【輪島】昭和期の相撲界の裏側を語るスレ【北尾】
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ここはプロレス板であるからにして、厳密に言えば反則技だが、「乱入」だから
プロレスの範疇なのである。まあ、そういうこっちゃ。 久島って学生時代は凄かったけど、プロになったらイマイチだったな
なんとなく谷津とイメージが被る 中盆(なかぼん)という業界用語で呼ばれ、相撲界の裏の顔だった板井圭介。
ある場所の成績は4勝11敗。勝った4勝はすべて「ガチ」で負けた11敗が
「ヤ●」だったという。ガチ横綱の大乃国には一時期8勝3敗だった時期も。
カネに魂を売らなければ大関には行けたのでは。 千代のヤオに付き合わなかったら潰されてたと聞くからな >>3
久島と服部は鳴り物入りで角界に入ったんだけどねぇ。 ガキの頃は「千代の富士は強いのに大乃国はデカいくせに弱くてどうしようもないな」
と思ってたけど当時は相撲のヤオ・ガチなんて知る由もなかったからな・・ >>8
千代乃富士がガチで寺尾とやったら釣り落としやったんだよな 父親でもある師匠の説教が効いて、寺尾は改心して、負けブック拒否でガチで勝負を
挑んできた、とは聞いたことがある。
「オレに逆らうと、こうなるぞ」という見せしめだと思うが、私は、この横綱が好きになれない。
私の好きな力士は、昔、大乃国。最近は稀勢の里。幸いにしてガチ認定されている
力士だった。 稀勢の里がヤオであることは武田頼政氏によって暴かれてますけどねw
というか馬鹿武田の自爆ブーメランがヤオの里に当たっててワロタ。 昔、勝ちブックを貰える立場の富●桜が足を滑らせて
しまう「うっかりガチ」で黒星。号泣してしまったと
いう話は聞いたことがある。 >幕下時代には後援者と食事をした時に、自身の大好物であるステーキを3000g食べたかと思うと、
>直後に中華丼・天津丼・オムライス・炒飯・チャーシュー麺・冷やし中華・カツ丼を次々に
>注文しては殆ど完食するほどだった。
北尾、そりゃ体に悪いって・・・ 大関貴ノ花が北の湖に優勝決定戦で勝って初優勝したときの相撲が
星を200万円で買った八百長だったと
憲子が証言したというのを武田が記事にして裁判になったけど
あれはすべて憲子の勘違いから始まったこと。
電話で貴ノ花が「親方(初代若乃花)が北の星を200万で買った、すぐに200万持ってきてくれ」と
東京の憲子に電話を掛けたのは事実のようだ。
憲子はそれを「親方(初代若乃花)が夫(貴ノ花)の優勝のために北の湖から白星を200万円で買った」と
思い込んでしまって「200万円持って勝と光司とすぐに大阪に行きます」となった。
大阪の優勝祝賀会場のホテルに到着すると貴ノ花が一人でポツン。
「あなた、これはどういうことなの!?」と憲子が貴乃花を問い詰めると
憲子が相撲の世界の隠語を知らなくて
「北」というのは「北新地」、「星」というのは「美女」のことを言う。
真相はプレイボーイとして鳴らす親方(初代若乃花)が
「きのうはキタの星を200万で買った、きょうはミナミで星を買うぞ、ガハハ」と
優勝のご祝儀を持って大阪の街に繰り出してしまって
会場費を支払うために貴ノ花が缶詰めにされて憲子の持ってくる200万円を待っていた。
だからあの相撲が八百長というのはすべて憲子の勘違いでガチンコの真剣勝負だった。 稀勢の里も、
横綱になって10回くらいは
優勝できる素質はあったのになぁ。
まず、彼はメンタルが弱すぎるよ 北尾(双羽黒)も10回くらい優勝出来る素質が
あったのになぁ。
まず彼は千代●富士に負けブックを飲まされ過ぎた。 琴天太(琴天山)ちゅうカナダからやってきた若者は将来有望かと思っておったが
ワシの知らんうちに消えてしもうた。 >>19
その後、プロレスに転向したよ。
リングネームは、そのまま天山! >>20
プロレスに転向したら、随分と体が小さくなったので驚いたな。 小さくなっただけではなく
国籍もカナダから韓国に
変わった。 ああ、小島ちゅう若者とコンビを組んでいたモンゴリアンぽい若者じゃのう。
長年の疑問が解決した。すまんのう。すまんのう。 キングハクとコンガ・ザ・バーバリアンが相撲続けてたらどれぐらいまで行ったんだろうか?
後、藤波がハク以上の才能と言っていた南海龍。この辺メンツは横綱大関を普通に狙えそう。
サモア系って明らか天性の相撲取りみたいな奴が一杯いて相撲の才能のレベルは日本人より確実に高いだろう。
昭和じゃないけどマークハントやマイティモーなんかも同様のレベルの才能だと思う。 山口組から一和会に移った佐々木道雄の本読んでみたかったな。 大東文化大のラトゥなんかラグビーじゃなくて大相撲に入門していたら三役ぐらいに昇進していただろう 「若●津を横綱にするブックを考えたが、当の若●津に実力が足りなくて諦めた」と
中盆の人が語っていたのは記憶にある。 北天佑はいま見返したら相手の胸に頭を付ける相撲だが
何故あれだけの偉丈夫を横綱に出来なかったのかと思う
やっぱり例の一件で千代派とはアレだったから? 北の富士は昭和40年代の力士だから、リアルタイムでは知らないが、ヤ●全開
だったとは聞いている。 >>30
ヤ●全開の北の富士がキセを横綱にしようとしていて、
明らかに実力のないキセが横綱に……
そういうことだったのか。 >>25
存命中の人物だと佐々木ミッチーとも親しくヤクザにも左翼にも顔が利いて相撲好きの連帯労組関西生コン支部の武委員長に聞きたい 「黄金の左」輪島は北の湖と共に一時代を築いた名力士。
北の湖を始め、魁傑、三重ノ海、先代・貴乃花、2代目若乃花、旭国、
タイガージェット・シン、リック・フレアー、スタン・ハンセン、天龍源一郎などと
対決したが惜しくも他界。
年の離れた息子が天理高校の投手として甲子園の土を踏んだ。 二枚目ではないが凛々しく、またジェットコースター番付の魁傑は正しく婆ぁにとってのジャニーズだった
魁傑スタイルは同じ九州男児の益荒雄に引き継がれたが、ガチンコ力士の宿命か膝を潰されて儚くも散った
床に伏した婆ぁ共の最期の夢を引き継いだのは、純朴そうな怪力出羽の花だった
デカい力士に彼らが勝つと婆ぁ共は泣いていた
彼女たちは出征して散った次男三男の幻影を彼らに重ねていたからだ
善戦マンの鶴田に、鬼畜米英を成敗する馬場に、日本側についたチビのデストロイヤーに異常なまでに肩入れしていたことと一緒の理屈でもある
全日のCMではダイナマイト男の小林旭が歌って鶴田お勧めのヰ関トラクターが定番
♪燃える男の 赤いトラクター それがお前だぜー♪にもうメロメロだった婆ぁ共
「頼んないが可愛い鶴田の頼みじゃ爺さん長男、後生なんでヰ関で」だった田舎は遠くなりにけり >>33
輪島と天龍は土俵上でも一度対戦してるんだよな。
また面白い因縁で、輪島が負傷して千秋楽休場した時、
輪島の代役で横綱琴桜の対戦相手をつとめたのが天龍。 >>29
北天佑が横綱になれなかったのは「相撲界の七不思議」とも言われている。
師匠だった三保ヶ関(初代・増位山大志郎)のコメント
「敏満(北の湖)と勝彦(北天佑)を東西の横綱に並べるのが儂の夢」
「勝彦の素質は敏満以上。勝彦を横綱にしなかったら儂が笑われる。」
北天佑が昭和55年11月に新入幕して、当時、日の出の勢いだった千代の富士と互角以上に勝負していた頃の
北の富士(九重部屋師匠)のコメント
「自力はすでに千代の富士と互角。ウチの幕下以下全員と北天佑をトレードしたい。大変なライバルが出てきてしまった。」
北天佑が綱になれなかった理由として
一つは怪我、病気。
昭和61年7月〜63年9月の2年間、怪我と病気で思うように体が動かなかった時期があって力が出せなかった。
北天佑は当時、25歳〜28歳で、本来力士として一番力が出る時期を潰してしまった。
糖尿病、膝の怪我、持病の腰痛と悪いとこだらけ。体もゲッソリ痩せてね。
63年11月から平成元年にかけてようやく復活してきたんだけど、今度は体力が落ちてきて平成2年9月に30歳になるとすぐ引退してしまった。
二つ目は技術面。
北天佑は怪力で投げに頼ることが多かった(右四つ、左四つ、上手、下手どちらでも強かった)。これは北天佑らしくて豪快で良かったんだが、
雑な面も目立ったことは確か。苦し紛れに土俵際でするのも多かったからね。
『もう少し技術面を磨いて自分の型を確立し、それに絞って相撲を取れたら北天佑の綱は確実だった』と言う北天佑と対戦経験のある親方も多い。
三つ目は精神面。
クヨクヨと引きずる性格で、優勝争いをしていても一つ負けると糸が切れたように4連敗、5連敗とすることがしばしばあった。
もっと勝ち気な性格だったらまた違っていたはず。
もし横綱になるのだったら、最後の優勝をした昭和60年までになっていたはず。61年になると、北尾、保志(北勝海)、大乃国、
旭富士(北天佑と同年だが大相撲入りは後輩)と次世代が台頭してきてこの波に飲み込まれてしまった。
千代の富士との関係は、北天佑の弟の件から「因縁の対決」なんて言われていたけど、本人同士は意外とサバサバしていたよ。
北天佑の綱の廻し姿、似合っただろうな。見てみたかったよ。 中盆の逆鉾は親方になってから、千代の富士を裏切ったね ヤヲ問題が噴出したとき、不幸中の幸いだったのはガチ道を貫き通した放駒親方(魁傑)が
理事長だったこと。
理事長の責任問題云々言っていた連中に言いたい「こんなに立派な人が何で辞めなきゃ
いけないのか?」と。
変な言い方だが、ヤヲに手を染めていれば、この人は軽く横綱になれた筈だ。
どうしても責任を取れ、というのなら、放駒の後任は、その弟子の大乃国でなければならない。
そういう声が一切聞こえてこなかった。頭が膠着しているとしか言いようがない。 >>35
輪島が休んだおかげで三役揃い踏みをやれたって
かなり昔、言ってた気がするなぁ。 年末年始もやることがない無職引きこもりの増豚は相撲板を絶賛荒らしまくり中 朝潮の高砂親方がNHKスタジオパークにゲスト出演したときに、現役時代の安定しないむらっ気の成績を問われ、
「自分は学生相撲出身でしょ。学生相撲はトーナメントだから1回戦で負けるとそれで終わりなんです。
だから初日に負けると、あー、今場所もこれで終わった。ってなっちゃうんだすよ、ワハハ」と答えていた。 >>38
放駒は八百長問題にかこつけて中堅モンゴル力士(白馬など)を追放したくせに、
ヤヲの総本山たる魁皇を野放しにしたから信用できない。 一時、「金城」と「玉の富士」が
活躍して「金玉時代」の到来が期待されたが、
それを防ぐためか金城は「栃光」に改名した。 北天佑って、現役時代、デカく見えたけれど
183cm、体重149kgといまなら平均以下だね。
(現在の幕内平均は183超、163`超)
186cm、体重157kgの鶴竜だってデカく見えない。 将棋は金と玉がくっついた状態から対局開始するけど
実に理にかなっている。玉を囲う時も金をくっ付けて
おくと固さは倍増する。
相撲やプロレスでもココは急所。攻める時はグーで
殴るのではなく突っ張りで攻撃すると良いだろう。 千代の富士は
やはり連勝記録のために星を買っていたんだろうか?
脱臼防止の話もあるが。
あのステっぽい筋肉も異常。
強いのにヤオする心理って
ヌル秋山と同じか? >>42
親方衆が魁皇の対戦相手の支度部屋に行って
対戦相手に聞こえるか聞こえないかの声で
「魁皇に引退されると客入りが悪くなるな」
「そうなると力士の給料も減らさないといけなくなるなあ・・」
そんな会話をしていた そりゃ千代○富士も引退後の協会内の待遇が悪くなる訳だ。 大相撲も広い意味でプロレスだよ。
「国技」というのは「ギミック」
かつて、新日本プロレスが「最強」と
謳っていたのと同じ手段。 >>51
魁皇から稀勢の里に変わったのはその数年後だったわけか 曙の10勝5敗で終わった場所のうち、ガチでは4勝5敗だったというが、真相は分からない。 常打ち会場の名前が国技館だから国技ってことになっただけだしな 本場所の八百って分かりにくい
千代と北勝や若貴の決定戦は嘘臭いなあと思ったが
トーナメントとかは八百丸出しだが >>50
千代の富士が横綱の頃は、横綱は降格がない代わりに、大相撲の顔として、本場所と地方巡業の皆勤することと、毎場所優勝争いに加わり、年一場所以上は優勝することが当然で、それができなければ引退という風潮が強かった。
だから、横綱を長く務めるためには、地力をつけるだけでは不安で、星を買っていたのではなかったかと思う。
千代の富士の連勝については、大乃国に負けた後から連勝が始まり、大乃国に負けて連勝が止まったというところがポイントだね。
千代の富士の連勝中、生放送のテレビ番組で、千代の富士の連勝を止める力士は誰かと尋ねられた某親方が、「ガチンコに強い大乃国でしょう。」と答えてしまったという逸話もあるし。 >>58
なるほどなあ。そういえば親方株も買うんだよな。 >>59
そうそう。親方株買うための資金を用意しなければならないから、できるだけ長く横綱を続けたい。
そして、将来、自分の部屋を持った時の人脈作りのためには、本場所はもちろんのこと、地方巡業も疎かにできないよね。 >>57
本割と決定戦で1勝1敗だと、なんかあるなと思う。
旭富士と小錦が決定戦をした時に、小錦が持ちかけたけど
旭富士が拒否して、本割と決定戦で連勝したことがあったね。 >>58
板井の師匠ですね。96年あたりに、ヤオを告発していた橋本氏と、この師匠が
同じ日、同じ病院で亡くなっているが、これはいったいどういうことだろう・・・・・・・ 大相撲が文科省から内閣府の直轄に
移ってるのも不穏。
政策利用されてるよな。 白鵬は多くの力士に星を譲っているが、完全ガチだったら優勝は50回を余裕で越えているだろうな。 >>58
正確に言うと「大乃国しかいないからね」
以後、高鉄山は解説に呼ばれることはなかった。 >>65
千代の富士の連勝が止まったのは昭和最後の場所だが
実は平成になっても高鉄山は解説に呼ばれていたのだ
おそらく高鉄山の記憶違いをそのまま文章に残してしまったのだろう トンガ力士たちが、部屋のお家騒動に巻き込まれ廃業に追い込まれた時、
その当時の相撲雑誌(1976年)を見ると、今後の進路を聞かれた時、
複数のトンガ力士の回答が、「プロレスラーになりたい」だった。
実際になってるしな。 大乃国が800長認定力士のC代の富士( 仮名 )の
連勝を53で止めた時、板井が手を叩いて喜んでいた
そうだが。
板井にとって千代のF士( 仮名 )は一番80万円の
お客様だったような気がするのだが。 >>70
優勝した琴奨菊
連勝とめた稀勢の里
横綱昇進した鶴竜
これだけわざとらしい負け方があるんだぜ 貴乃花優勝で小泉が「痛みに耐えてよく頑張った!」
あれは武蔵丸の片八百 八百長と無理気力相撲は違う。
気合い十分の八百長相撲もあれば
ガチで無気力になることもある。
例えばうつ病なんかはガチの無気力。
それを上司から八百長呼ばわりされたらたまったもんじゃない。 縦社会で絶対服従の下と貴族の関取が喧嘩するのもアレだが
只の感情の縺れをニュースにすること自体が異常
少なくとも昭和期ではあり得ない 相撲でドロップキックを放つ力士がいてもいい。
ラリアットをかます力士がいてもいい。ジャーマンを放つ力士も見たことがない。
パイルドライバーだって見たことがない。延髄切りをかましたっていいのに。
地獄突きのような技も効果があると思うし、行事のブラインドを衝いての凶器
攻撃だってあっていいのに、未だにお目にかかったことがないのは不思議である。 >>79
自分の足以外が先に着くってのはちょっと。 >>79
サッカーでボールを持って走る選手も
バスケットボールで、相手にタックルする選手も
ボクシングで、相手をキックする選手も見たことがない。
これも不思議に思うか? >>78
最近は指導する親方に逆ギレする力士がいるっていうしねぇ >>84
もはや『無理へんにゲンコツ』が通じる世界ではなくなりつつあるのかな ケンカして何で拳なんだよ。「張る」んじゃないんだ……。 >>81
見ましたどー。ありがとざんす。
健吾先生の「世界を制した」稲妻レッグラリアートも相撲だと負けになってしまうのかな。
人生とは、なかなかに厳しいと思う。 プロレスは基本的に好きで入門してくるけど
相撲はむちゃくちゃな勧誘とかまだやってるんだろうか
だとしたら変なのもいる可能性はむしろこっちのほうが高い 今と昭和期と部屋の中のいじめや上下関係の実態とか違ったりするのかな。
相撲自体は昭和の頃と変わらないような封建的な雰囲気があるけど。 >>94
部屋によって違うとは思うけど、上下関係は昔ほどガチガチではないように感じる。
昭和だったら式秀部屋みたいなやり方はありえないだろうね。 >>81
相撲をほとんど見ない友人が
こういう初っ切りをテレビでたまたま見て
「こういう相撲もあるんだな!」と
感心していたwww >>91
なり手がいないのに部屋数はほぼ減ってないからとりあえず頭数揃えるのに必死になってる
今でも運動歴の有無にかかわらず巨デブガキがいりゃあとりあえず部屋の関係者、
下手すりゃ親方がすぐ飛んでくる >>91
手が付けられない息子がやくざになるくらいならいちかばちか相撲部屋に丸投げしてまえ
みたいな親がまだ存在するのも事実、時津風部屋の事件の被害者はかわいそうにそういう
ケースだったんではないかと言われてる 藤井聡太も「中学生のうちにプロになれなかったら相撲部屋」と母親に言われていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています