていたほどです。そのおかげで、今では大きな根を張ることができたので、皆もどんどん大根の葉を食ってください」という話で会場をなごませた。
如月会長は「武田親分に憧れてこの世界に入り、最初は付いていくだけで精一杯でした。そして幸いなことに和久井親分にも目をかけていただき、今日から大きな看板を背負うことになりました」という内容の挨拶をした。
また緋川一家を代表し、葛西若頭も挨拶に立った。
「如月新会長は、和久井親分が和久井会を率いていたころから若頭という重責を担っていました。つまり和久井親分の魂に側で触れていた極道です。緋川一家内でもすぐに頭角をあらわすのは間違いないと確信しています」と挨拶した。
祝宴が終わると、和久井総長と武田顧問、如月会長、そして和久井会の一行は、和久井会碑へと向かった。
これまでに亡くなった和久井会組員に、代替わりの報告をしに行ったのである。
和久井総長は目を閉じて、静かに手を合わせた。
武田顧問は、会碑に刻まれた名前を見つめていた。
【続きの購読は無料です】 和久井会の歴史は、抗争の歴史だった。
武田顧問は「アニキもオレも、運良く生き延びてるだけ」と語ったこともあるほどだ。
和久井総長も、抗争の最前線に自ら立つトップだった。
2人がまだ40代だったころ、当時の和久井会は和久井会長、武田舎弟頭という体制だった。
喧嘩で名を売った和久井会には入門希望者がひっきりなしに訪れていた。
和久井会長は必要以上に組を大きくするという野望はなかったが「男を磨きたい」と言って門を叩く若者たちを断る理由もなかった。
そんな若者たちの中に「ロク」と呼ばれる男がいた。
澤野吉六という男で、ヤクザらしくない普通の風貌だった。
ロクは、和久井会の若中だった熊井秀司が率いていた熊井組に入門し、事務所の仕事などを誰よりもキッチリとこなし、和久井会の面々からも可愛がられていた。
熊井組の賭場では下足番をしていたが、客人からの評判もかなり良かったのである。
あるとき、熊井はロクを武田舎弟頭に紹介した。
熊井は「今度こいつに、正式に盃をおろそうと思ってます」と言った。
武田舎弟頭は「そうか。お前の組も、しっかりしてきたな」と言った。
ロクは、緊張した面持ちで話を聞いていた。
熊井は「こいつ、人見知りするところがあるんです」と言った。
武田舎弟頭は「なるほど。緊張することなんかないし、気楽にやってくれ」と言った。
しかし、武田舎弟頭は、ロクの異様な眼の光を、見逃してはいなかった。
【続きの購読は無料です】 武田舎弟頭は「そういえば、そろそろ和久井のアニキも帰ってくるころだ」と言った。
熊井は「本当ですか?ロク、和久井親分にお会いできるぞ」と言った。
ロクは、さらに緊張した表情になった。
3人がいるのは和久井会本部だが、その日、和久井会長は義理に出ており、もうしばらくすると帰ってくる予定だった。
武田舎弟頭は「その前に、悪いけどタバコ買ってきてくれないか?」とロクに言い、金を渡した。
ロクは「は、はい」と言い、タバコを買いに出かけた。
武田舎弟頭は「あいつ、お前のところに来て、どれぐらいだ?」と熊井に尋ねた。
熊井は「一ヶ月ぐらいです。賭場の下足番を任せてますが、一回で完璧にお客全員の顔と靴を覚えるし、優秀です」と言った。
武田舎弟頭は「そうか、一ヶ月か」と言った。
そのとき、ロクがタバコを買って帰ってきた。
汗をかいているのを見た熊井は「お前、走って行ったのか?」と聞いた。
ロクは「いえ、あっ、はい」と返事をした。
そしてロクは、釣り銭を武田舎弟頭に返した。
武田舎弟頭は「いや、釣りなんかいらないよ」と言ったものの、ロクは遠慮した。
武田舎弟頭は「いいから取っておけ」と言い、ロクのジャケットの内ポケットに手を入れ、金を入れた。
その瞬間、武田舎弟頭とロクの動きが止まった。
武田舎弟頭は、ロクの内ポケットに手を入れたままだ。
そして武田舎弟頭は「こんな物騒なもん持って、どうするつもりだ?」と尋ねた。
ロクは武田舎弟頭の手を払おうとした。
武田舎弟頭は「おい、動くな。オレの指は引き金に掛かってる。銃口はお前のほうを向いてるぞ」と言った。
そして「お前、誰に言われてこんな真似をしてるんだ?」と尋ねた。
ロクは黙ったままだった。
ちょうどそのとき、和久井会長が本部に帰ってきた。
すぐに緊張感に満ちた雰囲気を察知したが、冷静である。
武田舎弟頭はロクの内ポケットに手を入れたまま「アニキ、離れててくれ。こいつ、チャカを持ってやがったんだ」と言った。
和久井会長はロクの顔を見て「藤城の若い衆だな?」と言った。
【続きの購読は無料です】 藤城一家と和久井会は、かつて抗争をしていた。
最終的には、和久井会長らが藤城一家に乗り込み、藤城総長らは降伏。
一家は解散するハメになった。
武田舎弟頭は「なるほど、藤城の若い衆だった奴が、仕返しに来たということか」と言った。
ロクは和久井会に紛れ込み、仕返しの機会を狙っていたのである。
その標的は、おそらく和久井会長だったのだろう。
ロクは「全部めくれたら仕方ない。ここで弾くなり好きにしろ」と言った。
和久井会長は、ロクに「目を閉じろ」と言った。
その瞬間、武田舎弟頭はロクの内ポケットから拳銃を取り出した。
ロクは、いよいよ観念したという表情である。
しかし和久井会長は「黙って聞けよ。今日は帰っていい。帰って、まだオレのことが憎いなら、また明日にでもタマを取りに来い」と言った。
ロクは驚いた表情を見せながら、逃げるようにその場をあとにした。
武田舎弟頭は「それでいいのか?アニキ」と言った。
和久井会長は「向こうは一応カタギだ。うちの事務所で、カタギを囲んで手を出したら、世間から笑われるのはこっちだろう」と言った。
武田舎弟頭は「だけど、逃がしたら明日仲間連れてアニキのタマ取りに来るかもしれないぜ」と言った。
和久井会長は「もしそうなれば、そのときは返しをしたらいいことだ」と言った。
熊井は申し訳なさそうに膝をついて「親分、代貸。オレは何も気づかずにあんな奴を拾い、親分を危ない目にあわせてしまい、申し訳ありません」と謝罪した。
和久井会長は「謝ることなんかない。誰であれ、情をかけて面倒見てやってたから、あの若い子も躊躇してたんだろう」と言った。
そして和久井会長は続けて「一家が解散してヤクザを辞めたのに仕返しに来るなんて、立派な男だな」と言った。
武田舎弟頭は、和久井会長の器量に改めて感服した。
【続きの購読は無料です】 翌日、熊井が熊井組の事務所に行くと、そこにロクの姿があった。
熊井は驚き「何をしてるんだ?」と言った。
ロクは「親分、すみませんでした。今から指の一本二本を詰めて、和久井会長に謝りに行きたいです」と言った。
熊井は「馬鹿野郎、オレはお前の親分になったつもりはないし、お前はカタギだ。カタギに指詰めさせたら、笑われるのはこっちだ」と言った。
熊井は、自分の言った言葉が、昨日和久井会長が言った言葉と似ていると感じた。
和久井イズムは確実に浸透しているのだろう。
ロクは「ゼロから、ここで修行させてください」と熊井に頼んだ。
熊井は「お前が本気なら、面倒を見てやる。二度と間違ったことはするなよ」と言った。
ロクは涙を流しながら、熊井に感謝した。
その熊井は現在、三代目和久井会の顧問に名を連ねている。
数多くの若い衆たちが熊井の器量に惚れ、熊井組自体も大所帯となった。
如月会長からの信頼も厚い。
ロクは熊井組内で六誠組という組を立ち上げ、後に和久井会直参にまで上り詰めたが、今から10年ほど前に抗争で命を落とした。
晩年は和久井会長の秘書役も務めており、和久井会長からも可愛がられていた。
しかし、抗争が起こると真っ先に相手組織の事務所に乗り込み、その際に負った傷が原因で命は燃え尽きた。
このロクの行動がキッカケで、相手組織は恐れをなし、組は解散して抗争は終結した。
六誠組は現在、ロクの子分だった坂田輝晃が組長となり、二代目六誠組として三代目和久井会の直系組織に名を連ねている。
【了】 ロクさんのダンプ特攻は、そりゃもう見事なものでしたよ。
特に、鍵をかけたままにしてある管理の緩いダンプを見つけることにかけては、
斯界一、いえ世界一でしたね。
しかも潰すのは、組事務所の郵便ポストだけ。
毎回大金使って腕のいい弁護士の先生立てて、ダンプのオーナーと抗争相手に、
手書謝罪文と賠償金払うことで判事さんの心象良くするから、毎回執行猶予付き。
あの職人芸が見れなくなって、もう十年以上経つんですなぁ・・・・・・ 和久田親分の生涯を、Vシネマで
映像化してほしい。
ただ小沢仁志さんではイメージは
合わないかな? 和久井の自伝映画なら主演は出川か上島しかないだろ 体型もキャラも似すぎてるしな 和久井の親分に1番似てるのはふなっしーやな、けどこれは本人の前では禁句やで
本人の前でふなっしーの話題をした最高幹部がそれ以降、組の集まりでふなっしーの被り物を着せられて参加してたのは黒歴史や 和久井の親分に1番似てるのはふなっしーやな、けどこれは本人の前では禁句やで
本人の前でふなっしーの話題をした最高幹部がそれ以降、組の集まりでふなっしーの被り物を着せられて参加してたのは黒歴史や 山健組長中田親分が自らチャカ持って走る
この行動を和久井会風に語って欲しいわ 十七代目緋川一家 奈良健組 羽山会の芳沢弘毅組員は、和久井一朗総長の本宅に詰めている部屋住みだった。
和久井総長は部屋住みたちと同じ食事をし、空いている時間は部屋住みたちの話を聞いたり、時には相談にも乗るという。
斯界の頂点に君臨する大親分でありながら、とても気さくで親身な人柄を窺い知ることができるだろう。
芳沢組員は二十歳そこそこで部屋住みに入り、和久井総長から極道のイロハを学んだ。
和久井総長が全てを言葉にしたわけではなく、背中を見て学んだのだ。
そんなある日、芳沢組員が所属する羽山会が、対立するA組とトラブルを起こした。
羽山会は組員が少なく劣勢状態だったので、上部団体である奈良健組からも応援部隊が出ていた。
それを知った芳沢組員は、部屋住みという身でありながら行動に出た。
A組の事務所を単独で襲撃したのである。
これにより、A組は多数のケガ人を出し、形勢は逆転した。
芳沢組員は、このことをすぐに和久井総長に報告し「今から自首してきます。身体を綺麗にして帰って来ますので、そのときはまた部屋住みにしてください」と挨拶した。
和久井総長は「そうか」とだけ言った。
そして芳沢組員は、他の部屋住みに封筒を渡した。
中には、芳沢組員が貯めた貯金が入っており、A組への見舞金だという。
そして「組のいざこざの間で起きたことで、ヤクザとしてやったことです。相手に罪はないですから、この見舞金を相手に渡してください」と言った。
和久井総長から学んだヤクザとしての所作は、確実に受け継がれていたのである。
【了】 芳沢は出てきたらすぐに奈良健のカシラだもんな。
よっぽど人いないんだな、 部屋住みの貯金ってw
いくらもないだろう?
完全に情状酌量の減刑欲しさ、判事向けのポーズやねw 十七代目緋川一家に、新たな直参が誕生した。
葛西会から内部昇格した、風野組の風野瑞樹組長である。
風野組長は、四十代前半という男盛りで、周囲からの期待も大きい気鋭の組長だ。
風野組長は、元々は不良グループの幹部だった。
街で暴れ回り、地元ヤクザ組織の米びつにも手を入れ、組員らを滅多打ちにするというようなグループだったのだ。
怖いもの知らず、加減知らずで、日々勢力を拡大していた。
ある日、不良グループは葛西会のシマにも足を踏み入れ、葛西会組員たちを闇討ちした。
グループ内部では「さすがに葛西会に手を出したのはヤバい」という声もあったが、リーダーの橋井泰介は意に介さなかった。
何故なら、橋井の父親は武闘派組織のN組を率いる組長であり、何かあれば頼るつもりでいたのだ。
そして、葛西会からも返しがなかったこともあり、余裕を持っていたのである。
しかし、グループの幹部だった風野は、葛西会の不穏な動きを感じていた。
他の者も同様で、葛西会に尾行されていると言い出し、N組に助けを求める者もいた。
それでも実際は、葛西会は手を出してこなかったこなかったが、葛西会に引き気味のメンバーにイラつきながら「オレらグループごと、N組に入るぞ」と言った。
N組に加入し、囲われる形にすることで、メンバーも安心すると考えたのだ。
メンバーたちは賛成したが、風野だけは「オレは組には入らない。ヤクザは向いてないからな」と言った。
橋井は「好きにしろ」と言った。
そしてすぐに、風野以外のメンバーはN組に加入したのである。
【続きの購読は無料です】 それからすぐである。
葛西会はN組に猛攻を仕掛けた。
不良グループだったメンバーは、自分がヤクザになれば安心と考えてたが、全く逆だったのだ。
ヤクザになったから、葛西会にシメられたのである。
葛西会は、一応は堅気である不良グループには手を出さなかったが、彼らがヤクザになったからには徹底的に攻撃した。
この結果、N組は壊滅的なダメージを受け、解散するハメになったのだ。
グループのリーダーだった橋井も厳しいヤキを入れられ、逃げるように町から出て行った。
N組に加入していなかった風野は無傷だったが、詫びを入れるために指を詰め、葛西会本部を訪れた。
当時、葛西会の本部長だった板原本部長は「一応は堅気なんだから、もうヤクザみたいなケジメの付け方をするなよ。大事な指だろ。だが、これはこちらで丁寧に供養させてもらう」と言った。
風野はその場で、葛西会に入りたいという気持ちを伝え、数日後に入門を許された。
入門後は真面目に修行を積んで男を磨き、入門から15年で葛西会長から組名乗りを認められ、風野組を創設。
現在では、100人以上の組員を抱えるようになった。
そして、この度ついに緋川一家の直参にまで昇格したのである。
和久井総長は、かねてより風野組長に目をかけていたが「葛西の組で、葛西を支えてやってくれ」という考えだった。
しかし葛西会長は「親分の子として、さらに男を磨かせてやってください」と和久井総長に頼み込み、晴れて直参昇格が決まったのである。
【了】 和久井は新コロで虫の息やで、日ごろの不摂生が祟ったんやな なんせタバコは1日100本、酒は1日2升やもんな
志村とはレベルが違うわ そりゃ死ぬで 十七代目緋川一家にとって、嬉しい話題があった。
入院していた重松拓海総本部長が現場復帰したのである。
入院中は原田旭若頭補佐が代理として総本部長を務めていた。
よって重松総本部長は、復帰当日の定例会で最初に和久井一朗総長に挨拶をした後、すぐに原田若頭補佐に礼を述べた。
重松総本部長は「原田の兄弟のことだから、オレ以上に働いてくれただろう。本当はそのまま総本部長をしてくれたほうがいいかもな」という言葉も添えた。
原田若頭補佐は「オレは穴を埋めてただけだよ」と返事をした。
この復帰のニュースは、総本部の近隣住民にもすぐさま届き、たくさんの住民が祝いに駆けつけた。
それを見た和久井総長は「せっかくだから、皆さんと一緒に、このまま宴会といきましょうか」と言った。
住民の1人は「親分さん、ありがとうございます。お言葉に甘えるだけじゃ悪いから、酒や肴を持って来ます」と言った。
葛西若頭は「気にしないでください。酒飲みばかりの一家なので、酒も肴も存分にあります」と言った。
こうして、緋川一家と近隣住民による宴が始まったのである。
定例会の日だったので全直参がおり、とても賑やかな宴になった。
急なことだったが、総本部の当番組員は一生懸命に働いた。
そんな当番組員たちに対し、直参たちは「終わったら、これで美味いものでも食えよ」と言い、札束を渡していた。
予想外の嬉しいボーナスである。
それどころか、和久井総長に「みんなも飲んで食ってしてくれよ」と声をかけられ、宴終了後には小遣いを貰うこともできた。
また近隣住民からは「いつも近所の掃除をありがとうございます」と礼を言われたのである。
それを見ていた重松総本部長は、当番組員たちに対し「なぁ、当番の仕事も悪くないだろ。これからも頼むぞ」と言って笑った。
【了】 当番組員A:「輪ゴムで束ねた千円札5〜6枚のことを、ウチでは『札束』っていうんです。」
当番組員B:「オジキたちもシノギが苦しいのに、頂けるだけでもありがたいです。」
当番組員C:「4人で久しぶりにトンカツ食いに行ったら、油に当たって次の日七転八倒しましたw」
当番組員D:「でも、最初に『トンカツ食いたい!』って言ったの、Cの兄貴じゃないですかw」
当番組員C:「トンカツ定食より、いつもの質素倹約弁当と発泡酒にしておけば良かったと思ってます。」
一 同:「あははは……」 十七代目緋川一家若中で木嶋組を率いる木嶋敏史組長。
奈良健組から直系に上がった実力者である。
そんな木嶋組長は、若手時代に和久井会に預けられていたという経歴を持つ。
奈良崎健二組長が木嶋に将来性を感じ、さらなる修行のために和久井会へ預けたのだ。
当時の木嶋は、奈良健組で修行を積み重ねたと自負しており、自信を持って和久井会へ行った。
そして和久井会においても事務所の仕事などをテキパキとこなし、和久井会組員からも一目置かれる存在となった。
そんなとき、奈良健組と他組織の間で抗争が起き、奈良健組の組員が重傷を負った。
その組員は木嶋の兄弟分でもあったのだ。
話を聞いた木嶋はすぐさま報復に向かおうとした。
そんな木嶋の動きに、いち早く気付いたのは和久井一朗会長である。
和久井会長は「木嶋、今は我慢だ」と言った。
木嶋は「兄弟分がやられたんですよ?この報復をしないで何がヤクザですか?」と言った。
和久井会の組員たちは「おい、親分に何て口を聞いとるんや」と咎めた。
木嶋は悔しくて仕方なかったと同時に、和久井会長は喧嘩もできないかと不信感を感じた。
深夜、寝泊まりしていた和久井会本部事務所を出ようとしたが、当番組員に気付かれる始末である。
その翌朝も悔しさが収まらず、事務所の仕事も手につかなかったので、和久井会組員から怒られてばかりになった。
そのたびに、心の中で「喧嘩もできない和久井会が偉そうに」と思うようになった。
【続きの購読は無料です】 奈良健組と対立組織との抗争は、約一週間続いた。
最終的には相手組織が全面降伏し、決着したのである。
結局、木嶋は何もすることができなかった。
その抗争が終わった夜、木嶋は和久井会長に呼ばれた。
会長室で和久井会長は「よく我慢したな」と言った。
木嶋はふてくされた様子で下を向いていた。
そして木嶋は「奈良崎親分や兄弟分のために何もできなかった自分が情けないです」と言った。
そのとき、会長室に1人の男が入ってきた。
奈良健組の仲松泰三若頭である。
木嶋は驚いたが、すぐさま「カシラ、喧嘩に参加できずにすみませんでした」と言った。
仲松若頭は「木嶋、お前は和久井親分の気持ちは考えたことあるか?」と言った。
木嶋は「え?」と言ったまま、言葉が続かなかった。
仲松若頭は「奈良崎親分の意志に応えるためにお前を預かってくださって、お前をキズモノにしないで育ててやろうって思ってくださってる気持ちが分からねえのか?」と言った。
そして続けて仲松若頭は「ここでオレがお前をキズモノにしたら元も子もない。殴ってやりたいが、今すぐ組に戻って来い」と言った。
木嶋は何も言えなかった。
仲松若頭は「木嶋、今回の喧嘩、向こうを降伏させてくださったのは和久井親分と和久井会の皆さんだ」と言った。
木嶋1人が走っても、そのタイミングでは、どうこうなる話ではない。
それが和久井会長や和久井会組員たちは分かっていたのだ。
ときには、ヤクザとして何の計算もなく突き進むことも大切である。
しかし、それ以上にヤクザは我慢も大切だということを和久井会長は伝えたかったのだ。
それに気付いた木嶋は膝を付いてうなだれた。
和久井会長は、仲松若頭に対し「まだ彼をそっちに返すことができないが、それでもいいかな?」と言った。
仲松若頭は正座し「和久井親分、こいつをよろしくお願い申し上げます」と言った。
【了】 ゆるキャラ893の宮もっち、コロナウイルスで死にかけてるっていうのは本当ですか!?
始終和久井親分のお供で、立ち食い蕎麦屋に行ってたのが悪かった!? 和久井会長なら、マスクを自腹で高値で買って、無償で
近隣住民に配りそう。 緋川一家総出で、布マスク作って近隣住人に無償で配布してるそうやね。
組員だけじゃなくって、組員の家族も無償で勤労奉仕や。 >>356
組織の全勢力注いでマスク工場建ててらしいけど 今、和久井のシノギは粗悪品マスクの高額転売 元値50枚500円を1万でを売ってる
組員総出で押し売りまでしてる、大災害の度に火事場泥棒で大儲けする和久井にとっちゃコロナバブルで笑いが止まらんわな 直系若中に昇格したばっかり如月さんも、己の組のマスクのノルマが達成できんときは、
親分が自ら率先して公園とかで泣き売(バイ)してでもノルマ達成しとるそうですね(笑)
大変ですなぁ、どこの世界でも中間管理職は。。。 和久井親分も、コロナ騒動終息後の
侠道界の在り方について、色々思い
描いているのかな。 和久井の爺ちゃんが死んでから、もう3年かぁ。
月日の経つのは早いなぁ。 >>1
おはヨーソロー🤩
アレクサに「おはよう」と言ったら「笑顔が世界の共通言語ですね」と言われました(笑)
今日も笑顔が溢れる一日になりますように💓💞
ID:0(573/575)
0578 名無番長 2020/05/23 04:42:24
>>531
おはヨーソロー🤩
アレクサに「おはよう」と言ったら「笑顔が世界の共通言語ですね」と言われました(笑)
今日も笑顔が溢れる一日になりますように💓💞 和久井親分は海外で、「キング▪オブ▪ヤクザ」
として評価されているかもしれない。 十七代目緋川一家が所有する緋川会館では、月に一度、若頭会が開催されている。
二次団体の若頭が集まり、会議や意見交換をしているのだ。
そこには一切序列がなく、皆が対等な立場で活発な話し合いがされているという。
あるとき、その若頭会の場に、和久井総長が訪れたことがあった。
二次団体の若頭たちは大親分の登場に驚きを隠せなかった。
和久井総長は「気にしないで会議をつづけてくれ」と言った。
そのときの議題は「災害時・緊急時における支援方法について」だった。
これまでも災害などがあったとき、住民らに対して緋川一家は迅速に支援をおこなってきたが、よりスムーズかつ的確な支援を模索するという会議だったのだ。
和久井総長も真剣な表情で聞き、最後に「事が起きてから支援物資の買い占めなどを行えば、市場が混乱することもある。なので普段から物資を備蓄しておくとのが理想だ。資金や保管場所は用意する」という言葉を皆に伝えた。
そして午後になり、昼食休憩となった。
若頭たちは総本部の食堂から届けられた弁当を食べていたが、和久井総長も交じって皆と時間を共有した。
最初は全員が緊張していたが、次第に忌憚のない声や質問が出てくるようになった。
二代目柳心会の笠間敏充若頭は、半グレや不良外国人への対応について「うちのシマで半グレが暴れていて、住民が困っています。ヤクザとして、一応はカタギの半グレに手を出してもいいのでしょうか?」尋ねた。
和久井総長は「困ってる住民を助けないほうが、ヤクザの道から外れている」と答えた。
【続きの購読は無料です】 >>373
ここの組織はヤクザらしくないぐらい慎重に事を運ぶな業績の良い企業みたいだ もう和久井組長は、性欲や金銭欲から離れた、
徳が高い坊さんみたいだな。 今回は特別編として、十七代目緋川一家構成員のリアルな声を紹介しよう。
長年に渡って取材をしてきた我々にだけ語ってくれた貴重な声である。
【三次団体若頭 A】
総本部で和久井総長をお見かけしたとき、ガチガチに緊張して、ひたすら頭を下げてました。
すると「ご苦労さん。今日は暑いなぁ」と声をかけてくださいました。
ますます熱くなりましたが、嬉しい思い出です。
【三次団体本部長 B】
よそでは代紋バッジを付けてカタギさんを威嚇する馬鹿がいるらしいですけどね、代紋に誇りがあれば悪いことなんか一切できませんよ。
何より、代紋頭に恥をかかせるわけにはいきませんからね。
【二次団体若頭補佐 C】
懲役に行く前、酒席を開いていただき、なんと和久井総長もお越しくださいました。そのとき「出所したら、嫁がつくった鯛飯を腹一杯食べたい」という話をしたんです。大好物なんですよ。
それから長い懲役が終わって出所した日、家に和久井総長から鯛が届いたんです。涙が出ましたよ。
【三次団体若中 D】
総本部で当番に入ったとき、一度だけ和久井総長とゆっくりお話しする機会がありました。ヤクザとしての生き方についてです。
そのとき、他の組の幹部が和久井総長を訪ねてきたんです。
それを葛西のカシラが伝えにきたら、総長は「いま大事な話をしてるところだから、待つか帰るかしてもらってくれ」って。あれは痺れましたね。
【二次団体舎弟 E】
ワシみたいな人間が一家のためにできることは、身体を賭けることだけなんで、何回も懲役に行きましたわ。じゃあそのうち総長にも顔覚えてもらって。
あるとき総長から「頼みがある」って声かけてもらいましてん。「はい、どこへでも走ります」って返事しましたわ。じゃあ総長は「違う。もう十分、一家に貢献してくれた。ゆっくりしてくれ。それが頼みだ」って。もうね、泣きましたわな。 和久井会長は違法薬物や、高齢者
詐欺に門下の者が関わっているの
が分かったら、即絶縁処分を出す
だろうな。 カタギの女を喰い物にする半グレスカウト集団の話を聴いて和久井御大が激怒したようだな。
それで周りが察したのだろう。 和久井会と海外アウトローとの
暗闘エピソードとかないですかね。 >>380
振り向くな、と。
和久井の「わ」の字も出すな、と。
この街から去れ、と。 【二次団体若頭補佐 F】
緋川一家には、組員が大勢並んで親分や幹部を出迎えるっていう風習が昔からないんです。これについては、和久井総長が仰った言葉が分かりやすいです。
「何の意味がある?」「家族や身内が家に帰ってくるたびに、みんな並んで出迎えたりしないだろう」って。
【二次団体舎弟頭 G】
和久井の親分はね、若い頃は生きていくために最低限の金を稼ぐ博打をしてましたわ。組が大きくなるにつれ、皆が食っていけるようにゴツい博打もするようになりましたわな。何にしても本物の博徒でね。そらもう憧れましたわ。
【二次団体本部長 H】
うちの先代の葬儀のとき、和久井総長は入院中だったんです。それでも病院を出て、葬儀に来てくださいました。しかも最後まで残って遺影を見つめてね。先代も嬉しかったと思いますよ。
【二次団体若頭補佐 I】
刑務所に入っても、緋川の一門ってだけで周りから一目置かれるんですよ。よその親分さんからも「昔、和久井総長にはお世話になった」と言われたりもします。
【三次団体組員 J】
最近、総本部に当番で入ってましたが、和久井総長は当番組員らと一緒に食事をされることもあるんです。いつも皆と同じものを食べられます。
ある日、料理番の組員が体調崩して、料理下手な組員だけで食事をつくったんです。それでも総長は何も言わず食べてくださいました。
【二次団体顧問 K】
ワシは昔は他の組にいて、和久井の親分のタマ狙ってたんですわ。まだ和久井の親分も若い頃です。ハジキ持って走ってね、必死になって和久井の親分に向けて構えたら「どうした?早く撃たんかい」言われてね。
それから「互いにヤクザしてての、命の取り合いや。恨んで化けて出たりはせん」と言われて。この人はヤクザの世界に必要な人と思いましたわ。そんな人を撃てませんよ。 いまだに軍司貞則さんに取材してもらえていない時点で、和久井は二流やw 和久井総長なら、半グレを更正させて
生真面目な極道にしそうだわ。 >>386
半グレがほんとに更正したら、生真面目な極道なんかじゃなくって、
生真面目な堅気になるんじゃないかな? 関西生コン シバキ隊 弘道会 C.R.A.C. 抗日 立憲民主党
ANTIFA反天連 SEALDs 朝鮮 SEALDs 関西生コン 中共ANTIFA
ANTIFA 関西生コンシバキ隊 弘道会 C.R.A.C.抗日立憲民主党ANTIFA
ANTIFA 反天連 SEALDs 朝鮮SEALDs 関西生コン 中共 ANTIFA
ANTIFA 関西生コン シバキ隊弘道 C.R.A.C.抗日赤軍ANTIFA
立憲民主党中核反天連SEALDs朝鮮総連関関西生コンシバキ隊弘道会C.R.A.C.抗日立憲民主党反天連SEALDs朝鮮SEALDs関西生コン中共
関西生コンシバキ隊弘道C.R.A.C.抗日赤軍立憲民主党中核ANTIFA
反天連 SEALDs 朝鮮総連関西生コンSEALDs山口組 ANTIFA
ANTIFA 関西生コン シバキ隊 弘道 C.R.A.C.抗日赤軍 ANTIFA
ANTIFA立憲民主党中核反天連SEALDs朝鮮総連関関西生コンシバキ隊弘道会C.R.A.C.
抗日立憲民主党反天連SEALDs朝鮮SEALDs関西生コン中共ANTIFA
Counter-Racist Action Collective
関西生コンシバキ隊ANTIFA弘道C.R.A.C.抗日赤軍立憲民主党中核
Counter-Racist Action Collective
反天連 SEALDs 朝鮮総連 関西生コンANTIFA SEALDs 山口組ANTIFA >>388
僕が二十歳のときは和久井会で焼きそば焼いてたの。
君はそういうのやらなかったの? 十七代目緋川一家に、新たな直参が誕生した。
西巖会の西野巖昭会長である。
西野会長は、喜村組から内部昇格した猛者である。
喜村組といえば、緋川一家内でも随一の超武闘派だが、西野会長も抗争により計25年服役していた。
そんな西野会長へのインタビューが実現したのでお届けしたい。
【取材班】
直参になられた感想を教えてください。
【西野会長】
和久井のオヤジのため、緋川一家のために尽くすだけですわ。
【取材班】
将来の幹部候補と噂されています。
【西野会長】
和久井一朗という極道の子分になれた。それだけで十分です。役職やら肩書はあくまで係の名前やから。それは緋川ではみんな言うてますよ。
和久井親分の子、あるいは弟。それが何よりの看板で、ある意味ゴールやわね。
【取材班】
喜村組から初の内部昇格です。
【西野会長】
喜村組は序列がないし、組持ちもおらん組。それに懲役ばっかりやから。当然ワシも組持ってなかったけど、和久井のオヤジに目をかけてもらって直参になれた。付いて来てくれる子が5人いた。だからうちは超少人数の組や。
そんなの関係なく直参にしてくれた親分には感謝しかないね。
【取材班】
和久井総長からは、どのような言葉をかけてもらいましたか。
【西野会長】
「自分自身が納得できる、いい極道になれよ」と。響いたね。直立不動で聞くしかできんけど。他人から認められようとするより、やっぱり自分が納得できるかやわね。
それが文字通り、道を極めるという極道の在り方やと気付かせてもらえたわ。 【取材班】
直参昇格にあたり、他の直参からは何か言葉はありましたか。
【西野会長】
寄り合いでは、皆から「一緒に頑張ろか」って気持ちよく迎えてもらえたね。ほんま嬉しいことです。
やっぱりどの直参もビシッとしてるし、何につけても緋川に半端者は一切いないって改めて実感しましたわ。ワシなんか喧嘩しか能がないって思ったけど、実は全員が行き腰あるからね。自分はまだまだって思いましたわ。
【取材班】
西野組長といえば、一家のために長い懲役に行かれた功労者です。
【西野会長】
ヤクザとして「ここはバシッと身体を賭けなあかん」ってことが、たまたまあっただけですわ。またすぐにでもあるかもしれん。
【取材班】
最近はヤクザも身体を賭けづらい状況です。
【西野会長】
それは完全に言い訳。身体を賭けることなく、修行することもなく、堅気さん相手には強いっていう若いのが増えた。情けないね。金さえ積めば代紋が買えるから。
偉そうにするために代紋買って、その威光で銭儲けしてって。話にならんわ。
まぁ和久井のオヤジはそんなん大嫌いやし、緋川には一切おらん。もしいたら、見つけた者が教育するのが緋川やからね。
【取材班】
他組織からも一目置かれています。
【西野会長】
余所は余所って思ってるけどね。こっちに茶々を入れるなら、それなりの対応はせなあかんけど。そうじゃなければ関係ないわね。 >>393
子分から心底惚れられる和久井さんって、幸せ者やね。 >>394
ガチホモ集団やからね、緋川一家はw
掘ったり掘られたりで、万年修羅場の喜村組。 和久井親分は懲役たちから『アンコの和久井』と恐れられた人です。
喜村さんもさんざん和久井親分のナニを咥えてきた論功行賞で、一気に筆頭若頭補佐に
出世しましたし、今回直参に昇格した西野も尻で直参の座布団を得たのです。
(如月道春 和久井会三代目会長) 「組員がやがな、和久井の魔羅が欲しい言うんなら、入れるがな、そらなんぼでも。
緋川一家でのうても、よその組からでもやな、入れてくれ、入れてくれ、って来よんねんから」 (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 今回は、十七代目緋川一家総本部の近隣住民のインタビューをお届けしたい。
【近隣住民 40代女性】
街の治安を守ってくださり本当に助かります。街の掃除も毎日してくださいますからね。
組員さんはもちろんですが、このへんで路上駐車する人は絶対いませんよ。緋川一家の存在は大きいです。
【近隣住民 80代男性】
和久井の親方さんは、そりゃあもう任侠ですよ。あんな立派な人は二度と出てこないでしょうな。ここらは緋川一家の城下町みたいなところですけどね、親方は殿様という感じでは全くないんですわ。住民に寄り添う任侠の大親分ですな。
【近隣住民 40代女性】
このへんには不良少年もいないんですよ。和久井さんのところの方々が街を回ってくださって、少年らがおかしなことしてたら注意してくださるから。誰も不良にならないんです。
【近隣住民 80代女性】
緋川一家の方が頻繁にね「変わったことはない?」って家まで来てくださるの。それはもう安心ですよ。若頭の葛西さんも来てくださるんです。ほんと男前でね。私ったら年甲斐もなくハリが出ますわよ。
【近隣住民 60代男性】
和久井親分は、よくお見かけしますよ。柔らかな物腰でね、格好良い紳士ですよ。大物なのにガード役をゾロゾロ連れたりしてないのが、また良いですね。
【近隣住民 20代女性】
職場の近くで、誰かに付きまとわれてる時期があったんです。組員さんに相談したら、すぐ捕まえてくれました。ほんと頼りになって素敵です。
【近隣住民 20代男性】
昔ちょっとだけヤンチャしてて、ヤクザになりたいって思ってたんですよ。でも緋川一家のビシッとした人たち見てると、自分にはできないって諦めました。全員ビシッとしてますからね。 和久井さんの傘下は治安がいいし、堅気に
対しても真面目でいいな。
女を騙したりして風呂に沈めるシノギなど
御法度だな。 「もうそろそろいいだろ」と御大が織田に言ったことで解散を決断したみたいだな。
同胞ということで色々と面倒はみていたようだが。 >>403
半グレやら他所の組が出てきたら喜村組が出てくるからな 今回は永久保存版である。
十七代目緋川一家の直参が語った、印象的な語録を紹介したい。
【若中/今崎組 今崎航二組長】
よその義理場に行ったとき、他の代紋の人間らと揉めてね。向こうは「文句あったら、いつでも事務所に攻めて来んかい」って啖呵切って来ました。
次の瞬間、喜村の兄弟がその人間らを思いっきり蹴飛ばしてね。「お前らどこの誰か知らんけど、若いもん巻き込まんと、ここで喧嘩せんかい」って。
【若中/杉勝組 杉岡勝哉組長】
和久井親分はね、組事で懲役行ってる組員の名前、全員覚えてるんですよ。二次、三次、四次関係なく全員ね。
【若中/六代目田崎橋連合会 齋藤嘉男会長】
うちは緋川では珍しい的屋系ですからね、バイで全国を旅してます。どこに行っても「昔、和久井親分にお世話になった」という話を聞きますし、良くしてもらえます。親分は私らが知らないところで道をつくってくださってるんです。
【若中/三代目鉄義会 絹川健史会長】
和久井親分ほど金に綺麗な人はいませんよ。会費やら何やら、子分の金は絶対に受け取りませんからね。
【若頭/葛西会 葛西達哉会長】
若頭といっても、親分の長男というだけですよ。それだけです。偉いわけではありません。
【顧問/奈良健組 奈良崎健二組長】
昔は「手に負えない不良なので、組で預かってくれませんか」と息子を連れて来る親御さんはよくいました。
今でもたまにあります。そうして来た子ほど、いいヤクザになるんですよ。
【若頭補佐/喜村組 喜村辰弥組長】
昔から建物が好きでね。うちの組員、みんなそうかもしれませんな。ドアだろうと、ガラスだろうと、どこの建物だろうと、建物だけを傷つけるもんはいませんわ。だけをね。
【若中/三代目和久井会 如月道春会長】
和久井の看板が大き過ぎて、重圧に悩んだ時期がありました。
そんなとき、親分から「如月組でも何でも、好きな名前に変えたらいい。自分の組だからな」と声をかけてもらいました。そこまで考えてくださる親分の名前を消すわけにはいかないですよね。
【舎弟頭補佐/川信会 川城信人会長】
裁判でジタバタするのも格好悪いから、うちでは一審で出せれたもんを飲むよう教えてます。 カタギにたからず、クスリも売らず
緋川一家のシノギは何ですか? >>413
そーいえば、そういう設定だったねw
取材班、どんな風に納めるつもりなんだろう?
分裂しすぎだよね。 和久井さんの所に、山口組の分裂騒動で
行き場を失った人とか来ないのかな。
「ここなら飯食わせてもらえる」
みたいな感じで。 >>416
たとえ他組織から来てもプラチナでも部屋住みからだぞ 数年前にとあるプラチナが部屋住みで入りましたね。
いまだに電話番です。 >>419
万年修羅場の喜村さんのところじゃ、体力的にも精神的にも続かないよね。
その歳とキャリアでは、もうジギリとかもできないだろうし。
宮本っちみたいに和久井総長のお供で立ち食いそば屋について行けるようになるまでには、
何年かかることやら? 和久井さんのところの若い衆も、
コロナの影響でキャバや風俗に
行けなくて溜まっているかな。 キャバにも風俗にもいかず、オキニのょぅι゛ょたちを集めて酒盛りする宮本っちの才覚。 十七代目緋川一家に大きな動きがあった。
顧問を務めていた奈良健組の奈良崎健二組長が引退を発表したのだ。
奈良崎顧問といえば、多数の直参を輩出した名伯楽であり、斯界に名を轟かせる大物親分である。
和久井一朗総長からの信頼も厚かったが、療養に専念するため引退となったのだ。
情に厚く、食うに困っている人がいたら腹一杯になるほどの食事を用意し、金に困っている人がいたら黙って金を渡すような親分だった。
「すぐに一人で出かける親っさんでしたが、また一人で行ってしまう」と言う組員の言葉が印象的だった。
引退発表以前には、奈良崎顧問をはじめとする奈良健組の面々と、奈良健組出身の緋川一家直参による会合が行われた。
奈良健組側は、錦畠宏大若頭ら執行部が出席。
奈良健組出身の緋川一家直参は、秋山義彦顧問、山崎仁若頭補佐、梅本浩崇若中、木嶋敏史若中、佐久本雅文若中ら錚々たる顔触れである。
その席で奈良崎顧問は「跡目は錦畠に譲りたい」と表明。
しかし錦畠若頭は「親っさん、お気持ちは嬉しいですが、自分はそんな器じゃありません。親っさんが引退されるタイミングでたまたまカシラやらせてもらってるだけで、先輩方を差し置いて跡は継げません」と言った。
緋川一家直参らは「誰でも皆、時間をかけて親方になっていくもんだ」と説得した。
しかし錦畠若頭は、それでも固辞した。
そこで、奈良健一門の重鎮である秋山顧問が「ジンに継いでもらうのはどうや?」と言った。
緋川一家執行部に名を連ね、山仁組を率いている山崎若頭補佐のことである。
【続きの購読は無料です】 山崎若頭補佐は、かつては奈良健組の最高幹部として活躍していた。
その後、40代の若さで本家直参に昇格し、5年で執行部の一員にまでなった出世頭である。
現在は50代前半で、奈良健一門の番頭格として、一門からの信頼も厚い。
奈良崎顧問は「山崎、お前の組と合流という形になるが、奈良健組を継いでくれるか?」と言った。
山崎若頭補佐は「最終的には和久井総長の判断を仰ぎますが、継がせてもらいたいと思います」と答えた。
そして「奈良健組を継ぐとなれば、若頭は引き継ぎ錦畠でと考えています」と続けた。
翌日、奈良崎顧問と山崎若頭補佐は、和久井総長を訪ね、経緯を報告。
和久井総長は山崎若頭補佐に「がんばってくれ」と伝え、奈良崎顧問に「色々あったが、本当にご苦労さんだったな」という言葉をかけた。
そしてその日に、山崎若頭補佐は奈良健組と山仁組の幹部クラスを集め、自らの意思を表明した。
「親っさんの元から巣立ち、周りの皆のおかげで自分の組も大きくなりました。今回、再び奈良健組とひとつになるということは、かなりの大所帯となります。
勢力や発言権を持ったなどと考えるのではなく、大きいからこそ何事にも謹みを持って行動したいと思います。
自分はまだまだ若輩未熟ですが、親っさんが残してくれたものを守れるよう頑張りますので、よろしくお願いします」という言葉だった。
奈良崎顧問は「みんな、これまで色々ありがとう。この場にいない服役者たちには、また改めて礼を言おうと思う。何より、うちの組から、カタギさんに関することでの逮捕者がこれまで一度も出なかったことが誇りだ」と挨拶した。
【続きの購読は無料です】 そして後日、二代目奈良健組の継承盃、兄弟盃、親子盃の儀式が執り行われた。
会場となった緋川会館には多数の関係者が訪れ、門出を祝った。
奈良崎顧問は、長い極道人生での出来事を一つひとつ振り返っているかのような表情が印象的だった。
盃事には和久井総長も列席しており、温かい眼差しで見守っていた。
盃事が終わると、奈良崎顧問は和久井総長のもとへ行き挨拶をした。
「兄貴の下で渡世を張れて本当によかったよ。山崎も筋を守る極道に育ってくれた。兄貴、これからもあいつのことを頼むよ」という言葉だった。
和久井総長は「あぁ。また落ち着いたら飲みにでも行こう」と返事をした。
また山崎若頭補佐も「これからも精一杯、一家のために仕えさせてもらいます」と和久井総長に挨拶をした。
和久井総長は「まずは新しい奈良健組の地盤を固めるのに時間がかかるだろう。焦らずやってくれ」と返事をした。
和久井総長、奈良崎顧問、山崎若頭補佐が緋川会館から出ると、駐車場には1000人を超える奈良健組の面々が整列していた。
和久井総長は「みんな、いい顔してるな」とつぶやいた。
奈良崎顧問は「この中に、将来の緋川一家を背負う者がいるかもな」と言った。
紋付袴姿の和久井総長は、胸に付いている緋川の代紋に、ゆっくり手を当てた。
【了】 十七代目緋川一家の中で、最も好戦的な組織といえば喜村組であろう。
そんな喜村組ができて間もないころは、今以上に他組織との喧嘩が多い日々だった。
ある日の深夜、喜村組の事務所にダンプカーが突撃した。
犯人は逃走しており、どこの組織の人間か分からない。
一報を聞いた喜村辰弥組長は、すぐさま事務所に到着した。
組員たちは「オヤジ、行かせてください」と報復役を志願した。
喜村組長は「行くも何も、相手が分からんことには話にならん」と言い、ダンプカーに乗り込んだ。
組員らは「オヤジ、片付けなら自分らがやります」と言ったが、喜村組長は「おう、頼むわ」と言い残して、そのままダンプカーを運転し、去って行ったのである。
喜村組長がダンプカーで向かったのは、いくつかある他組織の事務所である。
まずはA組に行き、いきなり「おう、ここの親方おるか?」と言い、事務所に入った。
そして「このダンプ、見てくれや」と言い、ダンプカーを指したのである。
喜村組長は、そのときの相手の反応や動揺具合をじっくり見た。
そして「お前らは知らんようやな」と言い、次はB組に向かった。
こうして、いくつかの組事務所に行き、G組に行ったときだ。
そこの若頭が動揺しながら「よく分かったな。1人で返しか」と言った。
喜村組長は「お前らやな」と確信した。
そして「ダンプを返しにきたわけちゃうぞ」と言い、相手事務所で暴れ回ったのである。
喜村組長を探し回っていた喜村組の組員らは、事務所前に停まっていたダンプを発見し、応援に駆けつけた。
そうしてG組を壊滅状態に追い込んだ喜村組長らは、そこの若頭にG組長の自宅を吐かせた。
喜村組組員らはすぐさまG組長の自宅へ行き、襲撃したのである。
この恐ろしさこそ、喜村組が最強の武闘派と言われる由縁だろう。
【続きの購読は無料です】 結局、G組は解散に追い込まれることになった。
それでも喜村組長は納得が行かず、G組の上部団体の本部に行った。
そこで喜村組長は、上部団体会長に対し「どう落とし前つけるんや?」と尋ねた。
上部団体会長は「確かにGは俺の右腕だったが、今回のダンプの件は知らない」と言った。
すると喜村組長は「そうか、じゃあ、右腕を落とせや」と言った。
上部団体会長は「な、なに?」と言った。
喜村組長は「お前の右腕のせいでこうなったんやろ。だから右腕落とせや。ついでに、その聞こえへん役立たずな耳も落とすか?」と言った。
上部団体会長は「そ、そんなこと、できるわけない」と言った。
喜村組長は「筋通して詫びもできんなら、ヤクザ辞めろ。1日だけ待ったる」と言い、席を立った。
そして側にいた上部団体会長のボディーガードを殴り「親方が震えとるのに何もできんなら、こんなところに立つな」と言って部屋を出た。
上部団体会長の顔は真っ青になっていた。
すると喜村組長が再び部屋に入ってきたのだ。
喜村組長は「言い忘れてたわ。事務所の修理代、明日までにちゃんと払いにこいや」と言い、上部団体会長を蹴り飛ばした。
そして、ついでのようにボディーガードも蹴り飛ばした。
すぐさま上部団体は解散し、会長らは姿を消した。
しかしすぐさま喜村組に見つかったのである。
【了】 地元にも漫画みたいに無茶苦茶な不良がいたけど、ヤクザになっても無茶苦茶で30半ばで射殺されたわ 堅気を一切巻き込むことなく、
喧嘩が出来て、官憲からも畏敬
される和久井傘下ってスゴいな。 喜村組事務所の修理代、払うべきはG組だよな?
