0752FROM名無しさan
2019/12/06(金) 01:36:48.68ID:L9x5PSH2−本文抜粋*−
1900年(明治33年)12月アメリカへ渡航。北里の紹介状を頼りに、フレクスナーのもとペンシルベニア大学医学部で助手の職を得て、蛇毒の研究というテーマを与えられ、研究の成果を論文にまとめる
ベストアンサーに選ばれた回答
簡単です。
フレキスナー博士がペンシルベニア大学医学部教授だから訪ねて助手に採用してもらいたいと話しました。
最初は門前払い、飛行機の無い時代に片道の乗船券と片道の旅費だけ持参で行きました。
最初は外国人を雇う規定無しと断られ、個人の助手、数ヶ月後論文提出して認められて晴れてペンシルベニア大学病理学助手
後ヨーロッパ留学、ロックフェラー医学研究所1等助手から準正員、副正員、最後は最高位の正員になりました。
質問した人からのお礼
貴重なご回答有難う御座います
成程、そういうわけでしたか
勉強が足りず、それを痛感致しました
今後ともご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します
皆様の貴重なご回答、心より感謝致します
★この先生には、野口英世はご迷惑をお掛け致さなかったのですね
安心いたしました
野口英世は、割と器が大きい方で、当然のように援助を望むので、偉人とは知りつつも、吃驚してしまうところがありました。