ブラックキャットのレスラー人生とは
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本名ビクトル・マヌエル・マル
メキシコ生まれの中華系移民
父はレスラーのウロキ・シト
伯父には中軽量の勇、スギ・シトがいる 小原や金本がヤングライオンだった頃が全盛期だったな。
筋肉隆々・技も斬れていて、タッグマッチでも強さが際立っていた。 引退試合もやらずにレフェリーに転身した後、ユークス体制下で
リング設営スタッフに配置転換。程なくして心筋梗塞で急死、の
流れだっけ?
別に自殺するような状況ではなかったから、病死だと思うけどな。 ブラキャのクロネは一時期は凄い体だったな。
もっと上でも使えただろう。
最期は報道の通りで心筋梗塞だった。 ↑
非難する人が多いけど、名称省略を解読するのは頭の運動になるから、
俺は結構好きだったりする。 WAR参戦した時はこんなに強かったのとビックリさせてくれた メキシコでやってたら、どうなってたかな。
ヘビー級のパワーファイターとしてメインイベンターになれたかも知れないし、
不器用な中堅ヒールに甘んじていたのかも知れない。 ヤングライオン相手とは言え、意外と勝率は高かったような気がする。
生観戦しないと試合を観れない、ある意味プレミアムなレスラーだったな。 普通に金曜夜の中継で何遍も試合みたし。
カードにクロネコの名があるとガッカリ。 98年の終わりか99年の初めの後楽園の第2試合くらいで金本との何の変鉄のないシングルがあったけど、普通に金本勝ちかと思われたがマットに突き刺さるDDTで勝利
試合後にキャットはコーナーに登り大アピール後楽園がプチ爆発した >>13
マジか
格下の先輩レスラー越えってのはプロレスの醍醐味のひとつだけど
脂の乗りきったトップレスラーを、脇役が唐突に喰うのも熱いよな 裏方に回ったのに運転免許持ってなかったらしいから居場所がなくなったのでは? なんと言っても、ベイダーの白煙噴出のラジコン係を忘れちゃいけないでしょ。 あ、免許持ってなかったのか。
窓際に追いやられていたのは確かだろうね。
でも、スペイン語も話せるから、リストラ要員ではなかったと思うけどな。 有明コロシアムの猪木vsベイダーで、ベイダーの上腕部を切りすぎて
申し訳なさそうな顔してたな。 リング屋に配置転換された時、奥さんに「会社の人を恨まないでね」と言った
エピソードを藤波がマスコミに話し「会社のバカどもに聞かせてやりたい」
とか言ってたけど、社長のアンタが何言ってるの?と突っ込みたくなったな。 橋本はゼロワン立ち上げ直前に棚橋を呼ぼうとしてた
ブラック・キャットが「絶対に行っちゃダメ!」と言うので、棚橋は橋本の誘いを断った 92年くらいに上海かどこかでやった興行で
中国系の血が入ってるからメインでペガサスと
シングルやって勝った気がする
白老虎を名乗ってた ヤングライオン相手にDDTで勝つだけの簡単なお仕事 >>23
棚橋はエピソード多いよね。当時の選手の中ではやや小型の部類だった棚橋がヘビーでやりたいと相談したのもクロネコ
試合後の洗濯とかで駆け回る棚橋を捕まえて飲み部屋に連れ込むのもクロネコ ドームの高山X永田で永田が勝ちすごいガッツポーズしてた
俺もつられて画面の前でガッツポーズした >>4 >>13 >>25
DDT上手かったよなネコさん
寝技の攻防でも後れを取る事は殆ど無かったし周囲から一目置かれる存在だったのは確かだろうね
>>22
その頃は社長の座を降ろされて実権の無い副会長 ムタ対ニタのときムタが頭巾被っての入場の際、下に段差があることを指摘するのが印象的 会場で生観戦するよりも前、新聞のTV欄で名前を知って、ブラックタイガーみたいなマスクマンを想像してた マスク被って、ラブマシーンやエディゲレロ?とのチームでプチブレイク
した事もあったけど、程なくしてラブマシーンか死んじゃって尻すぼみに
なっちゃったんだよな。 92年6月の武道館、目を負傷した野上の代打で飯塚、キャットvs武藤、橋本の試合があった
テーマが崩れても橋本は野上達に放つような爆殺キックをキャットに見舞ってたな 飼い殺しにされてるみたいで可哀想だった。
結局タイトルマッチにも絡んでないだろ? 便利屋だったから、外国人やUWFメンバーとタッグを組むこともあった。 >>35
あの試合ではブラックキャットの攻撃に客が大喜びしてたよね みんな喜んで食べてくれると自慢してた
クロネコのメヒコ流チャンコ食ってみたかった
メヒコ流の極めを教える練習のリーダー はじめて生観戦行ったとき
試合中ふざけてミスター高橋コールする客に
注意してたの覚えてる 運転免許そのもの持ってなかったのか
レスラー職だけでよくあんな長年タイトルにも絡まないレスラー雇ってたなあ
まあ前座としては貴重なレスラーだったのかな?
てっきり運転手兼とか別の職もやった上でと思ってたよ メキシカンレスラーの世話係や通訳はやってたと思うよ。 その当時の小島や西村といった若手レスラーと対戦でも先に入場して先に
コールされるのにはちょっとかわいそうな気がした。
所属であるけど外国人扱いだったということかな。 金本や西村がヤングライオンだった世代にオリジナルテーマ曲が作られて
試合会場でも流されてたけど、この人のテーマ曲ってあったんだろうか? >>47
ブラックキャットメモリアル試合で毎回流れる 思い出そうとしたら木戸修のテーマが邪魔して思い出せない >>43
その辺はやっぱり言葉の問題もあったんじゃないのかな
昭和の時代だと運転免許は大抵若手の頃に付き人をやってる先輩レスラーやタニマチが金を出してあげていたなんて話を聞いた事があるけど
中途半端な立場にいたネコさんにはそんな機会にも恵まれなかったんだろうね >>54
みんなの記憶に意外と残る人なんだね
前座レスラーでは屈指かもね。 片足ホールドしてのカナディアンバックブリーカーが、メキシカンバックブリーカーと呼ばれていたな 今は亡きドラゴンボンバーズの福袋を買った時に入っていた
キャットの巾着袋は今でも使っている。
結構大きめなので旅行などに行く時に手回りの品を入れるのに重宝する。 「グレーテストレスラーズ」に選出されてるんですよね
過去の新日のそうそうたる面々の中で WWEの殿堂入りだって誰?っていうのや
こいつ中堅以下だろみたいなのもいるからね
ブッシュワッカーズとか ファンスティカマニアで遺族の挨拶のときの雰囲気が辛い 後楽園での、金本タイガーとの試合は有名。
いつも第一試合で若手と、試合をしていた印象がある。キャリアがあるからプロレスはうまかった。 年収は、最盛期で1000万円、亡くなる間際で300万円と予想。 >>66
94年の格闘技の祭典?
確かフィニッシュがイスを使ってのムーンサルトだったかと たしか新日の闘魂何とかビデオで解説してる動画あったな >>67
ジュニアの若手が1200ぐらいだったらしいから、
メキシコ人ブッキングや外人係もやってたので最高1500で最後は200 対抗戦やってる時に『WARは新日本がいないと何も出来ないくせに」と
見も蓋もない事を言って天龍を怒らせてたな。
ウルティモドラゴンと抗争する流れもあったけど、尻すぼみになっちゃったな。 俺はコイツの試合を一度だけ見たことある。
前座レスラー相手に、やたら、張り手ばかり使っていた。 >>71
200万とか提示するんなら、せめて1年くらい猶予を与えたりすりゃいいのにな…サムライもそんな感じだったんだっけか?
その1年間で何か資格を取得したり、他団体に参戦しまくってコネ作るとかできるだろうに 天龍はクロネコなんて前座を寄越す新日はなめていると
怒ってたけどWARではやたら強そうに見えたネコさん >>77
それに比べて小林邦明は恵まれたリタイア人生だと思う
新日寮の料理人で寮の管理人なんだろ?
年収300万くらいだと思うが、定年後の再就職先と給料を考えたら幸せな人生だよ リングネームはブラックキャットだが、
たまのテレビ中継のテロップは何故かクロネコ。 >>78
確か乱入していた誠心会館の田尻が急遽試合をすることになって
余ったネコさんが欠場となり「何で新日本の巡業出ないで
わざわざこっち来たのに欠場しなきゃいけないの!
WARなんて新日本がいなきゃ何もできないのに!」と言って
天龍が激怒したやつだったかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています