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全日がUWAと提携してた時期があったからな。
新間の新日に対する嫌がらせだったが、全日自体にはあまりメリットがなかったな。 マスカラスって当時凄かったの?
佐山タイガーの頃が小学生だったからリアルタイムを知らない リスマルクがタイガーマスクvsダイナマイト・キッドの試合を見て「ラ・フィエラとならこれを超える試合ができる」と言ってたな
2人が同時期に呼ばれなくて残念 全日のマスクマンならバラクーダとかブラックテラー、ミステリアスアサシンみたいな
リーグ戦の行方のキモになるような急造マスクマンだな。素顔と違ってキャラが掴みづらいから
如何様にも試合を成り立たせられる点で効果的だ。 ロボットR2、C3とかVとかも違った意味で味があった >>703>.699
来日前のマスコミの煽りに佐山タイガーがデビュー前にリスマルクの試合を
参考にしたなんて話もあった。 >>705
全日だと他にブルー・シャーク
新日だとハングマンとかスーパーマリオマン
安易な時事ネタレスラーだな >>678
羅臼のメインって原井上VSオーツ、ギッブスのタイトル戦じゃなかったっけ? 原軍治って今、何しているの?キャバレーの店員みたいな風貌の。 >>708
鶴見対ギブスの金網デスマッチだよ。
試合が終わったら会場には撤収要員の若手しか残ってなかったらしい。 >>696
ブラックハーツのことも思い出してあげてください
あの見た目とタッグ専門のマスクマンてのも相まって来日するまではワクワクしたもんだ >>707 >新日だとハングマンとか
ネイルグアイ?
映画にあやかったネーミングならタワーリングインフェルノじゃない? 深夜11:45からのほうが雰囲気だなあ。
ビッグイベントゴルフ、今日の出来事、明日の朝刊からの流れで。 落ち着いて見られる日曜22:30からが理想的だったな リスマルク来たとき、うちのクラスで
プチリスマルクブームになったけどな
その年の夏に再来日か?とかいわれていて
ワクワクしてたが、結局来日しなくて
残念だった
もう亡くなったんだよね >>720
プロレスフレッシュファイトは
リスマルク、マジック・ドラゴン、ウルトラセブン、
マッハ隼人、三沢光晴がよく出ていた印象 俺の住んでる地域で、小学生の頃に放送してた16:55が理想的な時間だった。
大都会PARTVの再放送と続けて見るのが楽しみだった。 リスマルクがプチブームになったのって、大仁田がヒザぶっ壊して欠場して
インタジュニアがチャボに持ってかれてジュニア戦線が停滞してた所に
ヘビー級バトルロイヤル二日目でライト級のリスマルクが優勝したもんで
判官びいきの余勢もあった気がする
もしチャボも日本にいて、リスマルクが王座に挑戦していたらどうなっていただろう
マッハやセブン相手にしたような一方的なルチャ殺法なんてチャボが許すわけないし 三沢のトペ行くときのフェイントはリスマルクの参考にしたんだよね。 BS日テレで昭和全日の試合放送してほしい。BSはメイン視聴者が中高年層だから
オールドファン取り込めるいいコンテンツだと思うんだがなあ G+ですらあの惨状なのに
春の改編はなんだったんだよw 90年代にあった無料のCS日テレは昔の試合と現在の試合を見せてくれて、とても良かったんだけどなぁ (´・ω・`) >>729
残存してるの自体少ないんだろう。ブッチャー対カマタ見たいけど、もうないだろうし。 単純に全日本プロレス中継、第一回からやればと思うがテープ自体ないのか。 むしろ日プロ打ち切りから太陽にほえろの放送開始までの
穴埋めでやってたプロレス番組を見てみたかった テープが無いんなんてことは絶対にないと思う。
当時はコンテンツなんて考えは無いだろうけど
、貯蔵庫はしっかりしてると思う。
ただ、このテープに何が入ってるとかは杜撰だったりして。 フィルムは上書きできないから残るんだけどVTRはけっこう上書きされちゃうらしい
国際プロレスはDVD化された分しか映像が残ってなかったとか >>730
当時テレビで見たけどブッチャーが、試合前凶器シューズを脱いで素足で、戦ったんだよな
場外で流血の両者が横になりながら、首のあたりを締め合っているのは、迫力あった >>733
当時はビデオテープが非常に高価だったので使い回ししていた
フィルムだったら残ってただろうが >>736
VHSとかじゃないだろうけど、そうだったのか。 三沢越中がメキシコに行った時リスマルクの世話になったとか >>738
当時のビデオテープは業務用のUマチック
生中継の場合はほとんビデオに保存しなかっただろうし >>728
CS日テレ(当時のパーフェクTV以外に一部のケーブル局でも放送していた)の全日名勝負集は契約の関係上地上波以外では放映出来ない金曜ロードショーの代替番組だった事もあって映画オタや地方民からは嫌われていた様な
ただ馬場追悼特集の中で日プロ時代のサンマルチノ戦を放送してくれたのは有難かった 馬場が死んだ直後に
デストロイヤーとのフルタイムを流してくれたのが良かった
私服でセコンドに付いて試合後の馬場を庇う猪木の映像は当時新鮮だった >>713
ヘタクソ?
耳がおかしいんとちがうか? プロレスに限らず、映像残ってるならもう1回見たい番組って結構あるんだけどね。
日テレならうわさのチャンネルも見たいし、おはよう!こどもショーとかTVジョッキー、
スター誕生や木曜スペシャルも見たいな。 >>709
便乗ぶりが安直なのとマスクとかあまりにチープだったのでネタ扱いされてるが
中身は実力派中堅ルチャドールだったから腕そのものは確かだった
でも仮に素顔で来られても無名かつ華が無いタイプゆえあれはあれで良しか NHKなんかアーカイブで一般家庭から、映像を募集してるくらいだしな。 フィルムが高かったのとこういっちゃ悪いがどんな映像でも長年置いてれば
後の世には資料になり得る価値を見誤った結果 たかが糞レスにそんな価値はない
一部のオタクが喜ぶだけや 欽ちゃんも自分の番組がテレビ局に保管してないから自宅で保存してるって言ってた。視聴率30パーセント男時代の番組ですらこれだからプロレスの地方試合なんて無理っぽい >>749
お前みたいな人間を、
後だし野郎というんだわ。 >>749
罰として、サンビア・エキスプレスが
お前の家に1週間下宿。 プロレスクラシック枠で馬場鶴田天龍がフロリダ遠征するというのがあった
向こうでは売れてないハンセンも、全日のエース外人扱いなので天龍に二連続ピン
ただ向こうの観客にハンセンのファイト内容が全くウケてない
ヒール役だからというわけでもないらしいのに…
スピードが速すぎて忙しないのが原因か?
フレアーのゆっくりテンポには歓声が上がってるのを見ると >>754
ただ強くて凄い突進型はアメリカウケしないよね。
吠えたりパフォ混ぜるといいんだが、それは日本では受けないし。
つーか、猪木の延髄斬りもシーンとしてたし、 全日本の海外遠征特集でテリーと現地のジョバーの試合が流れたけど、テリー大ブーイング食らってた。
当時日本ではブーイングは定着してなかったけど、テリーが攻勢になるたび歓声浴びるんじゃなくてブーブー言われるんで、あっちでは人気ないのかと子供心に思った。 >>723
大都会はPARTTUのほうが面白かったなあ。 >>754
そもそもラリアット(クローズライン)がアメリカでは必殺技としてはウケが良くないって
聞いたことがあるがどうなんだろう ドラクエVが発売した年はゴールデンだったんだよね。 >>758
ホーガンもビンスから地味なアックスボンバーではなくTV映えする「ジャンプをして派手な
見栄えのするギロチンドロップをフィニッシュホールドにしろ!」と厳命されたらしい。 >>745
猪木vsバレンタインの東京プロレス旗揚げ第一戦
馬場vsテーズのインター選手権(東京体育館)
力道山vsデストロイヤーのWWA選手権(東京体育館)
この3つは俺にとっての「まず絶対映像で見る事が出来ない、しかし、もし映像が
見つかって8ミリイベント上映やDVD化が実現したら全財産投げうってでも
絶対見たい」永遠のBIG3マッチだな。
因みにその次に来るのがBI砲のフルタイム映像(試合は何でもOK)ゴッチvsテーズ辺り。 クローズラインは元々アメフトの反則技だからベビーフェースのホーガンはギロチンドロップにした 日本人から見ると「なんでこんなのが向こうでは人気レスラーだったのか?」ってのもいるよね
ジェリー・ローラーみたいな
あれがテネシーの猪木と言われてたわけでね
イワン・プトスキーもかな >>753
wwwwwwwwwwwwwwww
>>754
ハンセンは新人時代を除くとほぼジョージアでファイトしていたから、フロリダのファンにしたら
「誰?」っていう感じだろうな。動画見れば分かるけど、ジョージアではやっぱり歓声が大きいよ。
トミー・リッチをパートナーにベビーもやっていたからね。
ハンセンのスタイルは完全な日本向きなのは確か。本人もそれを分かっていたから、アメリカでは
アームロックを中心に組み立てたり、若干スタイルを変えていた。でも、それじゃハンセンの良さは出ないよな。
>>755
プエルトリコではテリーがリングに上がっただけで、信じられないほど色んなものが飛んでくるからなw
マードックのように尻も出すしwアメリカでは基本ヒールで、日本でのベビー人気が異常だった。
>>765
clothesline
>>766
カルロス・コロンも『プエルトリコのアントニオ・猪木』だったな。 >>767 >clothesline
気の利いた?ネーミングだね。 >>769
うん、洗濯物ずらっと干した状態でうっかりクビに引っかかる画なんだろうかw ウエスタンラリアット=西部の投げ縄
クローズライン=洗濯ひも
同じひも状のものでもだいぶ違うな 見たいといえばやっぱりミスター林の試合だろ
すぐ辞めた新人以外で試合映像が残ってなさそうなのは林ぐらいか?
百田義は本中継ではなさそうだがフレッシュファイトの方なら試合映像ありそうだし 肥後も無いような気がする。
伊藤正男はかろうじて1試合オンエアされたね。 肥後は辞め方がな…当時は大きな記事にならなかったのか? 林はバトルロイヤルで「突撃!」って号令をかけると若手が何人かで林を抱えてコーナーにもたれてる選手に除夜の鐘みたいに頭突きでぶつけるんだっけ? >>756
ファンクスはナイフが飛んでくるほどのヒールと当時書かれてた。
だから日本じゃ上機嫌だったらしい >>749
価値を見誤ったつーか、恐らく当時はそういう発想がなかったんじゃないかと。
まぁ同じような事かもしれんけどw
>>762
「全財産投げうってでも」とまでは流石に思わないけどw ブッチャーファンだった俺は
日プロ初登場から新日転出までの、TV中継された試合を全部見たいと思ってた時期が
あったね。海外のサイトで全日初期からの試合をほとんど収録したDVDを販売してるところが
あるようだけど。以前ヤフオクにも出品されてたけど、当時は非常に貧乏だったんで落札
できなかった。惜しい事をした。
と、まぁ長々とした自分語りになってしまってスマソン。 >>779
762です。
確かに「全財産投げうってでも」は語弊があった笑
でも、東プロ旗揚げ時(昭和41年)って今程著作権は厳しくなさそうだし
又東京プロレスってテレビ放映も無かったから、もし当時会場に足を運んで、試合を
8ミリで録画してた人がいても注意とか受けなさそう。
更に、仮に8ミリで試合を録画してた人が名乗り出て来て「ファンの方の為に役立てて下さい」
とか言って上映会とか、DVD化を企画したら何とか実現しそう。
馬場vsテーズ、力道山vsデストは当時日テレでテレビ放送してたから、そう言う事は難しそうだけど。 雑誌ゴングでお馴染みの竹内宏介さんはプライベート8mmで試合を収録していたそうだから、お宝映像が眠っているかも・・・ >>779
当時は二次使用やアーカイブスと言う発想自体無くTV番組は一度放送したら終わりで良くても
再放送が一度までだった。また業務用ビデオは高価で今のように小型ではなく保存には費用も
場所をかなり取られるので上書きして再利用された。特にNHKではそれが顕著だった。
制作会社主導のドラマは社の財産として保存している所はあるけど民放はまだ歌謡大賞
やドリフ等の番組をよく保存している方。プロレスの生中継は特にダメかも・・・
新日旗揚げ戦はフィルムで残されていて映画のドキュメンタリーのように凄い臨場感が
伝わってくる。ゴングの竹内氏が8mmで保存している映像が結構、残っている。
プロレスマスコミ関係者でもビデオを購入した最初の人は竹内氏と言われて
猪木vs.ルスカ戦から録画していて流氏は同時期にテープのみを親戚に渡して
録画を依頼していたらしい。 全日は旗揚げ当初の映像がごっそり無いのがイタイなぁ。せっかく日テレとタッグ組んで旗揚げしたのにね。
旗揚げ後3シリーズはデストとの争奪戦しか残ってないんじゃないかな?
ただ悲しい事にその間名勝負らいし試合がほとんど無い、というオチもあるんだが。
デストと初めてタッグを組んだモロウスキー&ネグロ戦はコミカルで偉く面白かった記憶はあるけど、 ブッチャーがデストロイヤーを挑発するという
設定で噂のチャンネルに出たらしいんだけど
見た人っていますか?
オープン選手権以前のブッチャーの動画は殆ど
ありませんよね? >>771
>クローズライン
新日で1974年頃来日した北米タッグ王者チームの
クルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツの決め技で、
相手をロープに飛ばし、返って来るところを
二人で腕を水平に伸ばして手を握り、自らも走って
相手の首にカウンターで当てるもので
まさしく「洗濯モノを干したヒモ」に首を
引っかけたというイメージがあり、
叩きつけるハンセンのラリアットとは
別物という気がしたね。 うん、でもヘス&ショッツのクローズラインは痛め技じゃなかった?
猪木と坂口が何度も喰らってそのたびにダメージがどんどん蓄積という感じだった。
リング内の一人とエプロンの一人が手を繋いで当てるのがうまかった。
これでフォールしたことも多いけど。 >>785
別物という気がしたね、じゃなくて、
別物だろ。
その技はハンセンがラリアット開発するずっと前からあって、タッグではヘスとショッツに限らず当たり前のように使われていた。 ハンセンがロープに降ると緊張したもんなw
エルボーだと会場から「ふ〜う(助かったぁ)」って 「ラリアット」のアメリカ名称であり、また旧来のタッグで見られるツープラトン攻撃の名称ともなってるクローズライン(Clothesline)。
その洗濯物のヒモから転じて、道路にヒモを張ってバイク乗りのクビを引っ掛ける、ちょいと悪質ないたずら用語らしく
(すんません、WIKI調べですw)、まあアメフトじゃラリアット型クローズラインは反則技だったり、なかなかアメリカ特有の
暴力的、禍心的なニュアンスを持つ技名ですな。。 >>784
コントの舞台(セット)に突然現れるブッチャー
にらみ合いからつかみかかろうとするのをスタッフ若手が引き離す
和田アキ子「デスト、あいつ(ブッチャー)どーすんだ?」
デストロイヤー「ブッチャー、、、ぶっちゃおう」 ちゃんちゃん 全日ではラリアット
新日ではラリアートだったが
いつの間にか新日でもラリアットになった
それでも馬場と古舘だけは頑なにラリアートだったw ハンセンがクローズラインを必殺技のウエスタン・ラリアットとして開花されるまでは
痛め技の域を出ていないと思っていたが
カート・へニングの父親ラリー・へニングがジ・アックス≠フ名称で密かに使用していたと聞いた
ハーリー・レイスと組んで出場した最強タッグで、ブロディに喰らわしたという情報があるんだが
誰か見た人いませんかね… >>792
ヘニングが最強タッグに出た頃は、すでにラリアットは必殺技だったろう。
>>791
雑誌では早くからラリアットだったな。 >>790
ネタじゃなくてマジ?見た記憶ないけど。S51年頃だったか、デストロイヤーと
ブッチャーのUS戦の宣伝をやってたのは見た事がある。 S50年頃の年末の特番で芸能人やスポーツ選手のゴルフ大会があって
デストロイヤーも出てたけど、パターって言うんかね(ゴルフ詳しくないんで)、
デストロイヤーが打つ場面で、ブッチャーが乱入してきて襲いかかるんじゃないかと
ハラハラしながら見てた記憶があるな。当時のブッチャーって少年ファンにそんな風に
思わせる存在だったね。 昭和58年4月放送の11PM全日本プロレス特集では馬場鶴田以下日本人選手とファンクス、ハンセン、ブロディ、ジプシー・ジョーらがスタジオに集結。
ジョーだけが鶴田とからんだが、ファンクス、ハンセン、ブロディは見事に接触無し。
ホッとしたようなガッカリしたような気分だった・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています