【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 ブロディもプエルトリコお気に入りだったらしいね。
インタビューで日本と島国って点で共通してるって言ってた。
そんなお気に入りのプエルトリコで凶刃に倒れるとは思わなかったろうな。 プエルトリコはギャラの額が高かったんだよ
だからアメリカの一流どころも遠征して来ていた ハンセンもプエルトリコ遠征の話をしてたね
興奮したファンが刃物持って騒いでたのを
自分とレフェリーのルー・テーズが取り押さえたとか
その時、コロンとブッチャーはトンズラしてたとか >>331
いや、それはエジプトでの試合の話だよ。 >>329
ブロディはプエルトリコのカリブ海ビーチが大のお気に入り。
日本では見られないリラックスムードでブッチャーと談笑していた。
>>330
NWAの主要テリトリーの一つとして、全日本に来日した主要外国人の
大半はプエルトリコにも上がっていた。
全日本からも馬場、輪島、渕、大仁田、鶴見、冬木、ジャパンだった馳、新倉も
馬場ルートでプエルトリコ遠征していたな。 小倉になってからのオープニングは
「ワールドプロレスリング、世界のプロレス」
直訳なのだが、新日の番組名と被っていいの、と当時思った。 >>335
小倉はプロレス嫌いだからな。
昔は、そんなに売れてなかったから仕方なくやってたんでしょうね。 プエルトリコは球場があんなに満員になるんじゃ。ギャラは高いよな。
アメリカ領みたいなもんで行き来も楽だし、近いし。
治安は悪そうだが。
しかしナイフもって興奮する観客とか、プロレスを日本のファン以上に
リアルと思ってたんかな。 ブッチャーは裸足だった頃があったけど、イメージ的には裸足が似合うけど、ヒロマツダの裸足はカッコ悪い
マツダが今一つ日本で人気なかったのは裸足のせいかも スヌーカは裸足の時、足首にバンドやテーピング巻いてたね。
何もしないより見栄えが良かった。 スヌーカーの裸足はカッコ良かったな
タミーナもアラフォーで出番無い
昭和が遠くなるわけだ あんな穏やかな顔した渕もプエルトリコではヒールをやるしかなかった
でもあの顔だから覆面を被ってヒールをやっていた
ドリーファンク・Jrとも合流していたらしい 渕はテネシーで眉を剃って髭をたくわえ田吾作タイツのヒールをやってたぞ。 ヒールが似合うというよりベビーでやるには華が無さすぎ
年取ってからの方が味が出て良かったな 日本人は基本アメリカでヒール時代だし。
カブキは別として >>345
あの時の入場でスクリーンに渕が映し出されたら
渕スーツ姿のあまりの貫禄、格好良さと決まり具合に
新日本の会場がどよめいたんだよな。 渕は鶴田のパートナーとして
超世代をいたぶってた頃はすごくよかったのに
四天王時代になってからは全然印象がない
そこから>>345での新日との対抗戦まで5,6年あったけど
その間はもったいない時期を過ごしたなあ >>338
マツダがシューズ履いてたら人気が出たかといったら、そうも思えないんだなぁ。
そう悪いレスラーとも思わないけど、やっぱりあの地味な風貌やファイトスタイルが
原因だったんじゃないかって気がする。
ところでプエルトリコって四国の半分ぐらいの面積しかない島国なのに、
アメリカでも一流クラスが集結してたのはやっぱり凄いね。ボクシングでも
何人も名チャンピオンを輩出してるし。人口に占めるチャンピオン比率って
多分メチャクチャ高そうだけど。 >>351
野球もすごいよな。メジャーリーグ選手プエルトリコ出身者多いし。
日本で活躍したミヤーン、ポンセ、バナザードとかプエルトリコ出身だよな。
WWCのビッグマッチも野球場で開催されてたね。 >>351
ヒロマツダが地味ってアホか。
お前試合見たことないだろ。 >>352
反面同じようにアメリカと同じように行けるジャマイカはボルトに代表されるように陸上競技と
日本ともやったサッカーばかりでプロレス含めて格闘技のイメージがない。 >>354
サッカーが盛んなのは英連邦だからかな。
たしかにジャマイカ出身のレスラーってあまり思いつかない。ドリー・ディクソンとかくらい? ヒロ・マツダは想像以上に日系ヒール的なファイトだったんだという印象
裸足で大げさに飛び跳ねてのチョップ連打
「地味なテクニシャン」みたいなイメージの方が間違っているんだと思う マツダの試合は
普通に試合してる動画しか見たことがないが
狼軍団時代にヒールとして猪木の試合に乱入したり
シンのセコンドについてる場面では
斎藤や上田と比べても
そこに居るのか居ないのかもわからないような空気みたいな存在感だった ヒロ・マツダの得意技は親指突きによる関節外しだが。 タイソンにタイトルを奪われ、高田と格闘技戦をやったトレバー・バービックは
ジャマイカ出身だったね。フォアマンがフレージャーを吹っ飛ばしてチャンピオンに
なった試合もジャマイカの首都キングストンだった。具志堅にタイトルを獲られた
グスマンはジャマイカじゃなくてドミニカだったか。しかしこう考えると同じカリブ海の
島国でも随分違いがあるもんだね。 >>358
ホーガンの肩を外したんだよね。
あの実録ノンフィクション漫画プロレススーパースター列伝に載ってた ローデスVSマツダ
Dusty Rhodes vs. Hiro Matsuda (clips)
https://www.youtube.com/watch?v=297xcCBbgNk アジア系日本人女性がなんかおかしなメイクと立ち居振る舞いによって
なんか違うよなこの人達、本土に居たら困った人じゃない〜みたいな違和感を
マツダから感じてしまうのがいけないんじゃなかろうか。
いわゆる華のある/ないととは違うと思う。
馬場がハリケーンやマードックを評した、ギャラの分だけしか仕事をしないけど
もらうギャラの分はきっちり、とでもいうような面があったんじゃないかな。 マスカラス同様マツダも馬場とのシングル戦は実現しなかったね。
やっぱり体格差を考慮に入れてたのか、或いは色々複雑な思惑があったのか。
小説「獅子と龍」によると、昭和41年夏、マツダが凱旋帰国してマツダブームを起こした時
馬場は複雑な気分だったとか。 >>362
オープン選手権でも組まれたね、フロリダの名物カードだったのかな? >>363
華がないってアホか
お前マツダの試合見たことないだろ。 マツダって名前が自動車会社のマツダを思わせてダサい。
トヨタかホンダにすればよかったのに。 >>368
ちゃんとした由来があるんだよ、調べてみな。 当時は、まだまだトヨタもホンダも所詮弱小メーカーに過ぎなかった オープン選手権の時、馬場マツダ対鶴田ドリーなんてやってるんだな。 >>362
この試合はあまり参考にならない。
マツダの最晩年だし、技もチョップと肉まんクローしか出していない。
ホッジと抗争していた60年代の映像があれば観てみたいね。 ヒロ・マツダってリングネームがダサい。
当時ならグレートやサンダーなりカッコいいカタカナを名乗るのが普通だろう。
ヒロ・マツダなんてただのオッサンじゃんw >>373
ちゃんとした由来があるんだよ、調べてみな。 マツダはオープン選手権の頃は鶴田、狼軍団の頃は斎藤、杉山、
その後は長州、谷津とアマレス出身者と近しい印象。 プレ日本選手権とか、あんなメンツで蔵前で興行できちゃうのは新日だからだな。
あれは全日には真似できない世界だった、杉山なんか半分リタイア時代だったし。 ただあれってあまり成功したとも言えなかったんでしょ
第二弾が無かったことでも分かるね
まだまだあの頃は日本人VS外人の時代だし >>364
>ギャラの分だけしか仕事をしないけどもらうギャラの分はきっちり
猪木も最初に出した自伝にそんな感じの事を書いてたね。
「プロレスをはっきりビジネスと割り切るマツダさんの考えは、それはそれで
立派だと思ったが」、自分はそれとは違う考えをプロレスに対して持っていたと。 マティ鈴木がマツダについて
「国際プロレスの負債から一人だけバックれた」とか「地元フロリダですら大して顔が広くない」と言ってたんだよな
ミスター珍は晩年まで「力道山道場の練習がキツくて逃げた男」とマツダを酷評していたと
松永のブログにあった ヒロ・マツダなんてダサいリングネームつけるからヒロ斉藤とか超ダサいリングネームが蔓延したんだ。 また「ちゃんとした由来がある」と言ってきそうだけどw
昭和全日じゃないけど、武藤がフロリダから凱旋帰国した時は
師匠?のマツダがTVで解説やってたね。 「ヒロ」というのは英語圏の人々には覚えやすい呼び名なのではないかと思う。
日本人で名前が「○○ひろ」の場合、ニックネームはたいていHiroになる。
マツダが力道山のキツい練習から逃げたというのは正確ではない。
力道山はマツダを大相撲へ入門させ、関取まで昇進して名前が売れたらプロレスへ戻す計画を立てていて、マツダはそれに反発して海外へ行ったと聞いている。
マツダのファイトについてはホッジやテーズが絶賛していたから、一流であったことは間違いない。 大相撲に入門させた後また呼び戻す計画があったのは猪木じゃないの?
最初にマツダでそれをやろうとしたけど海外に行っちまったんで、猪木に
変更になったって事なんかな。 アメリカで最も有名にして憎悪を浴びる名前、東条英機と山本五十六をインスパイアしたトージョー・ヤマモトこそ最高のリングネーム! マツダのリングネームは、最初の日本人レスラーソラキチ・マツダと初の世界王者マティ・マツダから付けたんだろ
マティ・鈴木のマティも、マティ・マツダからだろうし >>387
ヒロは言いやすさ云々よりもヒロヒトから
引っ張ってきただけ。 >>379
外人が手薄の新日がその場しのぎでも
あの顔ぶれでビックマッチが組めただけでも十分かも
>>381
それでもマツダが全日から新日に移ったことで
その後の新日にはフロリダルートから多くの恩恵があった
ブリスコ、ローデスも呼べたし
それにしても馬場とマツダは何故切れたのか >>389
マツダの新日移籍によって、待望のNWAが冠されたスティーブカーンの
タイトルまで新日に来たんだよね。その後チャボの引き抜きにより、
そのタイトルが巡り巡って全日の看板タイトルになったのも皮肉だが。 「ヒロマツダか。懐かしいなー」
と思って画像ググってみたらちょっと歳いった気の良さそうなおっさんの画像が出てきて
「あれ?ヒロマツダの晩年ってこんな感じだったっけ」
と思ったら画像の人は全然関係ない床屋のおっさんだったwこの人もヒロマツダっていうのかw >>391
検索してしまったw
ビートきよしかと思ったわw
ヒロマツダ、日本生まれ日本育ちの日本人だけど、アメリカで生まれ育った日系人っぽい顔付きになってたよね。
ショーコスギとかもそうだけど、あっちの生活が長いと環境がそうさせるのかな。 すずきさん、ホンダさんがアメリカにいくと
親戚ですかと喜ばれると中学の先生が言ってたなあ。
バイクが有名。 WWFでの活動が本格的になって日本に来なくなったハルク・ホーガンが
たまに日本に来てハンセンやムタ相手にレッグシザースかけたりすると
マニアの人は「ヒロマツダ直伝」としたり顔でつぶやいていたな >>367
80年代からプロレス見はじめたんでね、実際マツダの試合見てないんだよ、youtub でオープン選手権に
参加してた時の動画見たんだけど、オッサン臭くて
カッコ良くないし ジャーマンでも使ってたら
見方も変わったかもしれないんだけど
やはり裸足は良くないよ、カッコ悪い >>395
Gスピの東プロと国プロの合同興行に参加した関係者数人のマツダ評を読むとレスラーとして
の評価は高く無い。永源は「動きが間延びしてぎこちない・・・猪木さんの方が上!」と話していた。
猪木と組むと断然に猪木のファイトスタイルの方が評価が高い。
新日は同じフロリダ在住でもレスリング経験の無い者ははゴッチ教室へ送り込んで練習のみ
集中させて長州や谷津は現地での試合経験をマッダ&グラハムの所で積ませて
使い分けていた。特に谷津が最初にパターソンの所に行ったのはゴッチと長州でトラブルに
なったからなんだろうね。このゴッチとマッダ&グラハムはフロリダでは全く親交が無かった
らしい。
>>394
アメリカではやらない日本専用ムーブだね。かって未知の強豪と呼ばれた連中が
評判倒れに終わるのアメリカン国内向けのファイトそのままやって受けなかったの原因
と言われた。日プロの凱旋帰国した時はなぜか馬場を差し置いて人気だったみたい
だけど日本人受けしないファイトはマツダも同じだったんじゃないのか? >>397
1984年の春頃、マツダが新日の維新軍の参謀として来日してたけど
テレビ中継では試合放映されなかったので、ファイトぶりがわからなかった
その頃は40代後半のはずだけど、どんなもんだったんだろ?
狼軍団や維新軍つながりのマサ斉藤は、40代後半の頃は体もファイトも凄かったが… >>397
>ゴッチとマッダ&グラハムはフロリダでは全く親交が無かったらしい
S54年か55年にゴッチが膝の治療で来日した時、ゴッチ、マツダ、藤波の3人が
月プロで対談してたけどね。マツダはゴッチの指導を受けた事はあるんだろうけど、
この時は雑誌の企画で顔合わせただけで、向こうではもう交流なかったんかな。 それと、1984年といえばテリー復帰の年でもあるけど
テリーの復帰って「馬場の要請」って話と「牧場経営の不振でテリー家の事情」
この両方だという説があったけど、どちらなんだろ?
ただし馬場の要請なら、復帰後の扱いはちょっと低い感じ(リング上の扱いでギャラ等は知らんが)だし…
勝手な想像になるけど、もし馬場の要請だったのなら
テリー復帰の保険をかけつつ、UWF問題の流れで独立した新日プロ興行との提携話が同時進行で進んでいて
結果的に維新軍までゲットする事ができた、そうなると保険だったテリーの扱いが難しい
さすがに旬の維新軍をファンクスの下に置く事はできない
また馬場の予測以上にテリー復帰の不人気さが拍車をかけて、最終的に長州戦の惨敗につながる
元々はフレアーvs長州だったわけで、チケットを買ったファンに対しての誠意?で両リンなんて結末は許されない
結果的に代役のテリーが犠牲になった?
それを引きずったのか、次のシリーズの最強タッグでのファンクスの不人気さは凄かったなあ メルカリで貴重な昭和全日本のパンフレット沢山出ているぞ。
欲しいけど今月は買えない >>395
ジャーマンでも使ってたら…って、
マツダがジャーマンの名手だと知ってて書いてるの?知らないの? >>401
どっちもじゃないかな。
「1984年にババからツアーに復帰してくれとの依頼があった」
「復帰したことでファンを傷つけたことはつらかったが、無視することのできない財政的利益があった」
と書いてるから『Terry Funk: More Than Just Hardcore』より >>401
馬場の要請、というのはテリーが言ってるだけでしょ。
馬場は引退する前から少し冷ややかなコメントしてた。全てテリーの都合だよね。
ドリーはどう思ったのかな? 大仁田の引退商法は、テリーからヒントを得たことは間違いないだろうな。 テリーの引退から復帰は
当初からの既定路線だろう
引退試合の実況を聞いててもそれがはっきり分からし
引退させるつもりならそのごもマネージャーだのレフリーだので担ぎ出すわけがない
来日のペースは引退してても対して変わってないw テリーの引退ツアー&復帰はガニアの引退ツアー&復帰のパクりだろ
ただ、ガニアの復帰の方が上手くやって超満員でウケてたけど
アメリカだと引退後復帰はウケるけど、日本人の気質にはウケないな 92年の20周年記念の6人タッグで
試合にやたら絡もうとして馬場に止められてたのを最後に
旗揚げ以来の大功労者テリーも
馬場全日との関係は一切切れてしまった もしかしたら何度も語られてるかもだけど
vs長州の時期のテリーの体はやたら細かったよね
ちゃんと肉がつけば、骨格的にも身長的にもテリーの方が長州よりかなり大きいはずなのにね
でもあの試合は長州がどっしりした体格で、テリーはジュニアヘビーぐらいの体格に見えた
その年の春のレッスルマニアでは体格的には問題ないのに、たった半年でどうしちゃったんだろうか?
映画撮影にしても、スタローン映画ではチョイ役でトレーニング不足に陥るほど拘束されてたとは思えないし… テリー「俺は現役だ!」
馬場「おまえの時代は終わったんだアポー」 >>411
引退時に減量して他のと、試合をしてなかったら膝の調子が一時的に良くなったとは言っていた だいたい発表の時点で引退が3年後って、、、長いわ!!! 当時のテリーは本当に「世界のアイドル」と思い込んでたから
そんなスーパースターがわざわざ日本で引退するということは
実は本国での存在価値はそれほどでもないのか?
と少し疑ってたなあw
実際どうだったんだろう 「アイドルがやられます!世界のアイドルがメッタ討ち!」 あれだけ盛大に引退セレモニーやっといて翌年に復帰じゃファンでも納得できない。
テリーの事はたいして、良いレスラーとは思ってなかったんであ引退すると聞いても興味が無かった。
テリーはブッチャーを相手にした時のみ光る人だったし
それと復帰した時にハゲていたのもあかあ上がらかった
要因かも、猪木とテリーはハゲたら駄目 テリーは主役じゃないと使いずらいかな。ドリーは普段淡々と試合するタイプだからいいけど。 1987年の最強タッグではファンクスは優勝戦線には残ったが
最終戦でカードが組まれなくてあの辺でもう
「ファンクスは過去のチーム」と明示されていた
ただファンクスVSブッチャー、TNTは凄い盛り上がったらしい その程度の誤字は気にするなよ
訂正なんてする必要ねーよ >>415
本国云々はともかく自分のファンがもっとも多いところで引退試合するのは当然じゃないのかな。
蒼井そらが引退するとしたらきっと中国でやるでしょう、そういうことでは? >>417
それは自分も思ってた
当時は小学生だし、月刊誌の外国の試合リポートでしか判断できなかったけど
なんかNWA・AWA・WWFのレーティング10みたいなのが毎月載っていて
まあボクシングのランキングみたいな意味だと思ってたが、ドリーもテリーもベスト10には入ってなかったからね
それにNWAのタイトル戦線にも顔を出してなかったし
レイスやブリスコ兄弟とか、全日マットでは盛りを過ぎたと思われてる選手も挑戦したりしてたし
ドリーがフロリダのブッカー?をやってた頃にフレアーを招いて、
ドリー自ら挑戦して終始優勢の60分フルタイムドローって記事を見た覚えがあるぐらいかな
まあ、兄弟共にNWA王者を経験して離婚沙汰になってるから
安定した日本マットの収入が基本になるのは当然なんだろうけど
でもテリーは50歳過ぎてから、ハードコア路線でリビングレジェンドにまでなってるから面白い >>418
テリー復帰後に現場監督の佐藤昭雄は「いままでのようにはいかないからね・・・」とテリーに
釘を差しておいたらしい。 プロレスラーって、引退→復帰を
繰り返す人が本当に多いよね テリーが引退を言い出したのは、ガニアが引退宣言して引退ツアー開始した頃で、復帰したのもガニアが復帰した後
ただ、ガニアの復帰はビッグマッチだけの単発参戦
テリーはレギュラーとして復帰して、対した理由無しに復帰してしまったのが駄目だった >>415
ブッチャーファンだった俺はブッチャーに対して同じように思ってたな。
S54〜55年辺りは参加してないシリーズを数えたほうが早いぐらいだったけど、
それだけ日本で連続ファイトしてるって事は、その間アメリカにいなくても対して
影響ないって事なんかいな?と。実際向こうではどれぐらいのポジションにいるのか
気になってた。参戦したどの地区でもそれなりのポジションにいたようだと過去スレで
解説してくれた人がいたけど。 アメリカのどこでも引っ張りだこなんて選手は
武者修行時代の馬場とホーガンくらいだろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています