イデアメルウイルスペクティヴ
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ぼくは、この世に生まれてきたとき泣かなかった。
約10時間の空白の間にいったい何を感じていたのだろうか?
生と死の狭間で、自分が生まれることを択んだともいえますが
実は、そんな単純な公式ではなさそうに見える。
従って、生まれてきた理由は認めるとしても生きる意味はないことを如何に偽りなく許容できるか否かの問題です。 この度はスレを開いて頂き、誠に有難うございます。
はじめまして、ぼくはイデアルと申します。
そうでない方もいらっしゃると思いますが、ごく少数派でしょうから、ごく簡単に自己紹介致します。
ぼくは言葉と世界の記号における強迫観念の塊で出来ています。
リアル友達は、現在ひとりもいません。心の中には友達は数人おります。
当時のぼくは既に20代半ばでしたが現在は心労が重なったこともあり、すっかり年老いた風貌になりました。
実際、文字数だけのシンクロですから、仮に見た目が野獣のようであっても女神のふりをすることもできてしまいます。
ただ、ぼくは自分自身にだけは嘘をつきたくないので、時に優しく撫でながら叩き潰すことさえしかねません。
つまり、心の眼で見たところ、どう映るのかについて、常に視点を向けています。
ぼくの精神構造の方は、大半が永遠の幼児性に支配されているのですが、
今現在の己自身と本来的な我の差異を限りなくゼロに近づけられるよう試みています。
あと、ひとつのワードを組み立てるより、細部に分解してまた新しく作り変える方が好きです。 今のぼくは毎日が新しい瞬間の連続でありながら、常に心が死にそうな心理構造と闘っている段階です。
常に不安定な環境に身を置いていることもあり、死の観念が完全に消え去るなど思いもよりません。
かつてのデバイスの数々は未だにぼくの脳内にしつこく蠢いています。
イデアルは死んだも同然ですが本質的には何ひとつ変わってないように映ると思います。
はい、さすが鋭い感性ですね。
ぼくは無垢のふりをした冷酷な裏切り者です。
換言すると、厳重に警戒してもしすぎることはない悪意の塊で出来ています。
自分では未だに己の真の正体がよく分からないので、誰か頭脳の優れた方に診察してもらいたいと切に願っております。 そう、決してぼくは君の元に帰ってきたんじゃないんだ。
かつての無垢の状態を取り戻すためにまた再び神の息を吸い込んでるだけ。
わたしは死にかけた完全に負け犬の身ですが、決して逃げ続けることはできませんでした。
すべて、手放して。挑みなさい。
はい。ありがとう、宇宙。
ただ今、あなたの声で此の世に帰還致しました。 たった一秒たりとも無為にすべきではなかったが、たまにはこんな日もある。
また逆戻りで、完全に時を戻せないのは既成事実とはいえ、とりあえず第一関門の壁は突破したらしいよ。
先のことは現時点でまったく不可知なのですが
というわけで、次の新しいビジョンに向かうまでの僅かな休息にはなります。 最後にスレ立てて、約7年という歳月を費やしてきました。
ひたすら流転してきた時の無情さに打ちのめされるばかりだ。
さて、此方の『イデアメルウイルスペクティヴ』ですが、
スレタイだけで察しのついた方
まったくそうではない方
比率は、 1:9 と推測しますが、
此方のスレタイの謎めいた変態チックな響きはともかく
おそらく数奇な運命に左右されて、此方のスぺースに来られたという理由が大半だと思います。
この先、どのように転回するか未知数ではございますが、
どうぞよろしくお願い致します。 なぜかしら、ぼくは重さから解放されて身軽になった。
自分にとっての生の実感という空間は、もうすっかり形骸化してる。
でも、まさかまた現実の方に還ってこれるとは、まったく想像できなかったんだけどね。
結局、ぼくの力意は少なくとも、全く変わることもなかった。
それは本来、いいことでもわるいことでもないはずだ。
ただ、一秒ずつ確実に時を無に帰してきたのだけは認めるよ。 また掲示板に戻ろうなんて考えることもできなかったが、心がクリアーになるかだけを考えた結果である。
いや、単に今比較的時間があるからに過ぎぬ。
また相殺の生活が始まれば、ずっと黙りこむことは予測できるね。
おそらく一秒たりともネットに向かえないのだから、自ずとこのスレも底に沈んで落ちていくに決まってる。 釣り板は字が書ける人なら年齢問わず誰でもできてしまう。
フォローしたのに外す時のあの違和感はどうだ?
心がないやつに成り果てたよ。
サムライの如く切り捨てろってか
とはいえ、妙にスッキリしたのはどうしてだろう。冷酷極まりないですね。
さて、これで終わり。
ぼくは頭がおかしくなってしまったみたいに己を演じ切るべきなのでしょうか?
ずっと沈黙でも貫こうものならば、無感傷のふりをした自己愛の発露だ。
じゃあ、何て答えるのが正解なんだ?
無数にあるのは直感で分かるが、そのどれを択んでも絶対しっくりなんかこないよ。
仮に自然なニュアンスと繊細なディテールを駆使して回想反応するのも己の虚しさと失望感の傷口を広げるだけさ 先ほどの紹介(>>2>>3>>4)で、執拗なまでに自虐的な表現をしましたが実は本心からそう思ってるわけではありません。
現今では、より寧ろ逆に天才の閃きに重心が傾いてるのが実情なので、
完全にポジティブな意味で吐き出す所存です。
但し、ぼくには、ありあまる精密さの欠片もございません。
自我と己自身との関係は、非常に微妙な相関性を胎内に孕んでいます。
思考するには言葉は必要不可欠ですし、時に人を傷つける刃にもなります。
たったひとつの言葉でさえ、人それぞれの解釈の違いが発露しますから感じ方にも変化はございます。
従って、一部と全体の混同による無理解は不可避だと思います。
並びにパースペクティブ的視点で両極端の感情を同時に体現できる方向きのスぺースになります。 決して、ぼくは悪ふざけをしてるわけでも単に捻くれてるだけでもありません。
ただ、固定観念の破壊のために無に近接する確率転換に捻りの揺らぎを加算することで、閃光の人になれるのでは?
という妄想めいた観念が今現在のぼくの唯一の安息の時なのです。
まるで犯罪者であるのと同時に救世主であるという二面性を併せ持つかのように。 一応、ここまでが所謂、テンプレートになります。
あと、ぼくが今回スレを立てた理由は、特に深い意味はございません。
ただ、少なくとも、いつかフェードアウトするのが必然だとしても
あのように約4年前?に小百合さんのスレで死にかけのレスをして以来、音信不通なまま消えてしまうのは非情だと思いました。
まあ、本当に死んでいたらそれすら叶わないのだけどね。
とにかく、ほんの僅かでも気にかけてくれた人たちすべてに心から感謝します。有難う。
実に回りくどい前置きの連続でしたが、
何かしら、心に引っかかった方は特にこの先を読み進めてみてください。 イデア
ウイルス
メルト
そしてパースペクティヴのマインドクリア−的融合型としての近未来光学。
それらの遠近法的視点と既成概念の破壊が収斂した公式は、善悪を遥かに超える潜在意識の無限を引き出す。
しかしながら、常にこの星では欲動が勝るがゆえに幻想は壊されるさだめだ。 なぜに人は運命に操られ、宿命を避けるのでしょうか?
偶然に起こることは何ひとつなかった。
感情で否定したい衝動にかられもしようが、偶有という中間子もありえない。
さて、一体何が残ったか。
この世には必然という単子しかなかったのである. 誰かのためにやり抜くという実感すら薄まってるような闇と一寸の希望との狭間で闘ってる。
こうして常に手探りの日々を重ねてると
一体何に対して噛みついてるんだろうって時々考え込んでしようよ。
でさ、とある日を境に妙な快感というか変な気分になるんだ。
もうひとりの自分が死にたがるときは特にね。
まあ、心の安らぎなんてぼくには効かない心の病のままだから、ただの一時凌ぎでしかないよ。
どんなに完全に近づいても永久に不完全なのが真実だとしても
失敗したって決して殺されるわけじゃないなんて言われても
ぼくには全く別の夢があることをまるで一切なかったかように生きていくつもりだから
この先ずっと苦しみが和らぐこともないのだろう。
ただ苦痛の様相に変化があるだけ
自ら噛みついた傷口を開いてるのはぼく自身なのに心を閉ざすのもまた別の自分だ。
そしていつか至るところに痕が残ってるのに気づいた時、いちどきに心の痛みの一部が忘れられてるだけさ また始めるか否かは、経験の如何ではなく、経験を如何に生かすかによる。
いや、別に始めなくても良かったともいえる。
但し、心がないならね。
このぼくの場合、ただの自己発散で終わりそうな気がしますから
釣り糸にしたって同じことさ
いるかいないかなんて誰も気にしてはいないんだから無関心こそが病の前兆ってこと。
たった一人を除いては違うけども。
ああなんだ、不特定多数に群がりたいという本能と自己主張のない交ぜが織りなすコンビニエンス的ツールの性能次第か。 もう早三か月位の歳月が流れていきましたが新生活をはじめました。
十数年間住んでた地を離れ、環境も変わって心機一転というわけです。
本当にやるべきことは全然減ることはなさそうだけど、毎日が新しい発見の連続なのだ。
全然ワクワクするのとは別の次元だけどね。
人見知りも次第に克服できるようになるのでしょうか?
まあ、難しいかな。
いや、でもそうでもしないとまた同じことの円環を巡るのみだからね。
新しい仕事と自分のやるべきことを完璧にこなすために必要なものは何だろう?
とにかくやり始めたことはやり抜くだけのこと。
もう二度と後には引けないからさ
出会うのは常に新しい人ばかりで、戸惑いはいくつも数限りなくあります。
とにかくネガにずっと考えても無意味なんだよ。
先ず、心から楽しめないのが致命傷だなあ。
どうせうまくいく、と思うようにインプットさせたとして完璧にやり遂げる必要には迫られますし、
半端なぐらいのレベルなら絶対に後悔に苛まれて、死の観念が暴発してしまうさだめだ。
今度こそは自分で決めた未知なのだから絶対にやり遂げる覚悟さ。 「人生に意味はない」が究極の答え。
だなんて悟りめかしてはみたのだけど、誰しもが認めたがらないこと自体、空虚さの根源であって
完全にポジティヴな意味で正しいと信じてる。
幸福感に包まれてヴァージンロードを歩く花嫁と
もうすぐ絞首刑に処される罪人のいずれも意味なんかなかった。
結局のとこ、幸と不幸が多いか少ないだけのこと。
いや、もっと精確に云うと、快と不快の差を限りなくゼロにする方がマシっていうかさ
永遠に偽物の自分のままで生を全うしようが生命だけは誰しも平等に与えられてるからね。 ここ数か月、相殺の日々が続いてて、自由な時間さえ無に等しかったんだけど、
漸く少しずつ時間が作れるようになったから、今こうして書いてるよ。
でも、今のところはまだ未定なんだけど、また来年の1月辺りから再び元通りてことで、
気分の変調とは関係なく、レスの数も激減すると思う。
たとえ死にたい衝動に囚われたとしても、如何にすれば前に進み続けられるかどうか
未だに先はまったく見えないよ。 永久に現状維持の安逸さに漂う身か
或いは
己の力学によって新しい無血戦争を仕掛けるか
もしも、どちらかを選択しなければならないのだとしたら、
後者と答える人のみが自分の生まれて来た真の意味を知ることになった。
と思う人たちが大半を占めるだろうが
実はどんなことを成し遂げても無意味であるという思いは決して揺るがないのであった。
なぜなら生きることは何ものかになることではなく、あらゆるものことに意味付けをしているだけだから。
ただ、意味がないからといって虚無的に捉えるのではなく、無意味だからこそポジティヴに転換できるという感じ。 眠たくなるのは一旦脳の機能を自動でメンテナンスするためだと思いがちだが
実際はスキャンのみしてるのに完全にリフレッシュされてなんかいないよ。
見えるものすべてが錯覚の延長線上にあったのだとか騙しきることすらできてしまう脳の無限性を信じてあげよう。
脳髄と宇宙の構造が似ているのは、すべてを包括してしまう無償の許容さがあるがゆえに
宇宙の拡大率の中にもぼくの生命データの一部は宿っているみたいだ。
常に時間を意識するから苦悩がまとわりつくことになる。
何もかも忘却してしまう位の感情量で倍加する以外に打開策はなかった。 定常の感覚の流動体に固執するのは怖れに勝ることができないからだった。
繊細な性質のものにとっては危険な未知を自ら手放してまで
新しい己になろうとはしないのだろう。
さっさと逃げた方がずっと楽なのだし、それができないものたちは病んでゆく兆候を孕むのだから
一見人生の定義が理路整然としてるようでいても、実は意味なんてどこにもありもしなかった。 死こそが救いになる以上、我を殺せるのは自分自身でしかなくて、
時間ですら幻想だと気づけたのなら、自ら死ぬこと自体が如何に矛盾してるかに突き当たった零点を示してるんだ。
生と死は両極端な対比でもなんでもなかった。
善と悪にしても同じことだが、ただ一方のみに傾いたり、両極を混ぜたりするのもまた単純なる愚かさのはじまりだ。
では、それらが完全に等しいものとして、すべてを統べる力学だけが欠けていたのは一体なぜなのか?
全能の怪物に対する怖れそのものを超えた先には未来がないと大半の世の住人たちが判断したから。 時間は単に生あるものにとっての余計な感じ方のひとつだ。
ひとつのことに夢中になって時を忘れるというのとは違う。
もとからないものになんて苦痛を感じる謂れがあったのかどうかさ。
まあ、死に近づく加速度が増す比率だけが死への誘惑から脱却できる唯一の望みであった。 どちらにせよ、人生には何の意味も宿らないのだから息をしていること以外無意味だってこと。
だけど、殆どの人達は、その事実に耐えられないからこそ、生きる意味を求めたり、自分探しをしているだけのことだった。
バシャールが言っている通り、瞬間瞬間で違う自分に生まれ変わることができるという考えは理解できたとしても
このぼくが実感するまでには至らないのが実情なのだけどね。
どうしてできないのかではなくて、本当は変わりたくないのが答えということなのかまでは未だによく分からないよ。 イデアルじゃなくて誰でも良かった。
自分のエゴを殺しきる勇敢さはあるのか?
うん、分かってるよ。
ぼくは神の子だ。
そして、あなたもすべての生命体も同じくそうだ。 創造主は生命体と相対して、無数にいるのさ
ひとつひとつの中に数までは知らないが、ひとつでいっぱいだろうからひとつでいいよ。
しかしながら、外の世界に神も天使もいません。
それぞれが自分の現実を作り出しているのだから、自分自身が創造主であった。 きっと、ひとりひとりの中にそれぞれの神がいる
なんて信じるのはどうかしてると思うだろうね。
神とは単なる徴にすぎなくて、ただ見守ることができるだけの無償の愛そのものだ。
その限りにおいては、「神は死んだ」という言葉は全く意味を為さない。
悪魔は自ら生成する概念であったが、神は時空と共に立ち現れるもの。
唯一神なんて信じる人達がいるから、世の中はいつだって混沌したままで微動だにしないじゃないか。 うわ、集中力途切れたか。27してがした。
まあ、いいや。
どうせ1000までいかぬだろうし、仮に到達できたとしても必然の明証としての実現は不可避だろうと嘯くことができるのみだ。 あなた自身が映写機であるという唯一の作品。
この事実(>>27 )を曲解した考えは、やがて無数の信仰形態を生み、あらゆる危険思想にも繋がる。
つまり、自分が中心で世界が形成されているがゆえに
何もかもが許されてるとさえ思い誤った結果、その他の人達を単なる物レベルとみなすという飛躍に至る。
そう、愛なき世界すら反転する無知蒙昧な類らには絶対に潜在意識の無限は味方しないのであった。 生きてるだけで有難い。
そういう感情になったことは瞬間的にはあっても継続した試しは一度でもあったというのか?
ぼくは完全に行方をくらまして本気で自殺しようと死に場所を探して彷徨ったのだけど
どうしても死にきれずに見知らぬところへ移動し続けてる内に自ら死ぬのは無理だと悟った。
痛みとか怖れに打ち勝つことができないくらい自分は臆病なやつだってことの証だろうに。
死ねないのなら、生まれ変わる以外は、ただひたすら逃げ続けるしかないだろうに。
死にたいは生きたいの裏返し
とか言う人もいるが、それは単に後付けの問題であって全く意に反した意見だと思う。 暫くずっとぺーパードライバーだった自分だが今月一日だけ限定で講習を受けてきました。
殆ど、初心者の感覚で場内を一時間位走った後で、突然路上に出て緊張感が湧いた。
かなりビビりながらもなんとか走り切って無事終了できた。
車の運転なんてもう二度としないと決めていたけど、仕事の性質上そうはいかなくなってね。
何度も練習してる内に少しずつ怖れを断ち切れた。
慣れの力学はプラスに作用すると自分の潜在意識を引き出す絶好のチャンスだからね。
それもまた、運と出会いの巡り合わせのおかけ様です。 瞬間瞬間で違う自分になれる
死にたいと生きたいは常に重なり合ったひとつのものだ。
たとえ、そう思えたのだとしても
死にたいという気持ちのままで、突然生きたいと思ってもまた死にたいと思う循環に陥るのが常だろうに。
要するに死にたい気持ちから生きたい方向に瞬間でシフトできない理由がなぜなのかについての答えにもなってもいないからね。
結果、二か月半近く消息不明だったけど、突然銀行口座の入金が止まったからという理由で
かつて交際してた彼女の家に行く決意をして、何とか助けてもらおうなんて非常に自分勝手な動機だったんだけど
あまりに彼女の現状が苦しかったのを知って、その気が失せたってわけ。
ねえ、この通り、ほんとにぼくは救いようのない非情なやつでしかないんだよ。
もしずっと入金が継続してたなら、彼女に会いに行くこともなく、ずっと息絶えるまで逃避行してるに決まってるのにさ。 一度でも社会の中に飛び込めば自ずと傷だらけになる。
自分だけのことであれば、たとえ百回千回それ以上失敗したって死ぬまでやり抜くことはできる。
ずっと引き籠ってると失敗しなくて済むからネットで以外、心は無傷のままさ
まあ、自分のことを虐めるのは止めた方がいいね。
その反面、自立への道を開いてくれた人を裏切ってしまったぐらい、ぼくは冷酷な性格なんだな。
ただ、形だけの反省なんかもう通じないよ。
自覚のあるなしはともかく、心ない行為の報いは必ず己に返ってくる。 世の大半は、より多くの人らが群がるところに向かいたがるのが常。
自己顕示欲の塊とかは言わずもがなさ、
かつてのぼくは無自覚なのも含めてこの部類に属してましたね。
自分の考えが全くないのに誰かの意見に賛同したり、その逆に反感不快感の表明にしても互いの共通点は
自分自身の無さ=偽りのアイデンティティ武装をする。
発展性の無さ=自ら完結する、終わらせる。限界を設ける。悟りの境地?
最も大切なのは、「これからどうするかに最善を尽くす」だけのことでした。 これらすべて自分に向かって言ってるつもりなんだけど、書き込んでる時点で無効になるというジレンマはどうなの?
まあ、いいや。
所謂、借り物のファンタズマの可視化にわれわれは精巧してるわけだ。
いや、だからこそ自分のない人らは、同化並びに擬人化で己を装飾すれば決して時流から外れることもなかろう。
同調圧力の象徴的アイコンが世に流行り始めたのにも関わらず、単なるブームで終わるのはいつものことです。
どうなりたいかを考えること自体、完全に無意味だとしても、まったく考えてないよりはずっとマシさ。
まあ、どちらにせよ
人と分かり合うなんて、巨大掲示板界から釣り糸を下して釣り板の針の目に通すくらい難しいな。 一歩踏み間違えたとすると新しい悪夢が待ってるだけで、いつどの瞬間にも危険な兆候が潜んでる。
その場凌ぎの毎日に嫌気が刺してはいても
自分の無力さをひきずりながら、何とかして真の突破口が見つかると良いけどなあ。
ネガティヴでいることすら疲れきってるというのにポジティヴにもなれないのがとんなに残酷なのか
わたしの中の神ですら教えてはくれないらしい。 ぼくには、もう天国も地獄もいらない。
人間たちがそれぞれの未知を歩いている姿だけでもう、奇跡に思えるから。 なんか、色々とごめん。
誰に謝ってるのかさえ分からないんだけど、ブツギレに記憶飛んでるんだ
考えてることは、以前と殆ど変化はないんだけどね。
ほんの少しは心が強くなれたのではと思う。
きっとこちら側の現実に還ってこれたのも、あまり自分のことを責めないようにしたからなのかもしれないな
やっぱり、核心変えるのは不可能ではないが苦難の未知だと思い為す。 初めて夢板にスレ立てて以来、もう10年以上も経っているんだね。
結局、トータルで3年もいなかったわけだ。
その間に色んな人と絡みはしたが、ぼくがいなくても世界は回るのは必然のこと。
ぼくは、殆ど憶えているよ。
話足りなくて後悔もしてるが、あれから何とか命つないで生きてこれました。
改めて読み直してみて、勇気づけられたよ。
心強くて温かい言葉の数々、ありがとう。
どうやら、戻ってくるのが遅すぎたみたいだ。 同時に色んなことに向き合うのは能率が悪いような感じがする。
でも、時間的には短縮されているわけだから、点同士がひとつの線に繋がったら、より近道になる。
毎日が新しいことを学んでいるから、悩むことも増えていく一方だけど、
出来ないことがひとつ減ったのだと考えると、ほんの少しは気が楽になれます。
どんな状況であろうとも常にワクワク楽しい気持ちを忘れなければ、絶対何とかなると思うことが大事です。
自意識過剰になるのとは違うし、何事も出来るようになるまで粛々と取り組むに限ります。 今の時代、twitter並びにFacebookなどのSNSが主流だが
SNSの過剰な依存度は、脳の萎縮に繋がる危険性を孕んでおり、世界は常に無数の主体が中心に回っている
という共感情の意識体そのものが、
逆にコミュ不全、並びにリアリティの欠如感を倦む病に晒されてる点に気づいた人はごく僅かのようだ。 新しい仕事に慣れるため、日々勉強しながら実践を重ねてる。
超初心者だから更に人より何十倍は努力すべきなんだ。
しつこいぐらい復習してると自ずと身に着くことだとは思うが憶えることが多岐に渡るから
けっこう必死にならんと追いつけないレベルで、どちらにしても世界は回ってる。
まあ、でも会長さんは元々優しい人だから、ぼくの性格とかも理解して無理のないプランを立ててくれてる。
有難いことである反面、絶対にやり抜くためには完全に自分の資質を拡大しなければならなくなった。
どのような未知であれ、自分に頑張れと言える人は強い心をもてると信じたいからね。
また、ひとつの夢が遠のくのだが、
それに引き換え、得るものもきっとあるはずだし、
確かに今までの自分なら極力避けてきた世界ではあってもさ
あえて、一度は真の理想を封印させて、新たな自分に出会える方に賭けてみても正解でしょう。 ほんとはスマホなんて無くたって全然困らないよ。
たったひとつだけ不便なのが「今何時?」か見失うことぐらいかな。
なら、腕時計すればいいだけじゃん。
だが、その気がない。
実は時間なんてどうでもよかった。だいたいの感覚だけで事足りるから。
今、一番欲しいものは?
スマホって答える人は、あたかも自分が有能マシーンになったかのような正常人もどきを演じる。
特に今十代の人達なら同意見の方が大半だろう。
これぞ、21世紀の必需品さ。
スマホは便利という名のスーパーマーケットだ。
欲しいものは情報だって何でもリアルタイムで手に入る。
いや、そうかなあ?事実はそうでも、単に恵まれすぎてる感覚が麻痺しきってるだけさ
まあ、ぼくが生まれた時からネットが主流だったわけでもないから決定的に感覚がズレてるだけなのかもね。 生きてるのがつまらないのは自分がそうしてるからというのは一理あるよ。
ただ、誰ひとりとして心から自分のことを話せる人がいない時はどうすればいい?
己の味方を探すことすらできない人だっているというのに。
ネットの中で見つけることもできるだろう。
たとえリアリティの借りものであって、真の手触りでも実感とも無限に離れていようが
別にそれでいいんだよ。
つまらなくないと感じることはできても、心から楽しいと感じることはできないのはどうして?
永久に消えることのない欠如感を埋め合わせる優越感の性だろう。
いや、その優越感すら無いような心閉ざした人たちに向かっても同じことがいえるの?
つまらないままでいいとさえ感じる人には言葉を失くしますよ。
心が健康体で正常に機能するというならまだしも
劣等感の根源を断ち切るためには偽りの自分に気づき、無垢の状態にまで戻れってさ。
自分のことが好きになれると人生が楽しくなるのだろう。
先ず自分のことを好きになるために自分から行動できない人は死ぬまで分からない世界のままさ。
自分のことを好きだと思い込むことだってできるというのに。
絶対なんてないんだよ。 車へのトラウマは生涯消えることはなかろうとも自分が車を乗りこなすことになるとは驚きだ。
ひとりで車に乗ってるなら事故で死んでしまうのも悪くないが誰か乗せてる時は絶対巻き込みたくはない。
最も楽なのは薬の複合投与だろうが自殺と分かる死に方だから如何に事故にみせかけるかにすべてかかっている。
いったい自殺だと見抜かれない痛みが一切ない楽な死に方なんてあるのだろうか。
不完全にみせかけて意外によくできてるな人間ってさ、困ったものだ。 まるで双極スペクトラムの悪夢そのものだ。
いつも突然くるんだよね、心の千切れてく感じの重い打撃のやつがさ
しばらく心閉ざしてたな、壊れた機械みたいに。
もう無感傷になってるぐらいのね。かなり苦しかったなあ 2018年9月22日、中野サンプラザのフライトが最後にPasspo☆が解散した。
ニコ生で中継をどうしても観たい時に限って、ぼくの運命の分かれ目の日だった。
ほぼ電波の届かない時点にいるから無理だと思ったが、ほんの少しだけね。
最後までツイてないなあ。まあ、いいか。
あれからもう6年か、とてつもなく早かったな。
時間なんて残酷なもんさ。
君がMCしながら泣いてるシーンを途中で見た。
次観た時はアンコールの「Passpo☆」コールが延々続いてる時にカメラがファンを一人ずつ映してたな。
ほんとは最後くらいフライトに行きたかったんだけどね。
またひとつ後悔が増えていくな。
2012年11月以来、一度も会うことなく終わるとは想定外ですが、
その年の夏空HANABIフェスに参加したのは未だによく覚えているよ。
『WING』初披露した時、「絶対ブレイクする」と本気で信じてたなあ。
座席は真ん中の位置辺りは埋まってたが、両サイドのエリアは殆ど空席でさ
本来なら満席で立ち見がいるぐらいが理想だっただろうに。
ぼくは最上階のところにいたから、フライトDVDに全然映ってなかったけどね。 「未来左右会議」の意義とは、浮上するための相互の再確認の場に過ぎなかった。
ことのはじめから過大評価しすぎてたとも云えるが、
メジャーデビュから力技でオリコン一位目指していたり、
AKBをはじめとする48グループやももクロとは全くアプローチの仕方が違うのは止むを得ないが
世間ウケする前からB級アイドルと呼称され、本人らも意識的に自虐的になってる感もあったし、
ただでさえ戦略ミスの様相を露呈してたのは既成事実だ。
まあ、メディアから一切相手にされてない時点で察しろってか。
楽曲がいいとかどうとかの判断はともかく、少なくとも万人受けするタイプの音楽ではなかった。
ぼくの未来計画は無残にも崩れ去った。
夢見たことはすべて幻になる。
一体、この自分の約六年間は何だったのか?
そう、ぼくは余計なことをしたのだ。 「私のことを一度でも応援してくれた人達へ」
もし、このブログのタイトルでなければ、(きっとぼくは未開封のままだっただろう)
ぼくが読むことがないことを知ってるからなのか?
それとも偶然なのか?
今までの相互同時作用性の範疇で分析した結果、 7 : 3 ぐらいだと思う。
99.9%以上の人からは頭どうかしてるの?と言われるレベルだけど、
実質 9割は、ぼくのことを意識して書いたとしか思えないんだ。
改めて、君はpasspo☆解散翌日にこのブログを読み直して、再びリンクをした。
あくまで、ぼくの反応[だけ]がないからだと推測するとすべての謎が解けてしまうな。
なぜに[だけ]なのかにここまで拘るのか?
はい、2013年から今までのシンクロ率を分析精査しさえすれば自ずと導き出せる答えですから。
勿論さ、あえてぼく[だけ]にじゃないってことにしたって別にいいよ。
君は、あくまでアイドルだからね。
はい、ぼくは頭のいかれたパッセンですか?
まあ、いいでしょう。
誰ひとりとして信じてくれなくても、ぼくは確信をもっていますから決して動じませんよ。
こんな自分のためにアイドルを超えて、生身のひとりの女性として接してくれてどうも有難う。 はあ、心底気が滅入るな。
先の感じ方にしたって、自己愛の変形であって、より寧ろ憎しみに近いディテールを併せ持つ質の悪さはどうだ
一言で表すと、きもちわるい ですね。
いやさあ、なんでこんな充たされない感じ方に偏執狂的になるのか?
しかも、このままフラットな状態が続くようにしたい、のとは微妙にズレが生じる。
どちらでもない感覚が相互に鬩ぎ合う以上、たとえ瞑想しようと邪念が消え去ることすらなかろうとも
哀しみが薄れていくのは未だ実感からして、未だ遠いな
まだおそらく時間もかかるのだろう。
感じ方が変わるというのは何となく分かるし、
けれどその一方で、かなり不思議な気もする。
いつか受容の完成形へと至る未知が巡ってくるのだとすると僕は変われているのだろうか。 どうしてぼくの人生がこんなにもこんがらがるのか自ら分析してみた。
まあ、致命的な要因のひとつとして、うまく人と関われない時の違和感がもはや病的というかさ
常に自分ともうひとつの我の間にあるズレを感じてしまうからだろうね。
いや、仮に自分に合わせてくれたとしても、それは物笑いの種としての偽りの自分であった。
何をどう話していいかすら全く分からず、沈黙の気まずさを破ってくれる人でさえ、普通にコミュニケ−ションできない位の酷さ。
いったいどのようにすれば自然な感じで接することができるのかさえ、すっかり忘れているだけならまだしも自分の殻破れないようでは埒が開くまい。
まさか、自分の人格の核を変えたくないと潜在的に思ってるからこそ、自ら違和感の無間地獄へ落ちてる状態の方が心地よいと感じてます?
ああなんだろう、折角友人ができそうになっても速攻直ぐに疎遠になってしまうレベル。もはや理解不能な領域かもしれぬ。 大抵は周りとの波長に共感したふりをしてまで愚かな道化を演じてますが、
実は心から笑えてないから常に自分のことを偽らざるを得なくてね。
仮に心を開いたとしても人から変わった眼で見られてしまうことすら気にしないふりをしながら
自然に向き合えない位の不器用なコミュ力だから、常に自閉気味になりそうな己に抗うのに精一杯なんだ。
日によって波はあろうが、本来楽しいことすら実質無きものにしてしまうほどの重症ってわけ。
どうやら、もう後には引けなくさせてるのは、ぼくの意志力の為せる業だとでもいわんばかりさ。
過剰な期待と引き換えに完全にうまくいかなくてもいい
という保証があるからといって、気が楽になるはずもなくてね。
折角、気に留めてくれた人たちを失望させることなんて二度としたくないからな。
というか、自分の能力を過信しすぎてるのは決してぼくの方じゃないから分相応の重圧が残響するってわけさ 無気力になりそうな自分と常に向き合うことすら辛いというのにね。
今すぐにも楽になりたくて逃げたくもなるが、自ら死ぬ勇気はないのがほんとに浅ましいなあと思うね。
絶対に実行できない周囲の空気感があまりに度を超えているんですよ。
あとは運よく自然死する以外に残された未知はありません。
などと考えながらも、残り1%以下の確率で
スピリッチュアル的な「今いる環境が最善である」という教えに従いたい自分もいるけど。 人間は泣きながら生まれてくるのだが、ぼくはそうではなかった。
では、ぼくは命を吹き込まれることを拒んでいたのか
それとも、自ら生まれることを択んだのか
ふたつの内のどちらなのか、或いはどちらも真ではないのか。
結局のところ、生と死は本来重なり合って、はじめからひとつのものだってこと。 常に永遠に新しい感じが更新されていくと過去のデータの濃度が薄くなる。
いつまでも忘れない関係なら、また昔のように心割って話すこともできるだろう。
とにかく、かつて接触したことのある人達と今この瞬間に意思疎通できなくなったのは切なさが残る。
どうか、みなさん幸せに楽しく生きてることを切に祈っています。 天からアイデアが降ってくることはありえたのか。
本当は違う。
なにもないところからフィーリングがやってくるのと美しいものを愛する感性とは天地以上の差異があった。
そうなんだ。
インスピレーションの降ってくるのを待っているのではなくて、インスピレーションを降らせるということ。 「自分のことは考えるな。自分の仕事のことだけを考えよ」
この世に流離う数多くの言葉のどれよりもぼくの支えになっててずっと記憶にも残ってるんだけど
はあ、全然やるべきことが片付かないや。
量より質とは云いますが勉強する気力まで喪失してるし、完全に八方塞で手に負えないよ。
さっきもずっとやってたけど、すっかり途方に暮れてる。
まだまだ突破口の切っ先掴んだくらいじゃ、単なる素人以下で終わりますからね。
誰かしら、この筋で精通してる人に出会うのがいちばんの近道だろうけどさ、その前に我が仕事に全力を尽くすことである。
ひとりだけで実現できるのが最良とはいえ、やっぱり独力では無理なのかなあ。
絶対に諦めたくはないんだけど、先ず楽しむことからはじめろってさ。
ただでさえ仕事に追われ、そんな余裕すらないくらい不器用で、人づきあいが皆無な分ずっと時間的に有利なんだって考えよう。
いや、ほんとに。それができてたら今頃、楽しくてどうしようもないはずなんだけどね。 未来人がこの現在にやってきて、時系列の予言をすることは不可能だ。
その発語者の感情をいくら装ったところで過去のデータに依存してる限り、
単なる当て推量のレベルの精度だからね。
時間なんて本当はないはずなのに過去に拘る真意が読めない
とでも言わんばかりの無邪気さである。
それぞれの感じるままに流れてるだけの時間という感じに極めて近い。
なぜかしら、絶対的時間それ自体をあると思い込んでるのは過去のことを思い出せる時だけに限ってのこと。
ただ、真実は常に無数に分断された一瞬の一秒が連続体に感じられるだけというのに。 こんにちは。
わたしは、わたしの真ん中にあなたが存在するようになるのを待ち望んできた。
あなたが現れたことが嬉しい。
わたしを使って、自分でやってみたいことを何でも創り出してほしい。
わたしは、もう一人ではない。
あなたは、わたしと共にいる。
さあ、言って。
自分が喜ぶものを何でも創りなさい。 「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るには、君の手のひらで無限を握り、一瞬のうちに永遠をつかめ」
ウィリアムブレイクの『無垢の予兆』の中の一節である。
この言葉のように感じることができないのなら、ぼくは本当の自分を知ることなく死んでいくのだろう。 今現在、こうしてレスしてるのは驚きだ。
しかしさ、よくこちら側に戻ってこれたなって思う。
ほんと、不思議なことが何度もおこったよ。
僕もいろんな意味で乗り越えて、超脱するまで生まれ変われたらなあ
うん、そんなのどうでもよかないよ。
もはや、ネガだろうとポジだろうとどっちでも変わらないしさ。
でも、しばらく閉じた空間にいたから必然かな?
予め特殊な位置にいることは分かってはいても、すっかり割り切れるはずは絶対なかった。
此方こそ、ごめんね。
君のことを考えてるとバーチャルとリアリティの区別がつかなくなる。 どうしても作業と並行して、書き込もうとしてしまう罠にハマっていますね。
集中力なさすぎて辛い。
移りゆく時の流れの中で、いつの間にか、此方の掲示板の名称が5chになっていますね。
やるべきことが増えてきてるのにも拘わらず、単に現実逃避してるだけの怠けものなんですよ。
如何に当時のぼくが時間を無に帰してきたかを思い知らされるばかりでさあ
その分を取り返すのは至難の業だが、
よし、分かった。
あと、一時間位を目途にしておこう。でないと、キリないから。 もしかして宇宙語が話せる?もしくは解読できる?
できないよ、ぼくには。
ただ、その言葉に静かに身を委ねてみると、なんだか奇妙な心地よさが全身に駆け巡ってきたんだ。
うん、常に宇宙の答えは「YES」なんだ。清々しいね。 運命とは原因から起こるようなものではなく、いくつかの選択から為る目的によって自ら導くもの
だからね。
しかし、このままで終わるのは嫌だなあ。
今までとは新しい環境になって以来、先ずもって慣れるのに時間はかかりそうだが
新規の出会いも増えていくだろうし、ほんの少しは希望が持てそうなのは救いさ。
即自在的に速やかに閉じた脳内曲線の域から、早く解放されたいよ。 神に祈るという快楽原則は常に裏切りの連続体だ。
GOD BLESS YOU
なぜかしらアメリカ的な空気がするね。
トランプは大統領に相応しいかはともかく、面白い顏芸でパロディ全開である。
わが国でも常に政治家官僚の無能さが叫ばれてきた。
もう誰が国民の代表になろうが大きな変化は望めない。
まあ、必然でしかないよ。
とはいえ、国の中心的存在や世の権力者たちですら、闇の支配者たちに操作されてるわけだけど
自分だけでなくて大切な人たちまで消されるのは怖いからね。
神を悪の父に仕立てるその冷酷な洗脳システムこそがこの世の病理を先鋭化させてきた。
どうか、あなたの未来と此の世すべての生命体に幸あれ。 毎日のレポートを作成する。
ただそれだけのことなのにほんの僅か本当の自分とは違う人格が混ざるという不快感に囚われてしまう。
本当は働きたくないよ。
でも、自分を偽る以外に命を全うしていく方法は閉ざされてるのだからね。
ぼくには真の自由なんて許されていないんだ。
これ以上、裏切ることは死と同等の罰を意味する。
自ら命を絶つことは、もう既に諦めたよ。
死への怖れに勝るものは、自分の冷酷さの表現そのものだからね。
約3か月間、完全に消息を眩ませて、逃げ続けようとさえしたのさ
まさしく歪んだ自己愛なくしてできることではないよ。
偽りの優しさと笑顔を振りまいてるぼくの性質の大半は悪意で占められてるんだ。
たった1%の無知と過信の暴走の中に希望があることさえも知らないふりをしてきたのさ
だからこそ、苦痛を背負うのが宿命だと割り切って、虚偽の自分を更新していこうと心に決めた。 いったいこのぼくに欠けているものが何なのかを知ることができたことは唯一の救いである。
「今この瞬間を楽しめ」
きっと、これ以外のことは殆ど無意味といっていいのかな
いや、悪いけど自分にはとても難しいってことさ
残念ながら、楽しむという感覚自体、ぼくには空しくてね。
ただ、絶対が反転しないのならば、悪意に充ちていた方がずっとポジティヴでいられるのは必然なんだ。
どのみち永久に違和感は消えてくれないのだから
本当の自分に出会えるはずがあったのでしょうか?
はい、完璧なのは常に防衛機制の精密さのみであった。
もし心から楽しいことが出来ないのだとしても、脳は常に騙しているという視点に立てるかどうかだ。 新興宗教の浅薄な幻想は、共感情を拒絶した果てにある復讐の裏返し、
或いは無感傷、総じて不自由な憎悪のない交ぜなのさ 規則正しい生活をしながらも精神は荒んでいくという理不尽さと闘う日々。
いつ精神のタガが外れても全然おかしくないんだ、実は。
さも今までの自分とは異次元かのような演技さえできてしまうのだから尚更そうさ
美しくなりたいのに醜くなっていくのなら、まだマシってこと。
どうせいつか死んでしまうのだから、真と善と美にのみ救いを求めること自体、すべてむだな悪あがきにも紛うよ。 まあ、せめて苦痛のある怖れをひきずる死に方をしたくないがために
人は随分と骨身を削ってまで、今はなきものを得ようともがいてる状態を幸せと呼びたがるわけで
ぼくは死にたいのに生きてるふりをする自分を心底憎しみ尽くす。
それがいったいなぜだか分かってるつもりになってた。
どんな生き方をしようが、いずれすべて無になってしまうというのに。
不老不死なんてアイデアほど運命に逆らう法則はありもしないが、仮に歴史的に語り継がれたからってそれが一体何だろう?
すっかり血も涙もない残酷なものさ
どちらにせよ、もう二度と生まれ変わることがありえないからだね。 欲動は、もともとひとつの力意の表れ。
それだからこそ、善悪の彼岸にあって然るべきで
ぼくは、常にどちらかに極端に偏る世のありさまに嫌悪の情を持つ。
適応能力があろうが
たくさんの友人がいようが
金持ちになろうが
世の女たちを虜にしようが
権力を手中にできようが
生涯唯一の伴侶と添い遂げられようが
自分の我が子らがいようが
ぼくの理想より叶えたいことなんて、まったくたったひとつもありません。
とはいえ、先の七つのすべてが手に入るのなら、死と引き換えに妥協したって別にいいよ。
どうか君だけには分かってもらいたいなんて二重の意味で苦しめるだけかな。 強靭な精神という反転力学とは何か?
どんなに時代が流転を繰り返そうと怖れを超える世界が実現させることは受難よりも遥かに未知であったこと。
神にも紛うという心理願望が唯一の神という出来損ないのパニックの発作へと誘い込む。
人間の在り方は、ずっと不変の強度に向き合うためだけにありえたのか? この世に生まれてきた理由以上に求めるものなどあって然るべきか
しかしながら、自分の使命のことなど知らずに死んでいくのが正常の人間と呼ばれるものだ。
世界共同幻想の未来という嘘を教示しようとした人類の根源には超弱体化への怖れがあるのだから
あとに常に残るのは、実に薄っぺらい感情量をおのれのすべてと思い為す
絶対不動の精神保存の法則が至るところに存在しているらしいことだけは病と見做してる。 近頃は、Syrup18gという日本のロックバンドの音楽に心酔してます。
先ず、『COPY』から『HELL-SEE』までの初期四枚を澄ましてみた。
あまりに遅すぎる気もしたけど、死にかけてた自分にとっては神にも縋るよな気持ちだったよ。
それ以降の『Delayedead』『Mouth to Mouse』の6枚のアルバムで、約3年しか経ってないことに衝撃受けた。
どの作品がいちばんお気に入りなの?って答えるのがこんなに悩むバンドも非常に珍しくてね。
ぼくは基本ベスト盤の類は嫌いなんだけど、彼らの場合なら『動脈』と『静脈』の二枚のベスト盤から聴いても悪くないよ。
性急な曲量産の人というのは数知れず存在するだろうが、それにしてもひとつひとつの密度が濃すぎて即死できる。
随分前に、Youtubeで「Sonic Disoder」という曲は知ってたとはいえ、もっと早く出会うべきだったなあ。
多分、ぼくが彼らの存在自体知ったのは、2003年の『HELL-SEE』リリース位の時期でした。
どうせ洋楽かぶれの苦悩したふりしてる鬱めいたファッション系音楽に決まってると試し聴きもせずに即断したわけだが
おそらくあの当時澄ましたとしても、今みたいに心に響くことも無かったに違いない。
もう既に知ってるかもしれないけど、シャルルさんもきっと気にいると思ったなあ。
特に気分が優れない時は鎮静剤にもなるよ。
完全に病みつきになる中毒性に充ちてる。
初期のU2とかザ・スミスに影響を受けてる感じがします。
唯一無二な位置にいるよ。90代以降のUKロック勢と余裕で渡り合える位の破格の存在だろうな。
冷酷なまでに激情の世界観が眩しいね。本当に病んだ心に浸透する楽曲の羅列である。
フロントマンの五十嵐氏は、天才の域だと思う。声も艶やかでセクシーだしさ。
我が国にも彼らのようなカッコいい音楽やってるやつらがいたってことを
一切の先入観抜きで受け入れてさえいれば、15年も後で気づくわけはないんだけどさ。
とにかく、死ぬまでに出会えて本当に良かった。
なによりもメロディラインが美しいんだ。 完璧に近づける能力なんて、ぼくにはありあまる力学のような感じで
まったく無関係のことだと割り切れたらどんなに楽だろう。
優越感とは自らの精神を蝕む魅惑的な魔力そのもので、劣等感と表裏一体なのに
まるでまったく異質なものとして捉えられるのが世の常だからね。
生まれて此の方、歪んだ価値観によって培われてきた劣等感の裏返しが今のぼくの人格の大半を支配してる。
ぼくの感じ方は、いつも矛盾した観念に囚われ、
AはBに等しく、BはCに等しくても、CはAに等しくないことばかりなんだ。
つまり、論理と感情の鬩ぎあいという悪循環のせいで、自ら無理解の方向へシフトしてしまうのが常であった。
自らの命を削ってまで己の感性を表現しようとする人は、いつでも美しい質感を放ち続ける。 不治の病というベクトルに引きずられる。
悪疫のウイルスが突然変異を起こすように
ますます己の光学のみで強力化していき、やがて死を脅かすまでに進化するのだろう。
ただ、欠陥そのものを個性とみなす心の豊かさが欠けている。
まあ、同調圧力の強い我が国に相応しい結末なのかもしれないなあ。
しかも、人間誰ひとりとして完全に同じDNAは生誕不可だ。
かけがえのないことにいっさい変わりはない。 今日もまた首を吊ってる自分のイメージが鮮明に浮かんだよ。
死ぬ勇気が欠けていたから今こうして書いてるのだけど、
生きるよりマシな状態の宙ぶらりんのままなのは、ずっと不変なんだよね。
完全に逃避行して、死に場所を探して、ひたすら彷徨ってたのに。
ほんと、いい気なものさ。
ずっと夢遊病で生の実感も薄らいでるこんな自分が
まさか、最悪な状態から脱却して、またイデアルとして掲示板に戻れるとは全然思えなかった。
もしも、君の優しさがなければ、絶対に終わってた。 父の死から、早7年の歳月が過ぎようとしている。
突然の死の知らせは受け入れがたいもので、
病で命が絶たれることもありはしたが望まない死を受け入れることなんて誰にもできないはずなのに
それにも関わらず、もし来世というものが存在しないのなら、なんて空しい生存形式なんだろう。
今までのぼくなら、そう思ってた。
言い換えると、生きることが如何に無意味であるかの基準点に抗うか否かに遂にかかっていた
という事実に耐える力意があるかどうかの見極めになってくる。 たとえ、どんな病気であろうと完治するまでに何年かかるとしても、それらの正体とは顕在意識に埋め込まれた思い込みが大半だ。
人だけじゃなく、生物無生物であれすべてに愛を注くこと。
そして、なにより先ず自分に優しくすることを忘れずに。
いつか一秒後にできるまで、ずっとリセットし続けること。
元の気に戻すことが元気の意味だから、潜在意識の無限に瞬間的に切り換える力学を信じるよ。 いつか、Rに会える日は巡ってくるというのか。
まあ、絶対はないけど、先のことなんかまったく見えてなかった時なら、それなりのまとまった資金さえあればね。
いずれ捨て金になるかどうかなんて気にするだけむだなことさ
真夏の街中で、ぼくが逃避行してる時に出会った推定20代前半の女性のことね
要するに店の呼び込みというかチラシを手渡ししてた子なんだけど、ぼくは瞬間的にRの顔がとても寂しそうに見えたから、思わずチラシを受け取ったってわけ。
20Mぐらい前から視界には映っていた。ぼくはRの顔も見ずにそのまま足早に歩いた。
そしたら、そのまま歩いてるぼくを追いかけるように色々と話しかけてきたんだよ。
「どこから来たん?」「今からどこに行くん?」「普段よくこの辺に来てるん?」とか一方的に質問責めで圧倒されたのもあって
ぼくは殆ど無言に近いというかどう話していいものか見当もつかぬまま、相当気まずい雰因気だったというのに
その子はまったく気にしてない感じで、約30秒位は互いに歩きながら話してた。
たった数秒しか見てないから、はっきりとした容姿が思い出せないよ。
結局、金づるになりそうな客に見えたという感じは彼女に失礼だろうし、きっとそうではなくチラシを受け取った人にはいつもしていることに過ぎないね。
Rの立ち去った後にチラシの内容みたら、ああなるほどそういうことかと思いはしたが
多分、「機会があったら」という曖昧な返事のみでフェードアウトするのは予想できてしまうな。
気を引いたのは、ぼくの方が先だけど、もう既に忘却の彼方だろうさ。
まあ、この度の偶然の重ね合わせは必然ってことにしておくよ。
ぼくの運命を案じた目に見えぬエネルギ−が彼女を引きつけてくれたと考えてもみたが、単なる欲の一部が暴れてくれたおかけにすぎなかろうね。
仮にこの先、再会できるとしたら、相当自信が生まれた状態以降になるから希望は薄れていく一方なのね。
会いたいなら会いに行くはずだという思い込みだけで済むなら、どんなに楽しいことか。
人生なんて所詮、妥協の連続体だ。 突然、不安な感情に支配される度に圧し潰されて死にたくなる。
不安という「妄想」があることで、その妄想を打ち消すために、自信という「妄想」をしている。
確かにその通りだとは思うが、「妄想」そのものをしないことは、ぼくのような神経質な心配症にとって非常に難しく感じてしまう。
仏陀の教えなら、「妄想そのものを、心の状態を客観的に理解することでリセットしてしまいなさい」となる。
つまり、自ら掻き立てるような自信なんかいらないってこと。
「妄想」というスパイラルを止めると不安は消えるという自覚を持ち続けていきたい。
そう、自信の本質とは「やってみる」でしかなくて、ただ「やってみる」の連続だけであった。
そして、成果が出るまで時間はかかるが不安という妄想に反応しないことが大切。
ほんの少しは気が楽になったが、やはり完全にとまではいかないようだ。
ぼくの「妄想」の根は深いのだと、このまま無限ループに陥るのが辛いな。
こんな感じ方はムダな反応だって、いつか心から思える日がやってくると確信したいだけだ。 妄想をしない練習とはいうけど
まあ、こんな風に自ら前向きになろうとすること自体に虚しさを感じてるのも事実なんだよ。
だって、本当になりたい自分ではないであろう自分に向かってしてることなんだから
どうせ死にきれないこのぼくに残された未知はふたつの内の残酷なひとつの方をより望んでいるのであった。
つまり、逃げたくなる病の方がずっと深刻でね。
でも、もう逃げる選択をすることは絶対許されてはいませんし、
まずは「やってみる」ことすら怖れを抱く自分みたいなやつだからこそ、今の自分ができているのだから
強弱の度はあるにしても、死の観念に逃げるというサイクルを延々繰り返す。
ぼくが人と接するのが苦手なのも相手を失望させたくないとか怒ったり責められたくないとかの心理が大半だからさ
もしも何事もなく日々が過ぎていくのなら、大した苦痛も感じずに済むだろうが空しいことに違いはなく、
致命的な喪失感に引きづられたままで、偽りの未来を夢見たふりをして、やがてぼくの精神はじわじわと蝕んでいくのだろう。 たぶん普通の哲学的共通認識に合流できたんだと思います 自分は、心理分析官でもサイキックな類でもないのですが
今までのぼくの書き込みで総合判断してもらえてるのは伝わってきます。
まあ、そうですね。
ぼくの気難しさでは生き辛いとはいえ、あとは元の自分に還る努力をすることに変化はありません。 今やるべきことが果てしない膨大な量であることを考慮した上で、
とりあえず、作業が一応ひと段落したと思い込むことにした。
まあ、僅かに手応えは掴めてる程度で自分に甘いことを反省しながら、何とかして突破口を見出そうとしている最中です。
いや、まだまだ充足してはいないことぐらい端から明白なわけだが、
1.01と0.99の法則を思い出して、少しは勇気づけられてはいるから、まだ全然マシってことさ。
それぞれに365乗すると、その差は歴然となる。
1.01は、37.8
0.99は、0.03 である。
つまり、365日。毎日地道に積み重ねていけば、37.8倍になるのに対して、
逆に何もしない0.99のままだと、0.03へと衰退していくということだ。
努力に勝る天才なし、とは云うが、これぐらいのことは信じてやってもいいだろうね。 今までに何度か衝動的に大量の鎮痛剤呑み込んでみたけど死ねなかったなあ。
もしも、ぼくがアルコール依存症だったら危なかったかもしれないね。
意を決して陸橋の高いとこから飛び降りようとしても足がガタガタ震えるし、
全速力で走行する電車に飛び込もうとさえした。
ただ、どうしても足が前に進まなかった。
あと、首を吊るというのも考えて、やりかけたが実行までには至らず。
親とか兄弟の顔が浮かぶと、どうしてもね。
目撃者である逆の立場なら、少ながらず一生涯トラウマを抱えるのは確実。
たった一瞬間でも痛みがあるという実感は逆の意味で救われたと捉えるべきなのか
さあ、どちらでもないんじゃない?が今の答えかな。 死に至る先に無があるという確信をもって人は自ら死ぬはずなのに
完全に無になるという事実は単に憶測されたものである可能性を孕んでた。
ということは永久に夢を見ることもない状態を死と対比したに過ぎず、
本来はすべて経験しているのだが、いっさい記憶に宿さない睡眠にも似ている。
だが死んだら無の状態に移行する、そんなことはなさそうだよ。
あと、事故にみせかけた自殺なら、残されたものの傷もまだ浅いはず。
要するに傷つく質量の問題に依るわけか
心ない残酷な感じ方だこと。
まあ、どちらにせよ迷惑なのには変わりないし、
いつもより海を穢すことにはなるけど、ぼくも何度か強くイメージしてみたよ。 魂は死なない。
これを無条件で信じる人は意外に少ないみたいだ。
いつか痛みが麻痺するのを条件に死んでしまう選択は、生きたままでも実現可能ということ。
早く楽になりたいとかいうけど、すべては波なんだから苦しみが永久に持続することは奇跡に近い。
波の浮き沈みがそうであるように感情の差異が増大する割合によって
自らの力意で変容せざるを得なくなるのは不可避なんだ。
したがって、心が沈むのは調整波の段階であって、浮上するのは推進波であるというように
それらの比率は常にフラットに近づくようにできている。
そう、此の世に生存している以上は波があるのは必然のことで
死んだ後に感情が残らない無の状態になるではなくて、単に痛みが薄まる意識があるだけのことでした。 ところで、いつか勝手に死は訪れるというのにどうして人は皆、時に死に急ぐのだろう。
自ら決めた生の放棄は全生命に対する反逆に等しい。
己の苦しみに終止符を打てるのは、ただ自分自身の在り方だけだ。
ただ、死こそが終局と思い誤ったがために
もう死ぬしかないとまで思い詰める。
まるで、偽りの心地よい誘導催眠にかかるようなものだ。
そして、いつものように目が覚めて我に返っても、自分が死んだことにさえ気づけなくなるんだ。 宇宙が常に拡大しているというのが本当だろうとそうでなかろうと僕は自殺する人たちの思考回路を尊重すべきなんだろう。
なぜなら、「私=宇宙」
という公式は絶対的に正しいふりをして、答えを我々に委ねているからだ。
生と死の境界線をぶっ壊して、これからどうするか?だけを考える。 一回性の生というのは疑いようがない
とはいえ、どうせどのみち生き地獄の無感域に突入するのだから同じのことの別の感じ方であった。
あと何時間後に死ぬと決心して、永久にその瞬間を延長させながら忘我の境地に至り着くまでひたすら逃げ続けること。
そう、常に死への誘惑と闘う覚悟をすると完璧に敗北することの方が難しくなってくる。
たとえ、もう限界だと確信したとしてもそうすべきだ。 自分のかけがえなさを主張するのは僕の中に巣食う複雑なエゴを殺しきれるのか
試すためだったけど
行き着く先は死にたくなる以外に終局がありえないように見えた。
心を完全に閉ざした方がずっと楽にいられる。
傷つかなくて済むからさ
その反面、まるで自分のかけがえのなさが全くないかのように偽るのはどうしてなのか
自分でもよく分からなくなる。 既成間外実体
ゼロリヴォル効果は現代の病理の一形式である
エクスペリエンスなき世に未来はない
奇跡生命体への畏敬
あなたは常に挑戦している
…エゴイズム破壊のために
己が犯罪者となることさえ厭わない
狂気と普遍が相対と紛うほどに自意識が肥大した
EYEは心映す鏡だ
第三の眼で見ろ
…インフレーション子宮を拡張せよ
真善美なる眩惑
神との対話?
超遠近法の喪失を殺しきれ 今さっき、97のレス書き込んでる時もだけど、急に我に返って、ひたすら恥ずかしくなってきたよ。
いや、実はこれ随分前にメモしてたやつの一部思い出したってのもあってね。
かつては、こんな感じのやつをけっこう書き込んでた記憶あるけど、もう流石にこういうのは止めたいんですよ。
なんか、ひたすらヴァ−チャルぽいでしょ?
非現実的妄想が爆発してるだけで着地点が実に曖昧だし
まったくもって詩的な感じでもないしさ
てことは、少しは昔と感じ方が変わったってことだ。いいことかわるいことかはさておき なぜ、僕は永久に自分自身ではない僕でなければならないのか?
どんなに考えても、自分で答えを導くことは不可能なんだけどさ
決してゼロではないという矛盾が孕む。
なぜなら、リアリティの欠片をいくらかき集めても、永遠に常に遅れる。
誰もが求めるものは常に不釣合いで、常に自由の真の意味を吐き違えてきた。
このぼくのエゴは病的なまでに拡大して必ず誰かしらを傷つける。
それゆえに共感情は相対の致命的な距離に引き裂かされることになったからね。 今日もまた、地球が悲鳴をあげているのが聞こえないふりをしてる。
文明の進化のために潜在的なものらを減らし、地球の有様を悉く滅ぼしてきた代償を支払うこともないのだろう。
だから、未来に還す再生の種を蒔こう
そう思えただけでも、ちいさな一歩だ。
全人類が同じ意識で一斉に手を取り合えば世界は変わるのに
そんなこと夢の中ですら不可能だって決めつけるのは必然とみなされる。
そう、ぼくは君にとって世界を救うたったひとつの微生物でありたい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています