山一抗争では山口組の
何処の組織よりも早く一番最初に
一和会系事務所に日本刀片手に
襲撃をかけた武闘派組織。

五代目山口組では
組長秘書に抜擢され
六代目山口組では
本家室長という新設の
執行部ポストに付いたが

田原総一朗の山口組ドキュメント制作で下手を打ち舎弟に降格された。

そして山健組、宅見組等と
六代目山口組を離脱し
新たな新団体神戸山口組を立ち上げ
総本部長という名誉ある役職に
返り咲き現在に至る。