その上部組織から命じられていたのなら、また話は別だろうけどさ。 和久井さんのところは生真面目で、
みな女遊びとかしなさそうだな。 >>435
和久井さんのところの若い衆の8割以上が真面目なホモだから不純異性交遊はしないよ。 和久井は江頭そっくりやぞ、こんな老人とは全然違う
ちなみに和久井の江頭の物真似は大人気やで 和久井傘下では、堅気女子を泣かせる
やつはシメられそう。
「女としたいなら風俗行かんかい」 喜村組長は27歳のとき上杉謙信に習って生涯不犯の誓いを立てた
それ以来、風俗どころか自慰もしていない
性欲のエネルギーをすべて闘争心に注ぎ込んだんや 「万年修羅場の喜村組」と名高い、十七代目緋川一家喜村組。
そんな喜村組と双璧をなすと言われていた超武闘派が、K会傘下のN組だった。
その喜村組とN組はかつて抗争を繰り広げたが、起こるべくして起きた決戦と言えよう。
互いの地盤は全く別の街ではあるが、N組の若い組員数名が喜村組の街に足を踏み入れたことがキッカケだ。
言わば挑発しに来たわけだが、喜村組が黙っているわけもない。
当然のようにヤキを入れたが、これを合図と言わんばかりにN組の組員が大勢で押し寄せたのである。
喜村組の組員を叩きのめすなど暴れ回った。
喜村辰弥組長は緋川一家総本部に足を運び、和久井一朗総長に会って「親分、N組ってところと喧嘩しますが、最後まで止めないでください。一家やカタギさんには絶対に迷惑をかけませんから」と言った。
これまでそんなことを言ったことが一度もなかったので、和久井総長は喜村組長の気持ちを汲んで「大事な子や孫らに『行ってこい』など言わないが、行かないといけないなら止めはしない」とだけ伝えた。
和久井総長の側にいた葛西若頭は「兄弟、相手がN組なら、李って奴には気を付けろよ。片腕の奴だ」と言った。
喜村組長は「あぁ、覚えておく」と言った。
総本部を出た喜村組長は、N組を探しに街を歩いた。
喜村組長の周りには、喜村組組員が5人いた。
そのうちの1人である矢原健満組員は、どこかに電話をしていた。
そして電話を切ると「親っさん、野嶋の兄弟が誰か道具を持ってきてくれと言ってます」と言った。
喜村組長は「そうか、急いで行ってやれ」と言った。
【続きの購読は無料です】 そして喜村組長らは、N組の者たちを捜し続けた。
喜村組長は「土地勘があるのは、うちのほうや。見つけたらバチバチにやったれよ」と言った。
まず何より、本家直参である喜村組長自らが喧嘩の最前線にいることが、組員たちは誇らしく思えた。
すると前方から、別の喜村組組員たちが歩いてきた。
喜村組長は「おう、N組はいたか?」と尋ねたが、組員らは「いえ、見つかりません」と返事をした。
よく見ると組員らの中に野嶋航介組員がいた。
喜村組長は「野嶋、道具は矢原から受け取ったか?」と尋ねた。
野嶋組員は「いえ、最初から道具は持ってます」と言った。
喜村組長は、すぐに勘づき「矢原のやつ、嘘ついて、一人で走りやがったな」とつぶやいた。
その瞬間、遠くのほうから女の悲鳴が聞こえた。
喜村組長は「行くぞ」と合図し、皆は走り出した。
悲鳴が聞こえた場所に行くと、スキンヘッドで130kgはありそうな大男が、矢原組員の首を締めていた。
周りにはN組組員が3人倒れている。
喜村組長は「おい、ハゲ」と言った。
大男は「なんだ、お前ら?」と言った。
すると、側にいた片腕の男が「喜村だな。大将が自ら来たのか」と笑いながら言った。
この男こそ、葛西若頭が言っていた李である。
矢原組員はボコボコになっていたが、声をふりぼって「親っさん、すみません」と言った。
喜村組長は「3人もやって、謝ることあるかい」と言った。
そして野嶋組員は李に向かって「お前、腕一本で不便やろうけど、もう一本落としたるわ。小便もできんし、ケツも拭けんようになるからな」と啖呵を切り、短刀を取り出した。
しかし、パトカーのサイレンが聞こえてきた。
街の中心部ということもあり、誰かが通報したのだろう。
下手に暴れるとカタギに迷惑をかけることにもなる。
喜村組長は野嶋組員から短刀を取り上げ「また今度にするぞ」と言った。
そして瞬間的に短刀で大男の顔を斬り裂き「お前、特徴だらけやけどな。顔に目印を付けとくわ」と言い、その場から去った。
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被災者の弱みにつけこむ悪党を
見つけたら、フルボッコ! 京橋の外れで細々とたこ焼き焼いてた和久井君も、たいそう出世したもんやな。 先日、十七代目緋川一家舎弟 三代目江蔵組の雪永剛健組長の単独インタビューに成功した。
今回は、緊急企画として、この貴重な声をお届けしたい。
【取材班】
凄く立派なご自宅ですね。
【雪永組長】
懲役行ってる若い衆のことを考えて、みずからも質素な暮らしをする親方もいますわね。若い衆の励みや目標になるからってことで、豪華な暮らしをする親方もおる。
ワシの場合は、うちの若い衆が建ててくれた家に住んでるだけですわ。「親っさん、ここ住んでくさいや。若い者も何人か近くにおりますから」言うて。ありがたいことです。
【取材班】
和久井総長との最初の出会いは、いつですか?
【吉野組長】
昔々、江蔵の初代に付いて賭場へ行ったときですわ。和久井のアニキは客として来ててね。初代は「お前、あの和久井っていう男の所作を見ておけよ。あれはええ極道や」言うてました。
ワシも若かったから、最初は何がいいのか分かりませんでしたわ。スイチで張るわけでもないしね。でもスイチは胴を舐めてることになり失礼な所作ってことが後で分かりましたよ。
【取材班】
初代の江蔵組長はどのような人でしたか?
【雪永組長】
我慢の人でしたね。体のあちこちに傷があるんですわ。ワシはずっと江蔵の初代に付いてたから知ってるけど、本人は誰にも言わんかった。いつも元気そうに振る舞ってたわね。
【取材班】
初代の江蔵組長は抗争で襲撃されました。その報復を実行した雪永組長は長い懲役にも行かれてますね。
【雪永組長】
自分で行きたかったから勝手にやったことですわ。初代に一番可愛がってもらってたのはワシやと自負してたからね。
自首する前、初代の見舞いに行ったんですわ。「また傷が増えてしまったな」「雪永、出所したら組を継いでくれ」という言葉をもらいました。それが初代との最後の会話です。 【取材班】
刑務所内には和久井総長もおられたようですね。
【雪永組長】
先に和久井のアニキが入っててね、囚人を束ねてましたわ。ワシも男を売らなあかんと思って、アニキに喧嘩吹っかけましたけどね。全く歯が立ちませんでした。
その喧嘩のせいでアニキは懲罰房に行かされてね、ワシは他の囚人から狙われると思いましたわ。でもそれを止めてくれたのもアニキです。
【取材班】
その後は和久井総長と共に過ごす時間も増えたそうですね。
【雪永組長】
アニキは将棋好きやったから、ワシもアニキと指せるよう将棋を覚えました。極道としての生き方も学ばせてもらいました。
【取材班】
そうして約10年後に出所されますね。
【雪永組長】
江蔵組も二代目体制になっててね。二代目継いでた野宮さんは「オレはお前が出てくるまでの繋ぎの二代目や。すぐにでもお前が江蔵組を継いでくれ」って。
【取材班】
晴れて三代目雪永組を継承されました。
【雪永組長】
それまで一本でやってた組やけど、和久井のアニキの盃が欲しかったんですわ。200人ほど組員いたけど、みんなに意志を伝えて、江蔵の初代の仏前に手を合わせて、アニキのところへ行きました。
しばらくは和久井会の末席でも十分やと思ってましたけど、舎弟にしてくれました。
【取材班】
和久井総長が緋川一家を継承されると同時に、三代目江蔵組は直系になりましたね。
【雪永組長】
組員ががんばってくれたおかげやね。緋川の顧問の面々も認めてくださってね。「ええ若い衆ばっかりやな」「江蔵さんの名前を継いでるんやから、しっかりやれよ」って。 和久井さんのところに入門して、
ケツ割るような奴もいるのかな。 懲罰房に行くようなケンカをした和久井と雪永を、自由時間に将棋のできる
同じ工場とか同じ房に戻すか?
工場か房舎のオヤジが、カタギの懲役に迷惑かからんように893を全部
まとめて管理しておきたかったんか? w 和久井さんのところも、暴走族上がり
とかいるのかな。 平均年齢60歳のナマポ受給者がほとんどや、現実は厳しいのー 2次はともかく3次の組長の大半が1人親方。
ここも先は長くないw 和久井さんところぐらいですかね、
ヤクザ業界で若者が将来の夢を
イキイキとして語れるのは。
和久井さんのところの若者は、金
がなくても楽しそう。 男が男に惚れて、真の男になれる
修行が出来る緋川一家。 雪永がどんな立派なことを言ったところで、
しょせん子分の上納で食ってる社会のダニ。 【喜村組長語録1】
緋川一家に詫びを入れるため、頭を丸めた他組織の親分に対して
『お前、散髪しただけやろ』
【喜村組長語録2】
振り込め詐欺をしていた半グレを捕まえた際、その半グレたちに対して
『日本から出て行くか、この世から出て行くか選べ』
【喜村組長語録3】
執行部入りが決まった直後の緋川一家定例会で
『役職なんか単なる役割で、結局は「和久井親分の直系」というのが最高の看板ちゃうか』
【喜村組長語録4】
抗争終結後、解散を決めた相手組織の親分に対して
『一番不幸なのは、お前なんかに付いた若い衆や』
【喜村組長語録5】
なぜ喜村組は喧嘩が強いのか、他の直参に問われた際に
『負けられへんと思い続ける限り、負けることはない』
【喜村組長語録6】
出所してきた抗争服役者に対して
『極道らしい顔になったな。次は親方らしくなってくれよ』
【喜村組長語録7】
クラブのホステスに対して
『ややこしい奴が店に来たら、うちに教えてくれ。若い衆が喧嘩したくてウズウズしてるんや』
【喜村組長語録8】
正月、和久井総長に対して
『親分と迎える正月もええけど、いつでも塀の中で正月迎える覚悟ぐらいありますから』 【喜村組長語録8】
正月、和久井総長に対して
『親分とシケた正月迎えるぐらいなら、小さいけど箱詰めお節の貰える塀の中で正月迎える方がよっぽどマシですわw』 和久井「一朗で〜す♪」
明智:「聡志で〜す♪」
喜村:「南春夫でございます!」 【喜村組長語録】
緋川一家に詫びを入れるため、頭を丸めた他組織の親分に対して
『お前、散髪しただけやろ? 眉毛とチン毛も剃ってこんかい!』 龍昇リソリソ:「おじちゃんたちはなんでもかんでも抗争で決着をつけようとするけど、
世の中そんなスイーツみたいに甘くないのよ」
和久井の子分たち:「いてててててててて・・・」
龍昇リソリソ:「893界だけで通じるルールを世間一般のわたしたちに押し付けないでよ!
常識知らずの893馬鹿!」
和久井の子分たち:「いてててててててて・・・」
龍昇リソリソ:「どんなに抗争が強くたって世間の常識はくつがえらないの!
893なんてみんな常識知らずよ!」
和久井の子分たち:「いてててててててて・・・」 先日、N組系の三次団体幹部を取材した際、教えてくれた過去の話に、我々は驚いた。
その幹部が所属する三次団体組長が病で亡くなったのだが、その葬儀に十七代目緋川一家の和久井一朗総長が訪れたというのだ。
しかもそのとき、緋川一家とN組が抗争中だったという。
「うちの親父は生前、和久井親分にお世話になったことがあると言ってましたが、まさか葬儀に来てくださるなんて驚きましたよ」
「抗争相手の組だというのに、和久井親分は、お付きなしで1人で来られたんです」
「渡世の因果で緋川一家と抗争になって親父は心を痛めてました。でも和久井親分が葬儀に来てくださって、心が晴れてあの世へ行けたでしょう」
その幹部は次々と語ってくれた。
ヤクザは格や貫目というものを気にして、格下だと判断した故人の葬儀には行かないことが大半である。
ましてや代紋頭クラスになると、滅多に義理場には行かないものである。
しかも抗争相手の組の葬儀なら尚更だ。
「和久井親分が来られたと聞いて、うちの本家の人らも飛んで来ましたが、和久井親分の存在感に圧倒されて、黙って見てるだけでした」
和久井総長が帰る際、N組三次団体の組員たちは整列し、尊敬の念を抱いて頭を下げたのは自然なことだった。
「やっぱり雰囲気が別格ですよ。うちの親父が惚れ込んだのも納得です」
「棺には、かつて親父が和久井親分から頂いたという手紙を入れてたんです」
和久井総長が去った後の葬儀場は、静かな時間が流れていたという。
【了】 >>338
いあ部屋住みは結構金持ってるで
小遣いも多いし使うところないしな ここに、自転車の似合うヤクザがいる。
緋川一家総長・和久井一朗。
関西ヤクザの長老の一人である。 平均年齢52歳の緋川一家。
構成員の2人に1人は成人病患者、5人に2人は精神病患者。 振り向くなと
和久井のわの字も出すなと
この街から去れと 見た目は出川にそっくりだし、口癖もヤバイよヤバイよだしね
出川だと思えば間違いない 喜村語録で能書き垂れる前に、李との決着つけんとあかんのちゃいますか? w 和久井さんはトランプの悪あがき
を見て呆れてるだろうな。
「首領たる者が・・・・・」 和久井親分がトランプやったら、親分があがく前に
喜村組がバイデンとハリスの玉取りに走ってるわw 今回は特別編として、あの有名な出来事について詳しく紹介しよう。
十七代目緋川一家で起きた「緊迫の8時間」と呼ばれる出来事である。
その日、緋川一家総本部では定例会がおこなわれていた。
定例会が終わり、直参や代理の組員らは帰途につこうとしていたが、総本部の当番組員が慌てて八尋会の植松広輔若頭補佐に駆け寄ってきた。
八尋会は会長、若頭、本部長が拘留中で、植松若頭補佐が定例会に出席していたのだ。
当番組員は「八尋会の組員が襲撃されたそうです」と言った。
詳細は不明だが、襲撃したのはJ組だという。
植松若頭補佐は、すぐさま情報収集するため、多方面に電話をかけた。
その場にいた喜村組の喜村辰弥組長は「おい、植松、これは相手の揺さぶりやから、じっとしとけ」と言った。
会長、若頭、本部長のトップ3が不在で、指揮系統が弱まっている八尋会を揺さぶり、報復に動いたところを一気に叩く作戦と読んだのだ。
植松若頭補佐は「喜村の叔父貴、やられてじっとしとけませんよ。親分やカシラにも恥かかすことになりますから」と言った。
喜村組長は「道理は分かるが、お前はやられた組員のこと考えとけ」と言った。
喜村組長に付いていた喜村組組員は、それを聞いて喜村組の事務所に電話をかけた。
喜村組長の言葉を「うちが返しをする」という意味だと受け取り、事務所にいる組員らに伝達したのだ。
しかしそこへ、葛西達哉若頭が来た。
葛西若頭は「総本部預かりにさせてくれ」と言った。
なんとJ組は八尋会の組員を襲撃した後、奈良健組、川信組、田崎橋連合会、鉄義会の組員を襲撃し、何人かをさらったというのだ。
葛西若頭は「ガラを持って行かれてるから、下手に動けんぞ」と言った。
喜村組長は怒り心頭で「あいつら、舐め腐りやがって!」と叫んだ。
帰途につこうとしていた直参らは、再び総本部の大広間に集まった。
葛西若頭が状況を説明しているとき、大広間に和久井一朗総長が入ってきた。
【続きの購読は無料です】 大広間の上座に座った和久井総長は苦虫を噛み潰したような顔で一言つぶやいた。
「葛西、ワシの昼飯はまだかのう?」
みなの緊張を和らげるため、ボケをかました和久井総長の心を読み取った喜村若頭補佐が
即座にツッコミを入れる。
「お爺ちゃん、お昼ご飯ならさっき食べたでしょ?」
謹厳実直な和久井総長と武闘派中の武闘派喜村若頭補佐のショートコントは、たちどころに
大広間に集まった直参たちの心をほぐし、小さな笑い声があちらこちらから湧いてきた。
それを確認した和久井総長が凜とした声で告げる。
「若い者たちの奪回が最優先だ。返しはその後でいい。全ての責任はワシが負う。」
大広間にいた全員が大きく頷いた。 葛西若頭は「人質を取ったということは、交渉材料にするつもりだろう。だが一刻も早く見つけるために、それは喜村の兄弟に任せたい。葛西会からも何人か応援に行く」と言った。
喜村組は有事の際の情報網が整備されていて、実動部隊がいるからである。
喜村組長はすぐさま喜村組の組員たちに指示を出した。
続けて葛西若頭は「今から3時間経っても相手から連絡がなく、人質を見つけられなかったら、向こうの本部にカチコミしかない」と言った。
すると、和久井総長が口を開いた。
「みんなから、各組の組員らには、状況だけを伝えてくれ」と言った。
和久井総長は、命令されて若い組員らがカチコミに走ることを良しとしない。
状況だけを伝え、組員らによる自発的に行動に期待するという考えなのだ。
そして和久井総長は「責任はすべて、この和久井が取る」と言った。
この言葉には、その場にいた直参ら全員がしびれただろう。
上の者が責任を回避し、下の者ばかりが苦労するのが当たり前のようになっているヤクザ社会において、和久井総長だけは違うのだ。
それから1時間後には、約300名の組員がカチコミ部隊入りに名乗りをあげた。
葛西若頭を筆頭とする直参らは、J組の総本部だけを全員で攻めるべきか、いくつかある枝の事務所を何人かに分かれて攻めるべきか考えていた。
そして2時間後、喜村組長の携帯電話が鳴った。
人質に取られた緋川一家系の組員全員を、喜村組の組員らが見つけて救出したという。
喜村組長は「お前ら、ようやったぞ!」と喜村組の組員らを褒めた。
喜村組の組員は、J組の組員を10人捕まえていたが、喜村組長は「二、三発どついて帰してやれ」と言った。
葛西若頭は「よし、行くか」と立ち上がった。
現場指揮官として、葛西若頭みずからが相手の総本部に出向くことにしたのである。
【続きの行動は有料です】 >>501
>喜村組は有事の際の情報網が整備されていて、実動部隊がいるからである。
>喜村組長はすぐさま喜村組の組員たちに指示を出した。
万年修羅場の喜村組は、服役しとる連中がゴロゴロおる設定なんやろ?
判決が降りて裁判終わるまで、留置やら拘置で身柄押さえられとる連中もおるわけや。
そんな連中に有事の際の連絡網が整備できるはずあらへんがな?
百万歩譲って、仮に実働部隊がおっても何割動けるかわかったもんやないんちゃうか? w 芋煮やで、東北出身者が多いからな この時は皆似非関西弁じゃなく地元のズーズー弁や 芋煮会で、肉は牛肉派と豚肉派、味付けも味噌派と醤油派で4分裂。
歴代当代は4種類全部食って、どうにかこうにか丸く収めるのが仕事w 底抜けの
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゙'爨「 `爨爨a´ `゙゙´ ゙゙ ゙'爨爨a `゙゙''爨爨 十七代目緋川一家三代目和久井会で顧問を務めていた峯岸組の峯岸道康組長がこの世を去った。
峯岸組長といえば、古き良き時代の極道らしい極道だった。
カタギの知り合いの結婚式などには、招待されても「ヤクザが行ったら迷惑がかかる」と行かないような人だ。
その代わり、祝儀は必ず贈るという義理堅い親分なのである。
また自身の組を大きくするという気持ちもなく、組員たちがカタギになれるのであれば、喜んで送り出すのだ。
峯岸組を出て、会社をつくって成功した社長も多い。
その社長がお世話になったお礼にお金を持参しても、峯岸組長は絶対に受け取らない。
もちろん、高級車などにも興味はなく、質素な暮らしをしていた。
そんな峯岸組長は、和久井会ができた当時から和久井親分の舎弟だった。
生前、インタビューで和久井親分とのエピソードを語ってくださったこともある。
かつて和久井親分が刑務所に収監されているとき、和久井会は数々の抗争でほとんどの組員が当局に拘束されていた。
よって、和久井親分が出所した際の出迎えには、まだ20代だった峯岸組長しか行けなかったという。
「アニキのために、背広を仕立てて持って行ったんですよ。カッコよくいてもらわあかんからね」と峯岸組長は当時を振り返ってくださった。
さっそく和久井親分は背広を着用すると、サイズが合わず背広が大き過ぎたそうである。
しかも真夏だったので、背広を着るとさらに暑くなる状態だ。
「何も考えずに背広を持って行ってしまってね、それでもアニキは黙って着てくれて嬉しかったです」と峯岸組長は振り返る。
和久井親分はその背広を着たまま、各地の親分衆に放免の挨拶まわりをした。
そして数日後には、和久井会本部に各地の親分衆から大量の食材が届いたそうだ。
各地の親分衆は、和久井親分が刑務所暮らしでかなり痩せたと思い、体を気遣って食材を送ったのだ。
実際は、和久井親分は痩せてなどおらず、背広が大きかったから痩せて見えただけである。
峯岸組長は「今となっては笑い話ですけど、その当時は下手打ったと思いましたよ」と語ってくださった。
【続きの購読は無料です】 和久井さんところは、皆で道路の
雪掻きとかやってるんだろうな。
「堅気さんが難儀してるのに、
こんな時に役に立てないで何が
任侠か」 和久井さんは何もしなくても、
子分たちが独自に動いて組織が
拡張する、理想的な組織。
多分20年で全国制覇出来るな。 放免祝い欲しさに、よその親分衆のところに挨拶回りをする和久井なんかに、
丸山さんも自分の後を乞食に継がせるわけにはいかんわなw シノギは皆合法で、堅気を食い物
にするのは言語道断だろうな。 和久井さんは地元を大事にしてるな。
一般の婦人が差し入れとかするん
だって? 【十七代目緋川一家】
総長・和久井一朗
若頭・葛西達哉(葛西会会長)
舎弟頭・吉野哲(三代目山岡組組長)
総本部長・重松拓海(三代目八尋会会長)
顧問・柳谷紀夫(柳谷会会長)
顧問・秋山義彦(秋山組組長)
顧問・明智聡志(明智組組長)
顧問・中村大輝(三代目真崎組組長)
顧問・川城信人(川信会会長)
若頭補佐・喜村辰弥(喜村組組長)
若頭補佐・山崎仁(二代目奈良健組組長)
若頭補佐・齋藤嘉男(六代目田崎橋連合会会長)
若頭補佐・如月道春(三代目和久井会会長)
若頭補佐・朝美恵也(朝美組組長)
舎弟頭補佐・大木正親(大木会会長)
舎弟頭補佐・原田旭(三代目服部組組長)
舎弟頭補佐・谷中保夫(正闘会会長)
舎弟頭補佐・篠崎耕平(二代目八響会会長)
舎弟頭補佐・吉道貴史(五代目田宮組組長)
以下
舎弟・8名
若中・68名 十七代目緋川一家の新しい人事が発表された。
最も注目すべきは、若頭補佐に五代目田崎橋連合会の齋藤嘉男会長と、三代目和久井会の如月道春会長と、朝美組の朝美恵也組長が抜擢されたことだろう。
齋藤若頭補佐は直参になった当時から「いずれは最高幹部になる器」という声が多数があり、今回それが現実となった。
如月若頭補佐は、本家親分である和久井一朗総長が興した和久井会を継承したほどの逸材である。
もちろん重圧もあっただろうが、類い稀な活躍を見せ、満を持して最高幹部入りした。
和久井総長は、如月若頭補佐を一切贔屓することなく、むしろ厳しい目で見ていた。
それだけ期待していたということだが、如月若頭補佐はその期待に応え、和久井総長やすべての直参から認められる存在となった。
そして朝美若頭補佐もまた、直参昇格から2年という早さで若頭補佐に抜擢された。
八尋会の出身で、20代前半で抗争によって長期服役し、出所後に直参に昇格した逸材だ。
超武闘派として知られており、朝美組は破竹の勢いである。
緋川一家の超武闘派といえば、喜村組が有名だが、喜村組を率いる喜村辰弥若頭補佐に対しても一歩も引かないほどだ。 某日。
最高幹部が一新され、初めての最高幹部会が緋川一家総本部でおこなわれた。
運営方針について話し合われていたが、朝美若頭補佐は早速、一家全体が武闘派路線で行くことを主張した。
さらに朝美若頭補佐は「喜村さんが最高幹部になったとき、緋川はもうちょっと喧嘩できる組織になると思ってましたよ」と発言したのだ。
これに対し、喜村若頭補佐は「おい、どういうことや?」と返した。
他の最高幹部らが「ここは話し合いの場や。やめとけ」と静止したが、ピリピリした空気が流れた。
しかし、朝美若頭補佐は「喧嘩もできんなら、よそに舐められて、シノギにも響きますよ。一部の上は常に潤ってるならええかもしれんが、下の若い衆らが食えんようになる」と主張した。
それを聞いた重松総本部長は「兄弟ら、申し訳ない。朝美をこの席に推薦したのはオレなので、一連の発言はこちらで責任を取る」と言った。
葛西若頭は「うちから喧嘩を吹っかけることをせんだけで、何かあったら返しは全てしてきた。うちは喧嘩集団じゃないからな」と言った。
しかし、朝美若頭補佐は「オレはオレのやり方で、やらせてもらいますから」と言い、部屋から出て行ったのである。 それを見た重松総本部長は「喜村の兄弟、我慢してじっとしておいてくれよ」と言った。
喜村若頭補佐は「今日の寄り合い、もうこれで終わりやったら帰るわ」と言った。
そのとき、如月若頭補佐が口を開いた。
「この一件、オレに任せてもらえませんか?オレとアイツは同時に頭補佐に上がった者同士です。向こうも話をしやすいと思います」と皆に伝えたのだ。
葛西若頭は「あぁ、頼む」と言った。
そして如月若頭補佐は総本部を出て、運転手が運転する車で朝美組の事務所に向かった。
朝美組事務所に着くと、如月若頭補佐は「車で待っててくれ」と運転手に伝えた。
朝美組の事務所前には、屈強な男たちが5人立っていた。
男らは「どちらさんで?」「誰にご用で?」「何のご用で?」と次々に言った。
それを見た運転手は「お前ら、誰に口にきいとるんじゃ!」と怒鳴った。
如月若頭補佐は「おい、やめとけ」と言った。
その瞬間、事務所から朝美組の組員が「おい、何ごとじゃ!」と言い、ゾロゾロと出てきた。
その中の1人が「あぁ、如月の叔父貴ですか。ボスに用なら、とりあえず入ってくださいや」と言った。
如月若頭補佐は、黙ったまま、男たちの間を割って事務所内に入った。
すると朝美若頭補佐がソファに座っており「おう、どうしたんや?」と言った。
如月若頭補佐は「あのな、先に言うとくが、お前は若い衆にどんな教育しとるんや?」と言った。
朝美若頭補佐は「なんや、説教しにきたんか?」と返した。
そして朝美若頭補佐は「まぁ、ええわ。気分を害したんなら仕方ない。今日の当番長に詫びを入れさすわ」と言った。
そして当番長に向かって「おい、指詰めろ」と言った。 高田、小顔で本当にかわいいよ。エロいこと想像すると背徳感で興奮しまくってたまらないよ。
高田、高田、かわいいよ。それでいて化粧ばっちりで、ムラムラしちゃうよ。口紅もいいね。
シコシコ高田で射精してるよ 金は無くても、和久井御大みたいな
生き方をしてみたいな。 和久井のシノギいうたら昔からシャブと売春で有名や それ以外は聞いた事がないぐらいな 組に差し入れに来た近所の
奥さんとデキたりする組員
もいるんだろうか。 「保釈金はにしぇんまんえん」で有名な籠谷武さんは、こちらの組員? 悔しいですが、和久井親分は亡くなりました。
整然と見送ってあげて下さい。 和久井親分「俺らのワクチン接種
は最後の最後だ。堅気の弱い人
から打ってください」 日本で一番、「清貧」を心掛けて
いる組織だろうな。 今回は十七代目緋川一家喜村組の喜村辰弥組長の物語を紹介しよう。
若き日の喜村は、毎晩のようにあちこちの賭場に出入りしていた。
あるとき、丸山組武村会の賭場に入った。
その日は負けが込み、カッとなった喜村は胴師に対して難癖をつけた。
すると合力は「お客さん、金がなくなったからって、ケチ付けられたら困ります。サイコロいじりするには金が必要でっせ」と言った。
これに怒った喜村は「乞食とちゃうぞ、コラ!」と言い、盆を蹴散らした。
そのとき、武村会の武村宗太郎会長が「客人、それぐらいに」にと言った。
喜村は「おう、ここの親方か」と言いながら落ち着いた。
武村会長といえば、丸山組で舎弟頭の地位にある重鎮だ。
その武村会長は「うちの者の行儀がなってなかったみたいで。これで勘弁を」と言い、数百万円を差し出した。
喜村は金を受け取り、座り直した。
武村会長は「他のお客さんもおられる。今日はどうぞお帰りを」と言った。
喜村は「そうさせてもらいますわ」と言いながら、受け取った金すべてを他の客たちに配って帰った。
合力は武村会長に「親父さん、すみませんでした」と謝罪した。
武村会長は「あの男は、どこの身内や?」と尋ねた。
合力は「最近、少年院から出て来たばっかりの喜村っていう男です。どこの身内でもないようです」と言った。
武村会長は「あれは、ええ極道になるぞ」とつぶやいた。 翌日、喜村は再び武村会の賭場に入った。
黙々と勝負していたが、またしても負けが込んできた。
そのとき、客が「こんなときでも賭場を開いてるんだな」と言いながら賭場に入ってきた。
その客はちょうど喜村の隣に座ったので、喜村は「どういうことだ?」と尋ねた。
客は「武村会と城山組とで喧嘩が始まったそうだ」と答えた。
喜村は「喧嘩か」とつぶやいた。
城山組といえば木並一家の二次団体だが、イカサマが多いことで有名だった。
客が寄り付かなくなると、さらに派手なイカサマをおこなう悪どい組である。
喜村も良いイメージを持っていなかった。
喜村は武村会の賭場を出ると、城山組の事務所に向かった。
そして組員が30人ほど居た事務所内で日本刀を振り回して、大暴れしたのだ。
いきなりのことで組員らは驚き、まったく太刀打ちできなかった。
喜村は「今日は博打で負けて気が立ってるんや。八つ当たりさせてもらうで」と言い、さらに暴れた。
結果的に城山組は多数の負傷者を出し、事務所は無茶苦茶になった。
「たった1人で組を潰した突破者がいるらしい」という話題は、すぐにヤクザ社会を駆け巡った。
話を耳にした武村会長は、喜村がよく行くという飲み屋を訪れた。
するとそこには喜村がおり、武村会長は「あんた、うちのために動いてくれたんか?」と質問した。
喜村は「いいや、暴れたかっただけですわ」と答えた。
武村会長は「ワシは、あんたを若い衆に欲しいと思ってた。でもあんたには、うちは狭すぎるようや」と言ってた。
喜村は「高く買ってもらって恐縮ですわ。博打は下手で、喧嘩しかできませんから」と答えた。
武村会長は「それでも、ヤクザはやってみんか?丸山のアニキに紹介したい」と言った。 丸山組の丸山鉄也組長も、他に類を見ない突破者である。
喜村は「丸山の親分の若い衆になれるんですか?」と言った。
武村会長は「推薦しかできんが、きっとアニキも気に入ってくれる」と答えた。
翌日、さっそく武村会長と喜村は丸山組本部を訪れた。
そこには丸山組長もおり、喜村は挨拶をした。
丸山組長は「おぉ、城山のところを潰したっていう若者か」と言った。
喜村は「自首して、体をキレイにしてきますんで、帰ってきたら盃をもらえませんか」と言った。
丸山組長は「いちいちそんなことで中に入ってたらキリないやろ。ゴミ掃除しただけやと思ってたらええ」と返事をした。
喜村は「ゴミ掃除させてもらえるなら、いくらでもやります」と言った。
丸山組長は「そうか、面白いな。掃除代を持っていけ」と言い、札束を渡した。
そして丸山組長は「よし、今日から子分や。しばらくは奈良健に面倒見てもらってくれや。奈良健、頼むぞ」と隣にいた男に声をかけた。
その男こそ、当時丸山組の若頭補佐を務めていた奈良健組の奈良崎健二組長である。
喜村は「ありがとうございます」と礼を言った。
喜村は、丸山組長の圧倒的な存在感に感嘆した。
いくつもの修羅場をくぐり抜けて来た者にしか出せないオーラを感じたのだ。
【続きの購読は有料です】 【緊急レポート】
十七代目緋川一家で定例会がおこなわれていた当日、総本部前で取材していた我々取材班は緊張と衝撃が交錯した。
いつもより早い時間に、朝美恵也若頭補佐の乗る車が総本部の門から出てきたのだ。
緋川一家の定例会は通常1時間ほど行われ、その後は直参たちがリラックスした雰囲気で各々30分ほど談笑し、最初に門から出てくるのは顧問を筆頭とした舎弟衆の車だ。
その後、若中の車が出てきて、和久井一朗総長や執行部の車は最後のほうに出てくるのが常である。
にも関わらず、朝美若頭補佐が定例会開始から15分で出てきたのだ。
しかも後部座席の朝美若頭補佐は、厳しい表情をしていた。
他社の取材クルーたちは「脱退ではないか?」「分裂の予兆なのではないか?」と緊迫している。
実際、我々取材班も嫌な予感がし、バイクで朝美若頭補佐の車を追いかけた。
スクープを取りたかった気持ちより、緋川一家に何事もないことを知りたい気持ちが勝った。
朝美若頭補佐は朝美組の本部に帰るに違いないと踏んだ我々は、バイクしか通れない細い近道を走ったのである。
そして我々は朝美組本部に到着したが、驚くべき光景を目の当たりにした。
朝美組本部を喜村組の組員50人ほどが囲んでいたのだ。
超武闘派集団といわれる喜村組の統制力や迅速さに驚いたが、やはり異常事態なのは間違いないようである。
緋川一家の同門ということもあり、突発的な出来事は起きていない様子だったが、喜村組と朝美組という武闘派がぶつかると、収拾が付かなくなる。 そのとき、別の取材班から電話がかかってきた。
以前より意見が対立していた喜村辰弥若頭補佐と朝美若頭補佐だが、その日の定例会でも話がこじれ、朝美若頭補佐が退席しようとした。
それに対して喜村若頭補佐は「定例会を軽く見るな」と一喝したという。
すぐさま朝美若頭補佐は「あんたに言われることではないし、喧嘩ならいつでもやる」と返答。
そして、そのまま退席したというのである。
つまり、自分の親分が舐められたと感じた喜村組の組員たちは、自発的に朝美組本部に集まったという見方ができる。
それであれば、我々の目の前で起きているのは、かなり緊迫した状態だ。
喜村組組員たちの表情からは、怒りが感じられた。
朝美若頭補佐の車は、まだ戻ってきていない。
そのとき、朝美組の山田貴利本部長をはじめ、組員たちが本部から出てきた。
それを見た喜村組の仲崎春也若頭が山田本部長に「中に入れてくれ。中で話がしたい」と言った。
山田本部長は「それは無理だ」と返答。
仲崎若頭は「じゃあ、お前のとこの親方が帰ってくるまで外で待つ」と言った。
山田本部長は「ボスは帰ってこない」と返事をした。
すると喜村組組員らは「お前らの大将は子分を見捨てて逃げるんか!」「話ぐらいさせんかい!」「いつでも喧嘩するって啖呵切ったんちゃうんか!」と声をあげた。
そして仲崎若頭は、山田本部長に対して「じゃあ、今日はオレらも帰るが、明日にでも喜村の事務所に来るよう親方に言うてくれや。うちの顔も立ててもらわんと困るんや」と言った。
山田本部長は「そっちのほうから、こんな大人数で押しかけてきたことの詫びをしたらどうだ」と答えた。
そのとき、緋川一家の最高幹部である重松拓海総本部長の車が来た。
重松総本部長が車から降り、次に降りたのは喜村若頭補佐だった。
驚いた喜村組組員たちは「親っさん、どういうことですか?」と尋ねた。
喜村若頭補佐は「話は後や。お前ら、今日は帰るぞ」と言った。
喜村組組員らは一斉に「はい」と返事をした。 朝美を補佐に推薦した重松はボンクラ。
それを最終承認した和久井もボンクラ。 都合の良いときだけの家族ゴッコだからな、緋川も。
どんなにきれい事を言ってても、一皮剥けばケダモノ。 朝美は和久井親分や緋川一家に累が及ばないようにするために、
反目の組織に単身カチコミしていたとかいうオチかな? コロナワクチン接種のために、本部
事務所を自治体に無償で提供しそう。 ひとまず、内部抗争勃発という最悪の事態は回避した。
しかし取材を進めていくと、あろうことか、多数の朝美組の組員によって、喜村組の事務所が襲撃されていたことが分かった。
喜村組の組員らが朝美組事務所に集まっていたのと同じタイミングである。
物騒な道具こそ使われなかったものの、事務所に数人いた喜村組組員は病院に運ばれた。
これには本家若頭である葛西達哉若頭も怒り心頭だったが、冷静に対処するため「まずは重松が、朝美と話をしてくれ」と発言したということが分かった。
重松総本部長は三代目八尋会を継承しており、朝美若頭もかつては二代目八尋会で幹部だった。
つまり同系列であることから、重松総本部長に白羽の矢が立ったのだ。
そして葛西若頭は「喜村の兄弟のところは、動かないでくれ」とも言ったそうである。
これにより、重松総本部長と喜村若頭補佐は、喜村組組員を止めに来たということだ。
重松総本部長は「朝美は戻ってきてないようだな」とつぶやいた。
喜村若頭補佐は、朝美組の組員らに「お前ら、組同士の喧嘩になったら、真っ先にオレを狙いに来いよ」と言った。
そのとき、重松総本部長の携帯電話に葛西若頭から着信があり、総本部に戻るよう言われた。
重松総本部長と喜村若頭補佐が総本部に行くと、緋川一家直参の武川祐輔若中も来ていた。
武川若中は武川組を率いる新進気鋭の若手組長だ。
武川組は和久井会傘下から緋川一家直系になった組織で、いわば武川若中は和久井会系統である。
武川若中は総本部の定例会に出たあと、武川組の事務所に戻って、再び総本部に来たのだ。
なんと、事務所で小指を詰めたという。
そして、その小指を喜村若頭補佐に差し出して「朝美や朝美組の行動は、到底許されるもんではありませんが、緋川一家がゴタゴタするのは自分も我慢できませんし、外に格好がつきません。それに朝美は昔からの兄弟分なんです。これで収めてください」と述べた。 喜村若頭補佐は「武川、お前は立派な極道やな」と言った。
武川若中は「出過ぎたマネしましたが、どうか頼みます」と頭を下げた。
葛西若頭は「頭を上げてくれ。この指は親分のところに持っていく。喜村の兄弟、それでいいか?」と言った。
喜村若頭補佐は「ああ。こんな男前なことされて、ギャーギャーわめくのも野暮や」と返事をした。
そして葛西若頭と喜村若頭補佐と武川若中は、和久井総長がいる部屋に行った。
和久井総長は、差し出された指をじっと見つめた。
そして「この指は、ちゃんと供養させてもらう」と言い、茶を飲んだ。
葛西若頭は「武川、お前も茶を飲め」と促した。
これは、すべて水に流すという意味の、昔ながらの極道の所作である。
武川若中は「ありがとうございます」と言って、茶を飲み干した。
和久井総長は、側にいた当番組員に対し「悪いが武川を病院まで送ってやってくれ」と言った。
武川若中は再度頭を下げ、部屋から出て行った。
その後、和久井総長は「喜村のところの組員の容体はどうなってる?」と尋ねた。
喜村若頭補佐は「うちの者らは頑丈な体だけが取り柄です。ピンピンしてます」と答えた。
最後に葛西若頭は「朝美はどうしますか?」と尋ねた。
和久井総長は「今回の件は、もう終わったことで、後は朝美の好きにさせてやればいい。それより武川のことはしっかり見てやってくれ」と言った。
自分の子分が指を落としたというのは、和久井総長にとっても心が痛い出来事だろう。
しかしながら、組や兄弟分のために指を落とした武川若中の所作は、極道としては見事なものである。 これで武川は朝見からの借金帳消しだな。
指一本で二千万か。 そのうち朝美が若頭補佐から外されて、武川が昇格するんだろうね。
自分に任せてくれと言っておきながら、屁の突っ張りにもならなかった如月とは大違い。
朝美どころか如月もうかうかしてると、武川に追い越されるぞ。 喜村組事務所を襲撃した朝美組の組員は、朝美の指示で動いたのかな?
それとも自発的に動いたのかな?
和久井総長は「水に流す」とか、「後は朝美の好きなようにさせてやれ」と
言ってるけど、朝美はどんなオトシマエをつけるつもりだろう?
取材班さん、ぜひとも続きを頼みます。 その話は朝美若頭補佐の耳にも入ったのだろう。
すぐさま朝美若頭補佐は緋川一家総本部を訪れ、最高幹部に謝罪した。
葛西若頭は「武川の指を受け取って、喜村の兄弟も収めたし、親分も手仕舞いにされた」と言った。
喜村若頭補佐は「この先、どうするんや?」と尋ねた。
朝美若頭補佐は「許してもらっても、内部で手を出したのは、マチガイでは済まんと思ってます。絶縁状を出してください」と言った。
葛西若頭は「そうか。自分の意思でヤクザ辞めるなら、絶縁じゃなしに引退にしておく」と言った。
朝美若頭補佐は「代紋で稼いだ金は、すべて置いていきます」と言った。
葛西若頭は「自分らの器量で稼いだ金を、置いていかれても困る」と返事をした。
朝美若頭補佐は「ありがとうございます。最後に、親分に挨拶させてください」と言った。
葛西若頭は「親分は、もう家に帰られたが、一緒に行くか?」と返事した。
そして2人は、和久井総長の自宅を訪れた。
そのとき、和久井総長は部屋住みの組員らと一緒に、夕食を食べていたのである。
代紋頭が、三次や四次の組員と同じ食卓で同じものを食べていることに朝美若頭補佐は驚いた。
すると部屋住みの組員らが「この席、空けますから、食事してください」と言った。
葛西若頭は、部屋住みに対して「いや、そのまま食ってくれよ」と返事をした。
朝美若頭補佐は、緋川一家の最高幹部だったにも関わらず、自分は一家のことを何も知らなかったと感じた。
トップみずからが、上も下も関係なく、同じ目線に立つという距離感の近さを示しており、それこそが緋川一家の強さの芯かもしれないと思ったのである。
朝美若頭補佐はこれまで、一家内部で上り詰めることだけを考えてきた。
そのためには強い者を倒すというのが一番と思い、喜村若頭補佐に噛み付くことが多かった。
しかしそれは、あくまで自分だけが強くなるためであり、一家全体の繁栄には何ら貢献していなかったと気づいたのだ。 そのとき、和久井総長が「ここへ来たということは、何か伝えに来たんだろう」と言った。
朝美若頭補佐は驚きながら「は、はい。今回の一件の責任を取り、足を洗います。手仕舞いにしていただきましたが、自分なりの責任も取りたいと思っています。組員らは全部自分の指示で動いただけです」と返事をした。
和久井総長は「そうか。足を洗っても食っていけるなら、それでいい。組の若い衆の行き先は、ちゃんと見てやってくれよ」と言った。
そして「落ち着いたら、また遊びに来い」と付け加えた。
朝美若頭補佐は、深々と頭を下げた。
箸を止めて話を聞いていた部屋住みたちも、朝美若頭補佐に深々と頭を下げた。
我々取材班は過去に、とある大物親分の取材をしたことがあった。
今は鬼籍に入られた親分で、和久井総長よりもかなり年上である。
その親分の言葉をそのまま紹介しよう。
「ワシも長いことヤクザしてますが、もう何年か先にはヤクザはおらんようになるんちゃいますか。ヤクザが生きていけるような世の中ではなくなるし、真面目にヤクザをするような者も減ってきましたな。
まぁ、でもね、和久井君はいいね。立派なヤクザですよ。
ワシのほうが年上やし、渡世も長いからということで、和久井君はワシを立ててくれるけど、器量は和久井君のほうが上ですわ。
道を極めるという意味では、和久井君こそ本物の極道ですよ。
じつはワシね、もうちょっと自分が若かったら、和久井君の子分になりたいぐらいですわ。ほんまに。今生は無理やけど、生まれ変わったら子分になりたいね」
この大物親分が言った通り、和久井総長は稀代の極道となった。
その和久井総長の子分という地位を、朝美若頭補佐は放棄することになった。
しかし、カタギとして生きていけるのであれば、それを応援するというのが和久井総長の考えなのである。 それにしても朝美は行儀悪すぎだよね。
如月が事務所にきてトラブったときも、簡単に当番長にエンコ詰めさせようとしてたし。
八尋初代の肇も、二代目の中田武雄も、先輩の重松拓海もどんな教育をしてたんだろう?
長期服役していたので、かつて丸山初代が抗争にカタギ衆を巻き添えにしてしまったときの
ケジメのつけ方も、和久井親分の人柄も、知りませんでしたでは済まないんじゃないかな?
こんなサイコパスが若頭補佐に抜擢されているようじゃ、緋川一家も長くないよ。
朝美を若頭補佐に推挙した重松総本部長の出処進退は如何? 今回の朝美騒動で一番男を上げたのが武川さん。
次が喜村さんだね。
これぐらいのことは、喜村さんにとっては当たり前のことなんだろうけど。 次の人事
重松が頭補佐に降格を申し入れ、喜村が昇格。
朝美引退で出た頭補佐の欠員は、武川が昇格。
取材班さん、よろしくお願いします! これで今回の一件は一応の収束となったものの、葛西若頭と重松総本部長は、みずから謹慎を申し出た。
しばらくの間は、他の最高幹部たちが指揮をとるという。
組の要となる2名が一時的であれ不在になるのは異例中の異例だろう。
これは、騒動を起こした朝美元若頭補佐の任命責任は自分たちにあるということで、みずからに処分を課したということである。
実際には、朝美元若頭補佐を最高幹部に推挙したのは、他の舎弟や若中たちである。
朝美元若頭補佐は抗争による長期服役を経験しており、また破竹の勢いを誇っており、一家への貢献度から最高幹部に推挙されるのは自然なことではあった。
緋川一家には和久井系や堺川系、奈良健組系、田崎橋系など、大きな系譜がいくつかある。
しかしそれは派閥ではない。
堺川系の流れを汲む朝美元若頭補佐を推挙したのも、様々な系譜の直参たちであった。
葛西会と八尋会も堺川系統であり、葛西若頭と重松総本部長は今回の一件では特に責任を痛感したのであろう。
そして空白となった若頭補佐の一席には、七代目瀧舟会の岩井誠忠会長が就くことが濃厚だという。
岩井会長は田崎橋連合会から緋川一家直参に昇格した50代前半の親分である。
直参昇格後は緋川一家内での存在感がさらに増し、以前から最高幹部就任の待望論が各方面であがっていた。
瀧舟会は古くから続く的屋系の名門であり、岩井会長は斯界では「七代目瀧舟」「瀧舟の七代目」と呼ばれている。
筋を通す厳格な親分として知られており、また顔も広く、あらゆる組織の媒酌人や仲裁人も多く務めている。 -------------
【和久井系】(緋川一家直系11団体)
三代目和久井会、二代目波本組、鷹井組、小磯組、武川組など
和久井一朗親分が興した和久井会を源流とする系統。
和久井会を大きくすることにこだわりはなく、実力ある親分は独立することを推奨する和久井親分の意向により、数多くの直系組織を輩出している。
任侠道を重んじる系統だが、大義がある抗争になると一歩も引かないのが特徴。
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【堺川系】(緋川一家直系13団体)
三代目山岡組、葛西会、三代目八尋会、二代目春野組、桂山組など
昭和中期に旗揚げした堺川組の堺川七松親分を祖とする組織で、その系譜は脈々と続いている。
堺川組長の子分だった山岡昌吉組長がその地盤を引き継ぎ、勢力を拡大。
山岡組は八尋会や葛西会といった強力な組織を輩出した。
現在は緋川一家内に堺川系統の直参が13名いる。
金看板である堺川の名跡復活の声もあがっているが、実現には至っていない。
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【奈良健系】(緋川一家直系9団体)
二代目奈良健組、喜村組、秋山組、木嶋組、梅本組など
最近引退した奈良崎健二親分が興した奈良健組が源流。
穏健派として知られており、子分を育てることに長けた奈良崎組長は、多数の直参を輩出した。
一方で、超武闘派として知られる喜村組の喜村組長も奈良健組出身であり、奈良崎組長の前では直立不動であった。
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【田崎橋系】(緋川一家直系5団体)
六代目田崎橋連合会、七代目瀧舟会、五代目丘松会、六代目北町義光会、三代目坂野川会
幕末の大侠客である田崎橋之助親分を祖とする的屋系統。
田崎橋の一門は五代目時代に散り散りになったが、当代の齋藤嘉男会長が田崎橋の名跡を復活させた。
田崎橋の名跡が極道社会に戻ったきたのは実に50年以上ぶりだった。
そして独立独歩で歩んでいた田崎橋の系譜を受け継ぐ組織が合流し、田崎橋連合会として再編した。
------------- 朝美さんは、しばらく柴村和尚のお寺で修行させてもらったらいいのにね。
もう堅気だから、博打打っちゃダメだけどさ。
柴村和尚は和久井親分と森崎親分の下で修行してきた本物のヤクザ。
遠回りかもしれないが、得られる物、見えてくる物の2つや3つはあるはず。
ヤクザ渡世や寄場の厳しさと比べれば、寺での修行ぐらい屁の河童だろう?
家族が食べていけるのなら、俗世を離れ、5年間黙って雲水修行。
そうすれば5年縛りも解除されるから、お天道様の下を大手を振って歩ける。 七代目瀧舟会の岩井誠忠会長が、十七代目緋川一家若頭補佐に就くことが正式に発表された。
岩井は20歳のころに、独立団体だった五代目瀧舟会の三次団体である岸村総業に入った。
しばらくは部屋住み生活だったが、部屋住みが明けると瀧舟会本家幹部のボディガードをしていた。
ある日、その幹部が数千万にものぼる借金をつくった。
しかし返済日になっても返せる額はなく、掛け合いに行くことになった。
だが掛け合いの相手は和久井会だと分かり、幹部は一気におじけづいた。
そこで岩井が代理で掛け合いに行くことになってしまったのである。
身代わりのようなものだろう。
待ち合わせの喫茶店に来たのは、和久井会の藍澤春樹舎弟頭補佐だった。
あまりにも格が違いすぎて、岩井は金が用意できない旨を説明し、ひたすら謝った。
借りた5分1ぐらいの額しか持たされてなかったのだ。
藍澤舎弟頭補佐は、取り立てに来た身としては、簡単には引けないはずである。
しかし「話し合いをしてても、金が生まれるわけちゃうからな。来週でええわ」と言った。
そしてそのまま喫茶店を出たのである。
それからというもの、岩井は寝る間も惜しんで金を集めた。
だが20代そこそこだったので大きなシノギもアテもなく、300万ほど集めるのがやっとだった。
まだまだ全く足りない金額だったこともあり、岩井は詫びとして指を詰めた。
その金と指を持って、藍澤舎弟頭補佐と待ち合わせした喫茶店に向かったのである 藍澤舎弟頭補佐は金と指を見て「気持ちは分かった」と言った。
そして「瀧舟といえば、的屋の世界では名家や。あんたが頑張って立て直してや」と続けた。
そして「これ、病院代や」と言って500万の金を岩井に渡したのだ。
藍澤舎弟頭補佐からしたら、全く金を回収できていないが、金を返せず、20代そこそこの若者をよこするような者が幹部として居座る瀧舟会の現状を見て嘆いたのだ。
そして必死に金を集め、指まで詰めた岩井に心を打たれたのだろう。
それどころか、岩井に大金まで渡す器量は並大抵のものではない。
岩井は藍澤舎弟頭補佐の器量に感激し、言葉が出なかった。
帰り際、藍澤舎弟頭補佐は「よそからも金をつまんでて、同じようなことがあっても、もう指は詰めるなよ。オレらみたいなサイコロいじり、札いじりをしてる者より、あんたらみたいな神農さんは尊い商売や。汚い面倒事の解決はオレらの仕事やし、何か困ったことがあったら言ってきてくれ」と言い、その場から去っていった。
事務所までの帰り道、岩井は藍澤舎弟頭補佐のような親分に付きたいと考えた。
しかし、瀧舟会を立て直すという約束を果たし、胸を張って藍澤舎弟頭補佐に再び会いたいとも思ったのである。
そんな気持ちを抱えながら瀧舟会本部に着くと、金を返せなかった幹部が「おう、岩井、ご苦労さんやの。話はついたんか?」と言った。
岩井は「オレみたいな下っ端に尻を拭かせて、何で偉そうにしてるんですか?」と返事をした。
幹部は「何?お前、どういうつもりや?」と怒った。 そのやりとりを見ていた本家若頭の南山修若頭が「岩井の言う通りや」と言った。
幹部は「カシラ、ガキの肩持つんですか?」と言った。
南山若頭は「外の組に簡単にイモ引いて、中ではふんぞり返って、お前それでも極道か!」と怒った。
それ以降、幹部は組内での立場が悪くなって引退。
約10年後、南山は六代目瀧舟会を継承して、岩井は直参に昇格し、後に最高幹部に登用された。
さらに後年、瀧舟会は縁あって緋川一家に加入。
南山の病気による引退に伴い、岩井は七代目瀧舟会を継承し、緋川一家直参となった。
元和久井会の藍澤氏は、かなり前に引退していたが、岩井は継承式当日に藍澤氏の自宅を訪問し、挨拶をした。
藍澤氏は「時代も立場も違うけど、和久井のアニキから盃をもらったもん同士やな」と言った。
岩井は「あのときは本当にありがとうございました」と改めて礼を述べた。
藍澤氏は、台所からビールを持ってきて、グラスに注いで岩井に渡した。
岩井は藍澤氏のグラスにビールを注いだ。
そして互いに、ゆっくりグラスを傾けた。
長い年月を経た再会。
2人の間には、静かな時間が流れていた。 会なのに、理事長じゃなく、若頭?
そういえば和久井会も若頭だったなw 和久井会では、痴漢や万引きを
したら即絶縁だろうな。 万引きはしないけど、毎回毎回立ち食いそば屋の割り箸を何膳か余計に取って
それを家に持って帰るのが和久井親分。
最近はスーパーで総菜コーナーに置いてある輪ゴムも持って帰る。
如月さんが菓子折持って謝りに行ってはるわw _‖_ ―◇
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 ̄ ̄ ̄ ♪
∧_∧ ああ〜 日本のどこかで〜
( ・∀・)__ __和久井を待ってる人がいる〜♪
( つ¶/\_\ |ロo‖
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(_)_) _||_ |凵‖
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 任侠のことばかり考えてて、
風俗にも行かない真面目集団。 和久井ことキムは、わいせつビデオ販売で逮捕されて本名がチョンバレした >>588
幼女レイプとか獣姦物の製造・販売がメインのシノギでしたっけ? 和久井傘下は渡世に真面目過ぎて、
意外に童貞とか多いかも。 和久井のトコが性犯罪者の溜まり場って言われてるのは余りにも有名
和久井が60過ぎて10歳の女の子のパンツを盗んで捕まったのは誰でも知ってる
吐き気がするわ 一時期、和久井会でテコンドーが流行ったらしいな まあ余りにも喧嘩には役に立たんからすぐに止めたって噂やけど 和久井親分は、オリンピック中に
傘下に、「抗争禁止」とか命じて
いるんだろうか。 別荘の中でいろんな組の親分衆のチンコを尻の穴に刺されて、
ところてんの一朗と言われていた和久井君も出世したなぁ。 和久井親分なら、抗争時に堅気と
会ってて襲撃されたなら、とっさに
堅気の盾になるだろう。 和久井親分は同じ高齢者の1人として、飯塚幸三のことをどう思っているんだろう? 和久井さん達の生き方をいつか
映画化されないかなあ。 今回は、十七代目緋川一家の重鎮である吉野哲舎弟頭について紹介しよう。
吉野舎弟頭は三代目山岡組を率いているが、その継承式典には、二次団体の継承式典とは思えないほど、全国から多数の親分衆が集まった。
当時、吉野は50代半ばで、三代目山岡組は600人超の組員を擁していた。
若い頃から博徒修行として全国を旅しており、各地で男を売る内に子分や舎弟が多数になったのだ。
かつて、とある舎弟に話を聞くと「いつも吉野のアニキの博打は自分のためやないんですわ。借金抱えたカタギさんのためとか、金に詰まった子分のためとか、そんなんばっかりでしたわ」とのことだった。
毎回、ヒリヒリする博打だったそうである。
あるとき、飯屋で食事していた吉野は、そこで働く女店員と話をした。
聞けば、女店員の子どもは難病に倒れたが、手術代がなかったそうである。
そこで吉野は、その手術代を博打でつくることを決めた。
夜になり、吉野はタネ銭を持って賭場に入った。
そこでは手本引きが行われおり、吉野は順調に金を増やした。
しかし、最後の大勝負で負けてしまい、すべての金を失ってしまったのだ。
吉野はうなだれ、しばらく呆然とした。
すると、隣にいた客が「一文なしになったのなら、さっさと帰れ」と言った。
吉野は怒り「何だと?表へ出ろ!」と言った。
客は「ここの主でもないお前に、指図される筋合いはない」と返事をした。
吉野は「じゃあ先に出て表で待ってやる。裏口から逃げるんじゃねぇぞ!」と啖呵を切り、外に出た。
それから1時間後、その客は賭場から出てきた。
吉野は「オレは今日、イラだってるから、とことんやるぞ。詫びを入れるなら今のうちにしろ」と言った。
客は「じゃあ、詫びを入れよう」と言った。
しかし吉野は、猛烈な勢いで殴りかかった。
客は仕方なさそうに反撃したが、吉野はひるまず何度も殴られながらも対抗した。
しかし、ついに吉野は立ち上がれなくなった。
客は「詫びを入れると言っただろ」と言い、吉野の懐に札束を入れ、その場を去った。
【続きの購読は無料です】 それからしばらくして、吉野が意識を取り戻すと、賭場の中に運び込まれていた。
吉野は「介抱してくれたのか、すまない」と言った。
賭場の代貸は「ボロボロになった男が賭場の前で倒れてたら、商売になりませんからね」と言った。
吉野は「ところで、あの男は誰だ?オレをやった男は」と言った。
そのとき、賭場の親分がやってきて「丸山組の和久井君だ」と答えた。
これが、現十七代目緋川一家総長和久井一朗親分と吉野の最初の出会いである。
賭場の親分は「喧嘩を吹っかけたのも、わざとだろう。そのまま金をくれてやるような真似は博徒としては無礼だから、わざと詫びを入れるようなことをしたんじゃないか。彼はそういう男だ」と言った。
吉野は「つまり、オレが金を必要としてることを察して、ああいうことをしたのか」とつぶやいた。
翌日、吉野はその金を飯屋の女店員に渡し、子どもの手術は無事に成功した。
そして吉野は和久井親分に会うために丸山組事務所を訪ねたが、和久井親分は旅に出ていた。
吉野と和久井親分が再会するのは、それから10年後である。
そのとき吉野は、山岡組の傘下で自分の組を率いていた。
さらに時が経ち、吉野は晴れて三代目山岡組を継承したのである。
だが順風満帆とは行かず、シノギのいざこざで他組織との抗争が絶えなかった。
ついには吉野も襲撃され、瀕死の重傷を負った。
病院に運ばれた吉野はこれまでの人生を振り返りながら「自分もここまでか」とつぶやいた。
だが、手術によって奇跡的に一命を取り留めたのである。
手術が終わって目を覚ました吉野のもとには、執刀医が立っていた。
吉野はまだ話すことができなかったが、目で感謝を伝えた。
執刀医は「吉野さん、あなたに恩返しができてよかった」と言った。
なんと、執刀医は、飯屋の女店員の子どもだったのだ。
命が助かり、自分も命を救う仕事をしたいと志して医者になったのである。
吉野の目からは、静かに涙が流れた。
【了】 吉野が三代目山岡組を継承したのは丸山組に参画してからということか(二次団体として継承しているわけだから)
ということは二代目から丸山組に入ったのか。当時の丸山の組長は誰だっけ 和久井傘下なら、災害時に堅気の
支援活動してそう。
どこに本部があるか知らないが。 和久井会の最大のシノギは火事場泥棒やろが 工藤会よりも堅気に嫌われてるって評判やで 朝美「ぷいきゅあー! がんばえー!」
プリキュア「自分を信じて! 頑張れば夢はきっと叶う!」
電源ピッ!
朝美:「ぷいきゅあ! ぷいきゅあ! らいすきー(大好き)!」
如月(親分に言われて様子を見に来たが、ヤクザ辞めた途端にこの有様か・・・) 和久井さんは川原町のほとんどの飲み屋から出禁にされていた。仕方ないから喜村さんが愛人にやらせていた香里園のスナックに入り浸っていた。 ここは博打一筋かな?
堅気を泣かせたら即破門かな? 「ワクチン打ったる」と言って和久井のチンチンをぶち込んだとか 和久井は10年以上前から全く勃たへんぞ、まあ勃っても9センチ未満やけどな
アッチの人間やし 和久井のチンポ、略してワクチンですわ。
ワクワク チンチン ワクチンチン♪ 和久井が最近ニュースになったな。
枚方の駅前でヤクルトのオネエちゃんの手押し車からジョワを一本パクって
近くにいた高校生にしばかれポリに突き出された。
高校生は枚方署に表彰されとったけど。 和久井ことキム何某80歳ってローカルニュースに出てたな 和久井の初犯はコソ泥
むかし大日にあった松下の女子寮に忍び込んだ
守口署の道場、床一面に下着が並べられてた >>631
和久井の親分さんには日本の選挙権おません。
ウリナラ帰ったらあるんやけど、あっちでも不義理し過ぎて
もう帰れんのですわw 狭山の車が突っ込んだ件、和久井ちゃうやろな 自暴自棄で自爆しかねんからな 和久井は狭山には近づかん
昔難波安の賭場の帰り狭山神社で落雷におうたからや。 いやエガちゃんやろ、見た目のキモさとは裏腹に男気が溢れているのは一緒や
禿げちらかして黒タイツを愛用しているのも同じやしな ヅラかぶりゃいいのにっていつも思ってる。小汚いんだよな親分 熊谷さん:「じゃあ、今の緋川の、お前、幹部にはそういうカツラが流行ってんのか?
でもーやっぱり、極道すんのにやなお前、やっぱり身軽に動けるように、お前、髪の毛やっぱりなあ?
その、カツラよりもお前、みじかーくして、なあ、やっぱり何時でもお前パーッと身軽に動けるように
したほうがいいからー
だから明日にでもカツラ屋行ってーさっぱり返却してこいーわかったなー。うんー」 現実はボロボロのジャージ上下にパンツはシミだらけの白ブリーフや 昨年の暮れ、十七代目緋川一家の事始式で重鎮の引退が発表された。
引退したのは緋川一家顧問を務めていた柳谷会の柳谷紀夫会長である。
「鬼柳」の異名で知られていた武闘派親分だ。
その武闘派ぶりを表すので有名なのが「花会事件」だろう。
柳谷会長が40代の頃、ある旅館で各地の親分衆を集めた賭博が行われていた。
いわゆる花会で、その花会に柳谷会長の姿もあった。
親分衆の賭博なので、賭け金も桁違いだった。
夜も深くなったころ、S組のS組長が「あぁ、疲れたなぁ」と言いながら、懐から薬物を取り出した。
景気づけでもするつもりだったのだろう。
それに気づいた柳谷会長は「おい、やめとけや」と言った。
S組長「なんやお前?何で代紋違いのチンピラに指し図されんといかんのや」と言った。
柳谷会長とS組長は特に面識がなかったが、S組長は60代で柳谷会長より年上なのは見た目からして明らかだった。
その場にいた親分の1人は「博徒やったら、博打で勝負したらどうや」と言った。
S組長は「こんなチンピラに偉そうにされて、極道として黙ってられるかい!」と声を荒げた。
柳谷会長は「ややこしいブツを取り出すようなクズが、極道を名乗るな」と言った。
S組長は「よっしゃ、喧嘩やの!いつでも事務所に乗り込んで来いや!」と言った。
その当時、S組は800名ほどの組員を擁しており、かなりの勢いを誇っていた。
対する柳谷会の組員は、100名ほどだった。
柳谷会長は「乗り込むって何や?若い衆の力を借りんと喧嘩もできんのか?ここで決着をつけたらええやろ」と啖呵を切った。
そのとき、騒ぎに気づいたS組の組員10名が踏み込んで来た。
組長のお付きで来ていた組員である。
周りの親分衆は「やめとかんかい!」と仲裁に入ったが、S組の組員らは今にも柳谷会長に飛びかかる勢いだ。
そのとき、柳谷会長はガラスの灰皿を手に取り、組員1名の頭に叩きつけた。
そこからはもう大乱闘である。
先ほどまで大金が飛び交っていた賭場は、血しぶきと怒号が飛び交う修羅場と化した。
周りにいた親分衆らも必死で止めたが、ついにS組側は組長をはじめ全員がぐったりと倒れ込んだ。
柳谷会長は頭から血こそ流していたが、しっかりと自分の脚で立っていた。
【続きの購読は無料です】 周りにいた親分の一人が「ここの組長までイワしたんや。これからややこしいことになるぞ」とつぶやいた。
柳谷会長は、黙ってその場をあとにした。
翌日、柳谷会の本部事務所をはじめ、傘下組織の事務所のガラスが次々と割られた。
本部事務所にいた柳谷会長は「来たか」と言い、本部の外に出たが、ガラスを割った犯人は車で走り去っていた。
S組が実行しているのは明らかで、柳谷会長は「あいつらは、ガラス割りしかできんのか」とつぶやいた。
柳谷会の若頭である芳澤充昭は「会長、今日はどこかでゆっくりしてください。若い衆を何人かガード役につけますから」と言った。
柳谷会長は「ガードなんかいらん」と返事をした。
そのとき、本部事務所の電話が鳴り、当番組員が出た。
電話は傘下の組員からで、柳谷会長の長男が襲撃されたという内容だった。
柳谷会長の長男のである柳谷颯太は、渡世とは無縁のカタギである。
襲撃したのはおそらくS組だろうが、このことに対して柳谷会の怒りは頂点に達した。
柳谷会長は静かに道具を手に取り、芳澤若頭に「すまんが、せがれのことを見てやってくれ」と言い残し、事務所から出て行こうとした。
芳澤若頭は必死で止めたが、柳谷会長は「止めるな!」と言って芳澤若頭の手を振り解いた。
すると事務所の前に一台の車がやって来た。
実子の颯太を乗せた車だった。
柳谷会長は「おい、大丈夫なのか?どうしてここに来た?」と言った。
颯太は血まみれだったが「オヤジのことだから、相手のところに乗り込むだろうと思ってな。止めに来た」と言った。
柳谷会長は「早く病院に行け」と言った。
颯太は「じゃあ、オヤジはここに居てくれ」と返事をした。
若いころから服役ばかりだった柳谷会長は、颯太に父親らしいことを全くしていなかった。
しかし颯太は、そんな柳谷会長を恨むこともなく成長し、みずからの才覚によって25歳で建築会社を興したばかりだった。
柳谷会長は内心ではそれを喜びながらも、ずっと父親らしいことをしていなかった後ろめたさがあった。
【続きの購読は無料です】 颯太は柳谷がシャブで服役中に嫁が和久井とシャブオメしまくって出来た子供やん
颯太もシャブのサラブレットだけに小学生からポン中のエリートや 颯太は「オヤジ、とりあえず落ち着いて一杯やろう」と言った。
柳谷会長は「あぁ」と返事をした。
それを聞いた柳谷会の組員は、奥から清酒と猪口を持ってきた。
2人はゆっくりそれを飲み交わしながら、しばし会話をした。
颯太が「そろそろ帰るわ」と言って腰を上げると、柳谷会長は「あぁ」と返事をした。
柳谷会長はそのまま事務所で睡眠をとった。
翌日、事務所の電話がけたたましく鳴り響いた。
当番組員が電話に出ると「え!?」と大きな声をあげた。
芳澤若頭は「おい、どうした?」と尋ねた。
当番組員は「颯太さんが、S組にカチコミをかけたそうです。相手組長やら幹部は病院に運ばれ、颯太さんについては今どこにいるか不明とのことです」と返事をした。
それを聞いた芳澤若頭は、すぐさま会長室に行き、柳谷会長に報告した。
柳谷会長は「あいつ…」とだけ言い、それ以上は言葉が出なかった。
その日、颯太は自首し、結果として長い懲役に行くことになった。
S組の組長は一命を取り留めたが、カタギを襲撃し、そのカタギに返しをされたことが問題視され、上部団体から破門の処分が下された。
それから数年後、颯太は出所し、父親である柳谷会長を支えるために柳谷会に入ることとなった。
幾多の抗争では前線に立ち、再び懲役にも行った。
柳谷会のために尽くし、ついには自らの才覚で若頭にまで上り詰めた。
そして今回、柳谷会長の引退に伴い、二代目を継承する運びとなったのである。
実績や功績が数々あり、誰もが納得する継承だったのは言うまでもない。
継承盃儀式の前、柳谷会長と颯太は、十七代目緋川一家和久井一朗総長のところへ挨拶に行った。
柳谷会長は「アニキ、最初で最後の親バカになるが、こいつをよろしく頼むよ」と和久井総長に言った。
和久井総長は「これまでご苦労だったな。後のことは任せてくれ」と返事をした。
颯太は和久井総長に「親分のために一生懸命がんばります」と頭を下げた。
和久井総長は「実の親のことこそ、大切にしてやってくれよ」と返事をした。
【了】 「豪傑」と呼ばれるヤクザは多いが、最もその称号にふさわしいのは誰かという話を各メディアの取材仲間の間ですることがある。
そのとき、誰もが名前を挙げるヤクザがいる。
十七代目緋川一家若中で神川組を率いる神川武秀組長である。
かつて神川組は、どの組織の傘下にも入らず、独立して活動していた。
多数の組員を抱えており、ヤクザが群雄割拠する街などでも大きな勢力と威勢を誇っていたのだ。
組員たちは皆、神川組長の豪快な漢っぷりを慕って加入していた。
あるとき、神川組長は組の用事で地方都市に出かけた。
新幹線を降りて駅から出ると、先回りしていた組員がハイヤーを用意して待っていた。
ハイヤーを見た神川組長は「おい、オレの車はどうした?」と言った。
組員は「事務所にあります」と言った。
神川組長は「この辺の車屋に電話して、すぐオレの車と同じの持って来いって言え」と組員に指示した。
当時、神川組長の車はリンカーンだったが、本当に新車のリンカーンを用意させ、その場で購入したのである。
そして、そのリンカーンに乗って地方での用事を済ませ、再び駅に戻ってきた神川組長は「この車はお前らにやるわ。好きに使え」と組員に言った。
神川組長のこのような豪快なエピソードはいくらでもある。
また、神川組は群を抜いた武闘派で、抗争を繰り返すことで勢力を広げていった。
そんな神川組長と和久井一朗親分が初めて会ったのは、とある義理場である。
当時、和久井親分は和久井会の会長という立場だった。
神川組長は「あんたが有名な和久井さんですね」と声をかけた。
その瞬間、お付きの組員たちが一斉に和久井親分の前に立ったが、和久井親分は「有名かどうかは知らないが、確かに和久井だ」と返事をした。
神川組長は「オレは神川組の神川という者ですかね、あんたの子分にならなってもいいと思ってるんですよ」と言った。
和久井親分は「なぜ、見ず知らずの者を子分にしないといけないんだ?」と答えた。
神川組長は「なぜって、うちは組員数も多いし、ケンカもできるし、あんたにとって良いこともいっぱいある」と言った。
すると和久井親分は、何も言わずに去っていった。
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いや変な意味じゃなくて。 神川組を傘下に収めたいという組織はいくらでもあったが、神川組長は誰の風下にも立たなかった。
しかし、卓越した器量を持つ極道として名が知られた和久井親分の盃なら受けてもいいと思っていたのだが、その和久井親分にあしらわれた形となったのだ。
神川組長は横にいた成宮雄輔若頭に対し「あの人は本物のヤクザや。ますます盃がほしくなった」と言った。
成宮若頭は「自分らは組長の子分ですから、組長に付いていきます」と返事をした。
それ以来、神川組長は男を磨くために益々精進した。
成宮若頭も、神川組長の意を汲んで、これまで以上に組を引き締めた。
その甲斐あってか、神川組はさらに強固な組織となったのである。
そしてある日、神川組長は最高幹部を集めて「近々、和久井親分に盃をおろしてもらうよう、頼みに行く」と言った。
成宮若頭は「いよいよですか」と言った。
神川組長は「オレが勝手に決めたことだ。もし反対の奴がいたら、どこかに移籍してもらっても構わない。それでも納得がいかないなら、ここでオレのタマを取ってくれ」と言い、最高幹部らの前に道具を置いた。
竹下英樹若頭補佐は「そんなこと言わんでください。みんなどこまでも組長に付いていきます」と言った。
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「神川、こんなは和久井和久井となんぞごとのようにゆうがのう」
と隣席の眼帯をした顧問が静かに言った それこそ抗争で堅気に怪我でも
させたら、即絶縁だろうな。 続編期待アゲ
現役の人もファンがいるんじゃないか? 翌日、神川組長は一人で和久井会本部を訪れた。
和久井親分との面会を求めると、中に入ることができた。
大物親分をトップとする組の本部にしてはシンプルな印象で、神川組長は意外な印象を受けた。
しかも和久井親分は、本部内で当番組員たちと談笑していたから、さらに驚いた。
誰とでも気さくに接する親分だとは聞いていたが、その通りだったのだ。
和久井親分は、神川組長に対して「久しぶりだな」と言うと、当番組員たちが応接室に案内した。
応接室に通された神川組長は、ソファに座ることなく、直立不動でいた。
和久井親分が「どうした?座ってくれ」と言うと、神川組長は正座して「盃をください」と頭を下げた。
和久井親分は「一本でも十分にやっていけてると噂には聞いてるが、どうしたんだ?」と尋ねた。 神川組長は「和久井親分の下で、男を磨きたいんです」と言った。
和久井親分は、神川組長の目を見つめた。
神川組長は「いま和久井会が抱えている喧嘩があれば、手土産として始末をつけてきます。格好をつけさせてください」と言った。
和久井親分「まだ縁を持ってない者を喧嘩に行かせたら、うちの格好がつかない。それどころか、実際に喧嘩に走るのは、顔も見たことがない若い衆だろう」と言った。
神川組長は、和久井親分の極道哲学に感動すると同時に、情と懐の深さに痺れた。
和久井親分は「盃がほしいという話は分かった。だがその前に、会ってほしい男がいる。松原という男だ」と言った。
松原というのは、和久井会の松原常久舎弟である。
松原舎弟は和久井会で唯一、子分を抱えていない一人親方である。
考えがあって子分を持っていないヤクザで筋が通っており、和久井会の中でも尊敬を集めている。
神川組長は「はい、ぜひお会いしたいです」と返事をした。 今回は特別編として、様々な組の幹部が語った、和久井親分についての話を紹介しよう。
長年に渡って取材をしてきた我々だから実現できた、永久保存版である。
【某一次団体 若中】
かなり前ですがね、刑務所の中で和久井さんと一緒だったんですよ。
出所してから今でも、半年に一回は「元気か?」って電話してくれるんです。
緋川の代紋頭になっても全く偉ぶらない、本当に立派な極道ですよ。
【某二次団体 若頭補佐】
自分が駆け出しのころ、うちのトップに会いに来られた和久井親分の運転手をさせてもらったことがあります。
緊張して運転しましたが、和久井親分は降りられるときに「良い運転だったから、おかげでゆっくりできた。ありがとう」って言ってくださり、結構な小遣いをくださってね。シビれましたよ。
【某一次団体 若中】
和久井の親分さんが和久井会会長のころ、和久井会と揉めたことがあってね。
やっぱり強くてどうにもならんから、上からの命令で和久井会の事務所に玉砕覚悟のカチコミに行くよう言われたんですわ。
ほんなら和久井の親分さんが直々に出てきて「和久井を仕留めて来いとでも言われて来たんだろう。やってみろ」って言うんですわ。
オレら震えてしもうて、何もできんかった。
【某一次団体 舎弟頭補佐】
昔、うちの最高幹部が抗争で亡くなったとき、和久井親分は葬式に来てくださってね。
和久井親分とその最高幹部とは刑務所が一緒やったんですわ。
葬式には幹部でも秘書でもない若者を連れて来られてました。
後で分かったんですが、その若者は、うちの最高幹部のタマを取った相手の組を襲撃して無茶苦茶にしたらしいんですわ。
刑務所仲間がやられてしもた和久井親分の気持ちを察して、自発的にいったらしいです。
葬式からの帰りに自首して、ロング務めはりました。立派な極道ですわ。 十七代目緋川一家 三代目和久井会で顧問を務めていた山藤寿昭顧問がこの世を去った。
かねてより病に冒されていたが、ついに帰らぬ人となったのだ。
山藤顧問といえば、初代和久井会時代からの古参である。
和久井一朗親分の若衆として、和久井会きっての荒くれ者として名を知られていた。
若い頃の山藤は根っからの博打好きで、一匹狼として毎晩のように賭場に出入りしていた。
負けが込むと暴れるのが悪い癖だった。
しかし、翌日になると、何事もなかったようにその賭場に訪れるほどサッパリしていたのである。
また、勝った際には上機嫌になり、周りにいるカタギの客に金をバラまくなど豪快だった。
あるとき、和久井会の舎弟頭だった武田流心と知り合い、武田と行動を共にするようになった。
武田も元来の突破者で、同じようなタイプの山藤をかわいがっていたのである。
山藤は武田に忠誠を尽くし、武田にトラブルがあると真っ先に行動するようになった。
トラブルの相手は、他の組関係者ばかりだったが、山藤は全く臆することなく暴れ回った。
そんなある日、当局が山藤をマークして捜していることが分かった。
どの罪か分からないほど、思い当たる節はたくさんあった。
武田は山藤にしばらく旅に出るよう指示した。
山藤はそれに従い、凶状旅が始まったのである。
旅では、各地の親分のところでワラジを脱いだ。
そして、どこへ行っても「和久井さんのお身内なら、ゆっくりしていってくれ」「和久井さんには昔かなりお世話になった」と口にする親分ばかりだと山藤は気づくことになったのである。
身内といっても、山藤は武田に付いているだけで、盃をもらったわけでもない。
さらにその上にいる和久井親分とは会ったこともなかった。
しかし、各地の親分から話を聞いていると、和久井一朗という親分は、相当な侠客であることが分かった。
行く先々の親分のもとで飯を食わせてもらい、寝床を用意してもらえるのは、すべて和久井親分や武田のおかげと実感したのである。
【続きの購読は無料です】 そんな凶状旅の日々を過ごしていると、世話になった土地の親分や、和久井会のために大きなことをしたいと山藤は考えるようになった。
そして、S組に世話になっているとき、そこの若い衆から、ある組とトラブルがあり、抗争に発展しそうだということを聞かされた。
すると山藤は、S組の親分に「相手の事務所にカチコミをかけます。一人で行かせてください」と申し出た。
S組の親分は「旅の人に無茶はさせられない」と答えた。
山藤は「相手の親玉をイワすだけです。無茶はしませんから」と返事をし、そのまま相手の事務所に向かった。
結果として、山藤はキッチリと仕事をし、相手の事務所は壊滅した。
それと引き換えに、長い懲役に行くことになったのだ。
それを知ったS組の親分は「とんでもない若者だが、いいヤクザになる」とつぶやいたと言われている。
懲役に行く前、山藤は武田に連れられ、初めて和久井親分と会った。
和久井親分は武田に対し「タケ、盃は下ろしてあげないのか?」と尋ねた。
武田は「こいつは立派な極道になるから、アニキから盃を下ろしてやってもらえないか?」と返事をした。
和久井親分は「お前がそういうことを言うのは初めてだから、余程のことなんだろう。盃のことはわかった」と返事をした。
そのやりとりに山藤は感動したが、しかし「お気持ちは嬉しいですが、シャバに戻ってきたら盃をいただきたいと思います。盃をもらってすぐに、何年も留守にする親不孝はしたくないんです」と答えた。
つづけて「一人の男として懲役を勤めて、男を磨いて出てきます」と言った。
和久井一朗の子分として懲役に行くのと、そうでないのでは全く違うと言っていい。
囚人はもちろん、刑務官からも一目置かれることになる。
だが山藤はその道を選ばず、あえて厳しい道を選んだのであった。
【続きの購読は無料です】 それから十数年が経ち、山藤は出所の日を迎えた。
出迎えには、武田をはじめ、塀の中で山藤の子分になった若い衆30人ほどが来ていた。
山藤は武田の車に乗り、和久井会の本部に向かった。
そこには和久井親分や和久井会の組員が揃っており、皆が口々に「苦労だったな」と声をかけた。
また、かつて山藤の面倒を見ていたS組の親分は昨年亡くなり、組員は全員カタギになったことを聞かされた。
元S組の組員は「うちの組のために、ありがとうございました。親父は亡くなるまでずっと、山藤さんの話をしてました」と言った。
山藤は「そうか、あの親分さんがか。嬉しいことだ」と言いながら、涙がこぼれないよう天井を見つめた。
すると武田が「ムショの垢を落としたら、お前も山藤組を立ち上げたらどうだという話が出てる。和久井のアニキも了承済みだ」と言った。
山藤は「え?オレがですか?」と驚いた。
和久井親分は「あぁ、頑張ってくれ」と声をかけた。
こうして山藤組は、塀の中で出会った若い衆たちによる小さな所帯でスタートすることになった。
山藤自身は和久井親分からの盃を受け、晴れて直系の若中になった。
山藤の和久井親分への忠誠心は半端なものではなく、和久井親分の名を汚さないように他所との喧嘩では一歩も引かなかった。
また「ケチケチしてたら、和久井親分に恥をかかせてしまう」と言い、お付きの若い衆に常に金を持たせ、どこへ行くにもチップを渡すよう命じていた。
飲食店、理髪店、洋服店、タバコ店など、あらゆるところで渡していたという。
あるとき、若い衆が「組の金が底をつきそうです」と山藤に言ってきた。
そして他の若い衆が「とりあえず1万円のチップを減らしましょう」と言い、山藤が「お前ら、毎回1万円も渡してたんか!数百円のタバコ買うたびに、1万円のチップ渡すバカがどこにおるんや!」と怒ったという笑い話もある。
【続きの購読は無料です】 山藤が買ったばかりの車を運転手役の若い衆がぶつけてしまったこともあったが全く怒ることなく、廃車になるまで何年も乗り続けた。
しかし、若い衆が博打の札を雑に扱ったとき、山藤は「メシの種は大事に扱え!」と烈火の如く怒った。
また、若い衆の手違いで抗争相手の義理場に行ってしまったこともあった。
抗争相手は襲撃かと思って道具を用意して構えたが、山藤は「葬式の場で、そんなもん出すな!」と啖呵を切った。
和久井会の定例会では、山藤は最後に「和久井親分!万歳!」と大声をあげていた。
和久井親分はいつも苦笑いしていたが、あるとき武田が「山藤よ、あれは何だ?」と尋ねた。
山藤は平然と「思ったことを言ってるんです」と答えたという。
そして和久井会のために、山藤は再び懲役にも行った。
そのときは、かつて和久井親分が服役中に読んでいたという歴史書を全て読んだそうだ。
少しでも和久井親分に近づくためだろう。
面会には和久井会の直参らが頻繁に訪れたが、時には和久井親分が訪れることもあった。
和久井親分は「お前の組のことは武田がしっかり面倒を見ているから心配しなくてもいいぞ。くれぐれも身体を大事にして出てきてくれ」と山藤に伝えた。
そうして数年後、山藤は無事に出所した。
和久井会は盛大な放免祝いをおこなったが、山藤はその際の挨拶で「和久井会はどこよりも強い組じゃないといけないと思ってます。これからも強い和久井会のために頑張ります」と語った。
【続きの購読は無料です】 それからしばらくすると、和久井親分は緋川一家の十七代目を継承することになった。
山藤は大喜びし「和久井親分の子じゃなくなってしまうが、代紋頭になってくれるんだから、こんなに嬉しいことはない」と周囲に言っていた。
和久井会の二代目は武田が継承し、山藤は武田の舎弟となった。
本来、舎弟は隠居に近い地位だが、山藤の武闘派気質は全く変わらず、常にどこかの組と喧嘩している状態だった。
超武闘派として知られている緋川一家直系の喜村辰弥は、山藤に尊敬の念を抱いていた。
しかし、あるとき突然、山藤は病魔に襲われ、入退院を繰り返すようになったのである。
そしてその後、和久井会の三代目を如月道春が継承。
そのころには山藤の体調はかなり悪化しており、盃のない顧問に就任した。
山藤組は長く若頭をしていた長濱耕輔に譲り渡し、長濱は二代目山藤組組長として和久井会の若中になった。
当然、山藤組の組員たちは山藤の看病をしていたが、ついに帰らぬ人となったのである。
山藤の唯一の親分だった和久井親分と、唯一の兄貴分だった武田に看取られての最期だった。
【了】 某日、とある大きな繁華街に、十七代目緋川一家の組員数名が集まっていた。
組員らの表情は険しいものではないので、どこかとの喧嘩が始まるわけではなさそうだ。
全員がスーツ姿ではあるが、義理場に行く様子でもない。
緋川一家は規律がしっかりしているので、一般人の通行を遮るようなことはしていない。
だが、半グレのような者らには睨みを利かせ、その半グレのケツモチである他組織の組員が来ると、緋川一家の組員は「ややこしい奴らをウロチョロさせるな」と一喝した。
抵抗してきた他組織の組員は、緋川一家の組員によって人通りがないところに連れて行かれた。
そうこうしているうちに、3台のクルマが停まった。
クルマから降りて来たのは、緋川一家の警護室や秘書室の面々である。
我々取材班は、この後に誰が来るか即座に分かり、背筋が伸びた。
その予想は的中し、漆黒のロールスロイスが停車した。
ゆっくりと後部座席から降りてきたのは、十七代目緋川一家総長の和久井一朗親分である。
その瞬間、緋川一家の組員らは、和久井親分に向かってゆっくりと頭を下げた。
声を張り上げると周囲に迷惑がかかるので、あくまで静かに頭を下げるだけだった。
和久井親分ら一行は、半グレらが一掃された道を歩き進んだ。
そして、和久井親分は小さな焼き鳥店に入っていったのである。
この店は、かつて和久井親分の兄貴分だった土門耕治氏という人物が店主を務める店である。
土門氏はかなり前にカタギとなり、以来この店を切り盛りしている。
和久井親分は土門氏の誕生日前になると、その祝いに店へ来るのだ。
誕生日当日は店の常連客が多数来るので、迷惑にならないよう気配りをしているという意味合いもある。
また和久井親分は大きな胡蝶蘭を贈っているが、和久井親分から贈ったことを示す名札は一切ない。
目立つための自己主張を嫌う、和久井親分らしい話である。
土門氏は「街がザワザワしてるから、今年も来てくれたことが分かったぞ」と言った。
和久井親分は「本当は、のんびり一人で来たいんですけどね」と言って笑った。
土門氏は「いい若い衆らじゃないか。よくこの店にも来てくれるしな」と答えた。
【続きの購読は無料です】 我々取材班は、十七代目緋川一家の新年会の取材をおこなった。
そこで見えてきたのは、これまでと全く変わらぬ緋川一家の姿である。
緋川一家には、形式のようなものはない。
たとえば、総本部で直参衆の到着を待つために、若い衆が仰々しく行列をつくったりはしない。
あちらこちらで頭を下げる光景は見られるが、それは尊敬の念から来る自然な礼なのだ。
和久井一朗総長は常々「若い衆は下手を打って成長するもの」「上に立つ者は、それを許して救援する度量や力量が必要」と語っている。
よって、組事で下手打ちをしたからといって、若い衆が処分されることはない。
だからといって、若い衆は自由奔放かといえば、全くそうではない。
上に迷惑をかけないよう、常に自分を厳しく律しているのだ。
そしてもちろん、カタギに迷惑をかけるのは絶対に御法度である。
新年会では、和久井総長が総本部に入る際、たくさんの若い衆たちに声をかけているのが印象的だった。
四次団体の若い衆に対しても、名前を呼んで気さくに話しかけるのである。
極道社会に名を轟かせる緋川の代紋頭から声をかけられた若い衆は、いつまでも目を輝かせていた。
また、総本部の門を入り、玄関へと続く長い道の途中には、喜村辰弥若頭補佐と岩井誠忠若頭補佐の姿があった。
喜村若頭補佐は「万年修羅場の喜村組」と呼ばれる荒くれ者軍団を率いる超武闘派である。
一方の岩井若頭補佐は、的屋の名門である七代目瀧舟会を率いており、媒酌人としても名高い厳格な親分だ。
このタイプの違う2人が談笑している近くを和久井総長が通ると、2人は同じ姿勢で頭を下げた。
ヤクザとしてのタイプが違っても、和久井総長への尊敬の念は全く同じなのである。
【続きの購読は無料です】 緋川一家は若者が多いな。
ここは高齢化問題とは無縁のようだ。 新年会には、緋川一家の直系組長をはじめ、各傘下組織の三役も出席していた。
加えて、昨年出所した7名の抗争服役者も出席し、皆に紹介された。
その抗争服役者の中には、葛西会の岡嶋陸組員も含まれていた。
岡嶋組員は抗争相手の事務所に単身で乗り込んだ猛者である。
暴れっぷりは刑務所内でも収まることを知らず、常に独居生活だった。
また出所後、数年は遊んで暮らせるほどの慰労金が緋川一家から出たが、岡嶋組員は博打に使い、なんと一晩で一文なしになったという。
そんな岡嶋組員だが、いきなりマイクを持ち、懲役の苦労話や自身の極道哲学を語り出した。
直系組長らは一様に驚いた顔を見せたが、最も驚いたのは岡嶋組員が所属する葛西会の会長で、緋川一家の若頭でもある葛西達哉若頭だろう。
和久井総長の隣に座っていた葛西若頭は「親分、うちの者がすみません」と謝罪した。
だが和久井総長は「何も謝ることはない」と笑って答えた。
その後、岡嶋組員は自分の席に戻った。
すると喜村若頭補佐が岡嶋組員のもとへ行き、岡嶋組員のグラスにビールを注いだ。
岡嶋組員は恐縮し「喜村の親分に注いでもらえるなんて夢みたいです」と言った。
喜村若頭補佐は「長い懲役、ご苦労さんだったなぁ」と言った。
続けて「けど、その苦労は今日で忘れろや。いつまでも過去の苦労を引きずってたら前に進めんし、良い極道になれないからな」と諭した。
合わせて30年以上の懲役を務めてきた喜村若頭補佐だからこその重みがある言葉である。
【続きの購読は無料です】 そして新年会では、三代目和久井会の如月道春会長が、緋川一家総本部長に就任することが改めて発表された。
この人事は直近の定例会でも内定事項として発表されたが、今回改めて紹介された形である。
これまで総本部長を務めていた三代目八尋会の重松拓海会長は、新設された若頭代行のポストに就く。
若頭代行は、若頭と同様の権限を持つ役職だという。
多忙を極める葛西若頭に代わって組の決裁をおこなう重要な役割である。
総本部長は、文字通り総本部の実務を司る長である。
この人事について、他の組織の幹部たちは様々な見方をしている。
我々の取材では「頭と代行っていう指揮官が2人居るってことは、仮に1人がパクられたりしても盤石な体制をキープできるってことや。抗争のときなんかは優位やで」「和久井の総長さんのところの三代目が、執事になるってことは、総本部がますます引き締まるやろうな」という声があった。
その如月総本部長は当代である和久井総長に仕えてきた生え抜きであるが、実力は今さら語るまでもない。
スタイリッシュなスーツを着こなす若き紳士であるが、組織のためにジギリをかけてきた本物の極道である。
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和久井親分は烈火の如く怒りそう。 そんな如月総本部長が忘れられないのは、入門したばかりのときの出来事である。
如月総本部長が入門した和久井会傘下の武田組は、地元組織と抗争に突入しようとしていた。
しかし当時の武田組は、組長や若頭を含む上層部の大半が拘留中だった。
指揮官が居ない状態での抗争のため、今ひとつまとまりがなかったのである。
そんなとき、武田組の事務所に和久井親分が大量の差し入れを持って来て「今日からここに泊まる」と言ったのだ。
大親分の応援があって士気が上がらないはずがない。
武田組一派は相手に猛攻撃を仕掛けた。
相手はたまらず五分の手打ちを持ちかける電話を武田組事務所にかけてきた。
だが和久井親分が電話に出て「五分の手打ちなんかするわけないだろう。今から行くので待ってろ」と啖呵を切り、和久井親分はその足で相手事務所に乗り込んだ。
相手組員たちは驚いたが、和久井親分は「こっちは丸腰だから好きにしろ。だがここでオレがやられたと知ったら、うちの若い者がお前らを1人残らず潰しに来るからな」と言った。
相手は圧倒されるばかりだった。
そして相手組長は「うちの負けだ」と言い、完全に降伏したのである。
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するのが上手そう その後、如月はメキメキと頭角を表し、和久井会の最高幹部に上り詰めた。
如月は、和久井親分が和久井会を率いてた時代の最後の若頭でもある。
和久井親分の極道としての所作を、間近で見てきた一人なのだ。
当時の和久井会の本部事務所には、様々な来客があった。
和久井親分に相談や陳情に訪れるカタギも多かったのだ。
近所で起きたトラブルの解決や、大きな金が動く工事の取り仕切りなど、依頼内容は数々あった。
大きな工事関連の利権は、和久井親分が一旦掌握し、近隣の業者へ平等に分配していた。
大きな仕事を得たいがために金を持参する他地域の業者もいたが、言うまでもなく門前払いである。
また相談内容によって、和久井親分は如月ら若い衆に任せることも多かった。
特にヤクザからの債券回収などは、如月らにとって十分なシノギとなっていたのである。
何より、和久井親分からの「何かあったら責任は全て取るから、好きにやれ」という言葉が如月らには心強かった。
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登場人物全員熱い漢
現実ではありえない 今回は十七代目緋川一家舎弟 大前組組長の大前昌幸組長を紹介しよう。
緋川一家における舎弟は、和久井一朗総長の舎弟であることから組内でも一目置かれる存在だ。
しかし大前組長は全く偉ぶらず、かなり質素な生き方をしてる極道なのである。
定例会に自転車で来る姿を初めて見たときは我々も驚いた。
しかし組に金が無いわけではなく、組員が居ないわけでもない。
大前組は100人を超す組員がおり、事務所も立派なものである。
だが大前組長自身の暮らしは質素で、全く贅沢をしないのだ。
「夏は暑いのが当たり前だ」と言い、自宅にエアコンもないほどである。
大前組で若頭を務める篠宮祐治若頭は「あれがうちのおやっさんの生き方なんです」と答えてくれた。
大前組長は億単位のシノギをする組員に対しても「ちゃんと飯を食えよ」と言い、自宅で白米と味噌汁を食べさせるそうだ。
組員らも「なんぼ稼いで良いもん食っても、やっぱりおやっさんに食わせてもらう飯が一番旨いですよ」と言う。 そんな大前組長は十代から二十代前半のころ、愚連隊の一員として暴れ回っていた。
「鈴勘一派」と呼ばれるグループで幹部クラスだったのだ。
鈴勘一派は「出刃の鈴勘」こと鈴木勘介が率いており、ヤクザ顔負けの戦闘力を持っていた。
しかも大人数だったこともあり、力づくでヤクザのシノギを奪って勢力を拡大していた。
一方、和久井親分は若くして和久井会を立ち上げたばかりだった。
その当時の和久井会の若頭は嶋本淳史若頭で、目障りな鈴勘一派を潰すことに躍起だったのである。
だが数で上回る鈴勘一派に手を焼いていた。
そしてあるとき、和久井親分が数名の相手に襲撃されるという事件が起きた。
幸いなことに、ステゴロが強い和久井親分は相手を返り討ちにしたが、和久井会の怒りは凄まじかった。
嶋本若頭は和久井会組員らに「誰でもいいから相手を叩いて、鈴勘もいわしてまえ!」とハッパを掛けた。
嶋本若頭は和久井親分に詫びを入れるため指を詰めようとしたが、和久井親分は「そんなことで指を詰めるな」と言った。
そして深夜、和久井会本部が鳴った。
電話に出たのは嶋本若頭で、電話の主は大前だった。
大前は「今日、うちの者があちこちで何人もやられてるけど、やったのはお前らか?」と尋ねてきた。
嶋本若頭は「そんなもん気にしてる暇があったら、正面から喧嘩しに来んかい!」と怒鳴った。
大前は「おう、そこで待っとけや!」と返事をし、電話を切った。 続きに期待。現役のヤクザさん
達も楽しみにしてるかな? 嶋本若頭は本部にある道具を準備し、相手の襲撃に備えた。
それを見た和久井親分は「道具なんかしまっておけ。もし向こうが丸腰で来たら、極道として恥になるぞ」と言った。
その瞬間、本部のドアが開いた。
大前は丸腰で、しかも一人で来たのだ。
嶋本若頭は大前を本部に招き入れ、椅子に座るよう促した。
周りには、ピリピリとした和久井会の組員が立っている。
大前は「お前らがうちを潰そうとする目的は何だ?金か?」と嶋本若頭に詰め寄った。
嶋本若頭は「目障りだからだ」と答えた。
そして嶋本若頭は「それよりお前、うちの会長を襲った落とし前はどう付けるんや?」と言った。
大前は「襲った?誰がだ?」と尋ねた。
嶋本若頭は「お前が知らんでも、お前らの一味の誰が襲ったんや!落とし前を付けんかい!」と怒鳴った。
大前は「そうか」とつぶやき、先ほど嶋本若頭が仕舞いかけたドスを手に取り、黙って小指を詰めた。
嶋本若頭は「お前、ヤクザでもないのに何しとるんや」と言った。
大前は「落とし前をつけろと言ったのは、そっちだろ」と返事をした。
嶋本若頭は若い衆に「誰か医者まで送ってやれ」と指示した。
大前は「いや、必要ない。邪魔したな」と言って席を立った。
それでも嶋本若頭は「治療代だ」と言って金を渡したが、大前は一度受け取り「掃除代として返す」と言って金を嶋本若頭に返した。
机や床が血で汚れたからである。
そして大前は、和久井会本部から出ていった。
和久井親分は「たいした男だ」とつぶやいた。 そして一週間後、街を歩いていた嶋本若頭が鈴勘一派に襲撃された。
鈴勘一派はリーダーの鈴木を慕うグループと、大前を慕うグループがあり、襲撃したのは鈴木を慕うグループだった。
怒った和久井会の組員らは、自発的に返しに動いた。
嶋本若頭の容体が危ないこともあり、和久井親分の怒りも凄まじかったのは言うまでもない。
和久井親分みずから鈴木の居場所を捜し、街では「和久井の会長のためなら」と様々なカタギ衆が協力してくれた。
結果、鈴木らは繁華街の廃ビルをアジトにしていることが分かり、和久井親分は一人で向かった。
その途中で、和久井親分は大前と遭遇した。
大前は和久井親分が来ることを察し、張り込んでいたのだ。
そして大前は「何をしに行くつもりですか?」と尋ねた。
和久井親分は「お前もそっちの一味だろ?こっちのことを気にするぐらいなら止めたらいい」と答えた。
大前は「同じ一味ではありますが、鈴木のために、あなたに手を出すことはできない」と言った。
和久井親分は「そっちの事情はよく分からないが、そこをどいてくれ」と言った。
だが大前は「鈴木らは大人数です。一人でカチコミに行くのは危険です」と言う。
和久井親分は「まぁ、うちの若い奴らはすぐに嗅ぎつけて来るだろう。骨を拾いに来ることになるだけかもしれないけどな」と言った。
それからすぐ、和久井会の組員50人ほどが本当に来たのである。
組員らは「会長、捜しましたよ」や「会長、相手を潰していいんですか?」などと口々に言う。
大前は、和久井会の結束力の高さに驚いた。
それを尻目に、和久井親分ら一団は歩き出した。 そのころ、鈴木らのアジトがある繁華街を仕切る地元のヤクザらが慌しく動き出していた。
50人ほどの和久井会組員が、自分たちの縄張りを荒らしに来たと勘違いしたからである。
地元のヤクザらも50人ほど集まり、大組織の直参組長であるY組長も出てきて、和久井会の一団の前に立ちはだかった。
50人対50人の喧嘩が始まりそうな雰囲気だった。
地元ヤクザの1人が「お前ら、どこを勝手に歩いとるんじゃ!」と口火を切った。
和久井会の組員が「歩いたらあかんのなら、車でも用意せんかい!」と返した。
地元ヤクザは「おう、救急車でも呼んだろかい!」と言い、和久井会の組員に殴りかかった。
すると大物直参のY組長は「やめとけ!」と一喝した。
そして和久井親分に対して「えらいすみませんでした。で、今からどちらへ?」と尋ねた。
和久井親分は「あなたらに迷惑をかけるつもりはない」とだけ言った。
Y組長は「うちのシマで威勢よくゾロゾロ歩かれると、うちの者らも気分良くないんですわ」と言った。
和久井親分は、和久井会の組員たちに目をやった。
今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気である。
すると和久井親分はY組長に「ここで喧嘩するか、場所を移してサシで話し合いをするか、どうしますか?」と尋ねた。
Y組長は「ほぅ、ならばうちの事務所で茶でも飲みながら話をしましょうか」と言った。
和久井親分は和久井会の組員らに「ちょっとここで待っててくれ」と告げた。
和久井会の小林祥輔若頭補佐は「ここに何人か残して、自分らは先に行ってます」と言った。
和久井親分は「そうか、頼んだ」と答えた。
Y組長は自分の若い衆たちに「お前らも当番以外の者は帰っていいぞ」と言った。 そして事務所の応接室に入ったY組長は「丸山鉄也さんのところでカシラをしておられる、和久井さんですね」と言った。
和久井親分は「ええ、そうです」と答えた。
Y組長は「丸山さんのところといえば、有無を言わさん喧嘩組織と思ってましたが、カシラはずいぶん行儀が良いですな」と言った。
和久井親分は「うちが外からどう見られてるのかは分かりません」と答えた。
するとY組長は「これからのヤクザは、金で上がっていく時代ですよ。喧嘩ばっかりの丸山さんはちょっと古い。で、そこそこの組員を抱えてるあなたになら頼みたいシノギがあるんですわ」と言った。
和久井親分は「ほぅ、どんなシノギですか?」と尋ねた。
Y組長は「簡単に言うとモノを大量にさばいてほしい。それで上がりの半分をうちに納めてもらえたら」と言った。
和久井親分は「なるほど」と言いながら立ち上がった。
そして応接室に飾ってある日本刀を手に取った。
Y組長は焦りながら「おい、何をする気や?」と言った。
和久井親分は「いや、ずいぶん立派な刀だと思いましてね。古いものには古いものなりの価値がある」と言った。
そして刀の刃をY組長の顔に当てがい「さっき、うちの丸山のことを古いとか言ってたが、それは褒め言葉か?」と言った。
和久井親分の迫力に圧倒されてY組長は言葉に詰まった。
そして和久井親分は「大きな組の直参というからまともな極道かと思ったら、単なるモノ屋とはな。すぐ街から消えろ。じゃないと、ここであんたを消さないといけなくなる」と言った。
Y組長は顔から血を流して「わ、わかった…」と力なく答えた。
和久井親分は刀を見つめながら「よく切れる刀だ」と言った。 Y組長が引いたのは無理もない。
和久井親分から、本当に切り付ける雰囲気を感じたからである。
しかしY組長のほうが渡世の先輩ということもあり、和久井親分は顔を立てて情けをかけたのだろう。
その後、相手の事務所から出てきた和久井親分は、和久井会の組員に対して「待たせてすまない、話はついたから行こう」と言って歩き出した。
すると向こうのほうから、小林若頭補佐らが歩いてきた。
小林若頭補佐は「会長、ご苦労様です。こっちは片付きました」と報告した。
和久井親分は「そうか、ご苦労だったな」とねぎらった。
するとそこに、大前がやってきた。
大前は「突然で厚かましいお願いですが、自分を部屋住みにしてもらえませんか」と言った。
和久井親分は「うちの下で修行するより、一本でやってみたらどうだ?その器量はあるだろう」と言った。
大前は「分かりました。自分は極道のイロハを知りませんので、何年かかってでも一人前になったら、またお願いにあがります。そのときはぜひ盃をください」と言った。
それから3年後、大前は組員100名を抱えるまでになっていた。
博打で何千万勝っても、その日のうちに無一文になっているような極道だった。
金にはかなり無頓着で、金に詰まった若い衆に渡したり、街の恵まれない人たちに配ったりしていたのである。 また大前組は武闘派組織で、抗争も多かった。
特にN組との抗争は激しく、1ヶ月以上も続いたのだ。
大前自身も襲撃されて重傷を負った。
病院に運び込まれた大前は、すぐに病院を抜け出そうとした。
大前の舎弟である笠村宣広は「兄貴、鉛を肩と腹にぶちこまれたんやで。心臓は外れて良かったものの、安静にしといてくれよ」と言った。
大前は「いや、若い衆らが命がけで動いてるのに、寝ていられない」と言った。
笠村は「兄貴を弾いた奴は、さっきうちの者が捕まえたと連絡があった」と言った。
大前は「せっかくだが解放してやれ。相手も男になろうとして必死に仕事したんや。こっちのタマまでは取れんかったが、仕事した男として帰してやれ」と言った。
自分に大ケガを負わせた敵を認め、敵の立場のことまで考える並外れた器量である。
返しのターゲットは鉄砲玉の若者ではなく、あくまでトップや幹部というのが大前の考えなのだ。
そんな大前に惚れ込んだ若い衆が集まる大前組は行き腰もあって、喧嘩はめっぽう強かった。
結果、N組との抗争も、N組の全面降伏という形で終結した。 そんな大前に、大きな転機が訪れた。
ある日、面倒を見ていた飲み屋から「ヤクザが暴れている」と連絡があった。
すると大前は、若い衆を1人だけ連れて駆けつけたのである。
店のドアを開けると、店内はぐちゃぐちゃになっており、ヤクザが2人倒れていた。
しかし店員はおらず、ソファに男が座っていた。
若い衆は男に対して「おい、店を荒らしたのはあんたか?」と尋ねた。
男は「違う、人聞きの悪いことを言うな」と答えた。
若い衆は「じゃあ、ここの店員はどこに行った?」と尋ねた。
男は「倒れてたから、うちの者が病院に運んだ」と答えた。
若い衆は「店を荒らしたのは、この倒れてる2人か?」と尋ねた。
すると男は「そうやけど、警察みたいに根掘り葉掘り、さっきからお前は何や?ここの面倒を見てる奴か?お前らが来るの遅いのが悪いんと違うんか?」と言った。
大前は「いや、その通りだ。申し訳ない」と言った。
どうやら、男が店の前を歩いてたら叫び声が聞こえてきて、店内を見るとヤクザが暴れていたので男が始末したのだという。
大前は「これ、取っておいてくれ。面倒をかけた詫びだ」と言い、金を渡そうとした。
男は「せっかくやが、受け取れん」と答えた。
大前は「初めて会ったと思うが、どこか組織の人なのか?」と尋ねた。
男は「そうやが、シャバに戻ってきたばかりでな」と答えた。
そんな話をしていると、波長が合うこともあり、つい話が弾んだ。
しばらく話し込むと、男はトイレに向かった。 すると、ちょうどそのタイミングで、T組の組員が10人ほど入ってきた。
男がヤキを入れたヤクザの兄貴分たちだという。
T組の組員は「誰かと思ったら、大前組の親方じゃねえか。親方が自ら出張るぐらい組員は居ないのか?」と言って笑った。
大前は「そこで寝てる行儀の悪い舎弟を連れて、さっさと帰れ」と言った。
T組の組員は「うちの舎弟がヤキ入れられて、そのまま帰れるかよ」と言った。
すると奥のトイレから男が出てきた。
男は「おう、寝てるチンピラのお迎えか?」と言った。
男の顔を見たT組の組員は、驚いた表情で「わ、和久井会の武田…い、いつシャバに戻ってきたんだ」と小さな声で言った。
男は、和久井会の舎弟頭である武田流心だったのだ。
武田は、T組の組員に対して「なんや、この三下が。オレはムショに行ってる間にお前らに呼び捨てされるほど安くなったんか?」と言った。
T組の組員は「い、いや…」と口ごもった。
武田は「まぁ、いいわ。で、お前らはまだシマ荒らしをしてるんか?」と尋ねた。
T組の組員は「えぇ…その…シノギが苦しいんで…」と答えた。
武田は「ほぅ、そうか。お前らの親方に、そのうち小突きに言ったるから待っとけと言うとけ」と言った。
T組の組員は、逃げるように帰っていった。 ケビンベーコン
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フットルース
Mike Reno &Ann Wilson 大前は武田に「あんた、和久井会の人なのか?」と尋ねた。
武田は「あぁ、和久井のアニキの弟分や」と答えた。
和久井会の舎弟頭でありながら、喧嘩っ早く自由に生きていた武田は、他の組織から恐れられいた。
懲役も多かったので、大前が武田の顔を知らないのも当然だった。
大前は武田に、和久井親分のことを色々と尋ねた。
武田も、和久井親分の話となると饒舌になり、魅力を語った。
大前も、過去に和久井親分と出会ったときのことや、盃を受けられなかったことを語った。
それから約半年、武田と大前は兄弟分のような付き合いをした。
そんなある日。武田は「今でもアニキの盃が欲しいなら、オレから話をするけどな」と言った。
大前は、頭を下げて頼んだ。
その翌週、大前は武田と共に和久井会本部を訪れた。
本部には和久井親分が部屋住みの若い衆と一緒に昼食を食べていた。
大前はその光景に驚きながらも、丁寧に挨拶をした。
和久井親分は「おぉ、久しぶりだな。一緒に食べるか?」と言った。
大前は遠慮しながらも食卓に着席した。
武田は早速「アニキ、この大前に盃を下ろしてやってくれないか?」と頼んだ。
和久井親分は「そうか、分かった」と返事をした。
あまりもすんなりと話がまとまり、武田も大前も驚いた。
武田は、なぜ了承したのか和久井親分に理由を尋ねた。
和久井親分は「お前がそんなことを言ってくるのは初めてだからだ。よっぽど見込んだからだろう」と答えた。
しかも子分の盃ではなく、弟分の盃だという。
大前は感激し、深々と頭を下げた。 和久井会って言ったら、ヤクザ界の東大
だな。
エリートが集まる。 それにしても大前が驚いたのは、和久井親分が部屋住みの若い衆と食事をしていることだった。
世の中には、威厳を守ったり値打ちを付けるために若い衆と距離を置く親分が多い。
だが和久井親分には、そんなものは全く関係なかった。
常に部屋住みの話に耳を傾けていたのである。
そうして育った部屋住みは皆が数年後に頭角を現し、やがて直参にまで登り詰めた。
そんな和久井会に身を置くことになった大前は、和久井会発展のために尽力することを心に誓った。
大前組の組員たちも、組長である大前のために身体を賭けたのである。
大前組のシノギは地上げが大半で、しかもヤクザ相手に立ち退きを迫る仕事が多かったので、一筋縄ではいかなった。
和久井会の看板や、大前の名前を聞き、身を引くヤクザも多かった。
しかし中には、立ち退き料を釣り上げるために居座るヤクザも居たのである。
そんなとき、最初は大前組の組員も丁寧に話をした。
だが、交渉が進まないと、徐々に不穏な空気にもなってくる。
それが原因で喧嘩になることもあった。 そして、大前にとって最も印象的だったのが、喜村連合との対立である。
喜村連合とは、現在、緋川一家の若頭補佐を務める喜村辰弥がかつて率いていた愚連隊である。
大前組が地上げを依頼された物件が、喜村連合のアジトだったのだ。
喜村連合に立ち退きを求めに行った大前組の組員らがメッタ打ちにされたのである。
喜村連合は当時から超武闘派として有名であり、そのアジトまで大前が若い衆を何人か連れて直接話し合いに行った。
大前は喜村連合の男らに「喜村はどこや?」と尋ねた。
喜村連合側は「は?なんやお前は?」と答えた。
次の瞬間、大前は男たちを殴り飛ばした。
喜村連合側は、一斉に大前に向かった。
そのとき、奥のほうから「待てや」という声が出てした。
声の主は、リーダーの喜村である。
喜村は「お前、オレらが喜村連合と分かって、こんな立ち回りをしとるんか?」と尋ねた。
大前は「おう、分かっとるが、それが何や?」と返事をした。
喜村は「このへんのヤクザ者にも、腹が据わった奴おるんやのぅ」と言い、木刀と金属バットを投げた。
大前は「なんや?これは」と尋ねた。
喜村は「好きなもん拾え、サシで勝負や」と言った。
喜村は、金属バットを持っていた。
しかし大前は武器を拾わず、喜村に殴りかかった。
アゴにヒットしたが喜村はひるむことなく、金属バットを捨て、大前に飛びかかった。
その喜村の暴れっぷりや形相は、まさに鬼のようだった。
大前も愚連隊出身であり、ケンカの場数は踏んでいた。
だが喜村の強さには驚くばかりだったのである。
そんなとき、遠くの方からサイレンの音がし、その音はこちらに近づいてくるのが分かった。
喜村は「邪魔が入りそうや。お前、ヤクザ者のくせに、結構やるやないか」と言った。
大前は「お前が今まで見てきたヤクザは、ニセモノと違うんか?」と答えた。
そのとき、ビルの下でサイレンの音が止まった。
喜村は「とりあえずパクられたくなかったら、早く裏から出て行け」と言った。
大前らは言われた通り、裏口から出て行った。 アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ
こいつは平気で犯罪しますググれ聞いてみろ アルゴ名村、ググれ騙されるな、犯罪やめろとしつけしたれ
こいつは平気で犯罪しますググれ聞いてみろ そして翌日、大前は再び喜村たちのアジトを訪れた。
だがそこに喜村たちはおらず、運送業者が荷造りをしていた。
喜村は大前のことを認め、立ち退きに応じたのだ。
黙って出て行った喜村の意を汲み、大前も新しい行き先を知ろうとしなかった。
縁があればまた再会できると考えていたのだ。
それがやがて、同じ緋川一家の直参になるとは、このときは想像もしていなかった。
喜村は和久井親分の子分で、大前は和久井親分の弟分である。
よって喜村は、親しみを込めて大前のことを「おっさん」と呼んでおり、常に顔を立てている。
かつて、他団体の継承式に列席した大前が自転車で帰っていくのを見て、他団体の若い衆が「どこの貧乏人だよ」と馬鹿にしたようなことを言った。
たまたまそれを耳にした喜村は、烈火の如く怒った。
「お前コラ、うちのおっさんを舐めとんか!」と言いながら、その若い衆を叩きのめしたのである。
その暴れようは凄まじく、周りに居た他団体の重鎮が「祝いの場や、我慢したってくれ」と止めようとしても、喜村は「そんなもん関係あるかい!」と突っぱねる一方だった。
そして、その若い衆の兄貴分が「おい、うちと全面的に喧嘩する気か?」と言ったら、喜村は「何が全面的や!喧嘩なら今ここでしたるわ!」と怒鳴り、さらに暴れ回った。 また、喜村組が他団体と抗争しているとき、大前組の組員20名ほどが喜村組の応援に出ることもあった。
喜村組は懲役に行っている者がかなりおり、人手不足だったからである。
大前組の組員は、喜村に対して「自分らの意志で来ました。自分らを自由に使ってください」と言った。
喜村は「気持ちは嬉しいが、お前らにもしものことがあったり、懲役に行かすようなことがあれば、おっさんに申し訳が立たん」と言った。
大前組の組員は「喜村の叔父貴のためなら、親分も喜んでくれます」と答えた。
だが、そんな話をしているとき、真っ先に相手事務所に乗り込んでいたのは、大前自身だった。
まるで買い物に行くように自転車でフラッと相手事務所に行き「一番上の奴は誰や?サシで勝負せんかい!」と啖呵を切ったのだ。
相手の組員らは驚き「な、なんや、お前一人か?」と尋ねた。
大前は「おう、そうや。さっさとお前らの親方を呼べ」と言い、ソファに座った。
大前は短刀を握っており、相手組員らは身動きが取れなかった。
つまりそれは、この事務所には飛び道具はなく、喧嘩ができる人間は外に出ていることを意味した。
そして、トップ連中は別の場所に居ることも推測できた。
事務所には、ボディガードをできそうな人間が居ないからである。
ここに居ても仕方ないと考えた大前は「喧嘩できんなら、ヤクザなんか辞めてしまえよ」と言い残し、事務所の外に出た。 すると事務所の前には、今から乗り込もうとする喜村組と大前組の組員が居た。
大前組の組員は「親父、何してるんですか!」と驚いた。
大前は「タマ取る価値ある奴は、この事務所にはおらんぞ」と言った。
結局、相手組織の上層部は雲隠れしたままった。
しかし、喜村組は収まりが付かず、必死になって相手上層部を捜した。
そんなとき、相手上層部の本家筋から、手打ちの打診があった。
喜村組にとっては到底受け入れられない話だが、その本家筋はかなりの有力団体であり、しかも極道社会で力を持った長老格の親分からの手打ちの打診だったのだ。
そしてその長老格から、緋川一家の代紋頭である和久井親分と直接話をしたいという依頼もあった。
話を聞いた和久井親分は、長老格と会うことを了承したが、喜村を同席させることを条件に付けた。
そして後日、長老格が手配した料亭に和久井親分と喜村は足を運んだ。
喜村は悔しさでいっぱいだったのは言うまでもない。
先に料亭に入っていた長老格は「和久井さん、あんたの噂はよく耳にしておるよ」と言った。
和久井親分は「そうですか」とだけ答えた。
すると長老格は「早速だが、手打ちを考えてくれんか?これ以上喧嘩を続けるのは、互いにとって良くない」と言った。
和久井親分は「手打ちも何も、そちらの当事者は姿を消してしまったと聞いてますが」と言った。 すると長老格の付き人がおもむろにアタッシュケースを取り出し、和久井親分に中身を見せた。
中には札束が入っていた。
長老格は「これは今日来てもらった土産だ。うちの者は、喧嘩で逃げたわけではないんだよ。分かってくれるかね?」と言った。
メンツを潰さないよう、これで話を丸く収めろということである。
和久井親分は「分かりました」と言い、アタッシュケースを受け取った。
長老格はニヤリと笑った。
すると和久井親分は、そのアタッシュケースを喜村に渡し「喧嘩のための資金だ。この金を使って、奴らを捜せ」と言った。
長老格は「な、なんだと?」と言った。
和久井は「土産はありがたく受け取りました。その土産をどう使おうと、こちらの自由では?」と答えた。
長老格は「ならば仕方ないな。手荒いことはしたくなかったが、悪く思わないでくれよ」と言い、後ろのふすまの方を見た。
隣の部屋に武装した若い衆を待機させていたのだろう。
しかし、ふすまは開かなかった。
長老格は「おい、聞こえないのか!早くやれ!」と言った。
すると、ふすまが開き「何をやるんだ?」という声がした。
そこに立っていたのは、和久井会の組員だった。
相手組織の者らは、皆が倒れていた。
長老格は「な、なんだと…」と力なく言い、気が抜けた表情になった。
和久井会は言うまでもなく和久井親分が立ち上げた組である。
その和久井会が二代目、三代目体制になっても、組員らは和久井親分を守る役割を自発的におこなっていたのだ。
これには、さすがの喜村も驚いた。
和久井親分は長老格に「他に話は?」と尋ねた。
長老格は返す言葉がなく、うなだれていた。
すると和久井親分は立ち上がり、部屋から出た。
部屋の外には大勢の和久井会組員が並んでいたのである。
その光景を見て、喜村はさらに驚いた。 和久井会の一団の中心には、三代目和久井会の会長である如月道春が居た。
和久井親分は如月に「ご苦労だったな」と言った。
如月は「とんでもないです」と返事をした。
料亭の出口には、和久井親分のロールスロイスが横付けされていた。
乗り込もうとした和久井親分に如月が「親分、喜村さん、あちらを」と声をかけた。
如月が示した方向には、ぐったりとした男らが立っていた。
喜村組が懸命に捜していた、相手組織の上層部の者らだった。
和久井会の組織力で見つけ出したのである。
如月は、その組織の解散届も手にしていた。
和久井親分は喜村に「どうする?」と尋ねた。
喜村は首を横に振り、和久井親分と如月に頭を下げた。
相手組織の者らは、ヤクザとして終わった。
それに追い討ちをかけることをしないという喜村の美学である。
そして喜村は、先ほどの大金が入ったアタッシュケースを和久井親分に渡した。
それを和久井親分は如月に渡し「ここにいるうちのところの皆に飲み食いさせてやってくれ。喜村組と大前組の者らにもな」と言い、車に乗り込んだ。
喜村と如月は深々と頭を下げ、和久井親分を見送った。 和久井会の一団の中心には、三代目和久井会の会長である如月道春が居た。
和久井親分は如月に「ご苦労だったな」と言った。
如月は「とんでもないです」と返事をした。
料亭の出口には、和久井親分のロールスロイスが横付けされていた。
乗り込もうとした和久井親分に如月が「親分、喜村さん、あちらを」と声をかけた。
如月が示した方向には、ぐったりとした男らが立っていた。
喜村組が懸命に捜していた、相手組織の上層部の者らだった。
和久井会の組織力で見つけ出したのである。
如月は、その組織の解散届も手にしていた。
和久井親分は喜村に「どうする?」と尋ねた。
喜村は首を横に振り、和久井親分と如月に頭を下げた。
相手組織の者らは、ヤクザとして終わった。
それに追い討ちをかけることをしないという喜村の美学である。
そして喜村は、先ほどの大金が入ったアタッシュケースを和久井親分に渡した。
それを和久井親分は如月に渡し「ここにいるうちのところの皆に飲み食いさせてやってくれ。喜村組と大前組の者らにもな」と言い、車に乗り込んだ。
喜村と如月は深々と頭を下げ、和久井親分を見送った。 和久井会きっての武闘派組織といえば喜村組。
ヤクザ事情に詳しい方ならばほとんどの方がそう答えるのではないか。
喜村連合を率いた愚連隊時代からその過激な抗争と喧嘩の強さで全国区の有名人であった喜村辰弥組長であるが、
喜村連合以前の喜村氏について知る者は喜村組内にもほとんどいない。
先日取材のため喜村組を訪れていた本誌記者が大型台風の影響で身動きが取れなくなったところ、
喜村組の好意で一晩事務所に宿泊することを許していただいた際、
喜村組長自身から幼少期から愚連隊結成までの貴重な話を喜村組部屋住みの方々とともに聞かせてもらい、
それを記事にするお許しまでいただけたのである。 記者「喜村さんはどんな子供時代を過ごしたんですか?マスコミとしての単純な興味です
差しさわりなければ教えていただけないでしょうか?」
喜村「子供時代ですか(笑) 皆さんが私のようなヤクザ者に期待するような特殊な家庭育ちではなかったですね。
父親が全国に展開している私立校の教師だったので幼いころから中学生までは転校の連続でしたね」
記者「教師の家庭ですか!失礼ながら印象と違い驚いています」
喜村「よく言われます(笑) ただ転校ばかりだったのであの時代余所者が来れば警戒するという時代だったので、
行く先々の転校先で喧嘩を売られるというかイジメを仕掛けられることがよくありました。
元々勝気な性格だったのでしょう。そういうことがあれば常に喧嘩に応じていましたねひとりで(笑)」
記者「その頃から理不尽には絶対引かない喜村組の気質があったのですね」
喜村「そんな大したものではないですよ。多勢に無勢、当時は数に押されて負けることも度々ありました」 記者「喜村さんでも負けたことがあると!」
喜村「当然です。 小学生時代の返しは未だに果たせていません(笑)」
記者「ここまで話を伺う限り特段不良少年と言うわけではないですね」
喜村「ええ。中学生ですかね。三年生までは良くも悪くもないそこらへん何処にでもいる少しばかり気の強い少年でした」 記者「中学生まで?」
喜村「そうですね。卒業まじか三年生時に父親がヤクザ組織の抗争の襲撃で流れ弾を受けましてね‥」
記者「ええ‥」
喜村「流れ弾を当てた暴力団から親族に1億円で示談の話が来ましたが、
何分普通の家庭でしたのでそれを拒否したのです。」
記者「当時の情勢を考えると大変な判断です」 記者「示談を拒否した後の家庭はどうなったのでしょうか?」
喜村「貯金と親戚の援助もあって当初生活はどうにかなっていましたね。
専業主婦だった母はパートを始めたのを覚えています」
記者「はい」
喜村「ただ、暴力団の流れ弾に当たったということを、
父が暴力団となんらかの関係を持っていたから撃たれたと流布する者たちが少なからずいたのです」
記者「酷い話です」
喜村「極道になってからも調べましたが父と暴力団との関係を見つけることが出来ませんでした。
何の目的かは知りませんが事実でもない噂を流した者がいると言う事です」 【性暴力】カメラ系youtuber【いじめ】
https://archive.is/X233o
https://xドットgd/nfvXx
女性が性暴力+いじめが原因でPTSDを発症し
苦しんでいます。
削除されますので保存/拡散お願いします マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。
胸糞悪い系のいじめです。 12月中旬、十七代目緋川一家総本部で事始式がおこなわれた。
準備委員長を務める岩井若頭補佐を中心に、多数の組員たちが前日から準備をしていたが、誰もが晴れやかな表情なのが印象的だった。
前日の準備が終わると、岩井若頭補佐は組員たちに感謝とねぎらいの言葉をかけた。
そして当日、総本部には直参たちが次々と集まり、和久井一朗総長も早い時間に入った。
並の組織ならトップは最後に入ることが多いが、そのようなことは全く気にしないのが和久井総長らしいといえよう。
和久井総長は準備をしていた若い組員たちにも挨拶をし、声をかけられた全ての組員はとても嬉しそうだった。
若い組員たちにとっては、雲の上の存在である和久井総長や直参たちに会える貴重な機会なので、皆が張り切っていたのは言うまでもない。
超武闘派である喜村若頭補佐が到着した際にも、組員たちは「喜村若頭補佐が到着されました!」「喜村若頭補佐が執行部室に入られます!」などと大きな声をあげていた。
喜村若頭補佐は「お前ら、オレが便所に入るときも大声で発表するんか?」と言って笑い、場をなごませていた。
そして定刻になると、いよいよ事始式が始まった。
まず初めに、本家人事や抗争服役出所者が紹介された。
人事でひときわ注目を集めたのは、香坂組を率いる香坂龍助組長が顧問に就任したことだろう。
後に情報をキャッチした記者たちからは、驚きの声があがった。
香坂組長といえば、三代目八尋会で盃のない相談役だったが、かつては独立組織の金筋博徒として名を馳せた大物中の大物である。
緋川一家の顧問を務めていた奈良崎健二元組長とは五分の兄弟分で、香坂組長もいつ本家の直参になってもおかしくない器量と格を持ち合わせていた。
和久井総長とのつながりも深く、若いころに賭場で知り合って仲良くしていた、いわゆる盆仲だったのである。 かつて香坂組は一本独鈷として活動しており、最盛期には組員300名ほどを擁していた。
あるとき、組員の高沢幸紀が香坂組長に金を運んできた。
香坂組長は「この金は、どうしたんや?」と尋ねた。
高沢は「飲み屋からカスリを取って集めました」と返事をした。
香坂組長は「なに?飲み屋の人は何時間も働いて金をつくるんや!その人らから金を取るほど、お前は何か仕事をしたんか?すぐにこの金を返して来い!」と怒ったという。
そして「お前はどこでそんなシノギ覚えたんや!何より子が親に金を運ぶって、何を考えとるんや!」と声を荒げたのである。
慌てた高沢はひたすら謝り、飲み屋に金を返しに回った。
繁華街にある数々の飲み屋の用心棒代として受け取った金ではあるが、香坂組長からすれば、自分たちの街にある飲み屋は、自分たちが無償で守って当たり前という考えなのだ。
翌日、香坂組長は高沢を食事に連れていき「昨日のことやけどな、気持ちだけは貰っておく」と伝えた。
その優しさも香坂組長の魅力なのだ。
そんな香坂組長は人望が厚く、他組織にも香坂組長のファンは多い。
行く先々で数々の組織が香坂組長を接待しようとするが、いつも丁重に断ってきた。
豪華な接待を受けるより、赤提灯の居酒屋で呑んでいるほうが気楽なのだろう。
何より「昨日は楽しく一緒に呑んでいた連中と、今日は命の取り合いをすることになるのが極道の世界や」と常に言っていた。
実際、他組織に知り合いの親分がいたが、その組の若い衆と、香坂組の若い衆が揉めたことがある。
そのときも香坂組長は自分の若い衆の肩を持ち、喧嘩を止めることはなかった。
そんな香坂組長だが、近年は三代目八尋会に籍を置いていた。
八尋会に籍を置いたのは、初代の八尋肇会長と縁があったからだ。
前述したように緋川一家直参にという声も多かったが「そんな器ではない」と常に辞退していたのである。
だが今回、ついに緋川一家の直系として名を連ねることになったのだが、これは和久井総長との話し合いがあったからなのだ。 ある日、和久井総長は香坂組の事務所に訪問した。
だがちょうどそのとき、香坂組長は奥にある部屋で来客の応対中だった。
何より、和久井総長の訪問に一番驚いたのは香坂組の組員たちで、下村本部長は慌てながら「総長が来られたことを、すぐに親父に伝えてきます」と言った。
和久井総長は「いや、急に来たこっちが悪いんだ。しばらくここで待たせてもらう」と下村本部長に言った。
下村本部長は「総長がお一人で来られるとは驚きです」と言いながら茶と菓子を出したが、和久井総長は「いや、車で運転手と秘書が待ってるんだ」と答えた。
するとすぐに香坂組の組員らは、茶と菓子を持って外に出て、運転手と秘書に持って行った。
それに気づいた和久井総長は「気をつかわせて、すまないな」と言った。
そのとき、奥の部屋から香坂組長が出てきて、すぐに和久井総長に気づいた。
香坂組長は「おぉ、これは凄いお客さんだなぁ。今日は珍しいお客さんばかりだ」と驚きながら言った。
和久井総長は「久しぶりだな。珍しいっていうのは、誰が来たんだ?」と尋ねた。
香坂組長は「今ちょうど昔話をしていたところだ。来てくれよ」と言い、和久井総長を奥の部屋に案内した。 和久井総長が奥の部屋に入ると、そこに居たのは西澤智雄氏だった。
西澤氏は和久井総長や香坂組長が駆け出しのころ、先輩格として2人と親しくしていた元ヤクザである。
西澤氏が率い「喧嘩の西智」と呼ばれて恐れられていた西智会は、最盛期には各地に拠点を置く一大勢力だった。
和久井総長は「おぉ、これは驚いた。智さん、ご無沙汰しています」と言って頭を下げた。
西澤氏も驚きと笑顔の表情で「緋川の代紋頭に頭を下げてもらって恐縮だ」と言った。
西澤氏は極道の世界から足を洗って以降、事業に専念していたが、近くに用があったので久しぶりに香坂組長を訪ねたのだという。
そこに和久井総長も現れたので、その巡り合わせに驚くのも無理はない。
昔話に花が咲き、賑やかな談笑の時間が流れた。
そしてふと、西澤氏は「もう香坂も、緋川一家の顧問ぐらいの格はあるんじゃないのか?」と言った。
和久井総長は「そうなんですが、本人が固辞するんですよ。今日はその話をしに来たんです」と返事をした。
和久井総長は、香坂組長が所属する八尋会の会長である、緋川一家の重松総本部長にも話はしており、香坂組長を直参として迎える準備は整っていた。
西澤氏は「なるほどな。槙野が戻ってきたら、ラクさせてやるために、今から考えておいたほうがいいぞ」と香坂組長に言った。
槙野とは、香坂組若頭の槙野秀治若頭のことである。
組事で長期服役中であるが、出所が近づいているのだ。
槙野若頭が出所した際には、香坂組長は代を譲るつもりでいるのである。
和久井総長も昔から槙野若頭には目をかけていた。
香坂組長は和久井総長に「槙野が出てきて、組を継承させたら、直参にしてやってくれるか?」と尋ねた。
和久井総長は「あぁ、もちろんだ」と答えた。
西澤氏は「お前が今から直参になっておけば、筋が通るだろ」と香坂組長に言った。
香坂組長は頭を下げ、さらに奥の部屋から日本酒と盃を持ってきた。
そして和久井総長に「よろしく頼む」と言い、西澤氏に対しては「取持人になってください」と言った。
こうして、和久井総長を兄、香坂組長を舎弟とする盃が簡素的に交わされたのである。 しへにふえくてしそちきぬりてへおちまもあいこよねたろのんろからねり 健康第一だから次のアーセナルかなり苦戦するんちゃう
時々人が死ぬ鬱展開盛り込まれそう クイズ!カラオケ!つま先立ちショッピング!
しょまたん早く大学卒業してたから仕方ない ヒラメのフライもあってそのうえで目指すべきところとやる試合の方が嬉しかったりする
今年のNISA枠まだ全然使ってなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています