【勇猛シリーズ】国際プロレスpart22【日本リーグ争覇戦】
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引き続き国際プロレスについて語り合いましょう
※前スレ
【エディグラハム】国際プロレスpart21【ジエンフォーサー】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1574259021/ >>159
とりあえずデーズは帰国し、ホッジは次シリーズに残留するんで緊急避難的にベルトを
渡したのだろう。
そこから誰につなぐというプランはあぅたのか。場当たり的なものだったのではないか 1968年頃のプロレス雑誌を見ていたら、
TWWA世界王者、ダニーホッジはアメリカに帰国後、
ロイ・ヘファーナンに王座を奪われたと
いう記事を読んだ記憶がある。
今、その記録はないが、国際プロレスがよく使う手で
TWWAシングルは、ロイ・ヘファーナンに移ったことにして、
また、日本人の誰かを挑戦させ奪おうとしたのではないかな?
でも、そうこうしている間にIWA構想がまとまったとか。 >同年1月24日に実況生中継された台東区体育館大会(テーズVSダニー・ホッジなどを放送)に関し、電通がTBSに提出した社外モニター報告書では「テーズ・ホッジは一流で、ぶざまな負け方をした杉山・豊登・草津よりも役者が上だった」などと記されている[14]
ウイキで見たけど、これはトホホですね 1969年の1月に日プロがホッジを招聘したのはTWWAとIWAの統一構想が国際でありそれを妨害するのが目的だったという説も
その条件がBIを破ってのインタータッグ奪取で テレビ中継タイトルは「TWWAプロレス」のままだったな。ずっと >>134
吉原社長の最初の構想では星野をエースに団体を旗揚げするつもりだったらしい。
この頃から若手の注目株だったんだね。
闘志あふれるファイトは「身長があれば第二の猪木になれたかも・・・」と後年にも
言われていた。 星野って国籍を生涯変えなかったんだな、前田や長州は帰化したが。張本と金やんみたいなもんか。 >>168
ヤマハが活躍した67年頃のテキサス、テネシー地区の試合
YouTubeに誰か上げないかな〜 ヤマハといっても星野と山本には
明確な差があったな こないだ引退したライガーが若手の頃試合後にストンピング入れられた星野勘太郎にキレて
控室に乗り込んで星野の歯が飛んでも収まりがつかなくて
「やるならリングでやれ会長の悲しそうな顔を見ろよ」って長州力に諌められて改心したらしい。
あの頃の選手はトンパチが多いな。 >>169
金田正一は、日本に帰化している。
前田は、新日に入門してすぐに団体の勧めもあって
帰化したが、本当だったら、高校時代、保護観察処分まで
食らった前田の帰化申請は降りなかったところ、
当時、新日と結びつきのある国会議員の野末陳平の力で
取れた(本人談) 韓国・朝鮮系の日本のプロレスラーはどれくらいいますか?
名前をあげてください。 >>171
星野は後に済州島でトラビス戦後の藤波から幻のWWFジュニア奪取をしたらしい >>175
それは粋な計らいだなあ
新日本もやるなあと思ったのは、イギリスから返還される時期の香港に
遠征した時、当時新日にいたクロネコさんを、
「レスラーになって有名になることで、まだ見ぬ親に名乗り出てもらおうと
頑張っている中国系の孤児」
という設定で試合をさせたら大人気、とくに遠征中はなぜかイギリス人と
いうことにしていたクリス・ベノワが、中国人を馬鹿にする発言をしながら
ネコさんをいたぶり、会場のヒートを一身に集めていた
けど、報道でそういう動きを見てもしょせんは前座の抗争だろうと思っていたら
なんとツアー最終戦でこのニセ中国人のネコさんとニセイギリス人のベノワの
シングルをメインエベントにもってきて、しかもネコさんがダイビングヘッドで
ベノワをフォールして、場内を大興奮に陥れたとのこと
新日って海外ではわりと柔軟なのかな >>176
なんでクロネコのwikiにそのエピソード掲載されてないんだろうね、傑作なのに
新日の台湾遠征でタイガーマスクの覆面被って
ワイルド・ペガサスにメインで勝利した話よりよっぽどおもろしいな >>177
知られてないからだろ。自分で書けばいいじゃん。 >>171
キラー猪木のパクソン戦を振り返るインタビューで猪木が「キムイル、ヨウコンブ」って言ってて、
「ヨウコンブ???」ってなったの覚えてるんだけど、星野の本名なのね。 国際のアングル作りは下手であまり後に残らない 例えば独立愚連隊とか 外人の軍団とか多くても三人ぐらい 原の売り出しも工夫あまりにもないし 野坂さん命名とかも?
やっぱりお金ないからかな 悲しい 俺はリアルタイムでは知らないが
シャチ横内の裏切りとか、結構盛り上がった
そうじゃないの。
横内は不人気ランキングのトップになったんじゃないか。 >>182
才気のある後輩を盛り立てようという器の大きい先輩が少なすぎた
マッチ―メーカの権限を持ってた草津が後輩の成長を積み続けた
独立愚連隊に関しては草津が完全シャットアウト、対抗アングルの試合を組もうとしない
阿修羅原もスカウトに尽力しといていざデビューしたら売り出しに協力しない
草津の精神の醜さもさることながら、寺西以下先輩レスラーも非協力的
そしてそれを放置する吉原代表 >>184
先輩って言ったって寺西あたりだと
まだこれから売り出してもらいたいレスラーだろ。
吉原、草津が言わない限り協力するわけないよな。
全日の鶴田だって、馬場が守らなかったら旧日プロ勢の嫉妬で潰されてたぞ、多分。 草津は評判悪いよね
そもそもプロレスに対して愛が無いんだろうな
生活のために仕方なくやってる仕事なんだろうね >>185
寺西は家族と離れたくないから会社からの海外遠征を断り続けた
そんな自己中の精神で売り出してもらおうなんて勝手すぎる
それでいて未来ある期待のホープ盛り上げには先輩面して協力しないなんて >>186
草津本人はプロレスという仕事は楽しかったと思うよ。
なんせ勝ち負けを好きなように操作できて、巡業中は大好きなアルコールをごっちゃんです。 草津って告別式にはプロレスラーである事を一切消してたらしいな。
遺言なのか遺族の配慮なのか >>184
そんな団体が、新日全日に勝てる訳ない。 >>190
それって二代目G草津はどう考えてんの?
あれは格闘家だからプロレスラーじゃないってことかな? >>191
同情したくても国際自身が自滅している部分が多過ぎて知れば知るほどウンザリしてくる そんな団体だからS小林と剛は抜かれ杉山もトレードで去り めぼしい新人入らず崩壊してしまった
子供の頃地方住んでた国際見に行くと照明暗い会場 怪しいダフ屋 間延びするかタイミング悪い進行
トイレで騒ぐ親父達 全て走馬灯のように思い出す 坂口の次の3番手に成り下がることがわかっていながら
チャンピオンとエースの座を捨て新日に移籍した小林
闇を感じる 最初に堅物テーズじゃなく、ビジネスマンのガニアを草津の相手に選んでおけば
TBSマネーでシナリオが作りやすくなったかもしれないね。
勿論、東郷なんて使わないで。
いきなりAWA王座なんて無理だけど、馬場がやった世界王座争奪戦のように
地味な欧州よりAWA圏内の強豪何人かと草津が対戦し、初代IWA王座を決めるとか…
日プロのNWA路線とは違う価値観、面白さをファンに浸透させていけたと思うけど。
並行して未開の欧州勢(ロビンソン、ロシモフ等)も開拓すると。
ファンさえ獲得すればTBSも撤退しないんだし、経営も上手く廻せるし‥
どう考えてもテーズ×草津から全ての歯車が狂った気がする。 >>192
> あれは格闘家だからプロレスラーじゃないってことかな?
そんな拘り持ってるならグレート草津名乗らなかったと思う。 >>195
形だけのエースやチャンピオンより、新日に移った方がギャラも良いし、煩わしい人間関係からも開放される。あんまり上昇志向とか無さそうだし >>198
リングを降りたら虐めを受けるエースって国際時代の小林しかいないだろ。
そりゃ辞めるわな。
草津の小林虐めを知ってて止めなかった連中に小林を恨む資格はないと思うね。 マイティ井上のトークショーの写真見たけど異様な空気、空間 >>187
寺西は後輩井上の帰国後は全敗してる。
原のデビュー戦で30分ドローまで引っ張ってあげてる。
オールスター戦では原に負けてあげてる。 >>190
昔、ナンバー誌のラグビー特集号にグレート草津と阿修羅原の対談が掲載された。その中での草津は次のような発言をしていて、ラガーとしての自分には誇りを持っているものの、プロレスラーとしての自分には関心ない感じが表出していました。
・会場でプロレスファンから声かけられても、どうっていうことないけど、ラグビージャージ着たファンから声かけられると嬉しい。
・大学、社会人のトップリーグだろうと、草ラグビーだろうと、ラグビーやってる奴とは、「ラグビーやってるのか。座れ。飲め。食え。」って感じで、直ぐに打ち解けあえる。
・会場にラグビーボールがあると、原を連れ出してパスの練習するんだけど、原は嫌がるんだよな。 リング内外で実力者の杉山がいれぼ
草津もでかい顔はできなかったと思うが、
杉山は杉山で打算があり、国際を出て行ったからなあ。
あとは草津のやり放題 >>188
TBSに切られたぐらいから、すでに給料の遅配が始まっていたそうだから
吉原氏もあまりキツく言えなかったんじゃないかな。
選手は選手で「エラそうなこと言うんなら、ちゃんと給料を寄越せ」
となるだろうし。
草津が実権を握ったのも、営業面で貢献したのいうのもあるけど
国際内ではガチで強かったからだろう。
小林も嫌がらせをされたら、ガチで返せばよかったんだが
草津相手にそれができなかった。だから余計草津が増長した。 >>207
とりあえず草津の悪行が目立ち始めたのは
杉山が1972年に離脱した以降、1973年から。
その年にマッチメイクの実験を握ったのかな。
営業も、杉山は大きいスポンサーを抱えていたが、彼が抜けて草津の力が目立つようになった。
草津が杉山の王者時代に、彼に反発したという話は聞かない。 草津が偉そうにできたのは、会社のために自宅を抵当に入れたからじゃないの?それはもっと後の話かな? >>204
草津は、そんな気持ちでプロレスをやったのか!?
辞めろ」!去れ!帰れ! 木村ですら小林のことを「見せかけだけで全然パワーが無かった」と言ってたそうだけど
見せかけだけでガチンコも弱くてセクハラの常習者なんて落ちぶれてもしょうがないよな
元国際でも浜口は練習熱心で良い仕事をしたから維新軍の副将にまで地位を上げたわけで >>210
今さらそんなこと言っても、もう鬼籍に入られているんだし。当時に言ってあげないと意味ないよな。 WWEでも「ガチの実力」がバックステージの序列を作ってる
わけじゃなく、ビンスやHHHの覚えがめでたいかどうかが
格付けを決めているように、国際の場合は吉原の意向が
全てみたいなものだったろうからなあ
そしてその吉原の耳には草津の話しか入ってこない
「12チャンネル」本にも書かれてるように、当時役員会議に選手で
出席できていたのは草津だけ、レスラーではなく「吉原一家」の
副社長の位置にいた草津が吉原にあることないこと吹き込んだら、
いち選手にはどうにもならなかったんだろう
「吉原社長から見ると団体内は『現場で何か起きたら、まず草津を
通してくれ』という体制になっており、すべての重要事項は草津を
経由しないと一切トップの耳には届かない絶対的なルートが構築
されていた。」
「タイトルマッチ以外の興行になると、王者・小林はセミ以下の
試合順に落とされ、全般的にセミ・メインに絡んでいた草津の方が
世界王者よりもトータルで高い金額を稼ぐことが常態化していた
訳である。小林が国際を離脱した大きな動機として、この草津による
恣意的な金銭操作を許しがたいものとして感じていた」
ずっと後の時代の1978年のレポートでも、現場のことについて
吉原社長に直接クレームを入れようものなら、「そのような行為に
対しては必ず制裁が加えられ、悪者扱いされる」というんだから
小林ができることは巡業バスの草津の嫌がらせから逃れるために
自動車で会場入りするくらいのことだったんだろう あとこのあいだのGスピで詳述されていたけれど(小泉悦次)、
ほぼ同じ時期にAWAエリアに行ったにもかかわらず、小林は
AWAのメインであるミネアポリス、シカゴ、デンバーなどで
ガニアの王座に連続挑戦し、他にもブル・クラやロビンソンらと
シングルで各地のメインを張っていた
それに対して、入れ替わるようにAWAに入った草津はというと
AWA傘下の提携先、不景気で試合数も少ないオマハ地区に
出向させられ、二度のガニアの王座への挑戦も、メイン地区の
試合ではなくこのオマハの会場のみで行われたという
ちょっと前の新日で言えば、小林は両国でIWGPに挑戦を
繰り返してメインを貼っていたのに対して、草津は提携先と
言えば聞こえはいいが「二軍」であるノアに出向されられた
鈴木軍の一員、みたいな扱いだったわけで
また、オマハで試合が行われなくて稼げない救済措置として
草津がNWAエリアのセントルイスに出稼ぎに行かせてもらった
時も、草津は現地で第一試合の扱いだったとか
選手を送り込んでいた国際側の意向で差がつけられていた
わけじゃあないはずだから、ガニアから見て小林と草津では、
それくらい「稼げるレスラー」としての差があったということ
なんだろう
だいたいラガーメンだったから、ガチの潰し合いでも強いはずだ、
なんて妄想もいいとこだろうし マイティ井上のトークショーが異様な空気な理由が、この長文で理解出来た 吉原が草津を取締りにした時から、国際の運命は決まってたんだな。 小林はマッチョのくせに、言葉使いや仕草がホモっぽいんだよなw
それで草津に苛められたのか?
でも井上は「小林さん、本当は女好き」と言っている。 マイティ井上のトークショー行ってきたけど国際ファンよりも清水勉やその常連のがマニアック度では上回ってたよ。スペイン人レスラー特集だけで一時間しゃべるんだから
国際関係の会でも普通に楽しいから行ってみればいいと思うわ 1980年 エル・ドーベルマン カルロス・プラタ
1981年 レオ・ロペス
エル・コバルデ エローデス
カルロス・プラタ ホセ・ルイス・メンディエタ
エル・クルセロ ティエラ・ビエント・イ・フエゴ 団体末期のメキシカンはどういうルートで招聘されたと言われていたっけ
セレソ・ソテーロやジョー・アデール、エンリケ・エドらスペイン系が
出場していた欧州提携時は田中忠治や小林もスペインに行って
交流を持っていたんだね >>211
> 木村ですら小林のことを「見せかけだけで全然パワーが無かった」と言ってたそうだけど
これは嘘だと思うけどね。
見せかけのだけの筋肉なんて現実にはあり得ないから。
ボディビルダーは見せかけだけというのは一昔前の偏見。 >>223
ボディビルの筋肉はポージングで筋肉を最大限に大きく見せるための筋肉で静的筋肉。
プロレスだと息が上がっている時にでも投げたり、走ったり、飛んだりできる動的筋肉。
ただ、小林の方が木村よりもバックドロップやブレーンバスターでも上で溜めを作って技が完璧だった。
木村の方が動きがダメでプロレスの力だと小林>木村だったように思える。 小林はデビュー前に吉原によって
アマレスの基礎教わっていたとのこと。
ラグビーやってたけどレスリングの基礎はない草津より、マットさばきは上だったかもしれない。 >>223
全く力感がなかったってことはそれだけプロレスが上手かったってことだろ。
見た目は筋骨隆々で、相手にはソフトタッチってプロレスで最上級の褒め言葉だろ。
小林がアメリカでいいポジション取れたのもわかる気がするぞ。 >>224
>>226
なるほど、木村がプロレスを良く分かってなかったという事かもな。 >>224
> ボディビルの筋肉はポージングで筋肉を最大限に大きく見せるための筋肉で静的筋肉。
> プロレスだと息が上がっている時にでも投げたり、走ったり、飛んだりできる動的筋肉。
科学的な根拠は何もない。 アメリカでは、小林は、猪木、坂口よりもいいポジション得ているんだよな。
新日に入らずニューヨークやAWA圏にいれば、マサ斎藤やキラーカンくらいいけたかもね。 「金剛さんは凄い体なのに砲丸投げをすると全然距離が出ないんだ」と
ビートたけしがラジオで言っていたな 新日本のレスラーが綱引きでおばちゃんチームに負けてるんだからな
小林に限った話じゃないだろう 競技によって使う筋肉の質が違う。
真夏に40℃のテレビライトの下で水分補給なしで60分フルタイムやれるのはプロレスラーしかいない。 小林に新日時代の事聞くと「全国ネットで売れてた俺のネームバリュー散々利用して
新日の知名度が上がったら藤波や長州に負けさせやがって」と不満タラタラだけど
その頃になると腰痛が酷いのか目に見えて動きが悪くなっていた
プロレスラーがプロレス出来無くなりゃ扱いが悪くなるのは仕方ないんだよなぁ
それはアメリカに行ったって同じ事、AWAでもWWFでもあのポンコツぶりじゃお払い箱だよ 112 お前名無しだろ 2019/09/28(土) 13:11:36.00
最新号のGスピリッツ読むと坂口がマッチメーカーになった時期から小林と
本人が率先して外国人エースの噛ませ犬を演じていた
日プロでマッチメーカーしてた吉村道明もだけどマッチメーカーは
己を殺してでも負け役を率先して引き受ける位じゃないと人はついてこない
115 お前名無しだろ 2019/09/28(土) 12:33:32.83
先日出たGスピで特集されてるけど、その78年頃に山本小鉄が猪木に
現場責任者の地位を剥奪されて、坂口がマッチメイクを担当するように
なったんだな
新日のMSGシリーズがスタートしたのが78年だったけど、この第一回大会で
マッチメーカーの坂口は予選で猪木に敗北、第二回大会ではハンセン・
猪木にピンフォール負け、他のシリーズでも前哨戦でアンドレやハンセンに
負けるのが当たり前になってきた
ワールドリーグ戦で(形の上だけは)猪木に並ぶ2連覇を果たして、格闘技戦、
シン戦でカリスマになった猪木にエースの座を完全譲渡する腹を固めたんだな
この時期に小鉄が試合からも遠ざかり、小林が長州に負かされ、上田馬之助も
ハンセンに完敗、世代交代が半強制的に進められた感じなんだな >>230
そもそも静的筋肉、動的筋肉なんて分け方が存在しない。 >>232
おばちゃんチームと言っても
世界大会で優勝か準優勝のチームだろ!?
責めるのは、ちょっと酷だよ。 >>237
日本語の意味を理解できなければそれでいい。 >>211
鶴見もジョバーとはいえ最強タッグなど大舞台に起用されてたよな 猪木さんと名勝負披露したんだから、小林さんは一流。それとも猪木がホウキの小林とダンスをしたか。 >>241
小林が猪木を引き上げたんだよ。
カナディアンバックブリーカーで持ち上げてコーナーに寄って行き、リバーススープレックスを受ける。
バックドロップ 受けて、後ろ向きに起きてジャーマン喰らう。
ところが、猪木が塩っぱいジャーマンやってしまった。 >>240
鶴見は使い勝手がいいからな。
最強タッグの地方サーキットの6人タッグ
でも上手いこと外人側に組みこめる。 >>239
そもそも静的筋肉、動的筋肉なんて言葉は存在しない。
あんたの造語だもん理解できるわけない。 >>243
ジャーマンで負けた小林、バックドロップで負けた大木、
二人ともフィニッシュの直前は一生懸命
「猪木に対して背中を向ける」態勢を取ろうとしてるのが
ビデオで見るとよく分かってしまうんだよねw
けど猪木もやっぱりわかっているなあと思うのは、
小林戦でジャーマンを使ったのは、最後の瞬間に
「小林の顔だけが観客に見える」技だからなんだな
あの試合は猪木はあくまでも小林を主役にしようと
腹をくくっていたんだろう
ビデオを見ると、場外で流血した猪木がエプロンに
上がった時、小林はすぐにロープ越しのブレンバスターを
仕掛けようとしていたのを猪木が嫌がって、小林は2発、
3発とパンチを入れて猪木を転落させて大歓声を浴びてる
多分猪木は「まだ早い!パンチ!パンチ!」とか言って
小林に指示していたんじゃないのかな
ボロ雑巾のように転落して会場の小林ファンに歓喜の声を
上げさせた猪木は、再びエプロンで小林からパンチを二発
食らったところでやっとブレンバスターを受けてる
トップロープをつかんで身体を支えながら、ピンと両足を
伸ばして投げられた猪木が叩きつけられて場内は興奮の
極に達していた
ここから上にもあるように、小林がさらにパンチ二発入れて
崩れ落ちかかった猪木を、カナディアンバックブリーカーに
担ぎ上げてクライマックスがやってきたのは上にある通り アントニオ猪木をヒール役?にまわして
観客に応援されたレスラーって
ストロング小林くらいしかいないんじゃないか。 71年のゴングに
「馬場猪木は遠くの存在だが、小林はもっと
親しみやすくて、身近に応援できる兄貴的存在」みたいな意見があった。
当時紙テープが飛んだのは小林だけだとも。
応援したくなる雰囲気を持ったレスラーであったことは間違いない。 AKBみたいなもんだったのかな小林は
俺らが応援してチャンピオンにしてやろうぜ!的な
草津マッチマークで意外にコロコロ負けるところも応援したくなるポイントだったりして。 腕を開いてグッと胸を張ったり、大技やる時に溜めを作ったり、小林はパワーファイターを演じていた。
木村や坂口はパワーファイターを演じるのが下手だった。
あと早く動くとパワーファイターっぽく見えないから、ゆっくり動いた方が見る側に伝わる。
そのあたりの表現が小林は上手かったから海外でも上を取れた。 >>247
ロビンソン戦がもしなかったとしたら
小林戦が猪木のベストバウトになったかもしれないわけだし。 木村に関しては足の骨折前と骨折後では別人過ぎる
骨折後は悲惨 >>255
そう言われるけど、骨折前の試合なんて見たことない。 小林はパワーファイターなのに脚をバタバタとか女っぽい仕草で
弱みを見せたりするのが共感性を生んだな。 >>246
>ジャーマンを使ったのは、最後の瞬間に
「小林の顔だけが観客に見える」技だからなんだな
あの試合は猪木はあくまでも小林を主役にしよう
そうかな?
ジャーマンで叩きつけられ、失神し負けた顔を
晒しただけじゃん?www
あの大勝負のフィニッシュには、コブラでは不十分。
第二戦で使った卍でも良いが、やはり、
当時は滅多に見られない大技ジャーマンを
使っただけだと思うね。
まぁどう妄想するのも勝手だが、、www なんでか小林が実況席の隣に座ってたんだけど
ジュニアヘビーのトペを怖がり田中ケロの後ろに隠れたの見て
新日で上に行けなかった理由が分かった
あれじゃなめられるよ
ワールドプロレスクラシックスに写ってるはず 仮に約半年前に小林と日本人対決した木村、或いは草津が猪木と対決してたら
あんな名勝負になっただろうか…(ベルト返上とか、小林と同じ条件として)
おそらく悲惨な結果だと思う。
小林だからあのパフォーマンスができたんじゃないかな。 国際崩壊後の10.8蔵前で猪木が木村と戦った後、月プロ連載の
村松友視と対談するコーナーでその試合に触れてるんだけど、
今見るとちょっと興味深かったのが
1.リングに立って会場の観客が何を求めているかを察知するのが
自分たちの仕事だが、今回行き場をなくした国際勢に同情が集まり
木村に判官びいきが集中すると思っていたのに、会場の空気は
「国際なんかやっちまえ」というのが圧倒的でかなり戸惑った
2.今回、長く引っ張ってきた木村との対戦ということで、東京プロレスから
国際時代の因縁がこの一戦に懸かるという面が試合の焦点になるはず
だったのに、「全日との興行戦争」というニュアンスが混ざって、かなり
試合そのものの焦点がボケてしまった
3.それらを含めて、木村がもっと前に出てくるかと思ったら全てにおいて
大人しかった、もっと色々な意味で悲壮感を出して来てほしかった
という猪木の発言
どうも猪木としては、観客の声援が木村に集まる小林との第一戦のような
反応を予想していて、そうした空気の中でラッシュした木村が押しまくり、
「猪木は苦し紛れに反則に逃げた」、と見られるような展開をイメージして
試合に臨んでいたらしい
当時の新日ファンは国際軍団よりも、興行戦争を通して「全日ぶっ潰せ!」
というイケイケの感情が強かったのを猪木も読めていなかったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています