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と、意思の疎通ができていた。

時々、調理実習で習った料理を家で作って、「○○さんに持ってく」と届けたりもしていた。

おじいさんは子供達を可愛がっていたけど、特に弟を可愛がっているようで、たぶん、孫みたいに思ってくれてたんだろう。

弟も、反抗期も、親や私には悪態ついても、祖父母やおじいさんには優しい子だった。

就職した時、初給料で祖父母含めて家族を寿司屋に連れてってくれた時も、お店に「寿司折お願いします。お好みで」と、おじいさんの好物を選んで

折にしてもらって、持っていってた。

風邪をひいて寝込んでいるらしいと聞いた時には、仕事を休んで看病したり、病院に送り迎えしてた。

仕事帰りに、おじいさんの薬をもらってきて、ついでだからと食料や雑貨を買ってきたり、家電が壊れたら何とか直してあげたりと、正直、

どうして他人のおじいさんにそこまでするんだろう、ってほどだった。祖父母の通院も手伝ってたけど、そのおじいさんには特に優しかったから。

そんな弟が、あっさり死んだ。

長患いでもなく、入院したと思ったら、あっという間に危篤になって…で。

通夜の夜、おじいさんは泣きはらした目で来てくれた。

うちの地域では、通夜は夜通しやるけど、ずっといていいのは親族だけというルールがあるんだけど、

おじいさんは、私に、

「あさまで、弟くんのそばにいてもいいですか」

と書いた紙を見せ、土下座せんばかりに頼んできた。

私が頷いて、ありがとうと頭を下げて、

「明日の告別式にも出てあげてほしい」

と書くと、おじいさんは

「ぼくが よめるかんじ、かけるかんじ、弟くんの なまえだけです。いちねんせいのとき、おしえてくれました」

と…。

そこで遠縁のおばさんが、

「まー○○さん!帰らなきゃいかんよ、お通夜は親戚でやるもんや!」

としゃしゃり出てきた。

おじいさんは泣きながら

お願いしますと言うように頭を下げ続けてた。おじいさんに聞こえないのをいいことに、ずっと汚い言葉で帰れと責めるおばさん。

でも、弟の「○○さんは、耳は聞こえないけど、相手がどんなこと言ってるかは大体わかるんだよ」という言葉を思い出して、私も泣きながら

「○○さんには参加していただきます。両親にそう言います、弟だって喜んでくれるはずですから!」

と言った。おばさんは