【32文】BI抱を考える2【コブラツイスト】
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レトロファンの間でも殆ど話題にならないのが第3回NWAタッグリーグ戦w
決勝戦が坂口高千穂の九州コンビと地味すぎるハミルトン兄弟(72.10.31大阪)
高千穂の出世試合と言えるのかもしれないが
ダブルメイン第1のホッジvs松岡のNWA世界ジュニア戦の方が見応えがあった。
https://livedoor.blogimg.jp/norarinhouse/imgs/4/7/4758de61.jpg
総括してみると第1回は猪木が星野の格を、第3回は坂口が高千穂の格を
ワンランク上に押し上げたというか…
タッグリーグは年々、大会の規模や外国人レスラーがショボくなっていった印象がある。
また、第2回第3回のシリーズ終了後に猪木と坂口が挙式をあげたというのも
その後のマット界再編に少しは影響を与えたのかな?
(馬場夫人の元子さんと、坂口夫人の利子さんが犬猿の仲という噂)
https://livedoor.blogimg.jp/norarinhouse/imgs/6/f/6fc6dcb1.jpg
タッグリーグ戦が成功するには1局独占中継でやらないと
テレビ局の思惑等が出て、チーム編成がおかしな事になるね。
年末タッグリーグが定着するオープンタッグの大成功まで、あと5年か… オープンタッグまで「タッグリーグは当たらない」ジンクスがあるとされていたけど
今見るとNWAタッグリーグが当たらないのはメンバーに問題があるのは明白。
日本側はいうにおよばず、外人も強力メンバーとはいいにくい
オープンタッグのやる気あり具合は外人見ただけで段違いだもの。
NWAタッグリーグの頃の外人なら
ブルクラ、ブラジルジェームス組、デストライオン組が来てる感じだからね >>790
秋の長期シリーズじゃ難しかったんだろうね。豪華外人を揃えるのは。
第二回は年末開催だったら
●ドリー、テリー組
●サンマルチノ、デヌーチ組
●マードック、タイラー組
●パドーシス、スタインボーン組
●馬場、猪木組
●坂口、吉村組
●大木、上田組
●星野、山本組
これに
●コワルスキー、オースチン組 残留
くらいでやれたかも。 >>791
71年にファンクスのリーグ戦参加は無理だろうな
ドリーがNWA世界王座を保持していた。
レイス、テリー、マードックの中から1チーム結成できたらおもしろい。 >>791
このメンバーで、全日の最強タッグ戦のように
日本、外人チーム総当たりなら、かなり話題になっただろうが、
(と言ってもファンクス対サンマルチ、BI砲対坂口の絡みくらいだが)
ワールドリーグのように日本対外人なら、普通に71年ワールドチャピオンシリーズで
B1砲が前半戦、サンマルチノ組、後半ファンクスと対戦したのと同じ。
日本側にもBI砲に対抗できるチームがないなぁ大木&坂口でも駄目。 第2回NWAタッグリーグは、猪木&坂口組の売り出しだよね。
おそらく翌72年には(猪木追放がなかったとして)、吉村が退いて、
このチームがアジアタッグ王者に就いていた。 >>795
追放がなくても猪木坂口のアジアタッグは無いと思うよ
日本テレビが猪木の3冠王(UN、インター&アジアタッグ)を阻止すると思う。
その代わり第14回ワールドリーグは猪木3年ぶりの優勝かな?
アジアタッグは吉村が引退して大木坂口が戴冠するとバランスが取れる。 >>792
実際にファンクスは71年の暮れに2週間のスケジュールで日本プロレスに参戦してるけどな。 >>796
>日本テレビが猪木の3冠王(UN、インター&アジアタッグ)を阻止すると思う
と言っても1971年3月の時点で猪木は、すでに3冠王なのだが、、
猪木&坂口のゴールデンコンビを売れ出さない手はないよ。 黄金コンビをプッシュしたけど東京体育館ガラガラだったんだよね
実数2000〜2500人だったとか >>798
そうでしたねw 71年の猪木は3冠王でした。
アジアタッグを吉村と保持していたのを忘れていました
NETでは馬場NGだからインタータッグは放送できなかったんだね。
この流れだとクーデターさえなかったら…悔やまれる。 なまじ猪木にUNを取らせたことで、猪木のインター獲得の目は無くなったとも言える。
しかもテレビ局2局かからむ複雑な状況。
クーデターがなかったとしても、1972年、1973年。
どこかで日本プロレスは煮詰まったのでは >>802
煮詰まることが目に見えてたから
猪木は71年の時点で対馬場戦と日本人対決を訴えたんだよ
日本人対外人の路線で限界が来てることは
当時の雑誌を見ててもよくわかる
「また、前に来た外人かよw」という投稿が多い テレビ中継の試合組んで馬場に恥かかせて、自分の人気上げようという魂胆見え見えの猪木
それがわかってたら対戦なんてする訳ないよな、馬場にとって何のメリットもない >>802 >>803
猪木が低迷するプロレス人気を危惧して、純粋に馬場への挑戦を表明し
プロフェッショナルとしてアングル通りのプロレスやろうとしていたのか?
セメント仕掛けても目の上の馬場を引きずり降ろそうとしていたのか?
その辺が分からないんだよな…
団体対抗戦なら金を積んでも勝たなきゃ意味ないけど、
同一団体内だから尚更
口では「一度くらい負けても、また挑戦すればいいんですから」とか言ってたけどね。 猪木に「その先」を考えた言動があるかどうかを考えてみて。 >>806
69年のNWA世界2連戦で沖識名がシナリオ作りで困窮していた時、マネージャーとして
同行していたシニアが「日本のトップである馬場には花を持たせドローマッチでも
構わないが、ナンバー2の猪木ともドローではNWA王者としてのプライドが許されない。
猪木にはきっちり勝って、チャンプの強さを日本のファンにアピールしたい!
2試合とも連続ドローではファンも消化不良を起こすだけだろう。
それとこれは小耳に挟んだ話だが、猪木は不意を突いてセメントを仕掛けてくる
危ないスカンク野郎というじゃないか⁉」このようにシニアに詰め寄られ
沖は困惑した。
シニアはユセフ・トルコも猪木の親衛隊長と思い、不利なレフェリングと猪木の
不意を突いたセメント仕掛けを阻止する為に、愛弟子のハーリー・レイスと共に
セコンドで目を光らせ、レイスには「猪木が不穏な動きを見せたら直ぐさまリングに
駆け上がり奴(猪木)を潰せ!」と厳命を発していた。 【門茂男メモから抜粋】
これは虚実混じった門の話だから、どこまで信用していいか?なんだけど
おそらく馬場派レスラーや幹部の間でも『猪木は信用ならない』があったんだろうね
この話が本当なら誰かがシニアにタレ込んだ訳だから。
まあ独立してからの猪木の成り上り方を振り返ると、明らかに無理難題・イメージ戦略
プロパガンダでファンを煽動し、馬場を貶めていったからねw 日プロ時代にBI対決しようとしたら、負けた方のテレビ局のダメージが大きすぎて出来ないよね。
やれる可能性としたらどちらかの局の撤退と馬場の国内セミリタイアのタイミングを合わせてやるしかない。
うまく馬場から猪木へのエース交代ができても当時の猪木じゃ観客動員や試合内容に不安ありすぎる。更に本国でのポジションが高い連中やガチンコの実力者が猪木に良い格好ばかりさせる訳もなく、善戦マン猪木が誕生する可能性が高いと思われる。 二局放映問題が本当にややこしかったなあ。
日テレ1局放送なら、馬場→猪木のインター王者交代もできたと思うけど、2局放送で、両局とも「猪木エース」になっちゃうと、日テレはアドバンテージがなくなるから、馬場エースにこだわったはず。
結局馬場インター、猪木UNの体制を維持していくしか、やりようがない。
そういう事情から言うと、馬場に早期引退の意向があっても、それを認めてしまうと、日テレもNETも
同じレスラー陣容になってしまうので、これも日テレは反対したんじゃないか。
どうやっても煮詰まってしまう。 二局体制といっても4には全部出るけど10には馬場が出ないという
変なバランスとはいえないバランスだからよけいにおかしいんだ
4が馬場坂口吉村 10が猪木大木
みたいな班分けがあったらまだ綱引きができただろうが10からしたら
馬場を出せ、をしつこくしつこく要求するだろうしね >>811
>4が馬場坂口吉村 10が猪木大木
それではインタータッグ(BI砲の試合)もアジアタッグも
放送できなくなっちゃうよ(苦笑)
大木もよく韓国に行ってしまうし、10が猪木と大木だけ
というのは不安だね。
元々、10には、馬場のみならず坂口も出ないと言う
取り決めだったと記憶している。
まぁそれでは、弱いので出るようになったのだろうが、 4にも10にも馬場猪木は出る。
ただしインターシングルとタッグ、ワールドリーグの決勝の放映は4に限る。
みたいな取り決めだったら、猪木と馬場のエース交代も柔軟にできたんだろうが。 流れとしては最初の取り決めが、馬場&坂口、インターシングル&タッグ、
ワールドリーグ公式戦&優勝戦を日テレ独占中継
NETは猪木・吉村・大木を中心に、ヤマハや上田等の中堅、UN、アジアタッグ中心
だったのが、71年にはワールドリーグ公式戦のみ解禁
年末に猪木追放で坂口登場
72年4月馬場登場⇒日テレと大スポンサー三菱電機が激怒して中継打ち切り決定 >>816
69年7月からNET中継が始まっているから、70年最初のWリーグから公式戦と坂口登場を
強行?させているのか・・(遠藤のゴリ押しかな)
関係ないけど、9月30日ダイアモンドシリーズ愛知大会で
山本小鉄vsスティーブ・リッカード戦があるねw 72年のワールドリーグ優勝者をどうしたか、見当もつかない。
また馬場猪木同点で、今度は猪木優勝か。
猪木が単独で決勝に出るが、外人に負けるか。
意外にも坂口が決勝進出するか。
どれもいかんな。
馬場か猪木の途中負傷欠場しかないか。 外人に優勝させる時代ではまだないとはおもうが、その外人の顔によるよなあ
モンスーンは違うし、ブッチャー、マードックではまだまだ。
キニスキーかエリック、ブラジルが来ていたら、ありうるか 487 お前名無しだろ (ワッチョイW e36d-0zgZ) 2020/10/01 11:32:30
>>482
いつから?力道山の時代からだね
格闘技にしろ、リング上では無くとも事前に会見やらで舌戦を繰り広げるのは普通
プロレスに何を求めているんだ?
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
新たな世代交代の懐古マニアも出てこないしねぇ、だってwww
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
https://aucfree.com/m/search?from=2019-11&o=t2&q=%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B0+1968&to=2019-11
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場崎町ダノン猪之木町だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな
679 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/05 12:02:42
>>503 のソース拓取ったから啓蒙ついでに貼っとこう
http://imepic.jp/20201109/423720/js5T
ゴング創刊号(1968)年の各号がついにオクで一円落札に…(笑)
流智美先生曰く「この辺のプロレスの懐古ネタってのは、ただ知ったるだけで何も生まない。
他の娯楽・スポーツジャンルのレトロソースには大概は後世のファンにとっても教示・教訓的な要素があるけど、プロレスにはそれが全く無いから、それを掘り下げてみようっていうマニアも出てこないんだよ。」ですと。
馬場だの猪木だの木村だの、彼らがやってきた事績のどこを探しても、今さらそれを語って人間的な深みを増すような要素は皆無だからね。とつけ加えた(笑)
浅薄な懐古ヲタ系全日本&スターダムヲタが日夜ネットに碌でもない書き込みして、愚にもつかない日常・人生を送ってきたのがそのもの確たる証左だな >>812
力道山と東郷が組まなかったら、東海岸の一流選手が来日しない→マンネリ化が加速→力道山の衰えでプロレス消滅かな。
他のラインで外人呼んでも馬場がブレイクしないので力道山死亡でやっぱり消滅コース。
馬場全盛時代BI時代に新日全日猪木全盛時代みんな無かった時間軸へGOか。 >>820
猪木に「決勝はキミに進出させるが、優勝させるわけにはいかないので、
負けてもいいレスラーを言ってくれ」と頼むしかないかなw
キニスキーかカールゴッチと言いそうだがw
次シリーズのUN戦でリベンジする条件で、何とかならんかねw 結局 BIは袂を分かつ運命なのかもしれないけど、NETの参入がそれを加速させたね。
>>818
確かに72年に猪木が在籍してたらマッチメークが難しくなるね。馬場の連覇も⁇
同率首位で3回もBI対決がなかったら変だし、負傷で馬場の棄権も不自然に映るかなぁ
国際ではロビンソンが連覇しているから
下り坂だけど馬場派モンスーンが意地を見せて優勝もありかなw 13回のワールドリーグで、馬場猪木が16.5点で、
外人側のデストロイヤー、ブッチャーは13点という風に
無茶苦茶に馬場猪木の地位を上げちゃったから、
外人を勝たせるのも難しいのは確かでね。
まあ日本プロレスも本当に、次のことを考えず、いや考えられずに
その場の取り繕いでいっぱいいっぱいだったんだろうねえ >>807
仕掛けてきた時のためにシニアとレイスが目を光らせてたはいいが
猪木にも引き分けるわけにはいかないって話はどこに行ったんだ
結局猪木ともドロー防衛やってるじゃん
しかもそのうち一戦はジャーマンで一本取らせてるし 出戻りの猪木がNo.2やっていることに不満を抱いている選手たちも多かったしな。
天から降ってきたようなキャラの立ちまくった最高のタッグチームに2局のテレビ中継による空前の好景気、でも内部はバラバラこの先進む道が無い。 >>820
猪木が日本プロレスに残っていたとして
1972年のワールドリーグで優勝しても納得がいく外人
>キニスキーかエリック、ブラジル、
この辺は、もう下り坂だし、手垢が付いている。
ただひとり
ビル・ロビンソン >>827
不満抱いてたのって大木金太郎、吉村道明あたり?
出戻りと言っても人気で猪木に勝てないからどうしようもねえな >>826
日プロとしてもNETのエースになった猪木にも負けさせる訳にはいかないから
その辺はシニアとの交渉だろうね(特別ボーナス支給するとか?)
試合自体は、新兵器のフライングネックブリーカードロップと
スピニングトーホールドで取り合ってのタイムアップという
沖が裁いた古いパターンのシナリオと
トルコがコントロールしたノーフォールマッチの斬新なシナリオが
新旧の対比になり、結果 猪木の名勝負として語り継がれることになったね。 >>828
ロビンソンは、74年AWAガニア・75年NWF猪木・76年PWF馬場
3年連続して蔵前でビッグタイトルに挑戦しているのが何気に凄いな
69年に全米に進出して、NWAドリーとは2度の引き分け試合
72年だと30代前半だから、75年の猪木戦より良いコンディションじゃないかな、、 46年ぶりに見たw
PWFヘビー級選手権 (1974年1月30日 日大講堂)
ジャイアント馬場vsドリー・ファンク・ジュニア
https://youtu.be/c8KxenjMkF8 1971年12月インタータッグ選手権vsファンクス見たかった >>834
ジュニアって負けブック飲まないよな
シングルで負けたの見た事無いわ >>837
82年にブロディにフォール負け
73年に馬場にリングアウト含みの3本勝負負け >>834
馬場くらいデカイとダブルアームやバックドロップ喰らうのは危険だな。
ダブルアームが一瞬滑ってうっかりタイガードライバーになりかけてる。 >>838>>839
樋口吹っ飛ばされた間に幻の3カウントあるけどな
最後のバックドロップをコーナーを蹴って返すの下手すぎ
https://www.youtube.com/watch?v=qpttYHUdtd0 シングルじゃないけど、
82年のファンクス対ハンセンスヌーカで、
ドリーがスヌーカに完全フォール負けしたのは驚いた。
別に前哨戦でもなかったし、その後のリベンジもなし >>834
東京体育館のフルタイム戦とくらべると
約4年で馬場の動きが随分遅くなってるのがよくわかるなあ そんなドリーは馬場のPWFベルトを無断使用(海外遠征用に預けていた)して
テキサス・カンサス版インターナショナル王座の防衛戦を…w
https://livedoor.blogimg.jp/kingaron/imgs/2/b/2b0194d4.jpg
思えば 馬場のPWF王座(争奪戦含め)に挑戦したレスラーで、今も存命なのは
ファンクス・ハンセン・ブッチャー・シン・ラシク・マルコフ・パテラ
それとスーパーデストロイヤーIIを名乗ったSスローターくらいで
インターナショナルの方は全滅かな?(Sアリオンがハッキリしない) >>844
>インターナショナルの方は全滅かな?
PWF挑戦と被るなら、ファンクス、ブッチャー、マルコフがいるが、
純然にインター「だけ」に挑戦した選手なら、そうなるかな? [ドリー初来日からシングルでの負け試合(69〜85年までの試合記録)]
73年9月8日(福岡)PWFヘビー級選手権で馬場にリングアウト負け
75年12月6日(東京)オープン選手権でブッチャーに反則負け
81年10月9日(東京)インターナショナル選手権でブロディに反則負け、王座移動
82年4月21日(大阪)インターナショナル選手権でブロディにフォール負け
83年12月8日(宮城)最強タッグ夢の対決でブロディに反則負け 72年のWリーグに猪木が出ていたら、猪木とトルコ等の猪木グループは、馬場は2年連続で優勝したから猪木に優勝させろと要求しただろうね。
NETも使って、日プロのダラ幹にプレッシャーかけて、ダラ幹は猪木優勝を容認したのではないかな。
その場合、外国人のトップはモンスーンではなくバレンタインで、馬場はリーグ戦終盤のブッチャー戦で負傷しリーグ最終戦を欠場して、又は同点の4者によるトーナメントでブッチャーと両者リングアウトとなって、猪木対バレンタイン戦が優勝決定戦となり猪木が勝って優勝じゃないかな。
ただ、この時のダラ幹の対応が原因で、馬場は日本プロレスを離脱し、水面下での日テレのバックアップを得て、新団体を設立となったのでは。
そして、猪木はダラ幹たちの使途不明金を追求して日本プロレスから追い出し、出戻りの猪木アゲに不満を持っていた、大木金太郎や、芳の里・吉村道明の子分たちは、馬場の新団体に移籍となって、結局、同じ結果になっていたような気がする。 いいねぇ!ジョニー・バレンタイン
70年に日プロ初参戦でキニスキーとのコンビでBI砲に挑戦した時には
後輩のキニスキーが気を使ってたらしい。
なんせ46年スタニスラウス・ズビスコにスカウトされたんだからね
新日本ではJパワーズよりJバレンタインと猪木のNWF戦が見たかったんだけどね
https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/06/faito3ds-2019/bf/da/j/o0939127514431321821.jpg?caw=800 >>848
やっぱり少ないな
しかもフォール負け一回だけって
オープン選手権でも馬場にフォール勝ちしてるし、元NWA王者でもテーズやキニスキー、レイス、ブリスコなんかはフォール負けブック飲んでるのに、ドリーは何故フォール負けを拒否したんだろう >>851
ドリーは70年代までは
全日最強外人だからね
貫禄では現役NWA王者以上だった
簡単には負けさせられないよ
ただしオープン選手権以降はその設定を生かせてなかったのも確か
シングルでの見せ場がタッグリーグ中の夢の対決ぐらいしかなかった >>849
まあ馬場負傷欠場→猪木優勝のパターンしか
なかったと思うけどねえ。
馬場猪木の同点も3度目だと、もう2人が対戦しないことが不自然だし。
それかもうワールドリーグ自体を廃止するしか
手がなかったかな。 突然思い出したが、1971年のワールドプロレスリングで「来週はNWAタッグリーグの決勝戦の模様を
お届けします」と告知があって、衝撃を受けたことがある。
その時点で決勝進出者は未確定で、馬場吉村組にも
進出の可能性があった。
「もし馬場組が進出したら、NETは放送できるのかな」と、子供ながらに疑問に思ったものだ。
そして馬場組は最終戦で、3本勝負の1本でも取れば、決勝に出られる状況だったが、コワルスキー組に1本も取れずに惨敗して、決勝進出は猪木坂口組になった。
そしてワールドプロレスリングで猪木坂口対コワルスキーオースチンの決勝戦が中継され、猪木組が優勝した。
この時子供心に初めて、プロレスに対する疑念が生まれた。「馬場が出場できないNETが決勝中継する以上、馬場組が進出できず、猪木組が優勝することはら最初から決まっていたのではないか」と。
馬場猪木の対立、2局放送体制には、こういう問題があった。 >>854
なかなかのベテランですね。その頃は疑念を抱く年にはまだ無理な年でした。
>>849
馬場は連続出場を切らすことはできないでしょう? 本人はきっと負けブックよりも飲めない。
ハンセンブロディのパイルドライバーで連続出場が途切れたのはその十何年後だもん。
猪木を優勝させるのに、連戦して引き分け、(あとの試合で)勝った方が優勝のパターンも三度目だときつい、みえみえ。
ちょっとした改変で、@猪木(引き分け)外人、ここであぁ馬場が勝って優勝か、と思わせておいて
A馬場(ノーコンテスト両者失格)外人
B猪木が再試合で外人に勝つ、みたいな小手先の技を使えばなんとか。 >>856
馬場の連続出場は日プロ時代は全然問題にならないのでは?本人もずーっと後の3000試合連続出場に気づいてなかったし。
自伝その他で連続出場絡みで書かれている事だとアルバート・トーレスのヘッドシザースで失神し翌日休みだと思ったら豊登に即出場を頼まれたことや、
逆にインフルエンザで欠場しろと言われてるのに強行出場したエリックとのインター戦なんかがあるね。このどちらかでも休んでおれば連続出場は途切れてた。
あと日プロ離脱表明後、当然のように欠場する可能性も十分あったかな?大エース馬場が欠場すると地方のプロモーターに恨み買っちゃうから無理か。 >>857
確かに日プロ時代は連続出場は気にしないかもしれないですね。
でも、体調悪で欠場やむなしとウソ診断で休みはちょっと違いますよ(笑)
まぁ後に全日では外人のスケジュール都合で散々やってるけど。 >>854
サンタクロースの正体を知ったときのようなエピソードですね。
>>854
勝ち点4者による優勝決定戦バージョンで、今までにない、生中継の枠内で収まるバージョンとして、こんなのは如何?
第1試合は猪木がバレンタインに勝利。
第2試合は、前日の試合でブッチャーのイス攻撃により負傷した馬場が、ケガをおして出場しブッチャーと対戦するも、負傷箇所を凶器も使って執拗に攻められ、リングドクターの判断で無念の敗戦。猪木とブッチャーによる決勝戦は、猪木が凶器攻撃に苦しみながらも、ブッチャーの隙をついた一瞬の丸め込みで勝利。 >>856
となると結局、馬場猪木が同点で決勝進出、
馬場の試合は勝利寸前に外人の乱入(ブッチャーあたり)で両者リングアウトになり、
猪木がその外人に勝って優勝、という、後のプロレスでよくある乱入パターンを使うしかないのか。
しかし何故か、日本プロレスでそれをやっちゃおしまいという気もするんですがね。 >>857
1500回連続出場の時点で表彰を受けてるからそれはない >>859
同時に私の案を考えてました。苦笑
まあそのパターンはありですね。
いずれにしても苦しい。笑 日本人同士はやらないって不文律はリーグ、トーナメントやるには不便すぎるよな
しかもタッグでも適用とか 力道山vs木村戦は別にして、日本人対決というパンドラの箱を開けたのは
73年国際のS小林vsR木村戦なんだよな
翌74年に猪木vs小林戦から第1回ワールドリーグでの坂口戦…
全日は75年の馬場vs大木戦からオープン選手権での日本人大物対決
リーグ戦総当たりになったのは76年第4回Cカーニバルからと一番遅かった >>864
実は、日本プロレスで馬場がインターナショナル王者になった後、馬場対吉村道明のシングルマッチ(ノンタイトル)が2度行われています。
1回目は1966年で時間切れ引き分け、2回目は1968年で、馬場が逆さ押さえ込みで勝利。
1回目は第8回ワールドリーグ戦の前夜祭、2回目はシリーズ開幕戦で、大雪のため外国人レスラーの到着が間に合わず急遽組まれたもので、猪木がレフェリーを務めました。 ワールドリーグ決勝のそれまでにないパターンを考えた。
馬場猪木が同点、これはデフォルトにする
そして外人は単独トップ選手Xがひとりだけだったとする
これでは10回や12回のパターンを使えない
ところが公式戦の点取りでXは馬場は反則負けしているが、猪木とは引き分けている
コミッショナー裁定で日本陣営の優勝を期すためと称して猪木の優勝戦進出。
だめかな? >>865
馬場がインター王者になってから、当時の四天王吉村と対戦してたんですね。
それは知らなかったなぁ
時間切れとクイックでの敗戦だと、自分の格もそれほど落とすことはないし
ベテランの吉村だからこなせたんだろうね
もし68年に猪木や大木とだったら、セメント仕掛けはないにしても
どうしても感情的な部分が出るから危険だねw >>867
馬場対吉村戦は、1回目はWリーグ戦の前夜祭で出場選手の顔見せ的色合いが強く(他に外人同士の試合もあった)、2回目は外人選手が間に合わないための窮余の策で、いずれもファンサービスの花相撲の色合いが強かったようです。
ですから、S小林vsR木村戦以降の日本人対決とは一緒にはできないのですがね。 >>866
クラッシュギャルズ時代に似たようなことがあったような >>868
いやいや、自分の中では大人になってから吉村の存在の大きさに気付かされたから
馬場vs吉村はエキシビションレベルでも見たかったなぁ‥
66年の暮れには馬場とインタータッグを獲得しているし、
ゴッチは力道山より吉村を評価しているんだよね。
G+のクラシックで確認できる試合は6試合あるけど、シングルのゴッチ戦以外
全てタッグマッチでパートナーを引き立てるヤラレ役に徹してる。
ゴッチのジャーマンもコックスのブレーンバスターも、初めて喰らったのは吉村
外国人レスラーからも信頼されてたんだろうね(ブレーンバスターで失神?したけど) >>864
国際の日本人エース対決は斬新だったけど、それが後々に団体崩壊に繋がるんだよな
不透明決着にしとけばいいものを、はっきりと勝敗つけちまったもんだから
小林>木村というレッテルが張られ、小林離脱→猪木に敗北、3段論法で
国際最後のエース、ラッシャー木村は猪木より弱い、そして猪木は馬場に勝ってない
そんな弱っちい団体誰が観に行くかと >>865
その試合が馬場の対吉村戦初勝利。
力道山時代を含めると馬場対吉村戦は
馬場の1勝2敗7引き分け。 >>870
誰か忘れたが自伝で外人控室に当日のマッチメイク張り出しで吉村と当たると判ると喜びの声が上がったと書いてた奴がいたな。
逆に大木の場合は悲鳴が上がる。 力道山とか馬場のチョップなら胸板で受けることができるし、頭でも手加減できるが、大木の頭突きは頭にモロだからなあ
そらテーズのスマッシュで血祭りにされるわ >>871
マッチメークは草津なのかな?
でも、ダブルアームにブレーンバスターにバックドロップで決着とは…
いろんな意味でいい時代だw
>>873
一応、ダラ幹メンバーの一人だけど、吉村を悪く言う後輩レスラーはいたのかなぁ
74年10月の猪木と大木の対決には日プロOBとして「遺恨をマットに持ち込むなら
試合を止めろ」とメッセージを送ってるね
2人の性格を知り尽くしているし、プロレスを大事に思っているのが伝わってくる。 >>866
馬場猪木が同点で、外人側は単独決勝進出というのは
あるかもしれないが。
その場合は巴戦にするかもしれない。
たとえば1戦目が馬場対ブッチャー。
この試合で馬場が勝つが、ブッチャーの反則で
戦闘不能になり、ここで棄権となる。
2戦目で猪木がブッチャーに勝ち、
馬場には棄権勝ちということで、猪木優勝。
馬場も、この形なら連続試合出場は認められる >>875
吉村は73年春に引退したのが、「日本プロレスの
ドサクサに巻き込まれたくなくて逃げ出した」と、
残留した連中から批判されたようだ。 >>875
いやいや、猪木大木因縁の対決を煽る絶妙な相の手だろ。
プロレスで試合が決まったってことはブックも決まってる事くらい理解してるだろ。
プロレス辞めてもプロレスしてるのが素晴らしい。 ダラ幹で思い出して調べてみたが
まだ遠藤幸吉って存命だったんだな
素でビビったわ >>875
猪木は日プロ改革計画時に馬場との密約を破り吉村も追放しようとしてた。
吉村は外面は中立だが心情的には馬場に近かったのと巡業部長とマッチメーカーという現場の二重責任者だったのを嫌ったかな。 吉村を残したら社長になってしまうからじゃないのかな?
日プロというかその頃の日本の会社社会なら年功序列的に。
当初はそうならなくてもそのうち吉村を担ぐ連中も出てくるかも知れないし。
いきなり猪木なり馬場なりが社長になるためには
吉村を残していてはならない、となるよ。 時系列で話の内容が変わったりするから、改革という名の乗っ取りに思えてしまう。
猪木一人の計画とは思えないんだよな
木村昭政がブレーンで動かしていた気もするが…
まあ、クーデター話は繰り返しになるからやめとこうかな しかしよく考えたら、仮に72年のワールドリーグを猪木優勝でかわせても、その後鶴田と吉田光雄の長州が
日本プロレス入りしてきて、馬場派と猪木派の分裂は避けられなかったかもしれんね、 現在のWWEが参考になるかもね
一つの団体にRAW、SMACKDOWN、NXT 等の別ブランドがあって
WWE王座、世界ヘビー級王座、NXT王座、ユニバーサルもあったかな?
各々でストーリー展開している。
マンネリ化したら入れ替え戦も行われるし、
合同で開催される巨大イベントのレッスル・マニアもある。
日本プロレスも猪木を除名なんかせずに
日テレ=馬場派プロレス、NET=猪木派プロレスと別ブランドにハッキリ棲み分けする。
鶴田や吉田のスカウトは、各々でテレビ局が補強
年に1度の交流・対抗戦はノーテレビ(PPVがあれば契約視聴できるんだけどなw)
BI砲は発展的に解体され、インタータッグは日テレ側に返上
NET側も独自にタッグ王座を新設、外国人レスラーのブッキング等は
各ブランドカラーに合わせ日本プロレスが行うが、世界王者は両方に参戦
…どっちにしろ視聴率と観客動員で方向性が明確になり、淘汰されるのかな?
でも、ダラ幹の中にマクマホンはいないし団体分裂と何ら変わらないか‥
アホな妄想でしたww >>852
全日に限らず70年代中盤迄は最強レスラーだと思った。
60分フルタイムの多さもそうだけど、常に試合をコントロールしているように感じたし
対戦相手がブリスコや鶴田のようなアマレス出身者だろうと
ロビンソンやホフマンのような欧州勢のキャッチ・グレコの猛者だろうと
格闘ベースのない馬場だろうと、ドリーは自らのスタイルを崩さず対応していたし
標準以上の試合に仕上げている。おそらくゴッチとやってもそうだろう。
それでいて「馬場、次にやれば勝てる」「猪木、最後に卍固め出せば獲れる」
そういう風に思わせる試合を連続してこなすんだから…
フレアー以降の王者とはレベルが違うんだよな ドリー、ガニア、サンマルチノが三代王者だった時代って
若はげ、はげ、薄毛(のちズラ)というトリオだったんだな。 >>884
馬場猪木坂口大木に、鶴田が加わってきたら
日本陣営が強力になりすぎて、それに見合う外人を呼ばないとならないから、どちらにしても
日本プロレスはマッチメーク的に破綻したかもね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています