正式”な「極悪」というのは活動を1年程度で終え、昭和49年暮れに解散したという。
しかしながら、「極悪」の名前は浅草と三ノ輪に静かに残り、
板橋では初代・二渡氏から正式に禅譲を受けた浅草極悪二代目・前田氏、三代目草野氏へと
正式に引き継がれ、四代目の新井氏まで脈々と武闘集団としての地位を築き上げていった。
町屋の木藤氏や酒場氏は草野氏と同年輩であることから、「町屋極悪」として荒川区と台東区に
極悪を誕生させたが、恐れずに言えば、極悪本流から正式な禅譲とは言えない。
ただ、町屋極悪は先の4つの極悪に引けを取ることのない武闘派として「浅草極悪」らしさは
十二分に発揮していたように思う。