アントニオ猪木の引き際はいつ頃が良かったか? [無断転載禁止]©2ch.net
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猪木の引き際、引退はいつ頃が最適だっただろうか?
88.8.8に藤波との60分ドローで完全引退が噂された。
しかし猪木が引退したのはこの10年後の98.4.4。
しかも長州より後に引退という状況に。
※長州はその後 復帰したが。
完全に引き際、引退時期を逃した猪木。
猪木の引退はいつ頃が最適だったかを考えよう。 >>1
>完全に引き際、引退時期を逃した猪木
おまえの主観とかどうでもいいよゴミ
うせろニワカ 生きてたら馬場も前座でロープに凭れて16もんきめたり
売店で座ってグッズ売ってるだろうし
猪木は新日追い出されたから已む無くやな 88.8.8で世代交代を悟り試合後に引退宣言→引退ロードして89年夏の選挙前に引退かな やっぱり議員になった89年に引退がベストだったかも。
しかしこの時点で『もうすぐ30年』という時期。
なら30年終わってから引退というのが最も良かったかな。
かつて50 過ぎてリングに上がっていた馬場を批判。
しかしその自分自身も50過ぎてもリングに上がる事に。
90年でも猪木は47、この頃に引退していたら良かったと。 しかし90 年以降の新日はドーム興行も猪木頼みな部分もあった。
猪木を客寄せにしていたら部分もあったから猪木引退は無理だったかもな。 一線を引くとしたら前年の大量離脱の責任を取らせる形で1985年のIWGPかな?
本人のプライドを考慮して負傷アングルで欠場させ藤波がホーガンにリングアウト勝ちで優勝。
以後は重鎮ポジに棚上げ。例え反抗して独立しようにもUWFの例があるから誰も担がない。 記憶違い
1985年のIWGPはリーグ戦優勝者にホーガンが挑戦する形だった。(決勝は猪木×アンドレ)
だから猪木が負傷で決勝を辞退して藤波が繰り上げ出場のアングルで。
その年の秋にWWFとの契約が終了するので最高のタイミングだった。 88年に猪木引退が噂されていた。
でもまさか10年後の98年に引退とは夢にも思わなかったわ。 芸能事務所と同じで辞めようにも自分の意思じゃ決められないだろ!!!コノヤロウ!!!
総合格闘技とやらが大きく出て来る前でよかったじゃね?
稼げるだけ稼いで、色々バレて大損する前に辞める
ビジネスとして正しい見切りだったと思うぞ 猪木引退試合、対戦者決定トーナメントは、今見ても意味不明。 選手としての引退のタイミングは悪くないけどそれ以降のプロレスや格闘技との絡みが晩節を汚しすぎている ハイセルがうまくいってれば蔵前のホーガン戦が引退試合だったでしょ。 引退試合の相手が小川じゃなくてドン・フライにしたのが何故なんだろ?
当時すでに流行りだしていた総合格闘技より強い猪木みたいな演出がしたかったとか?
絶対に猪木vs小川の方が話題性もさらに高いのに謎だわ >>20
あれはフライで大正解
最後は勧善懲悪でスッキリ終わるほうがいいと思ったんだろう
小川みたいな塩相手に名勝負をやる力量は
あの当時の猪木にはさすがにもうない 今の連中じゃ知名度がないからいまだに猪木頼らないと特番組んでもらえないからなぁ
第三世代から後のプロレスはダメだね それは時代の問題だろ全盛期の猪木の自己プロデュース力はすごいのは確かだけど 小川との対決を(トーナメントで匂わせて)期待させてのフライとの試合。
確かにあれはフライで良かったと俺も思ったね。 でも88年に引退をチラ付かせながら結果的に10年後に引退。
しかも長州よりも後に引退ってのもなあ。
やっぱり議員になった時に引退できてればベストだったかも。 最初のドームまで、前田が新日にいたら・・・・
前田に負けて引退もありえた。
藤波にシングルで負ける事をしなかったのは、長く共にいすぎて
藤波のマイナスな部分を本人以上に理解していたから。 今思うと、ホーガンからアックスボンバー食らった時に素直にホーガンを認めてやめていればと思う、 猪木自身はもっと早く引退したかったのが本音だろう。
でもそれが許されなかった状況だったかんな。 晩年猪木も天龍、フレアー、ベイダーと名勝負多いもんな
ムタとの試合も名勝負かは微妙だけど個人的には好きだったしね
佐山との試合は期待外れだったけど…
そういえばスティングともやってるんだよなぁ >>29
引退したいと思いつつ
あれだけの脚光を浴びた人。アドレナリンというかエクスタシーというか、そういうので辞められなかった面も多いと思う。
真剣勝負の世界ですら、引退、撤回、復帰と晩節を汚すアスリートは多いから。 83年に引退がベストという意見もある。
しかしそうなればブロディとの対決は実現しなかった。
出戻りの前田との絡みも。
まあ猪木が83年に引退してたら前田も新日出なかったかも。 猪木の引退はやっぱり88年か89年がベストだったと思う。
実際に猪木は88年に本当に引退したかったらしい。
この頃の猪木は既にかつての「プロレスへの情熱」は完全に冷めていた。
アリ戦から12年、もはや完全燃焼していたみたいだし。
後継者こそ完全に決まってなかったものの、猪木はやり尽くしたと。
でも新間や周囲がガチで引き止めて猪木が引退できない状況を作った。
それがなければ猪木は88年か89年には完全に引退していたらしい。
しかも89年には実際に議員にもなったわけだし。 情熱が冷めてたというわりには、
世代闘争を中途半端にやめてはマサと巌流島やったり
ベイダーの相手したりと
てめえばっか主役になりたがってたのはなぜだ? 当時の暴露本で、巌流島はもともと藤波VS長州でやる予定だったと書いてあった。
というか、長州と藤波が雑談中に、互いの出身地の中間が巌流島じゃんという話になって
思いついたアイデアだったらしい。
それを奪いとったのが社長アントン。
だってさ。 もし負けるということがあるとこれは勝負は時の運ということでは済まないと思いますが >>37
出る前に負ける事を考えるバカが居るかよ!出てけ!! ソ連でやったときのタッグと、橋本 蝶野でやったの見たときに
もう無理だなとおもったよね 90年2月のドームで引退表明。1年かけて引退シリーズやって91年3月のドームでお終い。三銃士がメイン張るようになったから丁度潮時だった。 >>35
営業上の問題以外にないだろう
ほかの人間に任せたら
間違いなく話題性に欠けて会社の売上も視聴率も落ちる >>35
営業上の問題以外にないだろう
ほかの人間に任せたら
間違いなく話題性に欠けて会社の売上も視聴率も落ちる 1年ぐらいかけて全国を回らないと地方のプロモーターが許さない。
87年頃の前田後継話は、猪木&新日&テレ朝はUが新日に来ても客入りが悪かったため、
いきなり前田だと倒産危機のため、1年ぐらいかけて前田の価値、知名度を上げてからの
禅譲を考えたが、前田は1発勝負を望んだ。
当時の前田だと誰とでもいい試合ができないため、経営上、不安定この上ない。
その後の88.8.8藤波戦は引退へのいい雰囲気ではあったが、横浜文体での試合後に
今日で引退します・・・はないな。 89年の参議院選に落ちたらややこしいことになっていたな。参議院議員になって一線を退けた
ことで猪木が出るとプレミアム感があったからいいけど。本当は引退するタイミングとしては絶好の
タイミングだと思ったが。 83.6.2ホーガン戦後だとまだ早い。
88.8.8はドームでやって負けたら引退宣言して、藤波に負けて引退は嫌みたい。
89年の参院当選はいい機会だったが、ゲスト出場のプレミアムが増して
ベイダー、天龍、ムタ戦と試合内容も良かった。
そうすると、98.4.4で良かったのでは? ただ最後がフライであの試合は・・・
俺は最後が藤波戦だったら精神的な部分でも感動できたと思う。 >>46
98年のドームで猪木最後の大スペクタクルを期待したいところだったが
猪木の前年の試合内容を見てると体力的にはもう無理だろう
最後のトーナメントの顔ぶれ見ても上手くプロレスができて
相乗効果が期待できそうなのは一人もいない
結果として無難に勧善懲悪プロレスで良かったと思う タイミングとしたは89年に議員当選した時だったな。
83年では確かに早すぎた。
やっぱり議員当選した時がベストだっただろう。
奇しくも時代も昭和から平成に変わった頃で。
アントニオ猪木は昭和で完結 と。
90年の30周年で引退という方法もあった。 師匠の力道山の故郷である北朝鮮で興行うって
そこでの試合が本人の中では区切りだったみたいな話聞いた事あるな
ただその北朝鮮での興行のせいで借金まみれになって
引退の時期が数年伸びちゃったわけだが 猪木自身はさっさと引退したがってたが
テレ朝とスポンサーが引き留めていたってのが真相。 平成の初め頃は
「俺は議員になった時に引退したつもりだ」
と事あるごとに言ってたな ところが90年代に入ってからのほうが80年代後半よりも動きが良かったんだよな猪木は
無理せずインスリン注射に頼るようになったあたりから スポット参戦だとシリーズ巡業に帯同するより遥かに楽だかんな。
全ての面で楽。
だからそれなりに体調も維持できたのでは? 猪木の引退時期は88から90がベスト。
巡業に帯同しなくなった時点で現役バリバリではないし。 藤波の引き際は88.8.8猪木戦だな。
健吾の引き際は・・・ 89年2月の長州戦の後は、馬場ほどではないけど、第一線からは退いたんだなと思った。 Uターンしてきた前田と絡む前に引退しとけば良かったな。
旧Uのゴタゴタで猪木(移籍金だけだけ貰っといてドロン)に裏切られたの怨念を持つ前田は、猪木の見せ場をまったく作らせなかった。
前田と絡んだことで猪木ワールドは崩壊した。 昭和終焉と時を同じくして闘魂終了。
時期的にそんなイメージがある。 平成以降の猪木は全くの別物。
スポット参戦になったら最早現役とは違う。 藤原「猪木さんがすっかり国会議員になってしまって寂しい
プロレスラーアントニオ猪木はどこに行ってしまったのか?」
猪木「そう言われても、俺はもう国会議員なんだよなw」
こんなやり取りがあったくらいだから
ドームとかのビックマッチ要因として出ざる得ない頃でも
猪木本人は議員当選以降は引退のつもりだったんだろう そろそろ棚橋も1.4でしか見れなくなるんだろうか? 棚橋は今年で40だろ
猪木がIWGPで失神した頃の年齢だから
多少のオーバーホールをしてればまだまだ行ける
ましてや社長兼任でもないしオカダもいるから
当時の猪木に比べればはるかに立場は楽 猪木は昭和で完結。
また平成と同時に議員になったんだから。
昭和終了時期がベストだったと思うが。
当時の猪木の状況を考えたら引退に持ってこいの時期。
引退材料が整っていたとは思うが。
猪木自身も既にプロレスに熱い情熱もなかったし。 89年の両国で長州に負けたところで引退を発表して、
90年の2.10東京ドームで闘魂三銃士と闘って終わりにすれば良かったのになぁ。
まぁ、きれいに引退したとしても、死んだ訳じゃないから、
2000年代のズンドコ時代は変わらずやってきたんだろうけど…… 逆に引退時期を伸ばしていたらどうなっていたのかねー 延ばせても二年ぐらいだよ。
延ばしていたらもっと悲惨。
桜庭がブレイクして、
格闘技ブームだったんだから。
猪木の引退はもっと小さい扱いにされてる。
まあ俺としては引退時期としてベストは
92年頃だと思う。
よく88年がベストだって言う人がいるけど、
その時代はUWFがあったからね。
前田に負けたみたいに思われる。
92年頃で対戦相手は
藤波か長州がベストだったと思う。 猪木は55で引退
天龍は65で引退
藤波、長州は60超えて取り敢えず現役 一昨日の8月8日で猪木ー藤波フルタイムから30周年か。
あの時は猪木は引退を匂わせていた。
しかし結果的に猪木が引退したのはなんとこの10年後。
まさかこの時から10年後に引退とは全く予想できなかったなあ。 猪木の場合は引退後がなぁ。今もゴタゴタしてるし。
素晴らしい引退であればあるほど落胆も深くなっただろうから、あれでよかったんじゃ 糖尿病と診断された時点で引退すべきだった。
猪木については悪い噂も一杯でてるが、
元々は、プロレスラーが引退後も就業できるように
飲食店やら副業をはじめた筈
アントンハイセルで松岡とかいう怪しい発明家に騙されるまでは
副業も好調だったらしいし、引き際次第ではホント印象変わっただろうな 猪木は糖尿病発覚した時点で引退したい意向だったらしい。
でもそれで現実的に引退はできるわけがない。
後々に猪木は『自分が死ななきゃ引退はできなかった』と。
何かの記事で猪木自身が語っていた。
少なくとも糖尿病発覚した82年頃だと周りが許さなかったって。 うん。
その頃は新日絶頂期だから無理。
90年頃がベストだったと思う。
引退試合は藤波だね。
猪木はピンフォールで負ける。
あるいは武藤でも良かった。
そして武藤をエースにすれば良かった。
全日が三沢をエースにしたように、
武藤をエースにして
ベイダーをライバルにしたら良かった。 90年の30周年記念試合が引き時だったかもしれない
それから1年以上試合がなくて
忘れかけてたところで
久しぶりに新日20周年のゴールデン生中継の馳戦で
視聴率欲しさに引っ張り出された時に
客が忘れかけてた猪木のプロレスを思い出してしまったw
逆鎌固めなんて平成のレスラーの発想には出てこない
あの試合で猪木への需要が蘇ってしまったとこがあるな そうだね。
前田を避けたあの時点で猪木の時代は終わっていたのか現実だね。
猪木信者は冷めてしまった。 俺は90年代からプロレス見始めたけど、やっぱ誰よりも凄かった。
猪木に並んでたのは武藤くらいかな。
ベイダー戦なんかマジで凄すぎた。
だからあの時の引退で大正解だと思う。 やっぱり猪木は80年代で終わったイメージだね。
議員になった時点で引退。
また議員になってすぐ引退は無理だったろうから議員になって数年後。
時期的には92年頃か。
92年なら30周年も済んでるし。
でも猪木はゴルドーやスティングとも対戦してんだよな。
しかも同日のドームで。
ゴルドー戦で泣きが入り、説得されてスティング戦へ。 81年MSGシリーズで猪木はシン、ハンセンを連続相手で奇跡の優勝。
この時のゴングの記事に猪木は恒例の 五月病 と書かれていた。
五月病だと肉を一切食べることができない。
にも関わらずシン、ハンセン、ホーガンという大型の肉食巨獣を相手にしなければ。
そういう裏の(影の)ハンディをも乗り越えた猪木の神通力はは本当に凄い。
こんな記事だったが、この五月病こそ糖尿病だったのだろう。
この当時はさすがにまだ正式には公表できずにいて。
そして翌年にはそれが悪化して遂にシリーズ欠場にまでなり。 猪木はハルク・ホーガンにのされた時点で一線を引くべきだった。
あの敗戦でプロレスブームが一気に消沈。
ハルク・ホーガンをエースにすべきで猪木は脇役になるべきだった。 猪木、帰国! 北朝鮮「核開発は続けます」 なにしに行ったんですかーっ!! [無断転載禁止](c)2ch.net [952522887]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1505109510/ >>76
あれは馳が良い仕事をしたと思うんだが 猪木を生き返らせてしまったのは事実だな
それを踏まえた上で 俺は北朝鮮でのフレアー戦がラストだったら良かったなと思っている 参議院選挙の影響で、リングでのマイクパフォーマンスで
「わたくしは・・・・・・」
と猪木が言うのを聞いた時
もう引退してくれっておもったわ。 猪木は天龍に負けた時点で終わった!
そんな意見は多いみたいだ。
まああれは天龍の勝ち逃げだったみたいだが。 猪木本人としてはアリ戦で引退したかっただろうが
会社としても25周年のドームツアーまでは現役で引っ張りたかったから
現実的なこと考えると結果的にはあのタイミングで引退となるか 84IWGP大阪の猪木、藤波vs斎藤、長州で正直限界を感じたわ。
正規軍が終始維新軍に翻弄されてた。
終盤ツープラトンのパイルドライバーいいのが入ってしまって、猪木は
グロッキー状態だった。
あれはやり過ぎだったのか、斎藤 長州が強過ぎたのか‥‥‥
斎藤 長州あたりにスンナリ勝てなくなったのが悲しくなったのを憶えている。
やめ時はあのへんだったかな。 87年頃から、同世代のマサ斉藤の異常なコンディションの良さに
刺激を受けたってところはあると思う。 91年は猪木が一切試合をしなかった唯一の年だった。
38年の現役生活の中でも1年以上試合をしなかったのは。 >>90
自分的にはその前に
長州力に後頭部にラリアットを受けて
フォール負けを喫した時に
「猪木の時代は終わったんだな」って
感じたけどね。 札幌の挑戦者決定リーグ程度で長州に初フォール負けをするなら
イヤーエンドイン国技館でドラマチックな演出を考えて欲しかった。
猪木と長州がそれぞれ一日二試合という無茶苦茶な展開は失敗だった。 >>94
なんで試合しなかったの?
参議院の関係で? 猪木はいつ辞めていようが
その後から現在に至るまでのあまりにも変なオジサンっぷりで結局全てをぶち壊していると思う。
引退後の猪木しか知らない世代に「昔熱中してた」とかもう恥ずかしくて言えないもん。
馬場さんの方が現役イメージのまま逝った感じがする。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています