倍賞鉄夫さん死去 新日本プロレス元副社長 [無断転載禁止]©2ch.net
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新日本プロレスのリングアナウンサーとして活躍し、副社長も務めた倍賞鉄夫さんが8日、死去した。68歳。
新日本の創業者であるアントニオ猪木の元妻・倍賞美津子の実弟で、2人が離婚した後も猪木事務所に所属するなどし、猪木をサポートした。 高橋本には発声練習「本日の第一芝居…」と言ってたらしいな
ドスの効いたでかい声出してた 藤原の契約更改でお前ごときはこれくらいで充分だろって言った人? 猪木事務所ね。
サイモンとの絡みとかなかったんだろうか? 猪木事務所ね。
サイモンとの絡みとかなかったんだろうか? >>7
それはテレ朝から出向してきた人だから違うよ
倍賞は「本日の第一芝居〜」と言うほどプロレスの裏側は知っていた 上井に死去の電話ならそれ経由でアントンには通じてるのか >>2
「第一試合」と「第一芝居」・・・。言葉一つだが字で書けばこれほど皮肉めいた文字になるのか。。w
ジェットシンのコールのとき、「タイガージェッ・・」の瞬間、蹴り飛ばされてたな。 カシン「アイツに聞けよ!エッ!金の亡者の倍賞に聞け!」 新日旗揚げ時は身内しか手伝う人間がおらんくらい小さな団体だったからな てゆうか
倍賞姉妹の稼ぎでなんとか新日が回っていたとか 美津子さんは飛び込みでチケット売るなどして貢献していた。 猪木は「美津子は自分の最大のライバルでもあった」と言ってたが
女優の演技力に影響を受けたらしいね
日プロ時代までは地味だったって話があるし 昭和46年11月に猪木と倍賞美津子が結婚して、12月に猪木が
日プロから追放されて昭和47年3月に新日旗揚げだから無茶苦茶だな。 >>29
その新間に嫌われて1度はプ業界を去っていたんだけどな
82年に表向きはスナック花林冬や串焼きばいしょうといった飲食業に転身する為に新日を退社した事になってたけど
実際は新間と大塚直樹の社内いじめに堪えかねて自分から辞表を提出する形に持っていかれてしまうハッキリ言ってしまえば追い出された訳
ところが長州と大塚直樹がジャパンを作ってレスラーだけに止まらずフロント社員も引き抜いた事で状況が一変する
営業の人手が足りなくなったから戻ってこいと猪木と坂口に請われて復帰したという大義名分が出来たのが幸いして相対的に退社前より発言力が強くなり
一方で陰に陽向に復権を画策しては辻井博や永里高平等テレ朝系幹部に悉く拒絶される新間とは立場が逆転してしまった >>23
新日のドーム大会にサプライズゲストで美津子呼んだ時の猪木のリアクション。 小川直也が口論の末に坂口に暴力を振るった時に勢いよく「ふざけんなよお前よ!出てけよオラ!」って追い出していたのがこの人だったな。小川もプロレスラーでない人に腰を引いてて情けなかったね。 そうか、亡くなったのか。
俺が見始めたときはまだ倍賞さんだった。
あの低い声は特徴あって好きだったな。
全日は原軍司さんで。
まだ田中や仲田の前。 >>33
まあその頃の倍賞鉄男は>>6が少し触れている様にUFOや猪木事務所の設立に噛んでいた
言ってみれば陰のフィクサーの1人だから小川も脳筋の坂口とは違って敵に回したくなかったんじゃないのかな >>33
それってシンが猪木を襲ったのと同じだろ。 >>38
小川は坂口の事も敵には回したくなかっただろう、後年御歳暮だか送ってるし。
坂口の奥さんに受取拒否されたみたいだが。 小川が空港で偶然出くわした坂口夫人に殴られまくった時も、まっすぐ謝りに行った結果殴られたんならいいけど、咄嗟にタクシーに逃げ込もうとして引摺り出されたっていうから、柔道は天才的でも性根はネタ抜きにチキンなんだよな リングアナ時代の映像見ると
若い頃の志村けんに似ていると思った。 新日のフロントって有能な奴が多いね。今でも名前が出てくる。 >>16
第一芝居うんぬんに関してはソースが高橋の話しのみだから眉唾だけどな。 新間本ではやたらと仕事ができないと貶されていたな。
倍賞さんの兄も一時新日の営業を手伝ったとも書いてあり、兄は有能だったとか。 昭和50年頃の写真見たら、確かに当時の志村けんにそっくりだったw >>45
人が亡くなって逝去! ← ! これ 上井とかいうジジイはかなりの低学歴 >>11
藤原本人が倍賞って言ってるよ。
(「証言UWF 」133P) 記者会見に出てた副社長時代はヒゲまで真っ白の白髪オールバックで、芸能一家らしい大物感があったな。下品なゴマシオ辺りとは格が違う感じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています