音ゲーってあらゆるビデオゲームの中でも始めた年齢と身体的な器用さがものを言うジャンルだと確信してるんだけど、なぜか自分の才能を認めずに努力を誇りたがる人が多いんだよね
それはゲームという媒体そのものが人の感情を揺さぶるように出来ているせいもあるのかもしれないけれど、スポーツだったら当たり前の話すら認められない人が多いから不思議
弐寺は歴史が長過ぎるせいで向いていない大勢の人が辞めて、ごくわずかの向いていた人ばかりが残って生存バイアスに気付かないエコーチェンバーを起こしやすいのもあるかも
だから未だに昭和のスポーツ指導者みたいな質の低い自慢含みの根性論が幅を利かせてしまう