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馬場の防波堤役
我儘なレスラーは厳しくしなきゃまとめられない
社長になってそれがわかったのか三沢と元子は和解して
電話で長話する仲になってたって ★A
『元子は鶴田は“鶴田君”三沢は“三沢君”と呼んでた』
『しかし武藤は“武藤さん”と呼ぶ』
★B
『武藤より一回り上の鶴田を君付けで武藤をさ付けん?』
『おかしいだろ、それ』
★俺
『元子は鶴田も三沢も若い頃から知ってるからだよ』
『武藤はある程度の年齢で関連持ったからその年齢の武藤に君付けでは呼べないだろ』
『鶴田は大卒22、三沢は高卒18、武藤は実績あって38だからだよ』
★A
『そっかー』
★B
『納得』 >>5
元子は鶴田のことは「ジャンボ」と呼んでた
三沢や川田はいつまでも高卒のイメージで君づけ
前スレの続きだけどキム・ドク最大の失敗は日本陣営に入ってタイガー戸口なんて名前に変えたこと
新日本移籍の時にキム・ドクに戻せばよかった 馬場・鶴田対大木・ドクの日韓対決が好きだった。
インタータッグとったとき大木が「ソウルまで来い」と挑発、ジャッジに怒った鶴田がジョー樋口に八つ当たり、タイトル取られた大木がこなきじじいのように泣きじゃくり、全日本にしては珍しく感情のぶつかり合いを見せてて面白かったわ。 タイトルを取り返した時に
馬場が嫌味ったらしい顔で大木に指差して挑発
日本では常時ベビーの馬場らしくもない顔だった ドクの全日時代を知らないのだけど、プロレス自体は上手いのかな?
田コロのvs猪木と、インディーで大暴れしてた時くらいしか
記憶にない。分かりやすくいうと誰タイプだったの? キム・ドクスレでも語られた話だが戸口が残っても鶴田は追い抜けなかったとは思う
ただ馬場はデカいレスラーが好きなのでNo.3からはなかなか落ちなかったはず
そうなると影響が出たのは天龍なんだよな
戸口が抜けないままで35歳位になって天龍が石川位のポジションで終わった可能性がある >>12
それはない。
天龍への期待は他の力士転向レスラーとは違った。
これは自分の印象だが、ルックスにも華があったから
いずれにしても第三の男になってたと思う。
タイミング的にはもう少し遅くなってたろうけど。 戸口が全日本に残ってたら阿修羅の代わりに移籍直後のハンセンのラリアット食らって谷津の代わりに移籍直後のスティーブ・ウイリアムスのバックドロップ食らって怪我してSWS行き うーん、天龍の華ってのも結果論的な印象もあるんじゃないかな。
天龍入門の時期にもし玉麒麟が入門していたとしたらどうだったんだろう?
玉麒麟の方が天龍よりもでかいしちょっと二枚目じゃないか。
番付もそう変わらないし。 テリーに憧れて似合わないローリングクレイドルを使う天龍
ホーガンに憧れて似合わないギロチンドロップを使う北尾 戸口げ全日本に残ってたら天龍が勝手にいじけて米国に定着してるところに坂口から声をかけられてランボーテンリューのリングネームでオカッパカツラかぶって新日本に参戦してたかも 安易にアックスボンバーでなく、レッグドロップ使う辺り
北尾がアメプロ好きなのよくわかる。
天龍はファンク道場で修行後の試合なんか見ると
アームホイップからのアームロックなど多用し、相撲臭さを抜こうと頑張ってたのが伝わってきたな。 >>13
「直接、誘ったのは天龍だけだよ!」と馬場もコメントしている。 >>20
これは馬場から直接誘われたに入らないのか?
前田「第1次U崩壊時に馬場から、前田と高田だけ来てくれと誘われた」
安生「馬場さんから全日に出ないか?と電話があった」 天龍の日本デビュー戦のローリングクレイドル、メヒコグランデ(リッキー・ロメロ)がもう少しうまく回ってやりゃよかったのに。 アマリロで習った技より天龍チョップに興奮してたよ
逆水平じゃなくて相撲の突っ張り >誘ったのは天龍だけ
これって、北尾か誰かのプロレス転向が取り沙汰されていたときの
インタビューに対する答えじゃなかったっけ? >>24
当時、バラエティ番組でお笑い芸人によるプロレス・コントのなかで、「せこい技」の典型として天龍チョップをやってたね。 子供のころのプロレスごっこでも天龍チョップは盤石のネタだったな。
倉持風に「天龍チョップ天龍チョップ天龍チョップ!」と言いながら攻めていって、
まったくダメージ与えられずに反撃されるというお約束だったわ 団体内の純然たる序列とか格ではどうかわからんけど
人気の面とか、馬場からのフォール勝ちとか
実質天龍は鶴田を超えたと言っていいのかな? >>33
天龍は団体の一枚看板になったからな、これは残念ながら鶴田には一生なかったこと。 団体トップという意味では超えたが
強さでは超えられなかった。 ジャンボと藤波は、なんか常に「あと一歩」って感じなんだよな。 >>34
1991年の鶴田は完全に
全日の一枚看板だっただろ?
1月ハンセンから3冠を奪取して
4月武道館の三沢戦では、前年の借りを
10倍にして返すバックドロップで完勝。
川田、ウイリアムスにも勝って防衛。
全く敵なしで「鶴田最強説」も出て、
この年の「プロレス大賞、最優秀選手」
にも選ばれた。
またこの年の前半は馬場はずっと欠場していたし。
こんなことを書くと、「鶴田オタ」に
認定されそうだが(苦笑)事実だよ。 >>40
ちゅうか、時期エースっぽいポジション与えられたから、野心持ちようがない。 >>40
俺もこれ、思った。
性格的に近いと言うか。 鶴田の次のエース様が馬場夫妻に盾ついて日テレと共謀して放映権奪っちまったからな
「形だけの社長なんてゴメンだ権限よこせ」
こんな態度は鶴田では考えられないわな >>43
野心て社長になることか?
それは違うだろ。
鶴田はプロレス団体の社長になる気はサラサラなかったろう。 >>34
天龍が一枚看板の時代なんてない。
天龍のトップは鶴田の土台という上げ底のおかげだからな。 >>44
ジャンボでなく、三沢の事言ってんでないのか? >>45
一枚看板ってSWSだよ、もちろん全日ではない。ホーガンやウォリアーズ呼んだけど、
実質的に団体で日本のただ一人のエースとして、東京ドームを満員にしたからね。 >>47
>日本のただ一人のエースとして、東京ドームを満員にしたからね
わはははははは
あの2回のドーム大会、どれだけ只券を配ったのか知らないのか?
ああ、笑い過ぎて腹が痛い。 鶴田はプロレスの世界王者とか
リング上の一枚看板の大エースとか
団体の社長(経営者)とかに強い魅力を感じる人ではなかったんでしょ
入団してプロレスの仕組み知ってクーデター未遂事件の顛末とかから
異常なほど自分の仕仕事に執着の無かったタイプと思うわ
(もちろん人間だから全く“0”ってことではないだろうけど限りなく少ないという意味で)
力道山から始まって馬場猪木天龍藤波前田三沢武藤から
現在の新日における棚橋やオカダまで・・・
この三つ無しにプロスポーツ選手とか芸能人とかが
長期間トップの位置で仕事続けるなんてまあ珍しいでしょ
たいていはみんな本心ではそうなりたくてもなれないから
俺は興味ないよという態を装ったり
渋いプロフェッショナルの職人とか陰の実力者、道場の主、業界の重鎮だのといった
ポジションに自他ともに位置づけることで満足・納得するんだけど
鶴田の場合本当に興味が無いというか最初から冷めた諦観のようなものがあった気がする 全日のドームは熱量無かったねえ。客の
新日の10.9とまでは行かなくてももう少しなんとかならなかったかな
菊池が頭突きの音をマイクで拾わせて轟かせたくらいしか印象にない 鶴田は十分すぎるほどの待遇だった。
だがプロレス団体の社長に良いイメージは持ってなかったろう。
転身したかったはず。 鶴田は「この世界が変なのは社長にならないとトップじゃないみたいな感覚があることだ
僕はそうは思わない」と言ってたな
そういう考え方は現在のレスラー達の方が共感するかもしれん >>14
まぁ戸口の抜けた穴埋めるために阿修羅を入れたようなもんだからね 鶴藤長天の時代は良くも悪くも新世代の群雄割拠で、まず、すでに力道山だの日プロだののキーワードは殆ど
潰えてた時代であり、さらに馬場や猪木によってレールや土台が築かれたうえで演目を行う時代になってしまった。
早い話、プロ野球なんかでもそう。王や長嶋じゃなく原や江川、掛布、宇野、門田、石毛・・(まあいいやw)。
高度成長(右肩上がり)も終わって、国力も安定してくりゃスポーツ、文化も多様化するyね、って話。。 >>56
戸口の抜けた穴を埋めるために天龍をアメリカから呼び戻したんだよ。
戸口が抜けなかったら天龍はナガサキみたいに放っておかれた可能性もあった。 >>54
そもそも馬場自体、社長になるつもりなんかなかったし、猪木だって日プロ解雇されて仕方なくだったし ナガサキは80年のジャイアントシリーズで凱旋、いきなりメイン抜擢だったけど、
いかんせん、あの風貌なので…。
あの帰国は新日の「キラー・カーンの凱旋近し」を先読みし先手を取って
ウチにだってこんな秘密兵器が居るぞ!ってことだったのかな。
桜田はしばらく日本に定着してたけどチャンスをものにしたって感じじゃなかったな。
トンガと組ませて80年の最強タッグに出せばよかったのに。 所詮、日プロ残党。せいぜい海外で頑張ってね状態。。。 日本リーグ争覇戦の、これはなんとかならなかったのかな?これだと鶴田と桜田が
同格みたいになってしまう。せめて桜田の方はリングアウト負けにするとか。
タナカが勝つパターンとしては、反則勝ち以外に説得力がないからかな?
1回戦
◇ タナカ(反則14分40秒)桜田 ◆
準決勝
◇ 田中(反則6分25秒)鶴田 ◆
http://www.showapuroresu.com/league/japan.htm サクラダは仮に生え抜きだったとしてもねぇ
新日本はよく藤原を売ったなと思う >>59
馬場はともかく猪木は先輩達差し置いてしれっと日プロの社長の座を狙ってたんじゃないかと思う。 馬場は自分が反対していたNETテレビの放送解禁がなかったら、
日プロのサラリーマンレスラーを続けていた可能性もあると思えるよな。
もちろん芳の里や遠藤が、信用できる経営者だったらの条件付きだが。
猪木はどんなパターンでも、いずれは独立して経営者の道を選んでいたと思う。 多団体時代の今だから
そんな風にも思えるが
当時の日プロ一強状態を考えると
猪木の独立はかなり無謀
猪木本人も思いもよらなかったことと語ってるし
クーデター事件以降の混乱を日プロが上手く収めてたら
新日は継続不可能だったと思う >>60
桜田はあの凱旋帰国のシリーズは、開幕戦でもカマタから一本取ったり、流血戦を演じたりで目立ったから、
「凱旋帰国」としての扱いはオッケーだったな。ただ、次の最強タッグでは、負け役がぐっと増えた印象。
戸口、桜田組でもエントリーさせてよかったのにとは思うが、白星配給係になったかな。 天龍と鶴田はずっと天竜のほうが強いと思ってたけど
あの急角度パワーボム見てから鶴田ヤバいやつじゃねとオモタ 桜田は移籍先の新日でも契約更新してもらえなかったからな
ぶっちゃけ試合がつまらなかった
やっぱりイマイチなレスラーだったよ 桜田はSWS分裂後、ほんの一瞬だけNOWのエースになっていたよな。すぐ終わったけど。 >>68
>ただ、次の最強タッグでは、負け役がぐっと増えた印象。
桜田は80年最強タッグは出てないぞ、と思ったけど『もしも出てたら』の話か。 うん。戸口も桜田も一度も出てないから、よく読んでね。 80最強タッグは日本人チーム1チームしかエントリーされてないんだよね
戸口は天龍は来日無し。石川ケガ。 唐突な質問で悪いけど
Gスピの馬場夫妻の号で、佐藤のインタビューの所だったと思うけど
鶴田と石川と佐藤が、三人揃ってベルト巻いて乾杯してる時っていつの大会?
おそらく防衛か奪取の後の控室なんだけど、全日軍の中に大木?も一緒に乾杯してる
あと天龍も最後列で乾杯してた、戸口はいなかったと思う
自分の記憶にある鶴田と佐藤石川のタイトル戦の時期は、1983年の初頭ぐらい?
ヘラクレス・ヘルナンデスに鶴田が防衛
あとは佐藤石川がジョーとマシンにアジア防衛ぐらいで…
あと、大木が全日正規軍の側にいた時なんてあったの? 桜田はポーカーフェイスで声も出さずに、淡々と試合をしてるだけにみえた >>76
某全日熱戦譜ブログによると、'81スーパー・パワー・シリーズ
6月11日の後楽園ホール大会で鶴田はスヌーカ相手に防衛
佐藤石川がケビンとデビットのエリック兄弟からアジアタッグを奪回している
天龍はアメリカから一年ぶりに帰国、大木は日本陣営として来日とあるね >>62
鶴田を木村相手に寝かすわけにはいかないからこうしたと思っていたけど 一応は交流団体のエースなんだから
一度くらい木村にフォール負けしてやってもいいだろうに >>78
大木は国際を抜けた後、全日にインターを返す代わりにアジアヘビーのベルトを返してもらって、
何度か参戦してたんだよね >>71
桜田の試合がつまらないといあことはない。 >>75
戸口と石川はハノーバートーナメントに行ってたんだよ。
天龍は海外修行継続。
後、前も書いたけど、天龍は件のロビンソンと組んでインタータッグに挑戦した時、当初はこの試合が終わったらまたアメリカに行っちまおうと思ってたけらしいけど、その場合
全日は誰をNo.3にするつもりだったんだろうね。石川?トンガ?まさか大木? ナガサキも色んなネームだったが、Mスーパースターも多かった。
Mスーパースター
ビルイーディー
ビリークラッシャー
ボロ(ジート?)モンゴル
アックスデモリッション
Mスーパースターが一番定着してるが。 >>84
「素顔はビリー・クラッシャー」って言われても、誰やそいつはって感じだったな >>83
天龍自身がそう思ってただけで、
全日としては残して3に天龍を据えるつもりだっただろう。
じゃなきゃ天龍を抜擢した意味がない。 >>75
80年最強タッグの頃って、馬場&鶴田以外に日本人で注目される人材なんかいなかったなw
ブッチャーとシークの抗争、依然残るファンクスの遺恨(もう末期だったが)、リッキーの初来日、脇を固めるニック組とロビンソン組だった。
そしてロビンソン組の相方レスソントンは本家のマクガーク派NWAジュニア王者で、
藤波や木村健らの保持するエディグラハム(親日派)由来のNWAインタジュニアとの権威争いの真っただ中の全日参加だったな。
ただ、木村健が10月にチャボの軍門に下って王座喪失状態であったが・・。 >>83
当時、馬場が阿修羅を誘ったときの口説き文句が「三番手でどうだ?」 >>88
ソントンの王座はその後、佐山タイガーからコブラへ。チャボの王座はその後、
大仁田から井上、三沢タイガーと渡り全日の看板タイトルになって行く不思議。 >>90
80〜83年ごろまで、誰が三番手とかはっきりしたものはなくて、テレビマッチの頻度とかから天龍、阿修羅、石川にジュニアから大仁田あたりが三番手候補なのかな?くらいの感じだったけどな。 鶴田&谷津vs健吾&木戸
5:00〜 鶴田「ハイキックやらせて?」
16:10で鶴田は木戸にバックドロップやろうとしたが健吾にカットされてる。
ケツはルーテーズプレスだから、もしバックドロップやっても決まらなかったということだな。
https://www.youtube.com/watch?v=VxL52al-bX0 阿修羅原「ハンセン移籍初試合の相手に組まれて、三分弱でピンフォ―ル負け、どこが三番手なんだよ…」 >>94
あんな壮絶な玉砕見たことないよ
出来るのは阿修羅原だけ
見事な仕事をしたといえる >>95
ハンセンも「完璧な相手だった」と認めているよね。 >>92
少なくとも81年暮れの最強タッグ時点で天龍&原なんか極道とどっこいの白星配給だったが
82年に入って段々と天龍が頭角表してきたような。資質では原や石川より体格もあるし
技もどん欲に卍だの延髄だのw取入れ意欲的だった。コスも黒基調になって精悍さも増したな。 >>78
>>81
そっか、ドリーがインター争奪でチャンピオンになった直後か
というか、その頃は子供でリアルタイムでは覚えてないけど…
でもドリーが今さらインターのチャンピオン?という空気はなかったの?
まだまだファンクス人気は絶対だったんだろうけど…ブロディの欠場で予定が狂ったとか?
同時期のライバル団体の新日は佐山タイガーがデビューし、猪木が既成のチャンピオンベル返上でIWGPに本格的にでしょ?
ドリーがチャンピオンで新鮮味も何も無さそうな…それともブロディ売り出しありきのドリーのチャンピオン? >>98
インター王座復活を決めた時から、いずれは鶴田に巻かせるって既定路線でしょう。
すぐに巻かせるのでなければ、ベルトの権威を出すためには実力者同士が
王座を争う必要がある。当時の全日のメンツの中だと、ドリーとブロディがそれを
行うのが適任だったんだろうね。2人の試合もかなり相性良かった感じはあった。 あの時点ならドリーが最適任だと思う。
欲を言えばオープン選手権の頃は欲張りすぎとして、
昭和54年あたりのウエイトがもうちょっとあった頃のドリーがいいんだけれど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています