1991年の新日本、全日本
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新日 G1クライマックス SGタックリーグがスタート、トップオブスーパージュニアの復活の年
全日 超世代軍の人気が大爆発
後楽園のチケットが取れなくなった年 >>608
井上京子の隣は菊地?
あとキューティー鈴木の隣は誰? 27年経って30人中16人が現役というのはすごいな、プロ野球なら総入れ替えしてる この時代は20代のスターレスラーが本当に多かったね…
年長の馬場がまだ53歳で^木は48歳だったからな〜 >>608
その表紙のレスラー
新日所属が6人(三銃士+馳健+ライガー)
全日も6人(鶴田+三沢+川田+小橋+渕+菊地)
人数は揃えたんだろうね。
四天王の内、田上は落選か!
鶴田+三沢+川田+小橋+渕までは当選で、
最後の一人、菊地か田上かで揉めたと思う。 全日は鶴田がいるのに新日は長州、藤波がいないことに今気付いた >>617
そうなんだよね。
鶴田は当時、全日の絶対エースだから
外すわけには行かない。
あと、三沢と川田は鶴田に次ぐ存在、
小橋は若手のホープ。ジュニアも入れなけれな
ということでジュニア王者の渕と同級の若手、菊地。
さて、新日は藤波がIWGP王者、長州がG18王者、
本来ならこの二人を入れるべきだが、そうなると
あと三銃士は外すわけには行かない、それでもう5人。
馳健とジュニアのライガーを入れるために、どちらかを
外すより二人共割愛したんじゃないかな?
こういうのも、「なんで俺を表紙から外したんだ?」
とクレームが来るんだろうな。 >>616
当時はまだ四天王時代ではなかったね
ブーイングも多かったし人気度でいうと菊地の方が上だったと思う 田上がチャンピオンになったのって92年3月の武道館が初めてだったかな この頃からか?
武道館や国技館の試合終了後に路上プロレスが開催されたのは? 9月15日 広島・西条プラザ屋上特設リング。
越中vs金本
武藤vs小原
蝶野vs山本 >>597
この台風で試合開始時間が遅くなったけど
同じ日に辰吉の世界戦が行われたため
移動バスの中で世界戦が見れたというのがラッキー
だったみたい。 >>621
武道館の清水門出た辺りね。
あそこでツームストンをリクエストして「死んじゃう」コールが出て笑った >>626
99年G1で蝶野VS天山の試合で雑誌に
『8年ぶりの“初対決”が実現』
こう書いてあった。
それまで組んでいた二人が遂に対決と。 >>621
武道館の外で試合後チンポ出してマスターベーションしてるやつもいたな
上からザーメンが振ってきてかかった女が悲鳴あげてた 91年は新日の外人四天王と言われたベイダー ビガロ ノートン ホームが揃った。
SGタッグではこの四人が参戦。
ホームはまだレスラー転向前だったが、ベイダーと異種格闘技戦。
他にも91年の新日はシン アレン コキーナもおり。
外人も充実していた時期だった。 >>632
そこで4人が揃えば最初で最後の勢揃いだったんだけどベイダーが欠場したから(代役は中西)一度も揃わなかったんだよなぁ >>633
92年の両国と千葉ポートアリーナ2日続けて揃って出てる
ベイダーが欠場(代役は中西)も92年 >>634
あ、そうだ!
ベイダー欠場は92年だった!
記憶違いすまぬ 第二回GIにベイダーが出れば。
結局ベイダーの新日本ラストマッチって夏か。
サマーストラグルに参戦していたから。 >>632
ホームは最初からレスラーだニワカw
ボクサーは新日だけのギミックだ糞マヌケw >>636
6月の武道館のベイダー、ビガロ対スタイナー兄弟かな… 639むさ苦しい→この生きる価値がないクズ>>637だが、 >>638
ベイダーは92年G1欠場で秋のSGタッグも欠場。
これは残念だった。
ベイダーは新日の中心だったし。
G1前のインタではビガロ、ノートン、ホームを認めるコメント。
バンバンはベストパートナー。
スコットやトニーも凄く成長してるのがわかる。
でもナンバーワンはこのベイダー。
去年は逃したが、今年のG1は必ず優勝する。
ベイダーのG1優勝宣言もあった。
にも関わらず欠場。 >>637
地元のフィンランドではボクシングの試合もしてたんだけどな
つべにも動画あるし ベイダーは新日外人では異例の月給制だったんだけど
ベイダーがWCWばっかり優先して来日しなくなったので
新日が月給を止めたらベイダーが怒ってUインターに行っちゃった >>638
1992.7.1 熊本市体育館
ベイダーノートン VS サモアン コキーナ
が最後かも。 >>645
そのシリーズの最終戦の横浜でベイダー&ビガロvsマサ&ノートンだった。その直後にビガロが翌年ホームもWWFに移ってエース格はノートンだけになったね。 91年12月の藤波対ライガーのあったレインボーホールのメインって何でしたっけ… >>648
長州&マサvs橋本&ノートン。
それ以外に武藤&野上vsビガロ&ティムホーナー、保永vsカサス、青柳vs栗栖もあったね。 この頃の野上は何気に上の方のカードで使われてたね〜 >>70
決め手が、ビリーブラックにトップロープからホイップされたディートンのダイビングボディプレス。
試合後のリプレイで、インディージョーンズのテーマに乗ってスロー再生されるディートンのダイブがシュール過ぎて笑い転げた。 >>75
リックルードは田上とのシングルで腕引っ張ってのショートレンジラリアット出してた。
ショートレンジ系の技を日本で初めて出したのは彼? >>649
これはレインボー史上一番豪華カードだな >>653
日本では越中が最初
海外ではジェイクロバーツ
全日では川田かゴディ マシンファンの自分はよみうりランドのムタ戦にはメチャクチャ期待してた
マシンが負けるのは仕方ないと思ってたけど誰も得しないあの訳わからん結末
ムタも月下のムーンサルト不発だしなんだったんだあの試合 この年は天山、西村、小島がデビューして選手数が更に増えた
翌年に大谷、高岩、永田、石澤、中西の5人がデビューでヤングライオンも豪華な顔ぶれに 浅子とか、SWSへの大量離脱が
あって選手層が薄くなったから
入門できたんだろ? >>660
92年の秋山大森を足してもまだその差を埋められない、、、 >>661
その当時身長180越えた新人が井上への期待はファンからすると大きかったんだけどなぁ 雅央の星タイツは一応それなりに期待されてたということなのか
それとも単にジャンボと同じ山梨出身だからなのか この年の7月福岡大会は前年よりカードは落ちたけど内容で魅せてくれた
ライガーとペガサスは切ない気持ちになったし
藤波がアックスじゃなくカナディアンをフォールしたときは沸いたし
メインは文句ない好勝負だったし満足した >>667
橋本対ノートン
ライガー対ペガサス
武藤、蝶野対馳、佐々木
青柳対松永はちょっとだったけど、どの試合もいい試合だった。
会場は7割くらいの入りだったけど、いい試合ばかりだった。
普賢岳噴火直後で、長崎に新日がヘルメット持って慰問したニュースやってた。
実は長崎で猪木対山本広吉が発表されたけど、中止になった。 >>668
ライガーvsペガサスと武藤&蝶野vs馳健は当時はカットが酷かった
CSでノーカットで見れる日が来るとは思わなかった この年の全日の府立はチャンカーと最強タッグだけだったかな…第2は除いて >>672
91年は回数を絞ったてのもおおきいな。
翌年に回数を増やしだすと後半は減少に転じた。 1991.12.5 千葉公園体育館
エルカタナ&ネグロカサスVS野上彰&獣神サンダーライガー
カタナの来日はこれっきり?
https://www.dailymotion.com/video/x6sgcsv 全日本の正月開幕戦、恒例のバトルロイヤルが荒れたな。 4.18武道館で田上が川田をアームボンバーで場外KOするんだよな、アレには痺れた 生稲晃子をゲストに呼んで川田のカッコ付けが始まった。
向こうは仕事で花束渡しただけでアウトオブ眼中なのに。。 川田がおニャン子好きだったのにビックリした覚えがある。俺も秋元才加に花束渡されたかったわ。 その頃川田には嫁も子供もいたんだぜ。何故か公表はしてなかったけど。 >>682
田代まさしの子供と同級生と言ってた記憶があるな 4月の両国でのライガー対カサスのフィニッシュ技がコウモリ吊りという珍しい技だった 川田が結婚してたのは公表されなかったんだな。
あと去年引退したマシーンも知らなかった。
28年連れ添ったと言ってたから1990年頃か。 しかしG1なんてよく企画したよなぁ。個人的には現地観戦して大興奮した
この年の第1回とフレアー、ノートンが参加した第5回が好き。 しかもダークホースの蝶野が優勝だもんな
第1回はいい台本だった >>686
95年は新日トップレスラーと戦うフレアーが毎日見れて幸せだった!
公式戦終わった後も天山戦とか組んでくれたし >>687
あれは春のスーパージュニアでの保永まさかの優勝を手本にしたらしい。
保永まさかの優勝が予想外に反響が良かった。
それでG1もまさかの優勝者に、と。
そして蝶野まさかの優勝。
これが予想以上に大ヒット。
この蝶野まさかの優勝が大ヒットしたお陰でG1は新日最大の看板シリーズへと。
ただ蝶野は翌年も“まさかの二年連続優勝”にも 変わらず大してブレイクせず。
G1は大ブレイクしてるにも関わらず。
それで三度目の優勝後に自ら行動を起こしてようやくブレイク。
蝶野の視点からしたら皮肉だわな。 >>687
外人3強の参加と日本人側は三銃士、長州、藤波の本当のトップ5人
に絞ったのが素晴らしかった。白星配給役がいないというのも当時
のプヲタの心をくすぐった。
で、長州の負けブック飲みやまさかの蝶野優勝で以後、毎年開催に
なるんだからこの第1回は台本、レスラーすべてが素晴らしかった!
>>688
まさかのフレアー参戦には驚いた。全日本プロレス色と特別参加の
イメージの強いレスラー だったから彼のリーグ戦出場には時代が変
わったなぁと思わされた。またこれがいい仕事したもんなぁ。 川田は鶴田のパートナーって所が良くも悪くも足かせになってたな。
小橋は練習の鬼だし。 この年は2月の札幌と8月のよみうりランドでの藤波対木戸戦が2回ともテレビ放送されたね〜
札幌はめちゃくちゃ会場が静まり返っていた記憶が… 木戸が登場するだけで札幌中島体育センターが沸いてたのはまだ数年後かな? 新日、この年はスターケードから始まってWCWとの提携のおかげで従来
の常連外人以外にもいろいろなレスラーが見られるようになったのが夢の
ようだった。
エル・ヒガンテ&ブライアン・ピルマンのコンビがG1公式戦前に組まれ
ていたが大声援だったな。ぎこちないヒガンテのフォローを試合巧者のピ
ルマンがしっかりやっていた。
後年、ピルマンがスーパージュニアのメンバーに選ばれた時もいい仕事を
していたので早世してしまったのがかなり残念。生きていたらW★ING
とかWARに呼ばれていたかな。 ティムホーナーはあんな勿体ぶった発表させられなければ地味ながら良い外人だったのに気の毒だ… >>695
武藤も「いい選手なのに」って、イライラしてたよね。 話は一気に変わるけど、
7月頃にライガーvsペガサスキッド
をなぜマスカラコントラマスカラで戦わせたんだろう?
マスクマンで続けたってよかったのに… ペガサスがマスク脱ぎたいと言ったので、
マスクはぎという設定で脱がしたとか 700だが、
長州はG1不調で引退を示唆。
イメージ的には完全に三銃士の時代へ突入と。
しかしその後は完全復活。
藤波は藤波でこの頃はガチ不調、というか完全に浮いた存在に。 藤波好きだったけど腰悪くしてから力強さ消えたし、この頃の新日の主力は三銃士もベイダービガロノートンもヘビー級だったからキツかったんじゃ無いかって思う 703慣れさ だが、
91年の藤波は新日に居場所がない感じがした。
結局は欠場中に状況が変わりすぎた。
猪木が事実上リングから消えて主力は三銃士へと。
更に長州が実権を握り。
藤波も内心は居づらかっただろうに。 藤波の試合は年々短くなっていった印象が…
地方での外人とのシングルだと4分〜6分くらいで終わってた
TNTとのシングルも4分台でドラゴンスリーパーでとっとと終わらせてた…盛岡だったかな 岩手県営体育館かな
たしか腕ケガしてたような記憶が 706成れ無だが、
復帰後の藤波は完全に居場所を失って見えた。
無理矢理IWGP巻かせたりしたが。
長州やベイダーを破ってタイトル奪取もイマイチで。
あの欠場期間は長く感じた。
藤波の欠場中
猪木が完全にセミリタイア
長州体制
三銃士売り出し
復帰後も藤波の出る幕はなかった。
最初は復帰を喜ばれたが。 藤波自身「戻ったら居場所がなくなっていた」
と後年語っているようだ >>330
遅レスだが
鶴田がコメントしたとプロレスニュースで流れた
「お前はいい奴じゃない」
のフレーズなんか好きだった
「あそこでDDTがくるとは」に続けていったのが
このフレーズの初出だった気がするけど
違うかもしれない 居場所がないからドラゴンボンバーズだったのか、ドラゴンボンバーズなんか立ち上げたから居場所なくなったのか、どっちなんだろう。 91年7月の鹿児島大会のテレビ中継は
長州、橋本対ノートン、アレン
藤波対レイガンズ
武藤、蝶野対アックス、カナディアンジャイアント
マシン、ヒロ斉藤対栗栖、ドクと
昭和チックなカード編成が良かった
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