蘇るファミコン必勝本 [無断転載禁止]©2ch.net
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昨日発売されたのですが、今日AMAZONから届いた人も多いでしょうか。 ジブリが出た出版社ダケアッテ
親が子供に安心して読ませられる雑誌だったんデショ。 ファミマガは攻略記事に関してはマイナー作品もある程度網羅してたからね
必本は本誌と攻略本で棲み分けしてた感じ ファミ通はオーソドックスな作りもやりつつ必本に倣って
ライターや編集者のキャラ立てをしたり、読者投稿コーナーで
シュールでマニアックな笑いを取り込んだりもしてた
ゲーム記事よりゲーム帝国が楽しみで買うとかマジであったし
漫画やコラムにも力を入れてた
結果的に各ファミコン誌のイイ所取りに成功してトップになり、
唯一の生き残りになったな ファミ通の誌面のノリは基本的にログインの系譜だし
コラムに力を入れたことも含めてポパイあたりにその源流があるんじゃない
必本にしてもその点は共通だとは思うが 唯一の生き残りになったのがいつ頃なのかも知らないが、たまに読んでもまるでつまらないね。
最初ファミマガしかないから売れていたのと同じ状態ではないか。
それがファミ通になったってだけで。 ファミ通は週刊化のタイミングが絶妙だったな、スーファミ発売後他ハード含めて作品数が急増する時期で
新作情報の鮮度では大きなアドバンテージがあった ヒッポンに関してはサブカル雑誌の元締みたいなJICC出版が刊行してたってのもあると思う 当時あったファミコン攻略雑誌って、
ファミマガ、マル勝、ファミ通、必本、ハイスコア、ビープ、後なんかあったかなぁ。
コンプティークやログインはPC系だし、単発だとファミコントップとか。 とりあえずゲームボーイとファミコンチャンピオン
他にも短期で消えたのがいくつかあったと思う コンプティークはパソゲーの記事少ないネタで
ファンロードの柱に採用されたことがある ファミコンBESTってのもあったなあ、キャラメルママが深く関わっていたらしく亀仙松ちゃんや鈴木みそが記事書いてた
あとわんぱっくコミックも一応ファミコン雑誌になるのかな その中でファミコン必勝本を選んだのは250円という破格の安さだったから。 今定期刊行しているゲーム雑誌ってファミ通(週刊)、ニンドリ(月刊)、電撃Nintendo(隔月)くらいか
エロゲ雑誌はBugbug、テックジャイアン、メガストアと月刊誌が3つも生き残ってるのに ゲーム雑誌の存在価値ってほとんど失われてるような現状だからなあ
ファミ通なんてもう10年ぐらいまだ出てたのって言われてるような気がする もう近所の本屋がなくなったからエロゲ雑誌を見ることもないんだが、まだ存在していたのか。良かったよかった。 浜村通信がネットはゲーム雑誌の敵って言ってたが
まあその通りだったよな
読者投稿ひとつ取っても何か面白い事思いついたら
ハガキにいちいち住所氏名を書いて送るよりも
ちゃっちゃと目の前のPCか携帯電話に書く。そんな風に00年代に
一般人の行動がモデルチェンジしちゃった
肝心のゲーム攻略も雑誌買わずともネットで一瞬で見れる
スマホがある今はどっちももっとお手軽になってる
これで雑誌が衰退しない方がどうかしてる >>661
その値段も確かに理由の一つだったし、しかも面白いんだよね。
俺はファミ通と必本の2冊を買ってた。87年から。 当時は専用の攻略本が出ないゲームは、攻略雑誌が頼りだったからなぁ。
ここで言うのもなんだが、俺はマル勝派だった。
不如帰の武将パラメータリストとか、ウルティマ3のダンジョン全MAPとか、
星をみるひとの「みさ」を仲間にする方法とか。
必本はベニ松の小説目当てに一時期買ってたかな。 個人的にマル勝の印象ってマダラ連載してた雑誌で、正直ファミコン雑誌としての印象はあまり残ってない
まあファミマガもファミ通もほとんど読んでなかったマイノリティなんだけど ファミ通が週刊初期の一時期に漫画がやたら増えてたんだが、
あっという間に皆リストラされて玉吉、みそ、岡崎つぐおしか
残らなかった覚えがある。羽生やるるるはその少し後かな
そういえば永井豪の連載もあったんだよな 隔週の頃から続いてたこやま基夫(アバタモ☆エクボ)も
週刊化後けっこうな期間続いてたはず
ファミ通は隔週の終盤にマンガ大賞ってのやってたから羽生生やるるる、
あんこなんかはその出身者
4コマは吉田戦車にまついなつきが週刊当初から描いていたが(吉田戦車は隔週から継続)
まついなつきも1年経たずに連載終了してた 大トロ倶楽部の片山まさゆきなんて終了時に新連載の告知出てたのにそのままフェードアウトしてたな >>666
ファミ通が衰退したのはゲーム雑誌で実質一人勝ち状態になって
驕ってたというか増長してたようなところもあったから
幾分そういうのも作用したと思う 玉吉はアスキー生え抜きだけど片チンは当時から若くして人気作家だったのに
よくファミ通はスカウト出来たな
ぎゅあん自己、ヅガン、大トロの三誌同時連載とか凄かったよ
この合間に出版社の麻雀大会とか雀荘経営とかもやってたんだから(潰れたけど) 必本は文字中心だったせいか、小説、コラムは充実してたけど漫画の印象はないな
ファミ通は売れっ子が書くことも多かったし
マル勝はメディアミックスの一環としてマダラやってたし
お堅いファミマガでさえ、神崎将臣のスト2がヒットしたしな マル勝はFF3のマンガもファミコン〜スーパーファミコンにかけ
2年間ずっとマダラとともに連載されていた
ゲームでシナリオ担当の寺田氏原作、スクウェア協力という事で
オリジナルながらゲームとの関わりがあるキャラが多く出てくるなかなかの佳作だった マル勝は矢野健太郎のドラゴンバスターもあったな
必本は創刊当時は若林健次とすのうちさとるのまんがが載ってたけど
若林は半年ほどでモーニングに移って、すのうちも1年ちょっとで連載終了
それから3〜4年ほど間が開いて石垣環のウィズ漫画連載だったか
あと必本というかJICCは一時期単行本描き下ろしのゲーム原作漫画よく出してたね あーあったな、ドラゴンバスターのマンガ
初期のマル勝はマント犬(ファミ通のネッキーみたいなマスコットキャラ)のマンガと
その2つがだいたい名前が挙がってくると思う
ファミマガも初期や後期にいくつもマンガが連載されてたんだけど、
たぶん一番有名なのはマンガトピックスっていう業界ネタものじゃないかと思うんだよな
あのディスクカードのキャラクターや仙人とかが出てくる奴
必本は全盛期と良く言われる80年代終わり頃が丁度マンガ空白期間だから、
印象がないのも仕方ないな ゲームボーイはファミコン丈載せてたし
漫画全く載せてなかったファミコン雑誌ってハイスコアぐらいか
もしかしたら載ってたのかもしれないけど自分は記憶にない… ファミコンチャンピオンって馬鹿にされがちだけどw俺は少なくともハイスコアよりは
好きだったんだよな
さすがに漫画出版社だけあってゲーム誌の中ではギャグマンガ層が強かったし
ややアバウトでカオスな感じの誌面も嫌いじゃなかったから休刊の時は
えーっ!って
結局ハイスコアよりも長持ちしなかったんだよな あとあれだ、たぶん少年漫画誌からのノウハウなんだろうが、
表紙のゲームキャラのイラストと、その号で扱ってるゲームタイトルの文字が
バカでかくて、スタイリッシュさのカケラもないw俗悪さが逆に子供心に
好きだったのかもしれない
ファミ通はネッキー、ファミマガはファミコンの擬人化キャラ(名前知らない)で
毎回表紙を固定してるスタイルだったが、ファミチャンはとにかく色いっぱい使って
ゲームキャラの全面押し出しで賑やかだったんだよね ずっと後の話だが
チャンピオンのゲームページは
結構率直にレビューしていて
そこだけ読んでいたな >>あと必本というかJICCは一時期単行本描き下ろしのゲーム原作漫画よく出してたね
海明寺裕のFF漫画がとても好きだった
後年の作品群を知った時は軽いショックだったぜ マル勝はちょくちょくヴァグランツの人がコンプから出張してカットを描いてたね
今思い出しても上手いカットだった
流石 >>681
ファミコンチャンピオンって個人的には短期で消えたイメージがあったけど
実際は89年まで出てたのね、失礼
あと編集長が元週チャン編集長の阿久津だったのも知った
ハイスコアは攻略一辺倒の硬派な紙面構成が災いしたか
ドラクエ2の出版差し止めの件以降一気に失速した感 >>686
平綴じになって復活した後のハイスコアはコラムページが面白かったな
衛藤ヒロユキのガンガンに描く前のコラムが特に
あと休刊号が発売前のファイナルファンタジー3特集だったんだけど、画面写真にシレッと忍者賢者が紛れ込ませてたアナーキー具合 前に国会図書館で初期のハイスコアを読んだ事があるんだが、
問題になったと思われるDQ2の記事のページが丸ごとごっそり切り取られてやんの
あれって訴訟沙汰になったものだから図書館側が自粛として切り取ったのか
ベルセルクの「深淵の神」の回みたくどこかのバカが貴重だからと切り取ったのか、
どっちなんだろうな
ちなみにそれまでハイスコアは毎号ドラクエ2の特集をしてたのに、次の号からは
いっさいドラクエ2を扱うのやめてたw
だからこの切り取られた記事の号が問題だったんだなと分かったんだが
余談だがハイスコア創刊号の頃って丁度ドラクエ1発売の直前だったんだが
新作紹介記事は小さなもんだった。他の無名の新作ゲーと変わらぬ扱い
これは他誌も確認してみたい ハイスコアは裏技のページではドラクエ2扱ってたけど
何かにつけ他誌では自主規制してたシドーとかの名前出してたな
出版差し止めされた恨みなのかもしれないけど正直見苦しかった
ドラクエ1は必本だとそこそこのページ割いて特集してたと思う
一番記憶に残ってるのはてつのさそりを2つのさそりと誤植してたこと ファミマガのザナドゥの紹介記事でRPGを知ったような記憶がある。
タイトル画面と武器屋の画像写真だけで、面白そうだと思った。
結局ザナドゥではなく、ハイドライドやドラクエでRPGに触れる事になったのだが。 ファミコン通信の創刊とドラクエ1の発売がほぼ同時期なんだが
創刊から冒険記的な内容で毎号紹介されてたし
その後付録として冒険ガイドブックという冊子も出していたな
RPGという存在自体ほぼ知られてなかったうえに
発売時期がマリオ2と1週間しか違わなかった事もあって
売上ランキングでも最高2位だったり今とは比べ物にならない話題性ではあったが
それでもそれなりの話題作として扱われていた感じ そういやドラクエ1とマリオ2は同時期発売だったか
必本はマリオ2も攻略情報含め結構ページ割いてたけど
ゲームレビューは結構辛辣だったな ハイスコアは誌面でも発売前後半年くらいプッシュしていたゾンビハンターが10万本と
雑誌の売上増につながるほどは売れなかったのも痛かった ゾンビハンターはお世辞にもあんま面白くなかったからなあ
あとファミマガがエグゼドやゴーストバスターズなんか出してたから
ゲーム雑誌の関係するゲームはつまらないみたいな印象も少なからずあったかも ドラクエはジャンプが取り上げていたからな
ゲーム雑誌を全く読んでいなかったオレでも知っていた 最初にどこかの誌面で見たDQ1の画面って武器屋で買い物してる所だったんだよな
どうのつるぎ……180ゴールド みたいな
FCしか知らない小学生なので、こういう風に金を貯めて「買い物」って概念のゲームは
知らなかったのでワクワクした
テキストゲーはポートピア、剣と魔法のファンタジーはドルアーガの塔で経験済みだったので、
それが一番新鮮だったんだよな >>688
ハイスコア出してた英知出版潰れちゃってるしどこにも残ってないか
大森田不可止がツイッターで言及したことあったけど、彼の元にもさすがにないか
あと国会図書館はファミマガの創刊号や創刊100号とか欠品になってたな
必勝本にいたってはHIPPONになってからしか置いてないし結構いい加減 自治体とかの図書館は別として
国会図書館に納本する義務は(罰則はないが)出版側にあるんだから
出版社がいい加減なんだよ >>697
マニアかコレクターは持ってるかもしれないけど、まあ放出したりとかせんだろうな ドラクエ2はリンクと発売日が1日違いだったな
1月26、27と
どっちがどっちだったかな >>696
ゼルダをやってた俺には、武器を半額で引き取ってもらえる事が新鮮で嬉しかったね。
ドラクエ1は強い武器、防具に替えたら、戦闘で明らかに実感できたね。
鉄のオノを買ったら、鉄のオノで叩いているような感覚。
ドラクエ2もそうだったし、果たしてその感覚が続いたのは何作目までだったのか。 >>702
3までかな。まあ4もそうだったかもしれない
5になると武器がどうこうよりモンスターが仲間になるから特殊能力が目立ってきちゃって
6以降はもう完全にそう。凄い武器を手に入れた、みたいなワクワク感は無くなったし、
戦闘でその武器を使ってる感覚と快感みたいなのも無くなった
まあそういうゲームシステムとか以前に、そうやってゲームの世界と一体化できる
感覚を持てる魔法の時間(消防時代)が終わっちゃったからかも 3になるとこちらの戦術も多彩になるのでちょっと感覚が弱まってる気もするな
4は〜4章まではその感覚が〜2に戻ってる気もする >>693
ゾンビハンターが10万本も売れたというのが意外 86〜87年ってファミコンバブル状態でどんな作品でもある程度は売れてる感じあったからなぁ
ソフトの発売数が激増して粗製濫造状態になった事もあって失速していくんだけど
あのたけしの挑戦状が50万を軽く超える数売り上げてるし… ファミコンバブルの始まりって85年のスーパーマリオの発売がスタートで、
翌年のハドソンの全国キャラバンで高橋名人ブームが全盛期を迎える
でもハドソンがPCエンジン立ち上げてFCから離れてしまって、
子供人気の覇権をエニックスのドラクエに奪われたあたりまでが最高潮だったな
昭和最後の4年間がファミコン黄金期中の黄金期
あれほど子供たちが一つのゲーム機だけに熱中した時期は無いし、今後永久になさそう 国図の必勝本まだ入ってないのか
持ってる人はしんで家族にゴミ回収出される前に寄付したほうがいいな 近真理だの断捨離だの。
20年ぐらい前に、そんな言葉はなかったが、やっちゃったんだよね。
必本もファミ通も年末特大号とか、堀井雄二などのインタビュー記事などがある号を
除いて、捨ててしまった。捨てなきゃ良かったなあ。
ヤフオクで高い金払って買い戻したりして。まあ、子供の頃と違い金はあるから
なんとかなるんだけど、やっぱり後悔だなあ。 雑誌って大抵取っておかずに処分しちゃうものだから、現存率がどうしても低くなるんだよな
ファミコンとか当時の子ども向けコンテンツだと、所有者本人が雑に扱うし尚更 ドラクエは苦労してゴールドためて高い武器や防具を買ったときの快感が良くできている。
凡百のRPGはその辺のバランスがいい加減だったりする。 創刊号から攻略の帝王まで一応全号揃ってはいるけど、現時点では手放す気はないな
もっとも保存状態はそんなによくなく攻略ページに自分でデータ書き込んでたり
創刊号とか一部の号はページが欠落してるようなありさまだけど >>712
編集部からみそが抜けたのって何号頃?
もし覚えてたら教えて欲しい
一時期買うのやめてて久々に買ったらいなくなってた 読者コーナーにみそさん戻ってきてという、イラスト付きのはがきが来てたの思い出した
でもそれが載った時期を含め、みそが抜けてたことに関しては正直記憶あいまい…
本誌確認して回答したいところだけど、現在全号まとめて物置にしまってるから即答できない、ごめん
連日の雨で出すのも厳しい状況なので数日ほど待ってちょ 中国では消えてしまった娯楽系の本が
日本で大事に保管されていたなんてこともあるね
向こうじゃ読み捨てみたいな扱いで残らなかった 日本人てやっぱコレクター気質みたいなところあるのかな
みそに関して若干思い出した
88年半ば頃だったかに行われた、ナムコの編集部対抗ゲーム大会の2回目も必本チームで参加して、
ファミリーサーキットでぶっちぎりの1位になってたから、少なくともこの時期までは必本にいたはず >>716
3月の43号だな
俺はそこまでは買ってて次から空白期間に入ってしまった みそがジャンプ編集部にいたのは必本の前?後?
あんたっちゃぶるの連載が始まった時、必本は読んでなかったので、
ああ、ジャンプ放送局の単行本に出てたあのお兄ちゃんか、って思ったな
ライターとして雑誌にいた人が、その後、漫画家先生としてその雑誌に凱旋とか
珍しいパターンだよね
あとは衛藤ヒロユキくらいか。あの人もDQゲームブックとかでライターやってて
のちに漫画家としてエニックスに凱旋 ジャンプにいたのは必勝本の前だよ。ライターとして本当にハシリの時
確か鈴木みそって名前自体マシリトの命名だったはず そのマシリトが担当していた猿渡哲也が海の戦士連載してた時アシもやってるのよな
後日ごいんきょクエストでクイズのネタにして、ヒントとして多分誰も知らないマイナーな先生(失礼)なんてやってた
ジャンプ放送局は多忙なさくまに代わって参加したけど大学の単位がやばくなって降板だったっけ
1年もいなかったような気がする 猿渡先生といえばある日ファンの女性から電話かかって来て、向こうの家に行く約束をし、
実際に行ったらしいんだが、後日みそが「どうでした?」って猿渡先生に聞いたら
「聞くなみそやん。俺もう電話帳に住所も電話番号も載せるのやめるから」
と先生が言ったらしい
「よっぽど怖い目に遭ったらしい。そんな猿渡先生も今では女房子持ち」
と、あんたっちゃぶるで若き日の思い出を暴露してたなw それは初めて知った
海の戦士はアンケでジャンプ放送局にも負けて、担当のマシリトからもボロクソに言われたと後年のインタビューで言ってたな
絵柄とか作風的にジャンプには合ってないなと当時でも感じてたから、青年誌に移って大正解だった漫画家だと思う >>716
その第2回大会でファミ通の浜村弘一とみそが初めて会ったと、あんたっちゃぶるで書いてたな
それが縁でファミ通で後に仕事もらったのかな
ゲームに詳しくてライター経験のある漫画家なんてレポート漫画には最適 ちゃっきりみそだよね。
オレの記憶ではナムコの編集部対抗ゲーム大会で活躍した後、
漫画家になりたいといって必勝本から離れたと思う。
その後、ファミ通で鈴木みそとして漫画を書いていたのは嬉しく思った。 ちゃっきりみそ時代も必本にイラスト描いてたのを後年見たけど
あんたっちゃぶる(の初回)より下手だったな。数年の間に努力したっぽい 下手つっても芸大油なんでデッサンの基礎は無茶苦茶凄いけどな >>707
バブルの始まりは84年末のゼビウスからじゃないかな
85年の春にはコロコロもボンボンもファミコン特集に力入れ始めたし
それに対抗してファミコン神拳も始まった
スーパーマリオが発売された頃にはもう加速しはじめてた印象 83年、いや84年の中頃までのコロコロ読みかえしてみるとゲーム関連の記事が
一切なくて凄く地味な雑誌だったな
ホビー関連といえばラジコンとチョロQの記事だけ
これが1年でファミコン一色に埋め尽くされるとは誰が予想したか
でもファミコンロッキーが失速し始めたころからゲーム記事のチェックは
コロコロとかよりもジャンプかファミコン専門誌に切り替え出すんだけどね
コロコロはビックリマンやミニ四駆も加わってカオスな感じになってきて
一つのゲーム記事があまり掘り下げられなくなってきたし
高橋名人を囲い込んでたからハドソンゲーとかには強かったが
RPGの攻略記事は弱かった >>730
コロコロは84年の6月号で一度ファミコンの特集をしていた記憶がある
すがやみつる先生の連載が最終回だったのとながいのりあき先生のコロコロ少年団の連載が始まった号だったと思う その記事覚えてる
コロコロでファミコンを扱ったっていうのが子供心にもちょっと驚いたから
そこから本格的にファミコンを扱うまでまたしばらく期間開くんだけど
あと初期のゲーム記事はファミコンだけじゃなくSG1000やカセットビジョンなんかも
一緒に扱ってた。当時のファミコンはまだ群雄の一人って感じだったな ファミコン少年団
単行本には未収録回があるとか。おとなのしくみも。
連載で読んでいたはずだが、何が未収録になったのか分からない。
読んでみたい。 安かったんで買うなら必本がデフォだったわ。
ベストプレープロ野球の発売元はファミ通だったが新データ版の選手パラメータは必本にも掲載許諾されてたな。
翌平成春の選手データはファミ通だけだったが ベストプレープロ野球は名作。
ベスト競馬ダービースタリオンも名作。 ベストプレープロ野球はSFCで作ってたらしいんだけどね。
SFCだから色々新しい事入れようとして、頓挫しちゃったんじゃないだろうか。
ファミコンでデータだけ変えて、低価格で出し続ければよかったのにね。
あるいはSFCだからって、別にグラフィックとか変えようとせず、基本ファミコン版のままSFCで
作れば良かった。 92年まで新データと日本シリーズ対応続いた。
エディット対応だから93以降の新データは暇人に入力してもらえって趣旨だろう
Windows版の後に新ベスプレがPS2でようやく出たけど
3D画面以外で目新しいのは牽制球と牽制悪送球ぐらいでは? ベスプレのWINをやって今更ながら気づいたのだが、SKIPの結果って何回やり直しても同じなんだよね。
つまり、試合開始前から計算で試合結果は決まっているんだよね(笑)。
突き詰めると、どこが優勝してどこが最下位かもも決まっている(笑いが止まらない)。
その辺りはランダムで計算すると信じていたのでなんか萎えました。
まぁ、プレイヤーが監督として介入することで色々変わるのでしょうが、
あるいは暇人プレイでシーズン中に選手の能力をいじるのなら変わるのでしょうが。 打撃指数1刻みでも変わるが
チーム順位は接戦でないと変わらんだろう。
FC初作はずっと広島監督でやってたが
セーフティバントが決まりやすかったから主力を何人か休ませても優勝争いは行けたが
2位以下の順位調整で他は主に大洋とか俊足多いトコも直接介入の傀儡に使った >>738
コンピュータの乱数は結局種からの計算計算で出しているからね。
普通は現在時刻や決定ボタンを押すまでの時間を種にして計算するのだけど、タコなプログラムだとそうなる。 ダビスタやウイポも馬なりで追うコース変えんと同じだったかな。
序盤で破産しそうな場合
馬券で資金調達可能だったか そもそもシミュレーションゲームのどこにどう乱数を入れるかはゲームデザインの方針によるだろ
ttps://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/dabisuta
ここらへんを読んでも薗部氏はそのあたりかなりストイックに考える印象だが FC版初代べスプレは西武が強い。
まず一番に「あきやま」を入れる。
強打者パワーもA、足もAだから出塁率が高い。
あきやまが出たら盗塁。これは高い確率で成功する。
そして2番打者に送りバント。
1死三塁にして3番打者はスクイズ。これで確実に1点が入る。
投手陣も強いからこの戦法で優勝間違い無し。 長打の弱い広島オタ向きだった
史実で低迷だった大洋もトリオ3人(屋敷・高橋雅・高木豊)と
ポンセ、パチョレックのクリーンナップは行ける打線。 左打者で足がAならセーフティバントが結構決まるから、
その後、盗塁、送りバント、スクイズのパターンで1点取れる。 >>738
SKIPって事は采配してないって事?
それなら当たり前じゃないのか? >>746
いや、いくらCOMが動かしているといっても、
毎回同じ結果ではなく、ランダム要素があるのかと思っていた。
完全に計算されていてその通りにしか動かないとは思っていなかった。 ターボファイルで引き分け試合作りやすくなってたっかな >>747
解説付きのドラクエTASを見てると乱数調整のために突拍子もない場所で薬草を捨ててたりしてる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています