和田京平の証言・鶴田を生涯信用していなかった馬場

生前の馬場さんは、ジャンボが長期欠場していた間(90年代前半)も給料を
払い続けていました。私が「ギャラ払うの大変ですね」と水を向けると、馬場さんは
「ここでオレが払わなけりゃ新日本にでも、(それ以外の)よその団体にでも
行っちゃうよ。それはオレはイヤだよ」と言ったのでした。

木戸修の証言・実際に肌を合わせた「ゴッチの息子」

1990年の2月、新日の二回目の東京ドーム大会で全日勢が電撃参戦し「鶴田・谷津組VS木村健吾・木戸修」というカードが組まれ木戸が鶴田の空中胴締め落としでスリーカウントを取られた。
試合中には木戸が脇固めで鶴田を「極めた」シーンもあり、それなりに盛り上がった。

木戸の「鶴田が最強だなんて誰が言ったんだ?」
発言はこの試合の直後のインタビューで飛び出した発言だが、
口先でプロレスをすることを絶対にしなかった木戸が他団体のレスラーを揶揄する発現をしたのは後にも先にもこの時だけだったので、
ある種の驚きを持って取り上げられた。