これが当時溝口が書いた記事
溝口はその時々によってブレブレにブレるから信用ない
変わらないのは織田がこの頃から六山に戻りたがってたってことだけ

これまで、和平の道がなかったわけではない。射殺事件が起きる前に両団体の幹部同士が顔を合わせて交渉する席が設けられたという話が漏れ伝わった。
6代目山口組側からは高木康男・清水一家総長、神戸山口組からは織田絆誠・若頭代行が出席し、落としどころを話し合ったとされる。この会談について、2次団体幹部が語る。
「山健組の若頭補佐の1人が清水一家の重鎮に『高木総長にご相談があります』と連絡を入れたのが発端だった。『織田と会っていただけないか』との申し出に、全権を委任された立場で来るなら話を聞こう、と会ったのは事実。
ただし、いざ会ってみると何の権限も持たず、『どうすれば(山口組に)戻れますか』と聞いてくる。6代目山口組としては『ポツダム宣言なら受け入れる。若い者は救えても絶縁者は救えるわけがないだろ』と蹴って終わった」。
噂は瞬く間に広まった。ただし、巷に流布されたのは、極端に歪曲されたものだという。「そんな経緯が織田にかかると、『親分(神戸山口組の井上邦雄組長)の若頭での復帰案を司6代目が呑み、総裁職に退くことになった。
ところが獄中にいる山若頭が拒絶して破談になった』というフィクションにすり替わる。さも事実であるかのように吹聴するので、始末に悪い」。