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世界を現状からこれ以上大きくしないのであれば、もうそこには隠し事が全く存在していないので、誰も新たに「もう隠し事はございません」の恥ずべき弁明会をやる必要は無いんだ。しかしながら、プラスイオンとマイナスイオンを混ぜて貝を析出させることで、配置軸の過去極を不正に動かして世界を大きくしようとする時、必然的に新規の隠し事は増えて行き、必ず恥まみれの辱めに甘受するビターな大人の経験が必要になる。

スキャンダルを吊るされて一斉に非難を浴び、「ごめんなさい、わたくしはこんなにゴミ屑です」と屈辱を噛みながら恥に焼かれる人生のビターな味は、共同体の運営に不可欠な貴重な財産。皆がこのペナルティーを逃れて、辱めという罰ゲームの存在しない幸福ばかりを摂取するようになる時、誰かが代わりに辱めを受けるのを代行するしかない。しかるに、慈善家が利他的目的のために自己犠牲によってこれを引き受けると、Ωレンズでいずれ確実にやられる。


アズマイルへ。最後にまとめとして要点を。料理好きは、調理過程よりもお片付けの方が大事。イチジクの恥ずべき体験は、エクスタシー多幸感以上に、その後始末として露出狂の犯罪者の如く申し開きにパンツ脱いだ剝き出しの股間をイベント会場に披露しピエロやることで、キャーサイテーで世間の本人の評価がゴミ屑へと降格し、人間としての尊厳を失う辱めのビター体験の方が大事。人はビターを甘受して大人になる。物事の文脈ゆえの必然の責任履行のため、申し開きにパンツ脱いだ剝き出しの股間をイベント会場に披露しピエロやるのは、同じ世界の括りの万民にとって、金の価値の富。αイチジクの替え難き財産。

もう一つ。ポルノビデオに出演している女は、結婚式如きでは隠し事はもうこれ以上ございませんなど不可能。自身の出演ビデオの頒布など、何の隠し事の弁明としても機能しない。暴露懺悔には、懲らしめの働きが要る。しかしながら、縦の懺悔辱め大勢参加型大規模会場ピエロショーの力をもってすれば、その程度の隠し事など余さず全部吐かせることが出来る。縦で隠し事の焼却に必要なのは、自国内で完結する段取りではなく、異国との国家同士の結婚、という条件。ウリエルが指揮した教会について言えば、シオンが挫折して贖いを待つばかりになった後、人類の外の霊たちとの恥ずべき式典による契約が必要。多妻婚の律法と死者のためのバプテスマ。縦は気軽に開催することは出来ない。結婚するにも、相手が要る。」