ベイダー、ビガロ、ノートン、ホームの時代の新日本プロレス
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日本人、外国人共に充実してた時代の新日本プロレスを思い出そう ウィリアムスも入れてやれ
ジュニアもエディやベノワなど充実してたな スタイナー兄弟、エルヒガンテもこの時期から来日してたね この時期はNKホールの北尾のイメージが強いですね。
二試合とも面白くて、貴重な試合でした。 俺が中坊の時でよく見てた。ベイダーはコキーナ ワイルドサモアンとかと組んでた。ムッシュランボー ソウルテイカーとか思い出す。
トニーホームにやられて引きこもった橋本の近況報告「橋本からの手紙」が横浜アリーナかどっかで読まれたよな。 第1回目のSGタッグリーグはベイダー、ビガロ、ノートン、シン、コキーナ、サモアンの豪華外国人メンバーだった
終盤戦にはグレートOZも来てた ベイダーは復帰明けの藤波に凄い気を使っていたイメージがした
タッグ組んだり、シングルでのフォール負けも多かった気がする この時代、ベノワ(マスクマン)とエディゲレロ(素顔)のイメージ 10人タッグで、
藤波、長州、橋本、武藤、蝶野VS
ベイダー、ビガロ、コキーナ、サモアン、TNT
日本人対外国人ではあとにも先にもここまで豪華なのはなかった
ただ、勝敗が見え見えだった
蝶野、サモアン、TNTが取られていた。
まだG1は始まっていなかった >>9
なぜか、藤波&ベイダー、蝶野&ビガロ、橋本&ノートン
と、それまで一度も組んでいない日本、外人混合チームが
エントリーされた。
ホームは、リーグ戦には参加しなかったね。 トニー・ホームも今の新日だったら活躍できたかもしれないな プロレスラーとしてのホームで、とするとこの4人が揃ってたのって1年もない
91年末から92年G1前まで ベイダーが抜けるの早かったから異種格闘技戦時のホームの時代合わせても短いだろ
ビガロもホームもその後抜けたし ベイダーはともかくそれ以外はハンセンブロディホーガンアンドレレベルに達しなかったな
ただその後の外人はホーム以外のレベルに達しなかったけど
レベルってなんだっていうのが難しいけど言わんとする事は分かるだろ
格屋実績は1要素でしかない
そんな事言い出したらケニーオメガとかハンセンホーガンに勝るとも劣らない事になってしまうw
まあケニーオメガがハンセンホーガンアンドレと同じ時代だったら出る幕はないと言えばだいぶ解りやすいかな
え?お爺ちゃんだって? ハンセンとかホーガンブロディアンドレの試合見たこないよリアルタイムではね ケニーオメガとAJスタイルズとか昔だったらJrヘビー扱いだっただろうね
エディゲレロやクリスベノワみたいな感じ ハンセン ベイダー ダイナマイトキッドとか怒ったりキレたらヤバい!という素なのか演技なのかわからんようなスキッドがノートンにはなかったなぁ・・真面目さみたいなのがちょっと見えたのがマイナスだった、パワースラム凄かったけど。そういう点では小粒だがAJはオタクの怖さみたいな表現が上手いと思った。
ノートンvsゴタツのシングル国技館で見たのは良い想い出。
ヘルレイザーズに食傷気味だった私は、パワーを絞首刑にしたジュラシックパワーズが大好きだった。
そんなノートンがケロロ軍曹とハッスルで闘うとは夢にも思わんかったね。長文失礼 95年以降から外人はトップを取れなくなってきたな
ノートンだってIWGPに辿り着くまで結構な年月かかったし
95年大宮スケートセンターでの蝶野天山VSスタイナー兄弟もスタイナーが天山にハイジャックDDTを披露しながらも最後は蝶野のケンカでスコットがピンされたからな
一番最たるものが日米スーパースターズトーナメントで新日WCWにも関わらず決勝が健介と越中とか ベイダー、ビガロ、それにホームも92,3年頃から
どんどん離脱していったし。
代わりにWCWの選手が来襲したが、あくまでビッグマッチ要員。
タッグ(スタイナー兄弟)はともかく、シングルの王座は就かせる
訳にはいかなかった。それにスティングあたりでは実力不足。
あと、あと、ホーク・ウォリア―も常時参戦したが、
彼はタッグ要員だったし。
93年〜96年は、WAR(天龍)とUインター(高田)との抗争が
メインになって外人は、ちょっと蚊帳の外だった。 >>パワーを絞首刑
アレさすがに可哀想だった
長州は分不相応なプッシュしてハシゴ外すの好きだよなぁ
JJジャックスとか ベイダーは新日勢、高田、全日勢とやってる唯一の選手じゃね? >>25
ウィリアムスは更に馬場、鶴田、天龍、前田とやってる >>15
翌年も武藤&ビガロ、蝶野&ホーム、ノートン&マシーン、馳健、長州&橋本、藤波&中西、
ナイドハート&Zマンで馳健以外は適当なチーム編成だったね >>15
第1回目のG1が最高の出来だったから期待したのに
あの場当たり的なタッグ編成には心底ガッカリした。
それ以外は長州&マサ、シン&キムドク、サモアン&コキーナ、武藤&馳と
しっかりしたタッグだったのに。
橋本&蝶野、ベイダー&ビガロ、ノートン&ホーム、藤波&越中と
上記のチームで争えば良かったのに。 SGタッグは放送もろくにしてなかったから全く記憶になし >>31
日本でプロレスデビュー前のホームは無理だろ 92年のSGタッグ最終戦でビガロのWWF行きが発表されて、2年契約だから2年後戻ってくるよと手を振っていたが新日から呼ばれる事はなかったな。 ビガロはUFC出たりしないで全日行って欲しかった
ゴディが抜けた後だし >>35
WARとかFMWに上がってたよね
新日か全日でもまだ全然いけたのに残念だった >>29
しかし、予選リーグは1勝(ノートン)2敗(武藤、藤波)
ノートンは1勝1敗1分け。
ビガロが別のブロックで、やはり1勝(長州)2敗(橋本、蝶野)
第一回G1は、外人と長州(3敗)が肥しになって
3銃士を売り出した大会だな。 >>31
そのチーム編成なら、ベイダー&ビガロが順当に
優勝しそうだが、それでも良かった。
対抗は橋本&蝶野だが、仲間割れしそう。 新日派の俺だがSGタッグは本当に脈絡の無いチーム編成で大嫌いだった。
優勝して藤波をベイダーが肩車してた事しか覚えていない。 >>38
それで良いと思う。
ベイダー&ビガロをかつてのハンセン&ブロディのような位置付けにして。
92年の前半はそんな感じだったし、同年の折り返し地点で行われた
ベイダー&ビガロvsスタイナー兄弟のIWGPタッグ戦も凄く良かった。
91年はマシン&ヒロや馳健でIWGPタッグ戦をやっていたのだが
「格的にアジアタッグレベルじゃねーか」と思っていたから。 >>37
最終戦でのベイダー、ビガロ、ノートン組は豪華で魅力的なチームだった
試合後に3人が客席で勝ちどきを上げていたのが凄く印象に残ってる
相手の藤波、馳健組は完全に引き立て役だったね >>40
90年なんか越中&飯塚(海外武者修行前)が挑戦してたからな
VB砲の挑戦には驚いた ちゃんとしたヘビー級・スーパーヘビー級外国人がたくさんいて
日本選手も三銃士馳健介越中らが上がってきて充実
長州に藤波(腰でしばらくいなかったけど)マサ木戸らベテランもいて
ジュニアもその後を考えると世界最高峰
ドームでは猪木も出て天龍も参戦
90年代はnWoあたりまでホント面白かった >>43
そう言えばnwoにいたビックタイトンって98G1トーナメント1回戦でブレイク前の安田に敗れたよね >>43
焙れてしまった中堅選手も反選手会同盟やレイジングスタッフなどで上手く活用されてたから
健悟や小林や後藤がメインに出てても違和感なく感じた トニーホームの試合にハーレーに乗った人たちの先導があったんだけど、通路がツルツルだったのかコケてて、カウル付の大型だったから重くて持ち上げられず・・辻も黙ってればいいのに「ハプニングかぁ?」とか拾っちゃって見てて大笑いした。
ムタの時も先導忍者が花道を連続バク転するのは良いが、目測誤って回転しながらカメラに突っ込んでくるのもあった。
この頃色々入場に人使って凝ってたよね。 よみうりランドの門からムタが登場したシーンはカッコ良かった スティングの日本でのシングルベストマッチって何の試合だったんだろう
93,1.4の馳戦かな >>47
バク転しながら花道から落下したのは須藤元気のダンサーだっけ? >>49
シングルでなくタッグならムタと組んでのスタイナーズ戦 >>49
負けだし全日だけど、スパイビー戦
倉持が銀盤戦士って謎の異名で実況する試合 そのホームvsソウルテイカーを観たいんだが、どこかに動画ないかな? 負けたソウルテイカーが脳挫傷の疑いで即欠場帰国したのが不穏だった。
そんな訳ないんだろうけど。 ホームと言えば謎の対戦相手のラリー・ザ・ビレインを思い出す 橋本がホーム戦の前に戦ったトニー・ホームの刺客をふと思い出した
調べたらランディ・ソントンとラムジン・シビエフだったがこいつらなんだったんだろうと今は思う ベイダーは三銃士四天王+高田を完全制覇した唯一の外国人だよな >>56
シビエフはペレストロイカでユーリらと共に来日した中の1人 パニッシャーダイスモーガンは常連になると思ってたけどアンダーテイカーになっちゃったな。新日に合ってる印象だったのでもっと観たかったな〜。 マサさんが92年のドームで橋本とシングルしたビル・カズマイヤーに期待してたみたいだけどあっさり辞めちゃったんだよな 一時期新日でビガロとタッグ組んでた長身の白人レスラーの名前わかる人いる?
後楽園ホールのエレベーターでビガロと3人で乗り合わせた事があったんだけど。
名前が思い出せなくて何年もモヤモヤしてる。 >>60
カズマイヤーはリングスもあっさり辞めた過去があったから >>63
これ正式結果がKO(脳挫傷)って発表だったの覚えてる
いい時代だったのね ソウルテイカーはパパシャンゴ、カマではブレイクしなかったけどゴッドファーザーで跳ねたな
トニーホームは議員時代に拳銃所持で有罪になって障がい者になって自殺とか絵に描いたような転落人生だったけど マードックvsブロディ
ベイダーvsビガロ
ノートンvsビガロ
ベイダーvsハシミコフ 三銃士全員とタッグ組んだのってノートンだけだっけ。 UFCデビューするも対戦相手がこれまたデビュー戦のランディー・クートゥアーだったってところにトニー・ホームらしさを感じる >>60
カズマイヤーはパワーリフティングの世界でレジェンド。 ソウルテイカーはゴング系の記者がホモレイプされそうになり
ブラッドレイガンズが一喝して助けてくれたと
その記者本人がかなり昔ネット上で書いていた。
たぶん90年の7月頃の話だな。両者が同時に来日している。 トニーホーム、リングスでオランダ軍団に散々イジメられてて可哀想だったなー カズマイヤー
決め技のアルゼンチン決めたのに
すぐに自らはずして「ワンモアータイム」
でも2回目は水面蹴りで返され、初披露のジャンピングDDTで葬られてたな >>26
オブライトってオルブライト国務長官と同じAlbrightなのに
なんでわざわざリングネームを変えたのかね?
たぶんネイティブは「ル」をはっきりと発音しないので
Uインターでルを抜かしたんだろうけど、
新日時代のそれからわざわざ変えなくても。 Kevin Costnerは「コスナー」で定着してるのに1誌だけ頑なに「コストナー」表記を続ける映画雑誌があった >>1
ちょうどその頃は新しい外人選手発掘に着手していたな。
全日本プロレスも88年から新しい外人選手発掘に着手した。 ミゲロ・ペレス、ネグロ・カサス、ビジャノ シンコ
マイクイーノス ウェインブルームのディストラクションクルー
とかこの辺りに来てた。
そして正調ロードウォリアーズも90年頃来てた。
ウォリアーズvs武藤蝶野なんか、たしかノーテレビで当時すごく見たかったんだけど時と共に忘れててYoutubeでやっと最近見た。
ビガロがレンタルで全日に行ってたね。 >>74
まあ純プロみたいに巡業しないからね
何週間も同じバスや控室でとかなったら地獄だろうけどw バッドニュース・ブラウンやアックス・デモリッションなど実績のあるベテランレスラーも同時に来日してた ゲーリー・「オルブライト」が初来日したのは、新日が九州各地を回る地方巡業シリーズ
そのオルブライトがB級外国人として参戦した九州巡業に、S級外国人として参戦したのがハンセン
あのハンセンが新日に帰ってくる、しかも人口1万人ほどの島の体育館に現れる、夢のような冗談のようなシリーズ >>82
屋久島大会は3月シリーズの分が延期になったんだっけ
武藤、蝶野対ハンセン、ペガサス
橋本対オルブライト
とか後の黄金カードが組まれてた オルブライトと似たタイプのマイク・ハフも一回しか参戦しなかったな
レスリング世界選手権金メダルのフランク・アンダーソンとかもっと見たかった >>85
バイだって普通にいるし、
女好きなことは男色趣味がないことの証明にはならんよ。
ボックも男色で有名だがトルコ(ソープ)にも行っていたし。 >>79
ビジャノ5号は序数だから「キント」だよ なにをお新香みたいに
まあキントも栗みたいではあるな 長州を助手席に乗せた馳の愛車がシンにボコボコにされてたな レッドブル軍団から始まって、オルブライトもその一環なのか、80年代末~90年代の初め、新日はアマレスギミックではない本物の元アマレスの猛者としての経歴を持つ外人を狙って呼ぶようになった。
当時の新日では、サルマン・ハシミコフ VS スーパー・ストロング・マシーン、こういう字面だけで半笑いになれるようなカードが見れた。 ウィリアムスを外国人エースにしたかったのかなという気もする そう言えば橋本が帰国直前にレイガンズ道場に短期入門したらノートンもいて
「アメリカ軍の秘密兵器」と紹介されてた
あの時対ソ連で来日させなくて正解だったなあ ノートンのベストバウトは日本デビュー戦の地方での6人タッグだと思う ラリーキャメロンっていたよね。ビガロとタッグ組んでた。実況の辻アナが「私はこのラリーキャメロンは良い選手と思ってます」って言ってて解説のマサさんも「辻、見る目があるな」ってやり取りを観た覚えがある。
その後キャメロンはどうなったの?もしwweとかで別キャラとかしてたら、不勉強でごめなさい。 ラリーキャメロンはサンダーストームを食らった選手って印象しかない >>98
新日に来日した翌年に試合中心臓発作で死亡 >>55
試合後出待ちしてたらビレインが出てきたのでサイン貰った
笑顔で応じてくれてナイスガイだったよ ビガロもホームもWWEの後で全日行けば良かったのに
全日も鶴田、ゴディ離脱してからカード編成行き詰まってたからこの二人がいればまた違っただろうに ベイダーとビガロが仲悪くてホームとノートンも喧嘩したんだったな。
ノートンはウィリアムズにもやられてたんだっけ、けっこうガチ弱そう。 ノートンとウィリアムスって、ノートン初来日の1シリーズしか接点ないよな タイガー服部によればノートンはアームレスリング以外
まともなスポーツ経験が皆無だったという。
あの体格なら普通アメフトのラインマンで重宝されそうなものだが。
筋力は凄くても運動能力は低かったんだろうな。 武藤全日との契約が切れたウィリアムスが、突然新日の事務所を訪問したけど相手にされず寂しそうに帰っていったのは悲しかった。 >>73
全裸でチンポしごきながら記者の部屋に来たんだよな
アイ・ラブ・ユーと目をトローンとさせながらね
佐藤かよみたいな子だったら喜んで受け入れるけどソウルテイカーじゃ逃げるわ >>106
あの記事を読んで覚えている人がいたか!
襲われた記者は誰だったっけ?匿名記事だったかな? この時代の新日は大会場のメインでも普通のカードが多かった
両国で藤波、木村対長州、木戸
名古屋レインボーホールで藤波、長州対ベイダー、マシンなど 幼心というかニワカ心かもだが、日本人と外国人のパワー差感じたな
ルーガーのパワースラムやブレーンバスターにヘロヘロでちゃんとキックアウトできてない蝶野
長州橋本佐々木とはベイダービガロの投げ方が違うドゥーム
この辺のWCW勢はノートンほど日本人と対格差ないのにパワー凄いなって あ引退試合ではないわ、でもなんかの記念試合だったような >>111
1990年12月13日、両国のメインだね。
別になんかの記念試合でもないよ。
セミがIWGPタッグ、馳健対越中&飯塚
俺も生観戦したが、むしろお目当ては
初来日のノートン(対後藤戦)だった。 年末に生中継された浜松アリーナでの藤波vs長州の前哨戦だからだね >>112
ノートン、ウイリアムス、アックス、アレン、ソ連勢など来日してたがメインはこのタッグマッチだったね では、90年12月13日、両国大会、外人の試合をピックアップすると
第3試合、ウイリアムス&レイガンス対ロシア勢
第6試合、ノートン対後藤
第7試合、アックス対マサ斎藤
第8試合(セミ前)、武藤&蝶野対ビガロ&バッドニュース・ブラウン(アレン)
左側が勝者。 >>115
追記、
ロシア勢とはアンドレ・スルサエフとチムール・ザラソフ
ハシミコフ、ザンギエフレベルではないということ。
もう、この頃はロシア勢もパワーを失っていたよ。 >>115
あ!第2試合
栗栖対レイ・アポロ戦もあった! >>115
ウィリアムスの新日本ラストマッチだったか
最強タッグ優勝したばかりのウィリアムスが第三試合ってのも >>115
前日の名古屋レインボーホールのメインも
藤波、越中、飯塚対長州、木戸、小林の普通のカードだったね ゲームだとホームが打撃でごり押しできて強かった気がする >>121
10分そこそこでフィニッシュも中途半端
カード内容共一万人クラスの会場のメインとは思えん >>120
復活した長州がベイダーをクルスフィックスであっさりフォール ビガロは早すぎたよ
今の時代のレスリングならトップ中のトップだったろう >>32
藤波、ベイダーが優勝して表彰式後に客がリングへ雪崩れ込む 2回目のG1での蝶野VSホーム。
蝶野が、試合中に痛めたホームの腕を徹底攻撃して逆十時でフィニッシュしたんだけど、痛めた腕と逆を決めたという。
媒体によって、狙い通り痛めた腕を決めてフィニッシュ(あえて逆の腕とは言わず)と伝えたり、辻褄合うように、痛めた腕をかばう油断をついて、逆の腕をとったとか、見解それぞれで面白かった。 SGタッグ中の幕張メッセ大会で突然組まれた武藤VSX。
Uウォリアーという噂が出ていて、登場前には場内異様な盛り上がりを見せるも出てきたのはティムホーナー… 新日外国人四天王
ベイダー ビガロ ノートン ホーム
全日外国人四天王
ハンセン ゴディ ウィリアムス スパイビー 一瞬だけ戻ってきたデビアスが定着してくれたらなと思う ドームのノートン✕ウィリアムスはこの人のブログを見ると凄い試合だったんだな。
自分はワープロで少し見ただけだから、よくわからなかったけど、しょっぱい試合だったという意見もそれなりにあったと思う。
https://www.amaochi.com/conte/pro/pro_010.html ノートンはアメリカマットが合わなくて
新日本でブレイクできて良かったな
今も元気で良かった アメリカ人の中では日本人的なメンタルだよね。
勤勉で無意味に自己主張しなくてひとつの職場に長くとどまったり >>131
二人とも動けなくなってた頃だから酷かった記憶しかない
レポでは大歓声と有るが俺も客席いたが途中で空気がだれてたぞ
二人とも元々うまい選手でもないし ウィリアムスの97年以降のシングルって全部しょっぱかったような… それ言ったらノートンのシングルはほとんどしょっぱかったけどな ノートン生き残ったのってマサさんに気に入られてたからだろ ベイダー、ビガロ、ホームが離脱してその後はエースになれる外国人が誰もいなかったのも大きい
ノートンの次はドン・フライか ドン・フライ
ブロック・レスナー
カート・アングル
ジャイアント・バーナード >>141
確かに、ノートンの後は、そのメンバーなんだが、
ブロック・レスナーには逃げられるし。
バーナードなんかエースの資格はあったが、
今ひとつ、欲がなかったのかな?
一時期、IWGPを取らせても良かったと思うよ。 ノートンとまともなシングルできたのって自分の中では黒になってからの武藤しかいないわ >>144
赤パン時代も良かったぞ
武藤vsノートンは91年、95年のG1公式戦は面白かった ノートン、WCWでは素人みたいなコミックレスラーに秒殺負けしていて悲しかった。 >>147
武藤ってノートンに勝率悪かったよな
シングルでも負け越してると思うけどタッグだとコロコロ負けてた
ほとんどがパワースラム一発であっさり負けてた印象 >>146
91年は武藤の技が軽すぎてノートンに勝てる気しなかったわ
実況は番狂わせって騒いでいたような気がするけど
95年のG1は越中が武藤に勝った試合がピークで他の試合の記憶が薄い
すまん ヘラクレス・ヘルナンデスやスーパーJは今の新日ならエースになれないとしてもそれなりに重宝されるかな? ホークとノートンとマサさんの三人で
NFLのチームとケンカして三人で全員ボコった
という神話 >>153
スーパーJはチェーズオーエンズ枠
ヘルナンデスはバッドデュードティトの上位互換 子供の頃に観戦した地方大会のメインが
武藤組vs外人組の6人タッグ、ヘルナンデスのパワースラム1発で武藤ピン…8分足らずで終わった。 >>155
スターの器ではあってもスーパースターの器ではないとか言われてたね
wweでも一時団体で長期政権築けるレベルの売り出ししたけど無理だった >>131
もっと早くに実現して欲しかったと殆どのファンは思ったはず。
95年頃なら本当に凄い試合になったと思う。
ハンセンやベイダーと比べたら2人とも衰え早かったね。
やっぱり岩石みたいな肉体だと衰えが早いんだね。 >>159
ハンセン、ベイダーは上手さを身に付けてたけど二人とも上手さとは無縁のレスラーだったのも大きいと思う この時代に実現した
ノートン、イーノス、イートン組 >>160
ハンセンベイダーは緩急自在なとこあったけどウィリアムスノートンは
最初から最後まで目一杯って感じだったな、96年以降のウィリアムスは
リングサイドで観戦してるととにかく呼吸音がずっと荒くで無理してる感があった >>157
前哨戦か何かだったのかな?
すぐに思い浮かぶのは、SGタッグ決勝で武藤がヘルナンデスのパワーボムをフランケンシュタイナーで切り替えしての優勝
流れでみたら貴重かも カッコイイ写真
【毎週更新】秘蔵フォトギャラリー(3)蝶野正洋コメント
これは自分がIWGPヘビー級王座に初めて挑戦した時の写真らしい。
チャンピオンは藤波辰爾さんで、会場は大阪城ホール。この試合、まだ半人前の中堅レスラーだった。
そうするとこの2ヶ月後、第一回G1トーナメントが開催され優勝した年になるのか(写真は1991年5月31日/大阪城ホール)。
http://www.aristrist.com/html/page93.html
https://i.imgur.com/mvKErXF.jpg >>166
来日第1戦が予定通り北尾だったら運命変わってたかもな
とりあえず初戦から大声援あるから ノートンのかませ役の為だけにドームで試合したiイコライザー イコライザーはノートンのライバルって触れ込みだったのに
WINGだかが呼ぼうとしてポスターには載ったけど結局来なかったんだよな イコライザーよりもヒガンテの噛ませ犬にされたビックキャット・ヒューズの方が気になった >>170
NOWには来てた
>>171
1番気になったのは2mマシン 90年、ロードウォリアーズ新日初来襲の
シリーズにはベイダー不参加
92年に新日INのホーク・ウォリア―と
OUTのベンダーは完全に入れ違いだったが、
ロード・ウォリアーズとベイダーって、
その後も対戦したことがあったっけ? >>172
WJの時に同じシリーズに参戦して対戦してる。 89年にビリージャックが来ていたのは勿体無かった
ベイダーやビガロ相手に日本勢に入れても良かったと思う
プロレスは塩分濃度満載たったけど華があったから育て方次第ではもっと人気出たはず
今の新日なら上手く使っていそう ヘルレイザーズとウォリアーズが合体してトリプルウォリアーズになったのは楽しかったけど、晩年にホークがジョバー化したのはウォリアーズ全盛期から見ている身としては悲しかったな
木戸とかにクイックでピンされていたし ベイダー、ビガロにホームはWWEに出てたけどノートンだけWWEはなかったな。 ビガロは90年にちょこっと全日に来たけど水が合わなかったというか
まったく活かされなかったのが残念、武道館の5大シングルマッチで
期待値の高かった対川田戦もかみ合ってなくて淡白に終わってしまった
水を得た魚のように生き生きととしたウィリアムスと好対照だったな
あと全日のリングで見ると思ったよりちっこかった >>175
トリプルウォーリアーズは絵面的にはステキだったけど、パワーが…パワー担当なのにパワー技すると力足りずプルプルして、なんか残念だったりした記憶。
ヘルレイザーズ の時も、パワー担当なのに色々プルプルしてて、なのに会社からのプッシュで連戦連勝…違和感ありすぎで、なんか素直に応援できなかったなぁ。
だから、見た目デッカい、技も豪快なジュラシックパワーズが理屈抜きにスゴく感じたな。 ノートンも背が低いからアメリカだとパワー一辺倒では苦しいんだよな。
WCWでゴールドバーグとの試合見た時痛感した。
アメリカではなく日本を主戦場にし続けたのは
そういう事情もあったのでは? >>181
ノートンは新日参戦時だと、みんなちっちゃかったから相対的にデカく感じた。
会場で見ると身長はともかく、とにかく厚みがすごかったな、冷蔵庫みたいな感じ。 >>181
業界内では評判悪かったけど、ちゃんと日本定着型のノートンにもチャンスをくれてたWCWを評価したい ノートンはなんであんな手足が短く見えるコスチュームにしたのかね
上半身裸でロングタイツのがよかったと思う >>184
むしろ足は短くないから胴が極端に短く見えて不自然だった アンドレもあの体格とカーリーヘアで顔がバカデカいイメージがあるが、体格比で考えると顔は小さいほう ノートンと言えばあのCM。
一回テレビ中継でも試合前になんやかんやがなって蝶野に「何言ってんだかわかりませんよー」って返されて観客が沸いてた。 >>187
蝶野と武藤はそう言うリング上でのファンサービスに本当に長けてたよね。それが今の新日本に受け継がれてると思う。上手い下手は置いといて。 ノートンは表情が優しいというか迫力がないのと動きがカチコチなイメージ
そこがトップにいったベイダーと決定的に違う ノートンの背が低いなんて思ったことないが
180は軽く越えてただろ ノートン、ホームはヘルレイザーズにタイトル取らせるための繋ぎのチャンピオンにさせられてたな ベイダー&ビガロは、外人最強のIWGPタッグ王者だと
思った。 ベイダー&ビガロvsスタイナーズは最高だった
確か当時の週プロのタッグ部門のベストバウト取った記憶有る
ジュラシックパワーズやロードウォリアーズ(ヘルレイザースではない)との試合も見たかった 王者武藤馳組を大技連発で圧倒した試合も面白かった
肉弾プレス、サンセットフリップ、パワーボム、Wアームバックブリーカー、チョークスラムなど・・・
それを受けきった2人もいい負けっぷりだった ノートンはデカいぞ
最近ちょこっと新日で復帰したけどコブより一回りデカくてビビった
今の新日なら多分コブの他にジョナやファレよりも厚みを含めたらデカい この頃のタッグは充実していたな
どこでどう間違ったのか理解できん
後藤達俊小原組とか勘弁して欲しかった ノートンも190あって日本だと十分デカいけど、当時のWCWはもっとデカいのがゴロゴロいたからなあ。 >>197
実寸は180ちょいしか無いよ
ヒューモラスとサイズは似てる >>198
ヒューモラス懐かしい。
実寸はそんなもんなのか。新日の日本人がだいぶサバ読んでるから合わせてるのかな。
ベイダーも公称196とか言ってたけど、WCWとかWWEだと日本で見るよりスケールに違和感あった。 冷静に見たらノートンってパワースラム以外塩なんだよな ラッキーなレスラーだろあんなに稼げたのは >>181だけど、ノートンは180cmは有ったと思いますよ。
でもWCWではパワー一辺倒で押す怪物的な存在でいくには厳しい。
そういう意味でウィリアムスと被るんだな。 橋本vsホーム戦の流れ好きだった
ホームに惨敗して山ごもりして水面蹴り取得するんだっけ ノートンはこの時期の新日なら大概見れたのが田舎ファンにはありがたかった
試合中盤で出すフライングショルダータックルはすっ飛ぶ冷蔵庫と言った感じで生で見ると大迫力だった ノートンはシングルでシンにピンフォール勝ちしてるのが何気に凄い。 実績的にはホームはちょっと劣るわな、身長あったし雰囲気はあったけど。
http://imgur.com/2GBN5u8.jpg >>200
回転エビ固めを否定したネックハンギングツリー、首のもげそうなチンロック、ショートレンジラリアット、超竜ボム >>205
ホームはもったいなかったね。
ビジュアル良かったし、みんな期待して、他の外人選手たちも試合のアドバイスしたら「 うるさいなー、わかってるよ」みたいな失礼な対応して、そんな態度にキレて突っかかったノートンを不意打ちパンチしてKOしちゃったんだっけ?
そんな強気なホームも、リングスに参戦時には何をビビったたのか「リアルファイトは初心者なので、それ相応の相手と試合させて下さい」って殊勝なコメントしてたのが残念だったな。 >>200
出典は忘れたがノートンは外国人レスラー来日回数トップだとか
ハンセンやブッチャーより上ってすごいねえ、今は時代も変わったので
意外と記録更新されてないでノートントップのままかも ホームはクートゥアじゃなければ勝てた可能性有ったのだろうか?
それとも、あの当時はもうデカいだけで寝技対策してないストライカーは勝てなくなってたのだろうか? >>187
「ジャパニーズ・ワ!ニバン! アメリカン・ワ!イチバン!」
タッグマッチだったんでCMのセリフをセルフパロしつつ
チームワークは俺たちが上だ というアピール
パートナーのイーノスさんも達者なもんだから
ふたりで肩組んでいい笑顔でアピールしちゃったりなんかして >>211
解説のマサはCM知らないみたいで、
「今何言ったの?ワ?どういう意味?」
と辻に何度も聞いて辻も困っていた。 ホームは鍵十字のタトゥーが入ってるんでリングス時代はそれが原因で
オランダヤクザ勢に目を付けられて狙われてたらしいね、かわいそすぎる >>214
そんなもん入れる方があかんやろ
モサドじゃなくてまだよかった >>207
アマチュアボクシングの試合八百だったのかな? 見る影もなく大増量した晩年とはいえアイラン・バークレーに勝ってんだよな 90年代の新日はノートン、フライ、ワグナー、ペガサス、エディこの辺りが好きだったな ノートンとかウイリアムスはきれいに技を受けてくれる日本人相手だからこそ輝けた感じするなあ >>218
新日がUインターとの全面対抗戦してた年にプロボクサーになってたの? プロボクサーという触れ込みで実際にはアマチュアだったんだろ、新日時代は。 新日ファンそっちのけで始まった
ドゥームの仲間割れ >>225
この日行われたマサ、蝶野対ウインダム、アンダーソンが渋すぎてVHSで何度も見たな ノートン、ホームは新・巨獣連合と言われていた。
でも初代巨獣連合のベイダー、ビガロと比べるとプロレスの上手さや駆け引きでは劣ったね。 8.19両国の長州vsベイダーは面白かった。外人苦手の長州相手に面白い試合やれるんだからベイダーは凄いと言わざるを得ない。
ここぞの受けっぷりが素晴らしい。隠し撮り動画でG1の武藤戦も見たが、ジャーマンを受けきっているもんな。 >>226
武藤&蝶野、橋本&マサが定番だったけどたまに組まれる蝶野&マサも良かったよな
マサマサコンビと言う辻のつけたネーミングは今一だったが 今のスタイナー兄弟とブロン・ブレイカー(リックの息子で現NXT王者) 微笑ましい
https://youtu.be/WrmCEGmv_dg >>230
グダグダでニヤニヤして見てたんだけど、俺はボクシングぜんぜん知らなくてビックリしたのが、ホームの相手って有名なボクサーだったんだね。
もう動けないような晩年での試合だったみたいだけど。 日本人のヘビー級のボクサーもそんな感じだった気がするんだけど モンスター路線時代のK-1に大晦日に呼ばれなかったのかな
武蔵あたりにやられるのスゲーはまりそうだけど まあ全盛期タイソンのイメージで重量級ボクシング見ると「ええっ…?」てなりがちだよね 今のKー1のヘビー級見ると佐竹とか武蔵早かったって思う ホームが母国で出した曲聴いたことあるけど、ものすげー音痴でビックリした
日本で触れられる欧米人の歌って必然的に一流歌手ばかりだから余計にね >>237
マッチョドラゴン的な感じだったのかな? 91年の夏に来たカナディアンジャイアントは何故その後呼ばれなかったのかな?
アックスデモリッションと組んで自身もデモリッションのコスチュームを
着ていたから、ジャイアントデモリッションと名乗れば良かった(週プロに
それっぽいことが書いてあった記憶)。 >>232
有名どころか超一流
アイラン・バークレーはトーマス・ハーンズに勝って3階級制覇している
まさか晩年のバークレーがトニー・ホームに負けるとは >>241
日本に来た後マスクマンになったらしいな >>241
「俺は正真正銘226cmだけどアンドレやヒガンテはシークレットブーツを履いてるんじゃないか」みたいなことを言ってた記憶
嫌われるの上等だったんだろう
もっとも松永光弘の印象ではヒガンテの方がはるかに大きかったというけど ヒガンテ、東京ドームで見たけど頭一つ二つ抜けてるというレベルではなかったわ ヒガンテはもっとスターになってもおかしくなかったのに
あっさりムタに負けたなあ ヒガンテってベイダーの甲冑ガス顔面に喰らって負けた印象しかない。甲冑ガスってあんなに苦しいんだ?どんな毒性があるんだろうと中坊の時に胸をときめかせた想い出。 ベイダーvsヒガンテはこれからってところで両リンで終わったけど今考えるとヒガンテのボロが出る前に終わって良かった ヒガンテは見た目も華が無いし試合も塩分過多
カナディアンジャイアントは売り出すためにアックスが散々寝てくれたのに最後まで塩っ気が抜けなくて最終選考でとうとうピン取られたはず ヒガンテは、日本ではないが、筋肉隆々の柄の
全身タイツというのは笑った。まるでコントだよ。
で、彼も44歳の若さで亡くなったのか!
晩年は車椅子だったとか。
やはり巨人は長生きできないね。 ヒガンテの日本初お目見えとなったビッグキャット戦
ヒガンテがブレーンバスターの体勢になり、さぞ恐ろしいことになるかと会場のボルテージはMAX
しかし実際には予想外に低い弧を描き一瞬で静まり返った(笑) モンターニャ・シウバは211cmだけど大巨人感があったな アンドレは頭が良いデカいイメージがあるけど、体格比で考えると小顔 ビッグショーは身体のバランス良すぎて巨人感があまり無かったな
比較対象がないと大きさが伝わりづらい 顔が長くないと大巨人として物足りないというのはある ケビンナッシュはあの身長なのに巨人顔じゃないイケメンだったな。 ケビン・ナッシュはかっこ良かった
ケビン・ナッシュこそ体格比では小顔 ナッシュはNBAではないもののプロバスケ選手だからな。
ただの巨人ではなく一流アスリート。 ベイダーがもしWAR時代の辺りの
天龍と闘っていたらパワーボム受けたかな? >>268
ベイダーは相手が主力級の選手なら、割といろんな技を受けてくれるよ。
逆にハンセンは四天王以下(小橋にですら)のボム系の技は最後までいっさい受けなかったのがスゴい。 >>269
田上の喉輪落としと
小橋のブレーンバスターと秋山のエクスプロイダーくらいか?ハンセンが受けたのは
ジャーマンとか一切受けなかったしね
ウィリアムスはゴツい割に何気に技受けまくってたね
ベイダーは180キロの身体で
三沢のタイガードライバーまで受けたんだよなぁ 95年にスティーブ・オースチンがフル参戦したシリーズあったね
後楽園ホールで武藤対オースチンのシングルもやってた >>267
雰囲気スター性(但し陰)ハンセンホーガンレベルの逸材だったのに藤波程度に6分で負ける役割をあてがってるようではホント勿体ない
大金出して5年契約くらいしとくべきだった でも男の憧れジェームス・ディーン、松田優作、尾崎豊、ブルースリーとかも陰か曜かで言えば陰だからね
猪木がどっちか微妙 >>271
ハンセンと三沢の二人だけが
肘で受け身取ってたのはなんでかね >>273
セッドジニアスなんか1円でも欲しくないだろ ベイダービガロゴディは受けもできるのが良かったなあ
みんな早死しちゃったけど なぜかシッド・ビシャスがセッド・ジニアスと間違われてる件 >>278
あー、そういうことか。
なんでジニアス?みたいに思ってたから。 ビシャス・ウォリアーと長州のシングルでフィニッシュのラリアットを長州が決めたがビシャスが仁王立ちのままで変な間が出来たのを憶えてる ちょうど中西デビューのくだりのニュース配信されてたけど、
ベイダーがドクターストップってのは嘘だよな
WCWのカネがいいから新日より優先させただけ、同時期のハロウィンヘイボック出てるし
高田に腕十字で負けて担架に腕だけ乗せていかにも痛そうにしてたが、
同月のスターケードのメインに普通に出てるってのもあるし
新日ですら満足しなかったベイダーを単発とはいえ出してたことが
Uインターが傾く原因になったんだろうな
他にもアレンやハシミコフなども使ってたし Uウォリアーにあっさり負けたベイダー
WWFでは散々だったな ビガロと石橋が目線一緒だったから、実寸182ってとこか >>288
コキーナも晩年のヨーロッパで大谷と写ってる画像あったけどあまり身長変わらなかった ベイダーとゴディの試合は見たかった。
同時代に頻繁に来日していたのに意外にも接点がなかった。
アメリカでの対戦も聞いた事がないし。
2人の対決があれ
こうしあいになったと思う。 ゴディが田上にフォールされたの見て寂しくなったな
同様にノートンが佐々木に負けたのもね 長州対ノートンのタイトルマッチは10分ちょっとの思いっきり普通の試合だったね >>279
首とか肩が駄目になると最終的にきつい角度の技には肘で受け身とるんじゃないかな
秋山も自分の対三沢三冠戦の写真を見て「あっ自分は無意識に肘で頭を
守ってたんだ」と気づいたらしい ゴディは馬場の信用無くしていったからポロポロ負けるようになっていったよね ベイダーは橋本の蹴りで試合後、控え室で吐いてた事あったな
彼はハードヒットで誰か片目失明した選手いたよな 外人対決(シングル、タッグ)で1番盛り上がったのって何かね?ハンセンvsベイダー以外で タッグはベイダービガロ対スタイナーズを押す
ベイダービガロ対ドゥームも良試合
シングルは絞れんなあ ベイダーvsホーム、ベイダーvsノートンは良かった ヘルレイザーズとジュラシックパワーズの抗争も好きだったなぁ。 ヘルレイザーとジュラシックだお健介1人子供が混じってるように見えた。
でも健介は頑張っていたとは思うよ。
見ていて可愛そうになる場面が多かったけど。 ヘルナンデスは見た目が野暮ったくて華が無かったな。
タッグ以外使えない感じだった。 ヘルレイザーズとジュラシックだと健介が受けに徹するしかないから頑張ってるように見えるよなあ 本国での実績はヘルナンデスの方が凄かったが日本ではノートンのパートナー扱いだった 新日時代のベイダーの必殺技って
ビッグバンクラッシュと
高角度チョークスラム?
まだムーンサルトとかビッグクランチは
無かったよね 長州をフォールした回転エビ固め(1989年8月、両国) なんかベイダーってコレが決め技ってのがなかったよね。
良く言うと、どの技でもド迫力でピン取れちゃうっていう。 本当は、半年後の90年2月の東京ドームで
奪回するシナリオだったと思われる。
それが、、3大世界戦の一角、フレアーが来日中止になって。 その一年でベイダーの怪物っぷり更に評価されたからあのタイミングでのタイトルマッチで良かったと思う ベイダー、猪木戦でムーンサルトしなかったっけ?
ジャーマンがすごすぎて他のこと覚えてないやw 北尾vsホームの相撲vsボクシングの異種格闘技戦見たかった >>321
プロレス知らないオカンが
「この大きい人お尻でやっつけちゃうんでしょうw」 >>327
なんとかアズベリーパークじゃなかったか?
新日ではダイビングヘッドバットかなぁ ホークがどんどんジョバー化していったのは悲しかったな
武藤蝶野はもちろん木戸にらピン取られてた 私がプロレス見始めた90年は
ハシミコフはもういなかったが、ビクトルザンギエフはまだいて見た覚えがある。レッドブル軍団のテーマ曲を会場で聞いた気がする。
横浜アリーナでリッキースティムボート、横浜文体でT N Tを見た。これはムタ要員だったか?
文体はTNT対橋本のシングルだったと思うけど。
ベイダー ビガロはともかく ノートン ホームはWCW勢来日や誠心会館抗争とかでボヤけたってことも言えるかな。
藤波がリチャードバーンと異種格闘技やったな。 ベイダーが弱そうに見えたからやっぱドン・フライはヤベーな 藤波と長州、ベイダーとビガロがそれぞれシングル2試合づつやるシリーズがあった
(試合組み合わせはあくまで日米対決で同国人どうしの試合はなし)
どれもパッとしなかった記憶がある >>335
バーニングバトル3番勝負は藤波vsビガロ、長州vsベイダーと同じカードを3試合ずつ
(札幌で藤波vsベイダーもあったが別枠)
千葉の長州vsベイダーは良かった ビガロはベイダーとのシングルもイマイチだったし、ウィリアムスとのシングルもダメだったな。 ビガロは器用でもベイダー程の適用力はなかったんだね。 ビガロはベイダーより身軽なイメージだったんだけど、ムーンサルトはベイダーの方がキレイに飛んでたね。 ビガロは適応力が高いからこそ、北尾やらハシミコフやら強いかも知らんけどプロレスできない素人とのデビュー戦を任されたと思うの
うまくいったかは別問題だけど ビガロは重厚感に欠けたからな
なんか風船みたいだった 体がでかいのに相手の技をポンポン受けるから軽く見えちゃうんだよな
ゴディもそんなだった それ言うとベイダーもそうなる
ジャーマンの受けとかひどい ビガロはハシミコフ北尾で超高級負け役ジョバーみたいになっちゃったよね Leon White
https://images.sidearmdev.com/resize?url=https://s3.amazonaws.com/sidearm.sites/cubuffs.com/images/2018/6/20/leon_white.jpg&width=1292&height=&type=jpeg&gravity=&quality=80 >>345
AV女優から高級娼婦になるようなもんか 北尾のデビュー戦はハンセン、北尾vsベイダー、ビガロで良かった
試合途中で仲間割れしてハンセンのラリアットでピクピク痙攣すれば人気は上がったはず ベイダー初来日は忌々しかったけど実力で払拭させたな ベイダーは両国の惨事が終わって年越して春くらいのシリーズに来た時
週プロに巡業中のオフショットが掲載されててもう外人軍団のボスになってたわ
写真見ると神社に参拝かなんかで参道をベイダー中心にしてGメン歩きしてた ベイダーはハンセン戦と北尾戦で新日ファンに認められたイメージある >>349
ハンセン、北尾組とかそういうその場限りのタッグはよくないと思うな。
SGタッグもSWSの天龍、ホーガン組も興醒めだった。 横浜アリーナの豪華5大シングルマッチの中にスティング対AKIRAが入ってたことあったな フミサイトーが言うには、ベイダーは気難しい性格なので巡業中は孤立した感じだったらしい。
時々Jrのペガサスやスコーピオが気を使って食事に付き合ってあげてたとか。 >>349
>北尾のデビュー戦はハンセン、北尾vsベイダー、ビガロ
谷津の日本デビュー戦、猪木&谷津対ハンセン&ブッチャーの
二の舞だよ。途中でハンセンがトロい北尾にブチ切れて、
ラリアットをかますだろうな。 ハンセンはインタビューで北尾をボロクソに言ってたなあ 小川直也みたいに最後までプロレス下手でも支持集めれたレスラーいたのだから、北尾もやり方次第だったとは思う
ハンセンと組ませてのデビュー戦とかしても支持集められないだろ 小川対橋本はぜんぶ興奮したね
相棒の村上もケンカ腰でよかった >>359
それだと谷津のデビュー戦と同じになるなあ。
北尾なら最初からそうなっても道場はしないが。 ボスマンは全日でなく新日の方が良かったと思った
ただ、あの頃の新日は色んな意味で飽和状態だったが ジェイク・ロバーツも来たけど目立った活躍することなかったね まあG1クライマックス・スペシャル自体が中途半端だよな
毎度大会場連発の割にテレビ中継もあまりなかったし ボスマンは最強タッグでウィリアムスと組んだ時は良かったな
6人タッグで馬場と当たった試合なんかはノーtvなのがもったいないと今でも思う しかしこの頃は微妙だったスティーブオースチンがあんなに大成するとは >>368
ボスマンも結局田上より扱いは下だったからな
でも日米レスリングサミットではいいジョバー役をやったな
しっかり大蛇の餌食になったのは立派だった ボスマン良かったよね。
ただ、当時のシリアスぶってた日本のプロレスには合わなかった感じ。
時折よい試合するけど、メインストーリーには絡めないみたいな。
今の新日とかだと面白そう。 あの巨体でスライディングしてロープ下くぐって場外に出てアッパーカット一閃、
一連の動作のスピード感は鳥肌ものだったね 全日の激しいプロレスについていけなくて来なくなったという風評被害
ターザンふざけんなと思う >>376
ホント当時のターザンの全日ヨイショはキモかったな。 俺ボスマンに直接聞いたことあるけどそんな事はないと怒ってたぞ
エースとウマが合わず馬場はエースを選んだというのが真相 >>355
オレ何故かその試合が好きで何回もみた。
あんまし体格差がないのが不思議だった >>379
そう?
かなり体格差を感じたけどね。
ただスティングは筋肉あっても細く見えた部分はある、
ノートンとの対決なんか厚みが倍近く違って見えた。 R・ルードとか今の新日だったら無茶苦茶ハマると思うな
典型的ショーマンタイプの割には割と技術もしっかりしてたし 武藤馳VSベイダービガロのIWGPタッグ戦は名勝負 >>381
場外に段差作ったアホのせいで、ルードの選手生命は終わった ショーンウォルトマンって上に気に入られやすい気質なのかな
新日ではエディにスーパーJrでクシャクシャにされ、WWF行ったらヒットマンにクシャクシャにされ…
エディは負けブックが不満でという感じも見えたが、ヒットマンは明確にしごきマッチ
エディって初来日の時はそのライトニングキッドみたいなヒョロっとした体だったのに
1年後のスーパーJrでは上半身のビルドアップされてたな 90年代前半のジュニアは最強のメンツだった
ライガー、サムライ、保永、ペガサス、フィンレー、マレンコ、エディゲレロ、カサス、スコーピオなど出世したレスラーばかりだった
タイガーマスクは怪我が多くて残念だったが… ネグロカサスは全身コスチュームのころが狂人じみて最高なんだ 90年の年末ゴールデン生中継がいきなりライガーVSカサスから始まって凄いインパクトだったな。 ケダモノみたいなコスチュームも
ギラギラした目つきも狂ってるし
見たことない回転技使うしな ライガーvsカサス カサスは肩に毛がついたコスだったね。あの試合でカサスがダブルアームスープレックスをライガーに決めたら
「途中で腕をはずさないで、くっついたまま投げているのは素晴らしい。」って小鉄が褒めていたよね。
それ以来ダブルアームスープレックス見る度に手を途中ではずさないかチェックしてる。
カサスのハイレグ黒タイツコスはどうも好かんけど。 沖縄奥武山体育館でライガーからピン勝ちした試合が好きだな
高中正義のタジマハールが流れる中、カサスの不敵な笑いが最高だった そう言えばベイダーとムタってやったっけ?
ムタとスティングは塩だったが 浜松のカサスは弟のフェリーノのマスクとコスチュームで入場してきたんだよね
観客「あれ?カサスじゃない、フェリーノだ!どういうことだ?」
↓
リングインしていきなりマスク脱ぐ
↓
やっぱりカサスでしたー!
↓
観客ビックリ!
てな感じでやろうとしたんだろうがフェリーノの知名度低すぎて客席はポカーンという結果に >>390
俺はそれプラスレスリングシューズにハイソックス
短いオールバックというユニバの頃がスッキリしてて好きなんだよね
まあ 人それぞれ カサスの黒パンは長州リスペクトでしょ
実は大の長州ファンという
その長州もメキシコ遠征中、タルい試合ばかりするルチャドールを正直見下してたけど、カサスとフェルサゲレーラの抗争だけは激しくスピーディーなので思い切り感化され、後のハイスパートレスリングの礎になったというのだから面白いよね 今のカサスは蝶野ファンで、蝶野から贈られたコスチュームに大喜びで
傷んで着れなくなるとカバンに改造して離さず持ち歩いていたという。 >>397
コスチュームをカバンに改造ってどんな技術だよ >>393
フェリーノが初来日するかしないかの時期だったよな ムリもない
しかし当時のフェリーノのコスはチキンカツの断面みたいな色合いでいただけなかった
さらに末弟カネロもいい選手だったがインタビュー見たら3歳児級の舌足らずで噴いたw
若手時代のハヤブサが兄ネグロの前でそのモノマネを披露して大ウケしたそうだが
聞いてみたかった >>387
あの後の大会あたりからだと思うんだけど、ヤングライオン枠が決勝カードの調整のため、強豪に一勝するみたいな流れができたような。 >>402
自己レス、すまん。
「あの後」じゃなくて、金本がカサスに勝った時からだったね。 ブライアン・ピルマンはスター性があったのでもう少し活躍してほしかった >>119
客席から英語で最強タッグ優勝おめでとうって声かかって、喜んでたよな ノートンはアメリカでももっと活躍できたと思う。
あの巨体とパワーで席巻できただろう。
でもノートンが日本を中心に選んだからね。 >>406
チビで塩で力も向こうなら普通でどう活躍出来るんだよw タイガー服部によるとノートンはアームレスリング以外に
スポーツ経験が皆無らしい。 >>408
俺もちょっと剣道やったぐらいで
社会人になってから筋トレにハマったけどそのクチかw
そのせいか結構な体格になっても「スポーツ何やってたの?」とはきかれない
体育会系のフンイキがまるでしないらしい ビルカズマイヤー
ドームでやった橋本vsカズマイヤー戦、橋本を軽く持ち上げたりパワーだけなら1番だった >>410
マサさんも期待してたけどあっさり引退しちゃったんだよな カズマイヤーはパワーリフティングやストロンゲストマンコンテストの世界の
レジェンド。むしろプロレスは小遣い稼ぎにちょっとやったという感じ。
アントンヘーシンクなんかに近いと思う。
http://resnovaejp.com/2579 ノートンはアメリカであのスタイルは厳しかったか。
でもアイストレインってノートン級の黒人と組んでやってたんだよね。
このアイストレインは来日しなかったけど。
よく見るとノートンより凄い身体なんだよね。
サイズ的にもノートンと変わらず『黒いノートン』と言われてたとか。
この2人ならアメリカでも相当なタッグになれたと思うんだけど。
日本に揃って来日しても凄かったと思う。
ノートンのスタイルだとアメリカでは小さいのき?
ウィリアムスはパワー以外でもテクニックや危険さがあつまた。
ノートンにはそれが足りなかった。
テクニックに関してはノートンはほぼ皆無。
テクニックをパワー一辺倒で包み込む感じだったし。
最初はノートンは日本とアメリカでトップに立つと思っていた。
でもアメリカでは良くて2番手止まりだったか。 >>413
アイストレインもノートンもただのデクの棒だろ
WCWで同じサイズのヒューモラスの方がなんで数段格上だったか少し考えたらわかるだろ 激塩などど言われてるがルガー好きだったな。
典型的なアメリカ受けするブロンドのマッチョマン。
日本人受けするフィニッシャーが欲しかった。
アルゼンチンとか、(右腕に鉄プレートが入っているという設定の)エルボーとかじゃ日本受けはしないよな。
そりゃスタイナーブラザーズとかに人気持ってかれますわ。 >>416
新日後楽園ホール大会にルガー出てたけど応援してたの俺と友人の二人だけだった気がした位人気無かった
なので、同士がいたのは嬉しい ルーガーはWWF行って大失敗だった
あのままレイスの薫陶受けてフレアー系ヒール王者やってればなぁ、というIFがある
個人的にルーガーに持ってた理想形はHHHがやっちゃったんだけど >>418
いいねぇ。ルーガーという書き方。
さてはフミ斎藤と土居アナのビデオ見てた世代だな ルガーはWWF合わなかったな
ホーガンの後継者にしたかったみたいだが、アルティメット・ウォリアーとまた違った意味でルックスはともかく中身が伴わなかったな
俺は好きだったが今の新日に来たとしても人気でなかっただろうな 大失敗で塩といえばスコットスタイナー大先生
ビッグパパバンプとか言われて見た目の華やかさで相当期待したけど新日来日時とは別人に変貌してしまった >>413
ノートンはWCW上がった時に身体の小ささが悪目立ちしたなぁ ノートンって超大型冷蔵庫だったからでかいだろ。
ヒクソン対ノートン見たかった 小川直也vsノートンには期待した
二人とも下手だからその分リアリティ有った気がする >>423
身長の話だろ
あと何を期待してるのか知らんがキモ対ビガロみたいにボコられて終わりだぞ
格闘技歴の無いステロイダーに何を期待する事があるんだ >>421
鳴り物入りで登場してあっという間にランク落ちしてテストと抗争だったもんな 腕力ってことなら少なくともノートンとてサップよりはるかに上って
ことはないだろう。ノートンが総合やってもよくてサップぐらいだろうな。 スレタイ4人が揃ったのって記憶によると92年4月の両国と翌日の千葉ポートアリーナ?だっけ?
この2日は4人が揃ってなかった?
両国ではノートンは武藤とホームは青柳とのシングル。
トップオブザスーパージュニアでは保永がまさかの優勝の日。
翌日はベイダー、ビガロは武藤、馳とタッグタイトルマッチでノートンは長州とタッグタイトルマッチだったはず。
ホームの試合は覚えてないが。
ベイダー、ビガロはポートアリーナだけだったかな?
30年以上前だから記憶が曖昧だけど。 単純な腕力ならノートン>サップかもしれないが、身体能力とかは圧倒的にサップ>>>>ノートンだろう
リングスにも握力強いが売りの選手いた気がするが何も出来ずに終わったと思う >>430
91年のSGタッグで何回かある
ホームはベイダーや青柳と対戦、他3人はリーグ戦出てたから
あとその両国は91年だな >>430
92年の4月の両国はベイダービガロvs武藤蝶野、ノートンホームvs長州橋本
千葉はIWGPタッグ、シングルはその通りでホームvs橋本のシングル
保永のスーパーJr優勝も含めて全部91年の両国の内容になってる ライガーの掌打にも顔背けてたから顔面耐性もなさそう >>432
そうだ、ありがとう。
保永優勝と千葉ポートアリーナはは91年だった。
SGタッグではホームがボクサーとして参戦してたからこのシリーズでは4人ぎ揃ってたわ。 >>433
こちらもありがとう。
91年と92年がゴッチャになってしまった。
92年の両国の2つのカードもすっかり忘れてた。
千葉ポートアリーナは92年だったね。 >>438
この頃はレイジングスタッフが全員マスクして出てた謎の時期だった >>439
それでいて従来通り「後藤」とかのワケわかんなさ レイジーになってんのぉと武藤がバカにしてたな
マシンがいつの間にか似合わないWARジャージを着ていた >>431
アームレスリングの実績も身体能力でも圧倒的にグッドリッジのほうが上だったしね ノートンの身長の件が、ちょいちょい上がってるけど、新日でデッカく感じたノートンがWCWで他の選手と並ぶと、新日で言う武藤とかと健介ぐらいの差でビックリした思い出ある。
当時のWCWって公称だけど2m級がゴロゴロいたよね。 吉江豊が力皇森嶋より頭一つ小さいのは意外だった
ノートンを小さいと思ったことはないな
顏がデカいからバランスとるために体デカくしたんだろうなんて言われてた >>444
ノートンは武藤と変わらないんだよね。
アメリカの2メートル超級と比べたら小さいかも知れないけど。
今週
週プロだかに初回G1でのベイダー、ビガロ、ノートンが並んだ写真ごあった。
両国の花道の上に乗って3人で手を上げてる写真。
これ見てもノートンはベイダーやビガロと変わらない。
ベイダー、ビガロもアメリカの2メートル超級と比べたら小さく見えると言われたらそれまでだけど。 ノートンは今年アメリカでバレクラの一員で復活したけどジェフ・コブより一回り以上デカかったな
最近の選手は小さいけどコブは厚みだけなら今の新日てはトップクラス
そのコブより全然デカい ↓のvsゴールドバーグ。そういう演出をしているんだろうけど、
ノートンがやたらと小さく見える。
https://www.youtube.com/watch?v=NlHrjwIcEIs ノートンは今年アメリカでバレクラの一員で復活したけどジェフ・コブより一回り以上デカかったな
最近の選手は小さいけどコブは厚みだけなら今の新日てはトップクラス
そのコブより全然デカい >>447
ゴーバーはもともとデカいでしょ
この時期のノートンはゴーバーを意識してなのか
スキンヘッドにして身体も10キロくらい絞って新日でジャックハマー使い出した
りしてたよね https://youtu.be/gTts0CSS9dQ?t=362
そのゴールドバーグよりアンダーテイカーのがデカいし、それより上も結構いるのが世界 90年の新日でホール、アンダーテイカー、ノードなど長身が集合したシリーズがあり普通にデカいビガロやカーシュナーが小さく見えた >>452
ビガロはとんねるず石橋と並んだ時ほぼ一緒だったからその辺と比べたらかなり小さい >>444
吉江豊(公表183)が力皇森嶋(同190)より
頭一つ小さいということはないだろ?
互いにサバ読んでも、せいぜい10cmくらいの差。
試しに中西&吉江対力皇森嶋のyoutubeを
見てもそんなものだった。
頭一つ小さい(25cmくらい)というのは、
ライガーと坂口、高山くらいの差だよ。 WⅡと吉江の歩幅が全然違ってたんだよ
とんねるずの小さい方も178でけっこう長身なんだな >>456
吉江は横に大きいから
身体の厚みは負けてなかったけど
背丈で見ると大分小さい
中西ですらW2の前では小さかったし
まぁあの時期の中西は対総合?に向けて
ちょっと身体絞ってた気がするけど >>451
ヒガンテとアンダーテイカーの試合を動画で見たけど凄い身体差だった。
ヒガンテはあり得ない高さだったな。
アンダーテイカーの脳天がヒガンテの顎の下だし。
最初なら向かい合った時にその場面が。 ベイダーノートンはアメリカだと俺のちんちんくらい小さく見えたもんな
そりゃショーマンスタイルのアメリカじゃ成功しねえわ 小さいから成功しなかった訳じゃないだろ
それにベイダーはWCWでは売れてたし ベイダーはアメリカでもホーガン最強の敵をやれてたじゃん
ホーガンが音を上げて手を組まなきゃならないほどだった ノートンは長州ヘアーの時は凄い腕で凄い体だったけど、スキンヘッドにしてからは腕は細くなってたような気がする ノートンで思い出すのは、IWGPで橋本に挑戦するとき、よく(たしか2回あった)前哨戦でシングルを組まれてたね。で前哨戦ではノートンが勝って…本番では橋本が取り返すって丸わかりなブックがイヤだったなー。 >>451
テイカーは馬場とほぼ同サイズ
なのにあんなに動ける オープンフィンガーグローブ付けたり
ゴゴプラッタたいなヘルズゲート使ったり
テイカーは総合格闘技を無視できずコンプレックス丸出しなところがよかった
馬場もアンドレもリスト取ったり首を固めるの素早いよ
いちばん奥の客席まで伝わる巨人のスケール感出してる >>463
橋本とノートンはタッグでも良いチームだった
武藤、馳とのタイトルマッチは好試合 土曜日にやってた頃(自分が小3、4ぐらい)
大流血してドクターストップがかかった外国人選手がいたんだが
あれってノートンかな
すごい血でその日は気分が悪くて悪くて仕方がなかった 橋本&ノートンvs武藤&リックは橋本の垂直落下とノートンのパワーボムがほぼ同時に決まるフィニッシュだったのにカメラワーク悪すぎたの勿体ない >>467
ノートンvsシンかな?
なんかノートンの顔全体が血だらけで真っ赤な覚えがあるね。 ベイダー、ノートン、ビガロvsハンセン、ゴディ、ウイリアムス
誰が負けブック呑むだろう? ベイダー、ノートン、ビガロvsハンセン、ゴディ、ウイリアムス、ジョニーエース
なら、間違いなくエースがフォールされる 全日が20周年でやった馬場ハンセンドリー対ジャンボアンドレゴディなんかも
誰が寝るんだろうと思わせられたな、まあ大方の予想通りの結果になったけど >>470
リックが垂直落下受けて
ピンフォール負けってのも今考えると痛快だな
新日ではそうそう負けなかったから
まぁ橋本当時チャンピオンだしな ブロディ存命なら
ベイダー&ビガロ&ノートン&ホームvsハンセン&ブロディ&ウィリアムス&ゴディ
が夢のカードだったのか
ブロディがスパイビーかエースになったとたんにテンション下がる 身長が変わらないのか厚みがどうなのか書いてもらわんと分からん >>478
そんな豪華な8人タッグが実現しても
リングサイドで、コーナー付近の客は試合が見られないよ
(待機している3人の背中しか見えない)
ベイダーとグレート・コキーナ、あと2人デカイ外人が
4人でチームを作った試合がそうだった。 ゴーバーの代役で来たサベージの扱いが酷かったな
向こうじゃホーガンとタメをはるシングルプレイヤーなのに ハンセン ゴディ ウィリアムス(スパイビー)対 ベイダー ビガロ ノートン(ホーム)
1本目 ハンセン(体固め)ベイダー
2本目 ベイダー(体固め)ハンセン
3本目 両軍リングアウト >>478
↓の試合だな
7月24日 長野・上田市民体育館
60分一本勝負
藤波・長州・武藤・橋本・蝶野(2ー1)ベイダー・ビガロ・コキーナ・サモアン・TNT いつか見た新日の東京ドームのサベージVS天山。
グロッキー状態の天山の首根っこつかまえて、観客にアピールするサベージ。
フィニッシュの流れだけど出したのは首固め、で3カウント。
当時、首固めって攻防の流れから決まる逆転技みたいな扱いだったのに、反撃もできない相手にアピールまでしてからの首固めってシュールだったし、会場も変な空気で面白かった。 >>469
>>470
よく覚えてないw
92年ごろだったと思うんですけどね
出血が酷すぎてレフェリーストップ?になったことだけは覚えてるんだけど >>486
91年春の両国で武藤×ノートンのシングルが決まっていた。
その前哨戦のタッグでは武藤とノートンが互いに大流血。
同じ試合ではなく順番に。
最初の週のタッグでは武藤が大流血で次の週の放送ではノートンが大流血と。
ノートンの大流血は凄かった。
また遡る事2月の札幌でのビガロ×ノートンでも両者大流血。
これがノートンの初流血だったけどやはり大流血だった。 すまん。ノートンvsシンって記憶ないんだけど会場どこでやったの?映像あるなら観たい ベイダーとホームのシングルで、ベイダーのヒッププレスを交わしたホームが急に3カウントとって、ケロが慌ててゴング叩いた試合あったよね? >>492
もう商品価値がなかったのかね
普通ならノートンが終始優勢だが、最後は疑惑のピンフォールでシンが勝ちそうだけど シンは90年に新日にuターンしてすぐ猪木の30周年記念試合でタッグ組んで
実質お役御免って感じだったかね あーそのとき猪木試合やったんだっけ
セレモニーと台風の中行ったって記憶しかなかった あの当時の強いノートンに落ちぶれたタイガー・ジェット・シンが勝ったらノートンの価値が下がるしそんなのありえんだろ シンはいつの間にかFMWにNOWにIWAジャパンとインディに天下りしてたな 浜松アリーナで武藤vsシン組まれた時はシンが武藤流血させた挙げ句に反則負けだったから、その時はまだ新日が価値を見いだしていたのかなと思う ハッスル初期の大会場に単発で出場して後期の後楽園ホールハウス時代は
セミレギュラー的な扱いだったな
久しぶりに再会した川田に「おい、風呂入るから背中流せ」と申し付けたとか シンは90年に新日復帰して、92年前半まで上がってたけど商品価値は別にして殆どピン負けの記憶はないな。
長州、馳、ノートンくらい? >>493
あったあった
でもテレビではダイジェストじゃなかったっけ >>502
そう。その点を週プロは書いてた。ピンを取らせない選手シンがという具合 ハッスルのときはアルゼンチンバックブリーカーまでやってて文字通り大ハッスルしてたな 92年のG1は外国人メンバーが豪華で好きだった
テリー・テイラーやジム・ナイドハートの存在感の無さが残念だったけど この頃の新日は外人豪華だったな
アーン・アンダーソンやバリー・ウィンダムみたいな渋いレスラーも呼んでくれてたし ベイダービガロノートンとシングルしたことでシンってこんな身長高かったんだ、とビックリ
テリーテイラーって佐々木相手にドクターボム出してたけど、ウィリアムスよりも早かったんじゃ 時のノートンはベンチプレス360kgを上げるお化けだからベイダーとビガロのWプレスもノートンには通じないことに・・ シンの商品価値が本当に下落したのはグリーンドーム前橋でのベイダー戦だと思う タイガー・ジェット・シンはインドの猛虎と言うギミックのショーマンレスラーだからな
本格派パワーファイター相手にしたらたいして説得力のある試合はできない
全盛期でも対抗できないのにあの頃はもうだいぶ衰えてたし ロンシモンズもよく来てたな
橋本とのシングルが何回か組まれてたが相性良かったのかな シンって正統派レスリングも強いってギミックあったような気がするし、ウィキ見ても「ここぞという場面では正統派レスリングを見せ、アントニオ猪木らトップクラスのレスラーにも勝利している。」ってあるんだけど、オレがリアルタイムでは見てなくて記録映像でしか知らないせいか、そんなシーンは見たことないんだよな。 のちにシンが馳の車を破壊して巌流島に持ち込むアングルは不自然過ぎる流れだと感じたよw
なんの関係性もない二人が唐突に絡むしw
シンと武藤の試合では黒猫がカット失敗したせいか武藤のジュースがヤバ過ぎた 92.1.4ドームでの
越中、小原対アンダーソン、ズビスコ
マサ斎藤、ドク対ローデス親子
の渋い2カードが好きだった >>515
馳の車破壊は巌流島じゃなくドームの長州vsシンの前振り 巌流島の前振りは、馳がカナダのシンの自宅に直談判に行って怒ったシンに沼に落とされるやつ。 90年代初期はフリー参戦のキムドクかな
フォール負け率が低く強そうに見えた
ヒロにツームストンで勝った試合が印象深い シンはベイダー、ノートン、ビガロとそれぞれシングル戦やってる >>512
360キロはプロレス特有のフカシだろ
世界記録超えてんじゃん >>521
全日末期と違ってちゃんと厚遇されてたのが意外だった >>522
全くのハッタリではないとしたら、途中までしか降ろしていないとか
公式記録とは認められないものだろうね。
レスラーに限らず専門のパワーリフティング選手以外のアスリート等の
こうした数字は当てにならない。
野球選手の遠投○○mも同様。 詳しくないけどノーギアか否かでしょ。
bench shirtありでは世界記録は600kg近い。 >>513
ロン・シモンズはもっと良いカードが組めたと思うけどね
使い方が勿体無かった >>493
この時のアンダーカードで橋本対グレートオズ 1回目のSGタッグリーグの選手のトレーニング風景で、ノートンがベンチプレスしてる横で、パートナーの橋本が西部警察の大門みたいなサングラスつけて腕組みして見守ってるのがシュールだった。なんか古き良きプロレス風景みたいで。 第一回SGタッグといえば、蝶野ビガロ組で勝ったビガロが側転パフォーマンスをした後に蝶野にお前もやれと促す場面。
ビガロが勝った時毎回のお約束。 1回SGタッグは面白かったな
闘魂Vで何度も観たけど、入場曲差し替えだったからCD音源流しながら観てたわw >>525
競技者じゃないレスラーが
フルギアでやってもしゃあないしな…
ビル・カズマイヤーはギネス記録に残ってるし、ストロンゲストマン連覇の彼でベンチ300キロだからね
360キロなら「とんでもねぇヤツがいる!」ってアメリカ中話題になるはず この頃はブラッド・アームストロング、レイガンズ、セントクレアーなど脇役メンバーも充実してた
TNTな今でもムタのベストパートナーだとおもっている >>530
闘魂Vの差し替え曲も実は悪くないんだよな
ライガーはむしろ差し替えの方が俺は好きだった >>526
世界チャンピオンになるまでは良かったが、その後はWCWでも精彩を欠いてたからな 第一回SGタッグは良かったね。
でもゴルフばかりで定期放送が一回もなかったんだよね。
本当に勿体ない。
ゴルフお比べてどちらが視聴率取れたかは一目瞭然。
と言いたいけどゴルフもそれなりに視聴率取れてたのかも。
自分が全くゴルフには興味なかっただけで。
しかし第一回SGタッグが放送されなかったのは本当に勿体ないとおもう。
参加メンバー的にも夢の好かーどが続出してたし。 プロレス中継は視聴率は良かったけど、スポンサーがつかなかった
ゴルフ中継は視聴率は悪かったけど、スポンサーはたくさんついた ゴルフ中継は視聴者の多くが自らもプレーする人だから
ゴルフメーカーにとってスポンサーになる意義が大きい。 >>535
テレ朝も本来なら打ち切りだよみたいに軽く見てたんだ
まさかそこから90年代プロレスブームがくるとは思ってなかったんだろう
相手は金曜8時のワープロに熱狂してた子供達だよ 第一回SGタッグを放送しなかったのは宝の持ち腐れだよね。 しかも予想外の大盛り上がりのG1の直後だったからその余韻が残っていた時期。
このタッグリーグ戦自体も夢のカード続出でかなり盛り上がっていたし。
当時のビデオで数試合出したぢけってのは本当に勿体ないよね。
ビデオ出して多少は映像を見られたから良かったか。 秋は客入りに苦しむ季節だからテレビ局側も舐めてた
数年後だけどまさか新日vsUインターがあそこまでバズるとはね 当時の事情はよく分からないけどゴルフ中継でプロレス放送が飛んでも
お金はもらってたんだよね?それに加えて闘魂vは3800円(だっけ?)で
1万本以上売れるタイトルも少なくなかったというから収支的には潤ったのかな でもふぁんからしたら放送して欲しかったよね。
当時の新日は年間30数回の放送と決まってたんだよね。
せめて50は放送しろよ、って思った。 >>540
SGタッグリーグの時期って、そのゴルフ中継の関係かテレビであんまり見られなかったよね。
あと、週プロかなんかが全日の最強タッグと違って、SGの方は即席タッグなのがよろしくない的な言い回ししてたけど、逆に全日との差別化で、お祭り感あって好きだったよ。
橋本&ノートン、蝶野&ビガロ、ホームの組み合わせとか何かワクワクした。 ベイダー、ビガロ、ノートンは応援してたけど
ホームは好きになれなかったな 第1回のSGタッグの後楽園大会行った
藤波、ベイダー対橋本、ノートン
蝶野、ビガロ対シン、ドク
武藤、馳対コキーナ、サモアン
の豪華な公式戦だったよ
長州が休憩前に出るくらい層が厚かった キムドクはそこまで割りと強キャラ扱いだったのに、SGタッグではシンのパートナーだったので負けまくってたな 引退か?と言われてた長州が復帰するという話題もあったのにね
あとグリーンドーム前橋大会も2週に分けていいくらいの豪華カードだったな シン、ドクは時代がもっと前なら第二のシン、上田になれたかも。
ドクはドクでプロレスをわかっていたし。 >>546
同じく見に行った。
その日、後楽園のバルコニー初体験だったからよく覚えてる。
ベイダーとノートンの肉弾戦でリングが揺れていた。バルコニーからプロレス見るとこんなに迫力あるんだ!と感動した思い出が。 SGタッグリーグの頃は、最強タッグと比べてテレビにも専門誌にも何か軽んじられてた印象。
当時、蝶野が好きだったからホームと組むなんて面白いと思って試合追ってたんだけど、ヘルレイザーズに勝った試合が週プロだと白黒の1/4ページくらいで愕然とした記憶ある。 G1もSGタッグも初回からどんどん落ちていった感じする。
92年にベイダーが新日からいなくなったのが痛かった。
92年G1やSGタッグにベイダーがいたらもっと盛り上がっていたはず。
あの当時のベイダーは新日でもかつてのハンセンレベルだった。
だからこそいなくなった時には物足りなさを強く感じた。 G1は第1回が究極に完成形すぎて2回目以降苦労したな
95年は第1回形式に近い形だったから面白かったよ SGの評価が高いようだが、ベイダー・ビガロ組を解体した時点で
自分としては興味半減だった。 ベイダービガロ、スタイナーズ、武藤蝶野、長州橋本、馳健等々当時の新日は良いチーム揃っていたので普通のタッグリーグ開催しても良かったとは思う >>555
95年大会は後にUインターとの対抗戦が決まったからそれも手伝って盛り上がりに拍車を掛けた。
Uインターとの対抗戦がきまったのってG1後だっけ? >>557
長州橋本は違うっしょ
タイトルには1回も挑戦してないしSGタッグ用のチーム G1は94年のが面白かった
95年から試合のレベルが落ち始めるし、つまんない奴が台頭してくる >>555
俺も95年好きだけど最終戦にフレアーが出なかった事が残念だった
結局そういう契約だったのかと
フレアーの参加が全てのG1だと思ってた 95年のG1スペシャルも良かった
最終戦ではノートン・ビッグブーバー組対ホーク・スティング組の神カード 93年のG1で、なぜか木村健悟と小原の試合が熱戦で会場が大盛りあがりになったので、途中で坂口が花道に出てきて微笑みながら試合を見守ってたな。 ビガロはあの巨大でプレスではなくなぜかヘッドバット多用してた 試合でマサ斎藤がビガロを血祭りにして
数日後の試合前インタビューでビガロがインタビュアーのマサにブチ切れて横にいたベイダーがなだめる >>559
92年SGタッグリーグのとき長州がやたら橋本に指示を出してて
橋本がイライラしてるのがわかった >>563
なぜか、ではなく理由があったんだよ。
この時、健吾ら反選手会同盟(後の平成維震軍)は
小原勧誘を目論んでいた。健吾戦はそのいわばテストマッチ。
小原は破れはしたが健闘した。それで小原加入を決め、
試合後、越中、青柳らもリングに上がり、健闘を称え
加入をアピールした。
そこに正規軍がなだれ込み小原争奪戦となったが、
結局、最終戦、小原を含む正規軍(藤波、蝶野ら)対
反選手会同盟の10人タッグ戦で、小原は正規軍を裏切り、
反選手会入りした。 小原は長州と気が合わなかったから維震軍に入れて良かったみたいだね。
師匠の浜口からは素晴らしい男だと散々聞かされてたけど、実物は全然違ってたという。 >>568
なるほど、そういう理由があったんだ。ありがとう。
今となってはレア技のトライアングルスコーピオンが見れたし、藤波vs藤原喜明のシングルも興味深かったりと、満足度の高い興行でした。 ベイダー ビガロ ノートン ホームで四天王。
この形容にホームを入れての四天王には違和感があった。
ホームを除いた3人ならまだわかるけどホームは数枚落ちる。
92年頃にこんな記事があった。
ハンセン ゴディ ウィリアムス スパイビーでの四天王にもスパイビーは違和感あるとの記事も同じ時期にあった。
スパイビーはこの4人の中では明らかに落ちると、
恐らくは同じライターだと思うけど。 ホームはずっとグローブしてボクサーキャラのままのほうが良かった WARの興行だったと思うけど、タッグ戦でハクとホームがいて、ホーム大流血してハクに何にもできなかった試合あった気がする。
なんかいつもプロレスを小馬鹿にしてるホームが、ビビってた感あったんだけど気のせいか。 >>573
この試合(テンタハクvsホームバーバリアン)って何気にホーム新日所属最終試合?
その後来てないと思うが その後、WWEに行ってそこそこの扱いされてたけどやがてレックス・ルガーの引き立て役にされちゃった。 トニー・ホームの経歴はボクシング→アメリカインディー→新日→WWF→リングス→UFC→ボクシングか? >>574
自分以外3人が相撲繋がりでガチの強さに定評があってじゃ気後れするよな >>574
マサ斎藤と永島がその醜態ぶりに激怒して呼ばれなくなった >>578
あー、新日からも醜態ぶりを非難されてたのか。
なんか、流血した後、ずっとコーナーにもたれかかって試合に参加してなかった記憶ある。
かなり昔の試合だし、映像も見つからないので、うろ覚えでスマンが。 John Tenta & King Haku vs. The Barbarian & Tony Halme (WAR)
https://www.dailymotion.com/video/x2lilam 94年のSGタッグリーグってスティーブンリーガル・マイクイーノス組とロンシモンズ・ネイルズ組の謎チームが参加していたんだよな
最終戦ではスタイナーズ対ノートン・シモンズ組のタッグもあった 92年のG1はリック・ルード、バリー・ウィンダム、アーン・アンダーソン、スティーブ・オースチン、バーバリアン、ジム・ナイドハート、テリー・テイラーと当時は全く良さが分からなかったが今見ると良いメンバーだと思う。
スティングやルガー呼べよ!って当時は思ってたわ。 >>581
ハクとバーバリアンの対決は初めて見た。
こんな試合あったのは知らなかったなあ。
新日とWARが提携していた時代も懐かしい。 スティングやルーガーも日本では巨大岩塩だし使えない >>584
この日のメインは天龍対橋本
セミが阿修羅・原対グレート・ムタ
その前が北原対蝶野の三大シングル
武道館が超満員 マイクイーノスなかなかいい選手だったと思うな
ノートンのパートナーはヘルナンデスよりイーノスの方がバランスとれてたと思う >>586
超満員になってない。
主催者発表でも14000人(満員)だったし。
2日前の新日は14214人(超満員札止め)
だったが発表数以上に差がついてたんじゃないか? >>588
カードはWARの方が良かったけど新日の方が入ってたみたいね >>580
93年以降は、天龍らWAR軍団との抗争に
なったからね。
で、ドームとかビッグエベントにはホーガンや
スタイナーズ、フレアーといったWCW選手を
呼んで、通常のシリーズは、ノートンとホーク
以外の大物外人はいなかった。
それで、95年の秋は、また高田らのUインター勢
来襲。そして小川、大仁田、。
90年代半ば過ぎは、外人冬の時代だったなぁ 新日とWARの営業力の差だな
カード的にはWARの方が良かったし、メインの天龍vs橋本はノーテレビなのにその年の上半期のベストバウトに選出されてた >>588
週プロの試合レポートの書き出しが「空席があった」だった記憶がある
営業力の差が1番の理由だろうが
4月にやるべきカードを6月まで引っ張ったツケもあるだろうな
自分は長州と1勝1敗になった時点で少し醒めたし この前の新日武道館はメインが新日対WARのイリミネーションマッチてセミがムタ対カブキのGPヘビー、その前がヘルレイザーズ対アースクエイク・キンクハク組
当時は今ほどイリミネーションマッチが雑じゃなかったから豪華な感じしたけどな 93年6月の武道館2戦、両方と見に行ったよ。
満足度でいえば、どっちも良かった。
WARは、天龍対橋本のメインだけ一点豪華。
あとはシングル3番勝負といっても
ムタ対(ピークを過ぎた)原、蝶野対北原、馳対冬木と
WAR軍が、ひとつもふたつも落ちていたし。
新日の方は、単純に藤波、長州(メイン)、ホーク&パワーが
出ただけで迫力が違う。
メインのイリミネーションタッグも最後、石川が健闘して
良い試合だった。 ターザンはイリミネーションマッチに批判的だったね。
典型的なゲーム感覚の試合、その興行が盛り上がりさえすればいいという
かつての猪木の試合と違い後々まで余韻が残らない試合と。 93年後半~94年は
交流戦ブームも一旦落ち着いてつまらなかったな、この頃のプロレス界 >>586
試合内容で言うと、天龍と橋本のシングルは凄かった。
あれ見て、新日が短期間で再戦を組んじゃったんだよな、ウチでもやらせろって。
あと、冬木と馳のシングルが面白かったんだけど。
馳が試合後のコメントで、冬木はプロレス上手いって褒めてたの覚えてる。
馳が褒めてマウント取ってるけど、冬木の方がキャリア上なんだよね。 93年のG1は最終戦のメインが特別試合の天龍VS橋本だったね。公式戦決勝の藤波VS馳は前日で。
7連戦全て満員とはならずターザンが冷夏のG1と評して叩いていた。 ターザンは、G1の優勝者を
馳にするべきだ!と当時、新日の
取締役だったゴマ塩に言ったが
受け入れてもらえなかったので
「冷夏」とこき下ろしたんだよ。
当然、新日からクレームが来たが。 >>601
9月のG1スペシャルは新日が本気出して豪華なカード連発だった ゴングは反論・擁護してたな
「動員数は凄いし試合内容も悪くない。あれを失敗と言ったら気の毒」 >>598
確かにこの頃の新日は刺激の少ない江戸時代のようなイメージがあった
橋本が1強で中心に回ってた その後両国7連戦は行われなくなったんだから普通に失敗です
G1に天龍が出てくれれば面白かったのにな >>601
なんか7日間で満員になった興行が
1つもなかったみたいな言い方だな。
実際には3日目・5日目・6日目・最終日が
札止めで、逆に2日目は90年代新日の
両国興行では殆どない1万人割れ
(主催者発表)だった。 >>607
2日目行ったが何気に好カードが多かった
橋本対馳、蝶野対原
藤波、ライガー対天龍、北原
藤原対彰俊 タイガーマスク対ペガサス
武藤が第2試合の6人タッグに出てた G1クライマックスと銘打ってるのに初日と最終日に公式戦組まず、しかも初日は多人数タッグマッチばかりだから叩かれても仕方ないと思った 俺は3日目から7日目(最終日)まで5日間、通ったよ。
前売りの日、青山の新日のショップに買いに行ったが、
凄い列を作っていた。その時点で、カードは発表されておらず、
当然、最終日が決勝戦だと思っていた。
で、最終日はもう売り切れていた。
しかたがなく、方々手を尽くして入手したよ。
1日目は、G1公式戦もなく、行かなくて正解だと思った。
準決勝の5日目かな?藤波対武藤、馳対蝶野の試合は良かったよ。
最初から、最終日が天龍対橋本の特別試合と知っていたら、
あんなに手を尽くしてまで入手しなかったなぁ。 翌94年も両国を5連戦しているから営業的には酷くなかったのではないか 4日目のヘルレイザーズ対ジュラシックパワーズでホークが後半ヘロヘロになってしまい、あっさりフォール負けしてたのが印象に残ってる >>612
94年のみならず、95,96年も両国5連戦だね。
97年から3連戦と縮小された。
93年の7連戦は、G1だけではなく、最終戦の天龍対橋本戦、
新日正規軍、反選手会同盟、WARの3軍対抗戦
(小原が正規軍から反選手会同盟へ寝返り)、
ストップ・ザ。ヘルレイダース、タイガーマスク7番勝負
(途中で負傷、大谷が代打)とか色々と企画があったが、
そのせいでG1の陰が薄くなった。 週プロはそこも批判してたな
批判したからG1スペシャル神カードだったし翌年はリーグ戦になったんだろうが 叩かれた反動からかG1スペシャルはムタVS橋本、ホーガンVS武藤、ヘルレイザーズVSムタホーガン、藤波VS天龍、馳VS天龍と豪華だったな。 愛知県体育館や宮城県スポーツセンターや大阪城がノーTV せめて初日は前夜祭、最終日は追撃戦とするべきだったな。
さらに初日は値段を半額にすべきだった。 この頃はG1よりもG1スペシャルの方が華やかで豪華だったな
93年の大阪城ホールはノートン・ヘルナンデス対ジェイクロバーツ・ビーフケーキ
96年の横浜アリーナはスティング・レックスルガー対スティーブンリーガル・アーンアンダーソンとかアンダーカードて実現していた G1両国7連戦、全部観に行ったよ。墨田区在住だから自転車で国技館に行けるのが自慢。夏休みだったから一緒に観戦した地元の友人の家に泊まって、また観戦して。興行よりお泊まり会した想い出の方が強いw
タイガーマスク7番勝負が怪我で大谷に代わって、最終日タズに勝ってた記憶。 まさか橋本が天龍に連敗するとはさすがに思わなかった 両国7連戦は3軍対抗戦も地味に連日やってたんだよな ヘルレイザーズ、ジュラシックパワーズ、キングハク・コンガザバーバリアン、ナスティボーイズが入れ替わり対戦 両国7連戦大丈夫なの?
そうフロント社員に訪ねると、大丈夫
始まればファンが毎日来てくれるから
と答えたが結果は失敗だったようだ
こんな感じの文をターザンが書いてたな 当時はファン層のほとんどが学生か若いリーマンだから
7日分はきっついな
いっそ毎年定着すりゃフジロックみたいにそのために金貯めるとかあったかもだけど 当時、バイトできなくて金無くて全部は行けなかった
両国5連戦だが1996年は全部行けた
行けたがこの年のG1はかなり微妙だった
1997年は更に酷かったが 本当にG1は第1回フォーマットで継続してほしかったわ
出場自体が難関という 今第1回フォーマット開催だとすると
オカダ、SANADA、内藤、イービル、鷹木、ジェイ、ザック、オスプレイの8人か?
今年のG1無駄な選手多かったなと思うのと、第1回に比べるとかなり落ちるな。 小原やヒロ斎藤でさえ出場した事があるくらいだからね >>615
基地外ガラケースマホにしてもバレバレやぞアホがw 国技館3連戦5連戦7連戦に関しては元子に「うちは一回の武道館でヒィヒィいってる
のにどういうつもりなの?」と血が混じった悔し涙流させただけでも大成功 >>632
誰かと人違いしているようだが
汚らわしいから、俺にアンカーを
付けるなよ! 93年のSGタッグは長めのシリーズだったのにいきなり決勝戦だけテレビ中継されてたね
確か闘魂Vスペシャルにも試合が入ってなかった気がする >>633
全日も東京だけは強かったからできそうに思ってた。
まあ全日にはG1スペシャルのようなスケジュールは無理だけど。 四天王全盛時代の全日なら武道館三連戦とかなら出来たと思うが、新日に比べてコマが少ないから三日分の連続したカード組むの大変そう
外敵とか使わないし 87年に両国2連戦が開催された時に、
定期的に開催出来れば地方巡業不要になるとか週プロか週ゴンに書かれてた。
全日関係者も脅威に感じてると。 新日は武藤、健介凱旋のNKホールから選手層が分厚くなったので大会場でも主力が休めるようになったね
91年の武道館で武藤、蝶野、馳が海外遠征で欠場とかしてても超満員の客入りだった >>640
構ってほしくて変な改行と句読点にしてたのか
とっとと老人ホーム逝けよ爺 俺は、あのキチガイ(スプッッ Sd69-cJY3)が
言っているガラゲー男ではない
そいつと何があったのか、知らんが
やはりトラブルを起こし、
俺だと勘違いしてしつこく絡む
全く頭がオカシイ
こういう奴が犯罪を犯すんだろうな
社会のクズだよ 93年のG1スペシャルは横浜しか放送されなかったが11月の新潟での橋本、蝶野対木村、後藤や藤波対小原のめちゃくちゃな試合は放送されてた あの頃って10月11月はほとんど放送されなかったよね >>646
なんやお前ガラケーも知らんのかよ
プ板で昔からおるガイジやぞ
お前と句読点改行そっくりな基地外やったぞ
つまりお前の書く文章もガイジって事や >>648
この時代派年の半分近くはゴルフ中継だったのが悔やまれる。
プロレスファン側からすればね。
いい時代だったから。
外国人も充実してたし。 G1スペシャルやSGタッグリーグって闘魂Vで観るものみたいになってたよね。 武藤vs馳はビデオで見て凄くいい試合で驚いた
その数年後に全日で酷い試合やることになるのだが 全日は横アリ、NKホール、幕張メッセといった新しい会場には進出しなかったな。 NKホールでやったとしてもどうせ
三沢、小橋、菊地vs川田、田上、渕
秋山vsウイリアムス
ハンセン、大森vsカンナム
こんなところだろ >>651
そうだよね。
それで稼いでいたみたいだし。
でもそれよりも普通に放送して欲しかった。 闘魂Vたくさん持ってたのに10年前引っ越しのときに捨ててしまった
もったいないことした >>656
90年の愛知県体育館がこんなカードだったね
特別感な試合が小橋対ゴーディのみみたいな 全日は小山ゆうえんち
SWSはビーコンプラザのイメージがつよい >>655
全日がそれらの会場でやらなかったから、横浜アリーナのメモリアル力道山で百田vs雅央が行われたときは
何か新鮮に映った。 >>661
懐かしいなwメモリアル力道山。
けっこう各団体から主力級の選手が出てて、全日にも夢の架け橋の時みたいに四天王クラスが出るかと期待したら、百田と井上でがっかりした記憶。
力道山繋がりだから百田だろって言う大義名分で主力は出さないって言う、なんか全日側のいやらしさを感じた。
なんか2回目のは参加してないし。 >>658
それは勿体無い、
宝の持ち腐れ、というか宝を捨ててるのと同じ。
闘魂Vの90年代前半は本当にいいカードが沢山あつまたし。
80年代にも引けを取らない程の豪華メンバーが集結。
それに伴っていいカードや凄いカードが続出。 >>662
長州が「なんでメモリアル力道山は百田VS井上なんだ?」と愚痴ってた
長州が愚痴ってて試合後に待ってましたとばかりにインディー団体批判をして
根回しをしたのが猪木と近い岩沢敏雄って時点でどう見ても主催は新日だからね 闘魂Vは発売元が倒産して、新日に譲渡されるはずのマスターテープが全て紛失されたって何かで読んだ。 >>665
ガセ
実際ムタ、武藤絡みや喧嘩マッチ烈伝なんかでDVD化されている 闘魂Vは選手がゲスト解説するからこそ価値があったのに
末期の頃は週プロの佐藤ばっかりになって買ってガッカリしたな 【DRAGON EXPO 1971】
明日11月9日14時~記者会見にて12.1代々木大会全対戦カードを遂に発表!ドラディション公式YouTube『DRADITION TV』にて生配信!藤波辰爾の想いを込めた豪華対戦カードをぜひご期待ください❗
https://twitter.com/DraditionDragon/status/1589879881403621376?t=q5RXEuoXt5zNFISHVKdcgQ&s=19
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 闘魂Vスペシャルの11巻と12巻を当時六本木にあった闘魂ショップで定価で買ったのを思い出すな 小鉄が試合をソフト化して売るのはけっこう上手くいったと書いていた
プロレスの強みは昔の試合を集めてソフト化するとけっこう売れるんだよね
初代タイガーマスクの映像を初めてビデオ化した時は吃驚するほどヒットしたって話 >>673
荒鷲ショップ
飛龍ショップ
稲妻ショップ 武藤あたりも闘魂vの売り上げが絶好調でボーナスだいぶもらったと言ってたな >>675
レンタルなしの代わりに、本来まともだと1万オーバーだったVHS作品が3800円、しかも速報性もそこそこあり
財布の緩さじゃないけど当時CDでも簡単に百万枚の時代だったっていうのもあるかも まあ、闘魂Vの現物欲しいならヤフオク、メルカリあたりにわんさかあるし、闘道館行けばほぼ全巻揃うでしょ
3.4のSGタッグのやつよく観てたわ 集英社の燃えろ!新日本プロレスはありがたかったな
全巻買えば良かったと今更ながら後悔している 小学館の馬場の名勝負dvd分冊百科はなかったことになってる >>679
あれはどこに需要があったかわからん。
ビデオも鶴田、三沢はベストバウトシリーズ5巻発売されたのに、馬場は1巻で打ち切り。
書泉やリングサイドに発売予定のポスター見たら確かに打ち切りになってもおかしくないラインナップだった。 全日系は昔から映像展開はダメだったな。企画する部署が無いのだろうか。
新日が出してた外人選手のDVDボックスを全日も出して欲しかったよ。 サイバーが日テレからNOAHの映像全部買ってNOAHの過去の試合見れるようにして欲しい ノートンのコスチュームって赤、黒以外であったっけ?黄色もあった記憶 ダブルショルダーより、ショートスパッツのほうが似合いそうな体型だな
本人も試合途中に外してたし ダブルショルダーを外すのは本気になったの表す様式美だと思ってた 初来日のシリーズ途中で、スコット"フラッシュ"ノートンと呼べとリングアナに要求したとゴングに書いてあった。 ジャイアント・バーナードとのシングルマッチで衰え隠せなかったノートンが
なんか悲しかったな >>689
肩ひも外してフィニッシュ技を出す
→決まらず
→気まずそうにひもを戻す
ウイルキンスJr.のお約束 橋本は言うまでもないが余程波長が合ったのかノートンと武藤のシングル戦が割りと多かった気がする
武藤vsホームは一度もなかったな でも、武藤は特に95年IWGP王者になる前は
ノートンに全く歯が立たなかった印象がある 武藤の腕攻めで後日ノートンの腕が変色してたんだけどファンデーション塗ってたのかな? >>694
武藤だとノートンに歯が立たないのにムタになると翻弄してたのがおもしろかった ノートンに負けて欠場して、新潟の満光寺で座禅や写経してたな。
座禅中に寺の名前思い出して笑っちゃったとか。 ホームvs青柳
武藤vsノートン
藤波、長州vs馳、佐々木
ライガーvs保永
全て盛り上がった試合だったな >>694
橋本vsノートン、武藤vsノートンに比べて蝶野vsノートン少なかったと思う 蝶野のIWGP初防衛戦がノートンだったんだけど、そこに至るストーリーもなく突然のマッチメイクなうえ、当時nwoの同門対決で、戦う意味がわからなかった。どういうつもりでカード組んだんだろう。なんかブック転がす予定だったんかな。
結局、蝶野の欠場で試合は流れたが。 >>702
何かしらのアングルはあったと思う。
でも蝶野の欠場→返上でそれも消えてしまった。
その試合がきっかけでNWO解体とかあったのかも。 スレタイ4人でプロレス前に輝かしい実績あったのってノートンだけだな。
アームレスリング左右世界一という。 ベイダーもアメフト時代にスーパーボウル出てたような >>707
21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 07:01:29 ID:zW8OCD7W
1960年以後のNFL出場全選手のリストが載っている「The Sports Encyclopedia: Pro Football 14th Edition」
という分厚い本に、にオクラホマ大出身のワフー・マクダニエルの名が載っていました。
1960 ヒューストン・オイラーズ, OG, AFL東部優勝/4 (10-4) ※AFL優勝
1961 デンバー・ブロンコズ, LB, AFL西部3位/4 (3-11)
1962 デンバー・ブロンコズ, LB, AFL西部2位/4 (7-7)
1963 デンバー・ブロンコズ, LB, AFL西部4位/4 (2-11-1)
1964 ニューヨーク・ジェッツ, LB, AFL東部3位/4 (5-8-1)
1965 ニューヨーク・ジェッツ, LB, AFL東部2位/4 (5-8-1) ※ネイマス入団
1966 マイアミ・ドルフィンズ, LB, AFL東部4位/4 (3-11)
1967 マイアミ・ドルフィンズ, LB, AFL東部3位/5 (4-10) ※グリーシー入団
1968 マイアミ・ドルフィンズ, LB, AFL東部3位/5 (5-8-1) ※ゾンカ入団
ただ、これで調べても「Frank Goodish」「Stan Hansen」「Leon White」の名前は見当たらない。 〉He would play two seasons with the club and was a member of
〉the 1980 NFC championship team that lost to Pittsburgh, 31-19,
〉in Super Bowl XIV. Knee injuries ended his professional career
〉early and he then turned to wrestling.
少なくともスーパーボウルには出ていない。
漠然とした書き方だけど、おそらくNFLの公式戦には
全く出場していないんじゃないかな。 >>698
全然無心じゃねえw
せめて光満寺とかなかったのかよ >>798
1960年以降なら、レオ・ノメリーニも載ってるんじゃないかな?
あとアーニーラッドも、と思ったら彼は、もうひとつの
AFL所属だったんだね。でもそこでも、結構スターだったらしいが 世界に届かなかった人間がプロレスの世界に。
そんな感じだね。 アンドレなんか、他のスポーツやればもっと評価されるのに怪物扱いで終わるプロレスしてて勿体無いと猪木が話してた。 でも、アンドレが別のスポーツをやるとした何かな?
バスケは、アンドレくらいの身長の選手は
そうは珍しくもないだろ?
アメフト?野球はデカイことは、そう有利とも思えんしな
結局、プロレスで正解だったのでは? そもそも、あの巨体じゃ機敏さに欠けると思うしな。
となると相撲かと思ったが、相撲も瞬間の競技だしなあ。 ハンドボールのキーパーとかどう?
アンドレの身体でゴールが隠れそう あの体格であの運動神経、頭も悪くない
どの競技でも成功して評価されるはず
プロレス内での立場に甘んじてるアンドレは向上心が足りないんじゃないかなと
村松友視との対談で話してた
サッカーとかボクシングを例に出してた記憶がある >>711
ビル・ゴールドバーグでさえ
NFL引退からプロレス転向したみたいだけど鳴り物入りというほどの成績
は残していないようだね
どんだけ怪物揃いなんだアメフト
という世界は… アンドレだって、少年時代、サッカー、ボクシングに打ち込んだと
しかし、その道に進まなかった、というのは才能がなかったんだろ
実績を残していたら、どこからかプロ入りの声は掛かる
結局、声が掛かったのはプロレスというだけ >>717
相撲やっても多賀竜にぶん投げられて終わりだよ 猪木や村松の「アンドレは他の競技をやっても成功した」
と言う発言は、他の競技を舐めている、あるいは
プロレスを卑下しているという感じだ。 刃牙の作者の板垣がリン魂出たときに「本当に強いならボクシング進んだはず」的な発言してたな
良くカットされなかったな ボクシングはともかくサッカーではアンドレの体格を活かせる面が
ほとんどないな。
DFやGKは体格が必要といってもあそこまでの体格は必要ない。
俊敏性に欠けるデメリットの方が大きい。
プロの発達している他競技でアンドレが成功する可能性が少しでもあるのは
バスケ、アメフト、ボクシング、相撲等じゃないかな。 そもそもゴーバーをアスリートとして過大評価し過ぎ
ありゃエンターテイナーだ 1970年、ガニアが日本の国際プロレスで
アンドレ(当時はモンスターロシモフ)を見出し
アメリカに連れて行ったが、当初はボクシングを
やらせようとしたという話を聞いたが?
まぁ、本当だとしてもモノにならなかったんだな。 >>601
>>602
ターザンが第2回G1をこきおろしてたのは事実だが、「冷夏のG1」は紙プロじゃなかったっけ? >>725
そもそも猪木自体プロレスラーであることにコンプレックス持ってたからな。 第2回に関して山口昇とターザンで評価分かれた記憶ある
ルードで楽しんだのが山口でふざけんなってなったのがターザンだっけ? ターザンは第3回のG1のトーナメン形式を批判した上、馳を優勝させなかったのが失敗みたいな、当時だとブックに踏み込んじゃっていいの?みたいなこと書いてたな。 ターザンはG1開催中に新日(ゴマシオ?)に馳優勝ってねじ込んだらしいね
その自分の主張を汲んでもらえなかったことが常軌を逸した過剰な批判につながったのかね 1回目はパワーボム2回目はダイビングショルダー3回目はサソリ固めと
初期G1決勝は奇をてらったフィニッシュの不思議 >>736
そうそう、なんか自分の意図通りにならなかったみたいな論調のこと書いてた記憶ある。 >>737
一応、3回目は藤波が長州ーって叫びながらのサソリで、当時
G1欠場して低迷してた長州への応援みたいなストーリー作ってたけど、仰る通り、1回目と2回目の蝶野のフィニッシュホールドは意外だったね。 >>736
92年最強タッグ最終戦も批判してたな
時間切れ引き分けのハンセン組vsゴディ組を延長戦やって勝負をつけるべきだった
馬場さんはファンに嘘をついたことになる、とか無茶苦茶すぎるだろと当時思ったが
自分の意見が却下された腹いせだったとは 第1回のG1が何故圧倒的に評判良かったのか会社は分かってなかったかな
あの翌年に第2回みたいな事してるから自分も怒って週プロに初めて投稿したわ
ボツになったけどw >>735
ターザンは「橋本が一回戦で負けた時点でG1は終わった。」だよ。
馳に関しては「馳だけが光ったG1」 >>730
>「冷夏のG1」は紙プロじゃなかったっけ?
いや、週プロで間違いない。
1993年8月24日号の巻頭記事の見出しに「冷夏の新日本プロレス」
「今年のG1クライマックスは日本列島をおおった冷夏と同じく
盛り上がりに欠けた」とある。
また、ターザン著の「金権編集長ザンゲ録」にも
「冷夏のG1クライマックス」と書いたところ、新日幹部に火を
つけてしまったとある(P140) >>733
>>743
第3回だったな。アー、ポカした。
冷夏のG1については完全に記憶違いだった。正直、スマン。 93年は当時高校生だったが友人が初日と最終日だけ行ってた
G1見たくて行ったのに公式戦一試合も見れなくてキレてた >>743
当時の紙プロは椎名誠の本の雑誌を安っぽくしたようなミニコミだったから正直影響力はなかったよね
影響力つけたのは95年に柳沢と組んでお笑いやらローカル雑誌評なんかをやめてプロレスに的を絞ってから ノアは旗揚げ直後は紙プロの取材を受けてたけど、高橋本が紙プロで特集されるとウチのファンに読まれたら困ると取材拒否した。 初期の紙プロは面白かったけど、ネットが発達したら「ネット野郎」とか言い出したからなあ >>746
その椎名誠のインタビューなんかも載ったりしてた
唯一覚えてるのがユニバのルチャを「高級スポーツショー」と評していた箇所
駆け出しの頃メヒコで見たのに比べると猥雑さが足りないという意味合い 猪木ブロディの八百長を告発したエスエル出版の本思い出した。
書店で見た時、子供心にこれは危険な本だというのが伝わってきた。 高校生くらいで実話ナックル立読みしちゃった時の感覚だなw G1で馳が橋本に勝って観客大歓声
ターザン「この人達はプロレスを点でしか見てないんだな。私はプロレスを線で見てる」
さも自分がプロレスの見方を解ってる様な事書いてたな。
観客は馳が勝ったその一瞬を喜んで楽しんでただけだわ。 94年12月の馳VS橋本は両者にとってもベストバウトに近い内容だった。 ムタも蝶野のヒール転向も相手が馳だったからいい試合にできた 馳って三銃士あたりには金星あったけど、スレタイの外人たちに勝ったことあったっけ?
健介なんかはヘルレイザーのプッシュのどさくさに紛れて、ノートンあたりフォールしてたような。 >>751
当時バリバリの新左翼出版社だっただけにアングラ感極まった装丁や平口広美のイラスト、何より板坂剛の異様な情念ムキ出しの文体とすべてが危険だからな >>757
馳が勝った大物外国人はリックルードぐらいしか思い浮かばないかも
スタイナーからはフォール取ってたかな >>757
タッグならビガロにジャーマンで勝ったことある 馳は「自分は吉村道明で良いんだ」と言っていたからな
その反面リングの外では出世頭 思えば、ベイダーと馳は同じ日に
日本デビューしたんだな(87年12月27日両国)
勝利を飾ったのに凄いブーイングが起こった 武藤 蝶野vs越中 馳って試合をテレビで見たな。馳がまだ黒タイツで、疑惑の3カウントみたいなのもあって面白かった。
あと2コールドスコーピオが新日の青と白のジャージ着てセコンド業務やっていて、真面目な黒人が新日に入ったんだなーなんて思ってた。 そういえば、スコーピオって誰かとガチなケンカしてなかったっけ?
なんかの本でチラッと見た記憶あるんだけど、忘れちゃった。 しかも平壌、金日成像の真ん前で喧嘩おっぱじめたってすごいよな
下手すりゃ収容所送りだろ >>768
場所柄すこしは気んにっせいなんてなッ! とアントンが回収 >>765
>武藤 蝶野vs越中 馳
それ、90年4月武藤が凱旋帰国して蝶野と組んで
NKホールでIWGPタッグを取った後5月4日、
後楽園で組まれたカードだが武藤は膝がボロボロで
リングアウト、確か蝶野がリングインするのを止めた
武藤は、翌日、翌々日の後楽園を休場
で、調子に乗った越中 馳が5月28日、IWGPタッグを掛けて
大阪で再戦したが、返り討ち
その後、越中 馳ってなかったと思うよ
馳は健介から武藤をパートナーにしたから >>768
金日成の銅像前で殴り合いのケンカって洒落にならんわ。
本当に関係者全員が収容所に”逝く“羽目になる。
もしもそうなれば別の意味で大ニュースで歴史に残った。
よく何事もなく無事に済んだと思うよね。 スコーピオだけでなく別の時にホークはエディにも喧嘩仕掛けられたと服部が言ってた
二人ともちっこいのにっよくやるよね、というかホークが舐められてたのか レイシストで黒人やヒスパニックへの偏見が凄いんじゃ? >>711
ホークってバンプ取らないからな
自分の好きなことやって
負けるときもササッと負ける
プロレススタイル的にも好かれるタイプではないのかも >>772
スコーピオのときはフレアー絡みでホークは悪くないんだよな サベージが入場曲鳴っても出てこなかったときもホークと大乱闘してたよね いま思えば 中学の朝清掃の時間に流されてた威風堂々 北朝鮮のホテルでノートンとホークが北朝鮮のポリス達と乱闘になりそうにもなったってね。
ノートンの電話が盗聴されてその内容が北朝鮮をボロクソだった。
それを聞いた北朝鮮のホテルがポリスにそれを報告。
ノートンとホークはポリス達に囲まれて一旦は連れて行かれたとか。
素手ならこの二人なら楽勝でも拳銃あるから簡単にはいかない。
フレアーも韓国ではなく北朝鮮というのは飛行機の中で知ったとか。
それを知ってフレアーは顔が青ざめたらしい。
色んなエピソードがあるね。 ホーガンは北朝鮮の件を断ったみたいだもんね、アリが行くから米国のレスラーも
行ったとか何かに書いてたな。後に妻や子どもを殺したベノワがスコーピオがホークを
殺そうとするのを止めたとか色々あって今となってはおもろい興行だったな。
https://m.youtube.com/watch?v=4qElQOpA0L0 >フレアーも韓国ではなく北朝鮮というのは飛行機の中で知ったとか
行先は「KOREA]とだけ聞いたのかな? >>781
みたいだね。
普通に韓国と思っていたらしい。
飛行機の中で北朝鮮と聞いて青ざめたとか。
もし最初から北朝鮮とわかっていたら断っていたみたい。
北朝鮮はヤバイ国という認識だったから。
北朝鮮と言われたのをフレアーが勝手に韓国と勘違いした可能性もある。
金日成ご死去して1年で北朝鮮も暴動の噂があったらしい。
そういう事に巻き込まれたら厄介。
フレアーとしては色々と北朝鮮を悪い面で認識していたのだろう。
幾ら猪木の頼みでも北朝鮮なら断ってたとかね。
フレアーからしたらそれだけ北朝鮮にさ脅威や恐怖を感じていたんだろうな。
ちなみにこの大会では長州、木村、星野、小林、金本、天山、高岩と在日軍団は一切参加してない。
やっぱり国際的な問題から参加しなかった(できなかった)のかも。
前田も含めてみんな南側の韓国の国籍らしいし。 >>783
>ノートン:私たちはそこに座って飛行機を待っていました、
>そしてあなたはこの大きな騒ぎを聞きます、そしてそれは彼の側近と一緒にアリです。
>彼は私たちを指さしています。彼は言い続けました、
>「私はあなたが欲しいです!君が欲しい!」
ノートンのビッグボディをそこまで欲しがるとか怪しいですねぇ...
っつうか、翻訳が所々おかしいいけど、なかなか面白い話だね。 >>779
ノートンが奥さんにホテルから国際電話で「この国は本当にどこもかしこもfuc..」と
4文字Fワード言いかけたとこでブチっと通話が切られたと言ってたな
会話は全部聴かれてるんだよな、当然ホテルの部屋も盗撮されてる >>782
小林って、小林邦明?
彼も在日なの?まぁアメリカ遠征時に
韓国キャラで戦っていたのは知っているが
北朝鮮大会に参加しなかったのは
ただ単にその時点では、もう主力でも
なかったからではないかな?
確かに、南(韓国籍)の在日選手は
行けなかっただろう。
逆を言って、北朝鮮に行けた蝶野、大谷
そして北斗晶も在日の噂があったが
彼らは日本人ということだな >>786
自己レス
「小林邦明がアメリカ遠征時に韓国キャラ」
↑これも、記憶が定かではない
多分、健吾あたりとゴッチャになってる なんで武藤蝶野から武藤馳に切り替えたんかな。
その頃から蝶野ヒール化案があったとか。
正直武藤馳組は好きじゃなかったな。 健介の怪我があったとはいえ、武藤&蝶野、馳&健介をもう少し続けて欲しかった
ヘルレイザースやったから健介の塩分加速したと思ってる うん、小林邦昭だったね。それは訂正する
で、小林邦昭は1995年5月の北朝鮮大会の時は
平成維震軍所属だった。
だから北朝鮮には行かなかった
国籍とは関係なく、それだけのことではないかな? 悪役日本人は入国許可下りなそう
80年代末の台湾遠征でヒロ斎藤は金髪だから事前申請ではねられたと聞いた
台湾でそんな感じだったから北に忖度して予め外したのかもね >>785
こちらの動画ですね。
アリは勇敢です。
https://youtu.be/aJrHf38tZtc
アリは翌年のアトランタ五輪の時は既にパーキンソン病になってたはず。
この年はギリギリ大丈夫だったのかな? >>790
マンネリになるから蝶野と武藤を離したみたい。
その直後にたまたまのタイミングで蝶野が黒のヒールに。
長谷部は当時の武藤には最も適していたのだろう。
橋本と組ませるわけにもいかないし。 >>791
小林も長州同様で在日というだけで。
それを知った時もピンとこなかったと小林も語っていたね。 蝶野と橋本が、それぞれ固定パートナーがいない時によく組んでたけど、大物のかませばっかやらされてて酷かったな。
猪木&坂口をはじめ、スタイナーズ、ヘルレイザーズを引き立て、終いにはライガー&ペガサスのJr.コンビの対ヘビー級の金星相手にされる始末。 >>788
たしかに。 ムトハセはなんかつまらなかった
それならムトハシフの方がアンバランスで刺激的だった ムトちゃん正洋ちゃんは安定
正洋ちゃんブッチャーちゃんは退屈すぎる
ムトハシフは刺激的で最強
ヘルレイ対ムトハシフは夜中に1人で大興奮だった記憶がある
当時はまだ高二だし、台本ナシケツ決めナシだと思ってたから最後までドキドキだったわ >>799
この二人はカードが余ったときに組まされて唐突に強タッグチームと当てられてた印象ある 橋本、蝶野はベイダー、ビガロ組やスタイナー兄弟のタイトルに挑戦して当たり前のように負けてたイメージ >>803
89年末の橋本と蝶野は敵対してた
90年のドーム大会で猪木坂口組と戦うために手を組んだみたいな感じだったはず 橋本蝶野は後楽園でちょっとしたアレも起きたしな
どこまでのアングルだったのか知らないけど 最初はドームでは橋本×蝶野のシングルが発表されていた。
でも流れで2人が組んで猪木、坂口と対戦する事になった。
橋本と蝶野はこの時点では抗争していたし。
蝶野凱旋試合から一気に橋本との抗争へと。
大阪かどこかでお互いにリングで張り手を食らわし合ってから握手という場面は作った。
猪木、坂口には負けずに一気に俺たちの時代にするとか。
雑誌や東スポでもこの試合は散々煽って書いていた。
久々の猪木の試合や引退が決定していた坂口との最後の黄金タッグとかね。
これ以降は橋本と蝶野の抗争は完全に消えてしまった。
春には武藤が凱旋したから武藤を加えての三銃士ストーリーのスタートへと。 蝶野vs橋本で蝶野が執拗に橋本を足を攻めて勝った試合があった
試合後、なぜか橋本が怒り、脚を痛めたはずなのに全速力で走って蝶野と場外乱闘した
橋本は興奮が収まらず「真面目に試合をやれ!」って叫んでた 少し前にSANADAとイービルがたまに組んでたけど蝶野・橋本組感有った
組んだ時の物足りなさとかあぶれた時な組まされるところとか ドームで全く猪木の攻撃を受けず一方的に蹴りまくった橋本
今改めて見ても気分良くないな 武藤蝶野vs馳健はもっと見てみたかったよね
新日本プロレスの日本人同士のタッグマッチで一番完成度高かったかもしれない 日曜に「大洗あんこう祭り」行ってきたんだけど
蝶野とあと市長だか誰だかの2人とのトークショー
「爆勝宣言」「Hold out」でその2人が順番に出てきて
最後に蝶野が出て第一声が「つまりわれわれが闘魂三銃士ってことですか!?」
「Hold out」もってきたのは素晴らしいんだがなあ だったら「Fantastic city」にしてほしかった >>811
緊張感があっていいじゃん
あんなのが新日本プロレスだよ 特攻隊長のハシフを両サイドからお兄ちゃんの敬司と正洋ちゃんが「まぁ待て」と軽く片手で止める絵だけで興奮する。
闘魂三銃士が偉大すぎたせいでプロレスは完全終了した。
第三世代が1番苦労しただろうし1番頑張ったんじゃないかな >>813
もう一度チャンスをやるから分かりやすく書き直せ 小学生の頃はなんでフレアーみたいな爺さんに武藤が負けるんだと思ってた
今の武藤は当時のフレアーより年上なんだな >>760
ビガロにジャーマンで勝ったのって武藤じゃなかったか? 平成4年辺りの試合だろ? ベイダー・ビガロ組って活動期間が短かったとは言え、もしかしてスタイナーズ以外には負けたこと無いんじゃないか? >>821
92年福井市体育館
馳、○飯塚(横入り式エビ固め)ベイダー、ビガロ●
週プロが取材に行かなかったことを後悔してた 武藤蝶野が組んでたときは、入場曲はHold out。武藤が格上扱い。蝶野が実力No.1キャラになって組ませづらくなったのではないかな。でパートナー不在で格的に丁度いい馳とのタッグ、と勝手に推測 >>821
90年5月の津
マサ、北尾組に負けてる 武藤ファンてわけじゃないが Hold out はすごく好きだったので変わってしまって残念だった
余計なことしやがったバチかなアレは >>833
一番ムトウコールしやすいのは
ホールドアウトだよね
引退試合もホールドアウトの
全盛期の使用音源で入場してきてほしい
けど
実際は歴代テーマ曲の編集バージョン的なものを使うのかな トライアンフは高田戦の入場でホールドアウトに匹敵するくらいグレードが上がった印象。ムタ用の協奏曲もカッコいい。 トランスマジックで全てが完成された帝王感
その次の小橋に憧れて作った小橋のパクリ歌はかなりキツかった 天才「小橋の曲とあの雰囲気に多分信者はのめり込むんだよな!」
イヤな予感がしてたんだけど案の定やってしまったんだろう スキンヘッドのタイミングもありアウトブレイクがかなりの良曲だったのに、トランスマジックに変えてしまったときのガッカリ感 >>840
全日に移籍したタイミングで替えたよね
ウッドベルに使用料払うのが煩わしいから曲替えちゃえ、って感じだったのかな
でも小島やカシンはそのままだったか テーマ曲で言うと、ベイダー、ビガロ、ノートンは名曲だがホームの曲は... 有名なビガロの曲は未だに制作者不明の謎の曲だという。 >>843
ビガロの持ち込みで、ビガロ本人が歌ってるっていう説もある
89年に猪木が地方での試合中に「バン!バン!ビッガッロー!」って叫んで茶化したこともある
ソースは当時の東スポ >>843
ビガロの友人が作った曲だとか。
友人はバンドマンでビガロの入場曲を作った。 >>844
男闘呼組のライブに行ったときビガロのテーマ曲歌ってた あれ?ビガロ、87年頃?初来日の頃もあの曲だったっけ?
ジョーズのテーマだったことない?勝手な記憶違いかも。 >>849
初来日の頃はジョーズのテーマだった。
いつ変わったかわからんけど、90年には
「バ~ン、バ~ン、ビガロ」になってた。 >>850
少なくとも88年のベイダーとの初対決時には歌付きになってた
変わったのはジョーズ→WWF入りで来日途絶える→退団してまた来日、のタイミングだと思うけど具体的な時期は知らない ベイダーの曲は入場はイントロの繰り返しだったけど勝利の時はボーカルに入ってたね。北尾に勝って観客と一緒に盛り上がったシーンは平成新日本の名場面。 >>837
hold outがあまりにもハマってたからトライアンフは最初は評判良くなかったんだよね。あの高田戦でドームに響き渡ってからハマった印象。 TVチャンピオンの大食いであの曲が流れると「マサさんキター」のレスが飛び交う ベバリーブラザーズとかいうゲイのタッグチームやってたな、イーノス >>852
ドームでのハンセン戦で完全に大人気を格好たるものにしたベイダー。
その直後の北尾戦だからベイダーへの大声援の嵐。 >>861
EYE OF THE WORLDは元々rainbowの名曲だからね。
TPGっていう大失敗企画でこの曲をチョイスして効果音まで入れたのは後々のビッグバンベイダーにかなりのプラスだった。選曲と編曲はワープロスタッフなのかな? >>853
武藤が健介を裏切った瞬間の
トライアンフも妙にハマってたw
ムタから武藤ってあの時は衝撃だけど
いま思えば健介が何気に可哀想 この時期(97年秋頃)に武藤は黒のショートタイツにした事もあった。
結局は蝶野に合わせてか?黒のロングタイツにしたけど。
NWO入りと同時に赤には別れを告げた。
武藤は大型だし黒のショートタイツも似合ってた。 一瞬使っただけなのに、延々ネタにされる蝶野の魚屋風ロングタイツ。
レアなのはウォリアーズ戦の赤ロングタイツと海外でのレガース姿かな。 アイロンマンって書いてある白黒チェックのスパッツは懐かしさがある。 元旦ドームかなんかの橋本戦で一回だけ使ったゴールドプレミアム仕様はかなりオシャレだった パワーウォリアーの存在はあまりにも恥ずかしい。
YouTubeで世界に知られるのがつらい >>866
アイロンマンてまさか本気で言ってないよな? ムタTNT対ハセケンのタッグでしか観たことないんだけどTNTってどんなレスラーだったの? >>871
最初に最強タッグでブッチャーのパートナーとして初来日。
そこから新日に初来日。
全日時代は小さく見えたが、新日ではそこそこのサイズに見えた。
日本では中堅、トップのパートナーという位置付けだったね。 TNTに毒霧・ヌンチャク仕込んでカブキやらせた方がよりウケたと思う 新日で割りといい扱いだったのに、WINGに移籍したのはインパクトあったな。 >>874
その後すぐにしれっと戻ってきたのが凄い
そんなに評価されてたんかな 僻むというより、ブッチャーの全日復帰の立役者だね。
TNTがそこそこやれたから試合が盛り上がった。
ブッチャーの大暴れも楽しかったな 猪木-ムタ戦辺りから熱を入れて見始めたライトユーザーだけど、
TNTなるレスラーを知らないから調べてみたんだけど、
過去にこんなペイントレスラーが存在していたんだな。
しかもテコンドーを取り入れていたとか、なかなか面白そうなレスラーだ。 >>205
今更スレ発見して見返してたから古い書込みにレスしてスマンが
良い写真だなぁ。開く前はトニーホームが映ってるのかと思ってたが 白蝶野のスパッツに書いてある「SHIMA」の意味がずっとわからなかったな当時
メーカー名入りのコスって日本では蝶野が最初?
鶴田のニーパッドなんかにも小さく何か書いてあったけど 武道館の隣席にフラッと春一番が1人で現れたことがあった。その日の大会のカードとか何も覚えてないから、良くも悪くもない興行だったのだろう。
その少し前の武道館のメインの長州vs健介は、健介がグダグダすぎて怒りとともによく覚えているから。
春一番はずっと静かに観戦してたけど、あの時話しかけていればと少し後悔している。 提携してた団体の選手がたまに来日してたが
滅茶苦茶しょっぱかったよね。
ムッシュ・ランボーだっけ? >>882
会場では飲んでなかった?
ともあれ 猪木調で会話したりしてくれたのかな リチャード・バーンと異種格闘技戦をやったころに練習したのか知らんが、
この頃の藤波のパンチの速さに驚く >>887
長期欠場中にジュニアヘビー時代の頃まで体重絞って、ガッツ石松のところで集中的にボクシング特訓やってたんだよ
その後のキャリアには全く無意味な経験だったけど >>888
なるほど、詳しくありがとう。
プロレスじゃなくボクシングの道に進んでたらミドル級周辺で世界取ってたかもね。
やっぱり運動神経いいんだな。 藤波は黄金の中量級のレナード、ハーンズ、ハグラー、デュラン等と同世代。
とても彼等と争えるとは思えないな(デュランはライト級でガッツ石松に
KO勝ち)。
そもそも藤波は足は短くないけど腕が短い。ボクシングには向かない体型。
腕が短いからコブラツイストかけている姿が窮屈に見えた。 大胸筋がボクサーとしては大き過ぎるんじゃないの
ベイダーも元ボクシングだよね 日プロに格闘技経験無しで入ったけど、普通に格闘技やってたとしたらどうなってたのかは気になる レスラーを見慣れている人には打撃格闘家は華奢に見える。
アーツとかホーストとかシュルトとかバダハリとかレミーとか。
タイソンは一流のボクサーの中ではかなりゴツい部類だけど
WWEに上がった時ストンコ等と比べてスリムに見えた。 >>894
92年2月頃、試合内容が消極的になり、自分を見つめ直すとかで長期欠場へ
↓
92年5月WCW参戦、久々に飯塚と組んでスタイナーズと対戦するも、しっくり来ず
↓
そのまま自分を見つめ直す為に、地下プロレスやキラー・コワルスキーの道場等、米国を放浪する(なぜかテレ朝番組スタッフ帯同)
↓
92年6月から1ヶ月ほどガッツ石松のもとで集中的にボクシング特訓、10キロも体重が落ちる
↓
92年7月8日、リチャード・バーンとの異種格闘技戦に勝利し、完全復活 道場生は入場曲とリングネームの話するなと張り紙あったのコワルスキー道場だっけ
モンスターファクトリーだったかな厳しくていいね >>895
昔の雑誌で確認したが
6/28~7/1の4日間伊豆での合宿に石松が帯同して指導
石松はジム持ってないし自分の芸能活動もあるから1ヶ月は付き合えないっしょ 藤波は身長と比例すると足はむしろ長いと聞いた事がある。
腕もそんなに短いかなあ?
腕が太いから長くなくても必要以上に短く見えるのかも。 本来は7月の札幌大会で飯塚vsリチャード・バーンの試合が決まりかけてた
バーンが藤波の強さに舌を巻いて逃げてしまいボツになった >>897
ガッツ石松をトレーナーに付け、四谷の帝拳ジムに通ってた
ジムには長野ハルさんという女性マネージャーがいて、ラウンド間にしゃがんで休んでると「しゃがんでちゃダメよ!」と注意してきて厳しかったとか
ソースは藤波の自伝 >>900
そうかありがとう
長野ハルさんってまだ存命みたいだね > バーンが藤波の強さに舌を巻いて逃げてしまいボツになった
それはないでしょw
パンチもキックも手加減してるの丸わかりだったぞ
異種格闘技戦って聞いてたのに、
除外戦はあるわ、トップロープからの攻撃も受けるハメになるし
馬鹿らしくてやってられなくなったんだろ ドキュメンタリーぽいの放送したのテレ朝だっけ?
TBSだった記憶もあったり リチャードバーンがビール瓶の底を圧で破壊するデモンストレーションを週刊プロレスの写真で見たが・・どういう事なのか動画が見たい。
藤波戦の調印式だったかな?実際見た人います? 藤波vsバーンをレポートした回の週プロで
「読者なら分かると思うが、本誌はこれまで余りバーンを扱ってこなかった。
読者からバーンを取り上げて下さい、という声も有ったが。それはバーンが
それに値する実力の持ち主ではないからだ。」
みたいなことが書かれていたはず。
これは真相は何なのか?本当にバーンがとんだ一杯食わせものであると判断
したのか?それとも余り取材に協力的ではなかったりして、その腹いせか? あんな酷い試合したのにWARはバーン再び呼んで北原と藤波戦そっくりの格闘技戦やってたな。 北原勝ったとき会場の盛り上がりは凄かったな
やっぱりプロレスが勝つとファンは嬉しいよな バーン以降、新日ファンはラジャ・ライオンのこと笑えなくなったな 藤波、バーン戦はちょうど新日バブルでピュアなファンが増えた頃、東スポでもバーンをすごい持ち上げてたから、マジで藤波やべぇみたいな空気あったよ。
昔ながらのコアなファンとはだいぶ温度差あったと思うけど、そんなファンが結構いた時代。
でも、北原とやった頃には、そんなファンたちも成長して生暖かく見守ってた印象。 藤波戦でバーンがプロレスラーってバレちゃっただけじゃん 藤波バーンの試合内容良く覚えてないなぁ。
ただ試合後マイクで放送席にいた長州に向けて何か言って、それを受けた長州がニッコニコだったのは覚えてるw 俺のヒアリング力だと
長州、見たか、ヤタァー
と、聞こえた >>912
北原潰されちゃうよという嫌な雰囲気があったから会場大爆発だったね
試合前の天龍も出てきて祝福してた 92年頃に来日したロン・パワーってどんなレスラーだったのかな ブロディのコピーというかオマージュというかのレスラー 放送席の特別ゲスト枠、AKBの小森って子や乙葉とかいたけど、
この頃に一度水沢アキが来たことがあった。
誰がグッズの企画したのか知らんけどグレートムタ印のパンティが販売されてて、辻アナが水沢アキに勧めてたよね。 2.10ドームのゲストは田代まさし
猪木スピンクスの両国ゲストはとんねるず >>925
稲川淳二は83年ぐらいの新日のパンフにも連載持ってた
とにかく全日をバカにしまくるネタばかりだった >>924
初回G1の時だね。
水沢アキは藤波には目もくれずに武藤を応援。 >>927
あれは稲川淳二は書いてないらしい。
自分が話した内容を大幅に修正されたとか。
全日をヴァカにする内容も勝手に書かれたってね。 ホームvsDフライ、いきなりフライのハイがホームの目に当たってしばらく試合やらせてたけど、すぐ止められないんだ? ウェザーニュースの高山奈々キャスターの呼び名がドン・フライになりかけた 第1回G1は水沢アキがゲストだったけど、小野みゆきも観戦に来てたよな
枡席にいるのをカメラが捉えてる時に辻が「目頭濡れまくりの女性ファンも狂喜乱舞しています!」とか下品な事言ってたな
五月みどりがゲストの武道館もあったね
熟女揃いなのはPかDの趣味なのか? 水沢アキは武藤に夢中だったよな
藤波に小包固め3連発の試合だった 水沢アキ、「少年隊なんて吹っ飛んじゃいますよねー」とか言っていた。
後、辻アナが「育児をしていて意気地無しになってしまったり」と
オヤジギャグを言っていたのを覚えている。 >>934
キューティー鈴木はレスラーなのに普通にアイドルとかにするようなやり取りしかしなかったな キュウリがパパで、茄子がママだ
って辻が言ったの何の試合だっけ?
90年代前半だったと思う ワープロで藤波、越中、館長、キャットで椀子そば食べてるかい >>939
それ あのねのねの古いネタじゃん
いや ただの視聴者投稿だったかな >>938
キューティー鈴木は当時のあの面子の中だから光ってた部分があったんだけど今のスターダムとか東京女子の子達に入ったらかなりごっつい部類にはいるよな まぁ見た目でもキャンデー奥津には到底勝てないしな。 キャンディーな。爺みたいな言葉になった。まぁある程度爺だけど >>944
中野たむみたいな小顔で売れっ子だったアイドルがレスラーになるわけだからな
到底適うはずがない スターダムはいいわ
かつて北斗神取に熱中した自分からすると衝撃的にかわいい選手が多い
キューティーや井上貴子でも並以下
ただし試合は戦ってる感が全く無い 急に女子プロの話w
奥津はプヲタの弟いるんだよな。週プロにも載ったことある この時代、パンフレットに畑とか大利の紹介はあったが試合には出ていなかったし、いつ辞めたのかわからぬ未知の選手だった。
友人はペガサスキッドの正体は大利かも?と推理していたw 佐野が辞めた原因の一つが畑が辞めさせられたことって読んだこと有るが >>953
畑は辞めさせられたというより、腰痛で引退じゃなかった? >>953
畑とは途中から犬猿の仲
ホモ関係とも噂された笹崎の解雇が辞めた原因の一つ
あと長州ともウマが合わなかった いやSWS入団直前に北原と一緒に海外でインタビュー受けたとき
「久々にメキシコで試合できて良かったけど残念なのは畑選手がいないこと
プロレスラーは悲しい稼業、怪我したら壊れた機械のように使い捨てられる
メガネスーパーの上の人たちはそういうのを変えようとしてくれてるんでしょ」
畑引退にも含むところはあったみたい 大利は同期の三澤が長期欠場して、雑用等の負担が集中して辞めてしまったとか。
もう少し我慢すれば小原、西村、天山辺りが入ってきて楽になったのに。 西村にやると大利が入門直後の小原とスパーしたけど極められず
ライガーにしこたま怒られて数日後にいなくなったとか 観に行ったなぁこれ
新日本プロレス「夢☆勝ちますⅡ」
1990年12月19日 後楽園ホール
試合開始18時30分 観衆1,826人=満員
▼時間無制限1本勝負
①○松田納(11分46秒 アキレス腱固め)×畑浩和
②○佐野直喜(8分23秒 逆片エビ固め)×大利博史
③○獣神サンダーライガー(1分32秒 浴びせ蹴り→レフェリーストップ)×三澤威
④○野上彰(17分56秒 ドラゴンスープレックスホールド)×飯塚孝之 >>961
語れる興行ってんなら内容語れよ
ほんとこう言うところ頭悪いよなあ、ゴリ子は笑 >>960
野上が飯塚に勝ってたのかなんか意外だけど、確かに野上って演技力も身体能力もあるしもう少し上でもいいよな。出しゃばらないのも良さだとは思うけど。なんか小川(弱)の更に劣化に見えてしまう。
飯塚はおとなしすぎたとしかいいようがない
野上と飯塚が合体したら武藤クラスのレスラーかそれ以上になってたな。 あっ。おとなしすぎるのは両方だから無理か。野上はおとなしいとは違うけど…謙虚なのか >>960
89年だし、まだ獣神ライガー名義だし、ってのは置いといて畑はヤングライオン松田に負けてんのか
肩たたきが既に始まってたんだなこの時点で
ちなみにバックステージにあった黒板にライガーが落書きしている映像があったけど、サンダーライガーのマスクの絵を描いてるんだよね
年明けシリーズ用の現物が出来上がっててもう手元にあったって事なんだろうな 水沢アキが武藤にベタ惚れで、共演したいわ!とかめちゃくちゃはしゃいでて、リングサイドの馳が浮かない顔してたの覚えてるわ 飯塚はルックス良かったけど技が地味すぎたね。
ブリザードスープレックスって。 技も悪くなかったでしょ。ブリザード、裏投げ、サンボ式膝十字とか >>964
>野上が飯塚に勝ってたのかなんか意外
野上の方が先輩だし、この時点では対戦成績も野上の方がずっと上。
その後でも飯塚が野上にぐっと差を付けたという印象はないんだが。
晩年のヒール人気は差しおいて サンダーライガーの前にファイヤーライガーってあったよね
佐野とやり合ってた頃か 飯塚が凱旋帰国してピンクパンツの時、レイジングスタッフにボロクソやられてたけど、あれ会社としてはどうしたかったんだろ。
あそこから飯塚が這い上がるブックだったけど、実際飯塚がダメダメで、ブック変更でJJジャックスに行ったのかな ピンク飯塚はステでパンパンだったけどすぐに萎んだな ファイアーライガーはライガー第一形態がパワーアップしたバージョン
(サンダーライガーは第二形態)
https://i.imgur.com/OtoMpkO.jpg
犬みたいな顔だからこれをマスク化しても合わんよね >>975
飯塚が期待通りにならなかったから野上とくっつけた。
まだ会社としても飯塚に期待をしていた。
でも野上と一緒にしても結果的にダメだった。
それで会社も匙を投げた。
その後に格闘技スタイルでプチブレイクしたのは会社からしても予想外だったらしい。 野上は一旦プロレスから離れて役者やってから才能開花したと思ってる 野上は三銃士あたりと同期なのに、ケガで休んでたから、その下の飯塚とかと一括りにされちゃった。
飯塚が煮え切らないファイトしてたから、組んでた野上まで一緒に低評価されてた印象。
馳健とかJJとの試合後に飯塚の事ボロクソに言って「ノガちゃんはいいんだけど」ってコメントが良くあった。
あと、凱旋試合かなんかのライガー戦で滑った印象をしばらく引きずっちゃったのが不憫。 野上飯塚はセットでダメな印象
飯塚は晩年のヒールキャラで開花したけどあれが良かったのか疑問だし
二人とも正統派路線でもっと上行けたと思うんだけどブレイクしなかったのがもったいない 野上はヘビーに転向したのが失敗だったな
Jrのままでやった方が評価上がっただろう ドロップキックの野上インタビューを読むと、性格的に新日に馴染めなかったのがよくわかる
維震軍メンバーの事なんかかなり小馬鹿にしてるし
かといって他団体の事もよく言うわけではないし、大成できなかった鬱憤をプロレス・プロレスラーそのものにぶつけてる感じだな >>984
野上は早かったんだよ。
棚橋のプロレスが、
野上のプロレスそのものだよ。 野上はフライングボディプレス()と長州のラリアットの受け(回転しちゃう)が素晴らしい >>963
レスしてるじゃん
ほんと頭悪くてワロス
>>966
何言ってんだコイツ笑
>>985
誰も賛同してないし反応もしてないのに必死で書いてるのワロタ 相手にしてねえのに、
まとわりついてくる嬉ション子犬老人w >>963でも>>988でもレスしてるじゃん
ほんと客観視する能力ないなバカは笑 飯塚野上はプレステージて滑っちゃったんだよな。
あれは出演拒んだサムライが正しいけど。
わざわざ別スタジオから三銃士にアピールとかビビりすぎだろ プレステージで「顔は良い、スタイルも良い、人気もある、でも、試合内容がしょっぱい」って野上評価してたレスラー誰だっけ? そして飯塚さんの最終形態がアレになってプチブレイクするって言うw >>994
ヒールじゃなくてコミカルレスラーなのがまた悲しい 飯塚さんは紺(青?)パンツ期が一番悪かった気がする。ブリザードのイメージも無くなりサブミッションも中途半端で試合で何してたのか全く記憶が無い
裏投げすら使ってたかな? 飯塚が最後まで練習熱心だったことは体つきから分かる まさかこのスレが完走するとは思わなかったな
90年代新日って良くも悪くもライト層向けで濃い信者が他と比べて少ないイメージだけど、みんななんだかんだ語りたいのね このスレッドは1000を超えました。
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