藤子不二雄A総合スレ51
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藤子不二雄A作品全般を語るスレです
※荒らしは無視、A・F比較論争等には冷静になりましょう
ジャンプスクエア「PARマンの情熱的な日々」:休載
ビッグコミック増刊「人生ことわざ面白”漫”辞典」(コラム)絵:西原理恵子
ビッグコミックオリジナル増刊「愛・・・知りそめし頃に・・・」 連載終了
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※前スレ
藤子不二雄A総合スレ50
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1632410207/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured その辺の居酒屋なら余裕だろうけど、
一流業界人が夜な夜な集まるというお高い場所での
散財はどうなんだろうね プロゴルファー猿のアニメ化はサンデーの連載がおわってから
だいぶ経ってたよな。 パチンコパチスロだけでも結構なるね
猿・モグロ・怪物くん・ハットリくんそれぞれどっちもなってるし
契約がどうなのかは知らないけど仮に1台1万円の版権料だったら
1万台売れたらそれだけで1億円!
何種類も出てたしすごいよねw A先生の遺族は版権管理とかしなさそう…名作の原稿や貴重な未発表ノートなども散逸か… 藤子不二雄ワイドで魔太郎をそのままやってたら泣く子やPTAからの苦情続出だったろうな 今チンプイ1話を見始めたけど
こんだけスタッフ同じだとFとAなんて全く判別つかんな
まさに藤子不二雄ワールド そもそもシンエイはあんまり原作絵に寄せないからなあ… 俺は猿はコロコロの連載から入ったから、サンデー版を後から読んで
絵と内容の違いにショック受けたな
最後のプロテストなんて、梶原一騎顔負けの血まみれのシビアな死闘だし
最後、猿が合格と同時に意識を失うのは、もしかして死んだんじゃないかって
トラウマになったw
後年、SARUで死んではなかったが、合格取り消し扱いは、フザケンナ!と思ったが
80年代のコロコロの連載が、アニメ化との連動でにお子様ナイズされた新作で、
サンデー版とはパラレルワールド的な扱いだと知ったのはネット時代になってからだった
それにしてもアニメ猿のOPの出だし「つむじ風舞うティーグラウンドで」はお見事
なかなかプロの作詞家には無い言葉のチョイスというか アニメのほうが、見やすい作画だったなあA作品は
原作は、線が太くて、角張ってる感じで、なんか読みにくい オバQやハットリくんの陰に隠れてしまっているけど、
「シルバークロス」なんかはある意味劇画的な作風で、
主人公の丸い鼻がリアル寄りの画風に不似合いだった。
毛沢東や猿なんかはその路線だな。
まんが道にも、笑いのない漫画を描いて編集者にダメ出しされる話があるが、
どちらかと言うとAの志向だったんだろう。 >>860
輪郭が太くなったのは80年代からで昔は細かったんだけどな
あの時代はなんか輪郭をくっきり太くする絵がお洒落だったんだよ >>844-845
死後に同級生がインタビューで、「手塚君は体も大きかったし、絵ももの凄く上手で
みんな一目置いてましたよ、そんな人が虐められるわけないやないですか」って答えていて
紙の砦でも、がちゃぼい一代記でも、まんが道でも絵が上手い事なんて、貧困と暴力が支配していたw戦時中の学校では何の価値もなかった、
みたいな描き方されてたけど、それは嘘だったって事だろうな
時代はずっと後だけど、俺が子供の頃の昭和50年代でも、やっぱり絵が上手い奴は尊敬されてたというか
ヲタ扱いして馬鹿にするみたいな風になったのって、もっと後なのかな
手塚の妹さんも「お兄さんは実際は虐められてはいなかったのですか」って、同級生のインタビューの後に聞かれて、
「兄は昔から空想癖があって、自分が虐められっ子だったという事の方が面白いと思ったのでしょう、学校の作文で、
遠足に行った時の感想を書いた時に、湖から竜が出て来た等、実際に起こってない出来事を空想で書いてしまい、先生に怒られていましたから
同級生の方々も兄が勝手にいじめっ子という事にしてしまい、ご迷惑をおかけして大変申し訳ないと思っています」
って真剣に謝っていて、申し訳ないと思いつつも笑ってしまった
実際の安孫子少年も、あいつは絵が上手いし話も上手いって、実はスクールカーストの上位だった可能性は充分ある 自分の評価と他人の評価は違うだろ
俺だって子供の頃は人気者だと思ってたが同窓会で嫌われてたって知ったし A先生の評価
同級生「彼は絵が上手いし人気者だった」
テラ「新漫画党も安孫子君が音頭とって…僕は引っ込み思案だし…会も安孫子君がいると盛り上がって…僕は喋るのも苦手だし…」
石森「オシャレ、スポーツ万能」
FFAランド出した人「ああみえてシャイで寂しがり屋だった」
>>865
wwwwwwww イジメっこがイジメるだけで全員が集団でイジメるわけじゃないし
普通に評価してくれる人もそりゃいるだろ >>864
手塚の弟さんも否定的だった気がする
弱いだろうと思ってたが、意外に力が強かったって
弟さんと取っ組み合いの喧嘩でもしたのだろうか、ちょっと覚えていないけど 手塚治虫はどう考えてもフィジカルエリートだろあれ
旅館や家の窓から木をつたって逃げたり
締め切りが嫌で阿蘇山まで逃げてついていった記者が死にそうになったり
そんで寿司4人前食ったりゆで卵10個食ったりしてなかったか 火の鳥を捕まえる手塚治虫のモノマネもあながち間違いじゃないってことか >>865
同窓会なんてクラスの陽キャの行く会だw >>859
歌詞にゴルフやタイトルのプロゴルファー猿が出てこないのも当時のアニソンとしては斬新
まぁ歌の前の口上では言ってるけど 85年なら珍しくないよ
ダンクーガとかクリーミーマミとかZガンダムとか主題歌にタイトル入ってないし >>838
何十年も前にニートを描いた、明日は日曜日は有名だがこんなのもあったのか。
ストーカーの話もあるよな 壁と掴み合いの喧嘩してて2人とも大柄なので怖かったっていう証言もあったもんな と言っても手塚先生も170ちょいくらいで
今だと大柄とは言われんだろうな
戦後の平均身長が160くらいの頃なら今で言う180-185くらいに感じただろうが 黒澤明なんて明治生まれなのに182もある、現代の日本人でも普通にでかい方
黒澤全盛時代だと190以上のインパクトがあったろうな
それで演技が納得ゆかないとだと俳優に「カット!何やってんだデコ助!!!」と
巨体を怒らせて雷を落としたらしいんだから周囲は怖かったろうな
そういえば、黒澤とA先生、同じ享年88歳だな
黒澤180代、手塚170代、宮崎駿164
と、三人の日本一の物語作家に、創作の神は、大中小それぞれ違う身長を与えた >>880
梶原一騎、ふくしま政美、板垣恵介この辺だろうな >>882
ありがとう
忘れるところだった
ゲストの奥田瑛二さんって気難しいイメージがあったけど
そうでもなかった A作品集ってのkindleで買ったけど禁じられた遊びの表紙がつらすぎて
そこから読めない(ペットの鳥を殺そうとしてる絵) >>856
誰が声をあてるかという地味だが難しい問題もある
小宮山清さんかな こんばんは、クローズアップ現代です
先週亡くなった藤子不二雄Aさん
生涯を通して描いたのは人間の闇でした 88歳だと充分長生きだからそれほど悲しまなかったけど、さっきのNHKの番組で動いてるA先生見たらドバーッと涙出てきた A先生のカラオケ初めて聞いた
オンチだけど楽しそう >>737
クロ現でこれと同じ写真が出ていたね
宮さんが、ひっとらぁ伯父サンを褒めたとか クローズアップ現代のWebサイトの寂聴さんとの対談
人間は「どうやって生きるか」ということは自分でできるけど、
「どうやって死ぬか」はそういうふうにいかないわけですから。
どうせいずれ死ぬんだから、自然に逝くわけだから、なるべく
簡単にぽーんといきたいなというふうに思ってるんですけどね。 >>880
詳細は知らんが小林まことが集合写真ですごいでかかった 実写版笑ゥせぇるすまんの監督A先生だったってマジなの? ハットリくん歌ってたけど女の子目当てとか言いながらも歌声運動に参加するくらいだから歌うこと自体好きだったのかな?そういえば歌声運動なんてのがあったのも愛知りで知ったわけだが。 小林まことは柔道やってた繋がりでパーティーで「君もサムライだな」って梶原一騎に握手求められたようだな
青春少年マガジンに描いてあった
小林まこと先生の漫画は大好きだけど柔道業界のこういう右翼なところ嫌いw >>902
いや、違うぞ
A先生が監督した「せぇるすまん」は奥田瑛二主演で、「ギミア・ぶれいく」で放送された単発のドラマ
せぇるすまんは着ぐるみ(?人形?)だった(声は大平透) >>903
「どんな歌を歌ってたんですか?」って聞いたことあるけど
労働讃歌とかロシア民謡を謳ってたんだってさ >>531
志賀直哉の「剃刀」が下敷きになってるのかな >>895
魔美だけで通じるからな。話し言葉ならまた違うのかもしれんか クロ現の奥田が意味不明過ぎた
鈴木伸一さん呼べば良かったのに ハードディスクに、クローズアップ現代「100円ショップ〜」とかが録画されてて一瞬何だかわからなくて再生したらA先生追悼だった。
危うく、消すところだったよ。
EPGが更新されてなかったんようだ。 とあるまとめサイトで見たけど
フェミさんが水野英子のトキワ荘日記を読んで「自伝漫画に母親に家事させてる描写がない、ヒドい」と無知晒して炎上
予想通りツイ消し逃亡というオチ
フェミさんはなんだかなぁ、誰かドォーンと言ってくんねえかな。 日常ギャグ・スポーツ・自伝・ブラックユーモア
児童向け・少年向け・大人向け
これだけ全世代かつ多種多様なジャンルヒットさせた漫画家はA先生だけだったのでは? >>838
昔、少年がSL列車に跳ねられた事故が有ってな
>>885
石坂浩二氏の代わりだからな >>910
奥田さんは
当たり障りのない発言に終始していたね
NHKはその辺にうるさいんだろうけど、追悼番組だからなぁ >>913
そういや「自伝マンガ(フィクションも含んでるけど)」ってのを初めて描いたのって
もしかしてA先生だったりするのかな? >>916
まんが道、あすなろ編が、1970年週刊チャンピオン8号から連載開始
手塚の、がちゃぼい一代記が1970年別冊少年マガジン2月号に掲載
ほとんど同時だった、やっぱり神はそう簡単には出し抜けないw
手塚の自伝は短編や中編だが、その間ずっと連載していたA先生のまんが道に刺激されたのか、
「紙の砦」「すきっぱらのブルース」「ゴッドファーザーの息子」「モンモン山が泣いてるよ」といった
手塚の自伝系漫画は、ほとんど、まんが道連載中の70年代に描いている
自伝漫画というもの解釈次第で、最初に描いたのは誰かというのは変わってくる
つげ義春はガロ時代に、当時の同棲相手との実話をを漫画にしたりしてる
「ねじ式」も当時見た夢を漫画にしたらしいが、さすがにそれは自伝には入らないだろうが、
1966年の「チーコ」なんて、ほぼ実話らしい まんが道の実質的なスタートをキングの青雲編からと考えると、あすなろ編と青雲編の間に別の漫画家が
結構自伝漫画を描いてる
上に挙げた手塚やつげの諸作品もそうだし、水木しげるも「総員玉砕せよ」を描いてる、
永島慎二はそれで漫画青年のスターになった
70年代前半って、私小説(私漫画)の時代だったんだと思う、その先鞭をつけたのがA先生やつげや永島だったんだろうが
少年時代なんかも原作付きながら、その範疇に入る企画だったと思う
トキワ荘時代、手塚のアシの現場でA先生が永島慎二と鉢合わせするのは、これも因縁というか あれ ハムサラダくんてのはまんが道と同じなんだっけか? >>912
俺も見たけど水野英子さんにも迷惑かかるよな >>922
もうとっくにやってるやろ
先生自ら見ていて良かったと言ったらしい https://www.jiji.com/sp/bunshun?id=53430
「もともとは藤本君と、“底意地の悪い福の神がいたら面白いよね?”という話になって。
彼は『21エモン』(’68年)という漫画に、福の神そっくりな、意地の悪い宇宙人として登場させたんだけど、僕は“不幸を売るセールスマン”として喪黒福造を考えた。
何も売らないセールスマンがいたら面白いな、と思って」と語った。 まんが道の回だけ、いしかわじゅんが嫌なことぜんぜん言わなかったんだよな >>912
元のツイ主にそういうつもりはなかったみたいだけど
案の定よからぬ連中が「トキワ荘がひた隠しにしてきた不都合な事実」「女性蔑視」とか騒ぎ立てているな
「先生も立ち上がってください」とか言い出すバカが水野英子先生に迷惑かけないか不安 トキワ荘にお母さんやお姉さんがごろごろ居たら
若いマンガ家たちの青春日記的な印象が変わっちゃうしね
まんが道はフィクションなんだし演出の範疇だ >>929
「非常に美しい話だよね」
「戦後漫画界の記録でもあるし、それを築いた手塚治虫という天才の話でもある」
と、あのwいしかわが冒頭から大絶賛
あと原稿落としまくり事件について夏目が、作中で絶望する二人の描写に突っ込んでたな
「あの当時、原稿を落として廃業した新人漫画家はいません。今と違って当時は漫画家が少なかったので、
編集側も優秀な新人を干すような余裕がない」
と、指摘してたが、これは目から鱗だった
あと、「漫画雑誌の週刊誌化で、戦前からの漫画家が淘汰された、トキワ荘のメンバーは、週刊連載に耐えられる若い感性と体力があった」
という発言も、そういえばサンマガ創刊時(昭和34年)って、皆は何歳だったかと調べたら、藤子不二雄の二人は25歳、手塚は31歳、ちばや石森なんて成人したばかりくらい
島田敬三、田川水泡 芳賀まさおといった、まんが道にも出てくる明治生まれの大師匠たちは、還暦かその少し手前くらい、
そりゃとても週刊についてゆけんわ。当時はアシスタントシステムもまだ未完成だったわけだし >>913
スーパーヒーロー物もあるよ
少年向けの範疇かもしれんが 戦前からの漫画家は月刊誌時代にも既に過去の人だったのでは 横山隆一田河水泡島田敬三は描いてたよ
杉浦茂先生も戦争にとられてたけど帰ってきて描いてたよ 母や妻から見たトキワ荘の話をだせ! みたいな話がでてきているけど
お望みの家事描写は皆無で石森姉の恋物語と赤塚母(満州引き上げ込み)中心になりそうな気がする >>926
ズダバッグの宇宙人か 面白いね
今更ながら愛しりを全巻買って読んだ
ふくろうのペリットにまつわる何か実話があった気がしたんだが何だっけ >>936
まんが道読んでいて
炊事はともかく洗濯は誰がしていたの?って疑問はあった。
洗濯屋って職業は当時あったのかな? トキワ荘時代に妻帯者っていたっけ?
結婚して出ていった人はいるけど >>935
それは現役ではあっただろうけど既に主役ではなかったと思う
桑田次郎、関谷ひさし、貝塚ひろし、ムロタニツネ象、武内つなよし、吉田竜夫という辺りが当時の人気作家では 横山隆一はアニメやりながらサンデー創刊号作家5人のうちの1人だからバリバリだったんじゃないの? >>932
本人のフィクションを謳っていない本でもあれはショックだったあれをきっかけに
真剣に取り組めるようになったとか書いてあるのも嘘? >>942
嘘じゃないだろう、事実、二人ともあれから生涯、一度も原稿落としてないんだし
(晩年のF先生が大病で大長編ドラを描けなくなったのは除く)
俺が気になるのはトキワ荘の1階の住人についてだな
漫画やドラマでも玄関や台所ででモブの人に挨拶する描写くらいしかないし、
各先生のエッセイ等の資料でも、1階についてはほとんど触れられてないし
漫画家とその家族は全員2階で、1階の人昭和29年のは藤子先生の入居から
退去までの7年間、全員一般の務め人で、交流は皆無だったのかな? A先生はまんが道やらの表に出してる設定を元に作り話したりするから困るのよ >>944
愛知りでテレビ買ったら一階含めアパート中の人がしばらく見にきたエピソード有るよ 面倒くさいからだろ
コンビ解散の理由だって著書にはいきさつ書いてあるけどテレビなんかでタレントに聞かれた時は描くものの方向性が違って来たからで通してた インタビューで何回も同じような質問されてると、答える方もだんだん脚色して言うようになっていくらしいからね そもそもまんが道で他の住人達との交流を描く必要性があるか? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。