保「俺は日本全国レバニラ炒めを待ってるファンのために出前に行かないといけない」


<昭和の思い出>消えゆくニッポンの「出前文化」 (毎日新聞)

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 ◇黒電話機の隣に出前メニューの束があった昭和時代

 昭和時代まで、すし店、そば屋、中華料理店などは当たり前のように出前をしていた。店がご近所
にメニューを配り、各家庭の黒電話機のそばには、メニューの束があるのが当たり前だった。

 一方、出前をする飲食店のために、片手でも運転しやすい「スーパーカブ」(原付きバイク)も開
発された。また、バイクの荷台に設置する、丼ものの汁をこぼさないで済む「出前機」も発明された
。出前に関するさまざまな文化が育ったのだ。

 その「出前」が今、急速に衰退している。

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 ◇立派な器の出前だから「手抜き」ではなく「ごちそう」

 出前がなくなった背景には、大手のファミリーレストランや宅配すしチェーン店に押され、個人経
営の飲食店の商売がうまくいかなくなったという理由もあるだろう。

 しかし、それでも生き残るすし店やそば屋、中華料理店はある。生き残っても、「今は出前をしま
せん」というところが多いのは、やはり配達と回収の手間がかかるのが原因なのだろうと、考えさせ
られてしまう。

 日本の「出前」は、立派な器を使う。だから回収しなければならない。だったら世の中のケータリ
ングと同じように、簡易食器にすればよいのに、という考え方もあるだろう。しかし、日本人の感覚
では、そうはいかないのである。

 重みがあり、ふくよかさを備えた器を使っているから、出前は“ごちそう”であり、手抜きではな
くなる。毎日料理を作る人間からすると、たまには自分で料理をしない日を設けたい。また、どうし
ても自分で料理できない日もある。

 そんなとき、使い捨て容器のケータリング食品を並べると、手抜きのそしりを受けそう……。その
点、立派な器に入った「出前」であれば、大手を振って選択できるのではないか。
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 手間と人件費の問題で姿を消しつつある「出前」。せっかくの文化をなんとか存続させる工夫は
ないものだろうか。
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170527-00000008-mai-bus_all