【勇猛シリーズ】国際プロレスpart22【日本リーグ争覇戦】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
引き続き国際プロレスについて語り合いましょう
※前スレ
【エディグラハム】国際プロレスpart21【ジエンフォーサー】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1574259021/ >>850
そのマツダが東郷、TBSがつくと同時に
撤退してしまったんだから、ますます団体の理想のビジョンが見えなくなった。 >>844
晩年の日プロと言えど、上田は大木とインタータッグ取ってるからヤマハ、極道クラスではないだろ。 >>852
微妙
1972年ワールドリーグ成績
馬場 16点
坂口 15点
大木 13点
斎藤 8点
吉村 7点
上田 7点
星野 6点 >>844
馬場はレスラーの格付けというものを重視してたな >>844
上田が謀略的な奪取、木村気落ちして一旦タイトル線から離脱
井上、草津、味変にガイジンとかが挑戦するも移動せず。
もう大将の木村しかいない〜となる展開を考えていたとも思うが
逃げられてはまったく困ったの一言だろ。
その後の決定戦が木村×プロフェッショナル、というのも間抜けに拍車がかかった。 >>855
プロフェッショナルじゃなくスーパー・アサシンな 上田のタイトル奪取は子供の頃衝撃的でした 確か月刊誌の白黒写真の上田の嬉しそうな顔 その後の逃亡の事よく知らないし調べても出てこないから 先輩方教えてもらえますか? >>856
訂正ありがと。
で、いかにもな付け焼き刃決定戦だよね〜。
その時に来ていた外人の中のトップってだけで。
>>857
上田ものちのちの抗争を予定していたんだろうけど
まだら狼としてかなり注目されたので新日から誘いがあり
さっさと国際との仕事に見切りをつけた。
IWAタイトルを持ったまま来いなどと言われたらしいが
上田はそこまでは思い切れなかったんだろう、さらりと返上。 返上じゃなく王座預かりでは?上田が木村の挑戦を受けたリターンマッチが没収試合かなんかで。 >>857
上にも書いてあるけど、76年に全日と日テレ双方の契約が満了した上田は
馬場猪木木村の3団体エースに挑戦状を送り、いち早く吉原が反応し上田を招聘。
6月11日古河市立体育館で木村のIWA王座に挑戦、凶器攻撃から体固めで王座奪取。
この上田に目を付けだのが新日の新間寿
新間は「IWAのベルトを持って新日本のリングに上がり猪木と対戦して欲しい」と
オファー。上田も知名度の高い新日の引き抜きに応じたが、ベルトは国際の物であり
木村に負けてベルトを置いていくのが業界のルール
銚子市体育館のリターンマッチは金網デスマッチで行われたが、
両者金網から出てしまい収拾がつかなく没収試合、上田のタイトルも没収された。
越谷市体育科で王座決定戦が組まれたが、銚子の試合で左腕を脱臼したと棄権
代打としてスーパーアサシン(ロジャースミス)を指名し、木村が王座返り咲きした。
上田はシリーズが終わると途端に新日を挑発していき、NWF戦の猪木vsシンの
終了後リングに私服姿で上がり、挑戦状で猪木の横っ面を張って挑発
翌77年からシンのパートナーとして新日に参戦する。
勝ち逃げを許して移籍させ、新日を儲けさせてしまったのは吉原の人の良さなのか
経営者としての甘さなのか? >>860
> 勝ち逃げを許して移籍させ、新日を儲けさせてしまったのは吉原の人の良さなのか
> 経営者としての甘さなのか?
そういうのを人が良いなんていいのはバカだけだ。
従業員を食わせていく責任感が希薄。社長の器ではない。 馬之助は最初から新日本参戦狙ってたんじゃないかね。
でも新間あたりに「その前に国際行ってハクつけてこい」と言われ
吉原に話を持ち掛け。吉原は体よく利用されたのかも >>852
崩壊直前の日本プロレスの陣容は、大木、上田、小鹿、松岡、高千穂、ヒライ、その他前座レスラー。
このメンバーでインタータッグ王者になっても、何の箔付けにもならんだろ。団体崩壊直前には王座奪取されてるし。
そう言えば、この頃の日本プロレスのタイトルマッチは、プロレス雑誌で「二流のチャンピオンと二流のチャレンジャーによる二流のタイトルマッチ」と叩かれていたな。 村松友視が「そんじょそこらの日本のエースより強い上田馬之助」
的なことを言っていた。
あのまま木村との抗争が盛り上がれば単独外人級エースだったのに。
シンと組んだもんだからタニマチも半分こみたいになり、以後タッグ屋として
これも村松の言を借りれば「シンとお神酒徳利」みたいな扱いになる。
悪いことに、上田がシンの添え物的な扱いになっていた。
シングル戦の少なさがその証拠。
まあ、それでも新日のほうがギャラが良さそうだが・・・ >>865
シンの添え物かなあ。
シン上田のタッグでは、上田の方がむしろ
悪の主役として憎悪を買ってたと思うけど。
糸井重里のエッセイでも上田に対する坂口征二の
「上田貴様それでも日本人か!」発言が取り上げられてるし。 上田は背丈はあるけど、腹が出て脚が細くて、シャープさも力強さも感じられない体型だし、花道からリングに上がるまでは客をヒートさせるけど、試合が始まると、クロー、チョーク、顔面かきむしり、急所打ちのループで全然盛り上がらない。
カブキと同じ出オチのレスラーで、こんなのシングルのエースなんかで使えないよ。 >>864
それもそうだが、月刊プロレスには
「馬場→大木、馬場猪木→馬場坂口→坂口大木→大木上田というベルト移動に、プロレスの『からくり』がいやらしいほどあふれていた」と、
はっきり書かれていた。
つまり専門誌がプロレスの八百長を認めてしまったのだ。そう言わせてしまった罪の深さ >>863
最近の吉原氏に関する証言を見ると、
吉原社長も了解済みで、新日から金銭的
補填を受けたので、上田を負けさせなかった
ような気もする。
その後も上田をまた上げてるからね。 >>866
>坂口征二「上田貴様それでも日本人か!」
ダメだwwそれ聞くと必ず星野勘太郎の
「前田!この卑怯者!貴様それでも日本人か!」の迷台詞が頭に浮かんでしまうww >>869
だったら、草津、井上、浜口と金網デスマッチで対戦させ連戦連勝させ、次は木村だぞというところでシリーズ終わりにすればよかったのに。 >>865
でも
「もとは地味だが道場のセメントでは強いガチンコ野郎が
日プロ崩壊という不運を受けてアメリカマットを一匹狼として放浪、
ついには髪をまだらの金髪に染めることで故郷(日本)を捨てた男が
ガチの実力を封印して凶悪ファイトで日本マットへの復讐を誓って逆上陸
各団体のエースをつけ狙う!」
この逆上陸以降の馬之助のギミックストーリーが世に広まるのって
結局新日マットに上がって猪木や坂口相手に
狂乱ファイトを繰り広げるのが全国ネットで流れたおかげであって
そのまま国際で木村とIWAベルト巡って金網の中で流血マッチ繰り返していても
桜田とかヒトとかが国際のマットに上がったのと同じようなかんじだったと思う しかし調べてみたら
6月11日 上田IWA王座奪取
6月29日 上田「猪木への挑戦表明」会見
7月1日 新日「上田がIWA王座を保持して
いること」を条件に挑戦受諾
7月4日 ビッグサマーシリーズ開幕
7月28日 上田木村のIWA王座戦無効試合に
7月31日 上田王座返上
8月5日 上田新日蔵前大会乱入
という流れだったんだな。
これ、吉原が新日にだまされたのなら
悲惨すぎる流れ >>772
亀レスにも程がある
そんな顔真っ赤にして悔しかったの爺さん w >>870
前田も長州も帰化したが、星野だけは生涯国籍を変えなかったんだよな。 上田はサリバンをコブラツイストでギブアップさせたのとストロング姐さんを
十字チョップでフォールしたのと馬場とアキレス腱固めを掛け合ったぐらいか。
後は竹刀で叩く、凶器攻撃(椅子等々)クロー攻撃(肩もみ)ぐらいしか記憶
がない。 昔の二流三流レスラーって、セメントやらせたら強かったとか、道場でのキメっこは強かったみたいな伝説が残ってるよね。
ほとんど嘘なんだろうけど。 道場での強さがどうだろうと、肝心の客に見せる試合が単調でつまらなければダメなんだけど、日本プロレス時代のレスラーは、その点、わかっていないのが多かったと思う。 >>878
日プロでそれが言われるのは上田、大坪、北澤あたりかねえ
カブキが「道場最強は北澤だった」と言っていた >>879
日プロ時代は試合の単調ぶりに「眠狂四郎」と言われていた。そのせいかゴングの
不人気レスラーのランキングにも入っていた。
上田は契約切れを待って国プロのリングに上がったのに同じ契約体形だったはず?の
大木が新日にアッサリ上がれたのはなぜだったんだろう?商品価値の違いと言われれば
それまでだけど・・・ >>881
大木の契約は韓国マット界が関係していて、他の残党組とは違っていたのでは? >>879
ルー・テーズも●●はシュート、△△はワーカーと言うように、
昔は日本でもアメリカでもシュートができない選手は馬鹿にされたというのはある。 >>877
田鶴浜は日プロ時代の上田はパイルドライバーの名手と解説してたが
使ったの見た事ないわw >>879
「道場でのセメントでは最強」
「プロレスが巧い」
「前座の人気者」
「若手の壁」
「メインへつなぐ会場の盛り上げ役」
「喧嘩(なんでもあり)なら最強」
「馬場/猪木のポリスマン」
「米国で一匹狼として活躍」
etc…
メインエベンターから前座のジョバーまで立場的にはフリーランスの米と違って
団体という「会社」所属の日本では
一般企業と同じでどんなに閑職、遣えないやつと思われていても
本人的にはなにかしらプライドなり存在理由なりを見出して
「本当は“出来る”俺がグッと堪えて下支えしてるからこそ団体(会社)も上手く回ってるんだ」
と思ってないとやってられんってことだろ
それが事実かどうかはこの際関係なくてプロレスという職業柄
そこでもっとも手っ取り早いのが「ガチなら俺が強い」っていうやつだと思う >>883
挑戦者がシナリオにないセメント試合を仕掛けてきたら、それに対処できなければ
エリアを荒され組織(NWA)の運営にまで影響してくるからね。
テーズが王者時代にはそんな連中もシュートで黙らせたんだろうね。
歴代王者も対応できなければ王者になれない筈だし。
他団体の猪木がヘタなこと出来ないように、名うてのシューターを揃えた
オープン選手権は有名だね。
そのオープン選手権に国際からは木村草津井上が参加し、ラシクとホフマンを
斡旋したが、国際勢にオイシイ場面は1つもなく、結果的にはただの肥やし役、
負け役を務めただけで終わった。
実は馬場が最初に吉原に誘いの声を掛けたのは別の思惑があり、本当の狙いとは
吉原と太いパイプで繋がれていたロビンソンの新日参加を阻止し、
全日陣営に引き込むことだったらしい。 >>886
木村をジョナサンに勝たせたり、ブッチャー、鶴田と引き分けにしたり、配慮してるじゃないか。
見方にもよるけど、木村はあれで日本のトップ格に認知されたともいえる。
まあ国際側からすれば不満だろうけどね。
ただ井上はあれでナンバー2ポジが確立してしまったかも。草津の連敗は本来の実力だけど。 >>887
1つもなくは言い過ぎだったねw
最低限の配慮はあった プロレスがガチ真剣勝負だと信じて入門して来た若者が、実は・・・と真実を知った時はかなりショックだろうね。
やる気をなくして辞める練習生もいただろうな。 上田が新日本登場して坂口小林北米タッグコンビを蹂躙してる時、子供ながらやっぱり最初は猪木とは戦えないのか? 木村に勝ったんだから坂口なんかには負けるな複雑な気持ちでした またその後国際復帰して浜口井上タイトル挑戦には本当にがっかりしました 初来日にして無名
いきなり猪木と戦ったという幻のレスラー
ターザンジャコブス >>883
>ルー・テーズも●●はシュート、△△はワーカー
馬場のことは「パフォーマー」と言っていた。 >>889
練習生の頃は教えないだろう。
合格して使いものになってから教えていると思うし、
口外してはいけない誓約書とかも書かされそうw
エリートとしてスカウトされた坂口や鶴田は、最初からプロレスの仕組みを
教えられたんじゃないかなぁ
「全日本プロレスに就職します」とか、違和感満載のこと言ってたし。 >>893
谷津も最近、出版された自叙伝によれば
アメリカでデビュー寸前に教えられたという。
それまでプロレスは真剣勝負だと思っていたので
ショックだったが、もうその時は
後戻りが出来なかった。
猪木に憧れて新日に入門した人間は
みな、ショックを受けただろうな。
特に佐山とかは。 格闘技ちゃんとやっててプロレスをガチと思ってたらおかしいだろ >>895
そうだよね
柔道やレスリングの試合で相手を投げ飛ばすのは難しいのにプロレスは簡単に相手を投げ飛ばしているよね 相手に信頼感あるから技受ける投げさせる これが全てではないのかな
見せるビジネス、相手の技受けないとまたそれに耐える体 外国人にブック伝えるにはかなりの会話力必要だと思うが、国際は誰がやったのかな? >>892
レスラーみんなパフォーマー
ガチを競うなら他の競技でやればいい。 >>897
一応レフェリーだと思うけど、ある程度のことだけ伝えて、
試合が始まればアドリブの部分が大半じゃないかな?
猪木はジャズのようなものだと言ってたし、
どんなアドリブが出来るかでレスラーのセンス(評価)も計れる。
映画『ビヨンド・ザ・マット』でも、そんなやり取りがあったと思う。 >>896
うちの高校では体育の授業でアマレスがあったんだが
初回の授業の時レスリング部顧問の体育教師に
まず一番最初にやらされたのは
「左右の掌の指を組んでみろ」
「その手を体育座りしてる自分の膝にぶつけてみろ」だった
当然、組んだ指に電気走って超痛いんだけど
そこで「プロレスでまず手四つで組み合うだろ、
でも実際は手四つなんてしたらこうだ
あれは約束があってやってんだから手四つで組んだりもできるんだ
だからおまえらマットの上でふざけてプロレスの真似とか絶対すんじゃねえぞ!」
って厳命された。
さすがに当時でも高校生でプロレスを全てガチとは思っていなかったけど
それでも序盤にまず手四つでがっちり組んで
相手の出方探り合ったり力比べしたりってのは
所謂「正統派によるシリアスな攻防」の代名詞的なところがあったから
“そっからかよ!”って正直目からウロコだったわ >>888
木村は離脱前の小林に直接対決では一度も勝てなかったのが大きい
小林を差し置いて第五回ワールドシリーズに優勝できたのがギリギリの合格点という感じで >>900
でも100キロ超であれだけのパフォーマンスが出来て、NWA王者なんか連日
フルタイムをやってしまう。
技を受けるには耐えうる身体を作ってないとケガするし、
相当な練習量を積んでないと出来ないのも確か。
インディーの選手なんかは、プロレスラーを名乗って欲しくないけどね。 >>877
猪木との釘板デスマッチで、開始早々で腰投げを仕掛けた猪木の腕を取って固めた。デスマッチならぬグラウンドの攻防になったのは日プロ時代の片鱗を見せた。
確かに上田は一見、反則技だけの出落ちに見えるが、細かく見てると寝技の強さなどが随所に見えるよ。 >>902
ケビン・ランデルマン、マーク・コールマンらがプロレスに出た時、
場外で机に寝かされてトップロープからダイブされるのをビビっていたそう。 >>901
オープン選手権の頃には、木村に勝った小林が新日本で、バーナードやシュミットあたりに
コロコロ負けるようになってたし。
木村はワールドシリーズ優勝はしてたけどわシリーズ中の小林との対戦でも負けてた。
それを考えるとオープン選手権の扱いは
まあ妥当だと思うけどね。 >>902
日プロ時代にNWA王者としてやってきたドリーに挑戦した馬場と猪木
両者とも試合後ヘトヘトになってたのにドリーはケロッとしていた
NWAチャンプとして防衛戦を全戦シングルでやっていたドリーに対し
馬場と猪木は地方はタッグマッチでお茶を濁し、タイトルマッチも
シングルとタッグのシリーズ数回するのみ、スケジュールもNWA王者に比べれば楽
その差が出たのではないかと言われていたな 79年?だかにレイスがNWA王者で来た時、千葉でマードックと、仙台で馬場と2日間連続で
フルタイムドロー防衛したことがあった。中学生だったがスタミナ大したもんだと思ったな。 >>907
そのレイスvsマードック戦は東スポに日本で行われたNWA選手権のベストバウトとか書いてあった
撮っといてほしかったな >>902
プロレスラーの立派な身体作ったり技を習得したり
人によってはガチンコやセメントあるいは他競技の訓練を積むってのは
舞台役者やサーカスの空中ブランコ乗りやスタントマンが
日頃から直接の演技やアクションの練習だけでなく
トレーニングを積んで身体を作ってるのと基本的に同じだと思うんだ
いかに見映えよく映るルックスを作るか
いかに素人には容易には出来ない技術や身体能力を見せるか
そしてどれだけ備えがあっても絶対に起こりうるイレギュラーに
(不測のアクシデントやミス、対戦相手のブック破りや素人からの挑戦など)
臨機応変に対応して無事にその場を収めることが出来るかも
プロとしての実力・腕の見せどころってことなんだろ
(「無事に収める=勝つ」では必ずしもないところがミソ)
>>904
それは身も蓋も無い言い方すると慣れの問題
子供が初めてプールに入る時に水を怖がったり
殆どの人が万全の安全策を取っているとわかっていても
初めてバンジージャンプの塔の上に立つと足がすくむのと同じ
ランデルマンやコールマンがそれを受けきるだけのトレーニングはしていても
まだ不慣れな頃に本番でいざそれをやるとなるとビビるのもある意味当然
普段どれだけ鍛えて頑強な身体作ってるかや
ましてガチの殴り合い極め合いでどれだけ強いかとはまた別の次元の話
>>906
シングル/タッグやタイトルマッチの経験の差もあったろうし
この時代のNWA王者の場合、試合内容の如何にかかわらず
ハードスケジュールの中60分フルタイムドローや30分越えるロングマッチを
日常的にこなしてたってのが大きいんじゃないかな
もちろんそれは単純な体力やスタミナの問題だけでなく
王者にはそれが日常でもその日の会場に来たお客さんには
「おらが街(地区)のエースが世界王者になるかもしれない特別な日」なわけで
たとえ小地区での見掛け倒しのへっぽこエース相手にしての防衛戦でも
ある程度試合を引き延ばして十分に試合を盛り上げて
その夜の観客を満足させて帰路に着かせないといけない
そういう役割による精神的重圧を普段から経験してるかとか
そのためのロングマッチを戦うための“手段”としての試合運びを身に付けてるかとかじゃないかね IWA歴代王者の防衛戦で、フルタイムドローはあるのかな? IWA初代ロビンソン〜第18代木村までフルタイムは無いみたいだ(詳細が?)
馬場のPWF防衛戦も両リンからの延長試合はあったが、フルタイムは無し
唯一、NWF猪木vsロビンソン戦だけだった。 歴代王者でロビンソンを除けばフルタイム戦ができそうなのは
若い時の井上だけかな、と思って記録を見たら……。
疑問視どころかないものとされているのが
ビルミラー×小林は58分26秒のタイムで驚いた。
ホントなら小林もフルタイム可能だろう。 フリタイムって言いますけどね
ハーリーレイスとか退屈で仕方なかったぞ
アメリカのテレビプロデューサーの発言
「土曜日の朝の試合で、ハーリーレイス対オックスベーカーとかやってみろ
起きてきてテレビをつけた人がまたベッドに戻っちゃうから」
アメリカはプロレスは土曜の朝に中継することが多かったらしいからな、
ひゃっひゃっひゃっ←レイスの呼吸音がこう聞こえる 小林
「維新軍のポリシーはダラダラ20分やるよりもとにかくバカバカ動いて
たとえ10分以下でもワーッとお客さんを熱くさせてパッと終わっちゃう。
アームロックで何分もじっとしてるなんて試合はできないんですよ。
でも全日本で馬場さんに言われましたよ。『軍鶏の喧嘩か?』って。」
「ハーリー・レイスなんか、二―ドロップの態勢に入って膝を落とすまで
凄い時間がかかりますからね(笑)。(略)ドリーとの試合は最悪でしたね。
どうしようもなくて、ドリーを相手側のコーナーに叩きつけて違う人間に
『お前が出てこい!』ってやったんです。」
「それと最悪だったのはマスカラス。やっぱり世界中で嫌われる選手だって
分かりますよね。小さい頃はファンだった僕が試合をしたらそういうことを
言うようになるとは思わなかった(笑)。」
谷津
「俺は全日本のスタイルが好きだったんだよね、ちょっとトロかったけど
好きだった。長州はああいうねちっこいのが嫌いなの。天龍は長州と俺の
真ん中なんだよね。(略)
ワルツはタルいんだよね、相手によっては。分かってくれるレスラーなら
いいの。カブキさんとかね。ただ、天龍さんとか鶴田はいいけど、
馬場さんとはできねえぞ、ちょっと。」
「全日本の選手の気持ちも分かる一方で、新日本にいたからジャパンの
選手の気持ちもわかるんだよ。だから長州が
『谷津、どうやって馬場御大とやるんだよ?』と聞くから
『馬場さんのリズムに合わせないと噛み合いませんよ』
『お前、そんなにゆっくりだったら俺じゃなくなっちゃうよ』
『じゃあストンピングでもしとけばいいじゃないですか』って(笑)」 保永
「(全日に上がって) 子供の頃にテレビで見ていた人たちが現実の
対戦相手として出てきて(笑)。むかし日本プロレスの若手の試合を
放送する『ヤング・プロレス』というのがあって、高千穂さんの試合が
メインだったんですよ。それが頭に焼き付いていたから『あの高千穂
さんと対戦できるんだ!』みたいな。
俺としては向こうはあまりにもビッグネームで格上だから、そういう
イメージで試合をやっちやうんですよ。そうしたら試合後に控室に
呼ばれて、『ダメだよ、できるんだから、もっとレスリングやらなきゃ!』
その時の感覚だと、カブキさんは俺に合わせてくれすぎるんですよ。
正直、『そこまでこっちを持ち上げてくれなくてもいいのに』と感じる
くらいでしたね。ただ、プロレスのルールというか、マナーには
厳しい人だったと思います。
全日本の場合は大きい外人でも少しはこっちのいい所を出させて
くれるみたいな所があったんですね。新日本は全くそういうのが
無かったと思います。『下っ端はボコボコにして終わり!』みたいな
感じでしたね。新日本はトップが猪木さん、坂口さん、藤波さんで、
それ以外はどうでもいい扱いだから、外人もそんな風に言われて
いたのか、そういう感じで対戦してきましたよね。」 保永
「(全日本の選手とは) 水が合ったというか、園田さんや百田さんが合わせて
くれたんでしょうけど、俺は凄くやりやすかったですね。光雄さんとはほんとに
何の予備知識もなくてもいきなり違和感なくやれました。
タッグマッチで言えば永源さんは、俺が思い描くタッグの基本みたいな(形で)、
だからパートナーとしては凄くやりやすかったですね。試合が始まってしばらく
レスリングをやって、こっち(ジャパン)側がちよっとヒールっぽく行くわけですよ。
タッチはクイックでどんどん交代して攻めていって。途中から相手のいいところも
引き出す。そういうスタイルを永源さんもよくわかっているというか。」
― 永源さんは日本プロレスで育ったレスラーなので、純粋な新日本出身とは
違う所がありますね。日プロも全日もデビューが近づくとガチンコの極めあい
だけではなく、いわゆるプロレスの練習試合をやりますけど、新日はそういうのが
なかったんですよね。
「山本小鉄さんが好まなかったのか、そういう練習は一切なかったですね。
ガチンコだけですよ。俺は子どもの頃からプロレスを見ていたからアレだけど、
何も知らないで新日本に入ったら、『こういうものでいいんだ』と思っちゃうかも。
全日本では『カタく』来る人はいなかったですね。だから向こうの選手もこっちの
懐具合を探っていたんじゃないですか。『こいつは危ない奴じゃないな』って。」 国際のエース格だったスミルノフ、ストンパー、かつて新日の
トップだったクラップなんかが全日本に上がった時、ブロディとかに
秒殺させたことは今でもいろいろ言われているし、当時デラプロが
ストンパーをチヤンピオンカーニバルで簡単に負けさせたことを
公然と批判したのは記憶に焼き付いているんだけど、新日も
ハンセンを売り出している時に、チャボ・ゲレロ、マイク・マスターズ、
クリス・アダムスあたりのジュニアのレスラーをMSGシリーズ公式戦で
ハンセンに当てて、文字通り秒殺させてるんだよね。
マスターズなんか東スポの記事によると、ハンセンがゴングと
同時に掴みかかってコーナーにガンガン打ち付け、ロープに
振ってラリアート一発で16秒フォール。
チャボはまだハンセンと短時間なりに会場を湧かせる試合を
したらしいけど、そのチャボはインタビューで
「俺はロスで、小さい身体でもデカいアメリカ人レスラーを
スピードとテクニックで撃退するというポリシーの試合を見せて
いたのに、日本ではジュニアの枠に押し込められた。俺は
77-78年にNWA、AWA、WWFに挑戦して全部に勝ってるんだよ。」
と不満を漏らしていた。ちなみにチャボの三大王座挑戦は
・NWA… レイス ボディアタックで一本目フォールの後、時間切れ
・AWA… ニック 反則勝ち
・WWF… ビリーグラハム ドクターストップ勝ち
剛竜馬に武道館の藤波戦を横取りされ、試合を一目見て剛が
ダメレスラーなのが分かったときの気持ちは
「俺はファンクスやレイスに勝ったチャボ・ゲレロだぞ、と思ったよ。
血の気が多いのは父親譲りさ(笑)」 だったそうで。 団体によって違うだろうね。どっぷりアメリカンプロレスの全日本だから戸惑うのも
無理はないけど、新日本の方が異質なスタイル(全日国際の方が標準)だよ。
>>913
サム・マソニックがオフレコ条件でNWAルールを語っている。
王者の役回りは傘下の会員(プロモーター)が推す地元選出の人気レスラーとの対戦で
ある以上、実力差が分かってしまうような試合(セメント)は厳禁で、相手レスラーに
花を持たせつつ苦戦しながらの辛勝や引き分け、反則負け、両者リングアウト等
などで防衛を重ねること。
観客には王者の強さを見せることではなく地元のヒーローの強さ、
魅力を引き出すことである。結果は紙一重の差であったと観客に錯覚させることで、
人気や価値を落とすような試合はタブーとされた。
ご当地レスラーの善戦ぶりを巧みに演出し「次回戦えば王者になれるのでは?」
という期待を持たせることが大切で、次回興行に足を運ばせることであった。
各地の興行師やブッカーが考案する筋書きには稚拙なモノも多く、王者が毎回
そうしたシナリオを覚えるのは面倒で、負担も大きい。
そこで予め王者側に基本となる数パターンのシナリオが用意されており、
それをブッカーが選ぶことが多かった。
両者リングアウトの引き分けも60分フルタイムの引き分けもギャラは同じだが、
そこにボーナスを付けるかどうかでプロモーターへの評価が変わるのは当然で、
ケチな興行師は5分で両者リングアウトなんてこともあり得るわけである。
観客動員数が落ち、傘下のプロモーターたちから不満の声が大きくなると
王者交代が主だった有力メンバーの間で討議され決定される。 >>913
そういう第三者視点ではしょっぱい試合も含めて
長時間の「激闘w」を各地区地元のエースと毎日繰り返すことで
地元選手を応援するその日の会場の客をそれなりに満腹にさせて
(高級レストランのディナーじゃないけどビッグマック5個も食えばとりあえず腹いっぱい的な)
「ベルトは獲れなかったけど最後の最後まで惜しかったな」
「次にやったらベルト獲れるんじゃないか」
と思わせるのがNWA王者としての仕事であり実力ってことだろ
挑戦する側は日替わり週替わりでも
ドリーやレイスにとってはそれが365日どこ行っても延々続くわけだからな
日本のファンからすれば世界王者とそれに比肩する
世界でもトップクラスの実力の馬場や猪木という顔合わせの
実力者同士だからこそ出来るフルタイムの激闘なんだろうけど
王者であるドリーやレイスにとっては日本で馬場猪木とフルタイム戦うのも
むこうでブリスコとフルタイム戦うのもベーカーとフルタイム戦うwのも同じってことだろ >>900
> 「左右の掌の指を組んでみろ」
キャメルクラッチかけてる時だったか
山本小鉄がこの指の組み方だと指が折れてしまいます
あ今ずらしましたねと解説してたの覚えてるよ >>921
BIと2試合連続60分フルタイムやったドリーのスタミナは凄いけど、日プロ時代から
日本は外人天国で、ドリーは1万ドルのギャラ(現在の貨幣価値に換算で約3,470万円
週給の7試合分、1試合495万円)プラス日本プロレスの厚遇で、夫人や実父を招待し
日本観光旅行までしてるから、アメリカでブリスコと60分フルタイムやるのと
待遇面で全然違う。 今出ているGスピに載っているレイスのインタビューで
面白かったのは、ドリーの推薦でAWAに行ったレイスは
ラリー・ヘニングの相棒として抜擢され、主にブルーザー・
クラッシャーとタッグ王座を争う形で活躍していたけれど
「ブルーザー&クラッシャーも私とラリー、どちらのタッグも
ベビーじゃないしかと言ってヒールでもない。ガニアだけが
絶対的なヒーローだが、ミルウォーキーではクラッシャーは
絶対的なエースだったしシカゴではブルーザーはガニアより
人気が上、だから我々典型的な『イン・ビトウィーン・ロール』が
巧く使われた。
それはAWAだけじゃなく、あらゆるテリトリーで一番必要、
かつ難しいポジションだったよ。後に私も色々な土地でブッカー
として雇われたが、『AWAにいた時、自分とラリーがやっていた
ポジションを誰にやってもらうか』を常に真っ先に考えたものさ」
という話。
かつてWWFで離脱寸前のブレットが、アメリカではヒール、
カナダではベビーという難しい役どころを、毎週全米中継が
ある中で器用にこなしていたけれど、アメリカでも何試合もある
興行全体の中では、地区によって今日はベビー、明日はヒール、
という役割をこなせるレスラーが王者だけではなく必要なんだな >>923
新日のハックソー・ヒギンズはこの指の組み方で人間風車を
やるんで、田中ケロが「あれはやめてくれ、指がポッキーさんに
なってしまいますがな」と嘆いていたな >>924
そりゃ遠路はるばるの海外遠征や
大都市大会場のビッグマッチとと地方の小地区小会場で
待遇や実入りが違うのは当然だろ
そういうことじゃなくて延々ロードを続ける当時のNWA王者にとっては
その遠征先で戦う相手がBIだろうとブリスコだろうとベーカーだろうと
求められる仕事自体は同じってこと
会場に客を呼んで地元のスターと「熱戦」をやったうえで観客を満足させること
(そしてベルトを持ってまた次の地区にスケジュール通り向かうこと)
試合内容の違いはあくまでギャラの差による「サービスの違い」でしかない
その「熱戦」のわかりやすい表現形が
三本勝負だったら挑戦者に一本取られてみせたり
反則や両リン絡みの挑戦者にとっては“不運な”不透明決着だったり
フルタイムドローやそれに準ずるロングマッチだったり
クイックやレフェリーの見落としによる“上手いことやった勝ち逃げ”決着だったりするってだけ 動画で日本リーグ争奪戦見たが渋いメンバー 全日本中堅と日本人対決
当時小学生だった事が悔やまれます
もう少し大人だったら生で観戦するか 毎日東スポ買って一喜一憂したかな 草津井上とか寺西小鹿とか面白い動画でした >>928
今のプロレスと違うから、かえって新鮮で面白いね >>928
リーグ戦の面白みは東スポを毎日読むことによって倍加する。
そういうのは今、もう味わえないだろうな。 >>927
ああ、書き方悪かったね。全くの同意見です。
ただ外人天国は馬場が全日本を背負っても、日米の賃金格差は顕著で
所属レスラーの不満が鬱積し、後の天龍退団や三沢らの賃上げストライキ騒動に
なっていくんだね。
鶴田の独立騒動は、ちょっと違うかな… 今のは「戦前に予想される数パターンのうちの一つ」になることがほぼ決まってるから
そういうカタルシスはないな。
ただ消化試合の星取がどうなるかを見るとブッカーの選手に対する格付けがわかるな。 >>932
このスレで語られるものとは同音異義語だよ。 IWAワールドシリーズの初期って、なんであんなにわかりづらい方式にしたんだろう。
オープン選手権みたいに、日程が短くて仕方なくって感じでもないし不思議だよな。
http://www.showapuroresu.com/league/iwa.htm >>935
日プロとの差別化で、ウチはアマレス方式を採用して厳正ですよと‥
阿部修なんかホイッスル吹いてたもんw
斬新だったけど、分かり辛いし堅苦しいルールだった。 1977年11月29日、全日との対抗戦でアニマル浜口が天龍源一郎とシングル(30分1本)で対戦し、11分過ぎに両者リングアウトで終わっている。
当時、IWA世界タッグ王座とアジアタッグ王座を保持していた浜口が、日本デビュー戦から半年足らずでもちろん無冠の天龍と両者リングアウトなんてブックを、なんで吉原社長は認めたのかな。
当時の両者の格の違いはハッキリしていて、浜口がピンフォール勝ちでもおかしくなかったし、天龍のスター性を考慮したとしても、浜口のクイックでのフォール勝ちでしょう。 タッグの実績と言っても和製ハイフライヤーズのチームリーダーはマイテイだったしな >>938
グリーンボーイの天龍と両リンなんてブックを飲んでいるんだから、以後は当然、そういう扱いになるわな。 >>940
いやそんなの。
後にヤマハにタッグで2本取られたり、
木村健吾に失神させられたこと考えたら
マシな扱いでしょ。
全日本から見ても、天龍は格としてはすでに
準トップ。 オープンタッグに天龍羽田で出場してるしね。
国際からは木村、草津、井上は出ているが
浜口は出場できてない。 >>936
テレビ番組での対象のように、小学五年生が理解できる程度のルールにしないとね…… >>937
天龍のデビュー当時は2番手クラスの
ホーストホフマンからタッグマッチの3本勝負中
とは言え一本取ったりしているし、
極道高千穂と同レベルの第二グループ。
むしろ浜口の方がやや格下に思えるけど。 浜口とて前年までは中堅扱いで、ようやくタッグ王座を取ったという時期。
天龍はレスラーとしては未熟とはいえ、前年まで大相撲前頭まで行った男だし、
上位扱いは仕方ないところだよ。 全国ネットに映ればどんな酷いブックも呑むんだからな、吉原は
馬場も猪木も絶対呑まない、団体を堕とすような負けブック
交渉下手にも程があるし、弱みでもあるのかと思うわ 国際が初めて新日のリングに上がった時は
吉原社長が伴ったのは浜口一人だったけど
あれは新日側のリクエストなのか
国際が決めたことなのかどっちだったんだろう? >>935
昭和43年の第一回ワールドシリーズは見ていない。
46年の三回をオボロゲに覚えているが、
日本プロレスのワールドリーグみたいに
決勝で、AがBを破って優勝!というのではないんだよな。
第一回は、ロビンソンが豊登と引き分け、優勝。
第三回は、ロビンソンとゴッチが引き分け、
なんだか分からんのにロシモフが優勝という感じで、
感動がなかった。 大相撲幕内力士からプロレスに転身し、スター候補生として準トップの位置を与えられながら、結果を残せず、タイガー戸口に抜かれて準トップから中堅に転落しそうになっていた天龍。
他方、タッグながらタイトルホルダーとなり、叩き上げで中堅のトップの位置まで辿り着いたのに、肝心の団体が崩壊したアニマル浜口。
この二人が、共に1981〜82年に全国区の人気となり、客が呼べるトップクラスのレスラーの仲間入りしたのは興味深いね。 他競技でトップになったヘーシンク、輪島、北尾、小川なんかは
期待も大きかったし話題にもなって注目されたが
プロレスの世界では成功したとは言えないな。 >>874
そりゃめったに見ないもんここw
爺さんて俺の親1968年生まれでですら国際リアルタイマーじゃないw レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。