【勇猛シリーズ】国際プロレスpart22【日本リーグ争覇戦】
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引き続き国際プロレスについて語り合いましょう
※前スレ
【エディグラハム】国際プロレスpart21【ジエンフォーサー】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1574259021/ 流智美さんなんかか必死でプロレスラー最強伝説を守ろうとしてるのが、またこれが堪んないよね
良い出汁が出てる 正直、佐山本と高橋本を読んだ時は「やっぱりな」とプロレスへの情熱が薄れたのは事実。
あの2人はプロレスとファンを裏切った思う。
今はプロレスはエンターテインメントだと割り切って見ている。
国際プロレスの試合もYouTubeで見てるけど面白い。
今時のプロレスには無い面白さがある。 プロレス・スターウォーズ風に
「うわわわーん日本のレスラーがみんな大怪我しちゃったよーどうするー」
「まてっ!まだわしがいるぞふふふ」
「とっ豊登!」「怪力の豊登さんだ!」
裸足の豊登、マッチョポーズ 頭髪はごま塩
「まてじいさん、お前さんがいくら強かったとはいえ過去のレスラー!
怪力でこのキングコングコジャックに勝てるか!?」
野獣のように吠えるコジャック!
「グランウィザードさんとやら・・・さあやってみねばわかるまい!」
「ああっ豊登さんがコジャックの体をもちあげたあ〜っ」
その後の展開 コジャック&ヘラクレスローンホーク対豊登&冬木弘道
ごめんなさい たいそう疲れておりまして しばらく反省します プロレスはブックですけどな。
ただ本人と周囲に納得がないと強行できないから、実力は無関係ではない。
そうでなければ「ビルロビンソンの2フォール負けなし伝説」もなかった。 >>43
ユセフトルコの本にミスター珍がマスコミに猪木の失神は演技だと電話したと書いてるけど本当なのかねw >>41
昭和期は柔道や相撲、レスリングをやってた猛者が沢山入って来てるが、
プロレスラー相手にガチスパーやってもなかなか勝てなかった。
寺西、戸口、長州、浜田、ライガー、みのる・・・ スパーリングと言っても先輩が四つん這いか亀の状態からスタート
さぁ腕を取ってみろ、脚を取ってみろの特殊なプロレスのスパーリング >>50
浜田「猪木さんを投げたが、次の瞬間極められていた」
ライガー、みのる「タックルで倒せるが極めがないから下から極められちゃう」
これが四つん這いか亀の状態からスタート か? パーテールポジションですな
いわゆるプロレス村ではパーテレポジションというものも多い >>47
「強いだけでは通じない。かと言って弱いと舐められる。」という言葉があったが
弱いくせに猪木戦の負けブックを拒否したジャイアント・グスタブは
橋本と後藤に2人がかりでボコボコにされたからやっぱりそう言うのはあるんじゃないかね
ブロディは猪木や小鉄から悪口を言われ続けていたが
2人とも自分の手でブロディを制裁なんてできなかったから喧嘩だと
とても勝てないって事だったんだろう AWA シングル王者は来日し選手権も何度か行われていますが AWAタッグは一度も行われてないかと記憶してますが これは時期的な問題?又は私も思いますが王者チーム知名度日本ではいまいちだからですかね? >>49 分野が違うじゃん
相手の土俵で、相手のルールでやるんだから
殴っていいわけじゃないし >>55
前田「猪木さんとスパーして何してもいいと言われたから目潰し、金的やったら、木村健吾さんにボコボコにされた」
前田は自分の分野でスパーした。 訂正
前田は素人の喧嘩自慢
プロレスラーが強いなんて幻想は、高田ヒクソン時代に終わってるよ >>55
そういう理屈で言ったら
強くないのはプロレスラーだけじゃないだろw 猪木は裸で、ルスカは柔道着を着てリングの上。ルスカが勝てるわけないだろ?と子ども心に思ってしまったな。 >>59 猪木はウイリーウイリアムとの事前リハーサルでビビって、リハーサルにならなかったんだろ
強かったらキチンとリハーサルくらいやればいいじゃないの プロレス中継がNHKで放送されたがすぐに放送中止になった。
朝日、読売、毎日、産経などの大手新聞にプロレスの試合記事や試合結果が載ってない。
ボクシングは載っているのにプロレスは載って無い。
子供心にああそうなんだなと薄々感じていた。 >>61
それは猪木とウィリーとの関係でしかない。
猪木が弱いからと言ってプロレスラー全員が弱いとはならないし
ウィリーが強いからと言って極真空手が強いともならない。 >>43
>失神KO負けは東郷の指示だよ。
ということは、、ケツ決め(ブックがあった)
になっていたことを途中で東郷が覆したってことかい?
それ岩波書店の「笑う悪役」で
グレート草津がインタビューを受け
酔っ払いながら回答したことだよね?
真相は分からんよ。
草津は、もろ戦闘不能だったが、
「東郷の指示に従った」=「失神は芝居」
と言えば恰好が付くじゃないか? だから別にボクサーがボクシングが一番強いなんていわないじゃん
ガチンコでやってる連中は普遍的な強さなんてないのがわかってるからだろ
プロレスはガチンコでやってないコンプレックスの裏返しで、プロレスラーは強いってイメージを売り物にしてるんだから
1回もガチンコやらないで強いと思われてるゴッチなんか賢いじゃないの >>66
> ガチンコでやってる連中は普遍的な強さなんてないのがわかってるからだろ
極真空手は「地上最強の空手」をキャッチフレーズにしてたぞ。 >>66
プロレス側はボクサーをプロレスのリングに上げて試合するが、
ボクシング側はプロレスラーをボクシングのリングに上げて試合することはないもんな。 >>54
ニック・スチーブンス組が木村・草津組とやっているぞ。 >>54
自分だけの記憶に頼らず
ちょっとはググれよ! >>58
昭和期の話し。
>>61
猪木とウイリーがいつリハーサルやった?
>>63
大山倍達「絶対に猪木さんに勝てる!!もし猪木さんが上に乗っかってきたらどうしよう・・・
そう考えたら結局挑戦できなかった」
何で大山は弱い猪木を恐れたの? >>73
> 何で大山は弱い猪木を恐れたの?
大山自身が「上に乗っかってきたら」って言ってるのを自分で書き込んでんじゃんw https://www.youtube.com/watch?v=h1gEwx4HxIM
花柄パンツが眩しい井上、全日の若大将相手に一歩も怯まず
フライングタックルからのサンセットフリップ IWA世界ヘビー級チャンピオン!
ラッシャーきむ〜ら〜 >>79
そりゃ空手家は寝技は素人だから困るだろw
何当たり前のこと聞いてんだよww >>61
実際の猪木やウィリー個人の強さは別にしても
事前にリハーサルやスパーを行っていることを明らかにできない以上、
リハーサルでの“アクシデント”でよりリスクが大きいのは
プロであり世間的に知名度高くて基本グラップリングであるレスラーの猪木の側だからそこは仕方ない
あの時代の感覚で言うと
打撃競技である極真ウィリー側は事前リハーサルであくまでストーリーの確認として
本来寸止めやごく軽く当てるところで偶然を装って一発イイのを入れダメージ負わせても
「ソーリー、はずみでミステイク」で済む
それ以上事を荒立てようとしたら
「事前にリハしてたのかよ」とか
「たとえリハやスパーでもリング上で気を抜いてそれでも格闘技世界一かよ」
とか言われて世間的にイメージ(商品価値)に傷がつくのは猪木の側だから
あくまでプロレスがガチでも(少なくとも)最強クラスで
それに対して極真も立ち技、喧嘩なら最強という幻想があった時代だからね >>80
じゃあ空手家から見たら猪木は強いじゃねえかw >>64
全日ではやってるね
ブランゼルもグレッグも若手時代国際に来てるがハイフライヤーズ結成後は来てない
から国際ではない
あとブルクラに小林と草津が挑戦してエスケープルールを知らない観客が暴動起こした
国際の黒歴史のひとつとして有名な試合は
ブルーザーの団体WWAのタッグタイトル戦だったが
よく間違ってAWA世界タッグ選手権試合と書かれてる 毎号プロレスねた載せてるムック「昭和40年台男」で
昭和45年のアンドレ&ブッチャーの初来日を記事にしてたけど
取材受けた門馬さんがアンドレに関しては国際担当だけにオールドファンには既出だが
マニア以外には秘話になるエピソードも書いてたが
ブッチャーに関しては出鱈目だらけだったw
初来日の時点でカナダでは売れっ子でNWA王座にまで挑戦してたのに
売れない悪役だったというゴッチやハンセンが干されていたというガセ同様のデマを
ブッチャーに関しては日プロ担当者に聞くべきだったがみんな鬼籍に入ってるのかな >>84
ブッチャーは売れない悪役だったかは
別として、日本の知名度はゼロだった。
当時のゴングのレスラーランキングでもベスト100にさえ入っていなかった。
来日したら一気に50位に入ったけど。 当時は日プロと提携してるロスや米マットの花形WWWF
国際と提携してるAWA以外はあんまり情報入らなかったからね
ブッチャーが主戦場にしてたバングーバー、カルガリー、モントリオール、五大湖地区
なんかのうちモントリオールと五大湖地区は力道山時代前期には日プロと強いつながり
があって米マットの中心みたいに報道されてたのに
提携を主導したブッカーの東郷が日プロと切れてからは情報すらあんまり入らなくなった
ブッチャーはたまたま短期間ロスに遠征した際にミスターモトに声をかけられて来日
初来日のシリーズの本来のエースがミスターアトミックという間違いも書いてたな
正確には当時ロスで売り出してたカール・ハイジンガー
上記のようにロスマットが米マットの中心し視されていた頃
アトミックはさすがにロートル枠になってた
それでもシリーズ後半にはしょっぱくて使えないハイジンガーよりもメイン登場が
増えたようだが ブッチャーはタイガーマスク にもジャイアント台風にも出てたぞ
その頃から梶原一騎とのつながりがあったということ。 >>87
ジャイアント台風にブッチャー出ていたっけ?
あの漫画は一応、通読したが記憶にない。
出たとしても、ほんのちょい役では?
馬場がアメリカに遠征していた編(62〜64年)では
まだブッチャーも駆け出しだし。
その後は、70年まで来日していないから
馬場との対戦もない。
あの漫画は、1968年、Wリーグでコワルスキーを
破って優勝した時に始まり、その後、馬場の回想、
プロレス入門〜アメリカ遠征〜日本に帰って
ブルーザーを破りインター獲得、ルーテーズと防衛
を成功するところ(1966年)で終了していた思うが? >>85
1969年頃、「ゴング」に
アメリカのレスリングレビューの
ランキングがベスト100まで載っていた。
ブッチャーは日本では無名と言いながら
50位くらいにランクされていたよ。 >>89
別のブッチャーじゃないの? ドンジャーディンの。
ゴングはレスリングレビューと「合同レーティングス」をやってたから、
レビューで50位なら日本でもランクしてたと思うが アメリカのプロレス雑誌は日本と違い速報性がないため
大抵ジャーナル系の雑誌の多かったNYやLAではなく
印刷ターミナルだった五大湖地区にあったから
昔から五大湖地区でファイトするレスラー贔屓でランキングが高い
ゴッチもそうだった
すでにインディレベルだったNWFをいつまでも世界四大タイトルにしたりw >>90
ドンジャーディンではなく
ハッキリ「アブドラ(ザ)ブッチャー」だった。
もう69年頃は、すでにモントリオールの世界王者だった。
レスリングレビューのランキング50位に入っても
オカシクはないだろ?
逆に日本のマスコミ(ゴング)は、ロスやニューヨークで
ちょっと売り出したレスラーは、大袈裟に紹介するが
(Sアリオン、コンビクト、レス・ロバーツ)
このあたりの情報は入っていなかったと思われる。
でも、ブッチャーも来日第一戦でメインに起用されたんだから、
それなりに期待されたと思うよ。 確かに1戦目がメインで、しかも馬場からフォール勝ちブックだったのだから、
日本プロレスとしては最初から勝算はあったんだろうけど。
しかしマスコミがそれまでノーマークだったのも事実。
日プロから事前の盛り上げ記事を頼まれなかったのか?
逆に「無名の外人がいきなり馬場をフォール」という衝撃効果を
狙って、あえてマスコミに情報を流さなかったのかね。
日プロ幹部にそんな頭があったのかは微妙だけど。 >>87
少くとも初版のジャイアント台風にブッチャーは出てないよ。
改訂版とかあるなら知らないけど。 >>83
80年3月のIWAタッグ戦の相手は新日本コンビでなくハイフライヤーズを呼ぶべきだった >>95
ギャラが全然違うだろ?健吾永源ならタダ同然だし、大会場ならともかく後楽園ホールだし。 >>82
寝技に持ち込めなかったら弱いよw
寝かされる前にKOされるよww >>96
健悟はまだ一応これから売り出して上がってくこと期待されるポジションだったけど
あの頃の永源ってのがとにかく相当格落ち感を煽られた感がしたなあ
せめて健悟星野とか健悟木戸だったならなあ >>100
ヤマハ、永源は酷かったが、健吾は元NWA世界ライトヘビー級王者だから、新日は結構いい選手を出したのでは?
国債で木村vs長州のIWA戦があってよかったと思う。 >>101
いやよくはないよw
当時は剛竜馬よりランクが下。 1980年5月9日 福岡
マジソンシリーズ予選トーナメント
○剛竜馬 9分43秒逆さ押さえ込み
木村健吾● そんな健吾は品川区議会議員
レスラーの中でも一番安定した老後じゃないかな
7年くらい前に五反田のお祭りに来ていたのを見たけど
スーツが良く似合う紳士だったな >>90
ゴングは、レスリングレビューのランキングを
載せていたが、日本のファンから見て明らかにオカシイ。
例えば猪木が100位にも入っていないとか。
それで、ゴング選定ランキング、そしてレスリングレビューと
提携した時、合同ランキングなだというのを作成したが、
これ、レスリングレビュー誌は掲載していなかっただろうな(苦笑) 小林が王座返上から離脱、TBSプロレス中継撤退、ロビンソン〜グラハム、
東京12ch放送開始、井上時代の到来
激動の1974年の国際プロレス公式ランキング(外国人も含む)作るなら、
前期と後期で分けないとね。 >>106
何に限らずアメリカ人は余所のことをまったく気に掛けておらず
プロレスマスコミにしても同様
日本には新日全日国際のプロモーションがある、なんていう知識あるかどうかも疑問。
出版している雑誌の質も明らかに日本の方がずっと上等と思う。 ドームでの鶴田、谷津vs健吾、木戸をアメリカのプロレス誌は
鶴田、谷津の五輪コンビと戦ったのはマイクパフォーマンスの木村とダイナマイトキッドの従兄弟のオサム・キッド組と書いてた。 ゴングのレーティングス、
小林や杉山も100位以内の80〜90位ぐらいに入れてたな。
草津はどうだったか忘れたが 初の合同ランキングは
V・ガニアが一位だった(苦笑)
これはレスリングレビューもゴングも
それ以前に独自のランキングで2位だったからだと
説明があったと思う。
確か、レスリングレビューは
@サンマルチノ(当時WWWF王者)Aガニア(AWA王者)
Bは、忘れたが、4位〜5位くらいが前NWA王者のキニスキー
ドリーはNWA王者ながら、キニスキーより下位の7位くらいだった。
対してゴングは@ドリー、Aガニア、Bに馬場を入れていたのでは?
サンマルチノは、限界説があったので、7,8位だったと思う。 AWAとの提携は74年一杯だったからな
翌年最初のリンチ兄弟の参加からカラーが変わった >>112
75年のパイオニアSのオートンとスローター、ダイナマイトSのバションまでがガニアのブッキング バションはどっちの路線でもイケる真の実力者
井上から木村のブリッジ役としてまさに格好だった グラハム、ラシク
ガニア、ロビンソン、ニック、スチーブンス
リンチ兄弟、オートン
バション
カマタ、ブラニガン
クイン、ヘイズ
ジョー
マーチン、マーテル
ホワイト
よくもここまでメンバー変えたもんだ ガニアがブッキングしたオートンとスローターの方がシリーズエースのリンチよりもファイトマネーが倍近く高かったらしい ジェフ・ポーツとブッチャー・ブラガニンはAWA代表って触れ込みだったけどがニア
のブッキングとは違ったのかな。 >>115 ガニア、ロビンソンのシリーズ以外、今の視点で見ると相当ショボい はっきりと「ウーン、この外人メンバーで
行くの?」と思わせたのはビッグサマーシリーズか。
ジョンクイン、ギルヘイズ、コマンド1号2号。
クインもヘイズもいいレスラーではあったけど。
AWA系外人が完全に消えて、総員4名の外人。
質量とも小ぶりに。 S50年から女子部廃止まで基本外国人は1シリーズ男子4人女子2人
外国人の少なさでもマイナーイメージを加速させた >>46
昔、月刊ゴングで連載されていた「夢の日本選手権」という小説では、日本選手権の一回戦か二回戦で、対戦相手は忘れたけど勝利を目前にした豊登に、持病の心臓疾患の症状が出てあえなく敗退というのがあったと思う。 ガニアから「AWAをとるか?ダイゴーをとるか?」と迫られて
吉原はダイゴーをとったとか書かれていたけど
単純にAWAとの提携料を払えなくなったってのが真相の様な気がする
金の亡者ガニアがふっかけてきたであろうことは想像がつくし >>43 >>65
テーズ対草津戦については関係者の証言がいろいろ紹介されているけど、それらを総合すると、東郷は、テーズの危険な落とし方、又は草津の未熟な受け身を見て、戦闘不能な草津を無理矢理立たせたら危険と判断し、「そのまま寝てろ」と草津に言った可能性が高いと思うけどな。 >>125
日プロから大木を引き抜いて、エースにする計画があったからじゃないの? >>117
ブレアースとガ二アが旧知の仲で前から提携を奨められていた。 >>125
でも草津は実際には2本目のゴングが鳴って、ふらつきながらも立ち上がったそうだけど。 >>113
当時のバションはモントリオールのプロモーターだから
AWAからのブッキングで来ていたわけではない、直接交渉だろう
というかバション自身がブッカ―
セーラー・ホワイトなどもバションのブッキングでの来日 >>126
それもあったかもしれないけど、東郷が大木引き抜きに動いたのは、テーズ対草津戦の前か後かわからないから、何とも言えないな。草津が予想外にいい試合していたらどうだったのかな?
それと、大木がエースで客が呼べる、視聴率が取れると考えていたとしたら、東郷はセンスなさすぎだね。
>>128
当時の記事によれば、立ち上がったけど足はふらついて試合続行できる状態ではなく、控室では嘔吐したそうだけどね。 仮に草津がテーズにクイックとかで勝利したら その後TBSも離れず上手く国際は生き残れたのかな?
草津は華がない以外と器用で色気ない ラグビーの名声あるしプロレス馬鹿にしてた気がします >>132
いや草津が負けてもTBSは6年間放送継続したわけだしw >>100
動画を見ての感想だけど
この時の永源は
大型の星野みたいですごくよかった
抜擢したい気持ちも少しはわかる >>134
色々あったが、永源がIWAタッグチャンピオンに
なった時、「これは国際まずいな」と
本気で思ったね。 >>132
昼の蔵前 インター選手権 馬場vsCリソワスキーが観衆10000人で視聴率36.3%
夜の日大講堂 TWWA選手権 テーズvs草津が観衆6.300人で視聴率32.3%と大健闘
翌週は大分から生中継で、サンダー杉山がテーズに2−1で惜敗
草津と杉山はほぼ同期だが、杉山に1本取らせたのは
テーズが杉山を東京五輪アマレス代表ということで認めていたからだと言われている。
その翌週宮城県スポーツセンターの生中継 テーズ(2−1)豊登
この仙台大会に大木が現れ、テーズに挑戦するアングルが組まれ
会場まで来ていたが直前に日プロから「ある圧力」があり中止され、
大木は日プロに戻っている。(圧力とは反社会的勢力が濃厚)
翌1月18日ブッカー東郷が宿泊していたホテル・ニューオータニに
トルコと松岡が殴り込み、東郷暴行事件が起きている。 当時の大木は現役のアジアタッグ王者だったから尚更に意味合いは大きい 大木で救世主をやろうとした国際も
その大木をイレギュラーな手段で引き留めた日プロもハテナだな。
大木にはその価値があったのか。
当時のことだから若さはあるだろうが光るものはないのはわかったはずなのにな。 大木は芳の里から「世界、もしくは世界に準ずるタイトルを獲得したら力道山を襲名
させる」という口約束を取り付けており、ソウルでマーク・ルーインを破り
WWA世界ヘビー級王座を獲得。
その後ロスでマイク・デビアスに敗れ王座を失ったが、条件は満たしていた。
しかし常識的に考えて大木に力道山を名乗らせる訳にはいかず約束は反故にされ、
力道山死後、韓国人ということで人種差別を受けていたとして不満を募らせ、
日本プロレスからの離脱を画策。
水面下でグレート東郷が大木を引き抜きにかかった。
吉原、TBSの応諾を得て仙台でのテーズ挑戦へのアングルが実現する予定だった。 >>140
芳の里でなく豊登の約束
当時の国交回復前の日韓の裏交渉も絡んだ極めて政治的な問題だった デストロイヤー&ライオンにアジアタッグが渡った件についても当時からの大木問題の解決に豊登が奔走させられていたという説も 結果的に失敗したにせよ馬場より5歳若い猪木を引き抜いて
東京プロレスを旗揚げってのは納得できるが
馬場より5歳上で頭突きしかないハゲの大木を引き抜いて
打倒日本プロレスができるとは思えないね
そこらへんからも国際の妙なセンスを感じる >>141
そうだったね。
日プロを追い出された豊登との口約束だった。
その豊登が国際プロレスにいるということは、大木は国際で力道山を名乗れるとでも
思っていたのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています