【森忠大】国際プロレスpart23【田中元和】
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夢とロマンと理想を持った吉原功社長の志が、今の時代の企業観に置き換えるとまるでブラック企業のそれだった!
とはいえ、国際プロレスが元祖インディーズと呼ばれた背景や功績は、この吉原社長の存在なくして実現出来なかったそれだとも思えた。 離脱レスラーの新日における入場曲
・ストロング小林 聖者の行進
・ヒロマツダ 宇宙のファンタジー
・剛竜馬 ?
・サンダー杉山 ? 国際離脱→新日参戦といえば
豊登もそうなんだな!
無論、入場曲はなかったが。 >>4
>・ストロング小林 聖者の行進
マジで? かわいいwww 小林が国際に出た時のテーマ曲は新日でのテーマ曲?
この前の後楽園でも同じ曲がかかってる。
https://www.youtube.com/watch?v=_Chbde30pYQ >>7
これは国際の中継のいろんな場面で使われる汎用?曲ですね。
ラロてん ミスった
>>7
これは国際の中継のいろんな場面で使われる汎用?曲ですね。
ラロ・シフリン「燃えよキングコング」 YMCAとか使えば良かったのに。
西城秀樹より前ならさらによかったが。 >>9
大木金太郎のテーマだって言われてたけど
大木金太郎の国際時代の入場曲はコズミック・ハイウェイだったな 「燃えよキングコング」は新日ではジェシー・ベンチュラのテーマだった
新日末期の小林のテーマはオリジナルの「ストロング・ハッグ」
https://youtu.be/gBFRbL0Fwfw
会場でどれだけ使われたか分からない
ハンセンアンドレの田コロで、坂口とシングルをやった時に流れたかなあ >>13
小林のテーマ曲というとオールスター戦でもかかった
テレ朝のスポーツテーマ曲という印象がある。 井上が婚約した頃?だったか忘れたけど、
ちあきなおみ『4つのお願い』で入場したことがあったw 「ストロング・ハッグ」もイントロなどに旧テレ朝(というかNET)の
スポーツテーマの雰囲気を感じますね
あの新日本のオリジナルテーマ集、たとえばハンセンやシンのテーマが
それぞれ以前に使っていた、リベンジャーのテーマ(ファイヤーパワー)、
タイム・マシンをマイナーチェンジした曲みたいに聞こえることといい、
とりあえず版権をクリアできるものを新日本レーベルででっちあげよう、
みたいな雰囲気が無きにしも非ず テレビ局側の努力が余り評価されないのが不公平
黙って映して金を払ってればいいんだって感じで 木村vsパワーズ、ニックvs大木ほかの4大タイトルマッチは、ひな壇席側にメインカメラを設置して、
南側の固定席が映るようにしていた。たぶん後楽園ホールを大会場に見せようとしたんだと思うが、
画面を見ていて新鮮に感じた放送だったな。国際プロレスアワーのスタッフは努力していたと思う。 TBS時代のIWAワールド・シリーズの参加選手入場式では、
TBSのスポーツ行進曲が使用されていた。 >>20
天井にカメラを設置しての映像は斬新だった。後楽園だけだっけ?
制作費の関係でひと会場で二週分の収録を行わなければならなかったので
1週目の木村、二週目は井上でメイン締めると二週目は木村の腕相撲対決を
入れるとか「番外地」ならではの工夫をしていた。
○○大タイトルマッチの発想もボクシングの世界戦をあまり放映できないできないので
日本チャンプのタイトルマッチを複数に並べての「チャンピオンカーニバル」の成功が
あったらしい。 >>3
欧州マットで発掘したアンドレと、レスラーとして甦らせたゴッチ
この二人を囲っていたなら、新日本もどうなっていたか分からない。
それにしてもいい写真だなー 今日は金一道場も交えての全日本との三軍対抗戦初戦の日
木村もだが馬場も失う物が大きかった感じのシングル対決 >>26
木村が傷つかないことを大前提に考えた、負けブックなんだから仕方がないだろ?
オープン選手権→ブッチャーの乱入による流血のせいで、馬場に負けてしまった。
三軍対抗戦→芳の里レフェリーの不可解な判定のせいで、馬場に負けてしまった。 馬場は「国際プロレスの木村」を、全日の蔵前メインのリングに上げて試合をしたからな。
猪木は「国際が潰れてからの木村」を、新日の蔵前メインのリングに上げて試合したが。
新日との提携時代は、ストロング姉さんとのIWA防衛戦を新日で開催してもらったぐらいかな? 河津掛けみたいなショボい技で負けた木村弱い、という感想しかなかったけどな。アレとネックブリーカードロップは痛そうに全く見えなかった。
更に言えば、馬場にもチョッカイ出したから、ブッチャーのせいとは思えなかった。 >>20
「世界四大タイトルマッチ」という超豪華カードなのに
1600人しか入らない後楽園ホールとは情けない、新日なら蔵前国技館を札止めに出来るだろうに
しかしニックはともかく、猪木、坂口に負けたジョニー・パワーズではなぁ…
あとは裏切り者の剛、相手の技を受けない健吾兄さん、ヤ〇ザにウケが良いしか取り得がない永源
両メジャー団体をお払い箱になった頭突き世界一 4の字掛けられてロープブレイクと思いきや10カウントのリングアウト負けは確かに気の毒なんだけど馬場からは対等の立場とは認められなかったのがね。 >>27
>>30
そこは馬場や吉原が立場や力関係も含めどう考えてたかにもよるだろうけど
考えられるパターンとしては
・それまで互角だったのにブッチャー乱入後、河津掛け一発でフィニッシュ
→乱入とそのどさくさまぎれの速攻で負けたんで実力負けってわけじゃない
or
乱入あったとはいえ一発で負けるなんてやはり力の差は歴然
・(仮に)乱入後もしばらくは流血しながら互角に戦ったうえで最後はピン負け
→乱入によりダメージ負いながらも最後まで頑張った木村すごい
or
乱入もあったとはいえその後もずっと戦ってたうえでのピン負けなんで普通に馬場>木村で完全決着だな
この辺のファンの見方に対する読みが勝つ側の馬場はともかく負ける側の吉原さんは
やっぱりちょっと甘すぎる感は否めないよね
あとオープン選手権の頃って既に長年トップだったBIに比べて
木村は実力はあるとは言われながらも第三団体であった国際の
万年エース候補からその年ようやくIWA王者になった
いわば「穴王者」「かけだしエース」だったんであって
この後の団体崩壊までエースを張り続けた絶対王者木村とは
この時点では「両軍の大将対決」といっても正直まだちょっとニュアンス違ったんだよね
・ 今もよくわからない物
新日に行ってからラッシャーが多用した
右前腕のサポーター
灰色のあれ
ラッシングラリアットのギミックだったのかな >>33
一応プレ日本選手権優勝者対日本リーグ争覇戦優勝者の対戦なんだよな>猪木対木村 >>31
新日なら蔵前を満員にできるんじゃなくて、猪木がいるから蔵前を満員にできるんだよ。
当時の国際が蔵前を満員にするなんて絶対無理。木村が悪いんじゃなくて、猪木がいないから。 >>36
猪木欠場でMSGシリーズ決勝、猪木舌出し後の蔵前が猪木がいなくても満員になってる。 >>37
佐山タイガーがいた時期は別格。MSGシリーズだって猪木がいる前提でチケット売ってるし。 観客動員なんて誰のパフォーマンスを金を払って観たいかに尽きるんだよな。
新日一座の猪木やタイガーの芝居・演技が頭抜けていて、圧倒的に支持を得たから
80年代は“プロレスブーム”じゃなく“新日本プロレスブーム”なんて言われた。
馬場も名優だったが猪木は千両役者だった。
当時は芝居だとは思ってなかったのが哀しいww >>35
準優勝者対決があったとしたら
ヒロ・マツダvsプロフェッサー・タナカ…
もし吉原さんとマツダの確執が無ければ
吉原さんならこのカードでも蔵前に打って出そうで困るw 途中から統一日本チャンピオンシップ
準;猪木×P・タナカ、木村×マツダ
決;勝者同士
これなら蔵前で1万いけるか? 四大タイトルで1600人 同日他団体試合合ったのでは それにしてもひどいな 1600って今の感覚だと超満員だけど当時は3000人以上の発表がざらだったから
5~6割の入りという事なのかな プレ日本選手権覇者と日本リーグ争覇戦覇者の戦いが2年以上に渡っての抗争になってったってのが、
プロレスの歴史の面白いところ。
猪木はマツダ、小林、ロビンソン、木村と国際プロレスの歴代エース相手に名勝負を演じたってことになるんだよなあ。ほかにもグラハム、アンドレ(ロシモフ)とも戦ってるし。 >>46
猪木とマツダ、木村戦は名勝負ではない。
むしろ国際参加直後のゴッチと戦ったことが
印象深い >>48
猪木とラッシャーはロングラン抗争になったんだから成功じゃないの? >>49 グラハム、アンドレの名前出すならゴッチも、というつもりで書いたのだけど。 カールゴッチって、国際への参加で再ブレイクしたからな。
その前は日本プロレスでセミリタイヤのコーチ格だった。
国際で商品価値が上がったからこそ
初期新日本の看板になった。
ある意味育てて新日本に取られる最初のパターン ゴッチって国際には1回だけだったんだな、何回も来てたイメージがあった。 >>50
言われてみれば抗争としては成功だろうけど
名勝負ではないよな。
ゴールデン中継の連続ドラマとしては見応えがあった。 >>44
マッチョマンは、国際が誰かの入場テーマで使っていなかった? プロレス悪役シリーズ
原作真樹日佐夫、漫画一峰大二
ですでにゴッチはハワイでゴミ収集で生計を立てている、と描かれていた
プロレススーパー列伝での評価V字回復はその頃では考え難かっただろう。 >>55
二度めのシングルのランバージャック戦はどう? >>58
猪木だけ場外悠々と歩いてて八百長じゃんと思った。 ゴッチ招聘は“スネークピッド”の弟弟子ロビンソンが吉原に進言し実現した。
この来日で現役復帰(別に引退してないが)したが、
日プロでコーチ経験があった経緯から、目玉となる外国人レスラーを探していた
新日本に引き抜かれるのは予想できた。 1961年にカールクラウザーで来日しただけで
セミリタイヤの幻の強豪みたいな扱いだった
ゴッチが、全国放送で国際外人エースの
ロビンソンに優勢を示し、ロシモフに
ジャーマン、エースのサンダー杉山を
ピンフォール。
無茶苦茶格上げしてくれたな >>64
そらプロレス雑誌ではな。
1966年の来日では怪我して馬場戦も流れ、
本領発揮できず。
以後67年、68年はコーチと模範試合のみ。 ロビンソンはドイツ人が大嫌いだった説があるが、ゴッチとの相性はどうだったんだろう?
ホフマンとは犬猿の仲で、オープンタッグは別ルートのブッキングで無理に組まされたらしい。 スレタイに森忠大とあるのに話題が全然出ないなw
森忠大の名言
「吉原が日プロをやめて独立すると言うので絶対やめろと忠告した
お互い「日テレ」「TBS」という看板を背負っているから相手は頭を下げる
その看板を捨てたら誰も寄ってこなくなるのに、あいつはそれが全然わかってなかった」
吉原という人間をよく表現している 森プロデューサーはテレビ主導のTBSプロレスの仕掛人というだけでプロレスファンの偏見を受けている カールゴッチが神様と言われる理由が分からない
神様と言われるのだからどんだけ凄いのか
どなたか説明してほしい >>65
例の隅田川決戦の時の日プロの蔵前大会でも試合をしてたんだっけ 森忠大「東郷を呼べるのなんて当時の国際には吉原しかいないんです。TBSは一切タッチしてない
そもそも東郷を呼ぶよりマツダが抜けたのが先なんだから。
その前の赤字興行でマツダと吉原は揉めてどうにもならなくなってた
それを東郷を呼んだからマツダが抜けたみたいな話になっちゃって…」 >>39
芝居っていう言い方嫌い。
プロレスでええやん。 ゴッチは初来日でグレートアントニオ暴行事件とか
やらかしてるからねえ 共犯ビルミラーだけど
プロモーターは呼び辛くなっちゃったんだろう。
それでチケット売れるほど人気あるわけでもなし。
それとも、カールゴッチは大物ではないかな?フフフ
猪木もも少し切符売れるやつ連れてこいよ、って
おもってたろう。 カブキ
「ゴッチは新日本プロレスのファンやレスラーから”プロレスの神様”と崇め奉られたが、
俺は猪木さんによるイメージ戦略の賜物だと思っている。俺はゴッチのことを強いとはとても思えなかった。」 東京12chで放送された猪木ゴッチ戦の視聴率はどうだったのかな? >>71
プロレスのニックネームにクレーム入れてもしょうがないだろw >>74
マツダと吉原で旗揚げしたけど、マツダがエースのシリーズなんてないんだよな。
やっぱり国際の運命を決定付けたのは、テーズvs草津の1戦だと思う。
吉原もTBSの意向通り、駆け出しの草津がプロレス界最高の実績を誇るテーズに勝つ
なんてことをしたら、アメリカのマット界から信頼されなくなり
格も序列もないがしろにするプロモーターだという烙印を押され、いいレスラーを
呼べなくなってしまう。
かといってTBSの意向も無視できないから、バックドロップで失神という
ハプニングを装ったのではないかな…
草津完敗から間もなくして、吉原は草津を国際プロレスの取締役に就任させ
草津が団体運営での発言力を増していくことになる。 >>76
グレートアントニオは、当時アメリカでもサンマルチノやガニアと対戦する人気者で、
第3回Wリーグで起こったミラーとゴッチの制裁で途中帰国というアングルも
そもそもシリーズ途中までの契約しかなく、予定通りの帰国だったようで制裁事件を
でっち上げたとする説もある。 >>78
9.8%(ビデオリサーチかニールセンかは不明)
ちなみに同週にレギュラー放映された他団体の視聴率は
日プロ・NET・・・14.7%
国プロ・TBS・・・ 9.2%
全日プロ・NTV・・10.5%
だった。 >>83
この時期、日プロは馬場、猪木が抜けていても、伝統の金曜8時放送というだけで、そこそこ
視聴率を稼いでいた。逆に土曜の全員集合の裏にまわった全日本は苦戦。
国際も放送が日曜6時台になって、数字が下降気味だったね。 >>66
第3回IWAワールドシリーズの有名なエピソードがあるね。
ゴッチvsロビンソン戦の対戦後、ロビンソンが上から目線で
「あの時あんたの脚を折らなかったのは、武士の情けだ」とゴッチに微笑んだ。
この時以来、後輩ロビンソンに対してはいい感情を持ってないのでは?
ゴッチ道場にロビンソンと書かれたダミー人形があって、ゴッチはそのダミーを
ぶん投げていたという西村の証言もある。
その気難しくて頑固なゴッチと、他のレスラーを見下す発言をするロビンソンを
馬場は最強タッグにコンビで呼ぼうとしたんだよなw
プロとしてゴッチも快諾したけど、寸前で新日本にバレて幻に終わった。 こう言う人間だからセーラー・ホワイトにボコられて小便をひっかけられた>ロビンソン >>71
堺正章の父親で喜劇役者の
堺駿二が、テレビで「喜劇の神様」と
紹介されたことがある。
彼の晩年をちょっと知っている世代としては
大いに疑問だった。
「人気コメディアン」「名脇役」であっても
「神様」ではない。
主演映画がない神様がいるか?
堺駿二が神様なら、エノケンこと「榎本健一」は何だよ?
「絶対神」だな?(苦笑)
と思ったら、その呼称はなくなった。 >>85
他のレスラーを見下すロビンソン
そんな高慢ちきな男を嫌っている先輩のゴッチ
それを知っていて、この二人をタッグを
組ませようとした馬場。
嫌な後輩でもビジネスのためならタッグを組む
「神様ゴッチ」
三者三様に情けないと言うか、嘆かわしいなぁ。 ゴッチについてはGスピリッツの特集号(2017年)はありがたかったな
櫻井康男の色がつく前の日本におけるゴッチの語られ方の系譜とか
櫻井康男は「原爆固め」の名は初来日の吉村戦で見たジャーマンの
衝撃に、自分がとっさに命名してデスクに電話したと言い続けていた
ものだけれど、来日以前からすでに力道山の言葉として「原爆攻め」
(なぜかアトミック・バック・ホールドという名だった)はマスコミを賑わせ
テレビで試合ぶりが中継される前からすでに会場で大人気だったとか
色んな事が書かれていて楽しい
ワールドリーグ戦の5年前に日プロで馬場のインター王座に挑戦する
予定だったのが熱を出して入院してタイトルマッチも中止、これが逆に
後年のゴッチ最強神話を作る幸運になったというのもこのGスピだと
思ったけど違ったんだな (「プロレス事件史」あたりだろうか) 力道山はゴッチと対戦した後「強けりゃいいってもんじゃない」と吐き捨てたらしい。
扱い辛いシューターのイメージが日本では付いてるが、
本当にそんなレスラーなら、アメリカマットでテーズのNWA王座に9回も挑戦したり
WWWFでタッグ王者になったり出来ないはず。
観客ウケが悪かったのではなく、対戦相手がゴッチを嫌がったのが真相では…
ベルギー生まれでありながら、ドイツ人ギミックも受け入れ
ロシモフにジャーマンを決めながらレフェリー不在という
プロレス的演出にも否定的ではない。
性格的に難ありなら、日プロ、国際、新日もコーチなんて頼まないと思う。
“プロレスの神様”は、新日が権威付けのために言い出し
ゴッチ伝説もこの頃に作られたんだろうね。
トップスターになるより、技術の追求ばかり求めたから“神様”イメージがハマった。 >>88
別に馬場が敢えてゴッチとロビンソンの不仲を知って
組ませようとしたわけじゃないと思うけどね。
ゴッチならロビンソンがプロレスのアングルとしてよさげと思った、程度だろう。
ゴッチ+ロビンソンを馬場+鶴田が破ることによって
その二人に劣勢だった猪木を間接的に下げる意図くらいはあったろうけど。 基本的にゴッチの「神様」扱いとその日本での人気ってのは
司馬史観による坂本龍馬とか吉川史観による宮本武蔵みたいなものと思っとけばいい
龍馬も武蔵もそれなりに有能だったり活躍した人物だったのではあるだろうけど
現在、一般に流布している大物・偉人的なイメージは
司馬や吉川の著作から生まれて独り歩きすることで膨らんだ限りなく虚像に近いいモノ
カジセンセイによるマス大山伝説と同じようなもの 不遇な天才を好む判官びいきの日本ならではの現象なんだろうな 元々、実力者として評価のあったゴッチが、新日本の隆盛と共に神格化されたんじゃないの?
今の視点でみれば、ゴッチは普通のプロレスしかしてないし、不透明決着も多い。まあ、雰囲気とか凄そうでイメージが増長されるのも当然とも思うけど。 あのコールされた時のビシッとした挨拶ぶりなんか礼儀にうるさい日本受けしそうだな >>94
そのアリバイとして「アンドレをジャーマンで
投げた」は大きく使われたがね >>96
ゴッチの逸話って真贋以前に
基本的にゴッチ自身というよりは
相手のネームバリュありきのエピソードばかりなんだよな
控室で“あの”ロジャースをぼこった
“あの”ジョナサンを破って(旧)AWA王者になった
控室で“あの”グレートアントニオをぼこった
“あの”アンドレをジャーマンで投げた
“あの”猪木の師匠 >>87
堺駿二の主演作は一応あったよ
作品名忘れたけど大阪が舞台なのに大阪弁が全然出ないんだよww >>95
日本デビュー戦の吉村戦ですでに大ウケだった
https://www.youtube.com/watch?v=_NLk44asym4
Gスピでは「戦前育ちの人にはドイツは親近感を持って迎えられていたし
ドイツ=ナチス=悪っていう図式が(エンタメ映画などで)日本で広まる
のはもうちょっと後だった」というのも良い印象に一役買っていたと
書いてるね さっきはあんなこと書いたけど、日本でゴッチ神話を作り定着させたのは
櫻井康男だと思ってる
猪木がまだだ出てきていない馬場エース路線の初期の頃から、ゴング辺りでも
「ゴッチに教わって真の強さを身につけなければエースとは言えない」みたいな
記事があって、デビュー戦でゴッチのスタイルにほれ込んだ柔道育ちの櫻井が、
「日本人好みのガチっぽいスタイルを幻想としてまとわせられるレスラー」
としてゴッチをチョイスし、それを新日本で猪木の「ストロング・スタイル」として
売り物にする際に象徴として持ち上げ続けていたはず
門馬・菊池ら国際のシンパがチャールズ、ジョイス、ロビンソンら欧州勢の
クリーンなスタイルに傾倒したのに対し、櫻井がゴッチにのめり込んだのは
何が原因かはよくわからない
日プロ時代のコーチとしてのスタイルが求道者的に見えたんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています