【木村草津組のインタータッグ挑戦を】昭和の全日本プロレス122【馬場君は指をくわえて見ていなさい】
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【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
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【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
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【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 >>849
あの時のフリッツは、鶴田十番勝負の相手だけやって帰ったんじゃなかったか?
インタータッグはラシク&イヤウケア組になったし、エリック&ラシク組実現したの? >>851
第4戦、1月6日 古河市体育館
タッグマッチ60分3本勝負
ジャイアント馬場 (2-1) フリッツ・フォン・エリック
ジャンボ鶴田 バロン・フォン・ラシク
①エリック(12分20秒体固め)鶴田
②鶴田(3分30秒片エビ固め)エリック
③馬場(3分48秒体固め)ラシク
第5戦、1月7日 山梨・富士急ハイランド
タッグマッチ60分3本勝負
ジャイアント馬場 (2-1) フリッツ・フォン・エリック
ザ・デストロイヤー バロン・フォン・ラシク
①(16分25秒両軍リングアウト)
②デストロイヤー(3分40秒体固め)ラシク
第6戦、1月8日 福生市民体育館
タッグマッチ60分3本勝負
ジャンボ鶴田 (2-1) フリッツ・フォン・エリック
ザ・デストロイヤー バロン・フォン・ラシク
①ラシク(12分15秒体固め)デストロイヤー
②日本組(2分18秒反則勝ち)外人組
③デストロイヤー(4分38秒体固め)ラシク >>851
本来、1月2日のシリーズ開幕戦から出るはずだったが
初来日のブロディを目立たせるために、馬場と相談の上にあえて遅れて参戦したとも…
エリック現役最後の来日は
1月5日川崎 ○鶴田vsエリック●
1月6日古河 ○馬場&鶴田vsエリック&ラシク●
1月7日山梨 ○馬場&デストvsエリック&ラシク●
1月8日福生 ○鶴田&デストvsエリック&ラシク●
エリックからブロディへの引き継ぎと、息子達を頼むというという意味の来日では? >>852
>>853
詳細教えていただきありがとう。鶴田戦だけの参加だと勘違いしていました。 >>851
エリック&ラシク組実現したの?
福井大会で1回だけ実現しているよ
スヌーカはぁ全日ではぁエース外人になれたっちゅうにぃ思うちょるぞぇー。
81年にぃ全日に初参加した時にゃあスヌーカの評価はかなりぃ高かったぁ。
抗争相手のリッキーやパートナーのシーク以上の評価を得て凄かったしぃー。
相手レスラーをぉ滅多に誉めない鶴田ですらぁスヌーカを誉めちょったかんな。
スヌーカはぁ今回初めて見ましたがぁー、本当にぃ凄くいいレスラーですねぇ。
シークのバワイはぁ凶器なければぁ大した事なくぅ対応もぉでけますよぉ。
しかしぃスヌーカはぁあの身体がぁー、凶器でバネありぃラフありぃですぅ。
スヌーカがぁ僕のUNに挑戦してきたらぁ気を抜いたらぁタイトル失います。
鶴田がぁベタ誉めした位だからぁスヌーカの評価はぁ本当に高かったぞぇー。
でもぉスヌーカはぁブロディと組んでからぁ商品価値が下がってもぉたかんな。
結果的にゃブロディの子分的な扱いんなってもぉたんはぁ残念だったぞぇー。
鶴田 天龍 × 上田 鶴見っちゅう試合がぁーようつ動画に上がっちょったぞぇ。
よぉく考えっとぉこの四人はぁ全員がぁーリングネームと気付いたんよぉー。
鶴田と上田はわかるがぁー、天龍と鶴見はぁ知らん人ならぁ本名っちゅうにぃー。
天龍はぁ力士時代の四股名からだがぁー、鶴見のバワイはぁ鶴見出身だかんな。
鶴見がぁーどぉゆぅ経緯でリングネームんなったんかはぁ知らぬ存ぜぬだがぁー。
リングネームっちゅうたらぁカタカナ+名前っちゅうのがぁ定番だかんな。
そんでもぉこの三人みたいなバワイもぉあっちゃるっちゅうこったわぃ。
やっばりぃ本名よりもぉリングネームの方がぁーいいっちゅうにぃ思うんよぉー。 ラシク「なんで助けにこねえ」
ブロディ「助ける価値のある男か!」
ラシク「ドギャッ」
はなかったってことだね。
イヤウケアもスキンヘッドにしたのに列伝の中では髪モジャモジャだったしな。 81年世界最強タッグ大阪大会を生観戦した
セミが馬場×鶴田VSラシク×クラップで馬場組の圧勝
翌日の大スポに載った鶴田のコメント
「ラシクとクラップはクローだけなので苦労せずに勝てました」 記者「(無視して)それでは改めて優勝への意気込みをお願いします」 高校の時、生活指導の教師が
「男は男らしく!学生は学生らしく!」
と言ったら、バスケ部のKが、続けて、
「プロレスラーは、バロン・フォン・ラシク!」と言った。
教師「なんじゃ?それは」
K「そういうプロレスラーがいるんです」
教師「アホ!」
クラスでも大半の生徒は分からなかったようだ。 初期の週プロって一部のページの両隅に読者投稿が載ってたんだが
それに世界史だかの授業中の出来事としてこんなのがあった
教師「国連はUNと表記するがこれは何の略だ?」
投稿者「ユナイテッドナショナルです」
教師「それは天龍が取ったベルトだ」 UNは日プロのゴタゴタにより、猪木→坂口→高千穂と王座の価値が大暴落。
その大暴落王座の悪いイメージを回復させたのは、間違いなく鶴田の功績。 UNも天龍が獲ってから、関脇ベルトみたいになってしまったが
鶴田王者時代は、世界王者級が挑戦しまくってて、独自のブランディングが出来てた。 そもそも復活決定戦の相手は陥落から一年経ってない前NWA世界王者のブリスコだったし
ブッチャーやレイスと取り合っていた時期はPWFやインターとも遜色ないレベルになっていたし
インターの復活や奪取がそれほど盛り上がらなかったのもそれが一因 YouTubeで84年のドリーvsジム・ガービンのシングルを視た。
実況では翌週だか翌々週にガービンが天龍のUNに挑戦と紹介してたので両リンかな?と思ったら後方回転エビでまさかのドリー勝ち。
まあ昔はよくあったことだけど。 >>873 >>874
挑戦者のメンバーはよかったんだけど開催会場と日程がB級なんだよな
日プロ時代の馬場インターみたいに大阪東京で二連戦で〆るのは無理だとしても
開幕2週目あたりの岐阜、てな感じではねえ。 >>875
ガービンは田コロでも鶴田の空中胴締め落としでピンフォール取られてるな
天龍個人は最終戦でNWAに挑戦して2−1で勝ったからまだ良いけどUNの価値はこの時点でかなり落ちてた ベタなのは承知だがどうしても「ガビーン」に見えてしまいがち >>874
インター奪取は盛り上がったろう。
これでエースになる気運を高めていた。 天龍時代のUNの挑戦者がショボくなっていったのは
あくまで馬場の次のエースは鶴田
鶴田:エース
天龍:ルックスが良い吉村道明
みたいな感じで天龍はメインイベンターではあっても
No.2固定位に考えていたからかもしれない 鶴田が返上したお古のイメージと
PWF・インターのあと3番目のベルトになった感じ 天龍のUNは元王者デビアス、因縁の上田、スレーター辺りまでは良かったけどその後が駄目だった >>884
武道館の天龍戦試合前にUNベルトは投げ捨てたのに、ハンセン戦の反則勝ちでPWFのベルトはあっさり巻いたからな。 これでPWFは馬場の返り咲きは無いと思った
そしてこれが三冠統一の第一歩に >>883
フランク・ランカスターなんて酷かったな。
彼をタイトル戦まで負けさせる訳にはいかない
マッチメイクはかなり無理があった。
鶴龍対ヘニング・ランカスターで両リンとか。 >>888
小林邦昭がキッドからジュニア王座奪った時も、保永や新倉相手に防衛戦やって、渕が激怒したんじゃなかったか? タイガー、リーガル、保永、新倉…防衛回数を水増しするだけのタイトルマッチが多かったな、小林のインタージュニアは 当時のリーガルはAWA世界ライトヘビー王者だったか >>887
王者が長州とはいえ当時はまだ軽量のカートのPWF挑戦にも違和感があった 当時は深く考えなかったけど、天龍がUNの権威に追いついた、というよりも、UNが天龍のポジションまで降りてきたって事なんだな >>879
その後にテリーの引退試合も控えてたし僅か半年後に同じ蔵前のメインでやったAWA奪取に上書きされた印象
また初防衛戦のリターンマッチを大阪でなく佐世保でやったのもトーンダウンの一因 若手の登竜門的なベルトにすれば良かったと
90年代なら小橋、秋山、大森辺りが巻けば光ったとおもう >>894
天龍時代のUNの挑戦者としてはシンの挑戦が目立つか >>896
その役は結果的にアジアタッグがやる事になった >>896
95年頃の週プロでUNが単独であればキマラも挑戦権があったとか書かれていた。小橋、パトリオットとかエース辺りでベルト回してたのかな。 >>897
たしか2度ともノーテレビだったような… ジャンボ鶴田
第13代王者時代
1976/08/28 ジャック・ブリスコ (王座決定戦)
1976/11/30 ビル・ロビンソン
1977/01/12 キング・カーティス・イアウケア
1977/01/12 ビル・ロビンソン (防衛失敗)
第15代王者時代
1977/03/23 ビル・ロビンソン (王座奪回)
1977/05/30 バロン・フォン・ラシク
1977/07/28 大木金太郎
1977/08/25 ミル・マスカラス
1977/10/03 ワフー・マクダニエル
1978/02/05 アントン・ヘーシンク
1978/04/27 リック・フレアー
1978/09/13 キム・ドク
1979/01/29 キム・ドク
1979/05/02 マイク・シャープ・ジュニア
1979/05/25 ビル・ロビンソン
1979/10/22 クラッシャー・ブラックウェル
1980/01/11 ビル・ロビンソン
1980/02/23 ディック・マードック (防衛失敗)
第17代王者時代
1980/03/05 ディック・マードック (王座奪回)
1980/06/07 ビル・ロビンソン
1980/08/07 ブルーザー・ブロディ
1980/10/13 アブドーラ・ザ・ブッチャー (防衛失敗) 第19代王者時代
1981/01/22 アブドーラ・ザ・ブッチャー (王座奪回)
1981/04/28 ジャック・ブリスコ
1981/06/11 ジミー・スヌーカ
1981/07/13 ディック・スレーター
1981/09/04 ジプシー・ジョー
1981/10/15 ジミー・スヌーカ
1981/10/27 アレックス・スミルノフ
1982/01/03 キラー・トーア・カマタ
1982/03/07 トミー・リッチ
1982/04/19 ハーリー・レイス
1982/04/22 ハーリー・レイス
1982/05/28 ディック・スレーター
1982/07/09 キラー・トーア・カマタ
1982/07/30 ミル・マスカラス
1982/08/01 ハーリー・レイス (防衛失敗)
第21代王者時代
1982/10/24 ハーリー・レイス (王座奪回)
1983/02/25 トミー・リッチ
1983/04/01 テッド・デビアス
1983/04/11 アレックス・スミルノフ
1983/05/19 ニコライ・ボルコフ
1983/06/15 ホセ・ロザリオ
1983/06/17 テッド・デビアス
インターヘビー獲得後王座返上 だいたいインター奪取に専念したいからと返上されるようなベルトだもん
鶴田がUNに愛情持ってないし魅力を感じてないという図式になるよな。
天龍が巻くまでもちょっと曲折がありすぎたし
デビアスの格は上がりも下がりもしなかったし 天龍源一郎
第25代王者時代
1984/02/23 リッキー・スティムボート (デビッド・フォン・エリック急逝で空位となった王座決定戦で勝利)
1984/03/34 テッド・デビアス
1984/04/11 阿修羅・原
1984/04/16 阿修羅・原
1984/06/01 上田馬之助
1984/07/25 ディック・スレーター
1984/09/06 ジム・ガービン
1984/10/22 マイケル・ヘイズ
1985/04/12 キラー・カーン
1985/06/06 谷津嘉章
1985/09/07 タイガー・ジェット・シン (試合後、防衛戦の内容を不服として王座返上)
第26代王者時代
1986/04/26 王座決定リーグ戦の優勝戦でテッド・デビアスを破って獲得
(天龍とデビアス以外の参加選手はオレイ・アンダーソン、キラー・カーン、天龍源一郎、阿修羅・原)
1986/06/12 スーパー・ストロング・マシン
1986/07/31 谷津嘉章
1986/10/07 タイガー・ジェット・シン
1987/01/31 フランク・ランカスター
1987/05/09 谷津嘉章
1987/09/11 スタン・ハンセン (ハンセンが持つPWF王座とのダブルタイトル戦)
1988/03/09 スタン・ハンセン (PWF王座とのダブルタイトル戦、勝利して二冠王者)
1988/03/27 スタン・ハンセン (PWF王座とのダブルタイトル戦)
1988/04/15 ブルーザー・ブロディ (ブロディが持つインター王座との三冠統一戦)
1988/06/10 ダニー・スパイビー (UN王座のみのタイトルマッチ)
1988/07/27 スタン・ハンセン (PWF王座とのダブルタイトル戦 防衛失敗) 訂正
1986/04/26 王座決定リーグ戦の優勝戦でテッド・デビアスを破って獲得
(天龍とデビアス以外の参加選手はオレイ・アンダーソン、キラー・カーン、谷津嘉章、阿修羅・原) なぜ馬場はキッド、スミスvsマレンコ兄弟の試合を辛辣な解説したの? >>876
会場がショボいのは、馬場ならではの義理堅さによるものかと。 >>902
返上はインター獲得後でなくデビアス戦後
>>904
返上はシン戦は全く関係なくインタータッグで谷津にフォール負けしたから 試合内容に不服とか、なんとかで返上するのはいいけど
しばらくそのタイトルには係わらないようにしてほしい
仕切り直しとかの意味合いを持たせたテコ入れや味付けなんだろうが
勝手に返上しといて決定戦に出ますというのは
(そんなものがあるとして)事務方は大変じゃないか。 UN王座決定リーグ戦はC・カーニバルが総当たり戦でなくなったから二番手選手ばかりで総当たり戦やろうという安直な企画と感じたな。 >>904
義理固さというよりタイトル戦を開催してやるからと
売り興行の値段を釣り上げる為のマッチメークだから
グランドチャンピオンカーニバルなんて正にそれ
後シリーズ日程と日テレ側の放映スケジュールとを
ちゃんと話し合って調整しようとしてこなかった弊害でもある >>903
レイスが取った時の反応ぶりは凄かったな
あの時点でNWAを六度も取っていたレイスがまるで初めてベルトを取った若手みたいに飛び跳ねていた >>905
防衛まとめお疲れ様です。
しかしこう見ると、天龍時代に世界王者級が統一戦のハンセンまで一切登場してない。
鶴田時代の世界戦恨みをUNで晴らすみたいな展開とは明らかに違うね。 やはり北見での奪還が最高だったな
その直後にレイスがPWFを取ったからUNとPWFが対等になった印象だった >>915
対戦はなかったみたいね。
4月15日鳥取産業体育館
UNヘビー級王座決定リーグ戦 30分1本勝負
テッド・デビアス(不戦勝)オレイ・アンダーソン
アンダーソンが対戦を拒否。
※デビアスの王座決定戦進出が決定。 デビアスとアンダーソン、このシリーズにはハンセン軍団の一員として参加だが、ジョージアではアンダーソンがボスなんだよね。 軍団名「ラリアット・ライダース」だっけ?
もうあと1人2人は頭数が欲しかったな。 ハンセンとアンダーソンは毒舌を言い合う仲の良さだった。
ハンセン「ジャパンでは俺がボスだから、俺がユーの面倒をみてやるぜ!」
アンダーソン「田舎者に田舎を案内してもらうなんて俺も長生きできて良かったよ!」 ハンセンが住まいに呼んだことのあるのはアンダーソンとホーガンだけだっだったっけ 未来日の78年にハンセンのあのスタイルを確立させたのはオレイだったか >>924
ロバーツが全日参戦したのはハンセンの口利きだね >>248
その試合はVAPからノーカット版ビデオが発売されたから買った。 >>927
アメリカとイギリスのレスラーが同時期に日本に呼ばれて
ともに西部劇が好きで意気投合、そのまま生涯のつきあいに
って結構な奇縁だよな >>910
リーグ戦に鶴田と長州が入ってないじゃないか!って突っ込んだ当時
もうこれで2〜3番手のベルトっていってるようなもん。 そもそもロスで誕生の段階から参加選手がたいしたことない。
なのに日プロがインターと同格なんて言ったのがおかしいな。 歴史や伝統はまだまだだが猪木君の頑張り次第で
インターと同等の価値になると信じている、くらいにしとけばよかったのにね
というかそういわなきゃだめだろ。 >>920
田舎って日本が?!
東京とかジョージアよりだいぶ都会だと思うが >>930
鶴田が卒業したベルトなんだから鶴田が入ってないのは当たり前だろ。 >>935
ハンセンの自叙伝「魂のラリアット」にオレイとのやり取りが書いてある。
田舎者のハンセンがボスを務める日本も田舎というオレイ流の毒舌。 原本見てないけどあるいは「ローカル」ということかと 70年代末から観始めたからインターは復活後しか知らんが
インターとUNが同格ってイメージは無かった。
だって鶴田がUN王者だった頃にインターを争っていたドリーやブロディは鶴田より格上な印象だったし
倉持やプロレス誌なんかは馬場からエースの座を継承するためにはインター奪取が必須などと
PWF=インター>UNと言わんばかりの主張をしてたし。
なにより鶴田がインター奪りに専念するためにといってUNを返上したわけで。 UNはなんと言っても、日プロ末期のゴタゴタで猪木→坂口→高千穂と価値が急降下した王座だから仕方ない。 >>939
鶴田にUNを奪われたレイスが直後にPWFを奪取した時は微妙だったな
しかもその前の試合でブロディとドリーのインター戦をやってたし インターは日プロからの看板タイトルの歴史、かつテーズが出所で力道山や馬場も巻いてる。
ここから日本に根付いてるタイトルとしては最高峰と感じてたなあ。
インター>PWF>>UN
こんな感じに。 インターが絶対権威になったのはむしろ馬場時代
力道山の頃はベルトからしてNWAやWWAの代替的なニュアンスが強かった >>942
長州時代までは試合順やコール順でPWF≧インターの印象 >>931
鶴田時代のUNの一番の特筆はやはり田コロでのマスカラス戦か あんな素晴らしい試合はないよ。
最初のグランド30分見てても飽きない。
そして決着はセンセーショナル(死後か) 鶴田とマスカラスで記憶に残ってるのは マスカラスがグランドに鶴田を寝かせ 脚でのフルネルソンでギブアップを奪ったチャンピオンカーニバルの一戦だな マスカラスって、チャンピオンカーニバル出たことあるの?ってことは、馬場とシングルで対戦したのかな? 今日は三沢が初の三冠王者になって三十年
単独時代には挑戦すらしていない初の王者でもあった >>950
>単独時代には挑戦すらしていない初の王者でもあった
え?三沢は1992年の8月22日に三冠王者に就いたが、
その前に挑戦したこともないと言っているの?
92年の3月4日、武道館で王者ハンセンに挑戦している。
挑戦試合ではないが、90年7月27日、松戸でハンセンと
王座決定戦もやっている。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。