【スーパーパワーシリーズ】昭和の全日本プロレス89【SUPER POWER SERIES】
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【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 >>62
もちろん、場内アピールとか顔面脚でグリグリとか混ぜてな。
シンのコブラクローとか宙吊りストンピングとかも退屈だぜ 1987年当時だと先進国はアパルトヘイトに抗議して南アとの交流を禁止していた時代だった。日本は南アと貿易は続けていたけど、青木功がサンシティの大会に強引に出場して物議を醸したことがあったし。
薗田であれ誰であれ、日本人が南アで試合に出場するって何にも規制はなかったのかな。 南アフリカへは乗り継いで24時間はかかりそうだな。 馬場は人間として
を強調し誤解されたくなくて
レスラーとしてでなくと言ったんだろ。 >>56 >>59
夢の対決、夢のタッグというのは普段ありえないから夢なわけで。
74年の話だけどNWAチャンピオンシリーズで
放映一週目がブリスコ+ドリー×馬場鶴田
二週目がブリスコ×ドリーとかだった。
米では抗争というか何度もタイトルマッチをやってる二人(レイスも入れようか)だけど
組んでも夢、戦っても夢だったよ。そんな感じになったらなあ、って。 ブロディがサンマルチノの挑戦者になる少し前、76年8月〜11月はハンセンとブロディが
一緒にWWWFをサーキットしていたからハンセン・ブロディ組も実現していたんだな
この時期のWWWFにはカマタ、ブラジル、チャボなんかもいて面白いんだけど、アンドレは
同じコースを回らなかったらしくブロディとの対戦は動画のMSG定期戦以外はほとんど無いみたい
WWWF 13.08.1976 New London, Connecticut, USA
Tag Team Match Billy White Wolf&Chief Jay Strongbow�vs.Bruiser Brody&�Stan Hansen- Double DQ
WWWF 17.08.1976 Scranton, Pennsylvania, USA
Tag Team Match Billy White Wolf&Chief Jay Strongbow�vs.Bruiser Brody&�Stan Hansen- Double DQ
WWWF 04.09.1976 New York City, Madison Square Garden
Best Three Out Of Five Falls Six Man Tag Team Match
Andre The Giant,Billy White Wolf&Chief Jay Strongbow�defeat�Stan Hansen&�The Executioners(Executioner #1&Executioner #2)
WWWF Heavyweight Title�Match
Bruno Sammartino(c) defeatsBruiser Brody�by DQ (16:19) リッキースティムボートは
全日参戦時から、身体のサイズや動き的にも新日向きと思ってたが、
後に新日へ行ったときにはなんかプロレスが古くなってて、当人も峠超えててさんざんだったな 顔とか、ファイトスタイルとかテリーよりは人気出そうだったのに何でかね?
人懐っこさ? >>70
ブロディのDVD-BOXの戦歴には、アンドレと通算9度シングルで戦ったとある
セントルイスかメルボルンの試合ではトップロープからのキングコングニーで
アンドレをKOしたらしいが最上段からの攻撃で反則負けを取られたとか…
映像がないのが残念(大阪城ホールの試合も幻に)
MSG定期戦 6人タッグのパートナーのエクスキューショナーズは
チャック・オコーナー時代のBJスタッドと
ニードロップを参考にしたキラー・コワルスキーだね。 >>72
初来日から日本陣営みたいなベビーフェイス扱いだったからじゃないかな。
そんな扱いの選手、例えばテリーやマスカラスでさえも、最初はヒールとは言わないが日本陣営と戦うポジションだったのにだ。
たたそれがどう影響したかはわからない。
まぁスティンボートの知識はファンはそれなりにあったから難しいかな。 >>72
母親が日本人だということ、ジャッキー・チェンや真田広之らによるカンフーブームにも重なったこと、入場テーマが人気急上昇中のYMOのライディーンであること等々、人気者になる要素満載だったけどね。 鶴田とリッキーのタッグは倉持が
「超フレッシュ・ドリームコンビ」と実況してたな リッキー&スレーター(最強タッグ)
リッキー&ヤングブラッド(最強タッグ)
リッキー&大仁田(AWA世界タッグ挑戦)
リッキー&チャボ(PWF杯)
実現していないタッグでもバリエーションは豊富だったよね。
リッキー&スヌーカ
リッキー&マスカラス
リッキー&テリー
リッキー&ケリー
etc. >>77
マスカラス&スティムボートは実現してる
シングル戦の直後に 伝説の81スーパーアイドルシリーズはクラシックでやったことないね。
マスターテープ残ってないのかな。 >>80
マスカラス対リッキーの3本勝負は当時テレビで見たけど、その後にそんなサプライズタッグがあったんだ!
全然、覚えてないな。 ジノ・ヘルナンデスは若死したんだよな
ガウンにサングラスと言うコスチュームが怪しかった ジプシージョーとジノヘルナンデスが乱入したのは思い出したけど、タッグマッチをやったんだね。
調べていたら、後楽園のマスカラス対リッキーの前日の浦和で三沢がデビューしていたんだね。 >>75
リッキーに相応の抗争相手を作れれば
それなりに人気が出たかもしれないな
ブッチャー、スヌーカとはすれ違い
シンかハンセン、ブロディでも良かったと思う ジノはあんな男前の顔でずっと悪役だったからな、よっぽど悪役が性に合っていたんだろうな。 >>70
その時期にWWWFでハンセン&ブロディが一緒に出ている映像や写真がどうしても見つからないんだよね。
あっても良さそうなんだけどね。是非、一度見てみたい。
その前に、ビル・ワットのテリトリーで組んでたころ(1974年〜1975年)のポーズ写真はよく見る。
ブロディがカウボーイキャラだった(ハンセンからテンガロンハットを借りていた)頃のだけど。
https://i.pinimg.com/originals/ce/e6/c3/cee6c374541821a788309e9297e3735a.jpg
>>83
ジノは手のつけられないコカイン中毒で、マネージャーのゲーリー・ハートの注意も全く聞き入れなかった。 確かに最強タッグの超獣コンビ戦は名勝負やったな。開幕戦の上にパートナーがジェイ・ヤングブラットやから勝敗予想はつくし、体格差から試合内容も圧倒されて終わると思ってたら、大善戦で大盛り上がりやった。 >>88
ハンセンは子供の頃、ヤングブラッド三兄弟の父親リッキー・ロメロの大ファンだった。
93年10月にテリー・ファンクが主催したアマリロ同窓会イベントで、ハンセンはロメロと会えて大喜びしていた。 ジノ・ヘルナンデスの死についてのドキュメンタリーがHuluにあるよ あの試合、今みると全日本らしくない
特にリッキーがハンセンブロディの技を食らってもすぐ起き上がってきて攻撃していらっと来た二人と揉み合いになるシーンが多い。ブロディの椅子攻撃を食らって数秒後に反撃したりとか。
最低限のセルはしてるから不穏ではないけど新日本的というかジャパン時代のプロレスを見るようで長年好きな試合だったけど、ユーチューブで色んな試合を見てくと特にブロディがキレないかハラハラして見てしまう 1987年最強タッグ開幕戦、ハンセン&ゴディvsヤングブラッズも好試合だったね。会場が盛り上がってた。 >>87
ハンセンはサンマルチノと最後の駆け込み王座戦を続けていた頃、ブロディは数カ月後から
挑戦者として王座戦を戦うためにポトスキーやモンスーン相手に売り出していた時期。
いずれすれ違う二人だから、WWWFとしてもハウスショーなどで組ませることはあっても
MSGなどの目立つ大会場ではあまりつるんでるイメージを持たれたくなかったんだろうかね。 1976年にブロディ、ハンセン組はいくつかあったことはあったな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=440&page=4&s=2600 >>89
マードックはロメロのこといけすかない奴と思ってたみたいね。
天龍がアマリロにいたころ「あいつみたいのをシットって言うんだ」とマードックがボヤいてたとか。 >>93
なるほど。
大抗争のピークを終えて出て行く者とこれから売り出される者の組み合わせだからね。
確かに>>94でのハンセン&ブロディの会場を見るとコネチカット、メインなんかのハウスショーっぽい。
MSG、ボストン・ガーデン、フィラデルフィア・スペクトラムの大会場ではサンマルチ戦が多い。 >>95
子供の頃、全日に来てたロメロ(メヒコ・グランデ)から
メキシカンハット?のキーホルダーみたいな物を貰った >>98
その初代ダイナミック・デュオが仲間割れして、一時期ジノがベビーターンしてタリーと抗争してなかったっけ
ちょうどブランチャード派が自前の世界タイトル創設した頃のサンアントニオで 「俺にドライブシュートは通用しない!」
黄金の右腕、ジノ・ヘルナンデス >>67
師匠と弟子とか社長と配下の部下とかって関係抜きに
人間として良い人柄だったって言ってるだけで
この馬場のコメントで「レスラーとしてでなく〜」って部分をフォーカスして
余計なひと言とかレスラーとしては評価してなかったのかっていうのは
馬場に対してさすがに曲解が過ぎるというか狷介だよなあ
>>91
> 特にリッキーがハンセンブロディの技を食らってもすぐ起き上がってきて攻撃して〜
結局チームリーダーであるリッキーの引き出しの少なさ
さらにその少ない中から自ら空中に浮かんでのアームドラッグの連発ってのが
巨漢のハンセンブロディ相手には最初の一、二回しか説得力が無いから
あとはもうチョップや手刀突きといったカンフー殺法wを延々繰り返す以外に
やること出来ることが無くなってんだよな
そしてそれでも「強豪スター」を演じるためには攻撃受けても
すぐにパンチやチョップを何発も繰り出すことで反撃しちゃう
攻めて→攻められて→また攻めて→また攻められて…っていう試合の展開で
時間の経過とともに徐々に大技出してってのが無いから
「自分の攻撃の番」をひたすら急いでるってかんじで >>98
どっちかは、「スーパーデュオ」ってチーム名じゃなかった? >>101
カルロスコロンがハンセンと互角なんだから
リッキーだって出来るさ。 >>103
国民性にもよると思うよ
日本のファンは、これはおかしいと思ったら拒絶するし見極めるからな。 >>101
レスラーとしてはまだまだ未熟、これからだったんだけど、人間としては〜
キャリアをもっと積めばいいレスラーになったと思う----
というニュアンスだと思うし、そう言いたかったんじゃないかな。
思いと口から出た言葉は一致しないもんだし。 >>86
ファラ・フォーセットと付き合ってたんだよね。 >>101
昨日も書いたけど新日本目線ならリッキーはそんなに悪くないし、ハンセンブロディと同格なら怒られる筋合いはないけどね(フォール負けなかったはず)
でも全日本で新日本向きと言われたレスラーもいざ新日本に行くと活躍しなかったりして、スタイルの違いが個性的で面白かったりもする ジョニー・マンテルは新日に来た時は
何度来日してもさっぱりだった。
全日本に登場するとハンセンの動きに
引っ張られて非常に高い評価を得て
確かに動きも良かった。
そして新日に再登場すると元に戻っていた。 >>108
新日は猪木一強だから活かされたレスラーはほとんど皆無。 >>110
マンテル弟はまだマシで、兄ケン・マンテルの方はジュニア王座陥落してから
オープン選手権もサッパリだったし、新日行ったら木戸修に負けて
まるで木戸が鶴田より強いとまで言われた。 >>113
ブッチャー、マードック、キムドク、全日から新日に行って活かされた例
なんてないというか、ほとんど噛ませ犬にされてしまっているよね。
ボスマンもそうだし。猪木トップ路線だから仕方ないけど。
ウォリアーズが初来日が新日だったらどうなっていたのやら。 新間が一番欲しがったらしいマスカラスが
新日に上がっていたらどうしたかな?
鶴田と勝負なしマスカラスに負ける筈はないけど、猪木が勝っていいものかと。 >>109
リッキーって日本ではベビーしかできない、
技が少なく試合を造り技量が低いと言われているけど
アメリカでの評価はだいぶ違うみたいだね
じゃなきゃあんなタイトル取れるわけないか
>>113
木戸がいつか「鶴田が最強ってのは全然違う」と
一度しか対戦経験のない鶴田のことを語っていたが
それはこれが原因なのかもね
>>113
日プロ時代のシングル3本勝負は
リングアウト込みで2−1で猪木の勝ちだったか
再戦しても同じようなものだろう
少なくともすっきりピン勝ちは絶対ないよ >>116
マードックは、全日より活かされたんじゃない? >>118
技が少ないってのは、別に悪いことじゃないけどなあ。 >>116
マードックに関してはそれほどでもないと反論
猪木には完敗したが、新日は猪木絶対主義だから仕方ない
シングルでは坂口と藤波にはピン負けはゼロだった筈 小泉悦治の「史論 ― 力道山道場三羽烏」買ってきた。
ぬるい小佐野の鶴田本(笑)などとは比べ物にならない濃密さで、
特に大木金太郎に関する部分はまさに息をもつかせぬ面白さ。
ただし1964年2月17日、馬場が飛び入りのようにサンマルチノに
挑戦したMSGのタイトル戦(その前後三か月、MSGではドクター・
ジェリー・グレアムがサンマルチノに連続挑戦していた)について
Gスピリッツ40号の雑誌連載では
「試合の方は、サンマルチノがカナディアン・バックブリーカーで
勝利した。再戦・再々戦が予定されていない以上、初戦で結着が
付けられたということだ。なお、この試合が3本勝負で、2本目が
ニューヨーク市の条例により午後11時に打ち切りになったというのは
日本向けのストーリーである。」
と通説を否定していたのに、単行本ではなぜか
「試合の方は3本勝負で行われ、1本目はサンマルチノがカナディアン・
バックブリーカーで先取、2本目の最中にニューヨーク市条例
(午後11時以降の興行は禁止)で試合はストップになった。」
と以前からの通説に逆戻りしてしまったのは、何か新しいデータが
見つかったせいだろうか。 マードックなんて新日本でハマる全日本系の代表と思ってたけど。失敗系は時期が違うことで衰えとかもあるからな >>121
藤波には88年飛龍革命中に新潟・五泉市民会館のシングルで負けてる
TV中継もされた
逆にマードックが藤波にピン勝ちってタッグでもあったかな?
まあ俺もマードック移籍成功派だが マードックはディックザザブルーザーみたいに
真正面からの殴り合い上等!の
ギラギラした殺気じみた全日時代に比べて
新日時代は尻もちブレンバスターと
半ケツの印象が高すぎて困る
あとはもっさりしたカーフブランディングも…(´・ω・`) そういうのが個性的だったんじゃない?コミカルな超実力者として重宝されてたような
ジャパンや天龍同盟時代の全日本だとトップ外人は肉弾戦を期待されたからマードックは合わなかったと思う >>122
いちいち他の本を腐さすなよ。ガキか。
いちいち全日スレ来なくていいから引っ込んでろよアゴヲタ。 谷津も、新日本より全日本のほうが試合の組み立て数ははるかに多い、長州よりジャンボのほうが試合を複雑に動かす、ジャンボより天龍がもっと動かす、って言ってるね。 マードックは全日時代に「ブッチャーと一緒に飯食うのはイヤだ、一緒のホテルに泊まるのもイヤだ」
とさんざん人種差別イジメを繰り返していたのに、新日移籍した途端に手のひら返して対戦を熱望。
テリー見て考えついたんだろうが、信頼関係もないのにブッチャーが対戦承諾するわけないよな。 >>129
そりゃ、ブッチャーと一緒にしないために、最強タッグやチャンピオンカーニバルといった、デカイシリーズにはほとんど呼ばれなかったもんなあ。
新日で居場所確保するために、ワガママは言えんと思ったんだろ。 >>124
86年のIWGP公式戦でピン勝ちしてるよね。 >>131
81年10月蔵前での対戦熱望も、ブッチャーが対戦拒否して二人とも試合が組まれず。
11月蔵前はタッグ戦が組まれたがアレンが負傷、マードックがシングル対戦を迫り挑発するも、
ブッチャーは対戦相手にマードックのパートナーだったブラボーを指名してシングル対決。 >>114
殺人説もあり
その辺のことはHuluで配信している
「Darkside of Ring」ってドキュメントでやってる
ブロディの回とエリック一家の回は
日本のプオタには面白いかと
ブロディの息子が微妙なオッサンになってるw >>135
このデータを見る限り、サンマルチノのタイトル戦はほとんど
1本勝負なんだね
ビデオが残ってる試合もタイトル戦はたいがい一本だったし
馬場が挑戦した日の興行も第一試合だけは3本勝負で27分弱、
あとの第二試合からセミファイナルまでの5試合は平均10分で
終わっているんだね
試合時間だけなら全試合の合計が約90分か
カジ先生の「ジャイアント台風」は、ビンスシニアが11時で
打ち切りになるように実力伯仲のレスラー同士の試合を
大量に組んで、全試合ことごとく時間切れ引き分けにして
馬場を敗北に追い込むっていうストーリーになっていて
団体側のささやかな発表から話を膨らませるマンガ界は
凄いものだと思ったものだったなあ >>137
ビンズ・シニアではなく、
サンマルチノのマネージャー、アーノルド・スコーランだよ。
馬場は、作中でセミのカードのマッチメーク権を
要求するスコーランを見て、
「世界タイトルマッチなら、前座でもギャラが良くなる」
選手からリベートでももらうのか?と思ったが、
試合後、その計画(サンマルチの王座を守る)に気づく。 >>137
ビンス・シニアではなく、
サンマルチノのマネージャー、アーノルド・スコーランだよ。
馬場は、作中でセミのカードのマッチメーク権を
要求するスコーランを見て、
「世界タイトルマッチなら、前座でもギャラが良くなる」
選手からリベートでももらうのか?と思ったが、
試合後、その計画(サンマルチの王座を守る)に気づく。 >>137
ビンズ・シニアではなく、
サンマルチノのマネージャー、アーノルド・スコーランだよ。
馬場は、作中でセミのカードのマッチメーク権を
要求するスコーランを見て、
「世界タイトルマッチなら、前座でもギャラが良くなる」
選手からリベートでももらうのか?と思ったが、
試合後、その計画(サンマルチの王座を守る)に気づく。 マードックの新日初期での蔵前、ローデスとアウトローズ再結成
相手は藤波長州組だったか?ほとんど何もさせず圧勝した試合が印象深い
長州に決めたオクラホマ・スタンピートは豪快だったね
ローデスのエルボーとの連携も鮮やかだった
マードックvsブッチャーは猪木欠場シリーズの83年夏にやってた覚えがある
テレビ放送では、冒頭の数分で両リンか反則で試合内容は全く記憶にない >>137
サンマルチノの場合、決まったテリトリーの中で
2〜3か月ごとに抗争相手を代えつつ自分の方がベビーのエースとして防衛を続けていくわけで
そこで三本勝負で長時間試合をしたり一本落として盛り上げる必要は無いしね
その代わりに抗争初期の段階では反則絡みや市条例による時間切れで
王座移動は無いものの手強い挑戦者に苦戦してみせることで「決着戦」まで盛り上げる
NWA王者の場合は挑戦者である地元エースの方がそこでは応援される側だから
“惜しくも”タイトル移動成らなくても挑戦者が1本取って接戦を繰り広げることに意味がある 佐藤昭雄 1988 Southern Championship Wrestling from Georgia
https://youtu.be/LPZZ822JdB0?t=4364 >>118
木戸の脇固めは鶴田さんが普段出さない
左腕ラリアットを切り返してるからね。
一試合のタッグではさっぱりわからないだろうね。 >>144
日本でもなじみのメンツがけっこう出場してるね
しかし、会場の規模が…デイファ、いや新木場ぐらいか?
いちおうこれでもビッグマッチなんだろうか?
日本なら大田区体育館や横浜文化ぐらい、最低でも後楽園ぐらいで開催できそうなメンバーだが… >>112
ハンセンが新日を離脱した理由のひとつに「外人レスラーは猪木を盛り立てる"商品"で
しかない!」と上げていて「その点、馬場は自由にやらせてくれる!」と述べていた。 >>147
そう、まさにそれ。
せっかく未知の強豪が来日しても猪木に延髄葬されてしまう。
ハクソー・ヒギンズとか惜しかったなあ。 >>146
10分1本勝負だから普通のテレビ・テーピングマッチだね >>149
サンクス、ビッグマッチの宣伝用カードか…
昭和全日のリバイバルを狙ったといわれた、
当時のIWAジャパンみたいな雰囲気と人選だメンバーだなあ… >>148
ヒギンズはそれでも85年末、ブロディとのシングルで両リンという厚遇を受けているのが謎。デビアスやスレーターに対してすらピン勝ちブックを得ているブロディが、明らかに格下相手との引き分けを飲んだのはなぜなんだろう。 >>151
あれはヒギンズが負けるはずだったんじゃなかったっけ
段取り忘れたか間違えたとか5chで見た事あるな。 後楽園の猪木vsヒギンズ戦は、ヒギンズのバックフリップがまともに決まって
猪木の完敗だと思ったら高橋がカウント2で無理やり止めるんだからw
ブロディ戦くらい迄は売り出す気満々だったが、盗癖がバレて呼ばれなくなった。 >>133
ブッチャーがブラボーを指名したのは新間からの指示とかはないかな。
大体こんな対戦相手を決めるなんて事前に決まっているはずだし。 >>154
> ブッチャーがブラボーを指名したのは新間からの指示とかはないかな。
ブック通りなのは間違いないだろ。
事前に決めてないと勝敗も決められない。 トンバチ程度はともかく試合の段取りすら忘れ
容疑者が限られるからすぐにバレる控室での盗みなんかやるガチのバカは使えないんだな
フィジカルは申し分なかっただけに勿体ない ヒキンズもいたな
アメリカンプロレスとの手合いは猪木、全日本レスラー、新日本レスラーの順になり猪木相手だと負けるから外人も苦慮してたと思うわ
でも猪木以外全員に勝てるからプライドは保てたかもだけど ヒギンズもだが同じ「ハクソー」名のハクソー・ジム・ドゥガンも初来日してたね
「ポスト・ホーガン」というか「ポスト・ハンセン」の期待がかかってた
正月早々に猪木とのシングル大抜擢、しかしセンスがというか、鼻につくようなパフォーマンスが…
観客の失笑も買ってたし、試合テンポが悪かった、瞬発力は良かったんだけどね。
両者ともウィリアムスが来日してから影が薄くなった感じ
UWF軍やワカマツ帯同のマッド・マックスや、あの時の新日はゴチャゴチャしてたね。
同時期の全日は新進のラシアンズがけっこう良くて、
USエクスプレスやマスカラスなど渋いメンバーとのバランスが良かった。
東京と札幌のインタータッグ連戦も良かったし、ジャパンがいた頃のベストシリーズな気がする。 細かいこと言うと再来日な
初来日の頃は員数外人だったけど ドゥガンが初来日した頃の新日本の外国人レスラーの公称身長が無茶苦茶だったから
185か186cmくらいになってたな。だから、サイズ的にエース格は無理だと思ってたわ。
新日本の話で悪かった。 >>154
>>155
> ブッチャーがブラボーを指名したのは新間からの指示とかはないかな。
俺もそう思うが、マードックを避けたブッチャーは
明らかに商品価値を落としたよね?
なら、あんな茶番をせずに、最初から
ブッチャー対ブラボーにすれば良かったのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています