昭和時代のゲーム生活ってどんなのだった? 2
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ゲームがすぐ起動した。遅いもので1秒ちょいぐらい。 昭和といっても長いのに
それをひとまとめにする事に、乱暴さを感じる
しょせん他人事目線なんだなと思う ゲームの歴史を語るにあたって
昭和やら平成なんて枠組みに、意味があるだろうか?
昭和と平成の境目は、ゲームの歴史にとって何の意味も存在しない スレタイこそ昭和とついているけど、事実上昭和の話だけをするのではなく、アラフォー、アラフィフ世代の人たちのサロンだよね
自分は居心地いいけど
あとゲームの話に限定するのではなくゲーム「生活」を語るスレなのがいい、思い出話が弾む >>5
俺、こんなリア充なファミコン生活してねーぞw
一人で自室に籠ってひっそり遊んでるイメージ。
たまに同級生と遊ぶことはあっても基本は一人。 >>2
語弊が大きいなw
ロードに30分以上掛かるゲームもあったでしょ。
5分とかは当たり前。
しかもテープリードエラーが出ると、カセットを巻き戻して最初からロードし直し。
さらに何回ロードし直しても、必ずテープリードエラーが出るということもあった 昭和のソープは高いカネを払いながら、…という人が出てくるのが当たり前だったけど、
平成では若くて可愛い娘が普通に出てくるし料金も大衆向けに安くなった。
昭和のAVはモザイクが大きく、実は疑似だったというのが当たり前だったけど、
平成では小さなモザイクでちゃんと本番している。
こんな風に、境目なんか気にせずに大体で話せばいいと思う。 >>3
無根のない言いがかりだ。
ビデオゲームを世に知らしめたスペースインベーダーが、昭和53年(西暦1978年)。
昭和の最後の年が64年(西暦1989年)。
この間たった11年 >>9
そんなに待てる機械を持ってるなんて、金持ちだな。 tps//youtube.com/watch?v=MFZcKv5J1rc 夏は思い出はいっぱいあるよな。
スイカ、扇風機、かき氷、麦茶、素麺、蝉の鳴き声、花火。 一度だけだったが、お盆に親戚が集まった時にザリガニ茹でて食した
蛍がまだそこら辺にいた
はだしのゲン1、2が放送されていた 夏休みにテレビで観たアニメ「対馬丸―さようなら沖縄」がトラウマだった。
個人的には、はだしのゲン以上。 >>5
こんな感じでみんな集まって
赤い14インチのテレビを見つめてた
今思うと昔の子供は目がいいな 自分は「PICA-DON」がトラウマです
初めてエロビデオを見たときより衝撃的でした
今もスキャン画像を多数公開しているブログがありますね
一見すると会員限定公開に見えるんだけど、途中から会員以外でも画像が見られるようになっている ゲームあったんだな皆さんちは…
うちなんかウオークマンも買ってもらえなかったし
ビデオもビデオカメラも買ってもらえずせめて自由
が欲しかった…せめて一人暮らししたかったけれど
そんなこともできずあの団塊毒母は私のこと監視し
て私の人生崩壊させたかったんだろう
ただファミコン欲しくなかった、欲しがったのは兄 >>5
テーブルに置くのは危険
テーブルの脚ガン蹴っ飛ばすだけで画面バグる >>18
イカダから落ちてサメに襲われるやつですな
一度だけ放送されたような記憶 小学校の図書室にも戦争漫画がたくさん置いてあった。
ほるぷ平和漫画シリーズとか。kindleで出れば買ってもいいけど。
それより気になったのが小学校の図書室の背の高い本棚の上に女性のヌードのイラストが描かれた表紙の本が
これ見よがしに差立ててあった。
「読みたきゃ椅子でも持ってきて手に取って読みな、このスケベw」とでも言いたげな展示である。
手に取ったら、そりゃもうクラスで“変態マスター”の称号を貰う羽目になるから、気になったが敢えてスルーしたけど、
今思えば、卒業するまでに一度は手に取って中身を確認しておけばよかった。 >>20
14インチのブラウン管テレビは解像度が悪かった
それがパースワードの書き写し間違いに繋がることも多々あった 14インチTVでコード目一杯伸ばしてジョイカードまでギリギリまで離してドラクエやってたな
あんなに離れてたのによく見えてたもんだ 近所の図書館がファミマガの貸出やってたから結構お世話になったな
3〜4ヶ月分くらいはバックナンバーあったと記憶 冬に家に帰ってきてファミコンやろうとしても
手がかじかんでしばらくうまく操作できなかった
真夏に外で遊んで家に帰ってきたら
目が慣れなくて家の中が真っ暗だったりした ファミマガの有名なウソテク『水晶の龍 シンシアと野球拳』をリアルタイムで見た。
一瞬、俺もやってみてえ!、と思ったがゲーム自体が自分に合わなそうだから購入を諦めた。
とはいえ書き換えで500円だから、なんで当時の俺は挑戦しなかったんだろう?と不思議に思う。
ちなみに、あのウソ記事、相当売り上げに貢献したんじゃないかって思うw ウソテクといえばメチャメチャやり方が難しいのとかが怪しかった ウソテクと言えば87年10号さんまの名探偵でナムコのビルに行ける
これにはモロ騙された
やり方は
ギャラクシガニで50000点オーバーでクリアする
あのゲーム自体はカンタンだから同じことを続ける忍耐力だけの勝負だったんでやってみた
ナムコの人も騙されたらしい ナムコビルはどーせ嘘だろうな、でも面白いから本当であってくれえ!って
祈りながら5万点目指した覚えがある
なんで嘘だと思ったというと、一度入るとビルから出れないって書いてあって、
それは絶対ないわって思って
なんであんな余計な嘘を追加するんだって思ったが、向こうにしてみれば
嘘だというヒントのつもりだったんだろうな 5万点って相当やりこまないと無理だぞw
普通は1万点いくかどうか、だから。
当時はネットがない時代だから騙され放題だった。 忍者じゃじゃ丸くんで「じゃじゃ丸、じゃじゃ丸〜」とIIコンのマイクに歌い続けたオレも還暦間近だ。 >>38
当時はプログラマーが独断で隠しを仕込むって割とよくあったみたいだしね
有名なところではファイナルファンタジーのプログラマーとか
ナムコでもえりかとさとるの夢冒険に衝撃的な隠しメッセージがあったよな エリア88で潜水艦がハガーになるのはコラが雑だった ファミコン雑誌はマル勝ファミコンが一番好きだった。
逆に嫌いだったのがファミコン必勝本。全体的に口汚い。対象年齢やや高め。
読者投稿が熱かったけど(ごいんきょクエスト)、当時の小学生をガキだのジャリ呼ばわりし
高橋名人をディスるようなコーナーもあった。 必勝本は一番安くてオールカラーだった気がする
安定感のファミマガ
バランスのとれたファミコン通信
うさんくさいハイスコア、ゲームボーイ
いかにもチープなファミコンチャンピオン だんだんファミマガ、ファミ通の二強、やがてはファミ通だけに絞られてしまうんだが
ファミコン雑誌黎明期の85、6年頃は今にして思えばカオスで楽しかったな
自分にとって役に立つ攻略記事や裏ワザページを何誌も立ち読みして、探して、
必死に頭に叩き込んで家に帰って…ファミコン誌の漫画もかなり読んだと思う
でも小学校3、4年だったんで色んな雑誌を毎号買うのはとても無理だったし、
あまり家でじっくり読まなかったので各誌のカラーの違いはよく分からなかったな
でも今にして思えば当時のファミコン誌の漫画はファミ通のしあわせのかたちと
大トロ倶楽部が突出して面白かった
作者の知名度からして子供ながら見る目があったと言いたいがw多くの子供が
そう思ったからファミ通だけが生き残った要因の一つになったと思う ファミコン必勝本がヒッポンスーパーになったとき
なんじゃそりゃって友達と笑ってた 紙面刷新と本屋の店舗改装で前よりもよくなった経験が無いw ヒッポンスーパーになってから批評誌の色が濃くなった。
必勝本時代もつまらないゲーム、あるいは有名ゲームも容赦なく斬っていたけど、
レビュワー個人の思い入れが強くてよかった。
でも、多くの人にとってはファミ通レビューの方が分かりやすくて良いのだろうし、
レビュワーの個性云々よりも大手の新作スクープとか攻略記事とかそっちのほうが興味あるんだろう。 ハイスコアは創刊の経緯とエニックス始め仲の悪いメーカーが多かったせいなのかナムコの記事が多かった記憶が ファミコンブームで一番攻略本バブルだったのは徳間書店だろうな ドラクエ2クリアまで全部載せちゃったンでつね。
その後当てつけみたいに4のカジノコイン技の枚数まで乗せてたというw ウソテクはファミマガだけでやっている分には良かったけど、
別の雑誌が真に受けて「本当に出来る裏技」として無断転載する事態になった
自分はスペランカーの無敵コマンドのウソテクを学研だか小学館だかの学習雑誌で見て、
出来ないなーと言いながらずっとトライする羽目になった ハイスコアがDQ2のラスボス・シドーの存在をバラしてエニックスと
犀・伴・ざたになり、それで廃刊になったって噂をずっと信じてた
ネット時代になってでさえ初期の2chとかでその噂が流布してたから
相当に根強かったんだと思う
ところが実際は問題になったのはシドーじゃなく、どこかの塔と宝箱の存在で、
なおかつ既にDQ4まで発売していた90年まで雑誌は続いてたという
裏を返せばハイスコアって雑誌がDQ3や4の時代には既に存在してなかったと
噂されるくらいあまり読まれてなかったって事か 俺はゲーム機隠されてたけど隠し場所知ってたので、夜中にこっそり一回の居間のテレビに繋いで遊んでたな。
あの頃にいろんな繋ぎ方やガタついた電源部の半田付けとか学んだわ。 今でも思うけどゲームボーイって雑誌名の方が先なんだよな
任天堂も既存の雑誌名と同じ名前をゲーム機によくつけたもんだ ファミコン雑誌の裏技コーナーが大好きだったけど、
紹介はしても詳細は教えてくれない事も多かったな。
例)
悟りの書が普通1つしか入手できないのに賢者が3人もいる!(DQ3)
カジノでコインをとある枚数で購入すれば激安4ゴールドで購入できる(DQ4)
前者はなんとなく想像できたから、あまり悩まなかったが、思いっきり悩んだのが後者。
雑誌でも、正確な枚数を教えてくれないので(ヒントは記載されてた)。
そのヒントだけを頼りに3時間くらい1桁ずつ試して必死に見つけようとしたが挫折。
後日、友達に教えてもらった。←彼はどこで知ったんだ? コンプティークの袋とじの女勇者がヤられてる読者投稿イラストに書いてあったから
キミのその友達はエロ人間ダヨ。 徳間の攻略本にはよく裏表紙の応募券送ると抽選でそのソフトが当るってのがあったけどそもそも攻略本買ってる時点でそのソフトはだいだい持ってるよな?
そのソフトもないのに攻略本買うとしたらせいぜい友達が持ってるゲームに一緒に熱中してる場合ぐらいか >>56
読者投稿のネタハガキなんてほとんどジャンプ放送局からのパクリだった
出版社と読者のレベルが釣り合ってた 裏技は転載しても違法では無いだろう
だからこそ嘘テクなんてやったんだろ >>57
ハイスコアの攻略は充実していたよ。
ウィザードリィでお世話になった。
ドラクエでRPGを始めた人には高難度だったから有り難かったよ。
あと、ゲームを作ったよね、ハイスコアは。
持ってないけど高評価されていたのは覚えている。 裏技って読者からも応募を募っていたけど、
今思うと、ほとんどメーカーからのリークではなかったか?という気がしている。
オラは自力で見つけた裏技を雑誌に送ったことがあるけど、スルーだった。 ハイスコアは一度だけ購入したことある。
が、掲載された記事は『忍者ハットリくん』で敵を倒すと砂ぼこりになるんだが、
その際、接近して後ろを向くと「まるでハットリくんが屁をしてる」みたいなくだらない
内容だったので、その号で見限り二度と買うことはなかった。 マル勝も印象がないんだよね。
BEEP!もファミコンからパソコンまでフォローしていたというぐらいの記憶しかない。
BEEPメガドライブになってからはセガ応援団になったから、
メガドラユーザーとして毎号読んでいたけどね。 当時はいろんな雑誌にイラスト投稿してて、ハイスコアにもなんか掲載された記憶がある。
何描いたかは全く覚えてないけど… あの頃はハイスコアを出した画面にせよ裏技にせよフイルムカメラでカメラで撮って投稿してたっけか
今と違ってその場で確認できないから撮影をミスればパー >>69
今思うと裏技見つけて送るだけで1万円とか雑誌が払うかよって気もするな ハングオンが登場した頃、ベーマガが何故かバイク雑誌とタイアップして
プロのライダーにハングオンの筐体で実際のハングオン(バイクを運転するテクニックとしての)を実践してもらうという無茶な企画があった
それくらいセガの体感ゲームにインパクトがあった 今の若者はファミコン通信のガバスを知らんだろうな
余談だが職場の30代男はPCエンジンを知らなかった >>78
あ、でもBEEP!メガドライブの読者レースで新登場タイトルの平均点を当てるのがあって、
それでゲームをもらったことがあるよ。
でも、最初はゲームが送ってこなかったから、しびれを切らして電話したんだよね。
住所と名前を確認してもらって、『シャイニング・フォース』を頂いた。 >>75
Beepと言えばバグ猫たいにゃんとソノシートだな
その内コンプの袋とじに釣られてBeep買うの辞めたわw >>60
最大桁数で買う金額、
一桁減らした金額、
更に一桁・・・。
で一枚当たりの金額を比べると明らかに計算が合わない時があるので、徐々に調整しながらやるとすぐ分かった。
数字が覚えられないので、今でも手探りで数字を探して買ってる。 平成になってからだが、マルカツは一回だけ買ったなあ
付録のストIIのアンソロジー目当てで、ガイルが主役のやつが好きで今でもとってある
それまではドラクエのパスワードネタでしか意識しなかった雑誌だった 誰かの家に行ったら
まだ帰っていなくて玄関で待っていたんだが
そこにマルカツがあって
一緒にいた奴が、あいつマルカツなんか読んでいるのかよと馬鹿にしていた
オレは当時ゲーム雑誌を全く読んでいなかったので
その発言が正しいのかどうかは判断が付かなかった ナディアとBeeメガのエル・ヴィエントの漫画見て褐色娘に目覚めるノヨ! GTVのふぁみこんとはどいつもこいつもドラクエばっか
当時が当時なだけに仕方ないけどもっと多くのネタを採用してほしかった 褐色娘は健康的な肌で良かった。
ソープの話だけど。 >>86
月刊ジャンプ、月刊マガジンを読んでることがバレるとエロ扱いだった
ガキにはまさに死活問題
部屋に下手に隠してるのが見つかるとムッツリスケベ
中学になると一転して聖書扱いなんだが マル勝はスターバージンてVシネマの走りみたいなのの記事があって、
主役のビキニ衣装にスジが写ってたノヨw 昔エニックスがガンガン創刊前に出した「ドラゴンクエストへの道」っていう
プロジェクトものの漫画が好きで中学の時から何度も読み返してるんだが、
作者の滝沢ひろゆきって人がエロ漫画家の千葉治郎と同一人物だと知って驚いた
千葉治郎は千葉治郎で知っていたが30年間全然気づかなかった
ドラゴンクエストへの道の時はデビューまもなくて絵が下手だったからw JICCのファイナルファンタジーのマンガ描いてた海明寺さんもエロに行ったヨネェ〜
DOB6とかバハムートとか飛空挺VSマリリスとかSFテイストあって好きだったノヨw 絶版マンガを無料で読めるマンガ図書館Zってサイトに滝沢(千葉)氏が
自作の大半を(エロも非エロも)公開してるんだが、ドラゴンクエストへの道だけは
置いてない
あれも何十年も前に絶版なんだが、やっぱり版権にエニックスが絡んでるから無理か >>92
そうだったのか、、
すごい好感度高い絵で俺も好きだったよ
開発終盤で敵の行動がワンパターンだから作り直したい、とか
当時の出し逃げ上等のクソゲーっぷりから考えると異例だよね
すぎやまこういちにもイメージ合わなかったらリテイク出します!とかとにかく熱かった
女子社員がかわいかった
つかちばぢろう、同タイトルでエロ同人出してるけど大丈夫なんかw >>96
中村光一を少年漫画の主人公みたいなポジに置いたのが良かったな
当時のゲーム史資料としても貴重だし
しかし89年に描かれたものなのに、ラストでほんの数年前のDQTの開発を
若くして大物になった中村や堀井が「あの頃」として振り返ってる感じが、
当時は1年1年が本当に濃厚だったんだなと思う
ちば氏のサイトによると腎臓壊して人工透析やっていて半引退状態だって
84年高校卒業って書いてあったから意外とまだ若い。DQへの道の時はまだ23、4歳くらいだし
しかし同名の同人誌の存在は当然知らなかったw3と4のエロネタっぽいね エロ漫画といえばバスタード!だよ。
ドラクエの影響でファンタジー路線が流行っていたから、内容も良かった。
それを少年ジャンプでやったのだから凄いよ。
スライムがヨーコさんの服を溶かしていくのとか、毎回チン○がおかしくなりそうだった。 >>94 お前のお陰で40年ぶりくらいにラジコンロックが読めた、ありがとう! >>98
バスタードは確か平成3年頃にジャンプ漫画の人気ランキングであのドオラゴンボールを押しのけて1位を奪った
ビホルダー(サガではビッホールダー)が鈴木土座衛門というまさかの日本名化したことで有名
ファイナルファンタジーやサガはイビルアイとかデスウアイと世界観を壊さない名前だったのに ゲームの漫画ってなんか難しかった
子供の頃ウィザードリィが好きで高い漫画買ったけど
いまいち理解できなかったなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています