>>621
>「自分の国がどんだけでかいか盛り森する」からして魏志倭人伝にある行程も盛っとるもんや
>これを邪馬台国のころ、どころか西暦50年くらいから「わしが王やわしが王や認めてや」て言いに行ってんねん・・・
>だいたいcis派と同じく距離を2倍から4倍に盛っとるもんとみてええわ せやから沖縄もないわ せめて鹿児島やな

→九州にしたいがために、魏志倭人伝を改竄している
会稽東冶の東に位置するとあり、これは水行陸行60日と整合性がある
また一大率が刺史に例えられているのは、邪馬台国が伊都国から遠方にあることを意味している
60日だと九州に収まらないからといって、数字を小さくする理由はない
文献の改竄は不可

>ほんで魏志倭人伝どころかもっと後世までにあるのも全部「わしが倭国王やわしが倭国王や認めてや」てくる使者からの伝聞や
>中国側が確かめたもんやないねん

→知識の乏しさからくる誤った思い込み
魏使が伊都国に常に駐していたという記述、梯儁と張政の邪馬台国訪問の記事を無視している
倭国内の距離を里で表記、倭国にいない動物の列挙などは、魏使が倭国を訪問して調査したことを裏付ける記述だ
実際、糸島三雲の番上地区では大量の楽浪土器、硯が出土していて、魏使の頻繁な往来を裏付ける物証もある
魏が倭国の情勢を誤認していたことにしたいようだが、そんな言い分は通らない
大きな誤認は地理観のみ

>根拠として「倭国人は距離を測る方法しらずに何日かかったかで測る」てだいぶ後世にまで書いてはんねん
>魏志倭人伝に書かれた行程は日数ばかりやから使者の伝聞とみてまちがいない

→これも誤った思い込み
隋書の記述から行程記事の日数のソースは倭人からの伝聞である可能性が高いが、
それを使者の伝聞だと決めつける根拠は全くない
帯方郡から邪馬台国までの行程に里も含まれているので、ソースが使者からの伝聞でないことは確実
伊都国に常に駐した魏使が倭国の情報を収集した際に、邪馬台国への行程も倭人から聴取したとみなすのが合理的

>中国にとっては東にある卑しい土人くらいにしか思うてなかったから確認する必要自体なかったねん

→2つ目のコメントと同じで、知識の乏しさからくる誤った思い込み