このうち2つ目の「出身母体へのひいき」について、古川組幹部が自分たちの経験を踏まえて説明したのだが、その内容は、山健組傘下団体と古川組傘下団体が衝突した際、
神戸山口組では、山健組傘下団体を優遇する対応が取られたというもの。結果、これに不満をもった古川組内の一部勢力は、任俠団体山口組に参画し、古川組も分裂する事態に陥ったのだ。
 
 ところが今回、関係者の話によると「被害者的立場を訴えていた当の古川組傘下団体が、任俠団体山口組を離脱した」というのである。
結成式で古川組幹部らが語った通りの遺恨が存在したのであれば、早々の離脱など考えられないが、任俠団体山口組結成から3カ月もたたないうちに、なんらかの亀裂が古川組内部で生じてしまったのであろうか。
 
「今回離脱した組織のトップは大阪でも音に聞こえたイケイケ。若い衆も武闘派揃いとの定評がある。それだけに、任俠団体山口組傘下に入った古川組にとっても痛手となるに違いない」(関係者)