【追悼】松葉会 牧野國泰親分【千年の松】
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先頃亡くなられた松葉会元会長 牧野國泰親分について語りましょう! 「世界のオカズ」と呼ばれるほど、世界中の皆様にご愛読いただきました牧野親分のチン物語ですが、今月、休載することが決定いたしました。
ヤクザ社会に鋭いメスを入れ、皮が被ったチンにメスを入れるように、めくるめく展開してきたチン物語。
長い間、ご愛読とオナ利用をありがとうございました。
もう少ししたら、中野太郎関連の本が二冊発売されるようですが「それよりも、チン物語を」という意見が多いのも事実であります。
もちろん、チン物語を発売すれば、包茎の皮のように有り余る金が入るでしょう。
しかしながら筆者は、金儲けのことなど考えておりません。
チンを奮い立たせるため、マンの泉を潤すために書いていたわけであります。
EDの薬代わりにチン物語を処方している医者もいるという噂も聞きます。
しかしながら、一度筆を置くと決めた以上は置きます。
最初に書いたように「今月、休載」します。
また来月になると、チン物語を再開しますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
ご機嫌よう。 >>318
またお前か…大仰なご挨拶は痛み入るが
今月はもう終わるぞ
来月再開ってもう今週末じゃねえか
チン物語にどれだけの愛読者がいるのか知らないが
師走の街の公序良俗を守るためもうすこし休載しててもいいと思うぞ 12月になり、本来は寒いはずだが、近頃は妙に暑い日が続いていた。
昨日は25度を越えた地域もあり、異常気象である。
外へ出ると汗ばむほどだったので、汗で湿ったお股の間を指でこすり、その酸っぱく卑猥なニオイを愉しんだ人も多いだろう。
3日ほど風呂に入らないとニオイの濃厚さは増し、菌が繁殖してチーズのように芳醇になるのだ。
そのニオイを嗅ぎながら、ワイングラスを傾けるのもいいだろう。
さて皆さんは、今年の流行語をご存知だろうか。
カリの太さを競う競技であるカリングの選手が言った「チンだねー」という言葉が流行ったのは誰もが知るところだ。
平成の次の元号は「珍宝」になるとの噂もある。
日本人はチンを崇拝する国民性だが、この風潮は世界にも飛び火しているのだ。
牧野親分のチン物語も世界中で愛読されており、カトリック界では聖書より大事な性書として扱われている。
ローマ法王と同等の、ローマ包茎王が誕生するとの噂もあるのだ。
アルカイダは、アナルのニオイの嗅ぐのが好きなので、アナルカイダに改名するそうである。
12月は忙しいので、今日はこれぐらいにしておこう。
寒いので筆が進まないのである。
次回はパワーアップさせるので、期待していただきたい。 >>320
またお前か…もはや牧野親分とは全然関係無い下劣なネタばかりになっているな
冒頭から臭くて汚い話で読後は食事が喉を通らなくなりそうだ
パワーアップと言ってもこれ以上ソッチの方向に行くのは勘弁してくれ 牧野の最期なんか、若い衆が誰も面倒見ないから、訪問介護の会社が来てたもんな 五代目山口組の若頭補佐だった中野会中野太郎会長の本が2冊発売され、話題をさらっている。
中野ジローではなく、中野太郎なのだ。
売り切れ続出だというから、いかに一般市民も興味を持っているかがうかがえるだろう。
また、関西ヤクザ界の重要な日である、事始めの日あたりに合わせて発売するというのもニクい話だ。
活動が活発になる時期に発売することで、口コミを起こそうとしたのだろう。
ちなみに、牧野親分のチン物語は、いつ発売しても売り切れ確実なので、このようなセコい手は使わないのだ。
さて、本の中身は賛否両論あるようだが、やはり大物親分の本ということで、それだけでも価値はあるだろう。
これまで後藤組長、盛力会長、太田組長、加茂田組長などが本を出版していたが、どれも話題になった。
巷では沖田臥竜や桜井健治などという誰も知らない元三下が作家を名乗っているが、このような意味不明な者らとは格が違うのである。
また、盛力会長、太田組長、中野会長に関しては、山健組出身である。
渡辺五代目が山健組を率いていたころから同門なのだ。
同じ釜の飯を食い、同じオカマのアナルさんにお世話になった仲だろう。
そのころの山健組といえば「団結・報復・沈黙」が会則とされていた。
しかし、沈黙することなく本を発表し、団結することなく本で互いの意見を否定し、報復なんてまったくないとは皮肉な話である。
じつは山健組の会則は「インケツ・ホウケイ・チンカス」だったという説もあるほどだ。
司忍が山口組の頂点に上り詰めるまでの経緯が各々の本には書かれているが、この司をはじめ、現役の執行部や弘道会の関係者こそ何も語らない以上、真相は毛深いチン毛の中である。
つまり闇の中なのだ。
しかしひとつ言えるのは、少し前の時代のヤクザは、それなりに華や話題性があったということだ。
たとえば、山健組から本家執行部になった橋本や森尾や江口だけを見ても、どうもパッとしないし、華もない。
上に忠実な者だけが出世できるサラリーマンのようである。
下部組織の者が「親分の出世のために」と長い懲役に行っても、親分が上に忠実でなければ出世もできない。
これではますます任侠道も何もないヤクザ社会になるだろう。
牧野親分もチン毛の陰で泣いているだろう。
つまり、草葉の陰である。 >>323
またお前か…とは言わない
中野会長の本が出たタイミングでの書き込みとしてはなかなか面白い内容だった
少し前の時代のヤクザは華や話題性があったという意見には同意
その時代を描いた牧野親分の「千年の松」は個人的には良作だと思う
ヤクザ関係に関心がある人間の間でも案外読んでいない人が多いのは残念 またお前かの人は「チン物語」と同じくらい「千年の松」も愛読しているとの情報をキャッチした。
「千年の松」とは山平重樹氏の著作であり、牧野親分のチンが樹齢千年の松みたいにシワシワだからと付けた題名である。
この山平氏は、今回、中野会長の本も出版した。
1人のヤクザにスポットを当て、その人生を紹介するという作風が多いライターである。
主人公の周りにいるヤクザだけでなく、ときには堅気の知り合いや同級生などに対しても緻密な取材を重ねている。
登場人物が仮名だったりすることもあるが、細かい描写が多いのが特徴だ。
もちろん、あまりにも情けなく恥ずかしいエピソードや、極悪な犯罪などについては書かれていない。
仮にその事実があったにせよ、書けるものではないのだろう。
つまりそれゆえに、主人公を美化しているようにも見えるのだ。
対して、筆者の「チン物語」は恥ずかしくてスケベな描写が満載で、人間味あふれる作風が特徴なのである。
「二人の巨匠が一緒に本を書いたら、とんでもなく売れる」という声もたくさん届いている。
二大巨頭、二大巨根と言われているのだ。
さて、この山平氏だが、これまで多くのヤクザにスポットを当て、本を発表してきた。
チンをGスポットに当てたことがあるかどうかは不明だ。
溝口敦氏が竹中四代目を描いた「荒ぶるチンチン」も有名だが、山平氏も素晴らしい作品が多い。
やはり昔のヤクザは、悪であっても、どこか義賊的な存在を目指していたのだろう。
大屋敷から金を奪って庶民にバラまいたという鼠小僧や、庶民の味方であり続けた国定忠治のようにとまではいかなくても、それに近い生き方に憧れていた趣がある。
今後、本の題材になりそうな現役ヤクザを思い浮かべようとしても、なかなか思いつかない。
それは筆者の想像力や知識が足らないからなのだろうか。
そうであってほしいと願うばかりである。 >>325
またお前か…と言うべきか迷うところだ
俺がチン物語を愛読しているなどと言ったとんでもない誤解や
さりげない巨根アピールなど気にかかる点は多々あるが…
山平氏や昔のヤクザの生き様に対する考察については貴兄に概ね同意だな
たしかに昭和を生きたヤクザが減っていく中
読者サイドからしてもこの人の本を読んでみたい
と思わせるような現役ヤクザはなかかな居ないな 分裂した三つの山口組では、それぞれ事始め式がおこなわれた。
そこでは、毎年恒例の組指針が発表されたのである。
まず六代目山口組は「和親合一」である。
和室の布団で、親と合体して一つになれという教えだろう。
神戸山口組 は「一心一意」である。
一心会に一途な想いを寄せ、布団で一つになれという意味だろう。
任侠山口組は「一意奮闘」である。
布団で一つになり、奮闘して腰を振れということだろう。
不思議なもので、三者とも似ている組指針となった。
どこも「一つになろう」という意思が表れており、精子がたまってヤリたくて仕方ないのだろう。
かつて筆者も、とある組織の事始めに向け、組指針の考案を依頼されたことがある。
そのときは「珍宝増大」「金玉肥大」「肛門拡大」などを提案した。
「ヤクザたるもの大きくあれ」という意味を込めたのだ。
しかし「先生、これでは組員がムラムラして大変なことになります」と言われ却下されたのだ。
事始めではなく、コトが始まってしまうところであった。
何を書いてもセクシーな文体になってしまう、筆者ならではの悩みだろう。 >>328
またお前か…
「一」の一文字からよくもまあ次から次へと下劣な与太話を考えつくもんだな 先生、汁走る師走の忙しい中の書き込みご苦労さんです。
手前、カタギの世界に身を置くものですが、牧野親分のように立派なチンを目指し、毎日チンを磨く毎日です。先生の熱海についての書き込みに感動し先日熱海の秘宝館にてチンの歴史を観て参りました。これからも先生の熱い書き込み楽しみにしておりまず
あと、またおまえかのアニキのムチも四つん這いになって待って居ります。
先生、またいつもの焦らしプレーですか?
タンクがパンパンで汁が溢れそうです
またおまえかのアニキも、何時来ても大丈夫です
バッチコーイですよ クリトリスも終わり、今年もいよいよあと数日となった。
正月準備に忙しい人も多いだろう。
昔々のヤクザ社会では、正月になれば親分の家に集まり、組員たちは組の代紋が染め抜かれたハッピを貰っていた。
現在では、代紋は威嚇の象徴になっているが、昔は真逆だった。
代紋が入ったハッピを着ることで、代紋を汚すような悪いことはしなかったのである。
つまり「代紋を見られている」という意識を持つことで、悪事を抑制していたのだ。
しかし「チンを見られている」という意識があれば勃起を抑制できなくなっていたのは、昔も今も同じである。
また、正月といえば、かつては多くの者が博打に興じていた。
今ほど娯楽がなかった時代、博打は市民の中に溶け込んでいたのだ。
一年の運試しのように博打をする堅気も多かったのである。
もちろん警察もそのようなことは分かってはいたが、正月早々にしょっぴくなどという野暮なことはしなかった。
またテキ屋にとっても正月は稼ぎ時だった。
初詣客向けの屋台である。
それは現代でも変わらないであろう。
タコ焼きや焼きそば、チョコバナナなど、ありとあらゆる屋台がある。
タコ焼きを二つ並べてキンタマに見立て、チョコバナナをチンに見立て、焼きそばをチン毛に見立てて飾れば、家内安全、商売繁盛、性欲増強、陰茎増大にご利益があるとされていた。
このように正月はヤクザの活動が盛んになる時期なのだ。
ベッドでもお盛んになる時期である。
その話は後日にしようではないか。 >>336
先生 平成最期の年末にもう1句最後に盛大なの期待してます >>336
またお前か…冒頭の一言からアウトだな
せっかく古き良きヤクザ社会の正月の風習について真面目に語っていたかと思えば
オチはやっぱり下劣な与太話になっちまうんだな
クソ寒い師走なのに相変わらず絶好調そうで困ったものだ >>334
お前はナニを勘違いしているのだ?俺は鞭打ちを嗜む変態ではない
ヘンな期待をされても困る >>337
お前もヘンな期待を口にしてこれ以上困った事態にさせるな 大阪の老舗組織である酒梅組が、十代目体制に移行したという話題が記憶に新しいだろう。
酒梅組は「金筋博徒」と呼ばれているが、実際には賭博だけをシノギにしているわけではない。
かつてはプロレス興行や遊郭の運営もしていたのだ。
酒梅組が最も反映していたのは五代目谷口正雄組長時代である。
谷口組長は、オッパイの谷間をまさぐるのが好きだったことから「タニマサ」と呼ばれていた。
そして、このころの酒梅組の賭場は天井なしで有名だった。
つまり、どんな大金を張られても博打による勝負を受けていたのだ。
そのため、全国各地から筋金入りの博打好きが集まっていた。
そして、裏筋好きと金玉好きも集まっていた。
これにより、酒梅組は「金筋博徒」と呼ばれていたのである。
また酒梅組は、1983年から東組と「新大阪戦争」と呼ばれる抗争事件を起こしている。
血を血で洗う戦いであり、多数の死傷者を出した抗争だったのだ。
ついには、カタギである東組東清総長の息子まで襲撃された。
これには東組の組員も激怒したが、東清は「東組の若い者がやられたら、とことん喧嘩をするが、ワシの息子がやられたからといって戦争するのは筋が違う。公私混同はあかん」と組員たちを諭し、最終的には手打ちを受け入れたという。
そして、同時に繰り広げられていた、チンの大きさを争う抗争は「チン大阪戦争」と呼ばれていた。
この際も、東清総長のムスコがターゲットになったが「ワシのムスコが小さいからといって戦争するのは筋が違う」と言い、手打ちを受け入れた。
これには酒梅組側も「東の総長は、男性器は小さいが、器は大きい」と感心していたという。 >>341
またお前か…
今回は関西の酒梅組や東組に関するなかなか面白いエピソードだったが
いつものことではあるが随所に下劣なキーワードを盛り込まないと気が済まないのか
特に最後の東総長のくだりは完全に下劣な与太話になってしまってるな
今回意外だったのは谷正親分の通り名の話(勿論ウソ話だが)
で珍しくノンケっぽい下ネタを書いてたことだな
両刀だったのか? チン年あけましてオメコでございます。
旧年中は大変お世話になりました。
皆様方におかされましては筆者の作品を読んでオナのお世話になったと思います。
紅白歌合戦では、チン毛がスケスケの桑田毛透が「勝手にチンドバット」を熱唱。
「性器の一戦」と言われたメイウェザーと那須川天チンの試合もありました。
それぞれの年末年始をお過ごしかと思いますが、やはりチン物語がないと淋しいという声が聞こえてきます。
2019年、珍宝元年。チン物語はますますパワーアップし、皆様の股間を刺激したいと思います。
まわる、まわるよ、時代はまわる。
めぐる、めぐるよ、時代はめぐる。
めくる、めくるよ、チンの皮。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。 >>343
またお前か…
とりあえず元気そうに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます
新年早々、またひどい下劣な内容の挨拶だな
チン物語は現状でも良識の限界を突破しているから
これ以上のパワーアップは目指さないでくれ
今年は牧野親分の一周忌
たまには牧野親分を偲ぶ真面目な書き込みを期待したい またお前かの人が「牧野親分の話と、チン物語を書いてほしい」とのことである。
お年玉として書くことにしようではないか。
「平成最後の」という巷で言葉が飛び交い、新しい時代を迎えようとしている今日この頃。
激動の昭和と平成を駆け抜けた牧野親分が新しい時代に生きることは、もう叶わない。
我々に、任侠道とチン侠道の極意を語ってくださった牧野親分。
それは未来にも伝えたい宝なのである。
かつての博徒は、厳しい修業を経て、やっと一人前とされた。
博徒としての所作はもちろん、生き方すべてを体を学んでいたのだ。
さらに古い時代、駆け出しの若い者は、長く白い布だけを持ち、全国を旅していた。
各地の親分に世話になり修業することになるのだが、喧嘩があれば真っ先に行くのが客分の務めだったのだ。
白い布は、フンドシやサラシにするためのものだ。
喧嘩の際には、新しいものに変えるのだ。汚いフンドシやサラシを身につけて死に絶えるのは恥とされていたからである。
今でこそ、チン汁がついたフンドシは価値があるが、当時は違っていたのだ。
そして、その白い布がなくなれば、修業の旅は終わりである。つまり修羅場をくぐってきた証なのだ。
形は違えど、牧野親分も厳しい修業を経た博徒である。
そして、北関東大久保一家、松葉会のトップにまで上りつめたのだ。
北関東大久保一家は、群馬県を拠点にする老舗名門一家である。
群馬県を中心に関東地方に老舗一家が多いのは、厳然たるシマ割りが守られてきたからである。
シマを守るには、それなりの力が必要だ。そして、他のシマは荒らさないというのも、また任侠道なのだ。
現在の暴力団は、自分たちのシノギが苦しくなれば、平気で他のシマを荒らす。
そして、シマを荒らすには、数こそ力という考えがあるだろう。
そんなものは任侠道とは呼ばないのである。 >>345
またお前か…とは今日は言わない
昨日の今日でさっそく牧野親分の話を書き込んでくれたことには感謝申し上げる
博徒の生き方と任侠道について丁寧に語られた良レスで
新年早々良いものを読ませてもらった
他方でこれは急いで断っておくが
俺は「チン物語を書いてほしい」などとは一言も言っていないので
そっちの方は頑張らないでくれ 北関東大久保一家の歴史が古いのは、今さら言うまでもないだろう。
発祥は1700年代前半とされているのだ。
初代は相撲取り上がりの田中代八である。
その腕力で町の通り者を束ねて賭博とお股を開帳し、テラ銭で糧を得るようになったのが博徒の始まりと言われている。
つまり北関東大久保一家は、博徒発祥の組織ではないかという説が有力なのだ。
この初代の時代には、かの有名な侠客である大前田英五郎の父・大前田久五郎もいた。
そして後に生井一家初代となる生井ノ弥兵衛もいたというから、どれぐらい歴史があるかが分かるだろう。
田中代八はどんどん力を付け「大久保の殿様」とまで言われるようになったが、これを面白くないとしたのが、お上である。
田中代八は捕らえられ、検挙を逃れた北関東大久保一家の面々は散り散りになり、100年以上もの潜伏期間を余儀なくされてしまうのだ。
日陰者のヤクザが潜伏させられるというも変な話ではあるが、とにかく全く表に出ない期間が続いたのだ。
この期間については、何せ潜伏していので、残念ながらハッキリとした資料も残っていない。
しかし牧野親分が独自に調査し、後年語ったところによると、この期間に少なくとも7回は代替わりしたとのことである。
氏名不詳で明確な確認が取れていないので現在も代目には含まれていない。
また、大前田英五郎の縄張りを譲り受け、後に赤城山を根城にし、お上と戦っていた国定忠治を支援していたのも北関東大久保一家ではないかと言われている。
古い話なので詳しい文献が残っていないのが残念ではあるが、想像や妄想をしながら楽しめるのも歴史の面白さである。
一方、牧野親分の知られざるスケベな部分を詳しく紹介するチン物語は、後世の人々から感謝される書物になるだろう。 >>347
またお前か…とは今回も言わない
北関東大久保一家の悠久の歴史について語った
年の初めにふさわしい力の入った良レスだな
正月休みにじっくりと読み返したいものだ >>349
自演だとでも言いたいのかい?
それはお前の勘違いだよ 筆者とまたお前かの人について、自画自賛や自演ではないかという指摘があった。
またお前かの人の名誉のために書いておくが、断じて自画自賛や自演ではない。
またお前かの人がおこなっているのは、自画自賛や自演ではなく、自慰である。
筆者のチン物語を読み、その文体を学びながら、自慰をおこなっているのは確かである。
筆者もそれを知っていながら、見て見ぬフリをしているのだ。
言わば、またお前かの人は門下生のようなものである。
このまま順調に成長すれば、筆者の二代目を譲ってもいいとさえ考えているのだ。
ちなみに「門下生」というのは字の通り、肛門の下あたりを生で舐める者のことである。
門下生たちは基本的に働きづくめではあるが、盆と正月は休みなのだ。
休みのときには羽とチンを伸ばし、のんびりしているのである。
そんなときに厳しい言葉やお汁をかけてやらないでくれというのが、親方としての筆者の願いなのだ。 いちいち煽んなやクズ
楽しんで見る器が無いなら消えりゃいいだろ >>352
またお前か…と言うべきか迷うところだ
とりあえず馬鹿げた自演疑惑に対して毅然と反論してくれたことには感謝したい
だがしかし…以前にも明言したはずだが
俺はチン物語を読んで自慰などしていない
また門下生…それもそんな汚い定義の存在になるつもりは毛頭無い
断っておくが俺はソッチの趣味は無い
二代目継承の申し出も断固辞退申し上げる
むしろ俺の方が「またお前か」の役を誰かに譲りたいくらいだ 先日、少しだけ名前を紹介した生井一家だが、現在は山口組國粹会の傘下組織である。
そして同じ國粹会の傘下には古河生井一家という組織もあるのだ。
理由はシンプルで、過去に生井一家から分裂したからである。
生派とゴム派が喧嘩をし、生井一家とコンドーム一家になりそうになったとの説もあるのだ。
このように関東地方には老舗博徒一家が多いが、他の地方にも老舗博徒一家はあるのだ。
中でも、静岡の山口組清水一家が有名だろう。
清水一家は、幕末から明治にかけての侠客である清水次郎長を初代とする組織である。
1966年、田辺金吾五代目のときに一家は解散し、名跡が途絶えていたが、2007年に高木康男を六代目として復活した。
この名跡復活には、地元住民が大きく反発したのは有名だろう。
清水次郎長の名は、地元の観光資源として活用されており、次郎長グッズもたくさんあったからである。
ヤミ金の元締めであった高木康男らに清水一家を名乗られると、地元のイメージが悪くなるのは当然だろう。
次郎長グッズも、売りにくくなる。
しかし、そんな反発を尻目に、清水一家の名跡は復活したのだ。
一説によれば、田辺金吾が清水一家の名を封印したのは、博徒が暴力団化してきたことを憂いたからだとされている。
清水次郎長の名や地元にも暴力団のイメージが付き、名が汚れてしまうことを避けたというわけである。
地元の反発を無視して清水一家を名乗った高木六代目。
地元のイメージを守るために自ら清水一家を名乗るのをやめた田辺五代目。
時代は違えど、このコントラストは興味深いものがある。 >>359
またお前か…とは今日は言わない
清水一家五代目の田辺総長は横浜の鶴岡政治郎親分の舎弟だったと聞く
鶴岡親分の流れを汲む稲川総裁が亡くなった年に山口組で清水一家が復活したのは果たして偶然なのだろうか? 松葉会から拳銃を買ったと豪語する向後睦会元組長原氏はいくらでお買い上げしたのですか? 今回は、関西のヤクザについての話をしよう。
関西にはいつくかの代紋があるが、その中でも異彩を放っているのが、東組である。
初代東清は、若い頃に愚連隊のような活動をしていた。
そしてあるとき、池田大次郎が率いていた池田組の舎弟頭信貴久治の子分になったのだ。
しかし、信貴は政治家を目指して渡世から足を洗い、組は解散した。
これをキッカケに東清は独立し、源氏車の代紋を掲げて西成で活動するようになった。
西成と言えば、ヤクザ激戦区とも言えるほど、様々な組織が活動している。
そんな中で一本独鈷を貫き、一本チンコでアナルさんを貫いてきたのだ。
東組といえば、その戦闘力が有名で、1973年に起きた山健組との抗争を皮切りに、多数の抗争を起こしている。
ちなみに「皮切り」とは、チンの皮を切ることではないので、ご注意願いたい。
その山健組との抗争では、山健組の上部団体である山口組も動こうとしていた。
大組織である山口組の力をもってして、東組を壊滅させようとする考えまであったほどである。
しかし当時は山口組の田岡一雄組長が病床にあり、このような時期に大きな抗争は自重しようという意見もあった。
山口組内で意見が割れ、収集がつかなくなりそうになっていたのだ。
そんなとき、若頭補佐だった清水光重は、自らの指を詰め「これに免じて」という形で、東組と和解することを山口組の者たちに訴えかけた。
結果、山口組の主なる者たちは和解に向かって動き出し、東組も和解を受け入れた。
それ以来、東清と清水は、いい付き合いをするようになった。
ベッドの中では、いい突き合いをしたに違いない。 >>364
またお前か…とは今日は言わない
清水光重さん地道派の実力者だったが早世されたんだよな 今回は、松田組について紹介しよう。
松田組は、1945年に松田雪重が立ち上げた組織である。
当時の松田組は生粋の博徒集団であり、暴力団という様相はなかった。
西成を中心に「盆」と呼ばれる賭場を多数構えて、組織を切り盛りしていた。
しかし、荒くれ者が出入りする盆にはトラブルが付き物で、また盆の外にも、博打で儲けた客を狙う荒くれ者も多かった。
そこで松田組は、客を守るために愚連隊のようなものを結成させ、賭場近辺の警戒にあたらせたのである。
これが功を奏し、西成の治安は見違えるほど良くなった。
また、若い衆の博徒修行は厳しく、そのぶん松田組の盆は全てにおいてキッチリとしていた。
胴師はもちろん、合力も半端な者では務まらなかった。
合力とは「さぁ、張った張った」と客を煽る役割や、勝った客に金を付ける役割を担う。
博打によっては張り方がとても複雑だが、それでも勝負後に一瞬で計算し、金を付けなくてはならず、もちろん間違いは許されない。
そして松田組の盆では、負けて一文無しになった客には「悪うございました」と帰りの足代を渡していた。
また、手コキのサービスぐらいはしていたかもしれない。
このような手際の良さやサービスが人気で、松田組の盆は常に繁盛していたのだ。
そして1969年、松田雪重の引退に伴い、甥の樫忠義が松田組の二代目を継承。
樫は博打のみならず、土建業などの経営にも乗り出していた。
しかし、1975年に大阪戦争と呼ばれる山口組との長期に渡る抗争が起こり、次第に松田組は弱体化。
終結後は組織力の回復に努め、松田連合と名乗るも、1983年に解散となった。 >>366
またお前か…とは今日は言わない
たしか松田組の西成の用心棒役の愚連隊だったのが互久楽会だね 最近、関東で拳銃を使った事件がつづき、何やらキナ臭くなってきた。
下半身の拳銃は、チン臭くもある。
これら事件の展開が気になる読者も多いだろうが、筆者は沈静化すると予想している。
「チン精化」ではない。
特に東京は天皇陛下のお膝元であり、新天皇の即位を控えた今後はますます厳しい摘発がおこなわれると予測されるのである。
当事者の上部にあたる者も、事態収束に向けて動き出しているだろう。
ヤクザへの取り締まりや、アナルさんの締まりがキツくなりすぎるのは、ヤクザにとって死活問題なのだ。
よって現代は、大掛かりな「返し」はほとんど無い時代だ。
タマやチンを取られたら金銭で解決するか、当事者を形式上は絶縁にしてしまうケースが大半である。
昔は若い衆の命を金で換算したり、若い衆のハシゴを外すようなことはヤクザの恥とされていた。
そのぶん、昔の若い衆たちは、組に忠誠を誓い、何かあったら真っ先に走る行き腰もあったのだ。
さて、チン物語の更新がなく、スケベな汁があふれそうになっている殿方も多いだろう。
筆者は、取材活動に精を出していたのである。
「先生ばかり精を出してズルイ!僕も精子を出したいです」と言う声があるはずだが、しばしお待ち願いたい。
事実に基づいたチン物語を書くには、取材は絶対に必要なのだ。
特に牧野親分が若かったころのヤクザ社会に関する文献は、あまり残っていないのである。
暴対法のあおりにより、ヤクザそのものも絶滅するかもしれない。
いや、すでに絶滅しているかもしれない。
もちろん、どの時代にも、今の時代でも、アウトローはいるだろう。
しかし「ヤクザ」と呼べる者は、もういない気がしてならないのだ。
ヤクザとは何か?
その定義はハッキリと決まっているわけではない。
少なくとも暴力で生きる者を指す言葉ではない。
喧嘩の解決を金でするような者でもない。 待ってました!
昭和の終わりごろまでは自分が貧乏してても侠客の心を
持った人が確かにおりましたが、こう締め付けられては
まわりを見る余裕なんてないでしょうな >>368
またお前か…と言うべきか迷うところだ
相変わらず下劣なネタを挟まないといられないのか…
とは言え暴対法により変わりゆくヤクザ社会に対する貴兄の考察には概ね同意だな
暴対法で喧嘩が出来ないから金で解決する風潮がまかり通るようになったのか?
拝金主義に染まったから不経済な喧嘩沙汰を避けるようになったのか?
いずれにしても昔のような損得勘定に囚われないやくざ者の美学はもはや絶滅寸前だろうな 古来より、ヤクザにとって大事なのは「辛抱」「我慢」だと言われてきた。
理不尽な出来事に耐えて男を磨き、貧乏を耐えてカタギに奉仕し、懲役にも耐えて親分を支える。
これがヤクザだとされてきたのだ。
もちろん牧野親分も「辛抱」「我慢」の大切さを若い衆たちに説いていた。
そして、それ以上に大事なものがあるという話もしていたのだ。
それは「珍棒」「我慢汁」である。
若い衆の中には、これを忘れないように刺青として文字を身体に刻んだ者もいるそうだ。
昔は「牧野クンニ泰」と呼ばれるほどオマンちゃんをペロペロするのが好きだった牧野親分だが「珍棒」という言葉に出会い、心を入れ替えてチン派になったそうだ。
さらには、喧嘩っ早くて「口や手より先に、精子が出る」と恐れられていたが「我慢汁」という言葉に出会って改心したのだ。
今回のチン物語は、濃厚すぎたぶん、短いがこれで終わりにしたい。
読書の汁がスッカラカンになるのを避けたいという配慮である。 >>372
またお前か…
ヤクザ者の「辛抱」「我慢」について真面目に語り始めたのかと思ったら、
一転して酷い下劣な内容だった…
そういえばもうすぐ牧野親分の命日だな 日本一の子分を自称したのが山健なら、日本一のチン物語ファンを自称するのは、またお前かの人である。
そんな射精ばかりする書生の彼から「先生、もうすぐ牧野親分の命日です」という指摘が入った。
そうなのである。2月18日は牧野親分の命日なのだ。
三島由紀夫先生の命日は「憂国忌」、野村秋介先生の命日は「群青忌」と名付けられ、故人を偲ぶ催しがおこなわれている。
牧野親分の命日も「珍宝忌」として、毎年関係者で集まるという話もあったのだ。
「先生、珍宝忌の発起人をしてくれませんか?」という依頼が筆者にあったも事実である。
しかし「私は勃起人であり、発起人の器ではない」とお断りしたのだ。
牧野親分はこの世にはいないが、魂だけは筆者の心の中で生き続けている。
そしてチン物語を書き続けることこそが、何よりの供養だと考えているのだ。
故人のために手と手を合わすのではなく、チンとチンを合わせてほしいのである。
そう考えながら、タバコに火をつけて一服した。
ニコチンを摂取しながら、二個チンのことを考えていたのだ。 >>374
またお前か…
これまでも何度も言っているが俺はチン物語のファンなどでは無いし
当然夜のオカズにしたことなども一度も無い
牧野親分の魂が心の中に生き続けているという泣ける台詞は嬉しいが
如何せん書かれた供養(?)の内容がどれも下劣すぎる…
牧野親分の命日まであと一週間ほど
故人を偲ぶ機会はまだある 牧野なんな死ぬ前数年はパンパースのお世話になってた >>376
なんなwwwお前もパンパース必要じゃねえのw >>376
それは誰でもなるかもしれん事だぞ
牧野親分は子分想いの人だったわ! いや、最後はボケてたじゃん
ま、稲穂の3代目とか似たような人たくさんいるけどさ >>374
こんなイジリ方が許される空気感もまた希やな。実はこのスタンスの進行がなかなか気に入って観ている隠れファンは実際にいるのだ。 牧野親分がパンパースのお世話になっていたという情報が飛び交っている。
実に不謹慎な情報であり、筆者は怒りで震えているのだ。
その震え方は、アナルさんにバイブを入れたときのような状態であると書けば、分かりやすいだろう。
さて、牧野親分がパンパースをしていたという事実はない。
正解は、ムーニーマンである。
ムーニーマンと言えば赤ちゃん用のオムツだ。
つまり、牧野親分は赤ちゃんプレイを好んでいたのだ。
かつて山口組が「原点回帰」を掲げていたが、牧野親分はそれ以上に原点回帰していたのである。
さて、話は変わるが、ヤクザの盃事には様々な流儀がある。
しかし共通しているのは、鯛と塩を使うことだ。
鯛や塩を突いた箸を盃に移す作法は、多くの人が見たことがあるだろう。
鯛の生臭さや、塩のしょっぱさを盃に移すことで、血の味を再現しているのである。
牧野親分が会長だった時代の松葉会では、鯛や塩に加え、牧野親分のチンのカスが盃に加えられていた。
子分や弟分たちは、牧野親分のチンのカスが入った盃を飲み干したとき、牧野親分の魂が身体に宿った気持ちになっただろう。
子分たちに少しでも多くのチンのカスを下げ渡すため、牧野親分は盃事の一週間前から風呂に入らなかったとのことだ。
しかもムーニーマンを履いて、チンが蒸れるように努力していたそうである。
この慈愛に満ちたエピソードを聞いて、涙を流す者も多いことだろう。 今、gyaoの無料Vシネコーナーで不退の松葉をやってるね。
牧野親分(宍戸錠)は完結編の終わりのほうで登場。
同じくやっている関東極道連合会 第四章では牧野親分モデルが
主役(若い頃が水元秀二郎で、そのあと白竜)。ちなみに赤坂の
浜本天皇役は松田優だった。 >>382
またお前か…
穴戸錠なんて下劣なことを書きやがって >>380
俺もその一人だ。この前、あスレが上がってるぅ、と
喜んでスクロールしたら >>371 だった >>381
またお前か…
牧野親分へのパンパースだのといった心ない中傷に対し
義憤に駆られているお前の姿に
一瞬でも侠気のようなものを感じてしまった俺が馬鹿だった…
一転していつも通り、否、いつも以上に下劣で不謹慎なチン話だった
特に後半は慈愛ではなく「汚い」に満ちたエピソードで胃液が逆流しそうだ >>383
誰なんだお前は?人の真似をしているつもりか?
下劣なのはお前の読解力の方だ
何十年も前の男子中学生みたいなネタを言いやがって
>>382
有益な情報ありがとう
不退の松葉は最初の方しか観たことなかったので牧野親分が出ているとは知らなかった
牧野親分の一周忌にあわせて鑑賞してみたいと思う 筆者の熱狂的ファンたちが「不退の松葉」の話題で盛り上がっている。
「不退の松葉」とは主に藤田卯一郎親分を取り上げたVシネマである。
牧野親分のチンばかりを2時間ほど映したVシネマをつくる話もあったそうだが「これでは、Vシネマではなく、部位シネマになる」ということで中止になったのだ。
さて「不退」とは、藤田親分が「不退の軍治」と呼ばれていたのが由来であり、一歩も退かないという意味だ。
今では、この「不退」が松葉会の恒久指針になっている。
ちなみに第二の恒久指針は「不ゴム」なのも有名だ。
アナルさんにチンを入れるときは、ゴムなどするなという教えである。
かつて松葉会には苦い歴史があった。
言わずと知れた分裂騒動である。
ナマ派とゴム派という二大派閥が対立したのだ。
同じ釜の飯を食い、同じカマを掘り合った者同士の喧嘩に、牧野親分は心を痛めた。
なので牧野親分みずからが、この喧嘩の仲裁役、つまりローション役を買って出たのだ。
牧野親分はナマ派だったので、ゴム派を説得した形である。
口で言っても理解しないなら肛門で理解させるしかない。
牧野親分は、ゴム派筆頭格の組員のアナルさんにナマのチンを挿入したのだ。
そして攻守を交代し、牧野親分は肛門を差し出した。
組員のチンをナマで迎え入れたのだ。
するとその組員は、あまりの快感に悶絶した。
そして「チンにウンカスが付くからとゴムをしていたのが、バカらしくなりました」と謝罪したのである。
この一件によりゴム派は全員、ナマ派に寝返った。
そして、この悲しい歴史を繰り返さないよう「不ゴム」という指針ができたのである。 >>387
またお前か…
先に断っておくが俺はお前の熱狂的ファンなどでは無いぞ
今回はまた酷く下劣な話だな
特に牧野親分が身体を張って仲裁(?)に乗り出すくだりは汚いにも程がある
そのくせ最後はあたかも成功談のようにそれっぽく終幕させてるから困ったものだ >>384
門外不出の絶対禁断の親◯イジリをまぁよくもこんなに書いて大丈夫?
確かに陰じゃあ皆、何言ってるかなんて分かったもんじゃないが… 茨城県には、かつて「松葉会会館」があった。
毎月の定例会に組員たちが集まる場所として、2012年に完成したのだ。
周りは特に何もない田舎に建てられたのだが、建物自体はそこそこ立派である。
しかし、定例会の日になると、近隣住民による暴力団排除デモが起こるなど、住民からは歓迎されていなかったのだ。
そしてついに、2016年に市が土地と建物を買い取るということになったのである。
このような事例は過去に聞いたこともないが、暴力団排除の成功例として話題になった。
その建物は、部分的に改修され、現在では市民交流館として活用されている。
改修前は女子便所がなかったので、新たにつくられたのだ。
たしかに、男社会のヤクザの会館なら、女子便所は必要ないように思える。
しかし、祝いの席などでコンパニオンを呼ぶことはなかったのかと疑問が残るのだ。
もし呼んでいたとしたら、コンパニオンたちはどこでオシッコちゃんを出していたのだろう。
もしかすると、チン好きが多い松葉会のことだから、男のコンパニオンを呼んでいた可能性は大いにある。
取材によると、ベッドルームも何部屋かあったという話もキャッチしているのだ。
その部屋で、男同士で何をしていたかは分からないが、やることはひとつだろう。
気持ちいいことをしていたに違いないのである。
なので会館が完成したときには「松葉会快感」と名付けようとしていたそうだ。
住民たちは「自分たちだけアナルさんへのチンの出し入れを満喫して、ズルいぞ!」というデモを起こしたのだろう。
真実は深い闇の中であり、深いアナルさんの中なのである。 >>390
おぉ、もう更新があったとは!来てみるもんですな
そういや昨日だか、福岡の工藤会本部が売りに出されるとか
いう記事を読みました。そう言われるとあっちは女子トイレあっ
たのかが、いま気になってきました >>390
またお前か…
前半の松葉会会館のエピソードは読み応えのあるレポートだったが、
便所の話題以降は一転していつも通りの下劣なチン話だった…
闇が深いのはお前のチン話に登場する男達の性癖ではないかと思う 筆者の熱狂的ファンから工藤會の話が出たので、少し工藤會について話をしよう。
工藤會の祖は、工藤玄治親分であり、当時は「工藤組」と名乗っていた。
昔気質の博徒らしく、狭い家で清貧を貫き、チンをイメージした坊主頭が印象的だった。
そんな工藤組で若頭を務めていたのが、草野高明である。
そして1960年代になると、工藤組が拠点としていた九州に、山口組が侵攻してきたのだ。
工藤組も好戦的であり、山口組との対立が相次ぐことになった。
そんなとき、工藤組組員が山口組組員を殺害した上、遺体を川に捨てた「紫川事件」が起きた。
草野は事件の首謀者と見なされ、長期服役を余儀なくされることになった。
そして草野は拘留中に、工藤組からの脱退を宣言したのである。
全く相談をされてなかった工藤親分は怒り、草野を破門とした。
しかし草野が工藤組脱退を宣言したのには訳があり、草野は工藤親分に捜査の手が伸びないようにしたかったのだ。
そして月日は経ち、草野は懲役を終えて刑務所から出所。
工藤親分はもちろん、かつての同門たちの出迎えはなかった。
しかし何と、敵であった山口組の田岡一雄組長が放免祝いをしてくれたのだ。
これには草野も感動し、山口組と親しい関係を築くことになった。
アナルさんの舐め合いぐらいはしたであろう。
そしてついに、工藤会に改称した工藤親分派と、草野一家を立ち上げた草野派は数々の抗争を起こすことになる。
抗争は何年にも渡って熾烈を極めたが、最終的には稲川会や合田一家が仲裁に入り、手打ちとなった。
これにより、工藤親分を総裁とし、草野を総長とし、溝下秀男を若頭とする「工藤連合 草野一家」が誕生した。
1990年には溝下が工藤連合 草野一家の二代目を継承。
1991年に草野が他界し、6年後には工藤親分も他界したのだが、その後に溝下は工藤親分を初代、草野の二代目、自らを三代目とする「工藤會」の継承法要をおこなったのである。
これは、工藤親分を初代とする組織にするためという溝下の想いがあった。
溝下は元々は草野派であり、工藤親分派から襲われたこともあったが、過去は全て水に流すという想いが強かったのだ。 このような歴史と先人の想いが詰まった工藤會も、今やかなり傾いた状態である。
四代目を継承した野村は、チンの増大手術か包茎手術かで看護師とトラブルになり、看護師に手を出した始末である。
立派になったチンを牧野親分に見せたかったのかもしれないが、カタギの女に手を出すなどあってはならないのだ。
そして工藤會の五代目を継承した田上や、若頭だった菊池も逮捕された。
シノギを失った組員たちは金に困り、経費節減のために本部事務所の蛍光灯を数本外すぐらいまで追い込まれた。
もちろん、数百万円とされる本部事務所の固定資産税などは払うことができず、ついには差し押さえとなったのだ。
本部事務所は、組のシンボルである。
つまり、チンと同じようなものだ。
それが差し押さえとなれば、精神的にもダメージは大きいだろう。
もうチンを使うなと言われたら、たまったもんじゃない。
精子はたまりまくりである。
本部事務所の権利は、まだ工藤會側にあるが、裁判費用捻出のために、売りに出すことも検討しているそうだ。
市は、土地や建物にいくらの価値があるのか調査する段階に入っている。
その調査費用は、百万円ほどだそうだ。
もちろん、税金である。
税金が払えないから差し押さえ、売るというから税金を投入する。
悪いのは工藤會ではあるが、それ以外に考えさせられることが多い話である。 >>394
お忙しいでしょうに連日のご執筆、痛み入ります
工藤会ほど三代目と四代目と申しましょうか、四代目以降から
まわりの評価がガラッと変わる団体も珍しいかと。正確には
四代目の溝下総裁が亡くなってからですが。
九州の人の組織なので私は詳しくないのですが、世に言われる
「これぞ暴力団!」の典型の組織になってしまったようですね。
それはそうと、まだ「またお前か・・・」さんがお見えにならな
いようですね。たぶん意表をついた連日投稿に油断しているよう
ですな。
これからも、ご無理ないような更新、楽しみにしております。 >>393
またお前か…とは今回は言わない
個人的には工藤會といえば溝下親分が実話時代で連載していた極道一番搾りの印象が強く残っている
こんなにユーモアに富んだ話を書く現役ヤクザがいるのか!と驚いたものだった
>>395
他人の規制に巻き込まれたらしく(?)5ちゃんに書き込めない状態だった 工藤會が過激になっている理由を知りたいという声が届いた。
真相は誰も分かりようがないが、筆者なりに分析してみよう。
まず工藤初代と草野二代目は過去に抗争をしているが、どうしても相手が憎くて抗争をしていたわけではない。
元々は草野二代目が拘留されたとき、当局から「お前の対応次第では、工藤をしょっぴくこともできるし、工藤が手を付けようとしてる公共事業の邪魔もするぞ」と言われ、仕方なく自ら工藤初代の元を離れることで、工藤初代をかばおうとした。
しかし工藤初代は、そんな公共事業なんかより、子分である草野二代目のほうが大事であり、草野二代目が自身をかばってのことは言え、当局に乗せられ離れていくことが悲しくもあったのだ。
しかしそれぞれの若者たちは血気盛んで喧嘩を始めてしまい、引くに引けなくなったのである。
溝下三代目は、草野二代目と同じ刑務所にいたことで出会い、すぐに心酔し、草野派になった。
工藤派の田中新太郎組長を射殺したのも溝下三代目が率いる一派である。
しかしこれらはあくまで、互いの面子を守るという大義名分がある喧嘩だった。
最後には稲川会稲川聖城が草野二代目に「工藤さんに親孝行しろ」という言葉をかけ、草野二代目は「はい、そうします」と納得し、喧嘩は終わった。
その後、溝下三代目体制が発足するが、溝下三代目は珍しいタイプの極道であった。
書や絵画をたしなみ、本も出発し、マリンスポーツやウインタースポーツも好むなど、多趣味で多才な親分であった。
アナルさんを舐められるのも好んだであろう。
とはいえ、単なる趣味人ではなく、ヤクザらしいヤクザであったのは間違いない。
組が何か事件を起こした際、若い者をすぐに出頭させるなど、当局への義理立ても欠かさなかった。 そして、溝下三代目から組織を譲り渡されたのが野村四代目である。
野村四代目は富豪の家に生まれ、全く金に困ることなく成人した。
ヤクザになってからも、親族の遺産など豊富な資金を元手にシノギを成功させ、甘い汁とチンの汁を吸わせることで若い衆も多く抱えていた。
元々は溝下一派に射殺された田中新太郎が率いていた田中組の出身である。
そして溝下三代目の死後、野村四代目のワンマン化が始まることになった。
これまで、溝下三代目の前では猫を被っていたのだ。
チンの皮も被っていたから手術したのだろう。
まずは手始めに、溝下派からの金の吸い上げと排除である。
金玉も吸い上げたはずた。
また、元警察官が襲撃された事件もあったが、その元警察官は溝下三代目が過去に義理立てしていた男性と噂されている。
つまり、溝下三代目に関連する者たちを徹底的に排除しようとしたのである。
主に実行したのは、田中組一派である。
田中組からは五代目となった田上や、理事長の菊池がいたが、野村四代目も含めて逮捕された。
しかし溝下派の組員が逮捕されたという話は聞いていない。
野村四代目には任侠道というものなどなく、とにかく目障りな者は徹底的に消すことばかりを繰り返した。
すべて私利私欲のためだ。
そしてその暴力装置となったのが田中組一派ということである。
特定危険指定暴力団に指定されるのも当然だろう。
この構図は、弘道会一派が山健組一派に冷や飯を食わしたという、山口組の事情と似ている。
やはり当代まで登りつめて権力を持つと、先代に関係するものを排除し、自身らに忠実な者だけを配下にしたくなるのだろう。
ただ工藤會の場合は、やり過ぎたのだ。 >>397
またお前か…とは今回も言わない
工藤會の変質の一因が田中組一派が主導権を握ったことと見る分析は興味深いな
田中組初代の田中新太郎組長のことは飯干晃一の本(たしか「激突、暴力世界」)で読んだが、
よく云えば行動派、実態は何でもありの狼藉者のようだったらしい ここはいいなあ。なごむ
余所さんのスレみたいに意見の違いで詰りあいがないし
くだらんコピペもないし、松葉以外でも勉強になるし、
突っ込むひとは秀逸だし
もっと早く知っときゃよかった
「千年の松」のDVDは発売日に買ったけど
本は文庫になってからでした 溝下総裁を悪く言う人はいないね
逆にその風潮が野村体制の暴走を招いたのかな
自分が当代なのに亡くなった総裁のことばっかり評価されて嫉妬したとか
現に溝下系統は冷や飯だったし DVD「不退の松葉」で上萬一家の幹部を演じた睦五朗は
ナレーションも担当していたが、これがとても聞きやすく
上手だった
変なとこで感心してしまった思い出がある >>401
それもあるだろうね。ただ昔、工藤会草野一家が結成される時、
工藤会長が野村に「おい、草野が総長、溝下を頭にするぞ」と
言われて野村は躊躇せず「はい」と答えて−なんて話を読んで
このひと組織第一に考えられる人なんだな、とその時は感心し
てた。ただ、溝下総裁の死後の体たらくみて、やっぱり親殺され
た恨みは消えないんだろうな、と。ところが一連の堅気さんに対し
ての暴挙をきっかけに色々見てみたら田中組時代もいい噂が全く
なかった。
カネと暴力、それだけで上に立った人間。人まとめで苦労した
りとかの経験がないんだろうね。こういうのが上に立つと下の
者がしなくてもいい苦労をする
「工藤=田中の世襲制」「菱=弘道の世襲制」「稲=山川の
世襲制?」 なんだかね
スレ違いですみません 松葉会で媒酌人といえば、松葉会幹事長で大久保一家総長の小池清一が有名である。
松葉会内の盃事のみではなく、他団体の盃事の媒酌人もおこなうことも多々あったほどだ。
その小池が率いる大久保一家は、後に松葉会会長に君臨することになる牧野親分や荻野も率いていた名門であることは言うまでもない。
大久保一家の総長になる絶対条件は、アナルさんは締まりが良いということだ。
「名門を継ぐには、肛門を鍛えよ」という言葉もある。
そんな大久保一家で理事長を務めているのが中野冬樹である。
理事長といえば若頭のような立場であり、時期総長に最も近いポストだ。
中野が率いている五町田という組織の先代は荻野である。
荻野が古い名跡を掘り起こしたのだが、今や名門といえるだろう。
その中野もまた、媒酌人を務めることが多い。
一見するとヤクザには見えない風貌であるが、媒酌はなかなかしっかりしているのだ。
ちなみに中野は、カンボジア女などに売春をさせた罪で逮捕されたことがある。
給料もロクに払ってなかったそうで、カンボジア女が内幕をSNSに書いて罪が発覚した。
ヤクザは男を売る商売だが、女を売って商売していたのだ。
売春の斡旋などは昔からあるシノギであり、かつては竹中武も同じようなシノギをしていたそうだが、あまり粋な商売ではない。
群馬の田舎町では売れるかもしれないが、都心部では好んでカンボジア女を買う者もいないだろう。
カンボジアだけに、地雷がたくさんいるかもしれないのだ。 >>406
いやいや、ここ数年で一番良い文章を読ましてもらったな >>406
またお前か…と言うべきか迷うところだ
久しぶりの松葉会の話、しかも牧野親分のお膝元の大久保一家の話だったが
相変わらず下劣なネタを挟まないといられないのか…
後半の中野氏のシノギ(?)に関して「あまり粋な商売ではない」という一言には同意だな 何をやっても追い詰められるご時世
薬・女・詐欺のケツ持ちが主要のシノギになるんだろうか おお、GYAO無料で牧野親分の「千年の松」前編が来ていた 牧野親分を題材にした「千年の松」が話題になっている。
「千年の松」は、筆者の「チン物語」よりは人気がないが、それでもそこそこ人気があるのだ。
書籍のみならず、Vシネマ化されている。
牧野親分を演じるのは、白竜である。
チンから白い液が、竜のように流れ落ちるから名付けられた芸名だ。
あまり牧野親分らしさはないが、任侠映画によく出ているだけあり、ヤクザらしい所作を見せる演技力はある。
しかし、演出がわざとらしくクサい場面が多いのだ。
低予算だから仕方ないが、クサすぎるのはシラけてしまう。
どれぐらいクサいかと言えば、夏に一週間風呂に入っていない状態で、太ももの付け根とキンタマの肛門寄りをコスったときの指ぐらいクサいのである。
とは言え、実在する牧野親分という人物の映画なので、多少は美化しないといけない気持ちも分かるのだ。
映画では、強い相手との喧嘩には勝たないといけないし、女には優しくあらないといけない。
そういう意味では、チンの大きさを測って一喜一憂したり、大浴場に入る際は見栄を張ってチンを甘いじりして少し大きくしたりするという、牧野親分の素性を描いたチン物語は、かなり踏み込んだ作品なのである。
筆者は、芥川賞や直木賞、ノーベル文学賞の話が来ても辞退するつもりだ。
愛読者の方々に喜んでもらえたら十分なのだ。
そしていつか、天国の牧野親分に褒めてもらいたいのである。 >>412
またお前か…
臭いのはVシネマよりお前のチン物語だ
特に夏に一週間風呂に入ってない云々の例え話は読んでいると窒息しそうなくらい臭くて汚い文章だ
「千年の松」が美化されている傾向が強いのは事実であり、それは山平重樹氏の一連の著書の特徴とも云えるのだが、
逆にチン物語は下劣なネタのオンパレードで、かといって決して牧野親分の素性を踏み込んで描いたノンフィクションではない
天国の牧野親分に褒めてもらえるどころか地獄の一丁目で懇々と叱責されるのがオチであろう
ついでに白龍氏からも叱責されることだろう
不肖この俺も地獄の道端からその様を見て「またお前か…」と言葉を投げかけるだろう 牧野親分の渡世名は牧野國泰だが、在日コリアンなので、本名は李春星である。
ここまでは有名だが、日本名は牧野春男というのは意外と知られていない。
大久保一家総長時代までは、この名を名乗っていたのである。
ちなみに「春」という言葉は、売春や春画という言葉からも分かる通り、性行為という意味もある。
牧野親分にピッタリな名前なのだ。
ちなみに松葉会内に一ノ関牧野一家という組織があるが、この「牧野」はチンでお馴染みの牧野親分とは無関係である。
一ノ関牧野一家の初代は、岩手の牧野正太郎だ。
ちなみに、この牧野正太郎も在日コリアンなのだ。
しかし、一ノ関牧野一家と聞くと、チンでお馴染みの牧野親分の出身母体かと勘違いしてしまう人も多いだろう。
たとえば、山口組内に田岡組という組織が過去も現在も存在したなどは聞いたことがない。
たとえ「田岡」という姓の組長がいたとしても、その名での組名乗りは本家執行部が許さないのではないか。
しかし松葉会では不問だったのである。
チンでお馴染みの牧野親分が松葉会会長に君臨していたときも、一ノ関牧野一家は組織名を変えることはなかった。
組織名を残すことができたのは、牧野正太郎の功績によるものかもしれない。
東北を守り抜いた功績、あるいはフェラが上手かった功績など、色々あるのだ。
もしくは、チンでお馴染みの牧野親分の器とチンが大きかったという理由も考えられる。
さて次回は、大久保一家時代の牧野親分について紹介したいと思う。
パンツを脱ぎ、チンの皮はかぶった状態でお待ち願いたい。 >>414
またお前か…
松葉会の地方組織であまり語られることの少ない一ノ関牧野一家が取り上げられていたので期待したのだが…
牧野正太郎親分まで下劣なネタの餌食になってしまっていた…
ちなみに牧野國泰親分がチンでお馴染みなのはお前のチン物語の中だけの話だ
牧野國泰親分が一ノ関牧野一家の改称を強要しなかったのは
親分の器の大きさを感じさせる話と言っても良いのではないだろうか(チンの大きさは知らない)
特に平成に入ってから組織のトップの名を慮って由緒ある家名を唯々諾々と改称してしまう事例が多かっただけに
次回は大久保一家時代の牧野親分の話ということで楽しみにしたい
ただし、まだ寒い季節でもあり俺は露出狂でもないのでパンツは脱がずに待っている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています