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 90年には、湾岸戦争直前にイラクに渡って現地で拘束された日本人人質の解放
に尽力するという功績を残しているが、もともとの動機は不純で「サダム・フセ
イン大統領と会ってオイルの権利を手に入れるためだった」(同書より引用)と
いう。
 それでも、90年にイラクへ訪問すること3回。12月には猪木の発案でプロレ
ス、サッカー、コンサートを盛り込んだ「平和の祭典」を実施し、人質も解放さ
れることになった。しかし、同書によれば、この時に右翼団体・日本皇民党の幹
部が同行し、イラクへの航空機のチャーター代6500万円は佐川急便が払っていた
というのだ。
「その後の一連の経過や関係者らの話から、(佐川急便の)佐川清会長が、皇民
党の人たちとの同行を条件にチャーター機代を支払うという案を出したことは明
らかです。かなり、あとのことですが、この件が問題化したとき、猪木議員自身
が私にこんなボヤキをしていました。『皇民党のやつらを同行させるのが条件だ
ったんだから、しかたがねえだろう』」(同書より引用)